2001年 シンガポール(6/8)

第3日目

シンガポールで過ごすのも今日が最後である。今晩には帰りの飛行機に乗らなく てはならない。そういえば、1日目は暑かったものの、ここ2、3日は曇りがち で、比較的涼しかった。最終日だというのに、今日もどんよりとした天気だ。

いつもと変わらず寝不足のまま目覚め、1Fのレストランへ食事に行く。昨日はバ イキングだったから、今日は和食にしましょうか。

和朝食はキク寿司という寿司屋(キクは漢字だが、どう書くか忘れた)で出してい る。日本でも回転寿司を除いた寿司屋は高級で、普段なかなか入りにくいところ があるが、ここでもお客は全然いなくて、堅苦しい雰囲気だ。朝は寿司はメニュ ーにはなく、朝食メニューとなっている。一応、和食はミールクーポンの対象に はなっているものの、こう客がいないと、本当にミールクーポンが使えるのかど うか不安になってしまう。何だか高そうだし。

クーポンを渡すと、受け取ってはもらえた。受け取ってくれた、ということは、 恐らくOKだろう。ちなみに、このキク寿司、本店は日本にあるらしい。

朝食メニューは焼き魚定食で、魚が鮭と鯆から選択できる。鮭は家でもよく食べ ているので、鯆にした。お客が少ないのと、高級料理屋ということもあって、仕 上りは丁寧だと思う。味自体も、下手な日本旅館の朝食よりずっといいような気 がする。海外のこうした日本料理屋には多くの日本人が来ることもあるからだろ うか。板前も含め、店員は日本語ペラペラで、海外のレストラン、という気がし ない。もしかしたら日本人かもしれない。こちらが日本人とわかると、日本語で 対応してくれる。

私が食事をしていると、1人の日本人男性と年配の夫婦が入って来た。私が見た 限り、このレストランに来た客はこれだけだった。昨日入ったバイキングとは雲 泥の差だ。この店のターゲットはやはり日本人なのだろうか。健康にいい、との ことで、日本食が海外で受けているらしいが、和朝食にチャレンジする非日本人 は少ないのだろうか?

今回、このホテルで2回の朝食を取って思ったのだが、個人的には昨日の照り焼 きチキンのようなおかずではやっぱりご飯が食べたい。和洋問わず、バイキング で好きなものが選べるようにできてればいいのに、と感じた。

今日はどこへ行こうか。今回の旅の目的は一通り達成していたので、どうしても、 というものは特になかった。ホテルにチェックインした時、DFSの案内を貰って いた(旅行会社がくれたものだ)。DFSへは各ホテルから無料送迎バスが出ている、 というので、DFSを冷やかしてみて、ついでだから近くに何か面白そうなものがあ れば、行ってみよう。すると、ラッフルズホテルがある。ラッフルズホテル自体は おのぼりさんがわざわざ行くような場所ではないかもしれないが、ガイドブックに よれば、この近くにラッフルズホテルの歴史博物館があるという。そこを見るのは 悪くない。足を伸ばせば、マーライオン公園、エリザベス・ウォーク(マーライオン 公園のそばにある広い遊歩道)まで行ける。まあ、適当にブラブラしましょう。

荷物をまとめ、ホテルをチェックアウトした。手続きそのものは問題なく済んだ ものの、フロントに荷物を預けようとすると、断ってくる。他の人はみな、大きな 荷物を預けており、フロントそばには、明らかにそんなスーツケースがゴロゴロし ている、というのに。もう、こいつは話にならない。スーツケースがゴロゴロして いるそばにカウンタがあったので聞いてみると、部屋番号を聞いて、それで預って くれた。結局は役割分担があったのだ。

さて、問題の送迎バスであるが、このバスはどこから乗ったら良いのかわからない。 ロビーで時間を潰していた時、たまたま私の前に座った現地駐在員風の日本人に聞 いてみると、正面玄関前の車止めから乗れるとのこと。でも、彼は買物するならDFS はあまり安くない、近くのSuntec Cityなんかどう、という。確かに、DFSは安くない だろう。

言われた通り、到着予定時刻の少し前に車止めのところに行ってみた。バスそのもの は確かに来たが、どうも乗る意志が伝わっていなかったらしく、無視して通り過ぎて いった。ここシンガポールでは、ただ待っているだけではなく、明示的に誰にでも わかるよう、意志を示さなければダメなのだろうか。その気になれば、自力でも行け る。このバスは1時間置きの運行だから、1度逃すとまた1時間無駄になる。

もう、送迎バスに頼るのは止めた。DFSは行ければ行く程度のところである。という ことで、予定を変更し、まず、地下鉄でRaffles Placeまで行き、そこでマーライオン 公園、SIAビル、エリザベス・ウォークと廻り、余力があればラッフルズホテル、DFS ということになった。最終日、しかもHKGでの徹夜が待っている、というのに、この 3日間の滞在スケジュールの中で、最もハードな1日となってしまった。

SIAビル、というのは、SQの時刻表や機内誌等でよく出てくるので、前から何物か気 になっていた施設であったが、今回行く予定のマーライオン公園と同じRaffles Places が最寄り駅のようだ。今日は休みだろうが、ついでだから覗いていこう。

ホテルの最寄り駅はOrchardである。初めての地下鉄、ということで当初とまどいと 不安があった。特に、シンガポールの地下鉄は改札を通ってから出るまでに時間制限 がある、というのも余計に不安にさせる。これは、地下鉄および駅構内の冷房が効い ているので、長居目的に来る人を排除するため、という。つまり、用が終ったら、さ っさと出ろ、ということだ。これでは、乗る列車を間違えられないし、居眠りして乗 り過ごしもできない。

繁華街のド真中にある駅、とのこともあって、駅は人で溢れている。ここで見たある 観光客は地下鉄の路線図を持っていたので、それを探したが、どこにあるのかわから なかった。路線図を探してうろうろしていたところ、フリーペーパーが積んであった。 現地の人達は皆貰っていく。特に、今日は独立記念日だ。独立記念日にちなんだ何か 変わったネタがあるかもしれない。今日は新聞を買おうかな、と思っていたが、買い そびれてしまったところだ。丁度良いので、貰っていく。 地下鉄そのものは、特に変わったことはなかった。最初は不安に感じていたものの、 何とか時間制限内にRaffled Placesの改札を脱出できたし。

まずはマーライオン公園(*)に行くことになる。地図は一応あるし、駅には方向案内が出 てはいるものの、ちょっとわらりにくかった。シンガポールを代表する観光地という こともあって、観光地図を頼りに行く人達も多かった。確か、駅を降りたらBattery Roadを歩いて行くと思ったが。町中で観光地図を広げるのはいかにもおのぼりさんな ので、犯罪に巻き込まれる危険がある、というが、これでは地理に慣れない外国人は 地図がないとわからない。恐らくこの人はマーライオン公園に行くのだろう。駅を降 り、マーライオン公園の方角に向かって行くこの観光客について行くことにした。

(*)註:マーライオンは移転しており、現在ではこの場所にはない。

公園はようやくわかった。マーライオンは世界の何大かの「がっかり」観光地なのだ そうだが、休憩でもしない限り、長居しても、そう面白い場所ではない。ただ、大小 2つのマーライオン像があるだけのちっちゃな公園である。観光客はひっきりなしに 来るが。水を吐いているミニマーライオンの写真を撮って、エリザベス・ウォークを 散歩することにした。

この遊歩道もまた、観光客がウヨウヨする場所である。自分もかつてそうだったが、 マーライオン公園でマーライオンを見た後、この遊歩道を歩いて公園からは見えない 大マーライオンの前側や、マーライオン公園のあるシティ地区の高層ビル群を眺める のが定番の観光ルートらしい。しかし、この遊歩道には日本のガイドブックには出て こない名所がある。勿論、前回のシンガポールツアーでも紹介はなかった。第二次大 戦時の抗日ゲリラの指導者、林謀盛(リム・ボウ・セン)の顕彰碑である。

この顕彰碑はマーライオン公園から遊歩道に入ったすぐそばにある。八角形の塔で、碑には彼の功績について書かれた説明がある。マーライオン公園、そして遊歩道は観光客で賑やかなのに対し、この碑を訪れる観光客は殆どいない。マーライオンのすぐそばだ、というのに。日本人は勿論、非日本人観光客もここを訪れる者はいなかった。たまに数人を見かけた程度である。

林謀盛の碑以外にも、この遊歩道にはインド独立戦争(?)で戦ったインド人兵士の碑 など、数々の記念碑があったが、これらの碑も注意を払う観光客は殆どいなかった。

遊歩道を抜けて直進、信号を渡ると4つの柱からなる「血債の塔」は間近である。 この塔は、正式には「日本占領時期死難人民記念碑」という名称で、第二次大戦中、 シンガポールが日本に占領された時、日本軍に虐殺された市民の慰霊碑兼、墓碑だと いう。墓碑、というのは、戦後、シンガポールの開発事業を進めていく際に見つかっ た身元確認ができなかった遺骨が収められているからである。

この碑が別名、「血債の塔」と呼ばれる訳は、この遺骨発掘で市民の中に起こった日 本に対する賠償要求集会の中で出たスローガンの1つに、「殺人は命で、血は血債で償 え」というものがあり、賠償要求から血債追討集会になったこと、その流れで日本と シンガポールが共同でこの碑を建てたことから来ているそうである。この塔は小さくではあるが、 日本のガイドブックにも紹介されているし、観光客も何人かは訪れている。

そのような経緯を持つ塔に、日本人である自分がノコノコ行くのも、「日本人が何を しに来た」と冷たい目で見られるのではないか、と思い、抵抗はあったが、かつて、 日本人がこの地で何をやったのか、は知っておく必要があるし、日本人として考えな くてはいけないことがある。そう思い、少し緊張しながらこの塔を訪れた。 自分以外にも、観光客は何人か訪れている。この塔は小さくではあるが、日本のガイ ドブックにも紹介されている。

塔の中には遺骨を収めた場所を示す瓶が小さな塔の上に乗っており、英語、マレー語、 中国語、インド語(かな?)で説明が書いてある。実際に中に入って、この塔を訪れる 観光客も結構いた。

血債の塔を後にし、SIAビルに向かった。SIAビルはRaffles Place駅が最寄り駅とはい っても、マーライオン公園や血債の塔とは反対の方角のRobinson Roadにある。SIA ビルに行こうとしたら、一旦駅に戻らなくてはならない。おまけに、雨も降っている。 Robinson Road周辺はオフィス街で、高層ビルが立ち並ぶ地域である。いつもなら、こ のあたりはビジネスマンがかっ歩しているのだろうが、今日は祝日ともあって、閑散 としている。どこも閉まっていて、ゴーストタウンとまではいかないが、それに近い 状態だ。ビジネスマン相手に商売するレストランも休業状態。恐らく、こんな時にSIA ビルに行っても、何もないのではないか。

歩いて行ける、と思ったが、意外と駅から距離はある。建物自体は確か、青っぽい色 (太陽電池の色みたいだったか?)で、大きなロゴマークがついており、そのロゴは遠く からもわかるので、わかりやすいのだが、ロゴは見えても、一向にビルにたどり着かな い。足も疲れてきた。

いい加減歩いて、ようやくSIAビルにたどり着いた。案の定、今日は休みだ。 このSIAビル、名前が示すように建物自体の建設か管理か何かにSQが関わっている。入 口にはSQのネットワークを示す看板と建物についての説明書きがあったが、何が書い てあったかは忘れてしまった。SIAビル、とだけあると、SQの本社のようにも聞こえる が、実はここはSQ本社ではない(SQ本社はAirmail Transit Centreというところにある。 どんなところにあるのかな、とシンガポールの地図でここを探したけれど、載ってい なかった。一体、どこだろう?)。SQの発券カウンタが1Fにあり、ガラス張りで中が見 えるようになっている。今日は休日だから無理だが、この分じゃここにもSQグッズは 売ってなさそうだ。
なお、このビルにはSQばかりでなく、他のテナントも入っているらしい。

その後は駅に戻り、どうしようかと考えていた。

一旦、血債の塔を訪れたが、日本人として1つひっかかることがあったことに気づい た。自分はあの戦争を知らないし、犠牲者に知人がいる訳でもない。しかし、日本人 の1人として、単に戦争反対を唱えるだけではなく、この戦争は何だったのかを考え なければならない、と感じた。そうなると、不思議とこの虐殺の犠牲者を悼み、申し 訳なかった、と頭を下げたい気持になってくる。これをしないと、何故か気が済まな い。

私は、再び血債の塔に戻り、手を合わせようとしたが、さっきと違って、観光客がひ っきりなしに来る。他人が見ると、何をしているのか不審がられるのではないか。 心の中でそっと手を合わせ、その場を離れた。
塔の内側の写真を撮る観光客も何人かいた。しかし、この塔の持つ意味を考えれば、 そんな気分にはなれなかった。

これだけ歩き廻ってもまだ昼過ぎである。空港に行くのには早すぎる。
地図を見ると、DFSやラッフルズホテルも歩いて行けそうな距離である。疲れた、といいながらも、結局のところ歩いてしまった。
地図を見るとラッフルズホテルは一見わかりやすいように見えるが、通りはごちゃごち ゃしていて、すぐにはわからなかった。

何とかラッフルズホテルはわかった。近代的なビルに囲まれた中で、ここだけが伝統を感じさせる、重みのある雰囲気に包まれているので、すぐわかる。普通、宿泊客でもないのにホテルを見に来る人など、あまりいないが、ここだけは別格。どんなガイドブックでも必ず出ている場所だ。しかも、「ホテル紹介」としてでのみでなく、観光案内としても。だから、宿泊客でなくても、ここを訪ねて来る観光客は多い。99年のツアーでもしっかりと連れてこられた。建物の写真を撮る観光客も多い。私もつられて撮ってしまった。

ラッフルズホテルはシンガポールの最高級ホテルであると共に、国を代表する史跡なのだそうだ。1987年には国宝に指定されたという。シンガポールのホテル、というと、近代的なビルが多いが、国宝ということもあって、繊細な感じがある。こんなホテルに泊まることは恐らくないだろう。目的の博物館はアーケードの3Fにある、というが、今まで散々歩き廻った上、ホテル自体を探すのに疲れ、もうどうでもよくなってしまった。博物館へ行くのは今後の課題だろう。

ラッフルズホテルを離れた私は、一応は行く、としていたDFSに向かった。町中には多 くの路線バスが走っているが、日本と違って車体全面が広告の車両が目立つ。さまざま な企業が広告を出しているが、航空会社も広告バスを走らせていて、私が見たのはTG とCXだった。TGバスは車体が紫で、機内食のタイ料理を主体にした宣伝、CXバスはお 約束の深緑、マウスに翼をつけて飛行機にしており、オンラインチェックインができ る、ということを主体とした宣伝だ。丁度、信号待ちの時にこのTGバスが停車していた ので、思わず写真に撮ってしまった。CXバスは歩いている時に一瞬見ただけなので、シ ャッターチャンスがなかった。シンガポール滞在中、まず見たのはこのTGバスばかりだ った。地元のSQはさぞかし多いだろう、とも思いきや、広告バスを見ることはなかった。 SIAホップオンバスにはシカゴ就航を大きく宣伝していたが。
他にも広告バスはなかなか個性的なデザインで面白いのだが、覚えていないのが残念だ。

こうして到着したDFSだが、やっぱりここは日本人が大挙して訪れている。ここは世界 最大の売場面積を誇るDFSだという。上の階はブランド品、1Fはシンガポール土産、と いう構成になっている。日本人の間には香港と並んでシンガポールは買物天国、という イメージがあるらしいが、そんな日本人をあてこんで、日本円で支払った場合に限り、 シンガポールドルの換算を$1=68円で計算します、といったキャンペーンがあちこちで 見られた。日本人の他にも、韓国人も買物好きなのだろうか。ウォンについても、キャ ンペーン価格の案内はあった。上の階は高級品ばかりで、私には縁のないものばかりな ので、見ることは見たが、パス。

自分の目的があるとしたら、むしろ1Fの特産品コーナーだ。ここで、SQバティックグッズや食料品などの土産品を調達することができる。さて、SQバティックグッズは、ありとあらゆるものがここにはある。CAの制服のレプリカに始まり、シャツ、パジャマ、ハンカチ、ポーチ、サンダル、巾着...。観光地では風景や伝統的な柄などを何でも土産化してしまって売ってしまう傾向があるが、ここでもそうだ。そんな中で自分が目を引いたのはパジャマだった。手にとって見ていると、店員がやってきて、「これは男物だ」という。パジャマだし、自分は別に男物でも構わないのだが、大きさを聞いても、一向に「男物だ」を繰り返して真面目に答えようとしない。女物は制服のレプリカしかないそうだ。別に男物を着て何が悪い、と思うし、日本ではカジュアルウェアなら女が男物を着るケースもそうおかしなことではない(デザインにもよる)が、海外では女が男物を着る、というのは奇異なことなのだろうか。パジャマは欲しかったが、こんな訳で結局買うことはできなかった。その他のバティックグッズも荷物になるし、既に生地を買っていたので、特にこれ、というものはわからなかった。

食料品も量が多いし、今回はよそに土産を買って来るつもりはなかったので、結局何も買わずDFSを後にした。DFSはトイレ、そしてそのそばにある無料のミネラルウォーターのサービスポットで水を飲んだだけだった。ちなみに、このサービスポットはParagonのSQオフィスにもあった。DFSを出たのは、確か4時半ぐらいだったと思う。

City Hall駅まで歩き、そこから地下鉄に乗ってホテルへ帰った。駅入口から改札まで のコンコースにも面白そうな店はいっぱいあったが、時間を使いすぎた。そうのんびり はしていられない。飛行機に乗り遅れる。

Orchardに戻って来た私は、Orchardを後にする前にやっておかなくてはならないことが2つあった。まず1つは、夜のフライトに備え、腹ごしらえをしておくこと。これは、Scotts Shopping Centreのワン・チャイ Fried Riceとマンゴージュースに決定である。食べ納めだ。

Scottsへ行こうとOrchard Roadを歩いていたところ、地元の人間が行列して何かを貰っている光景が至るところで見られた。今日は独立記念日ということで、ジュースメーカーが缶入りのお茶をサービスしていたのだった。HKGで朝食を取る時の飲物にこれは都合いい。私は一緒になってこの行列に加わっていた。どんなものかはわからないが。
そして、貰ったのがHeaven and Earth Imperial Orchid Teaという名前のお茶だった。

当初、HKGで飲むつもりでもらったのだが、喉も渇いていたし、荷物にもなるので、こ こで飲んでしまった。外国の食べ物は口に合わないものが多いし、蘭のお茶だというか ら、第1印象は何か怪しい雰囲気があった。ジャスミン茶のように臭みがあって、しか も妙に苦いのではないか。

が、全然そんなことはない。味はうんと甘くしたストレートの紅茶に近い。おいしい。 しかし、これは温かくしたらあまりおいしくないだろう。冷たいから、いい。 検疫と荷物の制約がなければ、シンガポール土産として日本に持ち帰りたいくらいだっ た。これはお勧めである。今度、再びシンガポールを訪れることがあれば、これを探す のも1つの課題だろう。

本題のワン・チャイ Fried Riceの味は、というと、何故か、昨日より味が少し落ちた ような気がした。マンゴージュースはおいしかったが。

もう1つは明日のHKGでの朝食を調達すること。これは、Paragonの地下にパン屋がある ので、困ることはない。初日にこの店を見た時もそうだったが、今日も地元民が行列し て買っている。この店は評判が良いのだろうか。売られているパンの種類も日本と全く 同じである。アンパンマンをデザインしたパンまで売られていた。日本のアニメがこん なメニューにまで影響を及ぼしていたのだった。魅力的な商品はいろいろあるが、時間 を置かなくてはならないことから、傷みやすいものは買えない。結局、無難なクロワッ サン2個を買うことになった。1個¢70だから、日本円で1個約50円。日本の半額以下 だ。安い。

パンを購入すると、いよいよこのOrchardともお別れ。ホテルに戻って預けた荷物を引 き取り、バス停に行くことになる。

が、ここで1つ問題があった。Lucky PlazaやDelphi Shopping Centreのある通りを直 進すると、ところどころ交差点になっているので直進できないところがあるが、横断 歩道がない場所もあるので、遠回りして反対側の通りを歩いたりしなければならない ことがある。例えば、Mariotの前がそうだった。Mariotについてはわかっていたもの の、来た時はDelphi Shopping Centreから横断歩道を渡り、AFの営業所を見た記憶が あるが、どうやって横断歩道を渡ったのかが思い出せない。タイ大使館の前にバス停 があり、ここにNo.36とあることから、空港行きのバスはここを通る筈だ。結局、こ こからバスに乗ることになった。多くの乗客がバスを待っている。日本人観光客の姿 はなかった。

しばらくすると、No.36のバスはやってきた。Changi Airport PTB1/2とあるから間違 いない。このバスは結構混んでおり、更に乗客が乗ろうとしていた。1時間近くもバ スに乗ることを考えると、混んだバスには乗りたくない。だからといって、飛行機の ことも気になるから、そうのんびりはできない。ぐずっているうちに、バスは出発し てしまった。今度バスが来たら、混んでいても乗る必要はあるだろう。

他系統のバスを見送ったその後、2台目のバスが来た。空席がある。これに乗ろう。 このために確保しておいた$1.50を払い、バスに乗った。 偶然にも搭乗したバスの車体はTGバスだった。

バスは滞在中よく歩いたOrchard Roadを抜けてSuntec Cityとその周辺を通って行った。 そして、高速に乗り、郊外の住宅街を抜け、再び高速でチャンギに向かう。空港バスだ というのに、利用客は地元民ばかりで、航空旅客と思われる乗客の姿はなかった。

車内のTVは独立記念日のセレモニーの模様を放送していた。生中継のようである。 時間に限りがあるので、全ては見られないが、僅かな時間ではあっても、こうしてシ ンガポール国民と一緒に36回目の独立記念祭に立ち会えたことは本当に良い経験だっ たと思う。セレモニーは空軍(?)のパラシュート部隊が空から降りて来ることから始 まり(その時、国旗を持っていたか?)、民族芸能か、太鼓か何かを演奏していたとこ ろが印象に残っている。バスはどうやら、このイベント会場の近くを通ったようで、 乗客は皆、パラシュート部隊が降りて来る方角をじっと注意していた。私のそばに居 合わせた丁度、TVでやっていることが今、ここで行われているのだという。

その後、高速に入り、空港へ向かって行く途中、流れて行く景色を眺めていると、 「Airline Road」という、観光地図にはないが、どこかで聞いたことのある標識を目 にした。そう、これは、SQ本社のある場所だ。チャンギという場所自体が空港のでき る前は小さな漁村だったという。そのこともあって、空港周辺には特に何かがある、 というようなところではない。自然は豊富だが。随分、ヘンピな場所にあると感じた が、昔ならいざ知らず、近年の大空港というものはこのような場所でないとできない のかもしれない。成田、チェク・ラプ・コク、KLIA、インチョン、最近できた空港は どこもこの傾向だ。
SQ本社の社屋そのものは車窓からは確認できなかった。

高速を出て、ターミナルビルの案内の標識を目にすると目的地のT1はもうすぐだ。SATS のケータリング工場前や空港警察署前にもバス停はある。どこでボタンを押すか、よく 注意していなければならない。 次第にバスは地下に入って行くようで、坂を降りはじめた。坂の左右には白い壁があ る。この坂を降りればT1に違いない。よし、ここだ。ここで、私は停車ボタンを押し た。

私の思った通りだった。バスは2日前に来たT1のバス停に到着した。ここで、バスを 降りることになる。私を降ろしたバスは、T1に到着した航空旅客を乗せ、再びT2を目 指していった。


航空旅行記目次
2001年 シンガポール(5/8)
2001年 シンガポール(7/8)