長谷川たけし

第7回 2003年頃 

今年度より、中学校の教科書が新しくなり、社会科教科書の内容が大幅に変わった。
詰め込み暗記型のようなタイプのモノから、読ませる、考えさせるコトへ変えてゆこうとする主旨が伺える。教科書の大きさも従来のタイプより一回り大きくなり、写真や、絵、図が増え、見やすくされた。

しかし、学校の定期試験は変わったかというと、少なくとも僕の知る限りでは、変わっていない。教科書に沿っているはずの問題集も、従来の暗記型と変わりがない。

大人になるために、考えることが、暗記することより大切だということは、だれもが認めることだろう。
けれど、実際には、社会に触れる機会は薄れ、活字から離れ、生活は時間に追われ、経済に押しやられ、どんどん考えることから、希薄になってゆくのである。

 

世界で今、大きな戦争が始まるかもしれない。
危機意識を持って、今こそ、自ら世界を考える時間と気持ちが必要なときがきている。
北朝鮮でのテレビ番組で、アメリカ人と日本人が悪者となったドラマが流されているという。僕たち日本人が、日本のニュースを通じて、この現実を知ったとき、どのように考えるだろう。

アメリカが主張するイラクへの攻撃を、ただうなずくだけの日本政府がいる。核を大量に持つ国が規制しようとする、他国への核拡散防止条約の主張に対して、僕たちはどのように考えるだろう。
国家元首を讃え、国家一丸となって他国と戦おうとしている国、全てが一つのベクトルに向けられようとしている国。他国からみれば脅威的な国である。
しかし、統率された一丸となった国の姿は、まさにかつての日本そのままではないだろうか。

お国のため元首のためにバンザイと叫び、飛行機で敵に突っ込んだ日本軍。
貿易センタービルに突っ込んだ2001年の飛行機テロ。
僕たちは、新しく起ころうとしている戦争に対して、今こそ、世界を考えなければならないだろう。簡単に非難しうる問題でもなく、簡単に他国へ追従する問題でもない。
僕たち日本人は、第二次世界大戦への責任として、新しく起こりうる第三次世界大戦へ、はっきりと伝えなければならないモノがあるはずなのだ。

考えること、思いをはせることは、時間を要し、苦しみも伴い、議論も必要になる。
僕たち自身が、自分たちの考える教科書や生活を変えてゆく必要がある。
自らが体現した社会を再び生まないためにも、今、子供たちと一緒に話し合い、考えてゆくこと時間こそが大事なのだ。

 

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