君のそばで君を想っていられるなら、どんな痛みにも耐えられる。

君と引き裂かれる痛み以上のものなんて、きっとこの世にはないのだから。
















ちてみようか?











『―――旅行?』


同時に訊き返した俺とに、さん(俺らの母親。名前で呼ばないと怒る)は満面の笑顔で頷き返した。


「北海道にね、明後日から10日間!くんが奮発してくれたの♪だからね……」
『ちょっと待った!』


またも同時に声を上げた俺とは、目を合わせて先を譲り合って、まずが口を開いた。


「いくら夏休みだからって、そんな急に言われても無理だよ!わたし図書室の蔵書チェックの手伝いするって中田先生と約束しちゃったんだけど!」
「俺も7月中はテニス部の練習あるんだけど。そんな急に休めないよ」
「あら、アンタたちは行かないわよ。今回はくんと私の2人で行って来るから留守番お願いねって言おうとしたのに、2人してせっかちなんだからー」
『…………』
「そういう訳で私荷物の用意するから、ちゃんお鍋吹きこぼれないように見ててね〜♪」


……と、高3受験生の子供を2人も持つ母親のものとはとても思えない科白を残して、さんはすこぶる上機嫌で鼻歌なんか歌いながら荷物をまとめに行ってしまった。
リビングに残された俺たちはもう一度視線を交わして、そして同時に溜息をついた。
















「―――という訳」
『相変わらずだね、さん』


俺の話をひとくさり聞いて、不二は受話器の向こうで穏やかに笑った。


「相変わらず過ぎて困るよ。あの人、受験生の母親って自覚ないんだよな」
『報われない恋に悩む息子の心の機微にも疎いし、って?』
「…………」
『ふふ、冗談だよ。気付かれたら困るもんね』
「……そういうとこが裕太君に嫌われる原因なんじゃないの?」
『僕なりのコミュニケーションの一環なんだけどなぁ』


―――人の痛いところに、冗談めかして容赦なく直球で突っ込むのが?
と言いかけて俺は口を閉ざした。
余計なことを言ったら、更に不二に突っ込まれる結果にしかならないのはわかってる。
幼馴染ゆえの経験則。


「……何で唯一バレちゃったのが、よりにもよって不二なんだろうな」
『僕だから、わかったのかもしれないよ?』
「どういうこと?」
『それは僕にはないものだからさ』


『――― そんなふうに、何かを強く求める心とか……ね』


心なしか哀しげな口調で、そう呟いて。
僅かな沈黙の後、不二は一転して含みのある口調に切り替えた。


『―――でも、そしたら10日間も2人っきりなんだね。こういうの初めてじゃない?』
「たった10日、だろ。かれこれ6年も隠し通してきたものが、たかが10日間のために崩れ去ることもないさ」
『それはわからないんじゃないかな』


なおも突っ込んでくる不二の科白を受けて、俺は受話器に向かって掠れた声で呟く。




「……俺は壊さないよ」




壊さない。……壊せない。
この平穏は。

望むのは、のそばでを想って生きていくこと。
俺にとっては偽りの平穏でも、や両親にとっては真実の、穏やかで代わり映えのしない日々。
それを壊してしまったら、俺の望む全てはきっとこの手からすり抜けてしまう。


「意地の悪いことばかり言うなよ、不二」
『苛めてるつもりはないんだけどな……壊さなくても手に入れられるかもしれないじゃないか』
「……有り得ないって」
『そんなふうに決め付けられないと思うよ』
は……俺と違って至極真っ当だよ」


―――実の弟に恋をするなんて有り得ない。


俺の想いは一方通行で、決して同じ想いを返してもらえることなんてない。
そんなことは誰に訊くまでもなく(訊けるはずもないけど)十分わかっていたから、俺はずっとこの気持ちを押し隠してきたし、これからも隠していくつもりでいる。
この気持ちを言葉にしてしまったら、行動に移してしまったら、それで最後。
俺の望むものはその瞬間に全部失われるだろうから。

……それでもいい、とか。
想いを遂げるその一瞬のためになら、何もかも失ってもいい、どうなっても構わない、なんて。
そんなふうに思えるほど、俺は。


「……俺はそんなに強くないよ、不二」
『――― そうかもしれないけど』


とても穏やかな不二の声。
その奥底に窺い知れない不思議な感情を込めて、俺の耳元で響いた最後の言葉。


『でも佐伯は自分で思っているほど、弱くもないよ。―――きっと』
















     ◇ ◆ ◇ ◆ ◇















いい歳してベタベタに仲の良い両親が旅行に出掛けて、3日目。
俺は毎日朝からテニス部の練習で、部活後はいつもと同じように皆と遅くまで遊んでいた。
は蔵書チェックの日以外は暇だからと、家事を一手に引き受けて毎日ほとんど一日中家に居たから、俺とが一緒に過ごすのは朝と夜の数時間。
何が起こる訳でもなく、いつもどおりに過ぎていた。


「虎次郎、今日の夕飯何がいい?」
「別に何でもいいよ。の食べたいので」
「そういうのが一番困るんだけどなぁ……あ、そうだ今日は早めに帰ってきてね」
「何で?何かあったっけ?」
「もう冷蔵庫の中、空っぽなの。買い物行くから荷物持ちして」
「そういうことですか」
「そういうことなんです」


紅茶を入れながらにっこり笑ったに、わかりました部活が終わったら寄り道せずに帰りますと小さい子供みたいな約束をして、俺はいつものように部活に出掛けた。
















うちでは夏場の練習なんて、はっきり言って半分以上遊び感覚だ。
無理すれば熱中症だとか色々危険だし(まぁ皆そこまでヤワじゃないけど)、オジイも大分いい歳だからそんな長いこと外に居させる訳にも行かないし、昼飯食った後くらいに暑さに耐え切れなくなった誰かが『海行こうぜー』とか言い出して、皆で海岸に突っ走っていくのが大体のパターンで。
今日の言いだしっぺはバネだった。


「だーっ!!もう我慢出来ねぇ、海行こうぜ、海!!」
「……さーんーせーいー……」
「いいけど剣太郎、とりあえず弁当は食っとかないと、あっという間に腐るぞ」
「昼飯のくさやがくさる……ぷっ」
「熱くてイライラしてっ時にくだらねぇダジャレ言うなぁ!!」


いつものようにダビデの後頭部をバネが蹴り飛ばした。
暑さの所為か蹴り一発じゃイライラが収まらないバネを宥めて、落ち込むダビデにフォロー入れて、暑さでダレてる剣太郎に弁当を片付けさせて、海に向かう道すがらオジイを家まで送って。
やっと海に飛び込んだ時には、俺の頭も煮える寸前って感じだった。
冷たい波に足を浸してやっと一息ついた俺の背中に、ドカっと勢いよく誰かがぶつかる。


「何ボーっとしてんだ、サエ!」
「……バネ、手加減してくれよ……」
「ンだよ、辛気臭ェ面だなぁ」
「さすがの俺もこの暑さじゃあね」
「つーかちゃんと飯食ってっか?今と2人なんだろ?」


あいつ料理出来たっけ?と首を傾げるバネの腹に軽く肘鉄を食らわせる。


「それなりに出来るよ。何だったら飯食いに来れば?」
「お、それいいな!今夜皆でお前らんち集まって遊ぼうぜ!」
「皆で?」
「たまにはいいだろ?」


それも悪くないか、と思った。
不二にはああ言ったものの、実際2人で過ごす家の中は少し息苦しくて。
今までは大して苦にならなかった『普通に振舞う』ことが、何だかとても億劫でひどく疲れた。
この連日の暑さの所為もあるのかもしれない。
皆を呼んで大騒ぎするのは、気分転換にはもってこいかもな……。


「じゃあに言っとくよ」
「おう!んじゃ皆と買出しして、6時くらいにそっち行くわ!」


笑って俺の背中をポンと叩くと、バネはおい今日の夜だけどさぁ!と大声を上げながら、ざばざばと波を蹴散らして皆の方へ行ってしまった。
いつものようにじゃれ合って遊ぶ皆からは少し距離を取って、じっと遠い波間に視線を泳がせる。
太陽の照り返しで目が痛いほど光る水面も、じりじりと肌を焼く日差しもいつも以上に熱くて、俺は軽い目眩を覚えた。
















との約束があるからと皆より早めに海岸を離れて。
海水と汗でべたつくユニフォームに辟易しながら家に着くと、玄関の鍵は閉まっていた。
ひとりで買い物に行ったってことは、ないよなぁ……。
そういう時はきちんとメールか電話で知らせてくるはずだ。
その時、裏庭から水音が聞こえてきて、俺は少しふらつく頭を軽く振ってそっちに足を向けた。


うちの裏庭はさんの2人が色々と植えてて、今は向日葵とか桔梗とか、その他にも俺には名前もわからない花がたくさん咲いている。
は裏庭で水撒きの真っ最中で。
背の高い向日葵に囲まれた後ろ姿を見つけて、声を掛けようとした瞬間。
俺の声は、喉元に引っ掛かったように出なくなった。






垣根の向こうの木々の隙間から差し込む日差しの下で、白いワンピースが揺れて。
水飛沫が太陽の光をはじいて光る。
黄色い花を見上げて微笑んだ、横顔が。




―――とても、きれいで。






「―――あれ、虎次郎?帰ってたの?」


呼び掛ける声がひどく遠く聞こえた。
宙に弧を描く水の軌跡。
きらきら光る虹色。


「おかえり、暑かったでしょ?水かけたげようか?」
「……ああ、うん」


ホラ、と笑って手にしたホースをこっちに向けて、冷たい水のシャワーを俺の頭上に降らせる。
目の前で、きらきらと。
虹色が踊って。が笑って。




―――目眩がした。






「虎次郎?どうしたの?大丈夫?」


前髪から滴る雫よりも透明で無垢な眼差しが、俺を覗き込む。




見えない何かに引き寄せられるように。

まるでそれが当たり前のことのように。


唇を、重ねた。






触れただけのそれが、静かに離れて。
眼差しが絡まり合う。何も言わずに、ただ、静かに。
驚愕も怯えも、咎める色すら、そこにはなくて。
透明なままのきれいな瞳が、俺だけを見ていた。






永遠のような、一瞬の、あと。


白い頬を伝ったのは、涙で。


――― それを見た瞬間、俺は弾かれたようにその場から駆け出した。
















「……俺はそんなに強くないよ、不二」
『――― そうかもしれないね』

『でも佐伯は自分で思っているほど、弱くもないよ。―――きっと』






あの日の不二の声が、ぐらつく頭の中で何度もリピートした。





















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・・・・・・・・・・あとがき?・・・・・・・・・・

極道一直線。
あともうひとつのお題で終了……するんだろうか……(不安)