あの日手に入れたのは。

言葉に出来ない秘密の想いと、胸を刺す甘い痛み。


























「こーじーろーうー」


ヘッドホンからもれる音に紛れて聞こえた声についと視線をあげると、すぐ目の前に伸びてきた指が細いコードを引っ張ってヘッドホンを首のとこまで落とした。
開け放したままの窓から流れ込む夏の風に、目の前に立つ華奢な人影の、肩の線より少し長めに伸ばした色素の薄い髪がさらさらと揺れる。


「何?
「何じゃないでしょ。あと虎次郎だけだよ、アンケート出してないの」
「あ、ゴメンゴメン。忘れてた」
「もー昨日あれだけ言ったのに!」
「ゴメンって」


机の中を引っ掻き回して少し折れ目のついたアンケート用紙を引っ張り出す。
折れたところを適当に伸ばして差し出すと、の細い指はそれを受け取る代わりにパチンと俺の額にデコピンを食らわせた。


「……痛いんだけど」
「忘れてたバツ!」
、爪伸びてるよ。いつもより痛かった」
「え、ホント?やだ、ゴメン!」


一転して慌てた口調に変わって、額に柔らかな指先の感触。

「あーホントだ、赤くなっちゃった。ゴメンね」
「撫でてくれたら治るよ」
「よしよしよし」

「おーい佐伯ー、堂々とイチャついてんなよなぁ」


―――背後から、からかうように響くクラスメイトの声。
それに続いて教室のあちこちで笑い声が聞こえたけど。
悪意のないそれはいつものことだから、俺とも顔を見合わせて笑うと同時に口を開いて、いつものように言い返した。


「いいだろ、俺の姉貴だもん」
「いいでしょ、わたしの弟だもん」


ふざけた調子の俺たちの科白に、クラスメイトは皆一斉に声を上げて笑った。




彼女の名前は―――佐伯
俺の双子の姉。































人気のない図書室の窓際の席で、分厚い本を前にページをめくる指が動く。
俺が来たことにも気付かない程目の前に展開される世界に没頭している姿は、別に珍しいものでもなかった。
本好きのにとって図書室とか図書館とかって場所は、俺にとってのテニスコートと一緒。
そこで過ごす時間は、にとっては大好きで大事な時間だからあんまり邪魔したくはないんだけど、もう半分以上沈みかけている夕日が早くしろと俺の背中を押した。



コツコツと窓ガラスを叩きながら名前を連呼する。
前屈みになっていた肩がぴくっと反応して、こっちを向いた顔は瞬時にふわりとほころんだ。


「虎次郎、もう部活終わったの?」
「もうとっくに終わってるよ。帰ろう?」
「うん、ちょっと待ってて」


さっきまで読んでいたページにしおりを挟んで、他にも取り置きしてあった本と一緒にカウンターへ持っていく。
俺はスニーカーを脱いで窓枠に手をかけると、懸垂の要領で身体を持ち上げて窓から図書室内へと足を踏み入れた。
机の上に残されたままの見慣れたペンケースやノートをざっとまとめている間に、貸し出し手続きの終わった本を抱えたが戻ってくる。


「……虎次郎、また窓から入ったね?」
「いちいち昇降口回ってくるの、めんどくさいだろ」
「ダメって何度言ったらわかんのかなぁ、もう!」


ぷくっと頬をふくらませて怒りながらショルダーバッグにさっき俺がまとめておいた荷物を詰め込んで、空っぽのペーパーバッグに今借りた本を丁寧に入れる。
悪戯心を起こしてふくれたままの頬を指でつついたら、ぷすんと微かな音をたてて空気が抜けた。
何とはなしにそのまま頬をつまんだら、は頬をピンクに染めてますますふくれ上がって。


「なにすんのー!」
「拗ねてるって可愛いよなぁーと思って」
「なんか引っ掛かる言い方……」
「はは、ゴメンゴメン。拗ねてなくってもは充分可愛いよ」
「お姉ちゃんに向かって言う科白じゃないと思うの、それ」
「ホントのことだろ」
「……わたしにどーゆーリアクションを期待してるのよ」
「…………兄弟仲がいいのは充分わかったから、早く帰れお前ら」


カウンターの中から司書の中田サンが呆れたようにツッコミを入れてきた。
手の中の鍵束をチャリチャリ鳴らしながら、カウンターを回ってこっちにやってくる。


「そーれーかーら、佐伯弟!お前ね、靴脱いでりゃどっからでも入ってきていいなんて決まりはないんだよ?ちゃんと入り口から入ってこいって何度言やわかるんだ、あぁ?」
「センセー柄悪いなぁ。せっかく美人なのに勿体無いよ?」
「こーじーろー!!」
「余計なお世話だよ、マセガキ。ねーちゃんからかって遊んでないでとっとと帰りな」
「そうします。じゃーねセンセイ」
「あっこら、待ってってば、虎次郎!」


慌てて俺の後ろについてこようとしたに向き直る。
見るからに重たそうなペーパーバッグを(まぁあれだけ分厚い本が3冊も入ってればね)その手から取り上げて、背後で俺を睨んでいる中田サンの方を指差して。


はあっちだろ?」
「え?あっ、ちょっと!」
「正門で待ってるから、早くおいでよ」


そう言って、さっき入ってきたのと同じ窓から外に出て、そこに脱ぎ捨てておいたスニーカーを履いて壁に立て掛けておいたテニスバッグを持ち上げて、俺はさっさと歩き出した。
最後に一回だけ後ろを振り向いたら、慌てて中田サンに頭を下げて図書室を飛び出していくの後ろ姿と、窓の鍵を掛けながら俺を見て溜息をつく中田サンの姿が視界の端にちょっとだけ映って、消えた。





















他に誰もいない正門で門柱に寄り掛かって待っていた俺に向かって、が走ってくる。
必死に走ってんのはわかるけど、そのスピードははっきり言って遅い。
何だか嫌な予感がして、走らなくっていいよと声を掛けようとした瞬間、正門まであと10メートルってところではものの見事にコケた。


!」
「ふえぇ……」


慌てて駆け寄って助け起こす。
制服についた砂埃を払って、俺の差し出した手に掴まってよろよろ立ち上がる。
剥き出しの膝にはかすり傷。
赤い血が滲むその傷についた砂を取り出したハンカチで払いながら、は泣き出す一歩手前の顔を俺に向けて小さく呻いた。


「こじろー痛いー」
「何やってんだか……」
「虎次郎待ってるから、一生懸命走ってきたんだよぅ……」
運動神経ないんだから、気をつけないと大怪我するぞ」
「ひどい〜」


ひーん、と情けない泣き声。
俺を見上げてくる目は溜まった涙で潤んでいた。
仕方なく俺は一旦正門まで戻って、置いたままだった自分のバッグの中にのペーパーバッグを突っ込むと、またの目の前まで戻って背中を向けてしゃがみ込んだ。


「ホラ」
「……何?」
「家までおぶってあげるから、乗って」
「だって荷物もあるのに。重いよ!」
「たいして重くないよ。ひとりくらい大丈夫だから」


早く、と急かすと、おずおずと肩に手が掛かって。
背中にやわらかい感触と共に乗っかってくる重み。
がしっかり腕を前まで回したのを確認してから、ゆっくり立ち上がって歩き出す。
歩くリズムに合わせて、俺の顔の横での髪がさらさら揺れた。






いつもの海沿いの道を家に向かってゆっくり歩いていく。
もうすっかり沈んでしまった太陽に変わって空に浮かんだ月が水面にくっきりと映っている、見慣れた風景。


「虎次郎大丈夫?」
「平気だって」
「ねー、また身長伸びた?」
「……かな?最近計ってないからなぁ」
「結構伸びたと思うんだけど、ぱっと見あんまりわかんないね」
「まぁ、周りも同じように伸びてるしさ」
「そんなもんかな?」
「そんなもんだよ」


耳元でくすくすとが笑う。
くすぐったい、やわらかい、優しい笑い声―――女の子の。


「中学2年位から、皆して一気にするするするーって伸びちゃったもんね。虎次郎も、春ちゃんも
いっちゃんも。ヒカルが虎次郎抜かしたの、いつだったっけ?」
「うーん、いつだったかな。あんまりムカついたんで忘れた」
「今見下ろされてるもんねぇ」
「この上剣太郎にまで抜かされたら、俺泣くよ」
「虎次郎の前に亮ちゃんでしょ、抜かされるとしたら」
「そっか、まだ亮がいたね」
「剣太郎なんて、ホントちっちゃかったのにねー」


俺の肩越しに月を映して銀色に光る海面を見つめて、懐かしそうにが呟く。
そして何を思ったのか、いきなり俺の肩を叩いて砂浜の方を指差した。


「ねぇ虎次郎!砂浜歩いて!」
「えぇ?」
「早く、ほらぁ!」
「こら叩くなよ。わかった、行くから!」


をおぶったままで砂に足を取られないようにゆっくり浜まで降りて。
言われるままに、波打ち際をさっきより更にゆっくり歩いた。


「ホラ、こっちの方が涼しくて気持ちいーよ」
「ん、まぁね」
「もーすぐ夏休みだねー」
「俺たちはあんまり関係ないけどな」
「夏休みもテニス三昧?」
「だろうなぁ。でもま、合間縫って遊ぶだろ」
「その時はわたしもちゃんと誘ってよねー」
海好きだもんな」
「違うよ。海で、虎次郎たちと遊ぶのが、好きなんだよ」


一言一言をはっきり区切って強調した話し方で、そう言って。
こてん、と俺の肩に額を預ける。
温かな吐息が俺の首筋をくすぐった。


「―――?」
「あーあ、わたしも男の子だったら良かったのになぁ」
「……何で?」


俺の問い掛けに、はひどく淋しそうにぽつりと呟いた。


「そしたら皆と一緒にテニスも出来たし、今よりもっとずっと一緒にいられたよ、きっと」









―――仕方ないでしょう?

―――虎次郎は男の子で、は女の子なんだから。

―――いつまでも子供のままじゃいられないのよ。









「……小6の時だっけ?部屋、別々になったの」


ぽつり、ぽつりと。
懐かしげに、淋しげに、の口から零れる言葉。
さくさくと砂を踏む音に紛れてしまわない程度の声量で、俺の耳元にそれは届く。


「あの頃からちょっとずつ、わたしたち一緒にいる時間減ってたよね」
「そんな、が思うほどは減ってないと思うけど?」
「そうかなぁ?」
「――― そうだよ」




――― そうだよ、と。
答えたけど、それは少しだけ、嘘だ。


もう大きくなったんだからと、一緒だった部屋を別々にするよと言われた、あの日。
両親の宥める言葉にも、俺たちは素直に耳を貸さないで。
絶対別の部屋になんかならないと2人で決めて、止める両親を放っていつものように手を繋いで海辺まで走った。

いつもと同じように日が暮れるまで皆で遊んで、帰る間際、疲れて岩陰で眠ってしまったを起こしにいった。
岩壁にもたれて眠るを見つけて声をかけようとして、その時、俺は。




―――静かに眠るその顔を見て、声を失った。




生まれてからずっと、ずっと一緒にいた半身。
ひとつのものを分け合った、大切な双子の姉弟。
お互いのことで知らないことなんて何一つなかったはずの。


―――なら、今目の前で眠っているのは。
誰、なんだろうかと。


沈みかけた夕日に照らされた、その横顔は。
俺の知らない、『女の子』の顔だった。


それはとてもきれいな。
触れてはいけない、汚せない、とても大切な。
宝物。


―――でも、だからこそ触れたい、汚したい、と。


相反するその衝動を、俺はその時初めて。
自分の『姉』に対して、感じた。




俺は両親に言われるままにと別の部屋に移った。
部屋を変えて、テニスに没頭して、そうしてと一緒にいる時間を少しでも減らすことで、それで消える気持ちならそれはその程度のものだから。

そしてその気持ちは今でも。


この胸の中に残って、消えない。






「……ねぇ、虎次郎」
「ん?」
「私たち、ずっと一緒にいようね」
「何だよ急に」
「何だか急に淋しくなったんだもん。昔のこと思い出したからかな」


―――でも、

のその淋しさは、俺の感じているものとは違う。

俺が、が他の男と話してるのを見て感じているものとは、きっと違う。


でも、それでも。


「……一緒にいるよ」
「……虎次郎?」


それを君が望んでくれるのなら。
君が望む限り、ずっと。


の傍にずっといるよ、俺は」
「……うん」


肩越しに俺の首に回した腕に、きゅっと力がこもって。
柔らかい頬の温みと吐息を首筋に感じながら、俺はじっと水面に映る月を見つめて歩き続けた。
胸にこみ上げる愛しさを押し殺すように、砂を踏みしめながら。











それは決して許されない。

多分永遠に言葉に出来ない。

――― それでも俺は構わない。


君を想って堕ちるのなら。





















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・・・・・・・・・・あとがき?・・・・・・・・・・

……………………自分で書いててよくわかんねぇ……!
近親相姦ネタですよ、どどどどうしましょう……!(どうしましょうってお前自分で書いといて)
何だかもう『トテモヤバイモノニテヲダシテシマッタ!』という気持ちでいっぱいなんですが、懲りない私はこれの続きを別のお題を使って書きます。
…………バカと呼んで下さい……。