日本書紀を読んで古事記神話を笑う

日本書紀を読んで古事記神話を笑う 改訂新版

2009年10月5日up
(物語読者として日本神話を解明する)


第74 じつは侘しい天孫降臨と田舎の土豪神武天皇


天孫降臨のまとめ

 さらに,天孫降臨を,主に日本書紀によって振り返ってみよう。

 「八十諸神を召し集へて」,「諸神を会へて」議論したあげく,アメノホヒやアメワカヒコを先兵として派遣してもらったが,駄目だった。

 「更に諸神を会へて」フツヌシとタケミカヅチを派遣してもらい,怖い出雲を平定してもらい,やっと何の障害物もなくなった。

 そこで,タカミムスヒに「真床追衾(まとこおうふすま)」にくるんでもらい,「天磐座(あまのいわくら)」を押し離ち,「天八重雲(あまのやえたなぐも)」を押し分けて,「稜威の道別に道別て(いつのちわきにちわきて)」,天降ったのだった。


誰も見ていてくれなかった(復習)

 ところが降臨した場所は,その様子を目撃し,神として崇め奉ってくれる人が,1人としていないところだった。

 「天磐座(あまのいわくら)」を押し離ち,「天八重雲(あまのやえたなぐも)」を押し分けて,「稜威の道別に道別て(いつのちわきにちわきて)」天降った様子を見てくれる人は,まったくいなかった。

 一書という異伝によれば,五部神が付き従ったようだが,勇ましい出で立ちも,誇示する群衆がいなければ空振りだ。

 降臨の様子を見て,天孫ニニギに帰依する人もいなかったのだ。


人っ子1人いない僻地に降臨した(復習)

 その後天孫ニニギが,国を求めて何キロ歩いたかはわからない。

 「膂宍の空国」または「膂宍の胸副国」というからには,田も畑もない,人っ子1人いない僻地だったのだ。

 「吾田の長屋の笠狭碕」まで来て,やっと事勝国勝長狭に出会う。事勝国勝長狭は,国を献上すると言うが,逆に言えば,それまで国らしい国など,まったくなかったということだ。

 日本書紀の叙述から考えれば,天孫ニニギは,国もない僻地に降臨したと断言するしかない。

 だから,当時の文明の中心地,人口の密集地帯である北九州の糸島半島に降臨したというのは,間違いだ。


神話としてとても変だ(復習)

 よくもまあ,わざわざ選んで,風がびゅうびゅう吹いているような,うら寂しいところに降臨したものだ。

 神は,人々のいるところに華々しく降臨してくるからこそ,感動をよび起こす。

 キリスト教の神は,人々の前に現れて奇跡を起こす。
 だからこそ神として認められる。

 これが,神の成立根拠であり,存在的根拠だろう。

 だから,人のいないところ,すなわち感動によって天孫降臨を証明する人々のいない所をわざわざ選んで降臨すること自体,神話としてとても変なのだ。

 人に見られたくなかったのかしらん,という疑念さえわいてくる。


天孫ニニギの事績なんかなにもない(復習)

 その後,吾田のカシツヒメ(鹿葦津姫=かしつひめ)という美女に出会って子供を作るのだから,何もないところでもなさそうだ。

 結局,天孫ニニギは,田舎をさまよったあげく,やっと国を探し当てて,3人の子を作って死ぬだけだ。

 これが,華々しい天孫降臨の結果なのか。

 アマテラス中心に語られ,天壌無窮の神勅さえ出てくる日本書紀第9段第1の一書の華々しさ。古事記の天孫降臨のにぎにぎしさ。

 いったいどうしてくれるのだろうか。
 天孫ニニギは,騙されたようなものではないか。

 葦原中国は天孫のものだという神勅は,結局果たされなかった。天孫降臨は,掛け声倒れの失敗だ。

 天孫ニニギは,誰も見てくれない田舎に降って,荒野をさまよった(国まぎ)うえ,事勝国勝長狭から小さな国を献上されただけで,吾田の田舎で,寂しく息を引き取ったのだ。


古事記ライターの気持ち(復習)

 古事記ライターは,国も何もない,このうら寂しさが許せなかったのだろう。

 前述したとおり,だからこそ,「国まぎ」場面,をばっさりと削除してしまった。

 そして降臨の地で,直ちに,「此地は韓国(からくに)に向ひ,……此地は甚吉き地(いとよきち)」と述べさせて,いかにも素晴らしい地に降り立ったように見せかける。

 そればかりか,その地に,宮を作らせてしまった。

 一方で,国を求めて歩いたという,いわゆる「国まぎ」の部分をカットしているので,日向に降った天孫ニニギが突然吾田に出現し,その地の美人と結婚して子孫を儲けるという,わけのわからぬ展開になったことは,前述した。

 私には,この,古事記ライターの気持ちが,痛いほどわかる。


「179万2470年」後と書いた日本書紀編纂者

 冷静に「叙述」を読み取るならば,国譲りという名の侵略どころか,天孫降臨も,掛け声倒れの失敗だ。

 神勅どおりにいかなかったことは明白だ。権威失墜も甚だしい。

 こんな神話が,なぜ,戦前に宣伝できたのだろうか。なぜみんな,信じ込んだのだろうか。

 いったい,日本書紀編纂者は,なぜこんな叙述をしたのだろうか。

 私は,それだけ客観的で優秀な頭をもった人たちだったからだと考える。

 彼らは,神武東征が,いわゆる天孫降臨の「179万2470年余り」のちであると叙述することにより,神々の時代と現実の天皇の時代とを,明確に区別した。


「179万2470年」後の意味

 それは,神々の時代と神武天皇以下の時代とはまったく異なるし,因果関係さえない,という意思表示だった。
 神々の時代を叙述したけれども,それはフィクションであって,逆に,神武天皇以下から,現実の歴史時代が始まるという主張であった。

 仕事としては,「これでいいのだ」。

 これで,天皇の系譜の面目は立つ。日本書紀編纂者たちの,官僚としての仕事も,きちんと行ったことになる。しかも,当代一流の文化を身につけた学者という誇りも,傷つかない。

 誇りある日本書紀編纂者たちは,「神武東征」が,神話時代から「179万2470年余り」のちであると叙述することにより,知識人としての良心を守ったのだ。


日向神話は天孫土着の物語であり天皇の血の源泉を語っている

 じつは,このうら淋しさの背景には,前述した,「国譲り伝承と天孫降臨伝承との間にある断層」がある。

 そして,そうした眼で日本書紀の天孫降臨だけを読むと,意外にも,伝承の古い姿が見えてくる(国まぎを削除した古事記は駄目である)。

 朝鮮からやってきた人々は,何もないところを「国まぎ」してさまよった末,南九州の吾田に土着したのだ。
 そこは,「海人の世界」だった。イザナキとイザナミがいる世界だった。

 こうして,吾田に定着した人々は,海人と交わって混交していく。

 それが,海神との血を深めていく,「日向神話」である。
 その「日向神話」には,山幸彦(朝鮮系)と海幸彦(土着系)との対立まで明記されている。

 こうして,「179万2470年余り」たったのち,神武天皇は「東征」する。

 それは,日本神話の原型を背負った「東征」であった。

 神武天皇の前に「神代」という神話が置かれている理由は,単に,権威のためだけではない。
 神武天皇以降の,血の源泉を述べるために,必須の伝承だったのだ。


オオナムチがいないところに降臨した

 さて,なぜヤマトにストレートに降臨しなかったのかとか,なぜ侵略した出雲に降臨できなかったのかという問題がある。

 それは,裏を返せば,なぜ南九州に降臨できたのかという問題でもある。

 その答えも,ほぼ出ている。

 出雲やヤマトには,はすでにオオナムチがいた。だから降臨できなかったのである。これは前述した。

 北九州の「筑紫国」もそうだ。

 そこは,崇神天皇60年7月で検討したとおり,出雲振根(いずものふるね)が,「筑紫国に往りて」,「筑紫より還り来き」たくらい,出雲から自由に通行できる地域だった。

 出雲が支配している地域だった。オオナムチが支配している地域だった。

 そして,出雲を屈服させたのち,次の天皇,垂仁天皇が,相撲の起源で有名な,出雲の「野見宿禰(のみのすくね)」を召すことができたのである。

 南九州に降臨できたのは,オオナムチの支配が,そこまでは及んでいなかったからだ。
 こうした意味でも,天孫降臨北九州説は,誤りなのである。

 九州王朝説も,出雲との関係を無視している点で,不完全である。


神武天皇は片田舎の単なる土豪

 こうして見てくると,神武天皇は,南九州西岸の僻地,吾田にいた,小さな土豪にすぎない。

 国譲りという名の侵略と,天孫降臨という虚構を取り払ってしまえば,裸の「神武天皇」が,くっきりと浮かびあがってくる。

 南九州の吾田という僻地。

 これ以外の大八洲国の全部は,ほぼ,オオナムチとその子孫が押さえていた。正確に言えば,オオナムチとその子孫神をいつき祭る人々が支配していたと言えるだろう。

 それが,政治的統一体だったとは言わない。そこまではわからない。

 とにかく,高志のヌナカワヒメ(沼河比賣)への夜這いができるくらいの広がりで,オオナムチ信仰が,大八洲国全体に広まっていたことは確かだ。

 南九州の西海岸の小土豪がヤマトまでやって来て,ヤマト盆地のごく一部を平定したというのが,「神武東征」物語なのだ。

 そして彼らは,新しい神をもっていた。吾田地方で混交した,日の神とタカミムスヒだ。日の神は,後にアマテラスと呼ばれた。

 そして,ヤマトで,オオナムチとも混交していく。
 これについては,日向神話を語るときに,じっくりと検討しよう。


トップページ( まえがき)

第1 私の立場と問題意識

第2 問題提起

第3 方法論の問題

第4 世界観と世界の生成

第5 神は死なない(神というもののあり方)

第6 原初神と生成神の誕生

第7 日本書紀における原初神と生成神の誕生

第8 修理固成の命令

第9 言葉に対して無神経な古事記(本当に古い文献か)

第10 古事記は伊勢神宮成立後の文献

第10の2 応神記の気比の大神について

第11 国生み叙述の根本的問題

第12 日本神話の読み方を考える(第1子は生み損ないか)

第13 生まれてきた国々を分析する

第14 国生みのあとの神生み

第15 火の神カグツチ「殺し」

第16 黄泉国巡り

第17 コトドワタシと黄泉国再説

第18 禊ぎによる神生みの問題点

第19 日本神話の故郷を探る

第20 大道芸人の紙芝居としての古事記

第21 アマテラスら3神の生成

第22 分治の命令

第23 日本神話の体系的理解(日本書紀を中心に)

第24 日本神話の構造と形成過程

第25 生まれたのは日の神であってアマテラスではない

第26 日の神の接ぎ木構造

第27 最高神?アマテラスの伝承が変容する

第28 泣くスサノヲとイザナキの肩書き

第29 日本神話学の見通しと方法論

第30 日本神話のコスモロジー

第31 誓約による神々の生成(日本書紀)

第32 誓約による神々の生成(古事記)

第33 天の岩屋戸神話と出雲神話が挿入された理由

第34 日本神話のバックグラウンド・縄文から弥生への物語
(日本書紀第5段第11の一書を中心に)


第35 海洋神アマテラスと産霊の神タカミムスヒ
(日本書紀を中心に)


第36 支配命令神は誰なのか(ねじれた接ぎ木構造)

第37 アマテラスとタカミムスヒの極めて危うい関係

第38 五穀と養蚕の文化に対する反逆とオオゲツヒメ

第39 スサノヲの乱暴

第40 「祭る神が祭られる神になった」という幻想

第41 天の石屋戸と祝詞

第42 スサノヲの追放とその論理(日本書紀を中心に)

第43 アマテラス神話は確立していない(日本書紀を中心に)

第44 出雲のスサノヲ

第45 異伝に残された縄文の神スサノヲ(日本書紀を中心に)

第46 スサノヲにおける縄文と弥生の交錯(大年神の系譜)

第47 別の顔をもつスサノヲ(日本書紀を中心に)

第48 オオクニヌシの試練物語のへんてこりん

第49 オオクニヌシの王朝物語

第50 日本書紀第8段第6の一書の構成意図と古事記の悪意

第51 スクナヒコナと神功皇后と応神天皇と朝鮮

第52 偉大なるオオナムチ神話(大八洲国を支配したオオナムチ)

第53 三輪山のオオナムチ(日本書紀第8段第6の一書から)

第54 古事記はどうなっているか

第55 偉大なるオオクニヌシ(オオナムチ)の正体(問題提起)

第56 偉大なるオオクニヌシの正体(崇神天皇5年以降)

第57 崇神天皇5年以降を読み解く

第58 国譲りという名の侵略を考える前提問題

第59 「皇祖」「皇孫」を奪い取る「皇祖神」タカミムスヒ
(国譲りという名の侵略の命令者)


第60 皇祖神タカミムスヒの根拠
(国譲りという名の侵略の命令者)


第61 古事記における命令神
(国譲りという名の侵略の命令者)


第62 第9段第1の一書という異伝中の異伝と古事記

第63 武神の派遣と失敗と「高木神」

第64 タケミカヅチの派遣(タケミカヅチはカグツチの子)

第65 フツヌシとタケミカヅチの異同

第66 コトシロヌシは託宣の神ではないしタケミナカタは漫画

第67 「オオクニヌシの国譲り」の叙述がない

第68 天孫降臨の叙述の構造

第69 サルタヒコの登場

第70 古事記独特の三種の神宝

第71 天孫はどこに降臨したのか

第72 「国まぎ」を切り捨てた古事記のへんてこりん
(天孫降臨のその他の問題点)


第73 国譲り伝承と天孫降臨伝承との間にある断層

第74 じつは侘しい天孫降臨と田舎の土豪神武天皇

第75 天孫土着の物語

第76 火明命とニギハヤヒ(第9段の異伝を検討する)

第77 日向神話の体系的理解

第78 騎馬民族はやって来たか

第79 三種の宝物再論

第80 日本神話の大きな構成(三輪山のオオナムチとの出会い)

第81 海幸彦・山幸彦の物語を検討する

第82 「居場所」のない古事記

第83 本居宣長について

第84 日本神話を論ずる際のルール

第85 神々の黄昏

あとがき

著作権の問題など

付録・初版の「結論とあとがき」


新論文
神功紀を読み解く
神功皇后のごり押しクーデター

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