日本書紀を読んで古事記神話を笑う

日本書紀を読んで古事記神話を笑う 改訂新版

2009年10月5日up
(物語読者として日本神話を解明する)


第27 最高神?アマテラスの伝承が変容する


アマテラスが最高神だというのは幻想だ

 さて,日の神,アマテラス,「大日霎尊」の関係は,上記したとおり解決した。

 では,アマテラスは皇祖神,最高神なのだろうか。それが通説である。皆,信じている。

 しかし,じつは,神々の長でも何でもないのである。そんなことを言っている人は,「叙述と文言」をきちんと読めない人なのだ。


日本神話の読み方(この論文の原則)を確認する

 この論文の大前提はこうであった。

 何度も言うとおり,日本書紀本文と異伝である一書と古事記とは,別伝承であり,ごっちゃにしてはいけない。分析的思考が必要である。

 そして,中国や朝鮮に出してもおかしくないもの,という意味で気張って編纂したものが,日本書紀本文である。これが,国家の威信をかけた,神話の公権的公定解釈である。

 その基礎になったものが,異伝として残っている。

 ここまではいい。

 で,古事記は?
 じつは,ちょっとその位置づけに困る。

 日本書紀編纂者は,この論文で何度も指摘してきたとおり,古事記を無視しているからだ。そもそも,参照していない。
 出来が悪いからなのか,そもそも存在しなかったからなのかは,わからぬ。

 ま,わからぬなりに,日本書紀本文と,異伝である一書と,古事記を比較対照して読み込んでいけば,自ずと結論が出るだろうというのが,この論文の1つの目標でもあった。

 そこで,本当に最高神アマテラスなのかという観点から,諸伝承を比較対照してみよう。


日本書紀第5段本文の主題は「天下の主者」を生むこと

 まず,日本書紀第5段本文だ。

 第5段本文では,「何(いかに)ぞ天下の主者(きみたるもの)を生まざらむ」というのが,ことの発端,主題である。

 ところが,生まれてきた日の神(のちのアマテラス)は,あまりにも光り輝かしいので,「此の国に留(と)めまつるべからず。」となり,「授くるに天上の事を以ってすべし」というだけなのだ。

 わかりますか?

 天の下を支配する者にしては,その任を超えて輝かしく,そんな仕事をさせるにはもったいないので,天上に送って,その事務を執らせたというだけのことである。

 学者さんは,これを,天上界の政事(まつりごと)を授けたと解釈している(小学館・新編日本古典文学全集・日本書紀1,36頁)。正当である。まっとうである。

 関心は,あくまでも,「何(いかに)ぞ天下の主者(きみたるもの)を生まざらむ」なのですぞ。
 これをゆるがせにしちゃ,いけません。


日本書紀編纂者はアマテラスを最高神にしようとしなかった

 この「叙述と文言」から,それ以上のことが読み取れますか?
 天上界の支配者になったとか,神々の長になったとか,読み取れますか?
 読み取れるという人は,いったい,何を見ているのですか?

 「授くるに天上の事を以ってすべし」というだけで,天上界の第一人者とか,支配者とか,神々の上に立つ者とかいう「叙述と文言」は,まったくない。

 そして,次に生まれたのは月の神。これをツクヨミに読み替えるとしても,光り麗しいので「以て日に配べて治すべし」として,やはり天上界へ送ったのだった。

 すなわち,日本書紀第5段本文は,日の神も月の神も,同列に論じているのだ。

 月の神が日の神と並んで支配しているのであり,そこに上下関係はない。
 月の神の光り麗しきこと日に次げりとは書いてある。しかしだからといって,太陽のほうが上であるとは書いてない。

 このように,日本書紀第5段本文は,アマテラスが最高神だとは言ってない。

 すなわち,日本書紀編纂者は,アマテラスを最高神に位置づけようなんて,これっぽちも考えていなかったのだ。

 この点を忘れないでほしい。


天石窟(あめのいわやど)の話も最高神だなんて書いてない

 第7段本文は,有名な天石窟の話である。スサノヲの乱暴により,アマテラスが天石窟にこもってしまう話である。

 ほとんどすべての論者が,太陽神であり最高神であるアマテラスを称揚した段だと主張する。
 そして議論の焦点は,岩戸隠れが何を象徴しているかという点にあるように見える。

 しかし,私に言わせれば,アマテラスを称揚なんかしていない。
 「日本神話の体系的理解」や,「スサノヲ神話の本質」で述べたとおり,主人公はスサノヲであって,アマテラスは脇役にすぎない。


あたかも共和制かのような天石窟(あめのいわやど)の話

 ま,それはいい。私の「日本神話の体系的理解」を受け入れない人もいるだろうから。

 だから,誰でも認めざるを得ない,どうしようもない現実,「叙述と文言」の話をしよう。

 アマテラスが天石窟に籠もってしまったので,困った「八十万神(やそよろづのかみ)」は,集まって協議した。
 そして,アマテラスが岩窟から出てきた後にスサノヲを処罰するのも,「諸の神(もろもろのかみたち)」だった。

 古事記は,ここのところ,「ここに八百萬の~共に議(はか)りて,速須佐之男の命に千位(ちくら)の置戸(おきど)を負せ」,としている。

 アマテラスがいるのに,アマテラスはほっておいて,「八百萬の~共に議(はか)りて」である。

 アマテラスは被害者だ。もしアマテラスが最高神であるならば,天石窟から出てきたあと,スサノヲを処罰するのはアマテラス自身のはずだ。

 ところが,そうなっていない。


女性的で弱々しいアマテラス

 すでに述べたが,アマテラスは,あまりにも女性的だ。

 神々が外で踊っているので,ちょっと面白そうね,と岩戸を開けると,男神アチカラオ(手力男神=たちからおのかみ)が腕をつかんで引き出してしまった。

 自分の気を引こうとする人に興味を持ってしまう。
 つい,様子を見てしまう。
 やっぱり自分が必要なのかな?
 籠もっちゃったけれど,やっぱり,ちょっと気になる。
 戸を開けたとたん,力の強い男に,強引に引き出されちゃった。
 (それがうれしい)。

 まったくもって,女性的というしかない。

 決して最高神なんかじゃない。


日本書紀第9段はタカミムスヒが主役だ

 アマテラスの位置付けは,第9段本文冒頭ではっきりする。

 葦原の中つ国を支配しようと画策し,天孫降臨を命令するのは,タカミムスヒだ。アマテラスではない。
 後述するが,異伝である一書においてさえ,アマテラスは,大した役割を与えられていない。

 そしてタカミムスヒは「皇祖(みおや)」という尊称をもっている。アマテラスにはない。
 降臨する天孫はニニギだが,アマテラスは,その祖母という地位を与えられているにすぎない。

 じつはタカミムスヒは,後述するとおり,娘を通じて神統につながった,外戚の立場にすぎない。ところが,画策し命令するのは,アマテラスではなくタカミムスヒなのだ。

 アマテラスは,「血」を提供しているだけのように見える。

 また,前述したとおり,顕宗天皇3年4月に登場する月の神と日の神は,揃って,「我が祖(みおや)タカミムスヒ」と呼び,月の神にいたっては,タカミムスヒを称して,「天地を鎔ひ造せる功有する(あいいたせるいさおしまします)」と述べている。

 ここでは日の神は,タカミムスヒの下にいる神になっている。


高天原パンテオンという用語のおかしさ

 「高天原パンテオン」という「学術用語」がある。

 私は,これを読むだけで赤面してしまう。こんなに不用意で恥ずかしい用語は,まったく使えない。

 日本神話におけるアマテラスの位置づけだけの問題ではない。

 前述したとおり,クニノトコタチやクニノサツチやトヨクムヌは,アマテラスやタカミムスヒとは異質の神だ。日本古来からあった「陽」の気だけから成った神だ。

 支配命令体系を伴った,権威的権力的支配的な伝承とも関係がない。初めから自然の中に生まれた神だ。

 一方タカミムスヒは,高天原にいることになっており,アメノミナカヌシ(天之御中主神),カミムスヒ(神皇産霊尊)と共に,3神で,独自の世界を形成している。

 だから,「高天原パンテオン」などという用語で,簡単にくくれるものではない。

 「パンテオン」だなんて,ギリシャ神話みたいで,恥ずかしい。やめてほしい。


異伝がアマテラス=最高神という戯言を広めた

 さて,以上述べたとおり,日本書紀編纂者は,アマテラスが最高神だなんて,てんで考えてなかった。

 当時最高の官僚であり,学者さんであり,文化人であり,中国の文献を自在に操ることができ,何よりも権力の中枢にいた複数の人々が,アマテラスを最高神とみなしていないのである。

 これは,よくよく考えてみなければいけない。

 ではなぜ,アマテラスが最高神だなんて観念が流布したのか。

 その理由はよくわかる。第5段第6の一書や古事記だ。これらの異伝とごっちゃに考える,「全体的思考」の産物なのだ。

 で,以下,これらを検討してみよう。


日本書紀第5段第6の一書が1つの根拠

 第5段第6の一書はこうである。「伊奘諾尊,三の子(みはしらのみこ)に勅任(ことよさ)して曰く,『天照大~は,以て高天原を治すべし』」。

 これが根拠になっている。
 でも,異伝だけれども。

 これは,「高天原」にいる天つ神から「修理固成の命令」で委任を受けたイザナキが,「高天原」を支配する神を指名するという点で,論理矛盾である。
 「勅任」なんて「文言」の使い方自体が,極めて新しい。
 律令国家の体制が整った時代の話じゃなかろうか。

 これについては,すでに述べた。

 だから,日本書紀編纂者は,この変な伝承を,異伝という立場に置き留めたのである。

 それはともかく,この異伝が,何の文飾もなく,(神話上の)事実を淡々と述べているだけであることに注意してほしい。


古事記は第5段第6の一書を文飾した

 古事記はどうか。

 「伊邪那伎の命,大(いた)く歡喜びて,・・・とのりたまひて,すなはち御頚珠(みくびたま)の玉の緒もゆらに取りゆらかして,天照大御~に賜ひて,詔りたまひしく,『汝命は,高天の原を知らせ。』と事依(ことよ)さして賜ひき」。

 どうでしょうか。

 第5段本文は無視。
 異伝である第5段第6の一書を基にして,いろいろと修飾がありますなあ。

 古事記ライターは,アマテラスお大事。「天照大御神」で一貫している人だ。だから,イザナキは,自分がつけていた首飾りを,「天照大御神」の首に掛けちゃう。

 金メダルだ。勲章だ。
 これを学者さんは,正統性のレガリアだという。

 私には,滑稽に見えるだけなのだが。


第5段本文,第5段第6の一書,古事記の関係

 滑稽かどうかは,人の主観だから,気にしないでほしい。

 しかし,少なくとも,アマテラスは最高神なんかじゃなくて,古代の公文書たる日本書紀第5段本文はそれを採用したけれども,いや最高神だと言い張る異伝も別にあって,古事記ライターは,それをさらに脚色した。

 それくらいのことは,言えるんじゃなかろうか。

      第5段本文
        ↑
     (伝承の併存)
        ↓
      第5段第6の一書 ――→ 古事記

 こんな感じかな。

 なお,第5段第6の一書は,古事記と同系統の伝承である。

 それは,スサノヲの「いぶりなる」側面をカットし,単に泣くだけのメソメソ系のどうしようもない神に貶めていること,母のいる根国に行きたいと言わせていることから,明らかである。


古事記における天照大御神は新しい

 何度も述べたとおり,古事記では,「天照大御神」である。「大神」であり,しかも,初めから一貫して,ご丁寧にも「御」の字がついている。

 そして,日本書紀編纂者が残してくれた,古い古い伝承の痕跡,「日の神の接ぎ木構造」は,これっぽっちも残っていない。

 日本書紀第5段や神武紀に残っている,「大日霎貴」,「大日霎尊」,アマテラスをめぐる危うさも,まったくない。

 古事記は,極めて単純である。
 タカミムスヒとともに命令を出す点も,単純である。
 悩ましいところがまるでない。
 あまりにも首尾一貫している・・・,ように見える。

 そして,(神話的)事実を淡々と語るだけの第5段第6の一書に,文飾を加えている。

 古事記は,本当に,一番古い伝承なのだろうか。
 古来の伝承を,本当に,そのまま残しているのだろうか。

 私には,古来の伝承のリライト版だとしか思えない。


日本神話の形成過程を振り返る

 最後に,付け加えておこう。

 南九州の吾田にいた「日の神」は,神武「東征」とともにヤマトに入って,「出雲の神々を退場させる新たな神話の創成」や,手の込んだ「壮大なる血の交替劇」のために,アマテラスに変容させられた。

 だから,同じアマテラス伝承でも,一番古いアマテラス伝承は,最高神という位置づけはない。吾田にいた海洋神に近い。これが,日本書紀第5段本文である。

 次は,第5段第6の一書。
 「天照大神」が,最高神として位置づけられた。

 そして,アマテラス信仰がさらに定着し,第5段第6の一書にいう「天照大神」ならぬ,「天照大御神」という,突き抜けた名前をもった神が出現したのが,古事記である。

 


トップページ( まえがき)

第1 私の立場と問題意識

第2 問題提起

第3 方法論の問題

第4 世界観と世界の生成

第5 神は死なない(神というもののあり方)

第6 原初神と生成神の誕生

第7 日本書紀における原初神と生成神の誕生

第8 修理固成の命令

第9 言葉に対して無神経な古事記(本当に古い文献か)

第10 古事記は伊勢神宮成立後の文献

第10の2 応神記の気比の大神について

第11 国生み叙述の根本的問題

第12 日本神話の読み方を考える(第1子は生み損ないか)

第13 生まれてきた国々を分析する

第14 国生みのあとの神生み

第15 火の神カグツチ「殺し」

第16 黄泉国巡り

第17 コトドワタシと黄泉国再説

第18 禊ぎによる神生みの問題点

第19 日本神話の故郷を探る

第20 大道芸人の紙芝居としての古事記

第21 アマテラスら3神の生成

第22 分治の命令

第23 日本神話の体系的理解(日本書紀を中心に)

第24 日本神話の構造と形成過程

第25 生まれたのは日の神であってアマテラスではない

第26 日の神の接ぎ木構造

第27 最高神?アマテラスの伝承が変容する

第28 泣くスサノヲとイザナキの肩書き

第29 日本神話学の見通しと方法論

第30 日本神話のコスモロジー

第31 誓約による神々の生成(日本書紀)

第32 誓約による神々の生成(古事記)

第33 天の岩屋戸神話と出雲神話が挿入された理由

第34 日本神話のバックグラウンド・縄文から弥生への物語
(日本書紀第5段第11の一書を中心に)


第35 海洋神アマテラスと産霊の神タカミムスヒ
(日本書紀を中心に)


第36 支配命令神は誰なのか(ねじれた接ぎ木構造)

第37 アマテラスとタカミムスヒの極めて危うい関係

第38 五穀と養蚕の文化に対する反逆とオオゲツヒメ

第39 スサノヲの乱暴

第40 「祭る神が祭られる神になった」という幻想

第41 天の石屋戸と祝詞

第42 スサノヲの追放とその論理(日本書紀を中心に)

第43 アマテラス神話は確立していない(日本書紀を中心に)

第44 出雲のスサノヲ

第45 異伝に残された縄文の神スサノヲ(日本書紀を中心に)

第46 スサノヲにおける縄文と弥生の交錯(大年神の系譜)

第47 別の顔をもつスサノヲ(日本書紀を中心に)

第48 オオクニヌシの試練物語のへんてこりん

第49 オオクニヌシの王朝物語

第50 日本書紀第8段第6の一書の構成意図と古事記の悪意

第51 スクナヒコナと神功皇后と応神天皇と朝鮮

第52 偉大なるオオナムチ神話(大八洲国を支配したオオナムチ)

第53 三輪山のオオナムチ(日本書紀第8段第6の一書から)

第54 古事記はどうなっているか

第55 偉大なるオオクニヌシ(オオナムチ)の正体(問題提起)

第56 偉大なるオオクニヌシの正体(崇神天皇5年以降)

第57 崇神天皇5年以降を読み解く

第58 国譲りという名の侵略を考える前提問題

第59 「皇祖」「皇孫」を奪い取る「皇祖神」タカミムスヒ
(国譲りという名の侵略の命令者)


第60 皇祖神タカミムスヒの根拠
(国譲りという名の侵略の命令者)


第61 古事記における命令神
(国譲りという名の侵略の命令者)


第62 第9段第1の一書という異伝中の異伝と古事記

第63 武神の派遣と失敗と「高木神」

第64 タケミカヅチの派遣(タケミカヅチはカグツチの子)

第65 フツヌシとタケミカヅチの異同

第66 コトシロヌシは託宣の神ではないしタケミナカタは漫画

第67 「オオクニヌシの国譲り」の叙述がない

第68 天孫降臨の叙述の構造

第69 サルタヒコの登場

第70 古事記独特の三種の神宝

第71 天孫はどこに降臨したのか

第72 「国まぎ」を切り捨てた古事記のへんてこりん
(天孫降臨のその他の問題点)


第73 国譲り伝承と天孫降臨伝承との間にある断層

第74 じつは侘しい天孫降臨と田舎の土豪神武天皇

第75 天孫土着の物語

第76 火明命とニギハヤヒ(第9段の異伝を検討する)

第77 日向神話の体系的理解

第78 騎馬民族はやって来たか

第79 三種の宝物再論

第80 日本神話の大きな構成(三輪山のオオナムチとの出会い)

第81 海幸彦・山幸彦の物語を検討する

第82 「居場所」のない古事記

第83 本居宣長について

第84 日本神話を論ずる際のルール

第85 神々の黄昏

あとがき

著作権の問題など

付録・初版の「結論とあとがき」


新論文
神功紀を読み解く
神功皇后のごり押しクーデター

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