日本書紀を読んで古事記神話を笑う

日本書紀を読んで古事記神話を笑う 改訂新版

2009年10月5日up
(物語読者として日本神話を解明する)


第47 別の顔をもつスサノヲ(日本書紀を中心に)


構成が異常な日本書紀第7段第3の一書を検討する

 さてここで,日本書紀第7段第3の一書を検討しておこう。

 この異伝は,とにかく構成が異常だ。特異な異伝だから,本文と第1の一書,第2の一書をあわせたほどの分量が掲載されている。

 通説的な考えによれば,根国追放になったスサノヲが「高天原」に上る。そこでアマテラスと誓約をする。誓約に勝って増長したスサノヲは,暴虐無道を行って天の石屋戸の話につながっていく。

 ところが,この第3の一書では,話が逆転している。

 天の石屋戸ごもりの暴虐を働いたが故に根国に追放となり,根国に行く前にアマテラスと会って,誓約をするのだ。

 私が主張する「正当性の契機」(誓約)や,「侵略の理由と口実」(天の石屋戸ごもり)はあるから,日本神話の大きな構成には反していないようでもある。

 これはいったいどうしたことだろうか。変だな,でもこんな変わった異伝があったのサ,で終わらせてよいのだろうか。

 結論だけを先に言おう。

 第7段第3の一書は,ウケモチノカミ「殺し」で検討した第5段第11の一書から続く物語だ。
 ここでのスサノヲは,@暴虐の神ではなく,A海を支配する神であり,B弥生の神になっている。

 とにかくこれは,日本神話の構成を考え直させる,強烈な個性を放つ異伝である。


第7段第3の一書の構成

 第7段第3の一書の構成は,以下のとおりだ。

@ スサノヲは,日の神の良田を「妬みて」,妨害,破壊の行為をする。

A それがもとで,日の神は天石窟に籠もる。

B 日の神は出てくるけれど,「諸(もろもろ)の神」の「天上(あめ)に住むべからず。亦(また)葦原中国(あしはらのなかつくに)にも居(を)るべからず。急に(すみやかに)底根の国(そこつねのくに)に適ね(いね)」という命令で,スサノヲは根国に追放される。

C スサノヲは,根国に行く前に日の神に会おうとして,「天(あめ)」ないし「天上」に上る。

D 武装した日の神は,スサノヲと誓約をして神々を生む。


第7段本文までの構成

 日本書紀第7段本文までの叙述は以下のとおりだ。

@ スサノヲは青山を枯山になす暴虐無道がゆえに,イザナキとイザナミの命令により根国へ追放される。

A しかしその前に天上に行き,アマテラスと誓約をして神々を生む。

B 潔白を証明したスサノヲは調子に乗ってアマテラスの五穀と養蚕を踏みにじる。

C そこで天石窟の話が展開され,スサノヲは天上界から追放される。

 すなわち,根国追放 → 誓約 → 天石窟という展開に対し,第7段第3の一書は,天石窟 → 根国追放 → 誓約となっていることがわかる。


第7段第3の一書のスサノヲはいったいどこからやってきたのか

 だから,第7段第3の一書のスサノヲは,根国に行きたいと言ってイザナキにより追放され,天上界へ昇ってきたのではない。誓約に勝って増長して,田を荒らすなどの暴虐無道を行ったのではない。

 そうしたことは,前提になっていない。

 すなわち第7段第3の一書では,

@ 青山を枯山に成す暴虐無道なスサノヲ,

A イザナキとイザナミによる根国追放,

 この2点が前提となっていないのだ。

 日の神の良田を「妬みて」という「叙述と文言」からすれば,初めから,アマテラスと同じ世界にいたように思える。

 第7段第3の一書のスサノヲは,いったいどこからやってきたのだろうか。
 スサノヲは,なぜどのようにして,日の神がいる天上界にいるのだろうか。


第5段第11の一書との共通性

 じつは,これと同じ伝承が,1つだけあった。第5段第11の一書だ。

 ツクヨミによるウケモチノカミ殺しが語られる,あの権威的,権力的,支配的な伝承だ。

 第5段第11の一書でイザナキは,

@ アマテラスは「高天之原」を,
A ツクヨミは日に並べて天のことを,
B スサノヲは「滄海之原(あおうなはら)」を,支配するよう命令した。

 その後,スサノヲが泣く場面が入るはずだが,これがない。3神に対し,分治の命令をするだけである。

 そして,間髪を入れずに,「既にして天照大~,天上に在(ま)しまして曰く,『葦原中國に保食~有りと聞く。』」というふうに,ウケモチノカミ殺しの場面につながっていくのだ。

 ここに,省略があると考えてはならない。

 スサノヲが暴虐無道な神だとか,青山を枯山に成すとか,泣いてばかりいるとか,それがもとで根国へ追放になったとかいうことは,まったく語っていない。

 この異伝では,そうした「叙述」が省略されているのではない。
 日本書紀編纂者は,省略する場合は,「云云(しかしかいふ)」などを用いる。それがない。


スサノヲが他の2神と共に海の支配者として天上界に納まっている

 だから,第5段第11の一書は,@ アマテラスは「高天之原」を,A ツクヨミは日に並べて天のことを,B スサノヲは「滄海之原(あおうなはら)」を,支配するよう命令されて,そのまま,文句も言わずに支配を始めた伝承なのである。

 この伝承では,スサノヲは,@ アマテラスと一緒に天上界にいて,A 海を支配している。

 スサノヲは,他の2神と共に,海の支配者として天上界に納まっているのだ。それが,第5段第11の一書だ。


第5段第11の一書から第7段第3の一書につながっている

 そしてこの異伝は,五穀と養蚕の始まりを語る異伝だった。

 第5段第11の一書の末尾を思い出してほしい。

 アマテラスは,「天邑君(あまのむらきみ)を定む。即ち其の稲種を以て,始めて天狭田(あまのさなだ)及び長田(ながた)に殖う。其の秋の垂穎(たりほ),八握(やつか)に莫莫然(しな)ひて,甚だ快し」。

 これに対し第7段第3の一書は,こう始まっている。

 「是の後に,日神の田,三処あり。号(なづ)けて天安田(あまのやすだ)・天平田(あまのひらた)・天邑併田(あまのむらあわせだ)と日ふ。此皆良き田なり。霖旱(ながめひでり)に経(あ)ふと雖も,損傷(そこな)はるること無し」。

 第7段第3の一書の冒頭の「是の後に」というのは,第5段第11の一書の末尾を指しているのではないだろうか。


スサノヲが五穀と養蚕の世界に住む弥生の神になっている

 また第7段第3の一書におけるスサノヲも,3つの田を耕作している。

 「其の素戔嗚尊の田,亦三處(みところ)有り。號(なづ)けて天くひ田(あまのくひだ)・天川依田(あまのかはよりだ)・天口鋭田(あまのくちとだ)と曰いふ。此皆磽地(やせどころ)なり。雨れば流れぬ。旱(ひで)れば焦(や)けぬ。故,素戔嗚尊,妬みて姉(なねのみこと)の田を害(やぶ)る」。

 「五穀と養蚕」の起源を語る第5段第11の一書で,スサノヲは,文句も言わずに支配を始めた。

 だから,スサノヲが3つの田を耕作しているのは,別に突飛でも何でもない。

 その田が,やせた田だったので,アマテラスの良田を妬むことになるのだが,とにかくスサノヲは,五穀と養蚕をする世界の住人に納まっている。

 いや,五穀と養蚕の世界の住人だったからこそ,アマテラスの良田を妬んだのだ。
 ここでのスサノヲは,決して,五穀と養蚕の文化を侮辱し,反逆する神ではない。

 スサノヲは,もはや,縄文神から弥生神に変化している。


弥生神スサノヲは初めから素直に天上界にいた

 第7段第3の一書のスサノヲは,暴虐無道な神ではなく,五穀と養蚕を行うアマテラスが支配する天上界にいて,海を支配していたのだ。

 初めから天上界にいたのだ。

 第7段第3の一書の神々は,スサノヲに対し,「天上に住むべからず」と述べて,根国に追放する。
 してみれば,泣いたり根国に行きたいと言って駄々をこねることなく,初めから天上界に住んでいたのだ。

 確かに,第5段第11の一書では「天照大神」であり,第7段第3の一書では「日神」だ。文言は違う。

 また,第5段第11の一書にいう「天狭田(あまのさなだ)」「長田(ながた)」と第7段第3の一書の「天安田(あまのやすだ)・天平田(あまのひらた)・天邑併田(あまのむらあわせだ)」とは名称が違う。

 しかし,内容的にはつながっている。

 私は,「神武東征」後の,ヤマトにおける「神話の再構成」の過程で,日の神がアマテラスに置き換わったと考えている。
 だから,ここにおける「日神」と「天照大神」の間には,そう大きなジャンプを要しないはずだ。


第7段第3の一書が語るスサノヲ

 スサノヲは青山を枯山に変える暴虐な神ではなかった。
 日神と共に天上にいて,日の神が天上界を支配するのに対し,海を支配していた。

 そこで日の神は,五穀と養蚕を開始し,良田を作った。
 スサノヲも作ったが,それを妬んだ。そこで乱暴狼藉をはたらき,天石窟の原因をつくり,天上界の神々によって根国追放となった。

 天降るスサノヲは,最後に1度,日の神に会おうと考えて,天上界にリターンする。日の神はその目的を疑い,清き心か否かを証明するために,スサノヲと共に誓約を行う。

 これが第7段第3の一書のストーリーだ。

 すなわちスサノヲは,

@ 青山を枯山に成す暴虐の神ではなく(妬んで田壊しくらいのことはする),

A 海を支配する神であり,

B 弥生の神となっている。


スサノヲは弥生神か縄文神か

 スサノヲは,縄文の神であった。

 今まで検討してきたところからしても,日本書紀本文や古事記におけるスサノヲは,五穀と養蚕を理解せず,アマテラスに文化的に反抗する神であり,解除(はらえ)によって祓われる神だった。

 弥生文化を理解しない,縄文文化の神だった。

 ところが第7段第3の一書におけるスサノヲは,アマテラスの良田を妬む弥生神になっている。

 五穀と養蚕に反逆するスサノヲと,その世界に住んで,アマテラスの良田を妬むだけのスサノヲ。
 どちらが本来のスサノヲだろうか。


スサノヲが弥生神として取り込まれた新しい伝承だ

 やはり,縄文神スサノヲが,弥生神として取り込まれた後の姿を示しているのだろう。

 この異伝は,かなり新しい異伝だろう。古来の「日神」となっており,「天照大神」ではないが,その内容は新しい。

 この日の神を天石窟から誘い出すのに,真坂木(まさかき),「八咫鏡」,「八坂瓊の曲玉」,「木綿(ゆう)」が使われる。

 これらでもって,「広く厚く称辞(たたえごと)をへて祈(の)み啓(もう)さしむ」。
 すなわち,広く厚くほめ言葉をもって祈ったのだ。

 アヂカラヲ(天手力雄神)が天石窟の戸を引き開けたとき,日の神の光が,「六合(くにのうち)に充ち満ちた」。
 神々は,これを見て大喜びした。

 こんなふうに,のんびりした叙述にも,新しさが感じられる。


第7段第3の一書の誓約はきわめて特殊

 さて,例によって,第7段第3の一書での誓約を分析してみよう。

 ここには,「物根(ものざね)」の交換がないから,「正当性の契機」が生まれようもない。

 スサノヲが生んだ男の子が天上界に残り,アマテラスの子となって,その孫が葦原中国に天降るという,支配の「正当性の契機」がないのだ。

 異伝は,これをどう切り抜けたか。

 スサノヲは,「必ず当に(まさに)男を生まむ。如此ば(かからば),男をして天上を御しめたまへ(しらしめたまえ)」と述べる。

 そして,「且(また),吾が清き心を以て生せる児等をば,亦姉に奉る。」と言い残して,出雲に降っていくのだ。

 こうして,スサノヲの子が天上を支配し,さらに天の下を侵略するという「正当性の契機」を,スサノヲ自身に用意させてしまった。

 きわめて特殊な誓約である。


第7段第3の一書の誓約は第6段第3の一書の誓約に似ている

 ところで,第6段第3の一書では,日神がこれと同様の仕掛けを作っていた。

 誓約に先だって日神は,男神が生まれれば,子として天原(あまのはら)を支配させようと述べている。それがここでは,主語がスサノヲに代わっている。

 しかし,その他の点では,第6段第3の一書に酷似している。

 共に,スサノヲの「左の髻(もとどり)」に巻いた「五百箇の統の瓊(いおつのみすまるのたま)」を「左の掌(たなごころ)」に置いてアメノオシホミミを生む。
 次に「右の瓊(たま)」を「右の掌(たなごころ)」に置いてアメノホヒ(あまのほひのみこと)を生む。

 以降の神の出生の経緯は,第7段第3の一書の紹介をはしょってしまっているのでわからないが,神々の名前は一致している。

 そして,本文と異なり,6神を生んだとする点も,一致している。

 同系統の異伝なのだろうか。

 第6段第3の一書は,誓約の場面しか叙述していない。
 第7段第3の一書は,イザナキとイザナミによる根国追放がない異伝だった。スサノヲは初めから天上にいた。天上で乱暴をはたらいたので,神々により根国へ追放になったという異伝だった。

 そうした前提の下に第6段第3の一書を読んでみても,筋は通る。


「太諄辭」が出てくる新しさ

 さて,この異伝は,スサノヲが縄文神から弥生神に変化し,取り込まれた異伝だった。
 アマテラスの良田を妬みさえする伝承だった。

 スサノヲさえも,「五穀と養蚕」の世界にどっぷりと浸かっているのだ。

 だからこそ,「太諄辭」,すなわち祝詞が登場する。

 アメノコヤネに「解除(はらえ)の太諄辭(ふとのりと)を掌りて宣らしめき」とある。スサノヲを追放する際の祓禊(はらえ)として出てくる。

 


トップページ( まえがき)

第1 私の立場と問題意識

第2 問題提起

第3 方法論の問題

第4 世界観と世界の生成

第5 神は死なない(神というもののあり方)

第6 原初神と生成神の誕生

第7 日本書紀における原初神と生成神の誕生

第8 修理固成の命令

第9 言葉に対して無神経な古事記(本当に古い文献か)

第10 古事記は伊勢神宮成立後の文献

第10の2 応神記の気比の大神について

第11 国生み叙述の根本的問題

第12 日本神話の読み方を考える(第1子は生み損ないか)

第13 生まれてきた国々を分析する

第14 国生みのあとの神生み

第15 火の神カグツチ「殺し」

第16 黄泉国巡り

第17 コトドワタシと黄泉国再説

第18 禊ぎによる神生みの問題点

第19 日本神話の故郷を探る

第20 大道芸人の紙芝居としての古事記

第21 アマテラスら3神の生成

第22 分治の命令

第23 日本神話の体系的理解(日本書紀を中心に)

第24 日本神話の構造と形成過程

第25 生まれたのは日の神であってアマテラスではない

第26 日の神の接ぎ木構造

第27 最高神?アマテラスの伝承が変容する

第28 泣くスサノヲとイザナキの肩書き

第29 日本神話学の見通しと方法論

第30 日本神話のコスモロジー

第31 誓約による神々の生成(日本書紀)

第32 誓約による神々の生成(古事記)

第33 天の岩屋戸神話と出雲神話が挿入された理由

第34 日本神話のバックグラウンド・縄文から弥生への物語
(日本書紀第5段第11の一書を中心に)


第35 海洋神アマテラスと産霊の神タカミムスヒ
(日本書紀を中心に)


第36 支配命令神は誰なのか(ねじれた接ぎ木構造)

第37 アマテラスとタカミムスヒの極めて危うい関係

第38 五穀と養蚕の文化に対する反逆とオオゲツヒメ

第39 スサノヲの乱暴

第40 「祭る神が祭られる神になった」という幻想

第41 天の石屋戸と祝詞

第42 スサノヲの追放とその論理(日本書紀を中心に)

第43 アマテラス神話は確立していない(日本書紀を中心に)

第44 出雲のスサノヲ

第45 異伝に残された縄文の神スサノヲ(日本書紀を中心に)

第46 スサノヲにおける縄文と弥生の交錯(大年神の系譜)

第47 別の顔をもつスサノヲ(日本書紀を中心に)

第48 オオクニヌシの試練物語のへんてこりん

第49 オオクニヌシの王朝物語

第50 日本書紀第8段第6の一書の構成意図と古事記の悪意

第51 スクナヒコナと神功皇后と応神天皇と朝鮮

第52 偉大なるオオナムチ神話(大八洲国を支配したオオナムチ)

第53 三輪山のオオナムチ(日本書紀第8段第6の一書から)

第54 古事記はどうなっているか

第55 偉大なるオオクニヌシ(オオナムチ)の正体(問題提起)

第56 偉大なるオオクニヌシの正体(崇神天皇5年以降)

第57 崇神天皇5年以降を読み解く

第58 国譲りという名の侵略を考える前提問題

第59 「皇祖」「皇孫」を奪い取る「皇祖神」タカミムスヒ
(国譲りという名の侵略の命令者)


第60 皇祖神タカミムスヒの根拠
(国譲りという名の侵略の命令者)


第61 古事記における命令神
(国譲りという名の侵略の命令者)


第62 第9段第1の一書という異伝中の異伝と古事記

第63 武神の派遣と失敗と「高木神」

第64 タケミカヅチの派遣(タケミカヅチはカグツチの子)

第65 フツヌシとタケミカヅチの異同

第66 コトシロヌシは託宣の神ではないしタケミナカタは漫画

第67 「オオクニヌシの国譲り」の叙述がない

第68 天孫降臨の叙述の構造

第69 サルタヒコの登場

第70 古事記独特の三種の神宝

第71 天孫はどこに降臨したのか

第72 「国まぎ」を切り捨てた古事記のへんてこりん
(天孫降臨のその他の問題点)


第73 国譲り伝承と天孫降臨伝承との間にある断層

第74 じつは侘しい天孫降臨と田舎の土豪神武天皇

第75 天孫土着の物語

第76 火明命とニギハヤヒ(第9段の異伝を検討する)

第77 日向神話の体系的理解

第78 騎馬民族はやって来たか

第79 三種の宝物再論

第80 日本神話の大きな構成(三輪山のオオナムチとの出会い)

第81 海幸彦・山幸彦の物語を検討する

第82 「居場所」のない古事記

第83 本居宣長について

第84 日本神話を論ずる際のルール

第85 神々の黄昏

あとがき

著作権の問題など

付録・初版の「結論とあとがき」


新論文
神功紀を読み解く
神功皇后のごり押しクーデター

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