長谷川たけし

第5回 2000年頃 

産業カウンセラー協会の全国大会が沖縄で5月末に行われました。
「全国大会」の言葉から「何を戦いに行くのですか?」と生徒に聞かれ、苦笑いしながら、心が先に沖縄へ飛んでいました。
ホントは、カウンセリングの大会なんて口実でしかなかった自分がいました。

沖縄を、自分の心の中でどう位置づけるか。ダイビングを始めてから、以前にも増して、その思いが強くなっています。
江戸時代以降の、日本からの一方的な政策。日本軍、米軍を相手にした戦争地としての傷跡。戦後、駐留し続ける米軍基地。米軍基地の取捨、経済振興と、二者択一を突きつけられるかのような太田知事の落選。
日本という国がいかに沖縄を国家の枠の中でしか捉えていないか、嘆きたくなります。

全てを受け容れながら模索し、中国、台湾、日本、アメリカなど、チャンプルー(ごちゃまぜ)の文化を包み込む琉球の土壌。しかしながら、すべてがチャンプルーであっても、あいまいなように見えても、それが琉球なのでしょう。
琉球は、やはり、琉球でしかなく、日本の国の一部であることにより、あいまいな運命を背負わされた土地なのかもしれません。

 

そして、東京での日々がまた始まり、僕は、いったいどうしているのだろう、なぜ、那覇にいたときに、東京にはないものを感じたのだろう、と思い始めました。

インターネットを通じて、メーリングサービスなどで、様々な話を聴くことができます。宮古島の話、東京での話、サンフランシスコでの話、いろいろな土地に住む日本人の話です。情報はどこにいても得られる時代です。

しかし、実際の経験、そのときその場所で得られ、感じられるモノは、ごくわずかなのです。そして、それが僕たちの「生活」というものなのでしょう。


渋谷の居酒屋に入り、ビールを飲んでいると、騒がしい中、「イッキ」のかけ声があがっています。酒好きな仲間が多いせいか、僕は、あまりイッキをしたことがありません。みんな、自分なりに飲みたいからです。
「イッキ」の光景を見ながら、いろいろと考えさせられます。

飲めない人を見て楽しむ。ムリヤリ飲まして、相手をハメル。飲める人には、さらに飲ませて酔っぱらわせる。相手に恥をかかせる。勝つか、負けるか。
もちろん、酒の席ですから、そんなイッキばかりではないでしょう。
しかし、渋谷で見かけた光景からは、やはり、日本の現在の文化は、「けなし」の文化ではないだろうかと、感じてしまいました。
アメリカが、いい意味でも悪い意味でも「(自分も他人も)賞賛」の文化に対して、日本は、「(自分も他人も)いじめ」の文化ではなかろうか、と。


僕たちは、どこに進むのでしょうか。
でも、ここで、しっかり考えないと、僕たちは、全てを放棄することになるんじゃないかなと思います。それが、日本だ、と言ってしまえば、それまでだけど、それでは日本の構造は、すこしも変わらないでしょう。
まず、僕の日々の意識を変えていかなければ。今の疑問に大人がしっかり立ち向かわないと、子供たちは、何を信じて生きるのでしょう?

毎日の生活が「全国大会」=日々と戦うということなのかもしれません。
那覇で感じたモノは、僕の心の中で膨らんでいきます。戦いながらも相手を受け容れる、たくさんのものが混在しながら、否定することなく他人と暮らす、そんなチャンプルーを僕は感じたいのかもしれません。

他人の生き方、自分の生き方、たくさんのものがチャンプルーし、存在を尊重し合えれば.....。
僕たちの視点が、もうすこし違うところを見ることができれば...。
たくさんの悲しみとたくさんの楽しさが混在しながらも、自分をゆっくり見つめることができるのかもしれないなあと思います。



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