日本書紀を読んで古事記神話を笑う

日本書紀を読んで古事記神話を笑う 改訂新版

2009年10月5日up
(物語読者として日本神話を解明する)


第26 日の神の接ぎ木構造


神武天皇即位前紀で突然登場する「大日霎尊」の意味

 さて,アマテラスについて,日本書紀全体を概括してみる。

 前述したとおり,日本書紀第5段本文では,「大日霎貴」という名の「日の神」が生まれるのであって,アマテラスが生まれるのではない。

 生まれた「日の神」がアマテラスであることを,読者に対して「検証」した日本書紀編纂者は,第6段本文になると,安心して,「天照大神」の名で話を進行させる。

 その後は,「天照大神」で統一される。

 日本書紀編纂者が,学者的良心から「検証」した第5段本文の「叙述と文言」を読み落とし,ぼんやりと,「大日霎貴はアマテラスの別名」などと思い込み,第6段以降を読んでいくと,異伝にある日の神=アマテラスと受け取るのが当然,という態度になってしまうし,それが学者さんや研究者の通説のようでもある。

 だから,神武天皇が,「昔我が天神,高皇産霊尊・大日霎尊」と呼んでいるのを読むと,ハテサテ,となってしまうのだ(神武天皇即位前紀)。

 神武天皇が上記セリフを発したのは,南九州の吾田。日の神とタカミムスヒが混交した場所だ。
 だから,ここにいた日の神は,「大日霎尊」だったのである。

 私の考えは,南九州の吾田で神武天皇がいつき祭っていた「日の神」は,アマテラスではない。「大日霎尊」,または「大日霎貴」という名の,「日の神」である。

 それが,正直に,ここで出ただけなのである。
 古来の伝承が「昔我が天神,高皇産霊尊・大日霎尊」だったのであるから,日本書紀編纂者が,正直に,そのまま掲載しただけなのである。

 やはり,アマテラス(天照大神)という神は,ヤマトにおいて,日の神(大日霎貴,大日霎尊)に接合された神なのだ。

 だから,「出雲の神々を退場させる新たな神話の創成」や,手の込んだ「壮大なる血の交替劇」という神話の世界が終わり,日本書紀の構成上,人間の世界が始まる神武紀になると,「大日霎尊」が顔を出すのだ。


「天照大神」という文言と「高天原」概念の結合

 先に私は,第5段の「日の神」と第6段以降の「天照大神」には断絶があると述べた。

 そこで,第5段の一書を検討してみよう。

 第5段第2ないし第5の一書と第7ないし第10の一書は,アマテラスらの誕生に触れていない。したがって,第1,第6,及び第11の一書が問題だ。

 第5段第1の一書では,「大日霎尊」という名前で登場する。

 第5段第6の一書は,有名なイザナキの黄泉国めぐり,黄泉国での汚れを落とす過程で生まれたアマテラス等3神の誕生物語だ。

 じつは,古事記が採用したのは,この異伝だ。

 ここでは,日の神という抽象的な呼び名は使われていない。誕生した始めから,「号づけて天照大神と日す(もうす)」としている。

 そして,ここが重要なのだが,「天照大神は,以て高天原を治す(しらす)べし」との命令が下る。「天」ではなく,「高天原」を前提とした伝承なのだ。

 そうした伝承が,アマテラスを採用している。


古事記は権威的権力的支配的異伝をつなぎ合わせて成り立っている

 もうおわかりだろう。

 「高天原」は,第1段第4の一書のさらに異伝で,タカミムスヒら3神が生成した世界だった。異伝中の異伝の世界観だった。

 これが,権威的権力的支配的で,笑うべき第4段第1の一書と,つながっていた(国生みがこれからなのに,行って支配してこいという命令がある点,神が占いをするという点など)。

 古事記は,こうした異伝,すなわち,さかのぼれば第1段第4の一書のさらに異伝,第4段第1の一書,第5段第6の一書を,つなぎ合わせた書物だ。

 そこに一貫しているのは,「権威的権力的支配的性格」である。

 とにかく,生まれてきたのがアマテラスだと即断するのは,こうした異伝群なのである。


権威的権力的支配的伝承はアマテラス

 第5段第11の一書はどうか。

 これも,「天照大神は,以て高天之原を御す(しらす)べし」との命令によって,アマテラスが高天原と結びつく異伝だった。

 それだけでなくここには,後述するとおり,権威的権力的支配的な叙述がある。

 アマテラスは,ツクヨミに対し,葦原中国への斥候を命ずる。
 ツクヨミはウケモチノカミ(ウケモチノカミ=うけもちのかみ)の応対に怒り,「剣を抜きて撃ち殺し」てしまう。
 そしてツクヨミは,アマテラスに「復命」する。

 斥候の結果を報告するのだ。

 これは,第9段の,国譲りという名の侵略で展開される,支配命令服従の軍隊組織そのものだ。

 要するに,権威的権力的支配的な叙述をしている異伝では,何の躊躇もなく,アマテラスという呼び名を採用しているのだ。

 このように,第6段以降の,日本神話の結節点にある日の神は,どうも,アマテラスで統一されているようであるが,それ以前の,第5段の段階では,

@ 古い伝承は「日の神」,
A 権威的権力的支配的で,「高天原」と結びついた異伝は「アマテラス」,

に分類できそうである。


神武天皇以降の叙述ではアマテラスで一貫していない

 第6段本文以降が,「天照大神」で一貫していることは,前述した。
 神武天皇以降も検討しておこう。

 神武天皇は言う。「昔我が天神,高皇産霊尊,大日霎尊」が,この豊葦原の瑞穂の国を天孫ニニギに授けたと(神武天皇即位前紀)。

 ここでは,アマテラスという名が,まったく忘れられている。「大日霎尊」だ。その意味は,前述した。

 ところが,河内,ヤマトに侵入した後には,アマテラスが現れる。

 アマテラスは,タケミカヅチに,(国譲りによって平定したと思っていた)葦原中国がいまだに騒がしいので,「汝更往きて征て(いましまたゆきてうて)」と命令する(神武天皇即位前紀戊午6月)。


本当は国譲りという名の侵略ができていなかったと自白する恥ずかしい叙述

 まあ,国譲りという名の侵略や天孫降臨なんて,この程度の,適当なものだったわけだ。

 神話の時代には,高らかに勝利して,高らかに(ラッパでも吹き鳴らすくらいの勢いで)天孫降臨したくせに,じつは,全然勝利できてなかったわけね。・・・。
ゲリラ撃滅ができなかったのかな?でも,なんだか,恥ずかしくないか?

 特に,華々しくもにぎにぎしい古事記の天孫降臨を読むと,オイオイ,あれはいったい何だったんだヨ,って言いたくなる。

 で,これが,天孫降臨後,「179万2470年」後(神武即位前紀)のお話だ。
 いまさら,「汝更往きて征て(いましまたゆきてうて)」なんて,お笑いとしかいいようがない。

 神さんも「179万2470年」生き抜いてたんだね。しかも,ねちっこい性格なのか? しぶといもんだねえ。
 私だったら,とうの昔に,天孫降臨なんて,そんなこと忘れてるヨ。


神武天皇はアマテラスではなくタカミムスヒを頼る

 それは冗談である。真面目に受け取ってはならない。

 国譲りという名の侵略の第9段本文では,タカミムスヒがタケミカヅチに命令したのだから,本来ならば,アマテラスではなく,タカミムスヒが命令すべきところだ。

 そのいい加減さも,まあいい。許す。

 ところが,八十梟帥(やそたける)を討つ前,五百箇の真坂樹をもって諸神を祭ったときに,神武天皇自身が神懸かりしたのは,「今高皇産霊尊を以て,朕親ら顕斎を作さむ(われみずからうつしいわいをなさむ)。」とあるとおり,タカミムスヒだった(神武天皇即位前紀戊午9月)。

 アマテラスではなく,タカミムスヒである。
 神武天皇は,アマテラスではなく,タカミムスヒをいつき頼ったのである。


吾田にいたのは大日霎尊,ヤマトにいたのがアマテラス

 これは,何を意味するのだろうか。

 私は,日本神話の体系的理解を論じた際,日本神話の原型を背負った神武天皇が,南九州の吾田を出発して「東征」したと論じた。

 南九州の吾田では,「アマテラス系神話とタカミムスヒ系神話の混交」がなされたと述べた。

 しかし吾田に,アマテラスはいなかったのではないか。
 吾田にいたのは,「大日霎尊」と呼ばれる,「日の神」だったのではないか。

 だから,神武天皇の,古来の祖神を語るときは,「昔我が天神,高皇産霊尊,大日霎尊」となる。

 そして,この神武天皇即位前紀戊午9月では,「大日霎尊」ではなく,タカミムスヒをいつき頼ったのである。


神武紀におけるアマテラスとタカミムスヒをどう考えるか

 国譲りという名の侵略は,しょせん,神話構成上の作り話である。神武「東征」で,ヤマト侵入が終わった後に,「出雲の神々を神話の表舞台から退場させる」目的で作られた伝承にすぎない。

 そしてそこには,アマテラスに変換される前の「日の神」と,変換後のアマテラス伝承とがあった。

 だから,河内,ヤマトに侵入した後には,アマテラスが現れる。
 「汝更往きて征て(いましまたゆきてうて)」と命令するのは,アマテラスである。

 しかし,河内,ヤマトに侵入した後でも,古来の祖神を祭るときは,タカミムスヒである。

 こう考えると,「アマテラス系神話とタカミムスヒ系神話の混交」というのは,不正確である。「日の神系神話とタカミムスヒ系神話の混交」であろう。


神功皇后もアマテラス信仰とは無縁だ(神功皇后摂政前紀3月)

 アマテラスは,さらに登場する。

 神功皇后は,自ら「神主」すなわち神の依代となり,託宣を聞く(神功皇后摂政前紀3月)。そこに降ってきたのは,アマテラス,コトシロヌシ(事代主神),ウワツツノヲ(表筒男),ナカツツノヲ(中筒男),ソコツツノヲ(底筒男)だった(神功皇后摂政前紀3月)。

 ここにおけるアマテラスは,他の神々と対等だ。特別扱いされていない。

 神功皇后が実在の人物かどうかには議論がある。ただ,風土記にしばしば登場することは,誰も否定できないだろう。

 すなわち,神功皇后という伝承上の人物は,アマテラス神話を信じていなかった。
 もっと正確に言うと,神功皇后という伝承上の人物がアマテラス神話を信じていなかった,という伝承が残されている。

 それが,神功皇后摂政前紀3月である。


神武天皇もアマテラス信仰とは無縁である

 神武天皇は,「昔我が天神,高皇産霊尊,大日霎尊」(神武天皇即位前紀)と述べた。
 アマテラスを,皇祖神とも祖神とも言っていない。

 やはりアマテラスは,大和地方における,ある1つの日の神でしかないのである。
 伝承上,南九州の吾田で成長したとされる神武天皇は,アマテラス信仰を持っていなかったのである。

 神武天皇が背負ってきた日の神は,「大日霎尊」であり,ヤマトには,別の日の神,アマテラスがいたのだ。


アマテラス伝承は新しい

 要するに,元来の信仰は「日の神」,たぶん「大日霎尊」または「大日霎貴」であり,アマテラスは,数ある日の神のうちの1つでしかなかったのだ。

 しかも,ヤマトにいた日の神である。

 そしてアマテラスは,第5段の一書という異伝から登場し,しかも権威的権力的支配的異伝や,「高天原」という世界に結びついている。
 こうした伝承は新しい。

 「日の神」は,素朴な海洋神,太陽神だったのだから,本来は,支配命令体系の頂点としての「高天原」思想とは,無縁だったはずだ。

 だから,「日の神」伝承の方が古い。

 「日の神」とアマテラスの違いを無視し,あまつさえ,「天照大神」を「天照大御神」と表記するような古事記ライターは,アマテラス信仰がしっかりと確立した後の人である。


日の神伝承に接ぎ木されたアマテラス伝承・「日の神の接ぎ木構造」

 アマテラス神話形成の過程が,かなり明らかになったと思う。

 すでに指摘した,第6段から第8段までの日本神話の体系,構造からまとめておく。

 第6段以降は,第9段の国譲りという名の侵略と天孫降臨を用意する段だった。
 そのために,国譲りという名の侵略の正当性の契機と(第6段),侵略の理由と(第7段),侵略される現実の人間社会が用意された(第8段)。

 それは,侵略する側とて同じだ。正当性の契機を与えられる者,侵略の理由を与えられる者を登場させなければならない。日本書紀編纂時には,天皇によるアマテラス信仰が,すでにあった。

 だからこそ,第6段で初めて,アマテラスが登場するのだろう。

 こうして,アマテラスが,古来からあった伝承,神武天皇が南九州の吾田から持ってきた日本神話の原型に,接ぎ木されたのだ。

 私はこれを,「日の神の接ぎ木構造」と呼んでおく。

 


トップページ( まえがき)

第1 私の立場と問題意識

第2 問題提起

第3 方法論の問題

第4 世界観と世界の生成

第5 神は死なない(神というもののあり方)

第6 原初神と生成神の誕生

第7 日本書紀における原初神と生成神の誕生

第8 修理固成の命令

第9 言葉に対して無神経な古事記(本当に古い文献か)

第10 古事記は伊勢神宮成立後の文献

第10の2 応神記の気比の大神について

第11 国生み叙述の根本的問題

第12 日本神話の読み方を考える(第1子は生み損ないか)

第13 生まれてきた国々を分析する

第14 国生みのあとの神生み

第15 火の神カグツチ「殺し」

第16 黄泉国巡り

第17 コトドワタシと黄泉国再説

第18 禊ぎによる神生みの問題点

第19 日本神話の故郷を探る

第20 大道芸人の紙芝居としての古事記

第21 アマテラスら3神の生成

第22 分治の命令

第23 日本神話の体系的理解(日本書紀を中心に)

第24 日本神話の構造と形成過程

第25 生まれたのは日の神であってアマテラスではない

第26 日の神の接ぎ木構造

第27 最高神?アマテラスの伝承が変容する

第28 泣くスサノヲとイザナキの肩書き

第29 日本神話学の見通しと方法論

第30 日本神話のコスモロジー

第31 誓約による神々の生成(日本書紀)

第32 誓約による神々の生成(古事記)

第33 天の岩屋戸神話と出雲神話が挿入された理由

第34 日本神話のバックグラウンド・縄文から弥生への物語
(日本書紀第5段第11の一書を中心に)


第35 海洋神アマテラスと産霊の神タカミムスヒ
(日本書紀を中心に)


第36 支配命令神は誰なのか(ねじれた接ぎ木構造)

第37 アマテラスとタカミムスヒの極めて危うい関係

第38 五穀と養蚕の文化に対する反逆とオオゲツヒメ

第39 スサノヲの乱暴

第40 「祭る神が祭られる神になった」という幻想

第41 天の石屋戸と祝詞

第42 スサノヲの追放とその論理(日本書紀を中心に)

第43 アマテラス神話は確立していない(日本書紀を中心に)

第44 出雲のスサノヲ

第45 異伝に残された縄文の神スサノヲ(日本書紀を中心に)

第46 スサノヲにおける縄文と弥生の交錯(大年神の系譜)

第47 別の顔をもつスサノヲ(日本書紀を中心に)

第48 オオクニヌシの試練物語のへんてこりん

第49 オオクニヌシの王朝物語

第50 日本書紀第8段第6の一書の構成意図と古事記の悪意

第51 スクナヒコナと神功皇后と応神天皇と朝鮮

第52 偉大なるオオナムチ神話(大八洲国を支配したオオナムチ)

第53 三輪山のオオナムチ(日本書紀第8段第6の一書から)

第54 古事記はどうなっているか

第55 偉大なるオオクニヌシ(オオナムチ)の正体(問題提起)

第56 偉大なるオオクニヌシの正体(崇神天皇5年以降)

第57 崇神天皇5年以降を読み解く

第58 国譲りという名の侵略を考える前提問題

第59 「皇祖」「皇孫」を奪い取る「皇祖神」タカミムスヒ
(国譲りという名の侵略の命令者)


第60 皇祖神タカミムスヒの根拠
(国譲りという名の侵略の命令者)


第61 古事記における命令神
(国譲りという名の侵略の命令者)


第62 第9段第1の一書という異伝中の異伝と古事記

第63 武神の派遣と失敗と「高木神」

第64 タケミカヅチの派遣(タケミカヅチはカグツチの子)

第65 フツヌシとタケミカヅチの異同

第66 コトシロヌシは託宣の神ではないしタケミナカタは漫画

第67 「オオクニヌシの国譲り」の叙述がない

第68 天孫降臨の叙述の構造

第69 サルタヒコの登場

第70 古事記独特の三種の神宝

第71 天孫はどこに降臨したのか

第72 「国まぎ」を切り捨てた古事記のへんてこりん
(天孫降臨のその他の問題点)


第73 国譲り伝承と天孫降臨伝承との間にある断層

第74 じつは侘しい天孫降臨と田舎の土豪神武天皇

第75 天孫土着の物語

第76 火明命とニギハヤヒ(第9段の異伝を検討する)

第77 日向神話の体系的理解

第78 騎馬民族はやって来たか

第79 三種の宝物再論

第80 日本神話の大きな構成(三輪山のオオナムチとの出会い)

第81 海幸彦・山幸彦の物語を検討する

第82 「居場所」のない古事記

第83 本居宣長について

第84 日本神話を論ずる際のルール

第85 神々の黄昏

あとがき

著作権の問題など

付録・初版の「結論とあとがき」


新論文
神功紀を読み解く
神功皇后のごり押しクーデター

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