日本書紀を読んで古事記神話を笑う

日本書紀を読んで古事記神話を笑う 改訂新版

2009年10月5日up
(物語読者として日本神話を解明する)


第16 黄泉国巡り


黄泉国の物語

 さて,いよいよ黄泉国(よみのくに)巡りの物語だ。

 私は,うっかり,イザナミが「死ぬ」という表現をしているかもしれないが,正確に言えば,神は死なない。

 前述したとおり,神に,終末という意味での死はない。

 古事記はこれを,「火の神を生みしによりて,遂に神避(かむさ)りましき」と叙述している。

 現世から,違う世界へ避る=去るだけなのだ。いとしい妻イザナミは,現世から,黄泉国という違う世界へ避る=去るだけだった。
 神話伝承の時代には,現世と黄泉国に,絶望的な境界はなかった。

 それを知っているイザナキは,イザナミに「相見むと欲(おも)ひて」,黄泉国に行く。しかし,「蛆たかれころろきて」というイザナミの凄惨な姿を視てしまったイザナキは,黄泉国から逃走する。

 じつはこの部分は,日本書紀では異伝扱いの,第5段第6の一書の,改悪になっている。

 異伝ではあるが,日本書紀第5段第6の一書をきちんと理解しないと,古事記を評価できない。そこで以下,まず日本書紀の叙述を検討してみよう。


日本書紀第5段第6の一書のストーリー(その1)

 火の神カグツチを切ったイザナキは,イザナミを追いかけて黄泉国まで行く。

 そこで,「共に語る」。

 つい話し込んで,気づいたら,夜の寝る時間だったのか。
 イザナミは,なぜこんなに遅くなったのか,私はすでに黄泉戸喫(よもつへぐい)をしてしまったと言って,イザナキをなじる。

 黄泉国の食事をしたことで,黄泉国の住人になってしまっており,顕し国(うつしくに),すなわち現世には戻れないというのだ。

 そしてイザナミは,寝姿を決して見るなと言って,イザナキに禁じたうえで,寝る。

 今まで一緒に国生みをしてきた,いとしい妻だ。動かなくなった妻の身体を見て,黄泉国まで追いかけてきたイザナキだ。
 せっかく再会できたのだから,抱きしめて寝たいと思うのが通常だ。

 ところがイザナミは,それを禁じてしまう。


日本書紀第5段第6の一書のストーリー(その2)

 禁を破ったイザナキが見たものは,「膿(うみ)沸(わ)き虫(うじ)流(たか)る」,イザナミの姿だった。

 「膿沸き」はわかるが,「虫(うじ)流(たか)る」が,いかにも凄惨だ。
 腐敗してドロドロになった死体に,ハエの蛆が,流れ落ちるようにたかっているという・・・。
 それが,「流」れるように滝になって・・・。うごめいて・・・。さわさわと音を立てている・・・。

 これ以上は言うまい。
 すべて言ってしまったか。

 とにかくイザナミの真の姿は,黄泉国の住人,死者の姿だったのだ。

 仰天したイザナキは,死者の国から,ほうほうの体で逃げ帰る。

 そして,死者の国である黄泉国と,生者の国である顕し国(うつしくに)との境を,「千人所引の磐石(ちびきのいわ)」で塞ぐのだった。

 これにより2つの世界は,永遠に閉ざされることになった。


「共に語る」という胸にしみいる簡潔な一句

 なによりも私は,「共に語る」という一句を取り上げたい。

 カグツチに焼かれたイザナミ。物言わず動かなくなったイザナミ。
 その身体を前にして,イザナキは,「唯,一児(このひとつぎ)を以て,我が愛(うるわ)しき妹(いも)に替えつるかな」,と嘆く。

 すなわち,このたった1人の子供と,いとしいイザナミを取り替えてしまったなんて,と慨嘆する。

 そして,枕元に腹這ってはおいおいと泣き,足元に腹這ってはおいおいと泣く。動かなくなったイザナミの身体を,なで回さんばかりだ。

 その気持ちは,痛いほどわかる。

 イザナキは,イザナミを追いかけて,黄泉国へまっしぐら。

 黄泉国でやっと再会できた,いとしいイザナミは,驚くべきことに,生きている時と同じ姿だった。

 驚喜したイザナキは,息せき切って話し始めたに違いない。

 妻を失ったと誤解したときの絶望。その後の慟哭。黄泉国まで追いかけてきた困難。今までと変わらないイザナミに出会ったときの歓喜。

 くめども尽きぬ話があったはずだ。


日本書紀の文学的簡潔さ

 しかし日本書紀は,この夫婦の再会を,「共に語る」,の一語ですませる。

 これは胸にしみます。
 イザナキとイザナミの心情が,この簡潔な一句に凝縮されている。

 何を語ったかは,もはやどうでもよい。その内容は,読者各自が想像すればよい。

 この「共に語る」の一語には,そうした,突き放したところに芽生えるポエムがある。

 非常に文学的な表現だ。

 語った内容をこと細かに描写しようとするライターがいるとしたら,それはもう,2流,3流のライターだろう。


黄泉戸喫(よもつへぐい)は共食の思想である

 さてそれでは,黄泉戸喫(よもつへぐひ)とは,いったい何だろうか。

 古代人には,他界の食物を口にすると,その世界の構成員になってしまうという信仰,ないし確信があった。

 生産力が極めて低い時代の話だ。

 たとえば,狩りを考えてみよう。
 少し大きな獲物になると,一緒に狩りをしなければならない。そして解体した獲物は,狩りをした人々と,その家族が一緒に食べる。

 稲作だって同じだ。
 そもそも,水を引く灌漑自体が共同作業だ。1年を通じた農作業も,村落全体で一緒にやる。収穫された作物は,分けあって食べる。

 要するに,食べることと生きていくこと。もう少し大袈裟に言えば,食べることと人生そのものが,密接不可分の関係だったのだ。

 古代人にとって,共食とは,一緒に生きていく証(あかし)であった。

 生きていくためには,「群れ」に参加して一緒に生活し,一緒に労働しなければならなかった。
 その結果,一緒に食べる「群れ」を変更することは,住む世界を変えたと受け取られることになったのだろう。

 これが,共食の思想だ。


共食を知らない現代人

 分業が進んだ現代人には,これがわからない。

 昔は,牛1頭を共食していた。

 しかし,現代では,牛ひとつとってみても,飼料を作る人,牛を飼う人,屠殺し解体する人,肉を売る人,解体後の皮や骨や内蔵を加工する人,それらを売る人,等に分かれている。

 それぞれ,お互いの場面に対する想像力は,働かない。

 そして肝心の,牛肉を食べる人は,牛とは何の関係もない仕事をしている。
 牛1頭の,あますところない一連の処理の,ほんの一部分にすぎないのだが。

 そのくせ,牛の屠殺場面を見せると,キャーッとか叫んで,残酷ネ,などと言う。

 牛は,屠殺されることを事前に理解して,涙を流すという。場合によっては,自ら,前足を折って,ひざまずくという。

 人間は,その牛皮のコートを着ている。
 きれいになめして縫製したコートもいいけれど,「逆剥(さかは)ぎに剥(は)ぎて」作ったコートは,残酷なんだろうな。

 そんな現代人だから,まさに「個食」ができるのだ。
 「共食」は,崩壊している。


共食する異界の住人は異形の姿をしている

 話がそれた。

 イザナミにとって,異界である黄泉国で食事をすることは,黄泉国の構成員になることであった。

 これを,「黄泉戸喫(よもつへぐひ)」と言ったのだ。

 で,それまで生きてきた世界とは違う,異界の住人となれば,それなりの姿形(すがたかたち)に変わるであろう。
 異界の住人の姿になるであろう。

 一緒に食っている部族が,それぞれ,好みの衣装をまとい,入れ墨や風習も違うのと同じだ。

 異界の住人は,異形の姿をしている。

 しかし伝承においては,人間の姿に合わせて人間の姿を装う。ところが,忘我の境地に至ると,異形の姿に戻る。それを恥じて,見るなと言う。

 鶴の恩返しという話がある。

 人間の前では人間の姿をしているが,機を織って忘我の境地に至るときは,異形の姿に戻る。だから,見るなと言うのだ。

 黄泉戸喫(よもつへぐい)には,@共食の思想,A異界の者の異形の姿,という2つの要素がある。これは,古代の伝承に共通した要素だ。


共食の思想と日本書紀・海神の宮を訪問したヒコホホデミ

 この概念は,日本書紀の神話に繰り返し登場してくる。
 以下しばらく,これを検討してみよう。

 まず,トヨタマヒメ(豊玉姫=とよたまひめ)とヒコホホデミ(彦火火出見尊=ひこほほでみのみこと)の話(第10段)がある。

 海神(わたつみ)の宮に招き入れられたヒコホホデミは,トヨタメヒメを妻にして,3年間滞在する。捜していた釣り針が見つかったのに,帰ろうとしない。

 なぜ帰ろうとしないのか。美しいトヨタメヒメに酔ってしまったのだろうか。

 じつは,ここでも共食の思想が問題になっている。

 海神の宮は魚の世界だ。
 そこでトヨタメヒメの供する食事をとったヒコホホデミは,既に,海神の世界の構成員になっていた。だからこそヒコホホデミは,帰れなかったのだ。もはや,釣り針など返してもらっても仕方がなかったのだ。

 それがわかっていたヒコホホデミの苦悩は深かったはずだ。望郷の念は募るが帰れない。その苦悩がわかったからこそ海神は,「従容」として「吾当に送り奉るべし」と述べたのではなかろうか。

 これは,海の世界の支配者による,特別許可だったのだ。

 以上の点は,伝承によっても異なるので,日本書紀第10段で,詳細に検討する。


共食の思想と日本書紀・子を生むトヨタメヒメは竜の姿になる

 海の世界は魚の世界であり,人間の世界ではない。
 海神(わたつみ)の世界でヒコホホデミが出会ったトヨタメヒメは,ヒコホホデミにあわせて,人間の姿をしていた。

 しかし,子を産んでいるとき,すなわち忘我の境地のときには,異界の異形の姿に戻る。

 それが「竜」(第10段本文)なのか「八尋の大熊鰐」(第10段第1の一書)なのかは不明だが,海神の娘である以上,とにかく海の世界の王者の姿になる。

 だからトヨタマヒメは,出産中の自分を見るな,と禁じたのだ。
 これを見てしまったヒコホホデミは,トヨタメヒメとの離婚を余儀なくされる。


共食の思想と日本書紀・崇神天皇8年12月の歌謡

 崇神天皇8年12月の歌謡もそうだ。

 崇神紀は,人々の反乱や凶作の叙述から始まる。その混乱が収まった後,以下の有名な歌謡が出てくる。

 此の神酒(みき)は 我が神酒ならず 倭成す 大物主の 醸(か)みし神酒 幾久(いくひさ) 幾久 (崇神天皇8年12月)

 一般には,この酒は私のものではない,倭国を造った大物主神が醸した酒である,幾代も栄えよ,という意味にとるようだ。
 それでよいのだが,それだけではこの歌謡の意味を捉えきっていないと思うのだ。

 崇神天皇が,日本に侵入してきた騎馬民族だという見解には,同調できない。しかし崇神天皇は,たぶん,ヤマトないし河内への侵入者だったのだろう。
 少なくとも,「倭」という世界とは違う世界からやってきたのだ。

 それは,後述するとおり,日本書紀の「崇神天皇5年」以下の大変面白い記述を分析すればわかる。


共食の思想と日本書紀・崇神天皇はオオモノヌシと共に酒を飲む

 とにかく崇神天皇は,支配地「倭」が治まると,土地の者「活日(いくひ)」が造った酒を,地主神である大物主神を祭った神社で飲むことで,大物主神と共食し,一体化し,ここで初めてその世界の人になったのである。

 上記した歌謡は,共食の歌謡である。

 崇神紀には,それまでいつき祭っていたアマテラスを捨てて,国つ神を祭ったということが,はっきりと書かれている。有名なアマテラスの諸国放浪は,ここから始まる。

 崇神天皇は,神をあがめ祭った天皇だと言われるが,じつは違う。アマテラスを,はっきりと捨て去っているのだ。

 崇神天皇は,アマテラスを捨てて国つ神をいつき祭り,その土地の神と共食し,晴れて倭の構成員になった天皇である。

 崇神天皇は,共食して上記歌謡を歌い,これにより,晴れて倭の構成員となった。
 これは,崇神天皇による倭の国支配の完成である。

 だからこそ,崇神天皇10年7月では,「今,既に神祇を礼ひて(いやまいて),災害皆耗きぬ(つきぬ)」と宣言するのだ。

 日本書紀の叙述は,これ以降,倭の国内の叙述から倭の国外の叙述,すなわち他国への遠征の話に変化していく。


共食の思想と日本書紀・神功皇后摂政13年2月の歌謡

 神功皇后摂政13年2月の歌謡も同じだ。

 政権を安泰にした神功皇后は,都の磐余(いわれ)に帰ってきた誉田別皇子(ほんだわけのみこ,のちの応神天皇)を迎えて酒宴を張り,以下の歌を詠む。

 此の御酒(みき)は 吾が御酒ならず 神酒(くし)の司(かみ) 常世に坐す いはたたす 少御神(すくなみかみ)の豊寿き(とよほき) 寿き廻(もと)ほし 神寿き 寿き狂ほし 奉り来し御酒そ あさず飲(ほ)せ ささ

 なぜ,神と一緒に酒を飲むのか。神と共食し,神の世界の構成員となり,神の恩寵を受けようというのだ。

 この酒は,「常世に坐す いはたたす 少御神」,すなわち常世国のスクナヒコナ(少彦名命)が,慶事を狂おしいほどに讃え,醸し奉った酒。

 その酒を,政権安泰を報告した敦賀の神,「笥飯大神(けひのおおかみ)」と共に飲む。その笥飯大神は,朝鮮とのつながりが強い神だ。

 ここには,神功皇后と応神天皇の出自,「笥飯大神」との関係が語られている。また,スクナヒコナも,やはり朝鮮から来た神であることになる。

 なお,この酒を,「ホムタワケ(応神)の成人したことを祝うためのものであったと思われる」とする学者さんがいる(西郷信綱・古事記注釈・第6巻・筑摩書房,253頁)。

 しかし,古事記によれば,ホムタワケは,建内宿禰に連れられて禊ぎの旅に出て,有名な「酒楽の歌」も,建内宿禰に返歌してもらっている。
 自分では何もできない,子供扱いである。


ヨモツヘグイに関する古事記の内容

 日本書紀の叙述を,以上のように理解したうえで,古事記を読んでみる。

 読み流すと,一見,日本書紀の叙述と同じように見える。しかし,全然違う。

 古事記では,物語が小説的方向に振られており,しかもライターの技量が足りないので,ヨモツヘグイの焦点がぼけて,話の筋がおかしくなっている。

 古事記の叙述はこうなっている。

 イザナキは,何よりもまず,「愛しき我が汝妹(なにも)の命,吾と汝と作れる國,未だ作り竟(お)へず。故,還るべし。」と呼びかける。
 その意味が,神生みの途中であり,「神国日本」を作り終えていないという意味であることは,前述した。

 イザナミは,家の前に出てイザナキを迎える。そして,「悔しきかも,速(と)く来ずて。吾は黄泉戸喫(よもつへぐい)しつ」と悔しがる。

 一般には,ストレートに愛情表現をしているとか,おおらかな古代人の感性を表現しているとか言われるようだ。
 しかし私にとっては,単なる小説趣味にすぎない。これくらいの作文は,誰にでもできる。

 いずれにせよ,「共に語る」ですませる日本書紀の簡潔さ,潔さ,ライターとしての技量の深さには,到底及ばない。


ヨモツヘグイが書かれていない古事記

 そして,古事記ライターの馬脚が現れてしまったのが,以下の叙述だ。

 イザナミは言う。
 ヨモツヘグイをしてしまったが,愛しいイザナキが来てくれたのはうれしい。だから「還(かえ)らむと欲ふを,且く(しばらく)黄泉神(よもつかみ)と相論はむ(あげつらわむ)。我をな視(み)たまひそ」。

 すなわち,帰れるかどうか,黄泉神と話し合ってみる。その間,私を見ないでね。

 しかしイザナミは,家の中に入っていったまま,なかなか出てこない。
 しびれを切らしたイザナキが家の中に入って見たら,イザナミは「蛆たかれころろきて」,しかも身体の各所に雷神(いかづちのかみ)がいる状態だった。

 恐れおののいたイザナキが逃げると,イザナミは,「吾に辱(はぢ)見せつ」,と言って,追いかけてきた。

 どうですか。ここにヨモツヘグイが書かれていましたか。


共食の思想がわかっていなかった古事記ライター

 ヨモツカミ(黄泉神)との話し合いで元に戻れるのなら,戻りゃいいじゃないですか。
 遅すぎたとか悔しいとか,歯の浮いたようなことを言ってもらっては困る。

 これでは,ヨモツヘグイ(共食)によって異界の世界に行ってしまったことになりません。

 黄泉国の構成員になり,死者の姿になり,元に戻れない。これが共食の思想だ。そして,死が不可逆的なものだからこそ,悲劇なのではないだろうか。

 それが,完全に消しとんでいる。


忘我の境地で異界の異形の姿に戻ることがわかっていなかった古事記ライター

 さらに,共に語っているときは現世の時の姿だが,忘我の境地では異界の異形の姿に戻ってしまうという,異界の接点と共食というモチーフも,完全に崩壊している。

 「蛆たかれころろきて」というイザナミは,忘我の境地にいたのではない。
 話の筋からすれば,黄泉神と話し合っていたはずだ。

 そんな時は,真実の姿に戻るのだろうか。それとも,家の外は現世の姿で,家の中に入ってしまうと,家で寛いでいるときの本来の姿に戻るとでも言うのだろうか。

 イザナミは,ソファーに座って寛いで,ついうっかり,元の姿に戻ってしまったとでも言うのだろうか。


禁止を破ったという形式面だけをとらえて形骸化させた古事記ライター

 イザナキは,待ちきれずにイザナミを見てしまった。

 古事記ライターは,共食の思想や,忘我の境地では異界の異形の姿に戻るという古い伝承が理解できていない。

 だからこそ,「禁止を破った」という,形式的なところだけを問題にしている。

 神話における,忘我の境地での異形の姿というモチーフを忘れて,禁止を破ったという,形式的な点だけに結びつけてしまっている。

 ヨモツヘグイを,禁を破るという観点で論じている書物がたくさんある。
 しかしこれは,形骸化した古事記を前提にした,形骸化した議論だ。

 だから,原理的に,ヨモツヘグイの本質を語ることはできない。

 古事記ライターも,罪なことをしたものである。


イザナキが逃走する理由がわからなくなっている

 だからこそ古事記では,イザナキが逃走した理由がわからなくなっている。

 「蛆たかれころろきて」という真実の姿を見て,それが不可逆的なものだから,逃走するはずなのだ。

 ところが古事記では,帰ろうと思えば帰れる。姿も元通りになるのだろうから,恐怖はない。悲劇性もない。逃走する理由も必要もない。

 黄泉神との話し合い。それが2人の会話の本題となるはずだ。帰れるか帰れないかが,夫婦間の話の焦点のはずだ。

 そして,本当に愛情があるのなら,「蛆たかれころろきて」というイザナミを見ても,黄泉神との話し合いを,じっと待っていればよいはずだ。

 それとも,「吾に辱(はぢ)見せつ」と言うイザナミが怖いから,逃走するのだろうか。
 イザナキは,恐妻家なのだろうか。

 まったく,わけがわからない。

 言うまでもなく,日本書紀では,真実を悟ったイザナキにとって,イザナミはもはや亡霊でしかない。
 だから,夫婦愛などどこ吹く風で,脇目もふらずに逃走する。


古事記ライターの作文能力を見切って日本書紀と古事記の関係を考える

 古事記ライターは,なぜこんな,よたった叙述をしたのだろうか。

 私は,古事記ライターの作文能力がこの程度だったからだと割り切っている。
 それ以上考えても無駄だ。文章自体が,ライターとしての能力を正直に語っているからだ。

 古事記には,イザナキとイザナミの夫婦愛が描かれているという人がいる。古代人の素朴な感情がストレートに表現されているという人がいる。

 しかし私は,そう思わない。よたった叙述はよたった叙述でしかない。しかも,叙述の無駄が多すぎる。

 私はむしろ,日本書紀を評価する。
 そこでは,ヨモツヘグイの意味をしっかりと見据えたうえで,「共に語る」という一句をもって,イザナキとイザナミの悲劇的な別離を描出していた。

 ヨモツヘグイ本来の意味をきちんととらえていた日本書紀と,「見るな」という禁止を破ったことを,形式的にとらえることしかできなかった古事記。
 小説的加筆をしたがために,悲劇性も叙述の論理性もぼけてしまった古事記。

 いったいどちらが古いのだろうか。私は,古来の伝承を理解できなかった古事記ライターが,リライトしたのではないか,と考えてしまうのだ。


こんな所も小説的だ

 イザナキが黄泉国から逃げていく場面の描写も,古事記ライターは小説的興味で描いている。

 古事記では,日本書紀に登場するヨモツシコメ(黄泉醜女=よもつしこめ)だけでなく,イザナミの身体の8箇所にいた8つの雷神が追いかけてくる。

 日本書紀ではヨモツシコメ8人だけだから,恐ろしさが増すわけだ。
 そしてその8雷神は,なんと,「千五百(ちいほ)の黄泉軍(よもついくさ)」を従えて追ってくる。

 げに恐ろしげだね。

 イザナキは,こうしたゾンビのような妖怪を,振り向き振り向き,十握剣(とつかのつるぎ)で切り倒しながら逃げる。

 古事記の方が,恐怖を引き立たせようとしている。いかにも小説的だ。


古事記は日本書紀の諸伝を合成してできている

 それだけではない。上記した8雷神は,じつは,ほぼ日本書紀第5段第9の一書に登場しているのだ。

 比較してみよう。

第9の一書  首に大雷 胸に火雷 腹に土雷 背に稚雷 尻に黒雷 手に山雷 足にの雷 陰に裂雷
古事記    頭に大雷 胸に火雷 腹に黒雷 陰に折雷 左手に若雷 右手に土雷 左足に鳴雷 右足に伏雷

 そして,古事記に登場する,桃の実を投げつけたらそれらが退散したというお話も,この第5段第9の一書が伝えている。

 すなわち古事記ライターは,第5段第6の一書を下敷きにしながら,第5段第9の一書をも加味して,書き下したのだと言える。

 この逆,すなわち,総合的な古事記の伝承があって,それを基に第5段第6の一書と第5段第9の一書が別々に成立したということはありえない。

 古事記ライターは,日本書紀を読んだのだろうか。

 少なくとも,日本書紀成立以前の,第5段第6の一書と第5段第9の一書として伝えられている2つの伝承は,読んでいたに違いない。


黄泉比良坂(よもつひらさか)はどこにあるのか

 さて,黄泉国から逃げに逃げたイザナキは,顕し国(うつしくに。現世。)との境界までやって来る。そこは,「黄泉比良坂(よもつひらさか)」だった。

 そのヨモツヒラサカ(黄泉比良坂)は,どこにあるのだろうか。

 古事記は,「今,出雲国の伊賦夜坂(いふやざか)と謂ふ。」としている。

 これを根拠に,黄泉国は出雲国の地下にあるとか,出雲国はヤマトに対して貶められているのだとか,ひどい人になると,出雲国は死の臭いがするなどと言う人さえいる。

 本当だろうか。

 古事記と同じ伝承を伝える,日本書紀第5段第6の一書は,地名については何も言っていない。

 それどころか日本書紀編纂者は,じつに驚くべき記述を残している。

 「其の泉津平坂(よもつひらさか)にして,或いは所謂(い)ふ,泉津平坂といふは,復別に(またことに)処所(ところ)有らじ,但(ただ)死る(まかる)に臨みて気絶ゆる際(いきたゆるきわ),是を謂うか」。

 ヨモツヒラサカがどこにあるのか,結局のところわからなかったのだ。


ヨモツヒラサカに関する日本書紀編纂者の学者的態度

 これは,第5段第6の一書自体に元々あった叙述ではなく,日本書紀編纂者が挿入した一文だ。
 異伝としての第5段第6の一書を編纂し,原稿として挿入しながら,感想を書いたのだ。

 特別な場所を意味するのではなく,ただ,死ぬにあたって息絶える際(きわ)をいうものか,というのだ。

 ヨモツヒラサカは,地理上のどこかという場所的概念ではなく,人間が息絶えるその時を示す,時間的概念だというのだ。

 「泉津平坂(よもつひらさか)」という,文言上紛れもない地名を,地理的概念ではなく時間的概念であると判断するためには,いろいろな調べ物をし,いろいろ悩み,地理的概念であることを諦めたうえでないと,できるものではない。

 思考上,かなりの飛躍を要するのだ。

 末尾の,「是を謂うか」という書き方からすれば,一応の結論を出した日本書紀編纂者自身も,自信がなかったのだ。

 要するに,どこにヨモツヒラサカがどこにあるのか悩み,数々の文献を調べたがわからないので,時間的概念と考えるしかないと思うのだが・・・,自信はない。

 そんな結論である。
 立派で,賞賛すべき学者的態度だ。


日本書紀編纂者は古事記を見ていない

 だから,日本書紀編纂者は,古事記を読んでいない。

 これは,はっきりと言える。

 古事記には,「今,出雲国の伊賦夜坂と謂ふ。」と書いてあるのだから。
 日本書紀編纂者が,@古事記を最古の文献として尊重し,Aこれを参照していれば,悩む必要がなかったはずだ。

 日本書紀編纂者は,当時最高の知識を独占した官僚だ。書物をはじめとした知識を独占していた人だ。権力の中枢にいた人だ。
 しかも1人ではなく複数だった。延べ人数にすれば,いったいどれだけの官僚が編纂に携わったことだろう。

 その編纂者たちが,古事記を知らなかったから悩んだのだ。同時代の書物,古事記を知らなかったというのだ。

 もしかしたら,知ってはいたけれど価値がないと判断して無視したのかもしれないが。


古事記を天皇の私的文書だという説

 いったい,古事記はいかなる書物だったのだろうか。

 古事記は,ごく限られた者しか知らない,天皇家の私的な文書だったという人がいる。今で言えば,宮内庁の奥深くで密かに作られた,天皇家の機密文書だというのだ。

 しかし,旧辞を誦み習わした稗田阿禮について,古事記序文自身が,有名な天才だったと述べている。

 「時に舍人(とねり)有り。姓(うじ)は稗田(ひえだ),名は阿禮(あれ)。年は是れ廿八(にじゅうはち)。人と爲り聰明にして,目に度(わた)れば口に誦(よ)み,耳に拂(ふる)れば心に勒(しる)す。即ち阿禮に勅語(みことのり)して,帝皇(すめろき)の日繼(ひつぎ)及び先代の舊辭(くじ)を誦(よ)み習わしめたまいき」。

 こうした天才が誦み習わし,太安万侶(おおのやすまろ)が作成した古事記が秘密の私的文書だったなんて,あり得る話だろうか。

 また,宮内庁という,1つの役所を作るほど肥大化した現代ならいざ知らず,当時の天皇の周辺にいた官僚たちに対して,いったいどれだけの私的秘密がありえたのだろうか。

 天皇の私生活と私空間が,どれだけあったのだろうか。

 天皇の発した言葉はすなわち詔(みことのり)であり,公の言葉であり,天皇の住居は公的な政治の場だった。現在の京都御所よりはるかに小さな屋敷に住んでいた天皇に,権力の中枢にいる官僚たちさえも知らない私的秘密文書など,ありえないと思われるのだ。


「今,出雲国の伊賦夜坂と謂ふ」の「今」

 そうすると,古事記がいう「今,出雲国の伊賦夜坂と謂ふ。」の「今」とは,いったいいつの時点の「今」なのかが,問題となる。

 当然,「出雲国の伊賦夜坂」がヨモツヒラサカだという伝承が生じたのちの「今」というしかない。
 しかし,720年という日本書紀成立時点では,そのような伝承はなかった。知っていれば,日本書紀編纂者が,書き加えていただろう。

 日本書紀編纂者が,「今」,現にある古事記を軽んじて無視したというのであれば,一応筋が通る。

 古事記は,確かに712年に成立していた。そして日本書紀編纂者は,これを無視した。

 しかし,日本書紀編纂当時には,古事記が存在しなかったと考えることもできる。

 これでよいのだろうか。私はまだ最終的な結論を出していないが。


第5段第6の一書を中心に構成された第5段の異伝

 ここで,日本書紀第5段第9の一書を考えてみたい。特異な異伝だからだ。

 日本書紀第5段には,本文に続いて,第1から第11の一書まで,たくさんの異伝が羅列されている。

 その中で最大の異伝は第5段第6の一書だが,これを中心にして,前半部分の第1の一書から第5の一書までは,本文に対する異伝だ。
 そして,第6の一書に続く第7の一書は,日本書紀編纂者自身が第6の一書の異伝とみなしている。

 だから,第6,第7共通の訓注が,第7の一書の後に記載されている。

 第8から第10の一書は,第6及び第7の一書の異伝だ。
 第11の一書は,さらにまた特異な異伝だが,ここでは言及しない。

 とにかく,第5段の異伝は,第6の一書を中心に構成されている。


日本書紀第5段第9の一書は殯(もがり)の場が舞台になっている(イザナキは黄泉国へ行かない)

 以上の異伝のうち,第9の一書は,第6の一書に対する異伝だ。

 この異伝の特異なところは,イザナキがイザナミに会う舞台が,「殯斂(もがり)」の場になっている点だ。

 古代の人々は,人が死んでも,魂はすぐには離れないと考えていた。
 だから,埋葬する前に,魂が確実に離れていく時間が必要だ。それは,死体が腐っていく過程を確認し,人間が土くれに変化していく現実を受け入れる過程でもあった。

 死という現実を受け入れ,諦めに至るに必要な時間なのだった。

 それを殯(もがり)と言う。天皇が死んだときは,必ず殯が行われた。

 第5段第9の一書では殯の場が舞台になっているから,イザナキは黄泉国へ行かない。
 言ってみれば,黄泉国を舞台にした伝承を,日本書紀編纂当時行われていた殯の場に移してしまったのが,この異伝であるともいえる。

 日本書紀編纂者は,第9の一書を見て,「但(ただ)死る(まかる)に臨みて気絶ゆる際(いきたゆるきわ),是を謂うか」という一文を挿入したのだろう。


ヨモツヘグイと無関係な第5段第9の一書

 この第5段第9の一書には,ヨモツヘグイという言葉は出てこない。

 生きていた時の姿で再会したイザナミは,「請ふ,吾をな視ましそ」と言って,自分を見るなと禁ずるだけだ。

 ヨモツヘグイ,共食という古代的テーマは登場しないで,見るな,という禁止だけがテーマになっている。これは,形骸化した禁止だけを取り上げる,古事記的な問題提起の仕方だ。

 そして,イザナミの身体に生じた「八色の雷公(やくさのいかづち)」がイザナキを追ってくるのが古事記で使われたことは前述した。

 イザナキが桃の実を投げつけるとこの雷神たちが退散するのも,古事記が利用していた。

 このように,現実の「殯」の場を舞台にしたかなり新しい伝承には,ヨモツヘグイが登場しない。その内容も,形骸化した形式,「禁を破る」ということだけを問題にしている。

 これが,古事記の根本にある発想である。


「黄泉国巡り」は殯の場を前提にしているという学者さんの説

 だからこそ,古事記の「黄泉国巡り」について,これは殯(もがり)の場での儀礼が反映している,という学者さんも出てくるのだ。

 「黄泉国巡り」=殯説を提唱する学者さんや研究者は,古事記が,日本書紀第5段第6の一書と第9の一書とを下敷きにしていることを指摘しない。

 しかし,単に,その内容が古事記と重複しているというだけでなく,第5段第9の一書は,そのものズバリ,殯を舞台にしている。

 だから,殯における儀礼が古事記の「黄泉国巡り」に反映しているのは,当然なのだ。


青人草(人間)の登場

 さて,黄泉国巡りで忘れてはならないことがある。ここで初めて,人間が登場するのだ。

 イザナキは,追いかけてくる黄泉軍(よもついくさ)に,桃の実を投げて退散させる。
 そこでイザナキは,「汝,吾を助けしが如く,葦原中國にあらゆる現(うつ)しき青人草の,苦しき瀬に落ちて患ひ惚(なや)む時,助くべし。」と言う。

 私は,日本神話は人間の生成を考えていない,その意味で,本当の神話なのかと述べた。

 確かにそうだ。

 この場面は,私が言う,古事記の「神国日本」の国生みの途中だ。しかも,国土としての大八洲国と神々を生んではいるが,人間を生んだという叙述はどこにもない。

 国生みの途中で,いつの間にか,人間が生まれているのだ。


人を草と呼ぶ古事記ライターの精神

 人間に対する無関心。しかも,その名前は,「青人草」。
 人間など,そこらへんに生えている雑草,ぺんぺん草みたいなものだという発想。
 逆に,こうした(古事記の)日本神話を伝えた人々は,草や人間とは「違った存在」なのだという感覚。

 これはこれで,凄いことである。

 そしてその「青人草」は,(神話伝承が出来上がった)当時,雑草のように繁殖していたようである。

 次に述べるコトドワタシの場面で,イザナミは述べる。
 「愛(うつく)しき我が汝夫(なせ)の命,かく爲(せ)ば,汝(いまし)の國の人草,一日に千頭(ちがしら)絞(くび)り殺さむ。」

 これに対しイザナキは,「愛しき我が汝妹(なにも)の命,汝(いまし)然(しか)爲(せ)ば,吾一日に千五百(ちいほ)の産屋(うぶや)立てむ。」

 こうして,「一日に必ず千人死に,一日に必ず千五百人生まるるなり。」

 人間は,「人草」である。
 1日に1000人死んで,1500人生まれる,人口爆発の時代。
 数字を信用するわけではないが,それくらい,人口が増加していたのであろう。

 それは,後述するとおり,縄文文化に五穀と養蚕が入った,弥生時代の記憶であろう。


日本書紀は人を「国民」と呼ぶ

 さて,日本書紀はどうなっているか。

 人間を「青人草」,「人草」という精神。ぺんぺん草みたいに,どんどん増殖しているという精神。それが古事記の精神であった。

 この感覚は,日本書紀にはない。
 この場面を日本書紀で確認してみよう。

 日本書紀第5段第6の一書には,イザナキが桃を投げて追っ手を退散させたという場面はあるが,そこで人間は登場しない。
 イザナミが1000人殺すと言うならば,1500人生もうという場面に登場する。

 それは,「国民(くにひと)」(第5段第6の一書)。

 日本書紀は,中国大陸や朝鮮半島に対して自立した律令国家,「国」という観念がすでにあるのだ。

 だから,「国民」という言葉をあてている。

 これは,近代のフランス革命以降成立した,民族主義がからんだ「国民国家」というときの「国民」の概念とは違う。

 しかし,「国」という概念が成立した後に,そこに住む「民(たみ)」という意味での「国民」ではあろう。

 それが証拠に,スサノヲが泣き叫んで人をたくさん殺したという場面では,「国内の人民(ひとくさ)」(第5段本文)。

 「人民」は,もちろん,人民戦線というときの「人民」ではない。
 要するに,「国民」である。


日本書紀と古事記の人に対する態度の違い

 人を,「草」と同視する感覚。
 人を,「国民」と認識する感覚。

 これが,古事記と日本書紀との違いだ。

 人が繁殖している状態を,ぺんぺん草のように表現した古事記。
 この表現は,律令国家の下での人を,「国民」,「国内の人民(ひとくさ)」と表現した日本書紀を基準にして,前に来るのだろうか。後に来るのだろうか。

 私には,律令国家による,「国民」に対する租庸調,出挙の収奪体制が整った後のように思える。

 いかがであろうか。

 


トップページ( まえがき)

第1 私の立場と問題意識

第2 問題提起

第3 方法論の問題

第4 世界観と世界の生成

第5 神は死なない(神というもののあり方)

第6 原初神と生成神の誕生

第7 日本書紀における原初神と生成神の誕生

第8 修理固成の命令

第9 言葉に対して無神経な古事記(本当に古い文献か)

第10 古事記は伊勢神宮成立後の文献

第10の2 応神記の気比の大神について

第11 国生み叙述の根本的問題

第12 日本神話の読み方を考える(第1子は生み損ないか)

第13 生まれてきた国々を分析する

第14 国生みのあとの神生み

第15 火の神カグツチ「殺し」

第16 黄泉国巡り

第17 コトドワタシと黄泉国再説

第18 禊ぎによる神生みの問題点

第19 日本神話の故郷を探る

第20 大道芸人の紙芝居としての古事記

第21 アマテラスら3神の生成

第22 分治の命令

第23 日本神話の体系的理解(日本書紀を中心に)

第24 日本神話の構造と形成過程

第25 生まれたのは日の神であってアマテラスではない

第26 日の神の接ぎ木構造

第27 最高神?アマテラスの伝承が変容する

第28 泣くスサノヲとイザナキの肩書き

第29 日本神話学の見通しと方法論

第30 日本神話のコスモロジー

第31 誓約による神々の生成(日本書紀)

第32 誓約による神々の生成(古事記)

第33 天の岩屋戸神話と出雲神話が挿入された理由

第34 日本神話のバックグラウンド・縄文から弥生への物語
(日本書紀第5段第11の一書を中心に)


第35 海洋神アマテラスと産霊の神タカミムスヒ
(日本書紀を中心に)


第36 支配命令神は誰なのか(ねじれた接ぎ木構造)

第37 アマテラスとタカミムスヒの極めて危うい関係

第38 五穀と養蚕の文化に対する反逆とオオゲツヒメ

第39 スサノヲの乱暴

第40 「祭る神が祭られる神になった」という幻想

第41 天の石屋戸と祝詞

第42 スサノヲの追放とその論理(日本書紀を中心に)

第43 アマテラス神話は確立していない(日本書紀を中心に)

第44 出雲のスサノヲ

第45 異伝に残された縄文の神スサノヲ(日本書紀を中心に)

第46 スサノヲにおける縄文と弥生の交錯(大年神の系譜)

第47 別の顔をもつスサノヲ(日本書紀を中心に)

第48 オオクニヌシの試練物語のへんてこりん

第49 オオクニヌシの王朝物語

第50 日本書紀第8段第6の一書の構成意図と古事記の悪意

第51 スクナヒコナと神功皇后と応神天皇と朝鮮

第52 偉大なるオオナムチ神話(大八洲国を支配したオオナムチ)

第53 三輪山のオオナムチ(日本書紀第8段第6の一書から)

第54 古事記はどうなっているか

第55 偉大なるオオクニヌシ(オオナムチ)の正体(問題提起)

第56 偉大なるオオクニヌシの正体(崇神天皇5年以降)

第57 崇神天皇5年以降を読み解く

第58 国譲りという名の侵略を考える前提問題

第59 「皇祖」「皇孫」を奪い取る「皇祖神」タカミムスヒ
(国譲りという名の侵略の命令者)


第60 皇祖神タカミムスヒの根拠
(国譲りという名の侵略の命令者)


第61 古事記における命令神
(国譲りという名の侵略の命令者)


第62 第9段第1の一書という異伝中の異伝と古事記

第63 武神の派遣と失敗と「高木神」

第64 タケミカヅチの派遣(タケミカヅチはカグツチの子)

第65 フツヌシとタケミカヅチの異同

第66 コトシロヌシは託宣の神ではないしタケミナカタは漫画

第67 「オオクニヌシの国譲り」の叙述がない

第68 天孫降臨の叙述の構造

第69 サルタヒコの登場

第70 古事記独特の三種の神宝

第71 天孫はどこに降臨したのか

第72 「国まぎ」を切り捨てた古事記のへんてこりん
(天孫降臨のその他の問題点)


第73 国譲り伝承と天孫降臨伝承との間にある断層

第74 じつは侘しい天孫降臨と田舎の土豪神武天皇

第75 天孫土着の物語

第76 火明命とニギハヤヒ(第9段の異伝を検討する)

第77 日向神話の体系的理解

第78 騎馬民族はやって来たか

第79 三種の宝物再論

第80 日本神話の大きな構成(三輪山のオオナムチとの出会い)

第81 海幸彦・山幸彦の物語を検討する

第82 「居場所」のない古事記

第83 本居宣長について

第84 日本神話を論ずる際のルール

第85 神々の黄昏

あとがき

著作権の問題など

付録・初版の「結論とあとがき」


新論文
神功紀を読み解く
神功皇后のごり押しクーデター

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