きっと多分、誰よりも。
君が一番大切だったのに。
この胸の光る星 ― The love shines in the heart like a little star ―
第7話 Fluctuation
カチカチ、カチカチ、カチカチ、とシャーペンのノック音が断続的に部室内に響く。
人がいない訳ではないのに、部屋の中は妙に静かで居心地が悪い。
シャーペンの先から三本目の芯が落ちたところで、奈津美先輩が俯いていた顔を上げた。
真正面から俺を見つめるその表情は、呆れているというよりはどこか同情しているようだった。
「……事の経緯は理解出来たわ。ちゃんと日吉のことはとりあえず置いといて」
「…………」
「それで?鳳はこれからどうしたいの?」
「……俺、は」
―――ドウシタイノ?
そこから先の言葉が出て来なくて黙り込んだ俺を見つめて、奈津美先輩はすぐ隣に座っていた宍戸先輩と顔を見合わせて深い溜息をついた。
どうしたいのかと言われても、答える術が俺にはない。
と日吉が付き合ったからと言って、俺が文句を言う筋合いはない。
日吉はいい奴だと思うし、のことだって安心して任せられると思うのに。
二人が付き合いだしてからどうしてかずっと、心に靄がかかったように気分はすっきりしないままで。
自分の気持ちを持て余している。
下を向いたまま黙り込んだ俺の頭に奈津美先輩の手が乗って、くしゃりと髪をかきまぜる。
溜息混じりの優しい声が二方向から響いた。
「まぁ、ゆっくり考えなさい」
「ま、ゆっくり考えろよ」
「…………」
考えたところで何がどうなるものでもないのでは、と言いかけて俺は口を閉ざした。
思いやってくれる先輩たちの気持ちを無碍にしたくなかった。
お先に失礼します、と部室を出て人気のない廊下を一人歩き出す。
窓の外に見える暮れ掛けた空に、小さく星が光っていた。
部室棟の入り口で、いつものようにあすかさんが待っていた。
声をかけようとしたところへ、あすかさんと並んで立っている背の高い影が視界に入って足を止める。
あすかさんよりも先に俺に気付いて、小さく手をあげたのは忍足先輩だった。
「―――よぉ、遅かったやんか」
「……どうかしたんですか?」
「お前を待っとる間、ちっと世間話しとっただけや。したら月城ちゃん、またな」
「さよなら、また明日ね」
「ほなまたな、鳳」
「お疲れ様でした」
ひらひらと手を振って歩き去る忍足先輩を見送ってから何となく横を見たら、あすかさんと目があった。
じっとこっちを見上げているその視線が何だか煩わしくて、俺は露骨に視線を逸らしてしまった。
部室にいた時以上の居心地の悪さ。
いつもの帰り道を、いつものように並んで歩く、ただそれだけのことをこんなにも億劫に感じたのは初めてだった。
あすかさんの利用しているバス停まで、結局俺も彼女も一言も口をきかなかった。
他に人のいないバス停のベンチに腰を下ろして。
五分近く経って、やっとあすかさんが口を開いた。
「……鳳君」
「何ですか?」
「ちゃん、元気?」
一瞬、返答に詰まって。
思わず振り向いたその視線の先で、あすかさんは何か言いたげな表情でじっと俺を見ていた。
その口元が、不意にやわらかく哀しそうにほころんで。
ぱちん、と軽い音が、俺の左頬で鳴った。
整えた爪に綺麗に塗られたマニキュアが、通り過ぎる車のライトに反射してきらっと光って。
引っ叩かれたんだと認識するまで、少し掛かった。
「……あすか、さん?」
「この程度で済ませてあげるんだから、ありがたく思ってね」
「それ、どういう」
「好きな子はいないって言ったくせに、嘘つきね、鳳君」
「え?」
「実らないとわかってて片想いし続けるほど、一途な性格してないのよ私。自分のこと見てくれない人と付き合い続けたって意味がないもの、だからね、別れましょう?」
―――別れましょう?
にこやかに告げられたその言葉をすぐには理解出来なかった。
うまく動かない頭を必死に巡らせる俺を見つめて、あすかさんは不思議なほど晴れやかに笑って見せた。
「ちゃんによろしく伝えてね。これからも仲良く出来たらいいと思ってるのよ、彼女さえ嫌じゃなければ」
「ちょっと待って下さい、どういうことですか……」
「だって鳳君が好きなのは、私じゃなくてちゃんでしょう?」
がん、と後頭部を殴られたような衝撃が走った。
耳の奥でがんがんと何かを打ち鳴らされているような感じで、周りの音が良く聞こえない。
そんな中であすかさんの声だけが、嫌に明瞭に聞き取れた。
「自分の気持ちに自分で気がつかないなんて、鳳君って思ってたよりずっと鈍感なのね」
「ちょっ……待って下さい!俺は別にのことをそういうふうに見たりは」
「ホントに気付いてないの?呆れちゃうわね、ちゃんが日吉君と付き合い始めてからの鳳君見てたら一目瞭然だったわよ?ぼんやりしてて、いつだってちゃんのことばっかり見てて」
「そんなんじゃ……」
「そんなんじゃないって?それは嘘よ。鳳君は自分の気持ちから目を逸らしてるだけだわ」
「―――本当はずっと、ちゃんのことしか見てなかったんじゃないの」
言い返す言葉が見つからなかった。
口が思うように動いてくれなくて。
まだガンガンと鳴り続ける頭の片隅に、あすかさんの言葉に納得している自分がいた。
―――ああ、そうか。
俺はのことが好きだったんだ。
他の誰でもない、のことが。きっと、ずっと昔から。
あまりにも近くに居過ぎて、傍にいるのが当たり前過ぎて、自分の気持ちを深く追求したこともなかったけど。
俺は昔からずっと、他の誰よりもが一番大切で。
のことが好きだったのに。
緑色の車体が視界の隅に映って、俺ははっと我に返った。
目の前に滑り込んできたバスとあすかさんの顔を交互に見比べる。
夕暮れの所為か、影になって表情がよく見えない。
あすかさんの一言一言をはっきりと区切った科白だけが俺の耳に届いた。
「……頑張ってね。望み薄かもしれないけど」
「―――あすかさん、俺……」
「明日からは普通の先輩と後輩に戻ってね。それじゃ、さよなら」
きっぱりと言い捨ててバスに乗り込むその背中に、俺は深く頭を下げた。
顔を上げたら、タラップに立ってこっちを振り返っているあすかさんと目があった。
整った顔が一生懸命に笑おうとして微妙に歪んで。
小さな声が、風に乗って微かに響いた。
「―――本当に鳳君のこと好きだったのよ。それだけは、忘れないでね」
バスの扉が音をたてて閉まる。
あすかさんを乗せたバスが動き出して、完全に見えなくなるまで見送ってから。
俺は踵を返して、家に向かう道を早足で歩き始めた。
ひどく気持ちが高ぶっていて、一分でも一秒でも早く、に逢いたかった。
最初は早足だったのが、最後の方はほとんど全力疾走で家に辿り着いて。
自分の部屋の窓を大きく開けて、まだ帰ってきていないを待った。
やがて聞こえて来た声に急いで立ち上がって窓の外を見たら、の家の前に、と、日吉の姿があって。
親しげに何か二言三言交わして笑いあっていた。
はいつもの屈託のない笑顔で、日吉はいつもの仏頂面が嘘のように優しい顔でを見つめていて。
それはとても幸せそうで、とても自然な恋人同士の姿だった。
音をたてないように、静かに窓を閉めて、カーテンを引いた。
気持ちが暗く、どこまでも落ち込んでいく。さっきまでの高揚した気分が嘘のように。
くらくらと心が揺れて、足元がひどく不安定になった気がした。
自分がどこに立っているのか、ちゃんと立てているのか、それすらわからない。
ぐらつく意識の中で、とても大切なものを失ったんだと、そればかりを感じていた。
……to be continued.
とことんカッコ悪いチョタでごめんなさい……!これでもチョタ好きなんです。イヤホントに。
章タイトルの『Fluctuation』は『揺らぎ』とか『変動』という意味。