カップルの理想の身長差は12pだか13pだ、なんて話を昔何かの本で読んだ。
一年の時、教室でちゃんとその話をしてたら、隣の席で聞いてた向日が。


「そんじゃお前、一生彼氏出来ねーじゃん!」


とか、それはそれは楽しげに言ってくれやがったので、手加減抜きで張り倒した後に「アンタもね!」と言ってやったら、ちゃんに「あんたたち、お互いが一番その理想に近い相手なんだってわかってる?」と冷ややかに突っ込まれ、更には我も我もと話に加わった悪ノリしやすいクラスメイトたちによって、危うくクラス内認定カップル第一号にされかけた。
もう二年も前のことなのに今でも思い出すとちょっとムカつくのは、あの時から身長が殆ど伸びてない所為だと思う。


氷帝学園三年 
文芸部所属、図書委員、現在彼氏なし。
――――――コンプレックスは身長が低いこと。
















つま先立ちする私、心で背伸びする君











身長が低いことで得をすることって少ない。
と言うか、得なことがあるなら教えて欲しいと思う。


「……くっ……」


思いっきりつま先立ちになってめいっぱい腕を伸ばしても、目的の段には届かない。
ぷるぷる震える足を一旦元に戻して、深呼吸を繰り返してから、今度は思い切りジャンプする。
手は届いたけれど、肝心の「持ってる本を棚に戻す」って目的は果たせなかった。
着地して一息ついた時、壁に掛かった時計が見えて、この棚の前に来てから既に結構な時間が経っていることに気がついた。
あーもうー!!まだ返却処理が済んでない本、結構残ってるのにー!!
こういう忙しい時に限って、一緒に当番に入るはずの子が欠席だったりするわ、私にとってなくちゃならないものが壊れてたりするわ……タイミングが悪いにも程がある。


「踏んだり蹴ったりだ……」


ずらりと並ぶ棚の向こうの貸し出しカウンター、その横にぽつんと置かれている私にとっての必需品―――見事に分解して見るも無残な姿になったキャスター付きの踏み台を目に入れて、深く深く溜息をつく。
司書の先生の話だと、新しい踏み台が届くのは三日後だそうで、部活と委員会で人より図書室への出入りが多い私にとっては大問題。
あと三日もこんなふうにぴょこぴょこ飛ばなきゃいけないのかと考えると溜息が止まらない。
恨むぞ、もう……悪ふざけして踏み台ぶっ壊した奴……!
顔も知らない犯人の二年生男子(先生からそう聞いた)に対する恨み言を心の中で吐き出しつつ、そろそろ疲れてきた腕をもう一度上に向かって伸ばした、その時。




「―――ここでいいですか?」




随分と高い位置から聞こえたのは、覚えのない涼やかな声。
横から伸びたブレザーの腕が、私の手から本を取って棚の一番上の段へ易々と差し入れた。
思わず振り返った先に見えたのはブレザーの胸ポケットについてる校章とネクタイの結び目。
一瞬止まって、それからゆっくりと顎を上向けていったら、こっちを見下ろしている男の子と目が合った。
端正な面立ちは優しげで、少し目を細めた柔らかい笑い方がよく似合ってる。
こちらを見下ろす仕草に合わせて、きりっと太めの眉にかかっている少し癖のある柔らかそうな前髪がさらりと揺れた。

……声に聞き覚えはなかったけど、顔はどっかで見たことあるような……。
どこで見たのかが思い出せなくて、思わずじーっと見つめてしまった私の前で、その子は困ったように眉尻を下げて軽く首を傾げた。


「……あの、先輩?」
「え?あ、ああっごめんなさい!そこで大丈夫」
「そうですか」


にっこり笑ったその子は、私の腕の中の本に視線を転じるとさっと手を伸ばした。
何?と私が訊くより先に、伸ばされたその手に本を持ち去られてしまった。
驚いて見上げた私に、名前のわからない彼はにこりと笑って。


「どこにしまえばいいか教えてもらえますか?」
「え?」
「踏み台が壊れてるから届かないんでしょう?場所を指定してもらえれば俺がやりますから。これはどこですか?」
「え?えっとそれは一番上の段の右から三番目……って、そうじゃなくて!あの、手伝ってもらえるのは助かるんだけど、君、図書委員じゃないよね?」
「あ、そうか。すいません、言い忘れてました」
「へ?」
「今日欠席した山内の代理で、2-Aの鳳です。遅くなってすいませんでした。よろしくお願いします、先輩」


手の中の本を私が言った場所に差し入れてから、彼は笑顔のままこっちに向き直ってぺこりと深く頭を下げた。
しっかり頭を下げてくれているにも関わらず、身長差のおかげで彼の顔がしっかり見える。
告げられた名前と、目の前の顔とが、頭の中でかちりと組み合わさった。


「―――思い出した!テニス部レギュラーの、鳳 長太郎っ……」
「え?」


思わず声に出した挙句、指差してしまう。
そんな私の失礼な態度にも鳳くんは機嫌を損ねた様子もなく、何ですか?とでも言うようにさっきとは反対方向に首を傾げた。
そんな仕草が下がった眉尻と相まって、大きな身体の割りに可愛らしい子だと感じさせる。
……なんかこの子、なんて言うか、犬っぽい……?
そんな失礼なことを考えている私の前で、鳳くんは首を傾げたまま少し前屈みになって私の顔を覗き込んできた。
不意に縮まった距離に驚いて、思わず軽く後ろに仰け反ってしまう。


「……っ」
「あの、先輩?」
「えっ?あ、ああ、違うの!あの私、向日と一年からずっとクラスが一緒で!それで、あの、練習をね」


慌てまくって、訊かれてもいないことをべらべら喋ってしまう。
今年の春先、二年半ば頃からレギュラー入りしていた向日に練習見に来いってうるさく言われて、普段は近付くことのないテニスコートに行ったことがあって。
向日繋がりで皆それなりに顔見知りのテニス部レギュラーの中に、二人ほど見かけない子を見つけて、気になって向日に「あの子たち誰?」って聞いた。
それが、二年生でレギュラー入りした樺地君と、鳳君だった。
少し離れたところから見ててもはっきりわかるくらい、二人ともすごい背が高くて。
周りから頭一つ分飛び出てるその身長に、二年生なのにもうあんな大きい子いるんだ、って、すごくびっくりしたんだ。






「……そ、それで思わず……ごめんね、いきなり指差したりなんかして!」
「いえ、気にしてませんから、謝らないで下さい」
「やーでも初対面の女にいきなり指差されて、しかも呼び捨てにされたら、流石にいい気分はしないでしょ。ホントにごめんね!」
「大丈夫ですよ、気にしてません、本当に」
「そ、そう?」
「はい」


気恥ずかしさから必要以上にべらべら喋る私に気を悪くしたふうでもなく、鳳くんはまたもにこりと微笑んで頷いた。
まだ手に持ったままの本の一冊を持ち替えながら、優しい声音で「これはここでいいですか?」と訊ねる。
反射的にこくこくと何度も頷いた私を見て、その時初めて小さくだけれど声に出して笑った。
男の子にしては少し高めの、柔らかくて涼しげな声が私の頭上で響く。
ほんわり和んだ空気の中で次に鳳君が発した言葉は、私の予想の範囲から大きく外れていた。


「―――寧ろ、先輩が俺のこと知っててくれて、すごく嬉しいです」
「……はい?」


思わず聞き返して横を向いて、それから慌てて首から上全体で上を振り仰ぐ。
そうしないと見えないくらい高い位置にある鳳くんの顔は、初めて見た時と変わらない穏やかな笑顔を浮かべていたけれど。
程よく日焼けした肌は、明らかにさっきよりも赤みを増していた。
不意に頭の中を過ぎった有り得ない予感に、心臓が大きく跳ねた。


棚に戻した本から手を離してこっちを向いた鳳君は、緊張してるのがわかる、さっきまでより少しぎこちない笑顔で。


「春に先輩がうちの練習を見に来てたの、知ってました」
「……あ、あの、鳳く」
「あの時からずっと見てました」


私の言葉を遮って。
彼はゆっくり、その言葉を口にした。






「―――先輩のことが好きです。俺と、付き合ってくれませんか」






















06/01/23UP     TOP   NEXT>>