日本書紀を読んで古事記神話を笑う

日本書紀を読んで古事記神話を笑う 改訂新版

2009年10月5日up
(物語読者として日本神話を解明する)


第62 第9段第1の一書という異伝中の異伝と古事記


第9段第1の一書

 さて,古事記の命令神を実質的に考えると,アマテラス1神だったことが判明した。
 タカミムスヒと並立というが,それを装うためにぶち込んだはいいが,日本語として通じない,わけのわからぬ編集になっているのだった。

 ところで,日本書紀第9段における命令神は,以下のとおりだった。

       (命令者)       (アイテム)
本   文   タカミムスヒ      真床追衾
第1の一書   アマテラス       三種の宝物
第2の一書   タカミムスヒ      鏡
第4の一書   タカミムスヒ      真床追衾
第6の一書   タカミムスヒ      真床追衾


第9段第1の一書を検討する意味

 日本書紀だけを眺めていれば,アマテラス1神が命令する伝承は,異伝中の異伝でしかない。

 決して,日本神話の「王道」ではない。

 ところで,日本書紀本文と,一書という異伝と,古事記は,それぞれ独立した神話伝承である。優劣はない。

 だから,アマテラスが命令神であるとする,第9段第1の一書と古事記との比較が問題となる。
 これを検討して,「日本神話における古事記の相対的位置」ないし「ベクトルの指し示すもの」を追究する必要が出てくる。

 古事記は,この,第9段第1の一書という異伝中の異伝の系譜に属するのか。
 そうだとすると,それは,異伝中の異伝をどのように改変しているのか。
 それとも,異伝中の異伝とは異なる,さらなる異伝なのか。

 こんな見通しが出てくる。


古事記の内容の整理

 古事記の内容は,以下のとおりだ。

@)何よりもまず,アマテラス1神が「天子降臨」を企てるが,天子(アメノオシホミミ)が戻ってきてしまう。

A)そこで,「天子降臨を完遂するために」,タカミムスヒとともに,アメノホヒを派遣するが,3年間復命しない。

B)同様にしてアメワカヒコを派遣するが,8年間復命しない。

C)返し矢によりアメワカヒコは死に,アジスキタカヒコネのお話が続く。

D)同様にして,タケミカヅチを派遣する。

E)2神は,当初のもくろみどおり2度目の天子降臨が企てるが,その途中で天孫が生まれて,突然,天孫降臨になってしまう。


第9段第1の一書の内容の整理

 日本書紀第9段第1の一書には,1回目の天子降臨(失敗)とアメノホヒ派遣の部分がなく,なぜか唐突に,アメワカヒコ派遣の場面から始まる。

 整理すると,以下のとおりだ。

ア)アマテラス1神が「天子降臨」を企て,アメワカヒコに国譲りという名の侵略を命令する。

イ)ところがアメワカヒコは,葦原中国の神の娘と結婚し,居着いて,8年間復命しない。

ウ)返し矢によりアメワカヒコは死に(「かくれる」と読んでいる),アジスキタカヒコネのお話が続く。

エ)アマテラス1神が「天子降臨」を企てるが,葦原中国が平定されていないのを見て,天子が戻ってきてしまう。

オ)そこでアマテラス1神は,タケミカヅチらに,国譲りという名の侵略を命令する。

カ)アマテラス1神は,当初のもくろみどおり2度目の「天子降臨」が企てるが,その途中で天孫が生まれて,突然,「天孫降臨」になってしまう。


古事記は第9段第1の一書と同じ伝承(その1)

 これでわかるとおり,古事記は,第9段第1の一書と同じ伝承に属する。

 共に,天の下ではなく,(豊)葦原中国と呼んでいる。

 細かいことを言えば,第9段第1の一書に出てくる「天浮橋」。降臨から戻ってきてしまったアメノオシホミミが,葦原中国を見た場所だ。

 これが,古事記と同じ「天浮橋」。

 またここに,古事記で登場する神と同一と思われる,「思金神の妹万幡豊秋津媛命(よろづはたとよあきつひめのみこと)」が,アメノオシホミミに嫁ぐという話が挿入され,物語の伏線となる。

 オモイカネ(思兼神)はタカミムスヒの息子だった(第7段第1の一書)。

 オモイカネが,アメワカヒコの様子を探るために雉(きぎし)を派遣する旨,進言するところも,古事記と同じだ。

 そして何よりも,アジスキタカヒコネをめぐって,歌がやり取りされるところ。ここで歌が展開され,明らかに歌が重視されていることも共通だ。


古事記は第9段第1の一書と同じ伝承(その2)

 第9段第1の一書はアメワカヒコの派遣から始まっており,アメノホヒの派遣やアメワカヒコの選定の場面が省略されているのではっきりとは言えないが,叙述の流れからして,派遣する武将の選定も,オモイカネが行っているのだろう。古事記ではオモイカネが行っている。

 アメワカヒコが復命しなかった期間は8年だが,これは,第9段第1の一書に出てくる数字だ。

 そしていよいよ天孫降臨。

 やはり古事記と同様,当初は天子降臨だ。

 アマテラスは,「吾が児を降しまつらむ」とこだわった。ところが,いざ天降そうとすると孫が生まれ,突然皇孫を天降らせてしまう。

 これも古事記と同様だ。


第9段第1の一書と古事記との違いは何か

 古事記は,第9段第1の一書と同じ伝承に属する。

 では,何が違うのか。なぜ違うのか。

 根本的な違いは,第9段第1の一書では,命令神タカミムスヒが登場しない点にある。
 だから,本質的に違うようにも見える。

 しかし,「臭い」はきちんと漂ってくる。

 「天の安の河原に神集ひ集ひて,高御産巣日神の子,思金神に思はしめて」。だから,オモイカネはタカミムスヒの息子なのだ。

 タカミムスヒさえ登場しないが,その存在は,濃厚に漂っている。


第9段第1の一書の構成上の矛盾

 ところで第9段第1の一書には,構成上おかしな点がある。
 上記した,イ)ウ)と,エ)との間だ。

 アメワカヒコは,「高天原」を裏切って,復命しないまま返し矢に当たって亡くなったのだから,葦原中国が平定されているはずがない。

 なのに,なぜ天子降臨を企てるのか。意味がないではないか。


第9段第1の一書の構成上の矛盾(詳論)

 詳論しよう。

 アメワカヒコに対するアマテラスの命令(上記したア)の部分)は,以下のとおり。

「豐葦原中國は,是吾が兒(みこ)の王たるべき地(くに)なり。然れども慮(おもひみ)るに,殘賊強暴(ちはやぶる)横惡(あ)しき神者(かみども)有り。故,汝先(ま)づ往きて平(む)けよ。」

 すなわちアマテラスは,葦原中国が悪い神に満ちていることを知っているのだ。

 そのアメワカヒコは,アマテラスを裏切って,葦原中国の神の娘と結婚して居着いて,8年間復命しない。
 そしてそのまま,返し矢に当たって死んでしまった。

 葦原中国が平定されておらず,天子降臨できる状態ではないことは,明白である。

 なのになぜ,無謀にも,天子降臨を企てるのか(上記したエ)の部分)。


古事記は第9段第1の一書の矛盾を解消したリライト版

 降臨しようとしたアメノオシホミミが,「彼の地は未平(さや)げり。不須也(いな)頗傾凶目杵之國(かぶししこめきくに)か。」と言って戻ってきてしまうのは当然であり,十分予想できたはずだ。

 この,失敗に終わる天子降臨のエピソード(上記したエ)の部分)は,不要である。

 これを削除して,タケミカヅチの派遣(上記したオ)の部分)につなげてしまうのが正しい。
 それで,天子降臨転じて天孫降臨(上記したカ)の部分)まで,叙述がきれいに流れる。

 降臨しようとした天子が戻ってきてしまった説話はいらない。

 捨てるに忍びなく,これを生かすとしたら,冒頭にもってくるしかない。

 そして,第9段第1の一書にはないアメノホヒ派遣のエピソードを追加する。

 こうして,古事記が誕生する。

 第9段第1の一書の構成上のおかしさを解消し,物語を「天子降臨」,アマテラス一本主義できれいに流したのが,古事記なのである。

 古事記は,第9段第1の一書のリファイン。リライト版である。


古事記は異伝中のさらなる異伝

 このように,古事記は,アマテラスを命令神とした第9段第1の一書の矛盾を改編し,

@ アマテラス中心主義で物語をまとめ,

A さらに,第9段第1の一書でにおわされていたタカミムスヒを正面に出し,

あたかも2神並立であるかのような装いを施した,異伝中のさらなる異伝だということになる。


もっとある改変の痕跡

 古事記が,第9段第1の一書の矛盾を改変し,整理したという根拠は,じつは,まだたくさんある。

 たとえば,第9段第1の一書では,読者は,降臨にあたって突如生まれる天孫ニニギにとまどう。その素性がわからない。

 テキストで1ページさかのぼると,
 「天照大~,思兼~の妹萬幡豐秋津媛命(よろづはたとよあきつひめのみこと)を以ちて正哉吾勝勝速日天忍穗耳尊に配(あわ)せて妃と爲し」とあるが,はて,思兼~の素性はいかに,となってしまう。

 これは,第7段第1の一書によるとタカミムスヒの息子なのであり,それがわかっている人は,ああそうだ,要するにタカミムスヒが外戚になるのだな,とわかるのだが,知らない人には,なーーーーんにもわかりません。

 要するに,第9段第1の一書は,タカミムスヒを天孫ニニギの外戚に位置づけているけれど(その点では正しい伝承であるのだけれど),わからない人にはわからない,不親切な「叙述」になっている。

 それが,第9段第1の一書なのです。


第9段第1の一書の展開に説明書きを加えた古事記

 そこで古事記ライターは,こうした。

 「この御子は,高木~の女(むすめ),萬幡豐秋津師比賣命(よろずはたとよあきつしひめのみこと)に御合(みあい)して生みませる子,天火明命(あめのほあかりのみこと),次に日子番能邇邇藝命(ひこほのににぎのみこと)【二柱】なり」。

 説明書きを付け加えたわけだ。

 高木神(タカミムスヒ)とアマテラスの孫であるとわかれば,誰もが納得するというわけだ。

 もちろん,第9段第1の一書には,こんな説明書きはなく,そのまま天孫降臨の場面に移っていく。


天孫降臨の叙述がかすんでいる第9段第1の一書

 第9段第1の一書を読んでいると,三種の宝物を天孫ニニギに授与し,五部神を付き添わせて,天壌無窮の神勅を発して,さあ天孫降臨というのに,サルタヒコとアメノウズメのやり取りが,テキストにして1頁も挿入される。

 だから,肝心の「天磐座(あめのいわくら)を脱離(おしはな)ち,天八重雲(あめのやえたなぐも)を排(お)し分けて,稜威(いつ)の道別(ちわき)に道別きて,天降ます」という天孫降臨の描写が,埋もれてしまっているのだ。

 そして,さらに猿女君の由来話にいくから,せっかくの天孫降臨がかすんでしまう。

 「天磐座を脱離ち,・・・」という場面は,サルタヒコとアメノウズメと猿女君の由来を語る,テキストにして2頁弱の中の,ほんの2行程度。

 これでは,天孫降臨を描いているのか,サルタヒコらを描いているのか,わからない。


古事記ライターの苦心の跡

 サルタヒコは,しょせん,降臨する天孫の案内役だ。脇役にすぎない。

 古事記ライターは,案内役の登場は天孫降臨の準備の一環としてとらえ,サルタヒコとアメノウズメの話を圧縮し,三種の宝物を与え,五伴緒(五部神に相当)を添えて,こうして準備万端整ったところで,華々しくもにぎにぎしい天孫降臨を描いている。

 実際の降臨の描写は,スペースを割いて,堂々と叙述する。

 こうして,第9段第1の一書がもっている,もやもやをなくした。

 最後に残った猿女の君の由縁話は,単なる脇筋の話だから,天孫降臨の後に付け足しのように置いた。

 これで,第9段第1の一書を読んだときの問題点は,きれいに解決された。

 このように古事記には,古来の伝承そのものとは思えない,苦心の跡がある。


古事記全体における根源的な矛盾

 ここで,古事記の構成をもう一度振り返ってみよう。

 まずタカミムスヒは,古事記本文冒頭で,「高天原」にいる神として登場した。
 天地が開けたときに,理由もなく,無前提の大前提として「高天原」ができて,そこに,何よりもまず,タカミムスヒら3神が成ったというのである。

 その「天つ神」の「修理固成」の命令で,アマテラスとイザナミが大八洲国をつくる。神生みもする。そのはてに,アマテラスら3神が生まれてくるのだった。

 一見すると,アマテラスは,むしろタカミムスヒの下に位置する神だ。

 世界の根源はタカミムスヒら3神であり,神野志隆光氏ら,学者さんのまとめによると,その「産霊」の思想,すなわち世界生成の原動力によって成った神が,アマテラスということになる。


アマテラス神話には原理的矛盾がある

 原理的にも,アマテラスは,タカミムスヒに従属するはずである。

 ところが,「言依さし」の思想。「天子降臨」を一貫させようとする古事記ライター。

 アマテラスをタカミムスヒの上に持ってくるのは,原理的に矛盾している。

 だから?古事記ライターは,並立神を装おうとした。

 しかしその魂胆は成功しなかった。
 並立2神という体裁を取ってはいるものの,肝心の「言依さし」場面では,日本語になっていない馬脚を現すのであった。

 古事記自身の内実に,原理的な矛盾がある。

 その原因は,単に古事記ライターの能力だけでなく,古来の伝承に変改を加えようとしたこと自体の無理にある。

 


トップページ( まえがき)

第1 私の立場と問題意識

第2 問題提起

第3 方法論の問題

第4 世界観と世界の生成

第5 神は死なない(神というもののあり方)

第6 原初神と生成神の誕生

第7 日本書紀における原初神と生成神の誕生

第8 修理固成の命令

第9 言葉に対して無神経な古事記(本当に古い文献か)

第10 古事記は伊勢神宮成立後の文献

第10の2 応神記の気比の大神について

第11 国生み叙述の根本的問題

第12 日本神話の読み方を考える(第1子は生み損ないか)

第13 生まれてきた国々を分析する

第14 国生みのあとの神生み

第15 火の神カグツチ「殺し」

第16 黄泉国巡り

第17 コトドワタシと黄泉国再説

第18 禊ぎによる神生みの問題点

第19 日本神話の故郷を探る

第20 大道芸人の紙芝居としての古事記

第21 アマテラスら3神の生成

第22 分治の命令

第23 日本神話の体系的理解(日本書紀を中心に)

第24 日本神話の構造と形成過程

第25 生まれたのは日の神であってアマテラスではない

第26 日の神の接ぎ木構造

第27 最高神?アマテラスの伝承が変容する

第28 泣くスサノヲとイザナキの肩書き

第29 日本神話学の見通しと方法論

第30 日本神話のコスモロジー

第31 誓約による神々の生成(日本書紀)

第32 誓約による神々の生成(古事記)

第33 天の岩屋戸神話と出雲神話が挿入された理由

第34 日本神話のバックグラウンド・縄文から弥生への物語
(日本書紀第5段第11の一書を中心に)


第35 海洋神アマテラスと産霊の神タカミムスヒ
(日本書紀を中心に)


第36 支配命令神は誰なのか(ねじれた接ぎ木構造)

第37 アマテラスとタカミムスヒの極めて危うい関係

第38 五穀と養蚕の文化に対する反逆とオオゲツヒメ

第39 スサノヲの乱暴

第40 「祭る神が祭られる神になった」という幻想

第41 天の石屋戸と祝詞

第42 スサノヲの追放とその論理(日本書紀を中心に)

第43 アマテラス神話は確立していない(日本書紀を中心に)

第44 出雲のスサノヲ

第45 異伝に残された縄文の神スサノヲ(日本書紀を中心に)

第46 スサノヲにおける縄文と弥生の交錯(大年神の系譜)

第47 別の顔をもつスサノヲ(日本書紀を中心に)

第48 オオクニヌシの試練物語のへんてこりん

第49 オオクニヌシの王朝物語

第50 日本書紀第8段第6の一書の構成意図と古事記の悪意

第51 スクナヒコナと神功皇后と応神天皇と朝鮮

第52 偉大なるオオナムチ神話(大八洲国を支配したオオナムチ)

第53 三輪山のオオナムチ(日本書紀第8段第6の一書から)

第54 古事記はどうなっているか

第55 偉大なるオオクニヌシ(オオナムチ)の正体(問題提起)

第56 偉大なるオオクニヌシの正体(崇神天皇5年以降)

第57 崇神天皇5年以降を読み解く

第58 国譲りという名の侵略を考える前提問題

第59 「皇祖」「皇孫」を奪い取る「皇祖神」タカミムスヒ
(国譲りという名の侵略の命令者)


第60 皇祖神タカミムスヒの根拠
(国譲りという名の侵略の命令者)


第61 古事記における命令神
(国譲りという名の侵略の命令者)


第62 第9段第1の一書という異伝中の異伝と古事記

第63 武神の派遣と失敗と「高木神」

第64 タケミカヅチの派遣(タケミカヅチはカグツチの子)

第65 フツヌシとタケミカヅチの異同

第66 コトシロヌシは託宣の神ではないしタケミナカタは漫画

第67 「オオクニヌシの国譲り」の叙述がない

第68 天孫降臨の叙述の構造

第69 サルタヒコの登場

第70 古事記独特の三種の神宝

第71 天孫はどこに降臨したのか

第72 「国まぎ」を切り捨てた古事記のへんてこりん
(天孫降臨のその他の問題点)


第73 国譲り伝承と天孫降臨伝承との間にある断層

第74 じつは侘しい天孫降臨と田舎の土豪神武天皇

第75 天孫土着の物語

第76 火明命とニギハヤヒ(第9段の異伝を検討する)

第77 日向神話の体系的理解

第78 騎馬民族はやって来たか

第79 三種の宝物再論

第80 日本神話の大きな構成(三輪山のオオナムチとの出会い)

第81 海幸彦・山幸彦の物語を検討する

第82 「居場所」のない古事記

第83 本居宣長について

第84 日本神話を論ずる際のルール

第85 神々の黄昏

あとがき

著作権の問題など

付録・初版の「結論とあとがき」


新論文
神功紀を読み解く
神功皇后のごり押しクーデター

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