日本書紀を読んで古事記神話を笑う 改訂新版 |
2009年10月5日up | (物語読者として日本神話を解明する) |
さらに,天孫降臨を,主に日本書紀によって振り返ってみよう。 「八十諸神を召し集へて」,「諸神を会へて」議論したあげく,アメノホヒやアメワカヒコを先兵として派遣してもらったが,駄目だった。 「更に諸神を会へて」フツヌシとタケミカヅチを派遣してもらい,怖い出雲を平定してもらい,やっと何の障害物もなくなった。 そこで,タカミムスヒに「真床追衾(まとこおうふすま)」にくるんでもらい,「天磐座(あまのいわくら)」を押し離ち,「天八重雲(あまのやえたなぐも)」を押し分けて,「稜威の道別に道別て(いつのちわきにちわきて)」,天降ったのだった。
ところが降臨した場所は,その様子を目撃し,神として崇め奉ってくれる人が,1人としていないところだった。 「天磐座(あまのいわくら)」を押し離ち,「天八重雲(あまのやえたなぐも)」を押し分けて,「稜威の道別に道別て(いつのちわきにちわきて)」天降った様子を見てくれる人は,まったくいなかった。 一書という異伝によれば,五部神が付き従ったようだが,勇ましい出で立ちも,誇示する群衆がいなければ空振りだ。 降臨の様子を見て,天孫ニニギに帰依する人もいなかったのだ。
その後天孫ニニギが,国を求めて何キロ歩いたかはわからない。 「膂宍の空国」または「膂宍の胸副国」というからには,田も畑もない,人っ子1人いない僻地だったのだ。 「吾田の長屋の笠狭碕」まで来て,やっと事勝国勝長狭に出会う。事勝国勝長狭は,国を献上すると言うが,逆に言えば,それまで国らしい国など,まったくなかったということだ。 日本書紀の叙述から考えれば,天孫ニニギは,国もない僻地に降臨したと断言するしかない。 だから,当時の文明の中心地,人口の密集地帯である北九州の糸島半島に降臨したというのは,間違いだ。
よくもまあ,わざわざ選んで,風がびゅうびゅう吹いているような,うら寂しいところに降臨したものだ。 神は,人々のいるところに華々しく降臨してくるからこそ,感動をよび起こす。 キリスト教の神は,人々の前に現れて奇跡を起こす。 これが,神の成立根拠であり,存在的根拠だろう。 だから,人のいないところ,すなわち感動によって天孫降臨を証明する人々のいない所をわざわざ選んで降臨すること自体,神話としてとても変なのだ。 人に見られたくなかったのかしらん,という疑念さえわいてくる。
その後,吾田のカシツヒメ(鹿葦津姫=かしつひめ)という美女に出会って子供を作るのだから,何もないところでもなさそうだ。 結局,天孫ニニギは,田舎をさまよったあげく,やっと国を探し当てて,3人の子を作って死ぬだけだ。 これが,華々しい天孫降臨の結果なのか。 アマテラス中心に語られ,天壌無窮の神勅さえ出てくる日本書紀第9段第1の一書の華々しさ。古事記の天孫降臨のにぎにぎしさ。 いったいどうしてくれるのだろうか。 葦原中国は天孫のものだという神勅は,結局果たされなかった。天孫降臨は,掛け声倒れの失敗だ。 天孫ニニギは,誰も見てくれない田舎に降って,荒野をさまよった(国まぎ)うえ,事勝国勝長狭から小さな国を献上されただけで,吾田の田舎で,寂しく息を引き取ったのだ。
古事記ライターは,国も何もない,このうら寂しさが許せなかったのだろう。 前述したとおり,だからこそ,「国まぎ」場面,をばっさりと削除してしまった。 そして降臨の地で,直ちに,「此地は韓国(からくに)に向ひ,……此地は甚吉き地(いとよきち)」と述べさせて,いかにも素晴らしい地に降り立ったように見せかける。 そればかりか,その地に,宮を作らせてしまった。 一方で,国を求めて歩いたという,いわゆる「国まぎ」の部分をカットしているので,日向に降った天孫ニニギが突然吾田に出現し,その地の美人と結婚して子孫を儲けるという,わけのわからぬ展開になったことは,前述した。 私には,この,古事記ライターの気持ちが,痛いほどわかる。
冷静に「叙述」を読み取るならば,国譲りという名の侵略どころか,天孫降臨も,掛け声倒れの失敗だ。 神勅どおりにいかなかったことは明白だ。権威失墜も甚だしい。 こんな神話が,なぜ,戦前に宣伝できたのだろうか。なぜみんな,信じ込んだのだろうか。 いったい,日本書紀編纂者は,なぜこんな叙述をしたのだろうか。 私は,それだけ客観的で優秀な頭をもった人たちだったからだと考える。 彼らは,神武東征が,いわゆる天孫降臨の「179万2470年余り」のちであると叙述することにより,神々の時代と現実の天皇の時代とを,明確に区別した。
それは,神々の時代と神武天皇以下の時代とはまったく異なるし,因果関係さえない,という意思表示だった。 仕事としては,「これでいいのだ」。 これで,天皇の系譜の面目は立つ。日本書紀編纂者たちの,官僚としての仕事も,きちんと行ったことになる。しかも,当代一流の文化を身につけた学者という誇りも,傷つかない。 誇りある日本書紀編纂者たちは,「神武東征」が,神話時代から「179万2470年余り」のちであると叙述することにより,知識人としての良心を守ったのだ。
じつは,このうら淋しさの背景には,前述した,「国譲り伝承と天孫降臨伝承との間にある断層」がある。 そして,そうした眼で日本書紀の天孫降臨だけを読むと,意外にも,伝承の古い姿が見えてくる(国まぎを削除した古事記は駄目である)。 朝鮮からやってきた人々は,何もないところを「国まぎ」してさまよった末,南九州の吾田に土着したのだ。 こうして,吾田に定着した人々は,海人と交わって混交していく。 それが,海神との血を深めていく,「日向神話」である。 こうして,「179万2470年余り」たったのち,神武天皇は「東征」する。 それは,日本神話の原型を背負った「東征」であった。 神武天皇の前に「神代」という神話が置かれている理由は,単に,権威のためだけではない。
さて,なぜヤマトにストレートに降臨しなかったのかとか,なぜ侵略した出雲に降臨できなかったのかという問題がある。 それは,裏を返せば,なぜ南九州に降臨できたのかという問題でもある。 その答えも,ほぼ出ている。 出雲やヤマトには,はすでにオオナムチがいた。だから降臨できなかったのである。これは前述した。 北九州の「筑紫国」もそうだ。 そこは,崇神天皇60年7月で検討したとおり,出雲振根(いずものふるね)が,「筑紫国に往りて」,「筑紫より還り来き」たくらい,出雲から自由に通行できる地域だった。 出雲が支配している地域だった。オオナムチが支配している地域だった。 そして,出雲を屈服させたのち,次の天皇,垂仁天皇が,相撲の起源で有名な,出雲の「野見宿禰(のみのすくね)」を召すことができたのである。 南九州に降臨できたのは,オオナムチの支配が,そこまでは及んでいなかったからだ。 九州王朝説も,出雲との関係を無視している点で,不完全である。
こうして見てくると,神武天皇は,南九州西岸の僻地,吾田にいた,小さな土豪にすぎない。 国譲りという名の侵略と,天孫降臨という虚構を取り払ってしまえば,裸の「神武天皇」が,くっきりと浮かびあがってくる。 南九州の吾田という僻地。 これ以外の大八洲国の全部は,ほぼ,オオナムチとその子孫が押さえていた。正確に言えば,オオナムチとその子孫神をいつき祭る人々が支配していたと言えるだろう。 それが,政治的統一体だったとは言わない。そこまではわからない。 とにかく,高志のヌナカワヒメ(沼河比賣)への夜這いができるくらいの広がりで,オオナムチ信仰が,大八洲国全体に広まっていたことは確かだ。 南九州の西海岸の小土豪がヤマトまでやって来て,ヤマト盆地のごく一部を平定したというのが,「神武東征」物語なのだ。 そして彼らは,新しい神をもっていた。吾田地方で混交した,日の神とタカミムスヒだ。日の神は,後にアマテラスと呼ばれた。 そして,ヤマトで,オオナムチとも混交していく。 |
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