日本書紀を読んで古事記神話を笑う

日本書紀を読んで古事記神話を笑う 改訂新版

2009年10月5日up
(物語読者として日本神話を解明する)


第1 私の立場と問題意識


これが本当に日本最古の古典なのかという感想

 私が日本神話を研究し始めた理由は,別に,日本神話に興味があったからではない。たんに,「文章としての」,日本書紀と古事記に興味をもったからにすぎない。

 私の職業は弁護士である。日々,裁判所に提出する書類作成に携わっている。裁判所を含め,この業界では,文章にこだわる。事実にこだわる。

 あくまでも,事実に基づいた文章。

 しかも,紛争解決のために必要な事実だけを主張し,それ以外は言わないくらいの覚悟ができている文章。
 余計なことは,意思伝達の邪魔でしかない。
 気持ちや情念は,人間関係としては大切だが,裁判所では通用しない。言いたければ,区別して主張する。

 それがすべてだ。

 書面を読めば,その人の実力がわかる。それが大前提の世界だ。

 こんなたとえ話がある。

 我々弁護士は,海から魚を捕ってくる。それを調理して,裁判所に差し出す。「おいしい。」と言ってくれれば,勝訴だ(裁判官の仕事は,たったそれだけなのだ。楽だよなあ)。

 感情的な指摘や,かつて流行った「ああ言えば上祐」のような,うわっ滑りの議論などは,てんで問題にならない。
 かつて「ディベート術」が流行ったが,そんな小手先の「術」で人が死刑になったり,1億円支払えなんて判決が出たら,世の中大混乱である。

 そんな生活習慣でやっていたときに,たまたま接したのが,古事記だった。

 で,その古事記が,文章として「なってない」,「筋が通っていない」,「古事記序文にいう天才や秀才が作った文章とは思えない」,「とっても変」,と感じてしまったのである。

 「ちょっと,本当にこれが,日本最古の古典なのか」,「どこが素朴なのか」というのが,正直な感想であった。


この論文を書いた問題関心

 私は,日本書紀から入ったので,その整理された文章はよく知っていた。日本書紀編纂者が,かなり優秀な人間であることは,わかっていた。

 いわゆる,中国文献による文飾も,「こりゃ,官僚の心意気だワナ。わかるわかる。」などと,意に介していなかった。
 優秀な人は,そんなことをやるものである。

 とにかく,古事記を初めて読んで,いい加減さが目についた。

 私の感想は,真実だろうか。それとも単なる幻想だろうか。

 何百年と古事記を読み継いできた人々は,それに気付きながら,それを重々承知で,古事記の偉大さを説いてきたのだろうか。

 それにしても,日本書紀の叙述との落差は激しい。

 古来の学者さんたちは,日本書紀の叙述をもすべて承知で,古事記の偉大さを説いてきたのだろうか。

 そこらへんが,私にこの論文を書かせた根本的な問題関心であり,エネルギーの源泉である。
 またそれは,日本書紀と古事記と,なぜ2つあるのかという疑問にもつながっている。


物語読者として日本神話を読むという視点

 だから,政治的立場や思想的立場とは,まったく関係ない。本居宣長を信奉してもいないし,卑下もしていない。

 私は,物語読者として,文章としての日本神話を読んだにすぎぬ。

 ただ,文献,つまり文章として読み込んでみると,いろいろな発見があった。

 日本神話は,意外に,まともに読まれていないのではなかろうか。

 古事記の権威に寄りかかるあまり,いまだに分析されていないのではないか。
 日本書紀が不当に蔑視されているのではないか。
 と言うより,日本書紀が,いまだに,まともに読まれていないのではないか。

 学者さんでさえ,「古事記の権威」という呪縛から逃れ切れていないのではなかろうか。
 古事記を,なにかしら,無前提に「権威あるもの」として解釈しようとしているのではないか。

 古事記解釈という名の下に,「新たなる日本神話」が作り出されているのではなかろうか。

 それは,本居宣長以来の伝統ではあるまいか。

 一度,「権威ある」という能書きを取っ払った,「文献としての」古事記を読み直す必要があるのではないか。


この論文の意味と意義

 だから,学者さんの説に,たてついてみたい点も出てきた。

 「古事記お大事」の本居宣長には,ちょっと,席を外してもらおう。
 権威を何も知らない私が,自由に古事記を語ろう。

 こうして,かなりの発見があった。

 たとえば,古来,決着がついていない,「誓約(うけい)」に関する議論も,古事記の「いい加減さ」を認めてしまえば,楽に解決できる問題である。

 また,日本神話の体系的理解,いわゆる「高天原」神話と出雲神話と日向神話の,密接で有機的な関係もわかった。

 神話の故郷がどこにあったかも,自分なりに理解できた。日の神とアマテラスとの関係もわかった。

 また,神武「東征」についても,「日本神話のあり方」,「日本神話の形成過程」の中で考えなければ,議論にならない。

 「日本神話という物語」において,神武天皇が,なぜ「東征」しなければならなかったのか。
 神武天皇は,日本神話の源流を背負って,「東征」したはずだ。日本神話の成り立ちを語っているはずだ。

 「東征」が直ちに事実とは言わないが,そうした,物語としての「あり方」を選択せざるを得なかった日本神話には,それなりの形成過程があるはずだ。

 その「日本神話の形成過程」を理解すると,イザナキ・イザナミ神話,日向神話,いわゆる「高天原」神話,出雲神話などの関係がよくわかる。

 日本神話の古層がどこにあったかも,よくわかる。


インターネットで公開する理由

 そんなことに,わくわくしながら日本神話を読んでみた結果が,この論文である。

 ただ,古事記に人生を賭けてしまった人が,あまりにも多すぎる。
 これは,不幸なことだ。
 私に言わせれば,あまたある日本神話のうちの,一伝承にすぎないのに。

 それほど肩入れするような伝承でもあるまい。

 なぜこんなに多数の人々が,古事記に人生を賭けてしまったのか。

 そんな歴史があるから,古事記をめぐる議論は,10年や20年程度では,決着がつかないだろう。
 古事記を否定することは,そうした人たちの全人生,全業績を,否定することになるからだ。

 だから,この論文を「書物」にしてみても,無視されるだけであろう。

 いわゆる,「古事記偽書説」をめぐる論争が,いつまでたっても発展せず,古事記の「内容そのもの」を検討する議論まで行かずに,「外形的事実」だけを,ぐるぐるぐるぐると議論しているのを見ても,よくわかる。

 私は,こんな議論に人生を賭けようとは思わない。

 だからといって,放置するわけにもいくまい。

 この論文をインターネットで読んで,じっくりと腰を据えて日本神話を読む,若い人が育って欲しい。
 日本神話にまとわりつく,いかがわしい古い着物をはぎ取って,自由闊達に論ずる人が育ってほしい。

 それを願っている。

 


トップページ( まえがき)

第1 私の立場と問題意識

第2 問題提起

第3 方法論の問題

第4 世界観と世界の生成

第5 神は死なない(神というもののあり方)

第6 原初神と生成神の誕生

第7 日本書紀における原初神と生成神の誕生

第8 修理固成の命令

第9 言葉に対して無神経な古事記(本当に古い文献か)

第10 古事記は伊勢神宮成立後の文献

第10の2 応神記の気比の大神について

第11 国生み叙述の根本的問題

第12 日本神話の読み方を考える(第1子は生み損ないか)

第13 生まれてきた国々を分析する

第14 国生みのあとの神生み

第15 火の神カグツチ「殺し」

第16 黄泉国巡り

第17 コトドワタシと黄泉国再説

第18 禊ぎによる神生みの問題点

第19 日本神話の故郷を探る

第20 大道芸人の紙芝居としての古事記

第21 アマテラスら3神の生成

第22 分治の命令

第23 日本神話の体系的理解(日本書紀を中心に)

第24 日本神話の構造と形成過程

第25 生まれたのは日の神であってアマテラスではない

第26 日の神の接ぎ木構造

第27 最高神?アマテラスの伝承が変容する

第28 泣くスサノヲとイザナキの肩書き

第29 日本神話学の見通しと方法論

第30 日本神話のコスモロジー

第31 誓約による神々の生成(日本書紀)

第32 誓約による神々の生成(古事記)

第33 天の岩屋戸神話と出雲神話が挿入された理由

第34 日本神話のバックグラウンド・縄文から弥生への物語
(日本書紀第5段第11の一書を中心に)


第35 海洋神アマテラスと産霊の神タカミムスヒ
(日本書紀を中心に)


第36 支配命令神は誰なのか(ねじれた接ぎ木構造)

第37 アマテラスとタカミムスヒの極めて危うい関係

第38 五穀と養蚕の文化に対する反逆とオオゲツヒメ

第39 スサノヲの乱暴

第40 「祭る神が祭られる神になった」という幻想

第41 天の石屋戸と祝詞

第42 スサノヲの追放とその論理(日本書紀を中心に)

第43 アマテラス神話は確立していない(日本書紀を中心に)

第44 出雲のスサノヲ

第45 異伝に残された縄文の神スサノヲ(日本書紀を中心に)

第46 スサノヲにおける縄文と弥生の交錯(大年神の系譜)

第47 別の顔をもつスサノヲ(日本書紀を中心に)

第48 オオクニヌシの試練物語のへんてこりん

第49 オオクニヌシの王朝物語

第50 日本書紀第8段第6の一書の構成意図と古事記の悪意

第51 スクナヒコナと神功皇后と応神天皇と朝鮮

第52 偉大なるオオナムチ神話(大八洲国を支配したオオナムチ)

第53 三輪山のオオナムチ(日本書紀第8段第6の一書から)

第54 古事記はどうなっているか

第55 偉大なるオオクニヌシ(オオナムチ)の正体(問題提起)

第56 偉大なるオオクニヌシの正体(崇神天皇5年以降)

第57 崇神天皇5年以降を読み解く

第58 国譲りという名の侵略を考える前提問題

第59 「皇祖」「皇孫」を奪い取る「皇祖神」タカミムスヒ
(国譲りという名の侵略の命令者)


第60 皇祖神タカミムスヒの根拠
(国譲りという名の侵略の命令者)


第61 古事記における命令神
(国譲りという名の侵略の命令者)


第62 第9段第1の一書という異伝中の異伝と古事記

第63 武神の派遣と失敗と「高木神」

第64 タケミカヅチの派遣(タケミカヅチはカグツチの子)

第65 フツヌシとタケミカヅチの異同

第66 コトシロヌシは託宣の神ではないしタケミナカタは漫画

第67 「オオクニヌシの国譲り」の叙述がない

第68 天孫降臨の叙述の構造

第69 サルタヒコの登場

第70 古事記独特の三種の神宝

第71 天孫はどこに降臨したのか

第72 「国まぎ」を切り捨てた古事記のへんてこりん
(天孫降臨のその他の問題点)


第73 国譲り伝承と天孫降臨伝承との間にある断層

第74 じつは侘しい天孫降臨と田舎の土豪神武天皇

第75 天孫土着の物語

第76 火明命とニギハヤヒ(第9段の異伝を検討する)

第77 日向神話の体系的理解

第78 騎馬民族はやって来たか

第79 三種の宝物再論

第80 日本神話の大きな構成(三輪山のオオナムチとの出会い)

第81 海幸彦・山幸彦の物語を検討する

第82 「居場所」のない古事記

第83 本居宣長について

第84 日本神話を論ずる際のルール

第85 神々の黄昏

あとがき

著作権の問題など

付録・初版の「結論とあとがき」


新論文
神功紀を読み解く
神功皇后のごり押しクーデター

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