日本書紀を読んで古事記神話を笑う

日本書紀を読んで古事記神話を笑う 改訂新版

2009年10月5日up
(物語読者として日本神話を解明する)


第78 騎馬民族はやって来たか


天羽羽矢は騎馬民族の証明か

 では,「天羽羽矢」を持つ人々,朝鮮から宇佐を通ってやって来た人々は,騎馬民族だったのだろうか。

 まあ違うだろうね。なにしろ吾田に,「179万2470年」も土着しちゃう人たちだからね。

 騎馬民族は,土着などしない。馬に乗って遊牧して,農耕民を略奪する。それを誇りに思っているのが,騎馬民族だ。
 それだけ,人を殺し尽くす。

 中国史を通読すればわかる。

 そこまでの誇りは,日本書紀や古事記の神話から,感じられない。
 日本神話は,むしろ,「五穀と養蚕」の物語だ。

 何よりもここには,馬がいない。

 一応検討しておこう。


日本神話に登場する馬は農耕の使役馬

 馬は,むしろ,五穀との関係で語られてきた。

 五穀と養蚕の始まりを語る第5段第11の一書は,殺されたウケモチノカミの頭頂に,「牛馬化為る(なる)有り」としている。

 しかし,ここでの馬は,むしろ,農耕に使役される家畜として登場する。

 天石窟で有名な第7段本文では,逆剥ぎにされる「天斑駒(あまのぶちこま)」として登場する。
 このお話は,農耕に対する反逆がモチーフとなっているのだから,これもまた,農耕に使役される馬だ。

 なお,五穀と養蚕の始祖はアマテラスとされているが,本当はタカミムスヒだったことは述べた。私はこれを,日本書紀の神話における「ねじれた接ぎ木構造」と呼んだ。


馬に騎乗して移動するという描写は少ない

 確かに日本書紀の神話では,矛や剣がたびたび登場する。イザナキとイザナミが生成途上の世界をかき回したのは「天之瓊矛(あまのぬほこ)」だった。「十握剣」,「草薙剣」等,枚挙にいとまがない。

 だが,登場する神々が,馬に騎乗して移動するという描写は少ない。

 軍隊が降臨する第9段の一書でさえ,重武装のくせに,「遊行き(ゆき)降来りて(くだりて)」降臨するのだ。

 「遊行き」とは,歩いてという意味だろう。少なくとも,馬に騎乗してという意味ではない。

 有名な日本武尊も,歩いて諸国を巡ったようだ。

 五十葺山(いぶきやま,現在の伊吹山)の荒振る神を征伐しに出かけたときは,尾張国の宮簀媛(みやずひめ)の家から「徒に(たなむでに)行でます」とある(景行天皇40年是歳)。

 すなわち,歩いて行ったのだ。

 学者さんによっては,崇神天皇が騎馬民族であり,征服王朝を作ったとしている。
 しかしこの学者さんは,日本書紀を読んでいない。たぶん,日本神話の「叙述と文言」を軽視しているのだろう。


例外はオオクニヌシ

 ただ,古事記のオオクニヌシだけは例外だ。

 倭国(やまとのくに)に行こうとするオオクニヌシは,スセリヒメの嫉妬にあう。

 「出雲より倭國に上り坐(ま)さむとして,束裝(よそひ)し立たす時に,片御手(かたみて)は御馬(みま)の鞍(くら)に繋(か)け,片御足(かたみあし)は其の御鐙(みあぶみ)に蹈み入れて,歌ひたまひしく」。

 移動手段に馬が使われている。

 ただ,前述したとおり,古事記のうちでもこの部分は,特に創作的であり,学者さんも,演劇的であることを認めている。

 古事記自体をどうとらえるかという問題のもとに読まなければならない部分でもある。

 だから,これが参考になるとは思えない。


応神天皇の馬はいかに

 応神天皇の時代になって,百済王は,阿直伎を遣わして良馬2匹を奉った。

 応神天皇は,この馬を「軽の坂上の厩」で飼わせた。だから今(日本書紀編纂時の今),その馬を飼ったところを,「厩坂(うまやさか)」という(応神天皇15年8月)。

 この記事に登場する馬は,もはや農耕用の馬ではないのであろう。

 農耕とは無関係の,騎乗に適する良馬が献上されたので,大事に飼ったという記事だろう。この2頭は,当然,雌雄であり,繁殖用に供されたのだろう。

 この2頭の馬は,軍事用だったのではないだろうか。

 景行天皇からさらに下った応神天皇の時代でさえ,良馬2匹が特別の貢ぎ物,貴重品として扱われている。

 騎馬民族であれば,良馬を受け取るのではなく,むしろ贈与する立場に立つだろう。

 日本書紀の「叙述と文言」は,騎馬民族の渡来を否定している。


馬が戦闘に使われるのは仁徳天皇以降だ

 次の仁徳天皇の時代になると,明らかに,騎馬が登場する。

 仁徳天皇は,朝貢を怠った新羅を討つために,将軍「田道(たぢ)」を派遣する。
 田道は,「精騎(すぐれるうまいくさ)を連ねて」,新羅軍の左方を攻撃し撃破した(仁徳天皇53年5月)。

 ここにいう「精騎」は,騎兵のことだ。

 応神天皇の時代に渡来した馬が,戦闘に使われ始めたようだ。
 しかしまだ一般的ではなかったので,「精騎」を使って勝利した珍しくも華々しかった話が,ここに掲載されたのだろう。


履中天皇と馬

 仁徳天皇の子,履中天皇の時代になると,さらにはっきりする。

 履中紀は,住吉仲皇子(すみのえのなかつみこ)の叛乱から始まる。

 去来穂別皇子(いざほわけのみこ,後の履中天皇)の妃(みめ)黒媛(くろひめ)を犯した住吉仲皇子は,去来穂別皇子を殺そうとして,密かに軍を興して,「太子(ひつぎのみこ)の宮を囲む」。

 この時,平群木菟宿禰(へぐりのつくのすくね),物部大前宿禰(もののべのおおまえのすくね),漢直の祖阿知使主(あやのあたいのおやあちのおみ)の3人は,太子を「馬に乗せまつりて逃げぬ」。

 これは,歩兵が宮を囲んだが,馬に乗って素早く逃げたということだろう。

 去来穂別皇子等は,「馳せて」大阪から倭を目指す。

 途中,竜田山越えのとき,数十人の歩兵が追って来る。
 去来穂別皇子は,「何ぞ歩行ること(おいきたること)急き(とき)」,すなわち,歩行なのにどうしてあれほど速く追ってくるのか,敵だろうかと述べる。

 ここでの追っ手は「歩行」だ。

 この「叙述」が,重要だ。


馬はまだ特別の秘密兵器だった

 馬は,まだ一般的ではなかったのだ。

 この追っ手を捕らえた去来穂別皇子の一行は,ようやく,石上神社にたどり着く。

 ここでは,馬が大活躍している。

 馬があったからこそ,素早く倭(やまと)まで逃げられたのだ。

 しかし,まだ一般的ではなかった。だからこそ,馬に乗って逃げたというエピソードが,エピソードとして成立している。

 この履中天皇は,乗馬が好きだったようだ。

 履中天皇5年3月,天皇は淡路島で狩りをしたが,「河内飼部(かわちのうまかいべ)」が天皇に従い,馬の手綱をとった。

 このころには,戦闘だけでなく,日常にも使われ始めたようだ。


騎馬が一般化するのは允恭天皇以降だ

 履中天皇の弟の,允恭天皇の時代になると,日常使われた例が出てくる。

 闘ゲ国造(つげのくにのみやつこ)は,のちに皇后となる忍坂大中姫(おしさかのおおなかつひめ)の家のそばを,「馬に乗りて」行く。

 そこで,忍坂大中姫を見つけて,彼女をからかう(允恭天皇2年2月)。

 また,同じく允恭天皇の時,反正天皇の殯(もがり)を命ぜられた玉田宿禰は,人々が皆集まっているのに出席せず,さぼって酒宴を張っていた。

 これを見つけた尾張連吾襲(あそ)に,発覚を恐れて,「馬一匹」を授ける。要するに賄賂だ。馬1匹が,高価な賄賂だったのだ。


雄略天皇と馬

 允恭天皇の子,雄略天皇の時代になると,馬は一般化する。

 市辺押磐皇子(いちのべのおしはのみこ)を射(い)殺したのは,狩りに誘った馬上だったし(雄略天皇即位前紀),「甲斐の黒駒」は有名だったようだし(雄略天皇13年9月),その他,あらゆるところに馬が登場する。

 このように,日本書紀の叙述から見ると,騎馬の風習が,崇神天皇や応神天皇の時代に,一気にやってきたとすることはできない。

 応神天皇の時代から飼われ始め,徐々に広まっていったと見るべきだ。


垂仁天皇や仁徳天皇は池や堤を作り反正天皇は五穀を作る

 問題は馬だけではない。

 垂仁天皇は,高石池,茅渟池,倭の狭城池,迹見池をつくり,多くの池溝(うなで)をつくった。

 その結果,百姓豊かになり。「天下太平」となった(垂仁天皇35年)。
 すなわち,国が豊かになり平和になることが,灌漑土木工事との関連で語られているのだ。

 応神天皇も仁徳天皇も,池や用水をたくさん作る。
 特に仁徳天皇は,大溝(おおうなで)を河内に作ってその一帯を潤し,「四万余頃」の「田」を得た。それによりその一帯の百姓は大いに豊かになり,飢饉の心配がなくなったとしている(仁徳天皇14年)。

 また,反正天皇の時代には,「五穀」がよく実り,百姓が豊かになって「天下太平」とされている(反正天皇元年10月)。

 このように,国が豊かになり平和になることは,常に,農作物との関連で語られているのだ。馬ではない。


血を嫌う神イザナキは馬を飼い肉を食う騎馬民族ではない

 以上の事実の他に,神の性格という問題もある。

 履中天皇は,淡路島で狩をする。

 その際,河内飼部(かわちのうまかいべ)を同行したが,彼らは目の回りに刺青をしていた。
 島の神イザナキは,その血が臭くて耐えられないと言う(履中天皇5年9月)。

 イザナキは,火の神カグツチを殺した神だ(第5段第6の一書)。剣から滴った血から数々の神々が生まれた。それは,日本書紀の神話上,唯一無比の凄惨な場面だった。

 これほど血まみれの場面は,他にない。

 そのイザナキが,たかが刺青の血が,臭いと言う。

 これは,刺青の血が臭いというより,飼部が臭いと言ったのだろう。
 飼部は,馬を飼う人々だ。彼らが連れてきた馬や,馬の世話をする彼ら自身を,臭いと言ったのではないだろうか。

 そもそも,血が臭いという神は,魚を食ってきた神だ。肉を食ってきた神は,こんなことは言わない。

 イザナキを祖神としていつき祭る人々は,騎馬民族ではない。

 


トップページ( まえがき)

第1 私の立場と問題意識

第2 問題提起

第3 方法論の問題

第4 世界観と世界の生成

第5 神は死なない(神というもののあり方)

第6 原初神と生成神の誕生

第7 日本書紀における原初神と生成神の誕生

第8 修理固成の命令

第9 言葉に対して無神経な古事記(本当に古い文献か)

第10 古事記は伊勢神宮成立後の文献

第10の2 応神記の気比の大神について

第11 国生み叙述の根本的問題

第12 日本神話の読み方を考える(第1子は生み損ないか)

第13 生まれてきた国々を分析する

第14 国生みのあとの神生み

第15 火の神カグツチ「殺し」

第16 黄泉国巡り

第17 コトドワタシと黄泉国再説

第18 禊ぎによる神生みの問題点

第19 日本神話の故郷を探る

第20 大道芸人の紙芝居としての古事記

第21 アマテラスら3神の生成

第22 分治の命令

第23 日本神話の体系的理解(日本書紀を中心に)

第24 日本神話の構造と形成過程

第25 生まれたのは日の神であってアマテラスではない

第26 日の神の接ぎ木構造

第27 最高神?アマテラスの伝承が変容する

第28 泣くスサノヲとイザナキの肩書き

第29 日本神話学の見通しと方法論

第30 日本神話のコスモロジー

第31 誓約による神々の生成(日本書紀)

第32 誓約による神々の生成(古事記)

第33 天の岩屋戸神話と出雲神話が挿入された理由

第34 日本神話のバックグラウンド・縄文から弥生への物語
(日本書紀第5段第11の一書を中心に)


第35 海洋神アマテラスと産霊の神タカミムスヒ
(日本書紀を中心に)


第36 支配命令神は誰なのか(ねじれた接ぎ木構造)

第37 アマテラスとタカミムスヒの極めて危うい関係

第38 五穀と養蚕の文化に対する反逆とオオゲツヒメ

第39 スサノヲの乱暴

第40 「祭る神が祭られる神になった」という幻想

第41 天の石屋戸と祝詞

第42 スサノヲの追放とその論理(日本書紀を中心に)

第43 アマテラス神話は確立していない(日本書紀を中心に)

第44 出雲のスサノヲ

第45 異伝に残された縄文の神スサノヲ(日本書紀を中心に)

第46 スサノヲにおける縄文と弥生の交錯(大年神の系譜)

第47 別の顔をもつスサノヲ(日本書紀を中心に)

第48 オオクニヌシの試練物語のへんてこりん

第49 オオクニヌシの王朝物語

第50 日本書紀第8段第6の一書の構成意図と古事記の悪意

第51 スクナヒコナと神功皇后と応神天皇と朝鮮

第52 偉大なるオオナムチ神話(大八洲国を支配したオオナムチ)

第53 三輪山のオオナムチ(日本書紀第8段第6の一書から)

第54 古事記はどうなっているか

第55 偉大なるオオクニヌシ(オオナムチ)の正体(問題提起)

第56 偉大なるオオクニヌシの正体(崇神天皇5年以降)

第57 崇神天皇5年以降を読み解く

第58 国譲りという名の侵略を考える前提問題

第59 「皇祖」「皇孫」を奪い取る「皇祖神」タカミムスヒ
(国譲りという名の侵略の命令者)


第60 皇祖神タカミムスヒの根拠
(国譲りという名の侵略の命令者)


第61 古事記における命令神
(国譲りという名の侵略の命令者)


第62 第9段第1の一書という異伝中の異伝と古事記

第63 武神の派遣と失敗と「高木神」

第64 タケミカヅチの派遣(タケミカヅチはカグツチの子)

第65 フツヌシとタケミカヅチの異同

第66 コトシロヌシは託宣の神ではないしタケミナカタは漫画

第67 「オオクニヌシの国譲り」の叙述がない

第68 天孫降臨の叙述の構造

第69 サルタヒコの登場

第70 古事記独特の三種の神宝

第71 天孫はどこに降臨したのか

第72 「国まぎ」を切り捨てた古事記のへんてこりん
(天孫降臨のその他の問題点)


第73 国譲り伝承と天孫降臨伝承との間にある断層

第74 じつは侘しい天孫降臨と田舎の土豪神武天皇

第75 天孫土着の物語

第76 火明命とニギハヤヒ(第9段の異伝を検討する)

第77 日向神話の体系的理解

第78 騎馬民族はやって来たか

第79 三種の宝物再論

第80 日本神話の大きな構成(三輪山のオオナムチとの出会い)

第81 海幸彦・山幸彦の物語を検討する

第82 「居場所」のない古事記

第83 本居宣長について

第84 日本神話を論ずる際のルール

第85 神々の黄昏

あとがき

著作権の問題など

付録・初版の「結論とあとがき」


新論文
神功紀を読み解く
神功皇后のごり押しクーデター

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