日本書紀を読んで古事記神話を笑う

日本書紀を読んで古事記神話を笑う 改訂新版

2009年10月5日up
(物語読者として日本神話を解明する)


第33 天の岩屋戸神話と出雲神話が挿入された理由


根国行きを宣言されたスサノヲはなぜ天上界で暴れてから出雲に降るのか

 さて,誓約に勝ち,神々を生んだスサノヲは,根国へは降らない。出雲にも降らない。

 「高天原」の田を破壊したり,ひと暴れして,有名なアマテラスの天の石屋隠れを引き起こす。

 それは,皆さんご承知のとおり,アマテラスが出てきて,めでたしめでたしとなるのだが,その結果スサノヲは,「八百萬の神」により,「神逐らひ逐らひき」となって,ここでやっと出雲に降る。

 なぜさっさと出雲に降らないのだろうか。
 いや,なぜさっさと「根の堅州国」へ行かないのだろうか。


2つの疑問

 そもそもスサノヲは,「然らば天照大御神に請して罷らむ」とか,「罷り往かむ状(さま)を請さむと以為(おも)ひてこそ参上り(まいのぼり)つれ」という目的で,「高天原」に上ったのだった。

 日本書紀によればこうだ。

 「吾(あれ),今,教(みことのり)を奉(たてまつ)りて,將に根の國に就(ゆ)かんとす。故,暫く高天原に向いて姉(あねのみこと)と相い見(まみえ)て後に永(ひたぶる)に退(まか)らんと欲(おも)う」。

 アマテラスに挨拶するという用事は,済んだはずだ。ついでに神々まで生んでしまったが。

 挨拶し終わったのに,なぜ根国へ行かないのか。
 挨拶し終わったのに,なぜ出雲国に行くのか。古事記によれば,出雲国へ行ってから,やっと目的地「根の堅州国」に行ったことになっているのはなぜか。

 ここには,2つの追放がある。イザナキによる追放と,八百萬の神による追放。なぜ,この2つの追放があるのだろうか。

 また,根の堅州国ではなく,なぜ出雲に降るのだろうか。

 その理由は,「日本神話の体系的理解」や「誓約による神々の生成(日本書紀)」で,ある程度述べた。


アマテラスは五穀と養蚕の創始者であり弥生の神である

 さて,じつはアマテラスは,五穀と養蚕の神だ。弥生の神だ。
 日本書紀第5段第11の一書に,はっきりと書いてある。

 アマテラスの命令で葦原中国に派遣されたツクヨミは,ウケモチノカミ(保食神=うけもちのかみ)に会う。

 ウケモチノカミは,飯と魚と獣肉で,ツクヨミをもてなそうとする。しかしツクヨミは,これを殺す。その死体から,五穀が生まれる。

 アマテラスは,その五穀を喜んで,「顕見(うつしき)蒼生(あおひとくさ)の,食ひて(くらいて)活(い)くべきものなり」,すなわち被支配者たる人民(ひとくさ)が食べるものであると定めた。

 そして,「天邑君(あめのむらのきみ)」,すなわち天上界における村の長を定め,「天狭田(あまのさなだ)及び長田(ながた)」を作った。

 また,蚕も飼い始めて,養蚕が開始された。こうしてアマテラスは,五穀と養蚕の創始者となった。


支配命令の体系と権威的権力的支配的な伝承

 縄文時代にも稲作があったと言われている。

 だから,ウケモチノカミのもてなしのメインディッシュは,海でとってきた魚と,山でとってきた獣であると言える。ウケモチノカミは,狩猟採集社会の神なのだ。

 それを殺して,五穀と養蚕が生まれる。アマテラスがその創始者となる。
 この伝承は,縄文から弥生への変化を,ストレートに語っているのだ。

 しかも,ウケモチノカミを撃ち殺すという,血なまぐさい伝承だ。そうした眼でよく読み直すと,支配命令の体系が露骨な,権威的権力的支配的な伝承だ。

 権威的権力的支配的な人々が,武力で縄文社会を打ち倒し,弥生社会を打ち立てた。そんなことを考えさせる伝承である。


第7段のアマテラスも五穀と養蚕を営む神である

 ところで,第7段本文のアマテラスも,天上界で五穀を栽培し,養蚕を営んでいる。

 田の名前は「天狭田(あまのさなだ)・長田(ながた)」だ。同じ名前だ。

 ところが,誓約に勝ったスサノヲは,調子に乗って,アマテラスが大切にしていたこれらの田をめちゃくちゃにし,新嘗の祭りの神聖な場所に糞をし,その神聖を冒涜した。

 さらに,アマテラスが神衣(かんみそ)を織っているところへ,皮をはいだ天斑駒を放り投げ,機織りを妨害した。


スサノヲは五穀と養蚕を冒涜する神であり弥生文化を理解しない邪神である

 スサノヲは,五穀と養蚕を冒涜する神であり,弥生文化を理解しない邪神であり,それゆえに,天津罪(あまつつみ)を負って,祓われる神となる。

 だからこそ,国譲りという名の侵略が開始されるのだ。

 そのスサノヲが,侵略に先立って,次の第8段本文で出雲に降って,国の基礎を作る。
 その子オオナムチは,葦原中国を建設することになるのだ。

 こうして,「国譲りという名の侵略の対象」が用意される。

 そうした意味で,天石窟の話は,アマテラスの偉大さを称揚した物語ではない。
 主人公はあくまでもスサノヲだ。

 スサノヲが,アマテラスを体現する「五穀と養蚕」を冒涜することこそが,主題なのだ。これによって,「国譲りという名の侵略の理由」を語っているのだ。

 支配を正当化する神々を生んだ(第6段)あと,支配の理由を語る(第7段)。さらに,支配の対象となる国を語る(第8段)。

 こうして,国譲りという名の侵略と天孫降臨(第9段)になだれ込んでいく。


スサノヲは利用されているだけだ

 以上が,日本神話における「スサノヲ神話の本質」である。

 第5段までは,神の生成,神生み,国生み,国作りと,お話の舞台を提供しただけである。
 そして,物語の焦点は,国譲りという名の侵略と天孫降臨だ。

 スサノヲ神話は,そこに行くまでの,正当性の契機と,侵略の理由と,侵略の対象を作る,重要な物語となっている。

 スサノヲ神話こそが,「日本神話の結節点」である。

 そしてスサノヲは,要するに,日本神話において利用されているだけなのだ。

 誰によって? 日本書紀や古事記に残る伝承それ自体が,そうしたものとして作られているとしか言えない。

 だからこそスサノヲは,アマテラスに暇乞いをするなどと言って天上界に上り,神々を生成し,暴れて天の石屋の騒動を引き起こしたうえで,出雲に降るという,「大きな大きな回り道」をする。

 そして,古事記によれば,やっと,行きたいと願った「根の堅州国」に納まるのだった。

 スサノヲはトリックスターだと言う人がいる。間違いではないが,その内容を何も語っていない。

 では,いわゆる日向神話(日本書紀第10段),海幸彦・山幸彦の物語は,いったい何のためにあるのだろうか。
 それは後に検討しよう。


日本神話の体系的理解の中でとらえ直してみる

 くどいようだが,スサノヲは,イザナキから根国行きを命じられたくせに,天上界 → 出雲 → 根国という,「大きな大きな回り道」をする。

 その理由を,日本神話の体系的理解の中でとらえ直してみよう。
 重複するが,これが,日本神話の形成過程であり,「政治的神話」の実質である。

 日本神話の源流は,南九州の吾田にあった。海人の世界(海幸彦の世界)だった。

 そこには,イザナキ,イザナミ神話と日の神神話(のちにアマテラス神話に昇華する)があった。日向神話の核心である,海神神話もあった。

 そこに,タカミムスヒ神話を背負った山人(山幸彦)がやってきた。
 こうして,これらの神話が混交した。

 それは,日向神話として残されている。


ヤマトにおける日本神話の再構成

 これらの日本神話の原型を背負って,ヤマトにやってきたのが,神武天皇だ。

 しかしヤマトには,すでに,オオナムチ(オオクニヌシ)がいた(ヤマトのオオナムチについては後述する)。

 これは,スサノヲを祖とし,大八洲国全体を平定した,すでに権威を得た神話体系だった。

 そこで,出雲の神々を,神話の表舞台から退場させる必要が出てくる。
 新しいヤマトの政権の権威を,神話体系上,確立する必要が出てくる。

 日の神は,地元にいた日の神アマテラスが担うことになった。
 スサノヲは,アマテラスの兄弟とされ(前述したとおり,対等であることが必要),出来が悪いとされた。

 そしてイザナキにより,神話の表舞台から去るよう宣告される(第5段)。


狂言回しとしてのスサノヲの役割

 しかしスサノヲは,新たなる日本神話の舞台装置を整えなければならない。

 だから,寄り道して天上界に行き,アマテラスとの間に子を作る「正当性の契機」(第6段)。
 こうして,将来の国譲りという名の侵略(第9段)に備える。

 さらに,アマテラスに反逆して,侵略の理由を提供する(第7段)。

 出雲系の神々は,縄文系の神々だったのだ。それが,弥生系の文化をもったアマテラスに反逆するのだ。
 なお,弥生文化をもたらしたのは,本来は,朝鮮からやって来たタカミムスヒ(その文化は,南九州の吾田で日の神と混交していった)だったことは後述する(接ぎ木構造)。

 こうしてスサノヲは,神々によって祓われるが,それでも根国には行かない。
 まだまだ,新たなる日本神話の舞台装置を作らなければならないのだ。

 それは,侵略される対象,現実の人間が生きている国土,すなわち葦原中国の生成である(第8段)。

 こうして,神武天皇のヤマト侵入以前の大いなる神話,出雲神話が,日本神話に接ぎ木される。

 スサノヲが建国の基礎を築き,オオナムチ(オオクニヌシ)が,大八洲国を平定した物語が展開される。
 古事記は,オオクニヌシの王朝物語として,その伝承を残している。

 上記した意味で,スサノヲはトリックスターである。


神話の表舞台から退場する出雲系の神々

 こうして,新たなる日本神話の舞台装置を作り終わったスサノヲは,やっと,根国に「隠れる」。

 一方,オオナムチ(オオクニヌシ)も,国譲りという名の侵略を終えて,やはり「隠れる」。

 こうして,出雲系の神々は,日本神話の表舞台から去った。退場した。

 スサノヲは,狂言回しの役割を担っているにすぎない。


政治的神話の内実

 以上のまとめからわかるとおり,イザナキ,イザナミ神話,日の神神話(のちにアマテラス神話に昇華する),タカミムスヒ神話,日向神話は,日本神話の原型として,南九州の吾田に存在した伝承である。

 もちろん,日の神とタカミムスヒが混交する物語として,日向神話も生成されていた。

 一方で,これとはまったく別に,偉大なる出雲神話があった。

 それが,神武天皇の「東征」により,ヤマトで混交する。
 それが事実かどうかは今後の検証にかかっているが,少なくとも,日本神話の構成は,そうなっている。

 新たなる日本神話の舞台装置が作られたのは,ヤマトにおいてである。

 こうした意味で日本神話は,「政治的神話」なのである。

 単に,天皇礼賛という意味ではない。

 


トップページ( まえがき)

第1 私の立場と問題意識

第2 問題提起

第3 方法論の問題

第4 世界観と世界の生成

第5 神は死なない(神というもののあり方)

第6 原初神と生成神の誕生

第7 日本書紀における原初神と生成神の誕生

第8 修理固成の命令

第9 言葉に対して無神経な古事記(本当に古い文献か)

第10 古事記は伊勢神宮成立後の文献

第10の2 応神記の気比の大神について

第11 国生み叙述の根本的問題

第12 日本神話の読み方を考える(第1子は生み損ないか)

第13 生まれてきた国々を分析する

第14 国生みのあとの神生み

第15 火の神カグツチ「殺し」

第16 黄泉国巡り

第17 コトドワタシと黄泉国再説

第18 禊ぎによる神生みの問題点

第19 日本神話の故郷を探る

第20 大道芸人の紙芝居としての古事記

第21 アマテラスら3神の生成

第22 分治の命令

第23 日本神話の体系的理解(日本書紀を中心に)

第24 日本神話の構造と形成過程

第25 生まれたのは日の神であってアマテラスではない

第26 日の神の接ぎ木構造

第27 最高神?アマテラスの伝承が変容する

第28 泣くスサノヲとイザナキの肩書き

第29 日本神話学の見通しと方法論

第30 日本神話のコスモロジー

第31 誓約による神々の生成(日本書紀)

第32 誓約による神々の生成(古事記)

第33 天の岩屋戸神話と出雲神話が挿入された理由

第34 日本神話のバックグラウンド・縄文から弥生への物語
(日本書紀第5段第11の一書を中心に)


第35 海洋神アマテラスと産霊の神タカミムスヒ
(日本書紀を中心に)


第36 支配命令神は誰なのか(ねじれた接ぎ木構造)

第37 アマテラスとタカミムスヒの極めて危うい関係

第38 五穀と養蚕の文化に対する反逆とオオゲツヒメ

第39 スサノヲの乱暴

第40 「祭る神が祭られる神になった」という幻想

第41 天の石屋戸と祝詞

第42 スサノヲの追放とその論理(日本書紀を中心に)

第43 アマテラス神話は確立していない(日本書紀を中心に)

第44 出雲のスサノヲ

第45 異伝に残された縄文の神スサノヲ(日本書紀を中心に)

第46 スサノヲにおける縄文と弥生の交錯(大年神の系譜)

第47 別の顔をもつスサノヲ(日本書紀を中心に)

第48 オオクニヌシの試練物語のへんてこりん

第49 オオクニヌシの王朝物語

第50 日本書紀第8段第6の一書の構成意図と古事記の悪意

第51 スクナヒコナと神功皇后と応神天皇と朝鮮

第52 偉大なるオオナムチ神話(大八洲国を支配したオオナムチ)

第53 三輪山のオオナムチ(日本書紀第8段第6の一書から)

第54 古事記はどうなっているか

第55 偉大なるオオクニヌシ(オオナムチ)の正体(問題提起)

第56 偉大なるオオクニヌシの正体(崇神天皇5年以降)

第57 崇神天皇5年以降を読み解く

第58 国譲りという名の侵略を考える前提問題

第59 「皇祖」「皇孫」を奪い取る「皇祖神」タカミムスヒ
(国譲りという名の侵略の命令者)


第60 皇祖神タカミムスヒの根拠
(国譲りという名の侵略の命令者)


第61 古事記における命令神
(国譲りという名の侵略の命令者)


第62 第9段第1の一書という異伝中の異伝と古事記

第63 武神の派遣と失敗と「高木神」

第64 タケミカヅチの派遣(タケミカヅチはカグツチの子)

第65 フツヌシとタケミカヅチの異同

第66 コトシロヌシは託宣の神ではないしタケミナカタは漫画

第67 「オオクニヌシの国譲り」の叙述がない

第68 天孫降臨の叙述の構造

第69 サルタヒコの登場

第70 古事記独特の三種の神宝

第71 天孫はどこに降臨したのか

第72 「国まぎ」を切り捨てた古事記のへんてこりん
(天孫降臨のその他の問題点)


第73 国譲り伝承と天孫降臨伝承との間にある断層

第74 じつは侘しい天孫降臨と田舎の土豪神武天皇

第75 天孫土着の物語

第76 火明命とニギハヤヒ(第9段の異伝を検討する)

第77 日向神話の体系的理解

第78 騎馬民族はやって来たか

第79 三種の宝物再論

第80 日本神話の大きな構成(三輪山のオオナムチとの出会い)

第81 海幸彦・山幸彦の物語を検討する

第82 「居場所」のない古事記

第83 本居宣長について

第84 日本神話を論ずる際のルール

第85 神々の黄昏

あとがき

著作権の問題など

付録・初版の「結論とあとがき」


新論文
神功紀を読み解く
神功皇后のごり押しクーデター

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