日本書紀を読んで古事記神話を笑う

日本書紀を読んで古事記神話を笑う 改訂新版

2009年10月5日up
(物語読者として日本神話を解明する)


第24 日本神話の構造と形成過程


はじめに

 以上述べた日本神話の構造は,基本的には日本書紀,古事記に共通である。
 この構造は,あらゆる部分の解釈で問題になってくるし,日本神話を学問としてとらえようとするならば,いつも,それを念頭に置かなければならない。

 重複するけれど,参照の便宜のため,ここで,手短にまとめておこう。
 そのうえで,日本神話の形成過程を考えてみたい。

 これらは,日本神話をすべて検討して,その結果ないし成果として,この論文の最後に置くべきものかもしれない。

 しかし,これから日本神話を検討していく際に,ちょこちょこと出てくるものであり,それがだんだん枝葉をつけて,太っていくことになる。

 その都度参照しようとしても,「あれ」がどこに書いてあったか,わからなくなるだろう。特に,この長大な論文では,そのおそれが強い。

 だから,ここにまとめておく。これから日本神話を読み進んでいくが,何かあったら,ここに戻ってきてほしい。


日本神話の構造(その1)

 日本神話の焦点は,「国譲りという名の侵略」と「天孫降臨」にある。

 そのために,国生みや神生みを描き,舞台装置を設定した(第5段まで)。
 しかしこれは,国土という土台だけ(古事記では,神のいる国土という意味の「神国日本」)であって,現実の人間社会,すなわち天の下(古事記では葦原中国)は,まだできていない。

 一方,スサノヲは,アマテラスとの誓約により神々を生む(第6段)。
 こうして,スサノヲの子が天孫の父になるというからくりを用意し,「国譲りという名の侵略」と「天孫降臨」を行う,「正当性の契機」を用意した。

 次に,「五穀と養蚕」の文化に反逆するスサノヲを描くことにより,「国譲りという名の侵略」と「天孫降臨」を行う,「理由と口実」を用意した(第7段)。

 そして,次に出雲神話を挿入して,現実に侵略される「天の下の世界」を用意するのだ(第8段)。

 スサノヲは,出雲建国の基礎を作り,これを受けて,その子孫であるオオクニヌシ(日本書紀ではオオナムチ)が,出雲国だけでなく,天の下全体を作る。

 これは,「現実に人間が生きている社会」,という意味での国づくりであった。

 こうして,「侵略され支配される対象」としての現実世界が用意され,「国譲りという名の侵略」と「天孫降臨」(第9段)になだれ込んでいく。


日本神話の構造(その2)

 日本書紀第5段本文では,じつは,天の下の支配者が決まっていない。
 アマテラスとツクヨミは天上界へ送られ,天の下の支配を命じられたスサノヲは,「宇宙(あめのした)に君臨(きみ)たるべからず」との烙印を押され,根国行きを命じられた。

 だから,「国譲りという名の侵略」と「天孫降臨」(第9段)までは,「天の下の支配者不在の時代」なのだ。

 第5段と第9段で挟まれた第6段から第8段までが,それにあたる。

 ご存じのとおり,第6段は誓約の段,第7段は天の石屋の段,第8段は出雲神話の段だ。ここに,「正当性の契機」と「侵略の理由」と「侵略される天の下の準備」とが,きちんと詰め込まれている。

 この3つの段すべては,実質的な主語をスサノヲにして始まっており,主役はスサノヲだ。決してアマテラスではない。


日本神話の構造(その3)

 そして最後に,日向神話(第10段)が来る。

 降臨した天孫は,「筑紫の日向の小戸の橘の檍原」すなわち南九州の吾田地方に住み着き,そこで,海人と混交していく。

 物語は,海人を象徴する土着民「海幸彦」と,山人を象徴する朝鮮からやってきた人々の子孫「山幸彦」との対立から始まる。そして「山幸彦」は海へ行き,海神の娘と交わって,海の血を濃くしていく。

 これは,朝鮮から来た人々が,吾田に土着していた海人と交わり,混血していったことを物語っている。

 神の問題として言い換えれば,「アマテラス系神話とタカミムスヒ系神話の混交」である。

 これが,天皇家の出自だ。

 こうして神武天皇は,これら一切の日本神話を背負って,「東征」に旅立つ。


日本神話の形成過程・はじめに・文献学の実証的結論として

 と,こうなると,「東征」後の日本神話がどうなったかが問題となる。

 ここから,「日本神話の形成過程」を考えることができる。ここで,それをまとめておこう。

 注意してほしいのは,私の論証,この論文を最後まで読まなければ,今の時点では,すべてを理解できないという点だ。

 そして,以下に述べることが歴史的事実かどうかは,これからの検証次第だ。

 しかし,日本書紀と古事記という文献,その「叙述と文言」は,以下に述べる,「日本神話の形成過程」を物語っている。

 私は,それを,単なる仮説としてではなく,日本神話が言いたかったこと,「叙述と文言」が指し示していること,すなわち,文献学の実証的結論として,ここに提示しておきたい。

 日本書紀編纂者も,古事記ライターも,自らのよってきたる神話の歴史を,以下のように理解していたに違いない。


日本神話の形成過程・海人の世界である南九州の吾田

 日本神話の故郷は,南九州の吾田である(その論証は,「日本神話の故郷を探る」で行った)。そこは,海の世界であり,海人,すなわち「海幸彦」の生きている世界だった。

 そこには,すでに,「イザナキ・イザナミ神話」があった。海洋神でもある「日の神」信仰もあった(日の神=アマテラスが,海洋神であることは後述)。また,「日向神話」の原型とも言える,海神の伝承もあった。

 そこは,いまだ「五穀と養蚕」を知らない,縄文の世界だった。
 縄文といっても,木に囲まれた世界ではない。漁撈や採集を基本とする世界だった。


日本神話の形成過程・五穀と養蚕を持ってきたタカミムスヒ(1)

 そこに,「高天原」とタカミムスヒを奉ずる,権威的,権力的,支配的な伝承と思想をもった人々がやってきた。

 彼らは,狩猟のための「弓」と「矢」を持っていた。これを使った武力に訴える人々だった。
 これは,山人,すなわち「山幸彦」であり,弥生文化圏に属する人々だった。「五穀と養蚕」を知っていた。

 その「五穀と養蚕」の根拠は,「産霊の原理」にあると考えていた。

 この,大陸的な神話は,海を中心とした国土生成神話(イザナキ・イザナミの物語を中心とした神話)を,もっていなかった。

 しかも,この権威的,権力的,支配的な伝承は,権力の正当性を語るのに急で,天孫降臨神話しかもっていなかった。


日本神話の形成過程・五穀と養蚕を持ってきたタカミムスヒ(2)

 日本書紀第5段第2の一書によれば,五穀と養蚕の起源が,「産霊」の思想に結びつけられている。
 火の神カグツチは土の神ハニヤマヒメ(埴山姫=はにやまひめ)と結婚してワクムスヒ(稚産霊=わくむすひ)を生む。

 稚産霊の「頭の上に,蚕と桑と生れり(なれり)」。「臍(ほそ)の中に五穀(いつのたなつもの)生れり(なれり)」。

 すなわち,「産霊」こそが,カイコと桑と五穀を生んだ原動力なのだ。

 タカミムスヒこそが,五穀と養蚕の起源である。すなわち,弥生文化を携えた神である。


日本神話の形成過程・山幸彦=タカミムスヒは朝鮮からやって来た(1)

 このタカミムスヒは,朝鮮からやって来た。

 「山幸彦」,すなわち五穀と養蚕をもたらした者,すなわちタカミムスヒが,朝鮮から筑紫洲にやって来た根拠は,たくさんある。

 日本書紀第5段第11の一書。

 死んだウケモチノカミの,頭からは牛馬,額からは粟,眉からは蚕,目からは稗,腹からは稲,女陰からは麦と小豆が生じた。

 ウケモチノカミの身体の各部と,そこから生じた五穀との間には,朝鮮語で初めて解ける音韻対応がある。それぞれの朝鮮語の発音が似ている。

 すなわち,日本列島にもたらされた「五穀と養蚕」は,朝鮮半島経由なのだ。

 ウケモチノカミの伝承をもたらした者は,古代朝鮮語を話す人々である。
 それが,五穀と養蚕の起源伝承となっている。

 ただここでは,アマテラスが五穀と養蚕に結びつけられている。日本書紀第7段本文もそうである。
 ここには,支配命令神をめぐる,「ねじれた接ぎ木構造」がある。


日本神話の形成過程・山幸彦=タカミムスヒは朝鮮からやって来た(2)

 タカミムスヒは,朝鮮からやってきた。

 朝鮮と筑紫洲の通路,「壱岐嶋」と「対馬嶋」に,タカミムスヒがいたという伝承がある。日本書紀顕宗天皇3年の叙述である。

 そこでは,タカミムスヒが「天地を鎔ひ造せる功有する」神とされ,古くから日本列島でいつき祭られていた「日の神」や「月の神」の,「我が祖(みおや)」とされていた。

 タカミムスヒは,すでに壱岐,対馬に進出していたのだ。

 そして,日本各地にある,古来の伝承である「日の神」や「月の神」を,従えていたのだ。


日本神話の形成過程・山幸彦=タカミムスヒは朝鮮からやって来た(3)

 こうして,いよいよタカミムスヒは,「宗像三神」を露払い役として,「天孫」と共に,「筑紫洲」に渡ってくる。

 日本書紀第6段第1の一書はいう。

 日の神は,宗像三神を「筑紫洲」に天下らせて,「道の中に降り居して(くだりまして),天孫を助け奉りて,天孫のために祭られよ。」と命令した。

 「日の神」,すなわち,後代いうところのアマテラスは,すでに筑紫洲にいて,朝鮮からやって来る「天孫」を迎える。そのために,宗像三神を鎮座させたというのだ。

 当然,「天孫」の「祖」たるタカミムスヒがやってくるのだ。

 日本書紀第6段第3の一書はいう。

 「宗像三神」を天降らせた場所は,「葦原中国の宇佐嶋(うさのしま)」。それは「今(日本書紀編纂当時をいう),海の北の道」の中にある。

 宗像三神は,もとは,宇佐にあって,朝鮮からやって来る天孫を迎えたというのだ。


日本神話の形成過程・山幸彦=タカミムスヒは南九州の吾田に定住する

 こうしてやって来た,タカミムスヒをいつき祭る人々には,いくつかの波があり,現在の九州の,あらゆる所に定住したであろう。

 しかし,のちになって日本神話を残す一派は,神武天皇の故郷,南九州の吾田に定住した。

 日本書紀第9段本文によれば,天孫ニニギは,「国まぎ」の果てに,「吾田の長屋の笠狭碕」まで来て,そこにいた「人」,事勝国勝長狭から,国を献上される。

 そして,その土地の姫,カシツヒメ(鹿葦津姫,別名コノハナノサクヤヒメ)と結婚し,ヒコホホデミ(彦火火出見尊)ら3人の子をもうける。

 国を献上されて,その国の美女を娶って,子供を作ったのだから,その国に土着したと考えるほかない。

 そして,事勝国勝長狭の「長狭」と,カシツヒメ(神吾田鹿葦津姫,コノハナノサクヤヒメのこと)が作っていた「狭名田(さなだ)」,「渟浪田(ぬなた)」は,通じ合うものがある(第9段第3の一書)。

 これは,アマテラスが作っていた,「天狭田(あまのさなだ)」,「長田(ながた)」(第5段第11の一書),「天狭田」,「長田」(第7段本文)にも通ずる。

 とにかく,献上された国とは,「吾田の長屋の笠狭碕」あたりの国だ。
 そこに,日の神(後のアマテラス)もいた。


日本神話の形成過程・「吾田の長屋の笠狭の御碕」は野間岬

 「吾田の長屋の笠狭の御碕」は,古代の薩摩国,現在の鹿児島県の薩摩半島西南部にある加世田市付近だ。

 長屋という地名は,加世田市と川辺郡との境にある長屋山に,その名を留めている。この近くの岬といえば,川辺郡西端にある野間岬ということになる。

 だから,天孫ニニギは,「吾田」に土着したと考えるしかない。

 そこは,海の国,「海人」の国だった。


日本神話の形成過程・ヒコホホデミは海神の娘と交わる

 そして,次の世代。

 ヒコホホデミは,いよいよ海神の宮を訪問し,トヨタマヒメ(豊玉姫)と結婚し,ウガヤフキアエズをもうける。

 ウガヤフキアエズは,トヨタマヒメの妹,すなわち叔母のタマヨリヒメ(玉依姫)と結婚し,神武天皇をもうける。

 天孫ニニギの子孫は,海人がいつき祭る海神の娘と2度交わり,「海人」の血を濃くしていったのだ。

 日向神話は,朝鮮からやって来た山人,山幸彦が,吾田に土着して海人と交わり,その血を濃くしていったという物語である。

 それが,神武天皇の血筋だと述べているのだ。


日本神話の形成過程・神武天皇の本拠地は「吾田」である

 神武天皇がいたところは,「吾田」(南九州の西海岸)である。日向の高千穂(東海岸)ではない。

 「日向国の吾田邑の吾平津媛(あひらつひめ)」と結婚した神武天皇は,「此の西の偏(ほとり)」を支配している(神武天皇即位前紀)。

 そして,この叙述に至るまで,天孫ニニギ以降の血統が,本拠地を変更したという叙述はない。

 すなわち,神武天皇は,「吾田」にいて,「吾田」から「東征」に出発したのである。

 よく,「神武天皇東征図」として,南九州の東海岸から出発したかのような図がある(小学館・新編日本古典文学全集・日本書紀1,195頁など)。
 これは誤りであろう。


日本神話の形成過程・天孫ニニギから神武天皇まで日向国の吾田邑を一歩も出ていない

 このように,天孫ニニギは,「日向国の吾田邑(あたのむら)」(神武即位前紀)という,ごくごく小さな漁村程度の地域を支配したにすぎないのだ。

 それが証拠に,天孫ニニギは,「筑紫日向可愛之山陵(つくしのひむかのえのみささぎ)」に葬られる。

 その子,ヒコホホデミは,「日向の高屋山上陵」に葬られた(第10段本文)。
 その子,ウガヤフキアエズは,「西州(にしのくに)の宮」で死亡し,「日向の吾平山上陵(あひらのやまのうえのみささぎ)」に葬られた(第11段本文)。

 この「吾平」は,神武天皇の妻となる,「日向国の吾田邑(あたのむら)の吾平津媛」の「吾平」だ。

 「吾平」は,「日向国の吾田邑」近辺にある山の名前なのであろう。その名前をとった土豪の娘がいたのだ。


日本神話の形成過程・天孫降臨の地は南九州

 「高天原」とタカミムスヒを奉ずる,権威的,権力的,支配的な伝承と思想をもった人々。

 その一派の中で,北九州に上陸して,南九州まで行った人々がいた。

 そうした人々は,北九州に天孫が降臨したという神話を作らなかった。
 結果として定住した,「南九州の吾田」。その近辺に,いきなり天孫降臨したという神話を作った。

 それは,天孫降臨の地から,「国まぎ」の果てに事勝国勝長狭に出会った土地までが,「膂宍の空国(そししのむなくに)」とされ,何もない,痩せてむなしい,不毛の地だった,という点からしても明白だ。

 豊かな地,北九州であれば,こんな「叙述」はできない。

 天孫は,国もない僻地を,「国まぎ」して,すなわち国を求めて,さまよう。

 そうして,「吾田の長屋の笠沙碕」,すなわち鹿児島県の薩摩半島西南部にある加世田市付近にある野間岬まで行き,そこでやっと,「事勝国勝長狭」に出会って,国を献上される。

 こんな僻地まで,さまよったのだ。
 北九州説では,こうした「国まぎ」を説明できない。


日本神話の形成過程・2系統の神話の混交と天皇の出自

 こうして,南九州の吾田において,2系統の神話は混交する。

 吾田にすでにあった,「イザナキ・イザナミ神話」。海洋神でもある「日の神」信仰。「日向神話」の原型とも言える,海神の伝承。

 これに,「高天原」とタカミムスヒを奉ずる,権威的,権力的,支配的な伝承と思想が重層していく。

 狩猟のための「弓」と「矢」。武力に訴える山人,「山幸彦」の伝承が,海人,「海幸彦」の伝承と融合していく。

 こうして「山幸彦」は,「海神(わたつみ)」の宮を訪問し,その娘と結婚し,海人の血を濃くしていく。

 一方,弥生文化の「五穀と養蚕」を取り入れていく。

 こうして,ウガヤフキアエズ等の子孫が生まれ,神武天皇が形成される。

 それが,のちの天皇になっていくのだ。


日本神話の形成過程・神武天皇が醸成される

 すでに,南九州の吾田で形成されていた「海神」の伝承は,「日向神話」となって形を整えた。

 それは,タカミムスヒをいつき祭る人々が,海人と交わり,混交していく過程を物語る伝承であった。
 神武天皇の出自を語る伝承であった。

 こうして,支配命令神,「アマテラス系の日の神神話」と「タカミムスヒ神話」とが融合していく。

 神武天皇は,「海幸彦」すなわち海人と交わったが,基本的には,「山幸彦」系の人である。
 「高天原」とタカミムスヒをいつき祭り,権威的,権力的,支配的な伝承をもっていた。

 しかし,南九州の片田舎,吾田にいた,田舎の土豪にすぎない。

 今のところ私は,邪馬台国とは無縁であったと考えている。


日本神話の形成過程・神話の原型を背負ってヤマトに旅立つ神武天皇

 こうして神武天皇は,日本神話の源流となるもの一切を背負って,南九州の吾田を出発し,「東征」するのだ。

 日本書紀も古事記も,そうした物語として,神話を語っている。

 そして,ヤマトに居を構えた。

 「神武東征」は,まゆつば物とされている。「後代の造作」とされ,一顧だにかえりみられない。学者さんは,誰も信じていない。「神武東征」を真面目に論ずる者は,学会のつまはじき者だ。

 しかし,日本書紀も古事記も,「神武東征」をはずさない。これに関してはぶれがない。

 「神武東征」は,日本神話の形成過程を語り,天皇の出自を語り,日本を支配した者たちの,よってきたる淵源を語るうえで,決してはずせない物語なのだ。

 そうした問題意識をもたずに,「神武東征」を問う人々がたくさんいた。

 しかし,日本神話の「叙述と文言」,日本神話の構造,日本神話の形成過程からすれば,決してはずせない伝承なのだ。


日本神話の形成過程・大和朝廷は邪馬台国とも倭の奴国とも関係がない

 だから,神武天皇と,その系譜にある大和朝廷は,もとは南九州西海岸の,田舎の土豪である。

 人々は,現在に続く天皇の血筋を,どうしても過大に評価してしまうから,たとえば「邪馬台国」,たとえば「漢の倭の奴の国王」を,大和朝廷に結びつけたがる。

 しかし,遠い昔にどうだったのか。それは,そんなアプリオリな偏見を排して,自由に考えなければならない。
 人間の浅はかさを離れなければならない。

 じつは,神武天皇から始まる天皇の血筋は,「邪馬台国」や,「漢の倭の奴の国王」からは,まったくはずれたところにある。南九州西海岸の吾田だ。

 そうした田舎の土豪が,「東征」という決死の冒険をしてヤマトに納まり,大八洲国,すなわち葦原中国を支配したというのが,日本神話なのである。

 邪馬台国がどこにあったかという問題は,考古学的知見,その他の知見を総合して判断すべき問題であろうが,日本書紀という文献を検討する限り,ヤマト説は取れない。

 すでに,姉妹編の「神功記を読み解く」で述べたとおりである。

 日本書紀神功皇后摂政39年以下に,いわゆる「魏志倭人伝」を引いて,神功皇后が卑弥呼だったかのような叙述がある。

 しかし,文献の読み方としては,叙述と文言に着目した武光誠の指摘に従うべきである(武光誠「邪馬台国と大和朝廷」・平凡社・255頁以下)。

 日本書紀編纂者は,いわゆる「魏志倭人伝」を読んで知っていたのに,決して,「邪馬台国」とか「卑弥呼」という言葉を使っていない。「倭国」「倭の女王」という用語を使っている。

 これは,「邪馬台国」が発展して大和朝廷になったことを,日本書紀編纂者自身が知らなかったことを示している。日本書紀編纂者は,天皇の祖先に,「卑弥呼」という女王を見いだしていなかったのだ。

 「邪馬台国」も,「卑弥呼」も,大和朝廷とは別物なのだ。

 「そこで,神功皇后の記事のなかに,きわめてあいまいな形で,『魏志倭人伝』を引いておいたのだろう」(上記)。

 だから,日本書紀編纂者は,邪馬台国=ヤマト説も,北九州にあった邪馬台国の東遷説も,否定している。
 とにかく,ヤマトの政権は,邪馬台国とは関係がないのだ。

 ちなみに,上記した武光誠は,考古学的知見をも駆使して,邪馬台国九州説を主張している。
 その邪馬台国が,どうなったかはわからない。
 私の立場では,北九州で発展的に解消したのか,消えたのか,ということになる。
 それが,筑紫の君磐井につながるのかどうか。


日本神話の形成過程・ヤマトを支配していたオオナムチ

 こうして神武天皇は,ヤマトに入った。

 ところがそこには,大八洲国を支配した出雲のスサノヲの子孫,オオナムチがいた。これが,当時の大八洲国全体の,宗教的権威だった(オオクニヌシの王朝物語などで,後述)。

 偉大なるオオナムチ。古事記は,オオクニヌシの王朝物語として,その偉大さを述べている。
 オオナムチ(オオクニヌシ)による「国作り」は,ひとり出雲国だけでなく,広く「葦原中国」,すなわち「大八洲国」の国作りだった。

 そのオオナムチは,自らの「幸魂奇魂」に導かれて,ヤマトの「三輪山」にいた。そこに鎮座して,大八洲国,すなわち葦原中国全体の政治を行っていた(第8段第6の一書)。

 それはすなわち,出雲国の大神,オオナムチをいつき祭る人々が,葦原中国全体を支配して,ヤマトを中心に,祭政一致の政治を行っていたということだ。


日本神話の形成過程・出雲の神々を退場させる新たな神話の創成

 そこに侵入して,政治的権力を握ったヤマトの政権としては,自らが背負ってきた神話伝承を基に,宗教的権威を確立しなければならない。

 こうした神々を,「殺」さなければならない。
 しかし,神を殺すことはできない。

 出雲を中心に,大八洲国に広がっていた,それまでの出雲系神話に登場する神々を,「神話の表舞台」から退場させるのだ。

 ここで初めて,大八洲国全体に広がっていた「出雲神話」との,合体と取り込みがなされる。

 それが,ヤマトで行われた,「日本神話の再構成」であった。


日本神話の形成過程・手の込んだ「壮大なる血の交替劇」

 そこで,

@ 「誓約による神々の生成」場面を描いて「正当性の契機」という仕掛けを作り(第6段),

A 縄文系のスサノヲが弥生系のアマテラスに反逆するという場面を作って「侵略の理由と口実」を作り(第7段),

B アマテラスの弟スサノヲが国の基礎を作り,その子孫オオナムチが天の下を作ることにより,「侵略の対象たる葦原中国」が用意され(第8段),

C 国譲りという名の侵略で,出雲系の神々が,めでたく日本神話の表舞台から退場し,素戔鳴尊が天上界に残した別系統の子の子孫が支配者に成り代わる(第9段)という,

手の込んだ,「壮大なる血の交替劇」を作ったのは,ヤマトの政権である。

 神武天皇が,南九州の吾田から背負ってきた,原型としての日本神話は,「ヤマト」において,出雲神話との合体が図られ,日本神話として完成する。


日本神話の形成過程・天照大神の誕生

 背負ってきた「日の神」は,ここで初めて,「天照大神」に置き換えられる。

 当時,「日の神」は,ポピュラーな神であった。

 海に囲まれた日本列島。当時の日の神は,海洋神という性格をもち,海の向こうから日が昇るというイメージを象徴する,どこにでもいる,ポピュラーな神だった。

 アマテラスは,ヤマト近辺にいた「日の神」だった。

 日本書紀第5段までは,南九州の吾田ではぐくまれた,日本神話の古層,「イザナキ・イザナミ神話」を中心に展開される。

 日本書紀第6段に至って,突如,「日の神」から「天照大神」に置き換わるのは,そうした混乱を物語っている。

 ここに,「日本神話の形成過程」が,顔を出している。

 日本書紀第6段以下こそが,「壮大なる血の交替劇」,出雲の神々を「神話の表舞台から退場」させる,極めて政治的,かつ巧妙な,「神話の造作」,「日本神話の再構成」であった。


日本神話の形成過程・日本神話の古層

 だから,日本書紀第5段までの,「イザナキ・イザナミ神話」を中心とした神話は,南九州の吾田にあった当時の,古い伝承そのままに近い。

 また,国譲りという名の侵略や天孫降臨とは関係のない,「海神」神話,「日向神話」も,神話の古層を物語っている。

 以上の部分は,「出雲神話」との融合,すなわち出雲の神の「追放」に際し,改変する必要がなかったからだ。

 むしろ,「国生み」や「神生み」など,日本神話の舞台を作り,さらに天皇のよって来たるところを語る神話だから,そのまま残っている。


日本神話の形成過程・日本神話の表層

 これに対し,日本書紀第9段の,国譲りという名の侵略伝承は,ヤマトにいた出雲の神々を「神話の表舞台から退場」させるために,神武「東征」後に形成された,政治色の強い神話だ。

 これは,新しいし,政治的であり,意図的だ。

 タカミムスヒをいつき祭り,権威的,権力的,支配的な伝承を携えて朝鮮からやって来て,南九州の吾田に定住した人たちは,おそらく,天孫降臨神話しかもっていなかった。

 だからこそ,第9段においてだけ,しかも第9段にいたって突然に,タカミムスヒが命令神となって,活躍する。

 だからこそ,第6段や第7段では,タカミムスヒが物語の主役になり得なかったのである。

 ここでは,自由に神話を創作できたのである。


日本神話の形成過程・黄金のトライアングルの完成

 こうして日本神話は,タカミムスヒ(朝鮮)+アマテラス(南九州の吾田)+オオナムチ(ヤマト)の,「黄金のトライアングル」を完成させる。

 天武天皇の時代に,アマテラス神話が形成されたとする学説があるようである。

 しかし,ことは,それほど単純ではない。

 天武天皇の時代に,政治の必要からいきなり作られた神話であれば,「日向神話」を取り入れた理由が説明できないではないか。
 「出雲神話」を取り入れた理由も説明できないではないか。
 神武も,わざわざ「東征」する必要がないではないか。

 しかも,神話の公権的公定解釈である日本書紀は,むしろ,アマテラス神話を否定している(第43 アマテラス神話は確立していない)。

 中国を意識し,日本という「小中華帝国」が誇れる歴史。その前提としての神話。それを叙述しようとした日本書紀が,アマテラス神話を語っていないのである。

 


トップページ( まえがき)

第1 私の立場と問題意識

第2 問題提起

第3 方法論の問題

第4 世界観と世界の生成

第5 神は死なない(神というもののあり方)

第6 原初神と生成神の誕生

第7 日本書紀における原初神と生成神の誕生

第8 修理固成の命令

第9 言葉に対して無神経な古事記(本当に古い文献か)

第10 古事記は伊勢神宮成立後の文献

第10の2 応神記の気比の大神について

第11 国生み叙述の根本的問題

第12 日本神話の読み方を考える(第1子は生み損ないか)

第13 生まれてきた国々を分析する

第14 国生みのあとの神生み

第15 火の神カグツチ「殺し」

第16 黄泉国巡り

第17 コトドワタシと黄泉国再説

第18 禊ぎによる神生みの問題点

第19 日本神話の故郷を探る

第20 大道芸人の紙芝居としての古事記

第21 アマテラスら3神の生成

第22 分治の命令

第23 日本神話の体系的理解(日本書紀を中心に)

第24 日本神話の構造と形成過程

第25 生まれたのは日の神であってアマテラスではない

第26 日の神の接ぎ木構造

第27 最高神?アマテラスの伝承が変容する

第28 泣くスサノヲとイザナキの肩書き

第29 日本神話学の見通しと方法論

第30 日本神話のコスモロジー

第31 誓約による神々の生成(日本書紀)

第32 誓約による神々の生成(古事記)

第33 天の岩屋戸神話と出雲神話が挿入された理由

第34 日本神話のバックグラウンド・縄文から弥生への物語
(日本書紀第5段第11の一書を中心に)


第35 海洋神アマテラスと産霊の神タカミムスヒ
(日本書紀を中心に)


第36 支配命令神は誰なのか(ねじれた接ぎ木構造)

第37 アマテラスとタカミムスヒの極めて危うい関係

第38 五穀と養蚕の文化に対する反逆とオオゲツヒメ

第39 スサノヲの乱暴

第40 「祭る神が祭られる神になった」という幻想

第41 天の石屋戸と祝詞

第42 スサノヲの追放とその論理(日本書紀を中心に)

第43 アマテラス神話は確立していない(日本書紀を中心に)

第44 出雲のスサノヲ

第45 異伝に残された縄文の神スサノヲ(日本書紀を中心に)

第46 スサノヲにおける縄文と弥生の交錯(大年神の系譜)

第47 別の顔をもつスサノヲ(日本書紀を中心に)

第48 オオクニヌシの試練物語のへんてこりん

第49 オオクニヌシの王朝物語

第50 日本書紀第8段第6の一書の構成意図と古事記の悪意

第51 スクナヒコナと神功皇后と応神天皇と朝鮮

第52 偉大なるオオナムチ神話(大八洲国を支配したオオナムチ)

第53 三輪山のオオナムチ(日本書紀第8段第6の一書から)

第54 古事記はどうなっているか

第55 偉大なるオオクニヌシ(オオナムチ)の正体(問題提起)

第56 偉大なるオオクニヌシの正体(崇神天皇5年以降)

第57 崇神天皇5年以降を読み解く

第58 国譲りという名の侵略を考える前提問題

第59 「皇祖」「皇孫」を奪い取る「皇祖神」タカミムスヒ
(国譲りという名の侵略の命令者)


第60 皇祖神タカミムスヒの根拠
(国譲りという名の侵略の命令者)


第61 古事記における命令神
(国譲りという名の侵略の命令者)


第62 第9段第1の一書という異伝中の異伝と古事記

第63 武神の派遣と失敗と「高木神」

第64 タケミカヅチの派遣(タケミカヅチはカグツチの子)

第65 フツヌシとタケミカヅチの異同

第66 コトシロヌシは託宣の神ではないしタケミナカタは漫画

第67 「オオクニヌシの国譲り」の叙述がない

第68 天孫降臨の叙述の構造

第69 サルタヒコの登場

第70 古事記独特の三種の神宝

第71 天孫はどこに降臨したのか

第72 「国まぎ」を切り捨てた古事記のへんてこりん
(天孫降臨のその他の問題点)


第73 国譲り伝承と天孫降臨伝承との間にある断層

第74 じつは侘しい天孫降臨と田舎の土豪神武天皇

第75 天孫土着の物語

第76 火明命とニギハヤヒ(第9段の異伝を検討する)

第77 日向神話の体系的理解

第78 騎馬民族はやって来たか

第79 三種の宝物再論

第80 日本神話の大きな構成(三輪山のオオナムチとの出会い)

第81 海幸彦・山幸彦の物語を検討する

第82 「居場所」のない古事記

第83 本居宣長について

第84 日本神話を論ずる際のルール

第85 神々の黄昏

あとがき

著作権の問題など

付録・初版の「結論とあとがき」


新論文
神功紀を読み解く
神功皇后のごり押しクーデター

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