(1)1997年 アメリカ(2/2)

Date
97.11.9
Flight No.
JL001
Aircraft Type(Registration No.)
B747-400(???)
Route
SFO-NRT

1.SFO

アメリカでの業務を終え、日本へ戻る日がやってきた。
帰国便のフライトナンバーは「JL001」である。フライト自体は他のフライトと変わるものではないが、「1便」という数字の響きに価値があるような気がする。前に家族ででかけたとき、パンナム1便という便に乗ったことがあるが、これはHKG-ボンベイ-FRAと乗った。これは、世界一周路線だったのかもしれない。パンナムなき今はユナイテッド(以下、UAと表記)がやはり1とか2というフライトナンバーで世界一周路線を飛ばしているが。
やはり、フライトナンバーが「1」というのは何か特別な意味があるのではないか。とすると、なぜJALがこのフライトに「1」というフライトナンバーを割り当てたのか、非常に興味深い。(実は、JALが国際線の運航を開始した最初の路線が東京-サンフランシスコ線で、このことが関係してるような気がする)

アメリカ滞在中に私達が滞在していたSunnyvaleから乗機地であるSFOまで CalTrainで行くことができることを知ったので、それで行きたいとも思った。CalTrainは現地の通勤列車(?)であるが、日本の通勤列車と違って、道路と線路が同じ高さを走ってること、電車ではなく汽車で、いかにもアメリカ的、といった感じであったことから、写真を撮っておきたかったが、滞在中にCalTrainを利用した時はカメラを持ち歩かなかったのである。最後の機会に撮っておきたかった。が、時間の関係もあってタクシーで空港へ移動、となった。CalTrain撮影は(もしあれば、)今度の機会までお預けだ。それに、SFOの最寄り駅からまたタクシー移動になるだろうし、荷物とか考えたらこれでよかったのだろう。

宿泊していたホテルから高速をとばし、SFOのターミナルへ向かう。空港到着後、JALのカウンタでチェックイン。荷物を預け、席の希望を取るのであるが、係員、ここで自分のスーツケースを見て、「これ、ちょっとへこんでますね。この件について航空会社は責任を取らないことについて記した覚書にサインして下さい。」これは来た時のAA128でつぶれたものなので、そのことをJALにどうこう言える内容ではないが、そんなチェックもするのかと思い、サインする。その覚書は預け入れ荷物のタグの裏側にあり、具体的にどこがつぶれているかなどを書き込んでいた。

席の希望は勿論通路側を主張した。確かに窓側は景色が楽しめるが、窓側は行きのAA128で懲りたのだ。それに何も言わないと変な席にされるといけないし。今回は希望通り通路側の席が確保できた。しかも、2階席!通常、国際線の長距離便というと、ジャンボの2階席はファーストかビジネスが相場だと思っていたが、JALに2階席がエコノミーというコンフィグレーションがあるのには驚きを感じた。国際線のジャンボの2階席でエコノミーというのは86年に家族で香港にいった時に乗ったキャセイ(以下、CPAと表記)便以来聞いたことがない(今はCPAにはそういうコンフィグレーションはないようだが)。

その後、同行した上長がチェックインした。上長はスーツケースの他、おみやげ用の袋が結構大きく、これも預けることになった。で、急きょJALの紙箱が用意され、おみやげの袋はその中に入れることになった。
上長はJAL便がタバコが吸えるとのことで安心し、勿論喫煙席をリクエスト(現在はJALも全便禁煙です)
上長は通常の1階席になった(多分、喫煙席は1階の後ろの方だろう)。

チェックインを終え空港内で記念写真を撮ったり、上長はたばこ休憩にターミナルビルの外に出たりしていると滞在中にお世話になった課長にお会いした。課長は当初、10/31に帰国の予定だったが、現地での作業が増え、帰国が遅れたのだ。課長は私達の後のUA便で帰国とのこと。

おなかがすいたので、空港内のカフェテリアで腹ごしらえすることになった。滞在中おいしいと絶賛したカリフォルニアのオレンジジュースもこれで飲み納めである。ここでなつかしい「照り焼き丼」を見つけてしまい、それを注文した。そばなどもあったが、今はそばを食べる気にはならない。が、この照り焼き丼、日本のものと違って甘いのだ。とにかく甘い。ご飯はどうやら日本のものと変わらないが、同じ日本食でもアメリカに来るとこんなにも味が変わってしまうのか。

アメリカは出国審査というものがなく、セキュリティチェックを受けると搭乗口までそのまま行ける。その間に免税店があったので覗いてみることにする。職場etc.へのおみやげのチョコレートは既に買ったし、購入予定だったカリフォルニアワインもみんなで遊びにいった帰りの酒屋で買ったし、免税品に特に欲しいものは思いつかないので見るだけだった。おみやげものもあるので、見ているだけでも楽しい。上長はタバコなどを買ってたが。

免税店を出た時、すごいものを見てしまった。何やら、制服を来た高校生らしきと思われる集団である。感じからして、修学旅行の集団のようだ。彼らは免税店のまわりをたむろしている。「こ、これは何だ!?」そして、免税店の店内が一種独特の雰囲気になるのである。これにはびっくりした。別に修学旅行で店の回りをたむろすること自体、驚くことではないが、これが海外、しかもサンフランシスコだからびっくり!なのである。自分が高校生の時、修学旅行は九州で新幹線と船で行ったこと、飛行機は「高級な乗物」というイメージが頭にあったからもしれないが、とにかく驚いた。
最近は下手な国内より海外に出た方が費用が安くつくし、飛行機旅行は当り前、私立高校などでは海外の修学旅行も珍しくないという話も聞くが、時代は変わったのだろうか?まさか、海外で修学旅行生を見ることになるとは思いもよらなかった。
もしかしたら、サンフランシスコの市内も集団であの制服で歩いたのだろうか、そうなると何か異様な感じがする。彼らは私達より1つ前のUA便で帰っていった。上長と「もしJALだったら航空運賃高くて大変だね」などと話していた。

2.機内

搭乗時刻になり、便に搭乗する。階段を昇り、席に座ると、何と2階席の一番後ろではないか!私は滞在中におみやげにクリスマス用のロウ人形を買ったので、持ち込んだ手荷物の置場をどうしようかと悩んでいた。頭の上の棚にのせるにもこわれものなのでそう簡単にのせるわけにはいかない。勿論、壊れものなので預け入れる訳にもいかない。
私達の席の後ろと壁との間はある程度の間隔があったので、もしその手荷物をそこに置くことができれば非常に助かる。この場所にはCAの手荷物が置かれていたが、事情をCAに話すと手荷物を置くことを了承して下さった。
それにこの便は比較的すいていたせいか、私の席のとなりは空いていた。エコノミーとはいえ、全体的にもそう窮屈な感じはしない。そしてその向こうの窓側には男性が座っていた。

離陸前に例のごとく安全装備の説明があった。とのことで、安全装備の説明書に目を通す。どの航空会社もこの手の説明書はその国の言葉がわからなくても内容が理解できるよう、絵または写真で示されている。JALの場合も勿論、装備の取扱については写真で順を追って説明しているが、それに加え

などといった注意が日本語と英語で細かく書かれている。その中に、
「正しく置かれていない手荷物はロケット弾に変身します」
といった言葉があった。これは手荷物の置き方が悪いと飛んで来た手荷物で怪我をするという意味であるが、うまく的を得た表現だと思う。

そして離陸。眼下にはカリフォルニアの海が広がる。あっという間だ。

その後、ドリンクサービスがあった。メニューを見るとJALオリジナルのスカイタイムというものがあるではないか。これはもしかしたらJAL便限定品?これにチャレンジすることにしよう。で、飲んでみた結果、これはなかなかGOODである。キウイベースのドリンクで、色はドリンク剤に似た黄色味がかった黄緑で透明である。もし、JAL便に搭乗する機会があれば飲んでみて下さい。
なお、後でわかったのだが、このスカイタイム、有楽町のJALプラザに缶入りで市販されており、1本70円(だと思った。今は少し値上げしてるかも)。JALプラザに行く機会があったので、その時におみやげに買った。このスカイタイム、月刊エアライン誌で好きな飲物調査を行った時も国内線、国際線ともにいい評価が出ており、スカイタイムはおいしいので、職場で箱で注文しているというファンもいるほど。

食事はハンバーグと舌平目のマスタードソースとの選択。マスタードが苦手なのでハンバーグを選んだが、これもなかなかGOODだった。行きのAA128の夕食では選択を間違ったことを除くと、ここのところ機内食でそうまずいものが出たことがない。以前のPA(パンナム)001/002ではあちこちに寄港したためか、次々に鶏料理ばかりでて嫌になったこと(私は当時も今も鶏肉は大好きだが、おなかがそれほどすいてないところに次々と出されたのでは気持悪くなる。これは、2国間をつなぐ飛行機の機内では食事を出すことがルールになってるし、寄港地から乗り込んで来る人もいるので仕方がない。今は直行便が増えたのでこんなこともないだろう)、その時に乗ったAZ421でフランクフルトからローマに渡った時に出た機内食に付いていたおしぼりのにおいみたいなのが鼻についたのはさすがに参ったが。その後いくつかの機内食を食べてそうまずいものに当たったこともないし、機内食のレベルは確実に上昇しているような気がする。
到着前にはハムとチーズのサンドイッチが出たが、これもなかなか良かった。

その後免税品販売。特に買うものはなかったが、母に何かおみやげを買わなくては、と思いカタログのページをめくるとシャネルの香水があった。母は「これは海外で買ったものだから大切に」とちびちび使ってるのを思い出し、ちょうどいいと思った。で、そばを通った香港人のCAであるL氏にこの香水を注文した。

一般に機内販売はその国の通貨単位で価格が書かれており、JALの場合は勿論円である。米ドルが余っていたのでそれを使うことにしたが、米ドルの価格はカタログになかったみたいで、円からの換算に少々手間取った。その後、他の航空会社では米ドルの価格もカタログに併記してあることから、JALではまだまだ米ドルの使用は一般的ではないのかなと思ってしまった。
私の席のそばの紳士は結構高そうな時計を買っていた。

なお、この機内には日本人の他にL氏のような香港ベースのCAが3人乗っている。 JALでもこうした外国人CAがいるのにはびっくりした。しかも香港とは関係ない便である。もしかしたら、この後、彼女達は香港便に乗務するのかもしれない。かなり日本語は勉強したようだが、やはりどこかつたない。私がいろいろ説明してもわかりにくそうだった。以前、私の日本語は速すぎるせいか、ネイティブの日本人でもわかりにくいなどと言われたこともあるので、もしかしたら早口でわかりにくい言葉でしゃべってしまったかもしれないが。

行きの場合と違い、帰りの便は9時間近くずっと昼間の中を飛び続ける。窓のブラインドを下げて休憩に入る。その前に例のごとくフライトログをお願いすることにしよう。と思い、ギャレーに向かった。
休憩中は階段のそばに飲物のコーナーが用意されており、自由に飲みたいものを取ることができる。

スクリーンには時々飛行高度やルート、速度などを表示している。また、階段のそばの時計は出発地と到着地の時間を表示している。行きのAA128ではこういう表示が見られなかっただけに、今どんな状態であるかが分かるのはうれしい。AALにこういうものがないのはもしかしたら、アメリカでは航空機があまりにも日常化していることがあるのかもしれない。飛行高度は最終的には40000ftになった。
速度は対地速度で837km/hとなっていた。機長の話によると、追い風が比較的強いので、予定よりも早く成田に到着するとのこと。
戻って来たフライトログと一緒にB747-400のコックピットの写真の入った搭乗記念カードが付いて来た。こういうサービスもあるのか、と思った。

成田到着が近づき、機内でNRTの説明ビデオが流れた。行きではこうしたサービスがなかっただけに、こういうサービスはなかなかである。(後でわかったことだが、他の航空会社でもベース地への到着便ではこういうサービスをやってるようだ(例えばCPAの場合はHKGとか))

その後、入国手続きを済ませ、上長が会社へ帰還の報告をした後、NEXで自宅へ戻った。こうして10日あまりの出張は終ったが、これで私の眠っていた飛行機熱が甦り、以前の飛行機恐怖症もどこかへ行ってしまうことになる。


航空旅行記目次
(1)1997年 アメリカ(1/2)