日本書紀を読んで古事記神話を笑う

日本書紀を読んで古事記神話を笑う 改訂新版

2009年10月5日up
(物語読者として日本神話を解明する)


第6 原初神と生成神の誕生


天地の誕生と豊穣な生命のイメージ

 さて,原理原則はさておき,原初神の意味を考えておきたい。

 上記@からEまでの古事記冒頭部分は,神々の名前の羅列にすぎず,初めての読者は,これだけで辟易してしまうだろう。
 その意味を考えようとしても,学者のつっけんどんな説明しかない。「古事記を読む」みたいな解説書を読んでも,平板な現代語訳に終わっている。

 つまらない。

 しかし,神名の意味をつないでいくと,イメージの流れがよくわかる。


まず天地が生まれる

 上記Aの部分。

 国が若く,浮いた脂や海月(くらげ)のように漂っているとき,神が生成する核のような物,「葦牙(あしかび)の如く萌え騰(あが)る物」が生じた。そこから,アシカビ(宇摩志阿斯訶備比古遲神=うましあしかびひこぢのかみ)が生まれた。

 これは,生命や創造の種子だ。芽だ。原動力だ。

 さらに,それが天に向かって「萌え騰(あが)」って,アメノトコタチが生まれた。

 これは,天を支える根源神だ。

 上記Cの部分。

 その次に,クニノトコタチ(国之常立神=くにのとこたちのかみ)が生まれた。

 これは,地を支える根源神だ。

 こうして,天と地を支える根源神が出揃った。創造の原動力をなす神,アシカビが生まれたからこそ,天と地の基礎をなす神が生まれたのである。


生命誕生の契機

 そしてその後に,トヨクモノ(豐雲野神=とよくもののかみ)が生まれる。これは,天と地だけの,原始の世界を包み込む,雲の神である。

 天と地以外に何もないのであれば,砂漠だ。月世界だ。極めてシンプルな世界だ。永遠ではあるが,変化は何もない。

 生命を宿す「天の下」が生成されるには,他の契機がいる。それが,トヨクモノである。トヨクモノは,葦原中国(あしはらのなかつくに)に雨を降らせ,豊穣な大地を約束する,湿潤な雲と言ってよい。

 こうして,無機質な天と地に,生命の契機ともいえる雲が加わり,生命誕生の舞台は整った。


泥の性別から神の性別に進む

 こうして,さらに新たな神が出現する。

 上記Dの部分を読もう。

 「宇比地邇神(うひぢこのかみ)」と「妹須比智邇神(いもすひぢこのかみ)」というペアは,泥の男女神だ。まだ,どろどろの泥である。

 次に生まれてくる「角杙神(つのぐひのかみ)」と「妹活杙神(いもいくぐひのかみ)」というペアは,身体の芽生えを意味する。泥から,一歩進んで身体ができてきた。

 そこから「意富斗能地神(おおとのぢのかみ)」と「妹大斗乃辨神(いもおおとのべのかみ)」というペアが生まれる。これは,男女の性器を象徴する神である。

 ここまでくれば,生殖ができる。でも,相手を選ぶという高等生物には至っていない。

 さらに,「淤母陀流神(おもだるのかみ)」と「妹阿夜訶志古泥神(いもあやかしこねのかみ)」というペアが生まれる。
 これは,美しい顔をもった神と,それを見て畏まる神である。

 さてさて,やっと,相手を選ぶという段階に立ち至った。

 そして遂に,イザナキ(伊邪那岐神=いざなきのかみ)と,イザナミ(妹伊邪那美神=いもいざなみのかみ)が生まれた。

 と,こうなる・・・はずだ。


イザナキとイザナミの意味が確定できる

 要するに,天地がまだはっきりと分かれず,ぼんやりとしている状態の時に,天地の土台ができ,その間に,たなびく湿潤で豊かな雲ができた。

 これは,葦原中国に雨を降らせる。雨でできた泥から生命が芽生え,性器を象徴する部位が生じ,美しい顔が生じて恥じらいも生まれれば,男女が誘い合うようになる。

 それが,イザナキとイザナミということだ。

 この発展過程は,生命の源である泥から性が生じ,男女の人間が生成する過程だ。
 泥,生殖,人間としての美の発見,男女の誘い合い。
 これは同時に,泥から豊かな実りをもたらす,稲作のイメージに重なっていく。弥生時代のイメージだ。

 ここに,弥生の記憶が刻印されている。
 アマテラスが五穀と養蚕の神,弥生の神だったことは,あとで論証する。

 イザナキとイザナミの名前の由来については諸説あるようだ。

 しかし,「叙述と文言」をきちんと読めば,余計なお勉強は不要である。
 男女の誘い合いを示していることは,動かない。以上述べたイメージの連鎖は,非常に論理的で,しかも美しい。

 こうして,国生みと神生みの舞台が整った。


古来の伝承を利用した部分は古事記の方が完成されている

 ここで,日本書紀第1段本文を読んで,比較してみよう。

 日本書紀では,地上界に目がいって,「天」,すなわちアメノトコタチ(天常立尊)が無視されている。

 最初に生まれるのはクニノトコタチ(国常立尊)であり,クニノサツチ(国狭槌尊),トヨクモノ(豊斟渟尊)と続いていく。
 すなわち,国を支える根源神,クニノトコタチのあと,国土の神,雲の神と続き,「天」は無視されている。アメノトコタチは,異伝である第6の一書で登場するにすぎない。

 このように,むしろ古事記の方が,天の神と地の神を,きちんと整理しているのだ。

 日本書紀第6の一書で登場するアメノトコタチをミックスさせ,第1段第4の一書のさらなる異伝で紹介された,高天原と3神を冒頭にくっつければ,古事記のできあがりとなる。

 古事記は,こうした集成版でもある。

 上記@の部分は,やはりとってつけたようで,落ち着きが悪い。
 それとともに,上記事実は,古事記の総合的性格をも語っている。

 私は,どちらかというと,断片的であまり整っていない方が古いと感じる。


別天神五神と神世七代に分ける意味がどこにある

 さて,古事記の特異なところは,以上の神々を,「別天神五神」と「神世七代」とに分けている点だ。上記BとEの部分だ。いったいどんな意味があるのだろうか。

 古事記の分類は,以下のとおり。

a) @+A=タカミムスヒら3神+アシカビ+アメノトコタチ。以上5神が別天神。

b) C+D=クニノトコタチ+トヨクモノ+ペア神5神(じつは10神)。以上7神が神世七代。

 学者は,タカミムスヒら造化の3神の3,それを含めた別天神の5,その後の神世七代の7は,中国系の聖数3,5,7の奇数に合わせたものだと言っている。

 しかし,それ自体に大した意味はない。と言うより,お勉強の成果を強引にあてはめただけである。


屁理屈

 少々屁理屈を述べよう。

 「高天原」にいるタカミムスヒら3神は,古事記冒頭にバーンと登場するし,「高天原」でくくられているから,まず,3神の3だ。

 すると,「+アシカビ+アメノトコタチ」で,2神の2。

 これが,叙述の説明としては,はるかに,学者的学問的ではなかろうか。

 いや,「高天原」のタカミムスヒら3神のあとは,ペア神5神の前までが原初的な生成神たちだから,「+アシカビ+アメノトコタチ+クニノトコタチ+トヨクモノ」で4神。

 だから,3,4。これにペア神の5神の,5。

 こっちの方が,叙述の本質に基づいているから,筋が通っている。

 私が言いたいのは,もののわかったような学者さんの説は,日本神話の解釈に役に立たないということだ。
 と言うより,本質が見えなくなる。

 学者さんが,中国系の聖数3,5,7の奇数に合わせたものと言い切ったがために,叙述の流れがわからなくなり,一般読者に,ものを考えるきっかけを失わせたんだね。


別天神五神と神世七代に分けるとイメージの連鎖を破壊する

 イメージの連鎖こそ大切である。

 まず,上記@の部分。

 タカミムスヒら3神を「別天つ神」にするのは,古事記ライターの考え方だから,それはそれとして尊重するしかない。

 問題はその後だ。

 古事記ライターは,Aの部分までで切って,+アシカビ+アメノトコタチ,以上5神が「別天つ神」としてしまう。
 そして一方で,CとDの部分を独立させて,クニノトコタチ+トヨクモノ+ペア神5神(じつは10神)を,「神世七代」としている。

 しかし,イメージの連鎖から考えると,Aで切ってしまうのはおかしい。


切り方がでたらめ

 イメージとしては,天に伸びるほど強い勢いの葦(Aのアシカビ),すなわち創造の原動力から天が生まれ(Aのアメノトコタチ),
 続いて大地が生まれ(Cのクニノトコタチ),
 豊かな雲が生まれたという物語なのだ(Cのトヨクモノ)。

 そこに,イザナキとイザナミを導き出すペア神5神(じつは10神)がつながっていく(Dの神々)。

 イメージの連鎖からすれば,+アシカビ+アメノトコタチ+クニノトコタチ+トヨクモノとして,ここで切るべきだ。

 切れるのは,CとDの間である。

 ここから,泥の性別から神の性別に進む。イザナキとイザナミに向けた,ペア神の誕生となるからだ。そしてこれらは,単独神のように隠れることなく,神話の表舞台で活躍することになる神であった。

 グルーピングというならば,いっそタカミムスヒら3神だけ(@)を,「別天つ神」にすべきだった。これなら,筋が通る。


古事記ライターはイメージの連鎖がわかっていたのか

 要するに古事記ライターは,イメージに裏打ちされた神名を羅列しながら,その意味を理解しないで,流れを無視してぶつ切りにしているのだ。

 その根拠は,5と7の聖数に合わせるという,観念的な操作でしかない。

 その結果,かえって,神話としての叙述の流れを阻害している。

 日本書紀でいえば,第1段の第2の一書と第6の一書。後半の部分は第2段本文に該当する部分だ。
 内容を比較すればわかるとおり,古事記の記述内容は,日本書紀の記述とたいして変わらない。

 そして日本書紀は,クニノトコタチからイザナキ,イザナミまでを神世七代と呼んでいる(第3段)。筋が通った説明である。

 古事記ライターに,神話伝承の真の意味がわかっていたのかどうか。わけもわからず,事務屋のような仕事をしたのではないか。

 本当に古事記は,日本書紀よりも古いのかどうか。

 むしろ,神話伝承の意味がわからなくなった時代に,神話をまとめようとした人が書いた書物ではないのかと,勘ぐりたくもなるのだ。


柱という数え方はこれでよいのか

 そうした疑惑は,小さな点にもある。

 古事記ライターは,「上(かみ)の件の五柱の神は,別天つ神」とあるように,神の数を「柱(はしら)」という単位で数えている。

 これに対し日本書紀は,単に「三神」というだけだ。後の世の人たちが,訓として,「はしら」と読んでいるだけなのだ。

 原文に「三神」とあるところを「みはしらのかみ」と訓読するのは,日本書紀を読んだ後代の人たちである。

 ところが古事記ライターは,その「みはしら」という訓を表記自体に取り入れてしまい,「三柱の神」という文言を使っている。

 こうした数え方はかなり新しいのではないだろうか。

 いつ頃からこうした表記をするようになったのだろうか。日本書紀編纂者たちも,「三神」と表記しながら,現実には「みはしらのかみ」と訓読していたのだろうか。

 問題のあるところである。

 


トップページ( まえがき)

第1 私の立場と問題意識

第2 問題提起

第3 方法論の問題

第4 世界観と世界の生成

第5 神は死なない(神というもののあり方)

第6 原初神と生成神の誕生

第7 日本書紀における原初神と生成神の誕生

第8 修理固成の命令

第9 言葉に対して無神経な古事記(本当に古い文献か)

第10 古事記は伊勢神宮成立後の文献

第10の2 応神記の気比の大神について

第11 国生み叙述の根本的問題

第12 日本神話の読み方を考える(第1子は生み損ないか)

第13 生まれてきた国々を分析する

第14 国生みのあとの神生み

第15 火の神カグツチ「殺し」

第16 黄泉国巡り

第17 コトドワタシと黄泉国再説

第18 禊ぎによる神生みの問題点

第19 日本神話の故郷を探る

第20 大道芸人の紙芝居としての古事記

第21 アマテラスら3神の生成

第22 分治の命令

第23 日本神話の体系的理解(日本書紀を中心に)

第24 日本神話の構造と形成過程

第25 生まれたのは日の神であってアマテラスではない

第26 日の神の接ぎ木構造

第27 最高神?アマテラスの伝承が変容する

第28 泣くスサノヲとイザナキの肩書き

第29 日本神話学の見通しと方法論

第30 日本神話のコスモロジー

第31 誓約による神々の生成(日本書紀)

第32 誓約による神々の生成(古事記)

第33 天の岩屋戸神話と出雲神話が挿入された理由

第34 日本神話のバックグラウンド・縄文から弥生への物語
(日本書紀第5段第11の一書を中心に)


第35 海洋神アマテラスと産霊の神タカミムスヒ
(日本書紀を中心に)


第36 支配命令神は誰なのか(ねじれた接ぎ木構造)

第37 アマテラスとタカミムスヒの極めて危うい関係

第38 五穀と養蚕の文化に対する反逆とオオゲツヒメ

第39 スサノヲの乱暴

第40 「祭る神が祭られる神になった」という幻想

第41 天の石屋戸と祝詞

第42 スサノヲの追放とその論理(日本書紀を中心に)

第43 アマテラス神話は確立していない(日本書紀を中心に)

第44 出雲のスサノヲ

第45 異伝に残された縄文の神スサノヲ(日本書紀を中心に)

第46 スサノヲにおける縄文と弥生の交錯(大年神の系譜)

第47 別の顔をもつスサノヲ(日本書紀を中心に)

第48 オオクニヌシの試練物語のへんてこりん

第49 オオクニヌシの王朝物語

第50 日本書紀第8段第6の一書の構成意図と古事記の悪意

第51 スクナヒコナと神功皇后と応神天皇と朝鮮

第52 偉大なるオオナムチ神話(大八洲国を支配したオオナムチ)

第53 三輪山のオオナムチ(日本書紀第8段第6の一書から)

第54 古事記はどうなっているか

第55 偉大なるオオクニヌシ(オオナムチ)の正体(問題提起)

第56 偉大なるオオクニヌシの正体(崇神天皇5年以降)

第57 崇神天皇5年以降を読み解く

第58 国譲りという名の侵略を考える前提問題

第59 「皇祖」「皇孫」を奪い取る「皇祖神」タカミムスヒ
(国譲りという名の侵略の命令者)


第60 皇祖神タカミムスヒの根拠
(国譲りという名の侵略の命令者)


第61 古事記における命令神
(国譲りという名の侵略の命令者)


第62 第9段第1の一書という異伝中の異伝と古事記

第63 武神の派遣と失敗と「高木神」

第64 タケミカヅチの派遣(タケミカヅチはカグツチの子)

第65 フツヌシとタケミカヅチの異同

第66 コトシロヌシは託宣の神ではないしタケミナカタは漫画

第67 「オオクニヌシの国譲り」の叙述がない

第68 天孫降臨の叙述の構造

第69 サルタヒコの登場

第70 古事記独特の三種の神宝

第71 天孫はどこに降臨したのか

第72 「国まぎ」を切り捨てた古事記のへんてこりん
(天孫降臨のその他の問題点)


第73 国譲り伝承と天孫降臨伝承との間にある断層

第74 じつは侘しい天孫降臨と田舎の土豪神武天皇

第75 天孫土着の物語

第76 火明命とニギハヤヒ(第9段の異伝を検討する)

第77 日向神話の体系的理解

第78 騎馬民族はやって来たか

第79 三種の宝物再論

第80 日本神話の大きな構成(三輪山のオオナムチとの出会い)

第81 海幸彦・山幸彦の物語を検討する

第82 「居場所」のない古事記

第83 本居宣長について

第84 日本神話を論ずる際のルール

第85 神々の黄昏

あとがき

著作権の問題など

付録・初版の「結論とあとがき」


新論文
神功紀を読み解く
神功皇后のごり押しクーデター

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