日本書紀を読んで古事記神話を笑う

日本書紀を読んで古事記神話を笑う 改訂新版

2009年10月5日up
(物語読者として日本神話を解明する)


第42 スサノヲの追放とその論理(日本書紀を中心に)


スサノヲの追放の仕方を考える

 さて,スサノヲ追放の理由が,「五穀と養蚕」に反逆した点にあることはすでに述べた。

 そしてスサノヲは,「祓われて」,根国に行くのだ。
 根国とは,祓われた者が行く世界だ。

 また,日本神話の体系という観点から考えれば,この場面が,国譲りという名の侵略と天孫降臨の理由や口実を構成することも,すでに述べた。

 ここでの問題は,スサノヲの追放のされ方だ。

 @「千位の置戸(ちくらのおきど)」を科され,A髭を抜かれ,手足の爪も抜かれて追放される。

 いったい何のことだろうか。何の意味があるのだろうか。これも,古事記だけを読んでいては,決してわからない。


千座置戸を考える・これはいったい何なのか

 「千座置戸(ちくらおきど)」は,大祓祝詞によれば「千座置座」だ。
 「置座」は物を置く台。「千座」は,その数が多いことだ。

 要するに,お供え物を置く台がたくさん並んでいる様をいうのだろう。

 どうも,「祓え」といっても,一定の「財産」を差し出さなければならなかったようだ。
 幣(ぬさ)をフリフリして,「はーらいたーまえ,きーよめたまえ。」と言ってすむ問題ではなかったようだ。

 宗教といっても,きれい事ではないようで・・・。
 幣フリフリで終わりという思い込みがあるのは,現代人だけであろう。


千座置戸を考える・考える意味と意義

 では「千座置戸(ちくらおきど)」とは,いったい何なのか。

 民事罰,すなわち損害賠償なのか。
 刑事罰,すなわちお金を払ってすませられるが,きっちり「前科」となる,「罰金」なのか。

 とにかく,民事と刑事と宗教と道徳とが,明確に分離していなかった時代の罰である。

 法律学を学ぶ人にとっては,法律の根本的な意味や意義,法律と道徳の関係,法律と宗教との関係などを学ぶうえで,とても面白い題材である。

 そして,歴史上,宗教が,これら全体の上に,傘を広げるように絡んできたこと。

 そうした視点で,考えることができる。


千座置戸を考える・民事の損害賠償的な祓え

 とにかく,祓えといっても,幣だけでは済まなかった。財産を差し出す必要があった。

 これを明確に説明しているのが,日本書紀履中天皇5年3月から10月の叙述だ。

 突然,宗像3神が宮中に現れて,「何ぞ我が民を奪ひたまふ」と述べる。しかし履中天皇は,「祷(いの)りて祠(まつ)らず」。
 (祈っただけじゃ駄目なんだって。現代人じゃあるまいし。おまえ,甘いぞ。)

 その結果,一人の皇妃(みめ)が死んでしまった(ああ,思ったとおりだ)。

 その原因は,車持君(くるまもちのきみ)が筑紫国へ行って,車持部を勝手に管理し,宗像神社の神戸(かんべ。宗像神社に貢納する民)を奪ったことにあった。

 そこで履中天皇は,「悪解除(あしはらえ)・善解除(よしはらえ)を負せて(おおせて)」禊ぎ祓いをさせた。

 さて,これは,宗像神社が所有する(当時,所有という観念はなかっただろうが)神戸という財産を奪ったことに対する,損害賠償としての祓えである。

 民事的な祓えである。


千座置戸を考える・刑事の罰金的な祓え

 一方,雄略天皇13年3月には,采女(うねめ)を犯した「歯田根命(はたねのみこと)」が,馬8匹と太刀8本を納めて,「罪過(つみ)を祓除ふ(はらう)」とある。

 采女は,天皇の財産である。諸国の豪族から,容姿端麗で教養もあり,場合によっては「お手つき」ありという条件で差し出させた,天皇の所有物である。

 それに手を出すのは,天皇の財産権への侵害という意味では,民事的違法行為である。
 しかし,その女性を「犯した」となると,刑事的違法行為のようである。

 ただ,その女性=采女中心に物事を考えている時代ではない。采女が「犯され」ても,たとえ殺されても,采女自身の損害が問題となるのではない。

 視点は天皇である。

 天皇という点から考えると,単なる財産権の侵害(采女は,天皇に奉仕する,ぺんぺん草のような「青人草」でしかなく,場合によっては,天皇の布団や枕になる存在,という感覚)でしかない。民事の問題である。

 いや,天皇の財産を中心とした社会秩序を犯すと考えれば,単なる民事的違法行為ではなく,刑事犯だ。天皇を頂点とした支配体制を攪乱する,社会に対する罪である。

 采女という点から考える。
 私は,天皇に身を差し出した。だからこそ,こんなことがあっては困る。天皇のお手つきになるならともかく(本当はそれが望みで,美人の友人と競っているのだが),これでは,わざわざ都に出てきた意味がないではないか。治安を守ってほしい。

 こう考えるならば,やはり,社会に対する罪になるのだろう。

 自分の操を汚されたという意識は,なかっただろう。
 采女を犯すことは,いずれにせよ,刑事犯なのだ。
 雄略天皇13年3月は,刑事の罰金的な祓えを述べていると言えるだろう。


神社にも権威と権力があった

 このように,古代社会は,民事と刑事が分離していない社会だった。その上に,神をはじめとした宗教的イデオロギーが,傘のように広がっている社会だった。

 そして,大事なことは,神を中心とした神社が,すでに,宗教的権威のみならず,世俗的権威と権力も獲得していたということだ。

 日本書紀履中天皇5年3月から10月にいう,「悪解除・善解除を負せて」とは,神に対して行った罪を贖うために,お供え物を出して行うお祓いのことだ。
 饅頭1つではない。それ相当の財産だ。これが,禊ぎ祓いと共に行われるのだ。

 現代のように,饅頭1つお供えしただけでは駄目であって,宗像神社に財産を提出しなければならなかったのだ。

 神社にも権威と権力があった。人も集まっていた。だから,財政基盤もあったのだ。

 この履中紀の叙述に出てくるとおり,宗像3神を含めた当時の神社は,貢納する民(神戸)をもつ,それ相当の権力者だった。
 自分が所有する民を奪ったと言って,天皇に対して神罰を降すほどの権力をもっていたのだ。

 履中天皇の時代は,まだまだ専制君主ではなかった。神社の権力の源泉は,土地と民の所有だった。

 とにかく,神の祟りを鎮めるには,やはり何らかの財産が必要だったのだ。「祷りて祠らず」では駄目だったのだ。
 現代の私たちは,むしろ,お金も出さずに一心に祈ることが純粋な信仰だと誤解している。


髭や手足の爪を抜く理由

 なぜ,髭や手足の爪を抜くのだろうか。

 一般には,痛々しい,かわいそうな姿になったスサノヲ,という受け取られ方だ。それだけ罰が厳しかったという解釈だ。

 学者さんによるとこうだ。

 これらは,切った後も本人の身体の一部であり,これらに対して危害が加えられると,本人が病になったり死んだりするとされていた。
 だからこそ古代人は,切り取られた爪や髪の毛を人が所有することを嫌い,大事に保管した。

 厳しい罰というのではなく,身体の一部を渡すこと自体が,人質を取られたような罰である,というのだ。


敵の持ち物の一部に呪いをかける(神武天皇即位前紀戊午年9月)

 日本書紀には,この根拠が残されている。これらを検討することは,古代人の思想や思考を解明することにもなる。

 日本書紀の,神武天皇即位前紀戊午年9月を読んでみよう。

 ヤマトに侵入した神武天皇の前に,八十梟帥(やそたける)や兄磯城(えしき)が立ちはだかる。

 天つ神は神武天皇の夢に出て言う。

 天香山(あめのかぐやま)の社の「土(はに)を取りて」天平瓮(あまのひらか)80枚と厳瓮を作って,天神地祇に祭り,「厳呪詛(いつのかしり)」をせよ。
 そうすれば敵は自ずから降伏する,と。

 要するに,敵地の土で作った土器に呪いをかけよ,というのだ。

 帰順してきた弟猾(おとうかし)も,同様の進言をする。


呪いは立派な攻撃

 そこで神武天皇は,シイネツヒコ(椎根津彦=しいねつひこ)と弟猾を変装させて敵中を突破させ,「潜に其の(天香山の)巓(いただき)の土を取」ってきた。
 それを使って,指示どおり天平瓮や厳瓮を作り,そこに八十梟帥等の命運を呪いつけて,川に浮かべたり沈めたりした。

 さらにこれらを使って2つの誓約(うけい)をしたところ,見事,神武天皇が勝つとの結果が出た。

 そこで「五百箇の真坂樹」を取って諸神をいつき祭った。

 さらに自らが依代(よりしろ)となってタカミムスヒを降臨させ,神をもてなした後,神武天皇は,「其の厳瓮の粮(おもの)」,すなわち神に捧げた食物を食べ,出陣した。

 神武天皇は,やっとヤマトに侵入したばかりだ。
 天香山は,まだ敵の領内にある。そして,敵にとって,霊験あらたかな聖地だったのだろう。だからこそ,その土を取ってくる必要があったのだ。

 それに呪いをかけることも,正々堂々,敵に対する立派な攻撃なのだ。

 この後,神武天皇の軍隊は快進撃を続ける。いわゆる,「撃ちてし止まむ」の快進撃だ。


スサノヲの毛や手足の爪は物根である(崇神天皇10年9月)

 同様の例は,日本書紀崇神天皇10年9月にもある。武埴安彦(たけはにやすひこ)の叛乱の話だ。

 その妻吾田姫は,「倭の香山(かぐやま)の土を取りて」,呪いをかけて言う。「是,倭国の物実(ものしろ)」。

 崇神天皇の本拠,倭国の霊峰である天の香具山。倭国の一部を取ってきてこれに呪いをかけることが,敵に対する攻撃だったのだ。

 ここにいう「物実」は,すでに私が述べた,誓約で出てくる「物實(ものざね)」であり,日本書紀にいう「物根」だ。

 身体の一部は,たとえ身体から離れていても,生きているのだ。生命力を秘めた,何かしら神秘的なものがあるのだ。だからこそ,交換によって神々を生み出すのだ。

 神聖な土地でも同様だった。だからこそ,呪いの対象になる。スサノヲの髭や手足の爪も,「物実」=「物實」=「物根」なのだった。


単なる呪力が問題なのではない

 こうした体系的な理解ができていない学者さんは,天の香具山の土は,「倭国の物実」として最も呪力あるものとされたのだと言う。

 呪力が強いから取ってきたという話じゃないんですけどね。

 これが一人歩きすると,「天の香具山の土の呪力」というお題を作って研究に励み,香具山がいかに神聖視されてきたかという論証をすることになるのだろう。

 呪力があるかどうか,それが強いかどうかは,基本的に関係ない。敵があがめ奉っている聖地の土であればよいのだ。

 


トップページ( まえがき)

第1 私の立場と問題意識

第2 問題提起

第3 方法論の問題

第4 世界観と世界の生成

第5 神は死なない(神というもののあり方)

第6 原初神と生成神の誕生

第7 日本書紀における原初神と生成神の誕生

第8 修理固成の命令

第9 言葉に対して無神経な古事記(本当に古い文献か)

第10 古事記は伊勢神宮成立後の文献

第10の2 応神記の気比の大神について

第11 国生み叙述の根本的問題

第12 日本神話の読み方を考える(第1子は生み損ないか)

第13 生まれてきた国々を分析する

第14 国生みのあとの神生み

第15 火の神カグツチ「殺し」

第16 黄泉国巡り

第17 コトドワタシと黄泉国再説

第18 禊ぎによる神生みの問題点

第19 日本神話の故郷を探る

第20 大道芸人の紙芝居としての古事記

第21 アマテラスら3神の生成

第22 分治の命令

第23 日本神話の体系的理解(日本書紀を中心に)

第24 日本神話の構造と形成過程

第25 生まれたのは日の神であってアマテラスではない

第26 日の神の接ぎ木構造

第27 最高神?アマテラスの伝承が変容する

第28 泣くスサノヲとイザナキの肩書き

第29 日本神話学の見通しと方法論

第30 日本神話のコスモロジー

第31 誓約による神々の生成(日本書紀)

第32 誓約による神々の生成(古事記)

第33 天の岩屋戸神話と出雲神話が挿入された理由

第34 日本神話のバックグラウンド・縄文から弥生への物語
(日本書紀第5段第11の一書を中心に)


第35 海洋神アマテラスと産霊の神タカミムスヒ
(日本書紀を中心に)


第36 支配命令神は誰なのか(ねじれた接ぎ木構造)

第37 アマテラスとタカミムスヒの極めて危うい関係

第38 五穀と養蚕の文化に対する反逆とオオゲツヒメ

第39 スサノヲの乱暴

第40 「祭る神が祭られる神になった」という幻想

第41 天の石屋戸と祝詞

第42 スサノヲの追放とその論理(日本書紀を中心に)

第43 アマテラス神話は確立していない(日本書紀を中心に)

第44 出雲のスサノヲ

第45 異伝に残された縄文の神スサノヲ(日本書紀を中心に)

第46 スサノヲにおける縄文と弥生の交錯(大年神の系譜)

第47 別の顔をもつスサノヲ(日本書紀を中心に)

第48 オオクニヌシの試練物語のへんてこりん

第49 オオクニヌシの王朝物語

第50 日本書紀第8段第6の一書の構成意図と古事記の悪意

第51 スクナヒコナと神功皇后と応神天皇と朝鮮

第52 偉大なるオオナムチ神話(大八洲国を支配したオオナムチ)

第53 三輪山のオオナムチ(日本書紀第8段第6の一書から)

第54 古事記はどうなっているか

第55 偉大なるオオクニヌシ(オオナムチ)の正体(問題提起)

第56 偉大なるオオクニヌシの正体(崇神天皇5年以降)

第57 崇神天皇5年以降を読み解く

第58 国譲りという名の侵略を考える前提問題

第59 「皇祖」「皇孫」を奪い取る「皇祖神」タカミムスヒ
(国譲りという名の侵略の命令者)


第60 皇祖神タカミムスヒの根拠
(国譲りという名の侵略の命令者)


第61 古事記における命令神
(国譲りという名の侵略の命令者)


第62 第9段第1の一書という異伝中の異伝と古事記

第63 武神の派遣と失敗と「高木神」

第64 タケミカヅチの派遣(タケミカヅチはカグツチの子)

第65 フツヌシとタケミカヅチの異同

第66 コトシロヌシは託宣の神ではないしタケミナカタは漫画

第67 「オオクニヌシの国譲り」の叙述がない

第68 天孫降臨の叙述の構造

第69 サルタヒコの登場

第70 古事記独特の三種の神宝

第71 天孫はどこに降臨したのか

第72 「国まぎ」を切り捨てた古事記のへんてこりん
(天孫降臨のその他の問題点)


第73 国譲り伝承と天孫降臨伝承との間にある断層

第74 じつは侘しい天孫降臨と田舎の土豪神武天皇

第75 天孫土着の物語

第76 火明命とニギハヤヒ(第9段の異伝を検討する)

第77 日向神話の体系的理解

第78 騎馬民族はやって来たか

第79 三種の宝物再論

第80 日本神話の大きな構成(三輪山のオオナムチとの出会い)

第81 海幸彦・山幸彦の物語を検討する

第82 「居場所」のない古事記

第83 本居宣長について

第84 日本神話を論ずる際のルール

第85 神々の黄昏

あとがき

著作権の問題など

付録・初版の「結論とあとがき」


新論文
神功紀を読み解く
神功皇后のごり押しクーデター

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