日本書紀を読んで古事記神話を笑う

日本書紀を読んで古事記神話を笑う 改訂新版

2009年10月5日up
(物語読者として日本神話を解明する)


第79 三種の宝物再論


混交したタカミムスヒと日の神(アマテラス)のアイテムは何か

 さて,騎馬民族の話にいってしまったが,タカミムスヒが,天孫と共に朝鮮からやって来て,南九州の吾田にたどり着き,そこにいた日の神(のちのアマテラス)と混交したという話だった。

 タカミムスヒは「山幸彦」であり,そのアイテムは,「天羽羽矢」と「真床追衾」だった。

 これに対し,海洋神であり日の神でもある,後代いうところのアマテラスが「海幸彦」であり,そのアイテムは「釣り針」だった。

 だが,一般には,鏡,玉,剣が,「三種の宝物」,「三種の神器」だと信じられている。
 これをどう考えればよいのだろうか。

 三種の宝物については,天孫降臨を検討した際,「古事記独特の三種の神宝」
として,すでに述べた。

 ここでは,日本書紀をも含めて,全体を検討してみよう。


タカミムスヒ+真床追衾が基本であり主流(復習)

 じつは,日本書紀は,いわゆる「三種の宝物」など採用していない。

 第9段本文はもちろん,異伝である一書全体を見渡しても,三種の宝物は影が薄い。むしろ,タカミムスヒとワンセットで登場する真床追衾(まとこおうふすま)が中心になっている。

 また,古事記も,「三種の宝物」を採用しているようでいて,じつは,「鏡」に片寄った,一種独特の,異伝中の異伝とも言うべき「三種の宝物」であり,世間一般が信じている,独立対等な「三種の宝物」ではない。

 私はこれを,「古事記独特の三種の神宝」と呼んでおいた。

 日本書紀を整理すると,以下のとおりだ。

       (命令者)        (アイテム)

本   文   タカミムスヒ       真床追衾

第1の一書   アマテラス        三種の宝物

第2の一書   タカミムスヒ       鏡

第4の一書   タカミムスヒ       真床追衾

第6の一書   タカミムスヒ       真床追衾


アマテラス+三種の神宝は唯一の特異な伝承(復習)

 タカミムスヒが真床追衾で天孫をくるんで降臨させるというのが,むしろ原則だ(本文,第4の一書,第6の一書)。

 世上いわゆる「三種の神器」,「三種の宝物」は,例外にすぎない。そして,それを採用した唯一の伝承である第1の一書は,アマテラス1神が命令者であり,これも特異である。

 アマテラス+三種の宝物という伝承は,数ある伝承の中で唯一の,極めて特異な伝承なのだ。

 古事記の「三種の神宝」が,これを基本に,「鏡」に執着する第2の一書の伝承をも付け加えた,特異な中のさらに特異な伝承であり,他に例がないことは,すでに述べた。


第9段第2の一書の特殊性(命令神はタカミムスヒ1神・復習)

 第2の一書については,少し説明が必要だ。

 まず,命令者は,あくまでもタカミムスヒだ。「タカミムスヒ+アマテラス」という学者さんがいるが,それは違う。

 この伝承の本質を見ていない。
 「叙述と文言」をよく読んでいない。

 第2の一書の命令者がタカミムスヒであることは間違いない。国譲りという名の侵略も,天孫降臨も,タカミムスヒが単独で命令している。

 ところが,「高皇産霊尊……乃ち二の神を使して,天忍穂耳尊に陪従へて降す(そえてあまくだす)」とあるのに,テキストは,ここで改行して,「是の時に,天照大神」と始まり,例の,宝の鏡を天子に持たせようとする話にいく。

 すなわち,命令者は,あくまでもタカミムスヒだ。
 タカミムスヒが命令したあと,降臨に備えて,「あれこれと世話を焼く母親」というのが,アマテラスの役どころである。

 言ってみれば,タカミムスヒは,「父親のような存在」(じつは,この時点では天孫ニニギが生まれていないから,父親どころか外戚の祖父でさえない。まったくおかしい。それが,この第2の一書の本質であり,トンデモ伝承なのである)。

 アマテラスは,タカミムスヒの命令に従い,こまごまと世話をやく,母親のような存在。

 「叙述と文言」からすれば,アマテラスの役割は,降臨が決まったあとに,世話を焼くだけである。


第9段第2の一書の特殊性(アマテラスの役割は母親・復習)

 アマテラスがやったことは,以下のとおり。

 まず第1に,「宝鏡」をアメノオシホミミに授けて,アマテラスを見るがごとくこの鏡を見て,あなたがいる同じ床,同じ大殿に置きなさいと指示する。

 第2に,一緒に降ることになったアメノコヤネとフトダマに対し,大殿に仕えて,アメノオシホミミをきちんと護りなさいと命令する。

 第3に,食事の心配をして,高天原で育てていた「斎庭の穂」をアメノオシホミミに与える。

 第4に,男1人ではなにかと心配だから,ついに,タカミムスヒの娘ヨロズハタヒメを妃にして,結婚させてしまいましたとさ。

 アマテラスは,愛情細やかな母だ。
 これは,侵略の命令者ではなく,子供を送り出す母親の姿そのものである。

 私は愛情細やかと言ったが,ここまでくると,子を溺愛して母子一体型になってしまった親子かもしれない。アメノオシホミミがきちんと精神的に自立できるのか,人ごとながら心配するくらいだ。


第9段第2の一書の特殊性(アマテラスだけを礼賛する新しい異伝・復習)

 それはともかく,ここでは命令神がタカミムスヒで,アイテムが鏡だが,それはこうした特殊事情によるのであって,決して,タカミムスヒが鏡と結びついているのではない。

 「鏡」は,上記したとおり,あくまでもアマテラスと結びついている。

 しかもこの第2の一書は,「鏡」だけ,すなわちアマテラスだけをことのほか強調し,「剣」と「玉」は,まったく無視している。

 そして一方,タカミムスヒとセットで登場するはずの「真床追衾」もまた,まったく無視されている。

 だから,この異伝の本質は,タカミムスヒが出てきてはいるが,やはりアマテラス礼賛にあるのだ。

 そして,愛情細やかな母を描くなど,とにかくこの異伝は,小説的装飾が多く,素朴な伝承では決してない。


第9段第2の一書の特殊性(さらに新しい古事記・復習)

 「古事記独特の三種の神宝」を論じた際,私は,以下のように述べた。

 古事記は,アマテラスが命令神となり「三種の神宝」が登場する第1の一書を基本としていた。サルタヒコが登場する異伝がほかにないことからも,明らかだ。

 そして,第1の一書のゴツゴツした読みにくい「叙述と文言」を改作し,にぎにぎしくも華やかな天孫降臨を描いていた。

 それだけでなく,「鏡」はアマテラス自身であると強調する第2の一書をも取り入れて,いびつな「三種の神宝」観念を引きずっていた。

 だから,古事記の「三種の神宝」は,日本神話の中で,特殊な中でもさらに特殊な異伝である。「古事記独特の三種の神宝」である。

 そして古事記ライター自身が告白するとおり,古事記は,伊勢神宮の内宮と外宮が成立したのちに成立したのであった。
 古事記ライター自身が,内宮の神と外宮の神を説明しているのだから,これは確かだ。

 さらに,祝詞のような言い回しの多用・・・。
 「天照大神」ではなく,「天照大御神」で通す,意固地さ。

 古事記は,返す返すも不思議な書物である。


アイテムの整理

 さて,いろいろ述べてきたが,分析の結果をまとめよう。

 タカミムスヒは,「真床追衾」と結びつく。これは古い伝承である(本文,第4の一書,第6の一書)。
 例外に見える第2の一書は,アマテラス一本主義に毒された例外。かなり新しい伝承だから,あまり参考にならない。

 アマテラスだけが「三種の神宝」に結びつく(第1の一書)。
 特に「鏡」は,アマテラス自身を象徴しているが,かなり新しい伝承である(第2の一書)。

 ここまでくると,タカミムスヒとは関係なく,アマテラスとだけ結びついた三種の宝物とはいったい何だろうか,という疑問にぶち当たる。


真床追衾の意味(王の即位式の反映)

 その前に,テキストの説明に従って,真床追衾の意味を検討しておこう。

 タカミムスヒは,天孫を「真床追衾(まとこおうふすま)」に覆って,降臨させる。
 天孫ニニギは,生まれたての嬰児だから,これにくるむ必要があるのだ(第9段第4,第6の一書)。

 学者さんによれば,朝鮮古代の首露王の神話には,降臨した神の子は「紅幅」に包まれて,しとみの上に納められたという。

 突厥(とっけつ)の新しい王は,フェルトの上に載せられて,高く放りあげられる。

 日本の大嘗祭で天皇が臥すときに使われる衾は,「まとこおうふすま」と呼ばれている。

 だから,真床追衾でくるむのは,王の即位式の反映だといえる。


真床追衾の意味(王座の象徴)

 私なりに,「叙述と文言」上の根拠を付け加えよう。

 確かに,日本書紀第10段第4の一書では,海神の宮を訪れたヒコホホデミが「真床追衾」の上に座ったので,天つ神の子孫であることがわかったとしている。

 また,同じく第4の一書では,トヨタメヒメが幼児ウガヤフキアエズを「真床追衾」と草(かや)に包んで,渚に置いて去ったとしている。

 真床追衾は,確かに,王座に座る者の証明である。


真床追衾の意味(しかも朝鮮から来た王の象徴)

 しかも,朝鮮,大陸系の神が行う儀式に関連している。
 私は今まで,タカミムスヒが朝鮮からやってきたと論じた。

 真床追衾は,朝鮮からやって来たタカミムスヒの象徴である。日の神(アマテラス)=海洋神とは結びついていない。

 海神は,真床追衾の上に座ったヒコホホデミを見て,あっという間にひれ伏した。

 「内の床にしては,眞床覆衾の上に寛坐(うちあぐみにゐ)る。海神見て,乃ち是(これ)天神の孫といふことを知りぬ。益(ますます)加崇敬(あがめゐやま)ふ,云云(しかしかいふ)」(第10段第4の一書)。

 朝鮮から来た王の象徴,「真床追衾」の威力は絶大だったようだ。

 当時の筑紫洲の海人は,皆,ひれ伏していたのだろう。

 真床追衾は,まさに,朝鮮から来た神,タカミムスヒを象徴するアイテムである。


真床追衾の意味(天子降臨ではなく天孫降臨のアイテム)

 天孫ニニギは,生まれたての嬰児だから,真床追衾にくるんで降臨させる必要があった(第9段第4,第6の一書)。

 だから,「真床追衾」は,古事記の「天子降臨」とは結びつかない。必ず,「天孫降臨」とともにある。

 アマテラス信仰が強まってくると,古事記の「天子降臨」となり,「真床追衾」は忘れ去られる。


玉,鏡,剣の日本書紀上の根拠・仲哀天皇8年正月

 では,「三種の宝物」は,何を意味しているのか。

 観念的に考えるのでなく,「叙述と文言」から考えよう。
 じつは,仲哀天皇8年正月の段に,三種の宝物の意味が書かれている。

 筑紫の伊覩県主(いとのあがたぬし)五十迹手(いとで)は,筑紫に遠征してきた仲哀天皇を,船で迎える。

 船の舳先に賢木(さかき)を立て,
 その上枝には,八坂瓊,
 中枝には,白銅鏡,
 下枝には,十握剣をとり掲げる。

 そして五十迹手は,これらを奉った由縁を天皇に述べる。

 八坂瓊の勾(まが)れるがごとく,天の下を支配しなさい(玉),
 白銅鏡のように,山川海原を見てほしい(鏡),
 十握剣を携えて,天の下を平定してほしい(剣),

そうした意味なんだ,と。


海洋民が捧げる玉,鏡,剣がアマテラスに結びつく

 八坂瓊は,天の下支配を示すアイテムだ。
 白銅鏡,すなわち鏡は,天の下を俯瞰する眼であり太陽だ。
 十握剣は,天の下を支配する軍事力だ。

 しかもこれらは,船に乗ってやってきた五十迹手ら海洋民,すなわち海人(あま)が,自ら携えてきたのである。

 タカミムスヒは,真床追衾と結びついた。

 これに対し「三種の宝物」は,海人と結びつき,日本書紀の伝承によれば,アマテラス(当時は単なる日の神)だけに結びついている。

(何度も言うように,第2の一書の鏡がタカミムスヒに結びついているように見えるのは,誤解)。

 そして,アマテラスは,私の意見によれば,海洋神なのであった。

 「三種の宝物」は,朝鮮からやって来たタカミムスヒとは関係なく,日本古来の海洋神信仰,日の神信仰と結びついていたようである。


日本書紀における「玉」の現れ方

 これを基礎にして,私なりの解釈を加えてみよう。

 まず,八坂瓊の曲玉だ。

 八坂瓊の曲玉は,第7段第3の一書に,「八坂瓊の曲玉」として登場する。まったく同じ名前だ。

 その第7段本文では,「天石窟(あまのいわや)」にこもってしまったアマテラスをおびき出す場面で,「八坂瓊の五百箇の御統(やさかにのいおつのみすまる)」が使われる。

 「御統」とは,たくさんの勾玉(曲玉)や管玉をひもで貫いて,輪にした飾り。頭や腕や手に,巻いて使ったアクセサリーだ。

 だから,「八坂瓊の五百箇の御統」とは,八坂瓊の曲玉をたくさん使った,「御統」というアクセサリーのことだ。

 女神アマテラスゆかりのアクセサリーを,じゃらじゃら鳴らして,おびき出そうというのだ。

 「玉」は,アマテラスの象徴だ。


第6段本文の誓約の場面で登場した玉

 そしてこの言葉は,じつは第6段本文にも登場していた。

 スサノヲとアマテラスが誓約をして,それぞれの「物根(ものざね)」を交換し,神々を生み出す,あの美しくもリズミカルで,神話的香りの高い場面だ。

 スサノヲは,男装した女神,アマテラスが頭や腕に巻いていた「八坂瓊の五百箇の御統」を受け取り,それを「天真名井(あまのまない)に濯ぎて(ふりすすぎて),さがみに咀嚼(か)みて,吹き棄つる気噴の狭霧(ふきうつるいぶきのさぎり)に」(第6段本文),神を生んでいくのだった。

 アマテラスは,こうして生まれたアメノオシホミミたち5神を,「物根(ものざね)」,すなわち「卵子」は自分のものだから,自分の子であると主張して,スサノヲから奪い,自ら育てるというお話だった(第6段本文)。


玉は支配者アマテラスの直系の子孫であることの象徴である

 神を産むもととなった「卵子」=「物根」。これが,アマテラスが身につけていた,「八坂瓊の五百箇の御統」だった。

 「八坂瓊の五百箇の御統」,「八坂瓊の曲玉」,すなわち「玉」は,

@ 女であるアマテラスが身体につけていたアクセサリーであり,

A アマテラスの「卵子」であり,

B アマテラス直系の子を生成した「種」である。

 「玉」は,アマテラス直系の子であることの証明なのだ。


玉は支配者スサノヲの子孫の象徴でもある

 さらにそれは,スサノヲの子であることの証明でもあった。

 第6段本文の,誓約による神々の生成は,「物根(ものざね)」を交換したうえでの生成であり,生命の基礎である卵子に,精を吹き込んで誕生させたという意味で,基本は生殖行為なのだった。

 そこに,すばらしい神話的,言語的脚色を加えたのだった。

 そうして生まれたアメノオシホミミも,アメノホヒも,スサノヲの子なのだ。

 だからこそ,真っ先に,アメノホヒが武将として派遣される。
 アメノオシホミミは,「正哉吾勝」,すなわち「まさに私は誓約に勝った」という名前を,誇らしくいただいている。

 そうした血統の天孫ニニギ(アメノオシホミミの子)が,葦原中国を支配していたスサノヲの別系統の子孫,オオナムチ=オオクニヌシに成り代わるというのが,日本神話のイデオロギー的からくりなのであった。

 私はそれを,「正当性の契機」と呼んだ。

 だから,「玉」は,スサノヲの子孫であることの証明でもある。


玉はフィクションに載っかっているだけのアイテム

 しかしこれは,しょせんフィクションだ。

 誓約の叙述自体が,「正当性の契機」を述べるためのフィクションである。何らかの事実を象徴しているわけではない。

 神話伝承の過程で,誰が作ったかはわからないが,極めて高度で,芸術的で美しく,しかも政治性あふれるフィクションを作った人がいた。

 この,誓約の場面は,その意味で完璧である。

 だからこそ,「玉」も,フィクションだ。
 アマテラスのアクセサリーであり,アマテラスの「卵子」=「物根」と言ってみても,スサノヲの子であることの証明と言ってみても,しょせん,フィクションである。


だからこそ日本書紀の歴史時代でも玉は問題とならない

 だからこそ,その後の日本書紀の叙述では,「八坂瓊の曲玉」は,影が薄い。

 アマテラスとスサノヲという,2つの神の関係を説明することなど,必要な時に必要なだけすればいいことであり,生きている人間の生活に根付いた信仰ではない。

 実際,歴史的には,玉など,重視されてこなかった。

 神功皇后が歴史に入るかどうかは問題だが,たとえば,水路工事に難渋した神功皇后は,武内宿禰に命じて「剣鏡を捧げて」,神祇に祈らせる(神功皇后摂政前紀)。

 ここに,玉はない。

 群臣は,皇位につくことにやっと承諾した,のちの允恭天皇に,「天皇の璽符(みしるし)」を奉る(允恭天皇元年12月)。

 皇位を譲り合う億計皇子(のちの仁賢天皇,顕宗天皇の兄)と,弘計皇子(のちの顕宗天皇)に,「天子の璽(みしるし)」が奉られる(顕宗天皇即位前紀)。

 この,「天皇の璽符」や「天子の璽」は,大伴金村大連(おおとものかなむらのおおむらじ)がのちの継体天皇に奉った,「天子の鏡剣の璽符」だ(継体天皇元年2月)。

 同じようにして忌部宿禰色夫知(いんべのすくねしこぶち)は,のちの持統天皇に,「神璽の剣・鏡」を奉る(持統天皇4年正月)。

 玉は,どこにも問題になっていない。
 日本書紀の「叙述と文言」上は,要するに,鏡と剣なのだ。玉はない。


古語拾遺等はどうか

 日本書紀からおよそ90年後の,807年に成立した古語拾遺でさえ,「八咫鏡及び草薙剣の二種の神宝」が,天孫に授けられたとしている。

 その他,神祇令・践祚条や延喜式・大殿祭の祝詞も,鏡と剣としている。

 玉は,一貫して無視されているのだ。

 持統天皇の即位の時に,「神璽の剣・鏡」を奉る(持統天皇4年正月)としかなく,玉が無視されていることは,歴史上の事実としても,玉が問題になっていなかったことを示している。

 玉は,問題とならなかったようである。
 しかし,神話伝承という,フィクションやイデオロギーの世界では,活躍していたと言えよう。

 そう考えれば,矛盾はない。


高木と玉と鏡

 八咫鏡は,アマテラスの象徴だ。

 第7段本文の天石窟の場面では,「五百箇(いおつ)の真坂樹(まさかき)」に,「八坂瓊の五百箇の御統」とともに鏡が掲げられ,アマテラスを呼び出すときの祈祷に使われる。

 神は,依代としての木に降臨してくる。伊勢神宮の「心の御柱」や諏訪大社の「御柱祭り」は,神が木に降臨してくることを前提にしている。

 古事記が,タカミムスヒのことを「高木神」と呼ぶのも,同じ観念だ。

 第7段本文の「真坂樹」は,神が降臨する依代(よりしろ)としての真坂樹であり,そこに「八坂瓊の五百箇の御統」とともに,鏡が掲げられたということは,アマテラスを天石窟から誘い出して,この真坂樹に降臨させようとしたのだろう。

 「八坂瓊の五百箇の御統」は,天照大神が身につけているアクセサリーである。
 「八咫鏡」は,アマテラスの象徴である。


鏡はアマテラスの象徴である

 第9段第2の一書では,降臨しようとするアメノオシホミミに対し,アマテラスが「宝鏡(たからのかがみ)」を授け,「吾が子,此の宝鏡を視まさむこと,当に吾を視るがごとくすべし。与に(ともに)床を同くし殿(おおとの)を共(ひとつ)にして,斎鏡(いわいのかがみ)とすべし」と述べる。

 ここでは,鏡は,アマテラス自身である。

 鏡が日光を反射し,太陽を象徴することからも,日の神=アマテラスの象徴であることは明らかだ。

 だからこそ,仲哀天皇を迎えた五十迹手は,白銅鏡のように山川海原を見てほしいと述べたのだ。

 八咫鏡,白銅鏡,すなわち鏡は,天の下を俯瞰する眼であり太陽であり,アマテラス自身なのだ。


草薙剣はスサノヲの象徴である

 草薙剣は,スサノヲの象徴だ。

 第8段本文では,出雲に降ったスサノヲが八岐大蛇を退治して,その尾から「草薙剣」を取り出す。スサノヲは,これを天つ神に献上する。

 すなわちこれは,猛きスサノヲの象徴だ。

 だからこそ,仲哀天皇を迎えた五十迹手は,十握剣を携えて天の下を平定してほしいと述べたのだ。

 十握剣は,天の下を支配する軍事力の象徴であり,スサノヲの象徴でもある。


「誓約」の体系的理解と三種の神宝

 ここで,「誓約」に話が戻る。

@ 玉:アマテラス直系の子であることの証明,スサノヲの子孫であることの証明。

A 鏡:アマテラスの象徴。

B 剣:スサノヲの象徴。

 結局,私が分析した「誓約」の体系的理解,「正当性の契機の作出」という理解の範囲で説明できる。
 三種の神宝は,「正当性の契機」の観点から把握できるのだ。

 玉はフィクションであった。しかし,鏡と剣については,古来の伝承があったようである。

 


トップページ( まえがき)

第1 私の立場と問題意識

第2 問題提起

第3 方法論の問題

第4 世界観と世界の生成

第5 神は死なない(神というもののあり方)

第6 原初神と生成神の誕生

第7 日本書紀における原初神と生成神の誕生

第8 修理固成の命令

第9 言葉に対して無神経な古事記(本当に古い文献か)

第10 古事記は伊勢神宮成立後の文献

第10の2 応神記の気比の大神について

第11 国生み叙述の根本的問題

第12 日本神話の読み方を考える(第1子は生み損ないか)

第13 生まれてきた国々を分析する

第14 国生みのあとの神生み

第15 火の神カグツチ「殺し」

第16 黄泉国巡り

第17 コトドワタシと黄泉国再説

第18 禊ぎによる神生みの問題点

第19 日本神話の故郷を探る

第20 大道芸人の紙芝居としての古事記

第21 アマテラスら3神の生成

第22 分治の命令

第23 日本神話の体系的理解(日本書紀を中心に)

第24 日本神話の構造と形成過程

第25 生まれたのは日の神であってアマテラスではない

第26 日の神の接ぎ木構造

第27 最高神?アマテラスの伝承が変容する

第28 泣くスサノヲとイザナキの肩書き

第29 日本神話学の見通しと方法論

第30 日本神話のコスモロジー

第31 誓約による神々の生成(日本書紀)

第32 誓約による神々の生成(古事記)

第33 天の岩屋戸神話と出雲神話が挿入された理由

第34 日本神話のバックグラウンド・縄文から弥生への物語
(日本書紀第5段第11の一書を中心に)


第35 海洋神アマテラスと産霊の神タカミムスヒ
(日本書紀を中心に)


第36 支配命令神は誰なのか(ねじれた接ぎ木構造)

第37 アマテラスとタカミムスヒの極めて危うい関係

第38 五穀と養蚕の文化に対する反逆とオオゲツヒメ

第39 スサノヲの乱暴

第40 「祭る神が祭られる神になった」という幻想

第41 天の石屋戸と祝詞

第42 スサノヲの追放とその論理(日本書紀を中心に)

第43 アマテラス神話は確立していない(日本書紀を中心に)

第44 出雲のスサノヲ

第45 異伝に残された縄文の神スサノヲ(日本書紀を中心に)

第46 スサノヲにおける縄文と弥生の交錯(大年神の系譜)

第47 別の顔をもつスサノヲ(日本書紀を中心に)

第48 オオクニヌシの試練物語のへんてこりん

第49 オオクニヌシの王朝物語

第50 日本書紀第8段第6の一書の構成意図と古事記の悪意

第51 スクナヒコナと神功皇后と応神天皇と朝鮮

第52 偉大なるオオナムチ神話(大八洲国を支配したオオナムチ)

第53 三輪山のオオナムチ(日本書紀第8段第6の一書から)

第54 古事記はどうなっているか

第55 偉大なるオオクニヌシ(オオナムチ)の正体(問題提起)

第56 偉大なるオオクニヌシの正体(崇神天皇5年以降)

第57 崇神天皇5年以降を読み解く

第58 国譲りという名の侵略を考える前提問題

第59 「皇祖」「皇孫」を奪い取る「皇祖神」タカミムスヒ
(国譲りという名の侵略の命令者)


第60 皇祖神タカミムスヒの根拠
(国譲りという名の侵略の命令者)


第61 古事記における命令神
(国譲りという名の侵略の命令者)


第62 第9段第1の一書という異伝中の異伝と古事記

第63 武神の派遣と失敗と「高木神」

第64 タケミカヅチの派遣(タケミカヅチはカグツチの子)

第65 フツヌシとタケミカヅチの異同

第66 コトシロヌシは託宣の神ではないしタケミナカタは漫画

第67 「オオクニヌシの国譲り」の叙述がない

第68 天孫降臨の叙述の構造

第69 サルタヒコの登場

第70 古事記独特の三種の神宝

第71 天孫はどこに降臨したのか

第72 「国まぎ」を切り捨てた古事記のへんてこりん
(天孫降臨のその他の問題点)


第73 国譲り伝承と天孫降臨伝承との間にある断層

第74 じつは侘しい天孫降臨と田舎の土豪神武天皇

第75 天孫土着の物語

第76 火明命とニギハヤヒ(第9段の異伝を検討する)

第77 日向神話の体系的理解

第78 騎馬民族はやって来たか

第79 三種の宝物再論

第80 日本神話の大きな構成(三輪山のオオナムチとの出会い)

第81 海幸彦・山幸彦の物語を検討する

第82 「居場所」のない古事記

第83 本居宣長について

第84 日本神話を論ずる際のルール

第85 神々の黄昏

あとがき

著作権の問題など

付録・初版の「結論とあとがき」


新論文
神功紀を読み解く
神功皇后のごり押しクーデター

日本書紀を読んで古事記神話を笑う 「初版」 はこちら



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