長谷川たけし

第6回 2002年頃 

小学生のときに必要な勉強って何だろう。
高校の国語教諭をしている姉と、話していた。
あれこれ考えながら、「作文」と「分数」と「体育」が、僕たち二人の結論になった。

「作文」は、自分を表現する言葉を使い、漢字の練習にもなる。
「分数」は、一つのモノを分配する概念を知り、たし算〜わり算までを使う。
「体育」は、生きてゆく身体をつくる重要な基礎であろう。


WILLINGに来ていた小学生の子が、勉強でちょっと悩んでいたようなので、彼に今必要なこととして、僕はこの3つの勉強を伝えてみた。
「小学校で大事な勉強は、作文と分数と体育だと思うよ。だから、たくさんのことを全部できないとあきらめないで、この3つだけは大事にして、やってみたらどうかな?」
すると彼は、「体育も?!」と問い返してきた。
自分の嫌いな算数の時間と、大好きな体育の時間が、一緒のステージにあがり、大事なものとして横に並んだことが、とても新鮮に感じたようだった。


僕たちは、「勉強」の言葉から、机上の勉強を第一に考えがちになってしまう。しかし、僕と姉が考えた小学生の勉強ですら、狭義での定義に過ぎない。

僕たちにとって、本当は、日常こそが勉強であり、創造力をつくり、日々を生き抜くことが大切な勉強なのだと思う。
僕たちは、ときに何かを見逃すだろう。
ときに何かの過失を犯すだろう。
しかし、僕たちは、克服し、自分のリズムを作り出してゆく。
このリズムをつかむことこそ、自分と向き合うときであり、大切な勉強なのだ。

机に向かうこと、身体を動かすこと、嫌いなもの、好きなもの、社会と自分との距離をつかむこと、日常のリズムを持つこと。すべてが、自分を作り、自分だけが、必要なバランスを知っている。
子供たちと関わりながら、お互いに、自らのリズムを紡ぎ出すことを、一緒に作り出してゆければなあと思う日々なのである。




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