真っ暗な心の中で、それでも光は薄れない。
どうしても消えないものなら、もう見なければいい。
そしてあたしは目を逸らす。優しくて眩しい、その切ない光から。
この胸の光る星 ― The love shines in the heart like a little star ―
第5話 Light not going out
枕元で携帯が鳴った。
ミッキーマウスの着ヴォイス。メールが来たことを知らせて、甲高い声で早口に喋ってる。
今日何度目のメールなのか数えることもしてないし、中身を見る気力も湧かない。
ほったらかしたまま、ベッドの中で膝を抱え込んで丸く丸くなって。
そしたら数分後、またミッキーマウスがメール着信を告げた。
―――学校を休んで、もう3日目の午後のこと。
「」
コンコン、とノックの音が聞こえて、少し間を空けてドアが開いた。
名前を呼んだ声はママのもの。
足音がゆっくりベッドの方へと近付いて、ギシっとスプリングが軋んでベッドの縁に腰掛ける気配がした。
「、ママこれから仕事に戻るけど―――」
「うん」
「今ね、お友達がお見舞いにいらしたの。部屋にお通ししてもいい?」
「……誰?」
侑ちゃんか、奈津美先輩か。でなきゃ朝希か莢子かな。岳ちゃんかジロちゃんかも。
ぼんやりみんなの顔を思い浮かべながら訊ねたあたしの前で、ママは予想しなかった名前を言った。
「日吉君て男の子よ」
「―――思ったよりも元気じゃねぇか」
案内されて部屋に入ってきた若ちゃんは、出て行くママにきちんと頭を下げてからあたしの方に向き直って、いつもと同じ愛想のない口調でぽつりと言った。
さすがにパジャマ姿のままじゃ会えないしと、あたしは服を着替えてベッドに座って。
ママが用意してった座布団をすすめると、若ちゃんは無言でその上に胡坐をかいて座って、鞄の中からルーズリーフの束を取り出してあたしの方に差し出した。
「……何?」
「お前のクラスメイトから預かってきた。3日分の授業のノートだ」
「ありがと……でもどうして若ちゃんがお見舞い?」
「その呼び方はやめろと言っただろうが。……お前らの共通の知り合いの中じゃ、中立の立場で話を聞けるのは俺くらいだって言う理由で、先輩たちに行って来いと命令されたんだ」
「命令なんだ……相変わらず景ちゃんたちには勝てないんだね若ちゃん」
「…………うるさい」
不機嫌な顔で呟くと若ちゃんはママが出したお茶を一口すすって、湯飲みを手に持ったまんまでじろりとあたしのことを睨んだ。
「で、3日も学校をサボった理由は何だ。鳳と何があった」
「……直球な質問だなぁ……若ちゃんらしいけど」
「まどろっこしい聞き方して何になる」
「何になるって言われてもー……」
遠回しに聞くのはひとつの気遣いだと思うけど……。
若ちゃんの性格的に、そういう気遣い方は苦手なんだろうな。
ついでに言えば、今は下手な気遣いされるより突き放してるくらいの態度を取られた方がいい。
優しくされるのは反対に辛い。
侑ちゃんたち、そういうとこまで考えて若ちゃんを寄越したのかな……。
「おい」
「……何?」
「何?じゃねぇ。理由を言え、さっさと」
「若ちゃん、せっかちな男はもてないよ」
「…………」
「ごめんなさい、もう茶化したりしません……」
ものすっごい険のある目つきで無言で睨まれて、思わず首を竦めて謝ってしまった。
ただでさえ鋭い目つきの若ちゃんに思いっきり眉間にシワ寄せて睨まれたらそりゃ怖いってば。
渇いた喉をお茶で潤して、まだ睨んでる若ちゃんの視線を避けるように顔を伏せて、あたしはぽつぽつと3日前の帰りにあったことを話した。
「……ずっとずっと長太郎に好きだよって言い続けてきたけど、長太郎にとっては妹がお兄ちゃんに好きだよーって甘えてんのと一緒だったのかな。あんまりたくさん、好きだって言い過ぎたのが、良くなかったのかなぁ」
「…………」
「これまで今はダメでもいつかはって思って頑張ってきたけど、『どんなに頑張っても恋愛対象にはならないんだ』ってはっきり言われた感じがして……」
「…………」
「好きな人に1番言われたくない言葉だよね、今好きなヤツいるの、なんてさ……」
手に持った湯飲みの中にぽつんと一粒涙が落ちて、小さな波紋を作った。
もう涙なんて涸れちゃったと思ってたのに。
あの日あんだけ泣いたのにまだ涙が出るんだなぁ、なんてぼんやり思った。
あの日、先に走って帰ったあたしを追いかけて、長太郎はうちまで来てくれたけど。
あたしは会わなかった。会えなかった。会いたくなかった。
部屋のドアも窓も鍵を掛けて、カーテンを引いてベッドに潜り込んで、耳を塞いで。
そうやって逃げたって、いつかは顔を合わさなくちゃいけないってわかってても。
あの時のあたしは長太郎から逃げること以外何も考えられなかった。
逃げて、会わないで、少しでも長く、事実から目を逸らしていたかった。
―――だけど。
「……もーさすがに、逃げるのは終わらせないといけないよ、ね……」
「……別に鳳だけじゃないだろう。お前の周りにいるのは」
冷めかけたお茶を一気に飲み干して、若ちゃんが。
いつもの口調のまんま、真っ直ぐあたしを見て言った。
「鳳へのそれが生涯最後の恋愛って訳でもないだろうが。奴のことより心配している他の奴らのことでも考えて、さっさと浮上しろ」
「……頑張るよ……」
「お前がそんなだとこっちの調子も狂うんだよ」
「若ちゃんが?いつだってマイペースなのに」
「てめぇのペースでこっちを散々引っ掻き回すお前に言われたくない」
「そんな、人を台風かなんかみたいに言わないでよー」
「あの先輩たちをあそこまで動揺させるんだから、台風より性質が悪いぜ」
「みんな優しいから気に掛けてくれてるんだよ……若ちゃんも優しいよね。ありがと」
あたしの言葉に若ちゃんは一瞬目を瞠って、それから少し頬を染めてそっぽを向いた。
「……別に、俺は命令されたから来ただけだ」
「でもホントに嫌なら断るでしょ、若ちゃんは」
「……あの先輩たちに詰め寄られて、否と言えるか」
そう言うけど、本当に本当に嫌なことなら若ちゃんはきちんと断る人だし、景ちゃんたちだってそこまで嫌がってることを無理強いする人たちじゃない。
若ちゃんなりにあたしのことを心配してくれてるから、うちまで来てくれたんだってわかってる。
若ちゃんの性格じゃ、素直に心配だなんて絶対言わないだろうけど。
「…………明日は学校行くよ」
「そうしてくれないと困る。でないと明日も俺はこっちに来る羽目になりそうだからな」
「練習休ませちゃってゴメンね、ありがとう」
「……1日分なんてすぐに取り戻せる。お前が気にするようなことじゃない」
「―――やっぱり優しいなぁ、若ちゃんは」
ぶっきらぼうな話し方でも、言ってることは優しくて。
何だかまた目の奥が熱くなって、あたしは慌てて湯飲みを置いて溢れてきた涙を手の甲で拭いた。
涙で霞んだ視界にきちんとたたまれたグレーのハンカチが映って、そっとあたしの目元を押さえた。
「下手にこするな。ただでさえ碌な造りじゃない顔が余計に酷くなるぞ」
「……何それ、ひどいなぁ……やっぱ前言撤回……」
「事実を言ったまでだろうが」
「もー……若ちゃんホント、そんなんじゃ女の子にモテないよ……」
「モテたいなんて思ってねぇからいい」
言ってる言葉とは裏腹に、涙を拭いてくれる手はとても優しかった。
やがて涙が止まって、まだ少し霞がかってる視界の中で若ちゃんは小さく息をついてハンカチを持った手を下ろして、あたしの顔を覗きこんだ。
「泣いて少しは気が晴れたか」
「……うん」
「じゃあ後はしっかり飯を食って明日に備えてさっさと寝ろ」
「うん」
「それからさっさと鳳のことなんか忘れて、新しく好きな男でも作るんだな」
「……そうだね……」
……でも今はまだ、長太郎の名前を聞くとひどく胸が痛むから。
まだこんなにも好きだから、さっさと忘れるって言うのは絶対無理だけど。
でもいつか、きっとそのうち、新しい恋も出来るかもしれない。
あたしの周りには優しい人がいっぱいいて、その人たちと時間が癒してくれるかもしれない。
いつになるかは、わからないけど……。
でもいつか忘れられる日が来たら、その時は。
「……次に……」
「…………」
「次に好きになるなら、若ちゃんみたいな人がいいなぁ……」
―――言い方きつくてぶっきらぼうで、気遣い下手で愛想がなくて。
でも本当は優しい、若ちゃんみたいな人を好きになれたらいい。
骨ばった、少し冷たい手のひらが、そっと頬に触れた。
伏せていた目を上げたら、若ちゃんが真っ直ぐこっちを見てて。
少しきつい、切れ長の神経質そうな鋭い眼差し。
滅多に笑わない薄い唇が微かに動いて。
「―――なら俺と付き合うか?」
―――何かの冗談か、って思った。
でもこんな時にこんなふうに人をからかうような人じゃない。
若ちゃんの考えてることが読めなくて、あたしはものすごく戸惑った顔をしたと思う。
そのあたしの顔をじっと見ながら、若ちゃんは全然表情とか変えないでいつもの淡々とした話し方で言葉を続けた。
「どうせすぐに忘れるのは無理だと思ってるんだろうが。だったら他の男の傍にいて少しでも鳳と距離を置けばいいんじゃねぇのか?」
「……でも、若ちゃん別にあたしのこと好きじゃないじゃん……」
「そこらの頭の空っぽなバカ女どもよりはかなりマシだと思ってるがな」
「……それあんまり嬉しくないよ……」
「お前は鳳から距離を置く為、俺は……そうだな、近寄ってくるバカな女避けの為にお前を傍に置く。それでいいだろう」
「利害関係の一致ってこと?」
「利はあっても害はねぇだろ、別に」
「……でも、そこまで甘えちゃっていいのかな……」
あたしの視線を受け止めて、若ちゃんは大したことじゃないというように言った。
「俺は別に構わない。万が一俺に好きな女でも出来た日には盛大にふってやるから覚悟しとけ」
「若ちゃんに好きな人……なんか想像出来ない、それ」
「万が一と言ってるだろうが。お前に別に好きな男が出来た時はさっさとそっちに行けばいい」
「……ホントにいいの?」
「テニスと自分とどっちが大事だとか言いやがるバカ女に言い寄られるよりマシだからな」
「…………だからその例えは嬉しくないって……」
頬に触れていた若ちゃんの手がそっと頭の後ろに回って。
少し乱暴に制服の肩口に引き寄せられる。
長太郎の使ってるデオドラントとは違う、ミントの香りがほのかにした。
「甘えさせてやるから、さっさと立ち直ってあのうるさい先輩たちをどうにかしやがれ」
「……亭主関白な彼氏だなぁ、もうっ……」
ぶっきらぼうな言葉とは裏腹に、抱き寄せてくれた手はとても優しかったから。
あたしはまた少し泣いて、若ちゃんのブレザーの肩に小さな染みを作った。
そして泣きながら。
心の中で長太郎をあきらめようと、決めた。
胸の中に、まだ君の音色がある。消えない優しい光。
だけどあたしは目を逸らす。
それを見つめることは、もうしない。
叶わない恋をあきらめるために。
…… to be continued.
若ちゃんは実はとっても優しい子(と思い込んで捏造)。
次回はチョタ視点。やっと……!!