Act.4 Time should stop , now.






元には戻れない。
でも傍にいたい。
好きで、好きで好きで好きで。


君を忘れられる日が来るなんて思えない。どうしたって思えない。
















また、一週間が過ぎて。
他の皆は練習帰りやちょっとした用事のついでに店に顔を出してくれたけれど、ヒカルは一度も来なかった。
ヒカルから話を聞いてはいないのか、春風や虎次郎の態度に変化はなく。
ただ、時折何か言いたげに口を開いては、うまい言葉が見つからないというようにすぐ閉じる。
そして決まって『あんまり無理するなよ』とか『何かあったら話聞くから』とか、気遣う言葉をかけて帰っていく。
すっかり大人になってしまった年下の幼馴染たちの優しい気遣いに感謝しながら、それでも心は晴れなかった。
あの日の、ヒカルの傷ついた瞳の色が瞼の裏に焼きついて、いつも胸を締めつけた。






「……うん。うん、わかった。……じゃあ、明後日ね」


久しぶりの友達からの電話は、合コンの誘い。
都内に就職した仲間を集めているんだけど、いい機会だからアンタも参加しな!という半ば強引なその誘いに、気分転換くらいにはなるかもしれないと考えてOKして。
通話を切ってからしばらく、待ち合わせの時間と場所を書いたメモをぼんやりと眺める。


『いい加減彼氏のひとりも作りなさいよねー、そのまま枯れても知らないわよ!』


さっきまで話していた友達の言葉が耳の奥でリピートする。
短大生活の二年の間にも、似たようなことを何度となく言われた。
何で彼氏作んないの、こないだの合コンの○○君アンタのこと気に入ってたのに、何で片っ端から断るのよ勿体無い、そんなのんびりしてたらいつの間にか歳食っちゃうんだから。
気心の知れた友人たちの、キツいけれど心から気にかけてくれているからこその言葉。
その言葉の一つ一つに笑って頷きながら、いつだって考えていたのはヒカルのことだった。


新しい恋をしようと、思わなかった訳じゃない。
ヒカルのことを想い続けるのは辛くて、他の人を好きになれたらどんなに楽だろうって、いつも思ってた。
きっとヒカルだって、いつか私のことを忘れて新しい恋人を見つけるだろうし。
いつかこの町に戻った時、幼馴染に戻ったヒカルと、お互いにおめでとうと言い合って、あの恋の思い出をそんなこともあったねって笑って話せたら。
そうなれたらいいと思った。
だけど駄目だった。
新しい恋なんて出来なかった。
しようと思わなかった訳じゃないの。
ヒカル以上に好きになれる人がいなかっただけ。
どんな人に会っても、ヒカルのことを忘れることは出来なかった。


コトリと小さな音が響いたのは、通話を切ってから30分近く経った頃だった。
窓の外、ベランダから聞こえてきたその音に意識を引き戻されて、メモをカーディガンのポケットに突っ込んで立ち上がる。
少しだけカーテンを引いて覗いたら、ベランダの柵に寄りかかって座っている、見慣れた赤茶けた髪と広い背中が見えた。


一度はカーテンを元通りに閉めて、それからもう一度、さっきよりも細く開けた隙間からそっと様子を伺う。
部屋から漏れる灯りが、その姿を夜の闇の中にぼんやりと浮かび上がらせる。
紺色のフードパーカーを羽織って無造作に座り込んでいる、その横には缶コーヒーとMDウォークマン。
息を詰めてその後ろ姿を見つめる私の耳に、ニャーン、と小さな鳴き声が届いて。
戸を開けたままのヒカルの部屋からベランダへと出てきた猫のニナが、ヒカルの傍に寄り添っていた。
甘えるように鳴くニナの声にも、ヒカルは動かない。
……眠っちゃってる、のかな。
ニナは何度か鳴いたあと、投げ出されているヒカルの足に身体を預けてごろりと横になった。


ほんの少し、迷ったあと。
極力音を立てないように引き戸を開けて、ベランダへと踏み出す。
ニナの耳がぴくりと動いて、闇に光る目がこちらを見た。
ゆっくりと起き上がって、ほとんどぴったりくっついた状態の向こうのベランダから、柵の間をすり抜けてこちらへとやってくる。
甘えるように小さな声で鳴いたニナを撫でてから、私は柵越しにヒカルと背中合わせになる位置にそっと腰を下ろした。
昔、こんなふうによく二人で星を見ながら話をしたっけ。
背中越しにお互いの声を聞いて、その日にあったことを話したりしてた。
擦り寄ってきたニナを膝の上に抱き上げると、小さな猫は一声鳴いて、大人しく私の膝の上で丸くなった。


「……ニナ、アンタのご主人様、寝ちゃってるの?」


私の問いかけに答えるかのようにニナの耳がぴくりと動く。
そっと耳を澄ますと、ヘッドフォンから漏れる音楽に混じって、微かな寝息が聞き取れた。
ヒカルが寝ていることを確かめた途端、緊張で肩に力が入っていたのがすっと楽になる。
背中越しにヒカルの呼吸と微かな体温を感じながら、そっと目を閉じた。


少しだけ。
十分、ううん、五分でいい。
目を覚まさないでいて。


「……ヒカル、ごめんね」


眠っているヒカルに聞こえていないのはわかってるから。
ずるいやり方だとわかってる。でも、それでも今なら言える、そう思った。
少しでも自分の心を軽くしたいだけなのかもしれないけれど。
小さな声で懺悔の言葉を。


「好きじゃないなんて、嘘ついてごめんね。今でも、ヒカルが一番……好きだよ」


きっと誰よりも君のことが。
きっと世界中の誰よりも、君を想っているけれど。
でも。


「ヒカルが好きだよ。好きだから、だから……ヒカルを失うのが、怖いよ」

「……強くなれなくて、ごめんね」

「弱くてごめんね……勝手な理屈で、傷つけてばかりで……」


―――ごめんね。
ずるくて情けない、こんな私を許してなんて言わない。
でも、どうか、どうか。


どうか、願わくば。
幸せになって。
私のことなんか忘れて、もっと優しい、可愛い女の子見つけて、幸せになって。
私はもう、どんなに辛くったっていいんだ。
別の誰かとヒカルが幸せそうに笑っているのを見るのは、身を引き裂かれるように辛いかもしれないけど。
それは罰だから。
ヒカルを傷つけた自分への、当然の罰だから。
私は一人で、辛いままで、構わないから。
お願い、どうか。


「私のことなんか忘れて……幸せ、に」


―――幸せになって。






ぽつりと零れた涙のひとしずくが膝の上で眠るニナの上に落ちた。
小さな抗議の声を上げたニナの頭をもう一度そっと撫でて、膝の上から下ろして。
横に手をついて立ち上がろうとした、その時。


「―――なれない」


響いた低い声と、私の手に重ねられた、大きくて温かな手のひらが。
私の心臓を大きく跳ね上がらせた。




「……寝たフリ、してたの?」
「違う。……が俺の名前呼ぶ声が聞こえて、目が覚めた」
「…………」


何でそんなことで、目を覚ましちゃうの。
どうして。
聞かれたくなかった。
自分勝手で情けなくて我侭な、あんな言い分。
聞かせたくなかったのに。



名前を呼ぶ声の強さに、心が震えた。
重ねられたままの手のひらの熱に、かたく心に決めたはずの思いを融かされてしまいそうな気がした。


「……手、離して」
「やだ」


短い、でも強い言葉が弱い私の心を揺らす。
もう揺らがないと誓ったはずの心が、たやすく覆されてしまう。
ヒカルの声が、体温が、凍らせようとしていた気持ちを融かして、本当の気持ちをさらけ出させて。
無防備になる。


「ヒカル、離して……」
「いやだ」


包み込むように重ねた手のひらの、指にぎゅっと力がこもって。
冷たい柵越しに伸ばされたその手の熱に浮かされるように、微かな眩暈を感じてぎゅっと目を瞑る。
ニナが小さく鳴いた、その鳴き声に重なるようにヒカルの声が響く。


「―――ごめん、
「どうしてヒカルが謝るの……」
「不安にさせたの、俺だから」


その言葉に、私は激しく首を横に振った。
――― それは違う。
違うよ、ヒカル。
ヒカルは精一杯愛してくれてた。
ダメなのは私。
ヒカルを、ヒカルの気持ちを、信じきることの出来なかったのは私の弱さだ。


「ヒカルは何も悪くないよ……!」
「だって俺が年下で頼りなかったからだろ。……ごめん、気付けなくて」
「違う、ヒカルの所為じゃ、な……」
「これからも不安にさせるかもしれないけど、でも俺、に傍にいてほしい」


囁かれる言葉の一つ一つに、涙が零れて止まらない。
愛しさが募りに募って、その言葉を口に出すことを躊躇わせた。
だけど。
迷いを振り切るように何度も何度も首を横に振って。


「……ダメ……」


消え入りそうに掠れた声は、それでも夜の静けさの中、ヒカルに届いた。
その証拠に、重ねられたままの手が小さく震えて。
続く声もどこか震えていた。


「どうして」
「……ごめ……」
「謝って欲しいんじゃない。どうしてダメなのか言って」
「…………」
、なぁ……」
「……お願い……離して」
「嫌だ!」


声の強さに同調するように、手にこもる力も強く、強くなる。
心を揺さぶるその声から逃げるように、必死に空いた片手で耳を塞いだ。
―――だって、私に幸せになる資格なんかないのに。
ヒカルが許してくれてもダメなの。
自分で自分が許せない。


「……、俺は」
「ごめん……!」
!」


ずっと重なったままだった手を振り払って。
立ち上がったところに投げつけられた声に、部屋に入りかけた足が止まる。
形のない枷のようなそれも無理やり振り払うように部屋に一歩踏み込んだ瞬間に、背中にぶつかってきた声は。
押し殺したように、低く、掠れて。でも今迄で一番はっきりと、響いた。




「―――とでないと、俺は幸せになんかなれない」




振り返りそうになる衝動をやっとの思いで堪えた。
ガラス戸を締めて、鍵をかけて、カーテンを引いて。
そこまででもう限界だった。
ずる、と背中がガラス戸の上を滑って、力を失くした膝ががくりと落ちる。


―――私だって。
きっとヒカルとでなきゃ、幸せになんか、なれない。




まだヒカルの手の熱が残る手の甲を押さえて。
私は声もなく、泣いた。





















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更新遅くてすいません……(土下座)。
猫の名前は適当です、テ キ ト ウ !!いい響きだ、適当……。

05/05/26UP