Act.2 The days that can't return.
『―――』
『、あのさ』
『俺、のことすげー好き』
『は?俺のこと好き?』
いつもいつも、真っ直ぐな目でストレートに好意を向けてくる子だった。
無表情で感情の起伏が少ないように見えるけれど、本当はとても感情豊かで。
好き?と訊かれて、好きよ、と返した時に見せる、照れた笑顔がとても愛しかった。
デカイ図体して実は剣太郎に負けないくらい甘えん坊で、でも甘え方はとても下手だった。
試合に負けた時、仲間たちとケンカした時、会心の作だった駄洒落を春風に『つまらねぇ!』と一蹴された時。
一見いつも通りに見える無表情で私のところへやってきて、何も言わずに私にくっついてまわって。
抱きついたり、寄り掛かったり、手を繋いだり、とにかく私に触れたがった。
『ヒカル』
『……何?』
『今日は何があったの?』
『…………』
『言ってみ。聞いてあげるから』
『……んー』
そんなふうに私が切り出すまでは、いつも何も言わないで。
訊かれて、やっとぽつりぽつりと話し出す。
そんな不器用さも好きだった。
元々少ない客足がすっかり途絶えてから一時間。
暇潰しに売り物の雑誌を一冊、カウンター内に持ち込んで、何とはなしにページをめくる。
窓ガラス越しに見える空は綺麗な青で、差し込む日差しは温かくて、あくびが止まらない。
碌に内容に目を通しもしないまま、次の雑誌に取り替えようとカウンターを出た時。
「お、看板娘復活?」
「オヤジさん、ここぞとばかりにサボってんのな」
オッサンくさい台詞とともに、開放したままのドアから学ラン姿の虎次郎と春風が店に入ってきた。
時計の針は午後一時を指したところで、私は思いっきり怪訝な顔で二人を見つめた。
「ちょっとちょっと、あんたたち学校は!?」
「はァ?何言ってんだ、お前」
「だって!まだ一時!」
「―――あのさ、。今日土曜日なんだけど」
「……え?」
にっこり笑って虎次郎がカウンターの奥に貼ってあるカレンダーを指差す。
思いっきりマヌケな声を上げて振り返ったカレンダーの今日の日付の文字は青い。
「……あ」
「その歳でボケてんじゃねーよ」
「相変わらずだなー、そういうとこ」
「う、うるさい!部活は?あるんじゃないの!?」
「今日は休みだよ」
私の反論をさらりと流して、月刊プロテニスの早売りきてる?と首を傾げる虎次郎に無言で棚の一角を示して、カウンター内に戻る。
棚に戻すつもりだった雑誌を持ったままだったことに今更のように気づいたけど、またカウンターを出るのがめんどくさくて、仕方なくまたそれを広げた。
さっきは碌に見もしないでスルーした特集記事のページ。
今年の春の流行はこれ!なんて使い古された出だしで、でもモデルが着ているパステルカラーのカーディガンとパンツは、好きなブランドの物で、デザインも悪くはなかった。
値段も結構手ごろかも、明日辺り買い物いこうかなぁ……なんてぼんやりと考えていたら。
「これよろしく、店員さん」
からかうような声が頭上で響いて、目の前にテニス雑誌が差し出された。
椅子から腰を上げてそれを受け取り、休止中だったレジを起動させる。
虎次郎と春風は何か言いたげな表情で、そんな私をカウンター越しに見つめていた。
妙なやりにくさを感じつつ、レジを打って代金を受け取り、袋に入れた雑誌を手渡す。
サンキュ、と小さく呟いてそれを受け取った春風が、唐突に言った。
「―――お前、明日暇か?」
「……明日?」
「俺たちさ、明日練習試合なんだよね。良かったら応援に来てよ」
実家に帰って来てからまだ三日しか経っていない。
その間、皆がテニスをしている姿を見る機会には恵まれていなかったけど、興味はあった。
まだ広げたままの雑誌のページにちらりと目を落とすと、そこにはさっきまで見ていた春物のカーディガン。
別に行くってはっきり決めていた訳じゃないし、明日買わなきゃもう絶対手に入らないって訳でもないしな……。
そんなふうに考えて雑誌のページを閉じて。
いいよ、と言いかけた時、ふっとヒカルの姿が脳裏を過ぎった。
ヒカルもレギュラーなんだった、そう言えば。
応援に行ったら嫌でも顔を合わす羽目になる。
そう思った瞬間、言いかけていた言葉が喉に引っ掛かったように出なくなった。
「?」
「おい、どうした?」
「……あ……」
カウンターに寄り掛かってこっちの顔を覗き込む二人に、何とか笑顔を繕って。
「……ごめん。私、明日は用事あるのよ」
「何だよ用事って。後回しに出来ねーのか?」
「そうだよ、おおかた買い物かなんかだろ?それだったら明日の練習試合の後に俺たち付き合うからさ、来てよ」
「た、確かに買い物だけど!都内まで出ようと思ってるの!」
「何だ、ちょうどいいじゃねぇか。明日の練習試合、東京だぜ」
「いつもの専用バスで行くから、一緒に乗ってけば交通費も浮くじゃん。ラッキーだね、」
「ちょっ……」
さくさく話を進められて反論の言葉が出ない私に向かって、二人はにっと笑ってみせる。
応援に行くだけならまだしも、行きも帰りも一緒のバスなんて冗談じゃない。
何とか諦めてもらおうと必死で適当な言い訳を考えて頭を巡らせる私の前で、二人は不意にその表情を変えた。
昔から変わらない人懐っこい笑顔が消えて、大人びた真剣な眼差しが私を真っ直ぐに射る。
その鋭さに思わず息を呑んだ私の顔をじっと見ながら、春風が口を開いた。
「そんなにダビデと顔合わすのが嫌なのかよ」
「……!」
思わず大きく目を見開く。
はっと気がついて慌てて俯いたけど、今更そんなことしても誤魔化しが効かないことくらいはわかった。
バカみたいにはっきり表情に出してしまった。
俯いたままの私の耳に、今度は虎次郎の声が届く。
いつもより少し抑えた低めの声。
「俺たちだってそんなにバカじゃないんだ。二人が付き合ってたことくらい、気付いてたよ」
「言っとくけど、ダビデは俺らには何も言ってねぇぜ。ま、態度見てりゃ大体わかるんだけどな、あいつの場合」
「伊達に子供の頃から一緒にいた訳じゃないからね」
淡々とした二人の声。少なくとも責める響きはそこには感じられなかった。
「帰って来てから碌に話もしてねぇだろ、隣の家に住んでるくせによ。何でそんな露骨に避けてんだ?」
「……別に、避けてなんか」
「ない、って俺たちの目見て言える?」
私が言いかけた言葉を引き継いで、虎次郎が静かに問い掛ける。
そっと視線を上げると、正面から私を見つめる二対の眼差し。
何も言えなくなって口をつぐんで視線を彷徨わせる私の前で、二人は少し顔を見合わせてからほぼ同時に小さな溜息をもらした。
僅かな沈黙の後、抑え気味の春風の声が耳を打った。
「―――お前、どうしたいんだよ」
「……どう、って……」
「あいつはまだお前のこと好きだぜ。この二年、女っ気の欠片もありゃしねぇよ」
「…………」
「どうするつもりなんだ?」
――― そんなこと言われたって。
考えてない。何も、考えてなんかいない。
どうするつもりもなかった。
だって、私はあの子をあんなにも酷く傷つけて遠ざけたのに。
今更。
―――今更、どうしたいかなんて。
「」
私の名前を呼ぶ春風の声に、ほんの僅か、力が籠もって。
虎次郎がやんわりとした声でバネ、と呼び掛ける。
深く俯いた私に応えを求めて、繰り返し春風の声が、と名前を呼ぶ。
目を逸らしたまま、喉の奥から必死に押し出した声は、自分のものとは思えないほど、低く掠れていた。
「……私には、関係ないよ……」
「…………!」
「二年前、この町を出る時に、はっきり言ったもの。もう、終わりにしようって」
「―――」
「もうとっくに終わったことなの、私にとっては……!」
私の声に重なるように、店の入り口の方でカタ、と小さな音。
一瞬の間があって、春風と虎次郎が小さく息を呑んだのが聞こえた。
嫌な予感に背中を押されて、俯いていた顔を上げた瞬間、目があった。
―――ヒカル。
色素の薄い切れ長のその瞳に、微かな感情の波がちらついた。
哀しそうな苦しそうな。
傷ついた、色の。
「ごめん」
誰に向けたものかもわからない、短い謝罪の言葉を残して、ヒカルは私たちに背中を向けて。
足早に店を出て行ったその背中を追って、春風が店を走り出て行く。
二人の姿が視界から消えた途端、身体が唐突に平衡感覚を失って、私はぐらりと大きくよろめいた。
床にへたり込む寸前にカウンター内に入り込んできた虎次郎の腕が私を支えた。
「」
「……大丈、夫……」
何が大丈夫なのか、自分でもよくわからない。
何にも大丈夫なことなんかない。
傷つけた、ヒカルを。
また傷つけた。
私が。
まだうまく力が入らない私を半分抱きかかえるようにして、虎次郎が椅子に座らせてくれた。
狭いカウンターの中、傍らに膝立ちになって静かに私の髪を撫でる。
まるで一人前の男みたいに。
だけど私は自己嫌悪の思いに駆られて余裕がなくて、邪険にその手を振り払う。
優しくされるのが辛かった。今は。
「……ヒカルのこと、追わなくていいの」
「バネが行ったから、俺まで行かなくても大丈夫だろ」
「私のことなんかほっときなさいよ……」
「何言ってんの」
ポケットから取り出した、チェックのハンカチを私の手のひらに押し付けて、虎次郎が囁く。
静かに。優しく。
「ほっとけないよ。そんな泣きそうな顔してるのに」
―――堪えきれず、ぽつりと零れた涙の一粒が、ハンカチに小さな染みを作った。
―――何がきっかけで、そんなふうに考えるようになってしまったのかは、もう忘れた。
純粋で真っ直ぐなヒカル。
躊躇いなく好きだと告げるその真っ直ぐな眼差し。
大切で、愛しくて、失いたくなくて。
ヒカルがいつか自分から離れてしまうことを考えたら、それだけで涙が出た。
ヒカルと過ごす一日一日が、その『いつか』に向かって進んでいるだけのような、そんな気がしてたまらなかった。
大切すぎて、愛しすぎて。
どうしても失いたくないと思う気持ちばかりが日に日に重くなっていって。
疲れてしまったの。
どうしようもなく、心が疲れてしまった。
だから逃げた。
彼が離れていく前に自分から離れてしまおうと思った。
『―――やっぱり、歳だって離れすぎてるし』
『ヒカルのこと嫌いじゃないけど、正直もう、疲れちゃった』
『だから、終わりにしよう』
自分勝手な我儘で突き放して、ヒカルを傷つけた。
もうこれ以上はないってくらいに、酷く傷つけたから。
―――もうこれ以上、傷つけたくなんかなかったのに。
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ダビデ連載なのにサエ贔屓しまくりですいません……!
気がつくとサエがおいしいとこ取りしてるよ……あれー?(あれーじゃねーよ)
05/04/18UP
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