日本書紀を読んで古事記神話を笑う

日本書紀を読んで古事記神話を笑う 改訂新版

2009年10月5日up
(物語読者として日本神話を解明する)


第22 分治の命令


いわゆる「3貴神」への支配の命令

 さて,3神が生まれてきた。あとは,この3神が,この世界のどこを支配するかという話になる。

 「伊邪那伎大神」は,「御頚珠(みくびたま)の玉」をアマテラスに与えて,「高天の原」を支配するよう命令する。

 ツクヨミは「夜の食国(おすくに)」を,スサノヲは「海」を支配すべしと命令する。
 この2神には,玉を与えない。これも,アマテラスとは差別しているのであろう。

 なぜ星が登場しないのか。
 支配領域がいい加減ではないか。


星はどうなったのか

 なぜ,星の神が登場しないのだろうか。
 神話だったら,太陽と月とくれば,あとは星じゃないだろうか。ギリシャ神話は,日,月,星を,きちんと位置づけている。

 じつは日本書紀も同じで,人間の起源や存在がまったく無視されているのと同じくらい,星も,完全に無視されている。

 電灯がない時代,夜になれば,大地に寝っ転がって見えるのはこれだけだ。一晩,星を見て過ごす。そこにロマンが生まれて,神話が生まれる。

 日本神話では,なぜ,星が無視されているのだろうか。

 日本神話は,こうしたところでも,神話としての資格がないのかもしれない。大地に寝転がっていた古代人,古事記がいう「青人草」が作った神話ではないのだろう。

 本当に古い神話伝承には,星の伝承があったのかもしれない。しかし,日本神話として必要ないので,切り捨てられたのかもしれない。

 月の神ツクヨミの存在が限りなく薄いのも,同じ理由だ。

 日の神,アマテラスの伝承が称揚された時代だったから,月も星も切り捨てられたのかもしれない。

 鼻から生まれたスサノヲは,別格だ。これは,出雲神話を取り込むために必要だった。その経緯は,後述する。


抵抗する星の神カカセオがいた

 ここで,日本書紀第9段本文に跳ぶ。

 第9段では,国譲りという名の侵略がなされる。
 武神,フツヌシ(経津主神)とタケミカヅチ(武甕槌神)は,オオナムチ(大己貴神=オオクニヌシのこと)を剣で脅して出雲国を譲らせ,諸々のまつろわぬ神々を平らげる。

 日本書紀編纂者は,そこに分注を入れた。

 ただ,星の神カカセオ(香香背男=かかせお)だけが帰順しなかったので,倭文神建葉槌命(しとりがみたけはつちのみこと)を派遣して征伐した。


カカセオは地の神か天の神か

 第9段第2の一書にも登場する。

 フツヌシとタケミカヅチは,出雲に降るに先だって話し合う。「天に悪しき神」がいて,「天津甕星(あまつみかほし)と白ふ(いう)。亦の名は天香香背男」。この神をまず征伐して,その後に葦原中国に下ろう。

 カカセオは星の神だから,やはり天にいる神なのだろう。いずれにせよ星の神は,葦原中国にいる神々同様,天つ神に逆らう邪神のようだ。

 美しい星,天にいる星が,なぜ天つ神に逆らうのだろうか。なぜ,アマテラスらに敵対するものとして叙述されるのだろうか。

 スサノヲもまた,天つ神に逆らう邪神だった。

 日本神話でアマテラスらに敵対するのは,スサノヲだ。スサノヲとは,いかなる関係なのか。


なぜイザナキが高天原の支配者を決定できるのか(授権関係の矛盾)

 さて,イザナキはアマテラスに,「高天の原」を支配するよう命令したのだった。

 しかしイザナキは,「天つ神諸(もろもろ)」の命令で,「この漂へる国を修め理り固め成せ(おさめつくりかためなせ)」と,命令されただけだったはずだ。

 それ以上の命令はない。

 なのに,なぜイザナキが,アマテラスに対して,「高天原」を支配するよう命令できるのだろうか。

 まったくおかしい。図示すると以下のとおり。

  (修理固成の命令) (分治の命令) (高天原支配?)

 天つ神諸 ―→ イザナキ ―→ アマテラス ―→ 天つ神諸?

 タカミムスヒら高天原の神々(天つ神諸)から授権された者(イザナキ)が,授権した者(天つ神諸)を支配する神々(アマテラス)を指名するという点で,明白な矛盾だ。

 日本神話の学者さんたちは,こうした矛盾に気付かないのだろうか。


文学部の学者さんに任せておけない問題

 法学部で学んだ者は,以上の疑問をいだいてしまう。

 法学部で憲法を学ぶと,すぐわかる。憲法−法律−政令−規則。法治国家の,ピラミッド型の授権関係だ。

 国会は,憲法違反の法律を制定することができない。
 国会が成立させる法律で,憲法を改正することはできない。憲法改正は,憲法自体に,改正手続きが明記されている。

 やさしく言い換えればこうだ。

 親が子に,国生みと神生みを命じた。子は,命令に忠実に,国と神を生んだ。その神が素晴らしかったので,子は,親が生きている世界を支配するよう命じた。

 なんか変じゃないか。


たかが神話ですまされない

 たかが神話じゃないか,目くじら立てるな,と言う人が必ずいる。

 しかし,そういう問題ではない。

 日本書紀本文に,「修理固成の命令」はない。イザナキとイザナミは,ごく自然に,国生みに入っていく。
 こっちの方が,はるかに良かった。

 「修理固成の命令」は,古事記特有の体系だ。

 その古事記は,かつての学者さんが鋭く見抜いたとおり,ギリシャ神話とは異なり,「政治的性格」が強い。
 私は,「支配命令の体系」,「権威的,権力的,支配的性格」と呼んでいる。

 こうした叙述態度の古事記ライター。「修理固成の命令」を,わざわざ書き加えた古事記ライターが,じつは,体系的思考とは無縁の,ちゃらんぽらんな叙述をしていることが問題なのだ。

 そこが笑える,と言うのだ。

 こんなことでは,軍隊は動きません。混乱して同士討ちを始めるだけだ。

 古事記は,「支配命令の体系」,「権威的,権力的,支配的性格」という意味で,決して素朴な神話ではない。
 では,よくできた神話かというと,そうではない。


アマテラスを「高天の原」の支配者としたのもおかしい

 それよりも,論理的に変な点がある。命令(授権)の内容に関する問題である。

 そもそも,「この漂へる国」の「修理固成」を命令されただけだったはずだ。「修理固成の命令」。学者さんは,この文言にまとめる。

 だけどそれは,古事記でいえば「神国日本」。国生みと神生みのことではないだろうか。
 それが終われば,「この漂える国」が「神国日本」として確立するはずだ。

 これで,「修理固成」の任務終了。ハイッ,終わり。


越権行為

 とにかく,漂える国の「修理固成」とは関係のない,高天原の支配者を決めるなんて,世界の支配者を決めるなんて,授権の範囲を超えた越権行為である。

 「この漂へる国」を「修理固成」して,「神国日本」ができたのはいいとして,それは,「高天原」とは違う。
 しょせん,下界の話だ。

 下界の世界を作り固めるのが,「修理固成」だ。

 だから,アマテラスを下界のドンに指名したというのならば,まだわかる。それなりに筋が通っている。

 ところが,イザナキが,天上界,「高天原」をも含めた支配者を決定したとは,これいかに。

 わけがわからない。


やはり文学部では理解できないだろう

 法学部の講義に,こうある。
 リンゴを買ってきてくれと頼まれたのに,マンションを買ってくるのは,越権行為である。代理権の範囲外だ。
 だから,原則的に無効だ。

 決して,間違えてナシを買ってきたという問題ではない。

 私が,純粋で真っ正直な小学3年生だったら,これくらいのことを言って,先生にたてつく。生意気なこと言っとるんじゃないと怒鳴られるようであれば,その先生を軽蔑して,以後決して信用しない。

 頭を低くして,担任が替わるのを待つ。

 私が笑うのは,こうしたところだ。

 先に私は,古事記は「支配命令の体系」だと言った。

 そのくせ,その命令体系はむちゃくちゃ。論理もむちゃくちゃ。格好をつけているだけ。いわば張り子の虎。「修理固成」の命令なんて,いかにも神話的雰囲気を漂わせるが,ちゃんちゃらおかしい。


古事記がいう支配領域はめちゃくちゃ

 以上の点はおくとしても,3神の支配領域が,また,めちゃくちゃだ。

 高天原はアマテラスが支配するのだから,あとは天の下,すなわち地上界が問題となる(ちなみに黄泉国はイザナミが黄泉津大神となっている)。

 地上界のうち,ツクヨミが「夜の食国」,すなわち夜の地上界を支配するのであれば,昼の地上界はどうなるのだろうか。

 その地上界のうち,海原については,昼と夜とを問わずスサノヲが支配するようだ。

 しかし,そもそも,海の支配者はワタツミ(海神,綿津見)ではなかったのか。

 ワタツミは,狭義の「国生み」に続いて神生みをしたとき,すぐに,「大綿津見神」として生まれている。
 そして,ご丁寧にも,イザナキが禊ぎをした際に,「底津綿津見神」,「中津綿上津見神」,「上津綿上津見神」が,さらに生まれていた。

 スサノヲは,何を支配しようというのだろうか。

 彼らの上に立って,海原については,昼と夜とを問わずスサノヲが支配するとしても,海原のうちでも,近海は天の下,地上界だ。

 遠洋は,天の下ではない異界だ。当時は航海技術が未発達だったから,遠洋は,常世国がある異界だった。


古事記がいう支配領域を図示する

 ワタツミ(海神)の問題は除外して,以上を図示しておこう。

       (天の下)          (異界)

   (陸地)     (近海)      (遠洋)
         |          |
(昼) ?     |  スサノヲ    |  スサノヲ?
         |          |
 ――――――――|――――――――――|――――→(常世国へ)
         |          |
(夜)ツクヨミ   |  ツクヨミ?   |  スサノヲ?
         |  スサノヲ?   |


夜の近海と昼の地上界はどうなるのか

 上記図解でわかるとおり,夜の近海はどうなるのだろうか。

 「夜の食国」という文言からすればツクヨミが支配する。「海原」という文言からすれば,スサノヲが支配する。
 いったい,どちらが支配するのだろうか。

 それよりも,海を除いた昼の地上界(昼の陸地)を誰が支配するのか。ここは空白である。

 古事記ライターは,古事記序文によれば,世に聞こえた天才だったはずだ。
 天才の成果が,この程度か。
 読み慣わしたはずなのに,こんなめちゃくちゃなことに気付かなかったのか。

 それとも,単に,お経のごとく,わけもわからず暗唱しただけなのか。

 古事記ライターは,たいしたことない。少なくとも,古事記序文が言うような天才じゃない。・・・と私は思う。


第5段第6の一書の支配領域

 日本書紀第5段第6の一書はどうなっているか。

 イザナキは,アマテラスは「高天原」を,ツクヨミは「滄海原(あおうなはら)の潮の八百重(やおえ)」を,スサノヲは「天下」を支配すべし,と命令する。

 学者さんも含めて誰もが,ツクヨミが海を支配したという。
 そして,スサノヲが天の下を支配したとすると,矛盾するという学者さんもいる。

 しかし,こんなところにも,学者さんの怠慢があるのだ。第5段第6の一書の支配領域は,決して矛盾していない。


クヨミが支配したのは遠洋・「滄海原の潮の八百重」の解釈

 日本書紀編纂者は,さすがに精緻な頭をしていた。「海」ではなく,「滄海原の潮の八百重を治すべし」と書いている。

 波がいくつもいくつも重なる「滄海原」は,遙か遠い海だ。遠洋だ。当時の航海技術では,天の下とはいえない,異界だったのだ。
 その,「潮の八百重」を支配せよというのだ。

 青海原の向こうには,常世国(とこよのくに)という,誰も行けない異界があった。これに対して近海や沿岸は,自由に通行できた。そこは,魚を捕って暮らす,人々の生活圏でもあった。

 天の下は,こうした近海を含む,人間の社会をいう。

 だからここでは,天の下とは言えないはるか遠海,異界としての「滄海原の潮の八百重」といったのだろう。

 そこに海の神秘をみたからこそ,月齢を読むツクヨミが海を支配するとしたのだろう。


日本書紀第5段第6の一書はそれなりに筋がとおっている

 だから,こうなる。

       (天の下)          (異界)

   (陸地)     (近海)      (遠洋)
         |          |
(昼)スサノヲ   |  スサノヲ    |  ツクヨミ
         |          |
 ――――――――|――――――――――|――――→(常世国へ)
         |          |
(夜)スサノヲ   |  スサノヲ    |  ツクヨミ
         |          |

 きれいなものだ。ほれぼれするくらいだ。

 ツクヨミは,天の下とは言えない「遠洋」を支配し,スサノヲは,天の下である「陸地」と「近海」を支配するよう,命令されたのだ。昼も夜も区別せず。


古事記ライターを批判する

 それが,「滄海原の潮の八百重」という「叙述と文言」からの解釈だ。

 こうした意味で,第5段第6の一書は,きちんと筋が通っている。一部の人がいうように,筋が通っていないのではない。

 しかし古事記は,どう考えてもわけがわからない。素朴な伝承をそのまま並べたともいえない。

 古事記は,その序文によれば,太安万侶という1人のライターが,一貫した意図のもとに作った書物だ。

 神生みについては,あれほどきちんと整理整頓した古事記ライターが,ここでは,これほど無頓着なのだ。

 その意味を考えることが,学問というものだ。


玉の意味

 さて,イザナキは,なぜアマテラスだけに玉を与えたのだろうか。

 「御頚珠(みくびたま)」は,首につけていたアクセサリーの玉だ。これは,高天原の支配者の印のようでもある。

 第5段第6の一書には,玉は登場しない。

 しかもこの玉は,見事に無視される。

 天の石屋戸(あめのいわやど)の場面では,アマテラスをおびき出すために「八尺の勾玉の五百箇の御統(いおつのみすまる)の珠」と「鏡」を作る。
 天孫降臨の際に授けられるのは,「その招きし」八尺の勾玉と鏡だった。

 すなわち,アマテラスを祭るために,「新たに作られた」玉と鏡だった。

 イザナキが与えた「御頚珠」は,まったく無視されて,どこにいったかわからない。

 古事記には,こうしたいい加減さがある。

 私は,アマテラスを崇拝する古事記ライターの創作ではないかと,密かに疑っている。

 


トップページ( まえがき)

第1 私の立場と問題意識

第2 問題提起

第3 方法論の問題

第4 世界観と世界の生成

第5 神は死なない(神というもののあり方)

第6 原初神と生成神の誕生

第7 日本書紀における原初神と生成神の誕生

第8 修理固成の命令

第9 言葉に対して無神経な古事記(本当に古い文献か)

第10 古事記は伊勢神宮成立後の文献

第10の2 応神記の気比の大神について

第11 国生み叙述の根本的問題

第12 日本神話の読み方を考える(第1子は生み損ないか)

第13 生まれてきた国々を分析する

第14 国生みのあとの神生み

第15 火の神カグツチ「殺し」

第16 黄泉国巡り

第17 コトドワタシと黄泉国再説

第18 禊ぎによる神生みの問題点

第19 日本神話の故郷を探る

第20 大道芸人の紙芝居としての古事記

第21 アマテラスら3神の生成

第22 分治の命令

第23 日本神話の体系的理解(日本書紀を中心に)

第24 日本神話の構造と形成過程

第25 生まれたのは日の神であってアマテラスではない

第26 日の神の接ぎ木構造

第27 最高神?アマテラスの伝承が変容する

第28 泣くスサノヲとイザナキの肩書き

第29 日本神話学の見通しと方法論

第30 日本神話のコスモロジー

第31 誓約による神々の生成(日本書紀)

第32 誓約による神々の生成(古事記)

第33 天の岩屋戸神話と出雲神話が挿入された理由

第34 日本神話のバックグラウンド・縄文から弥生への物語
(日本書紀第5段第11の一書を中心に)


第35 海洋神アマテラスと産霊の神タカミムスヒ
(日本書紀を中心に)


第36 支配命令神は誰なのか(ねじれた接ぎ木構造)

第37 アマテラスとタカミムスヒの極めて危うい関係

第38 五穀と養蚕の文化に対する反逆とオオゲツヒメ

第39 スサノヲの乱暴

第40 「祭る神が祭られる神になった」という幻想

第41 天の石屋戸と祝詞

第42 スサノヲの追放とその論理(日本書紀を中心に)

第43 アマテラス神話は確立していない(日本書紀を中心に)

第44 出雲のスサノヲ

第45 異伝に残された縄文の神スサノヲ(日本書紀を中心に)

第46 スサノヲにおける縄文と弥生の交錯(大年神の系譜)

第47 別の顔をもつスサノヲ(日本書紀を中心に)

第48 オオクニヌシの試練物語のへんてこりん

第49 オオクニヌシの王朝物語

第50 日本書紀第8段第6の一書の構成意図と古事記の悪意

第51 スクナヒコナと神功皇后と応神天皇と朝鮮

第52 偉大なるオオナムチ神話(大八洲国を支配したオオナムチ)

第53 三輪山のオオナムチ(日本書紀第8段第6の一書から)

第54 古事記はどうなっているか

第55 偉大なるオオクニヌシ(オオナムチ)の正体(問題提起)

第56 偉大なるオオクニヌシの正体(崇神天皇5年以降)

第57 崇神天皇5年以降を読み解く

第58 国譲りという名の侵略を考える前提問題

第59 「皇祖」「皇孫」を奪い取る「皇祖神」タカミムスヒ
(国譲りという名の侵略の命令者)


第60 皇祖神タカミムスヒの根拠
(国譲りという名の侵略の命令者)


第61 古事記における命令神
(国譲りという名の侵略の命令者)


第62 第9段第1の一書という異伝中の異伝と古事記

第63 武神の派遣と失敗と「高木神」

第64 タケミカヅチの派遣(タケミカヅチはカグツチの子)

第65 フツヌシとタケミカヅチの異同

第66 コトシロヌシは託宣の神ではないしタケミナカタは漫画

第67 「オオクニヌシの国譲り」の叙述がない

第68 天孫降臨の叙述の構造

第69 サルタヒコの登場

第70 古事記独特の三種の神宝

第71 天孫はどこに降臨したのか

第72 「国まぎ」を切り捨てた古事記のへんてこりん
(天孫降臨のその他の問題点)


第73 国譲り伝承と天孫降臨伝承との間にある断層

第74 じつは侘しい天孫降臨と田舎の土豪神武天皇

第75 天孫土着の物語

第76 火明命とニギハヤヒ(第9段の異伝を検討する)

第77 日向神話の体系的理解

第78 騎馬民族はやって来たか

第79 三種の宝物再論

第80 日本神話の大きな構成(三輪山のオオナムチとの出会い)

第81 海幸彦・山幸彦の物語を検討する

第82 「居場所」のない古事記

第83 本居宣長について

第84 日本神話を論ずる際のルール

第85 神々の黄昏

あとがき

著作権の問題など

付録・初版の「結論とあとがき」


新論文
神功紀を読み解く
神功皇后のごり押しクーデター

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