日本書紀を読んで古事記神話を笑う

日本書紀を読んで古事記神話を笑う 改訂新版

2009年10月5日up
(物語読者として日本神話を解明する)


第53 三輪山のオオナムチ(日本書紀第8段第6の一書から)


第8段第6の一書のAの部分の趣旨

 上記した,日本書紀第8段第6の一書のAの部分は,出雲の神であるオオナムチが,なぜヤマトの三輪山に鎮座したのか,その経緯を語っている。

 言うまでもなく,オオナムチは出雲の神だ。

 オオナムチは,「国」を巡った末に,「遂に出雲国に到りて(いたりて)」,荒びていた葦原中国,すなわち天の下を平定したと誇らしく宣言したのだった。

 ところが,最終的に鎮座したのは,出雲ではなく,ヤマトの三輪山だったのだ。

 天の下を平定した出雲の神オオナムチが,なぜヤマトに祭られたのか。
 それを説明するのが,上記したAの部分だ。

 異伝ではあるが,きちんと説明できているからこそ,「神話的事実」なのだ。ここには,不思議な経緯が叙述されている。

 叙述を読み取ろうとするならば,その不思議さに着目し,理解しようと努めなければならない。決して,しょせん神話だからと考えてはいけない。


第8段第6の一書のAの部分のストーリー

 天の下を平定したオオナムチは,吾と共に天の下を治めるものはいない,吾こそが天の下の支配者だと言あげ(ことあげ)する。

 話がここで終わっていれば,出雲に宮を作って,出雲に鎮座しただけのはずだ。

 ところがその時,神々しい光を放ちながら,海に浮かんでやって来る者がいた。それは,他ならぬオオナムチ自身の幸魂奇魂(さきみたまくしみたま)だった。

 その幸魂奇魂は,もし自分がいなかったら,天下平定はできなかったと述べる。

 オオナムチは,これが自らの分身である幸魂奇魂であることを知り,幸魂奇魂に対し,「今何処にか住まむと欲ふ」,すなわちどこに住みたいのかと問いかける。

 幸魂奇魂はこれに答え,「吾は日本国(やまとのくに)の三諸山(みもろのやま,すなわち三輪山)に住まむと欲ふ(おもう)」と述べる。

 そこでオオナムチは,「日本国の三諸山」に「宮」をつくって,「就きて(ゆきて)居(ま)しまさしむ。此,大三輪の神なり」。

 自らの分身,幸魂奇魂の要望に従って,わざわざ「就きて(ゆきて)」,ヤマトの三輪山に宮を作って鎮座したというのだ。


幸魂奇魂とは何か

 一見,わけのわからない話だ。幸魂奇魂。自分の魂が遊離する。その魂と対話する。

 いったいどういうことだろうか。

 神の魂には,和魂(にぎみたま)と荒魂(あらみたま)とがある。
 簡単に言えば,「穏やかな魂」と「荒ぶる魂」だ。平和な魂と戦いの魂といってもよいだろう。人間にも,そうした2側面がある。

 これをさらに定義すれば,和魂は,「さきくあらしむる」,すなわち生命を守り幸せにする「幸魂」と,あやしい力で万物を弁別し種々の事業を成す「奇魂」とがある。

 これに対し「荒魂」は,進取の動的作用をする。本居宣長の説に従った整理だ(中山和敬・大神神社92頁・学生社・昭和46年)。

 これらは,1つの魂がどのように立ち現れるかという現象的側面に関する分析と整理だ。そして古代人は,いろいろな側面をもつ魂が分離することを信じていた。


政治をする魂と戦いをする魂

 簡単に言うと,和魂は,神の穏やかな側面であり政治をする魂だ。荒魂は,神の荒振る側面であり,戦いをする魂だ。

 キリスト教の神とはまったく異なり,日本の神は自然の中にある。

 自然は,突如凶暴になり,雷や地震や津波や旱や台風という形で人の命を奪い取るが,穏やかになると,五穀を慈しむように育て,魚や獣を恵んでくれる。

 和魂と荒魂に分析した古代人は,自然の中に神を見ていたのだ。


日本書紀崇神天皇48年正月にもこの魂が顔を出している

 たとえば崇神天皇は,息子の豊城命(とよきのみこと)と活目尊(いくめのみこと,後の垂仁天皇)のどちらを後継者にするか判断するため,それぞれ見た夢を報告させる(崇神天皇48年正月)。

 兄の豊城命は,御諸山に登って,東に向かって槍や剣を振り回したと報告する。これは,蝦夷の国,東国の平定を暗示している。

 荒魂の権化が豊城命なのだ。

 これに対し弟の活目尊は,やはり御諸山に登って,縄を四方に張って雀を追い払ったと報告する。
 雀は,穀物を食い荒らす害鳥だった。四方に心配りをして,人民(おおみたから)の生活を考えたのだ。

 和魂の権化が活目尊だった。


崇神天皇の正しい判断

 もはや国は治まっていた。戦争をする必要はなかった。崇神天皇は,弟の活目尊こそ天皇にふさわしいと考え,皇太子とする。

 兄の豊城命には東国を治めさせた。荒ぶる神,蝦夷の人々がいる東国だ。

 これは,正しい判断だったと言えましょう。

 この舞台が,天の香具山でも耳成山でもなく,御諸山,すなわち三輪山だったことを覚えておいてほしい。

 崇神天皇の時代には,偉大なるオオナムチ,幸魂奇魂=和魂=政治をする魂に導かれてやって来た,大己貴命の和魂に対する信仰が,まだまだ残っていたのだ。

 そこは,聖地だった。


神功皇后摂政元年2月の和魂と荒魂

 和魂と荒魂は,神功皇后摂政元年2月にも出てくる。

 神功皇后は新羅征討に赴こうとする。
 神功皇后摂政前紀には,神の和魂は王の身に従ってその命を守り,荒魂は先鋒となって軍船を導くだろう,という部分がある。

 同様に,荒魂は軍の先鋒,和魂は王船の鎮守という部分もある。

 これが,和魂と荒魂の定義といってもよいだろう。

 新羅を討った神功皇后は,筑紫の地で応神天皇を生む。そしてヤマトに帰ろうとする。

 しかし,仲哀天皇の妃(みめ)との間の子,カゴ坂皇子と忍熊皇子は,仲哀天皇が筑紫で死亡したことを聞き,これを阻止しようとする。皇后の子と妃の子との政権争いだ。

 難波を目指した神功皇后の船は先に進めない。たぶん,敵兵の抵抗にあったのだろう。そこで,務古水門(むこのみなと)に帰って神の意思を占った。


戦いの中でも和魂と荒魂がある

 アマテラスは,わが荒魂を神功皇后の身辺につけてはならぬ,広田国(ひろたのくに,現在の兵庫県西宮市)におらしめよと言う。

 広田国に戦いの拠点を置けという意味なのだろう。

 稚日女尊は,活田長峡国(いくたのながおのくに)に居たいと言う。
 事代主神は,長田国(ながたのくに)に祭れと言う。

 表筒男,中筒男,底筒男の3神は,わが和魂を大津の渟中倉(ぬなくら)の長峡(ながを)に居らしむべしと言う。

 ここに政治の拠点を置けという意味なのだろう。司令塔を置けという意味なのだろう。

 これら諸神の言うがままに祭ったところ,神功皇后は平安に海を渡ることができた(神功皇后摂政元年2月)。

 このように読み解けば,和魂,幸魂奇魂も理解できるだろう。


オオナムチの荒魂が出雲国に帰って来た

 さて,第8段第6の一書に戻ろう。

 海から寄ってきた幸魂奇魂(さきみたまくしみたま)は,神の穏やかな側面であり,和魂だった。

 そしてそれは,「吾は(われは)日本国(やまとのくに)の三諸山(みもろのやま)に住まむと欲ふ(おもう)」と願ったのだ。

 だとすると,「国」を巡った末に「遂に出雲国に到りて」というオオナムチは,和魂から分離した,荒魂だったのだ。

 それはそうだろう。

 オオナムチには異名があった。今考えてみると,「葦原醜男(あしはらのしこお)」,「八千戈神(やちほこのかみ)」は,荒魂に着目した名称だ。「大国玉神(おおくにたまのかみ)」,「顕国玉神(うつしくにたまのかみ)」は,和魂に着目した名称なのだろう。

 オオナムチの荒魂は,出雲に帰ってきたのだ。


戦いに疲れたオオナムチと戦いの後の孤独

 諸国を平定する戦いの旅。それは「葦原醜男」であり,「八千戈神」だった。和魂は,登場するいとまがなかった。
 オオナムチの戦国時代。和魂が登場する時代ではなかった。

 一緒に国を作ったスクナヒコナはすでに常世郷に行ってしまい,天の下を治める者はオオナムチしかいなかった。

 もはや葦原中国で帰順しない者はいないと図太く言挙げするオオナムチの荒魂は,戦いにつぐ戦いで,荒れすさんでいた。

 日本武尊(やまとたけるのみこと)と同様,戦いの生活のなかに葦原中国を巡ってきたのだ。

 その武将が,これからは,天の下を治める政治を1人で行わなければならない。
 人を殺すのではなく,人を信じなければならない。世の中を壊すのではなく,作らなければならない。


英雄オオナムチの慨嘆

 それは,もはや荒魂の仕事ではなく,和魂の仕事だ。

 「今此の国を理むるは(おさむるは),唯し吾一身(われひとり)のみなり。其れ吾と共に天の下を理む(おさむ)べき者,蓋し有りや」というオオナムチの言葉の中には,雄々しいオオナムチというよりも,孤独なオオナムチがいる。

 これこそ,英雄の慨嘆だ。孤独な英雄の慨嘆だ。

 これからは,和魂の出番だ。

 その時,分離していたオオナムチの和魂は,大和国の三諸山に住んで,天下を支配する政治を行いたいと述べたのである。


神を祭る政治的意味を考える(祭政一致の政治体制)

 では,和魂は,なぜ出雲ではなくヤマトの三輪山に住みたいと言ったのだろうか。

 それはやはり,オオナムチをいつき祭る人々が,ヤマトの三輪山に住み着いたからだろう。
 オオナムチは,ヤマトをも含む大八洲国全体を平定したのだ。

 そもそも,神をいつき祭るということは,どういうことだろうか。

 古代人に科学はない。情報が乏しいので,政治的決定にせよ何にせよ,どちらかに決定することを迫られた場合,情報分析に基づいた論理的決定ができない。どちらがよりましか,という決定さえできない。

 しかし決定は迫られる。

 だから,誓約(うけい)や神判が必要になるのだ。

 人間は,なぜこうするのかという根拠を求めたがる。戦って死ぬ場合でも,死ぬ意味がなければ戦場に赴けない。戦場に赴く理由を与えてやる必要がある。

 だからこそ,神が必要になる。

 神を祭ることは政治と密接不可分だ。神意を聞くことが,政治の一部である。それが,祭政一致の政治体制だ。


神を祭る政治的意味を仲哀紀から具体的に考える

 仲哀紀と神功紀の事例を検討してみよう。

 仲哀天皇8年9月には,仲哀天皇が群臣を集めて熊襲(くまそ)を討つか否かを諮ったとき,神が后(きさき)である神功皇后に懸かって,熊襲は膂宍の空国(そししのむなくに)だから討つに足りないと述べたという記事がある。

 これだけを読むと,会議をしていたらいきなり神が現れて,ありがたい意見を述べてくれたという,神がかり的なトンデモ話にすぎない。

 通常,心の底では,神話なんてこんなものさと,諦めているのではないだろうか。

 しかし,熊襲征討という重大事にあたって,神に降臨してもらって,その意見を聞いたのだ。

 それが,決定にあたっての必要な手続になっていたし,当初から,会議の内容になっていたのだ。

 群臣は,様々な意見を述べただろう。
 そして,たぶんその最後に,仲哀天皇が音頭を取って,神の意見を聞いたのだ。神の降臨は,会議の重要な一部だったといってもよいだろう。


神の託宣を聞く方法を神功皇后摂政前紀から具体的に考える

 神の託宣を聞く方法は,神功皇后摂政前紀がわかりやすい。

 皇后は,斎宮(いわいのみや)に入って自ら神主(かんぬし)となる。
 武内宿禰(たけしうちのすくね)に琴を弾かせ,中臣烏賊津使主(なかとみのいかつのおみ)を審神者(さにわ)とする。

 審神者は,神意の審判者のことだ。

 そこで琴を弾いて神に質問し,7日7夜祈り続けると,神が皇后に降って答える。

 斎宮は,神を祭ってある場所だ。だから,まずこれがなければならない。前提として宮が必要だ。

 神主は,今で言う神主ではない。神が降ってくる憑代(よりしろ)としての人をいう。憑代は高い木であったり岩であったり神籬であったりするが,ここでは託宣が目的なので,人だ。

 琴は,神を呼び出す音楽を奏でる。

 審神者は,そばにいて神託を聞き,その意味を判断する人だ。


太刀と弓矢は武力の象徴であり琴は政治的権力の象徴である

 琴が出てくることに注意してほしい。琴を弾いて神を呼び出すのだ。琴は,神託を聞くための重要な道具だった。

 古事記によれば,根国にいるスサノヲを訪ねたオオクニヌシは,様々な試練を受けた後,スセリヒメを背負い,「その大神の生太刀と生弓矢と,またその天の詔琴(のりごと)」を持って逃げ出す。

 それを見たスサノヲは,オオクニヌシとなって国を支配し,立派な宮殿に住め,こいつめ,と怒鳴る。

 オオクニヌシは,こうして,「始めて国を作りたまひき」となった。

 スサノヲの武力の象徴たる太刀と弓矢に対し,琴は,政治力の象徴なのだ。これを持ち出すということは,政治的支配力を奪ったということなのだ。


「天の詔琴」の意味と神を祭る人々の政治的権力

 ここでは,その琴が「天の詔琴」とされている。「詔」は,詔勅の「詔」だ。述べるという意味だ。天つ神がその意思を述べる琴,という意味なのだ。

 だから,神を祭るということは,政治的権力と密接不可分なのだ。

 逆に言えば,アマテラスが諸国を放浪したというのは(崇神紀),天皇がアマテラスを放棄したということになる。
 政治に必要でなくなったということになる。

 アマテラスは,政治的権力から見放されて,諸国放浪の旅に出たのである。

 オオナムチがヤマトの三輪山に祭られたということは,オオナムチをいつき祭り,その神意を聞こうとする人々が,その地方の政治的権力を握り,ヤマトの三輪山周辺に住んでいた,ということである。


だからこそオオナムチすなわち大三輪の神の子孫が語られる

 だからこそ,オオナムチは三輪山に行って宮を構え,「大三輪の神」となった。

 だからこそ第8段第6の一書には,その子孫として,「甘茂君(かものきみ)等,大三輪君(おおみわのきみ)等,姫蹈鞴五十鈴姫命(ひめたたらいすずひめのみこと)」がいたとされている。

 ヤマトの三輪山の周辺には,オオナムチを祖先としていつき祭る人々がいたのだ。

 賀茂氏は大和盆地西南部を本拠とし,三輪氏は同じく東南部を本拠とする,在地性の強い豪族だ。

 姫蹈鞴五十鈴姫命については「事代主神」と「三嶋のミゾクイヒメ」の子であるという異伝もあるが,ヤマトを支配した神武天皇の后になったことに違いはない。

 在地の豪族の姫だったのだ。


大和地方には出雲の神々がいる

 延喜式神名帳によれば,葛城山一帯には,大穴持(おおあなもち,オオナムチ),事代主,阿冶須岐託彦根などの出雲系の神々を祭る社が多いという。

 三輪山からは少し離れている。しかし,確かに,出雲の神々が大和地方を支配した過去があったのだ。

 なお,三輪山の神すなわちオオナムチは,後世まで,偉大なる神としていつき祭られた。

 雄略天皇の時代には,呉の国から連れてきた「衣縫の兄媛(きぬぬいのえひめ)」を,大三輪の神に奉っている。
 大三輪の神に従い,その神域を管理運営している人々のために,衣服を作る工人が奉られたのだ。


王者オオナムチの三輪山(御諸山)は聖地である(崇神天皇48年正月)

 この三輪山(御諸山)は,日本書紀では聖地扱いだ。

 先に述べたように,崇神天皇は,2人の息子に夢を見させて,どちらを後継者にするか判断した。
 諸国平定の戦いの時代は,一応終わっていた。これからは政治の時代だった。弟の活目尊こそ,政治を行う魂,和魂の権化だと判断したのだ。

 なぜ2人とも御諸山に登る夢を見るのだろうか。

 それは,もはや明らかだ。三輪山(三諸山)は,一地域としてのヤマトのみならず,大八洲国を支配した神の聖地だったからだ。

 大八洲国を平定した王者が鎮座する山だからだ。
 その神が,どんな夢を見させるかが問題だったのだ。

 だからこそ,支配者を決める舞台になったのだ。

 ここには,自らの和魂に導かれて出雲からやってきた,オオナムチが鎮座していた。政治を行うために,三輪山(三諸山)にやってきたのだった。

 和魂の権化ともいうべき活目尊が皇太子になったのは,当然の結果だった。


神功皇后は「大三輪社」を立てて兵を集める(日本書紀神功皇后摂政前紀9月)

 一方,オオナムチが偉大なる武神でもあったことは,神功皇后摂政前紀9月にも描かれている。

 熊襲を征伐した神功皇后は,いよいよ新羅をうかがう。

 諸国に号令して船を集めたが,兵が集まらない。これは神の思し召しなのであろうと考えた神功皇后は,「大三輪社(おおみわのやしろ)を立てて,刀矛(たちほこ)を奉りたまふ」。

 すると,兵は自然と集まった。戦うときの神頼みの神は,神功皇后にとっては大三輪の神だったのだ。

 この大三輪社をどこにあてるのか。議論があるようだ。

 とにかく神功皇后は九州にいた。そこで,「大三輪社を立て」たのだ。
 だから,大三輪の社がなかったところに,戦功を祈って初めて建てたのだ。九州の地元の神に祈るのとは,わけが違う。

 これはやはり,神功皇后にゆかりのある武神に神頼みしたと考えるのが筋だろう。

 その大三輪の神は,もちろんオオナムチだ。神功皇后もやはり,大三輪の神をいつき祭っていたのだ。

 三輪山には,大八洲国を支配した偉大なるオオナムチがいた。


そもそも神武天皇がオオナムチに絡んで天皇の系譜につながる

 そもそも,天皇の祖神とされる神武天皇自身が,実際には,オオナムチの系譜に絡んでいる。
 決して,敵ではない。

 神武天皇は,事代主神の娘姫蹈鞴五十鈴姫命を「正妃」とする(神武天皇即位前紀庚申8月)。

 神武天皇が吾田にいたときの妻は,「日向国の吾田邑の吾平津媛」だった。この姫ががどうなったのか,日本書紀の叙述上は,まったくわからない。行方不明になってしまう。

 それどころか,吾田の吾平津媛(あひらつひめ)との間の子,手研耳命(たぎしみみのみこと)は,神渟名川耳尊(綏靖天皇)によって暗殺される(これは暗殺であり叛乱ではない)。

 一方,神武天皇には彦五瀬命,稲飯命,三毛入野命の,吾田における3人の兄がいたが,いずれも戦死したことになっている。

 だから,神武天皇の系図上,吾田関係の血筋は見事に途絶えることになっている。

 吾田は忘れ去られた。

 いや,もしかして,忘れ去りたい出自だったのかもしれない。残ったのは,出雲の神,事代主神の娘との系譜だけだ。

 日本書紀は,こっそりと秘密を語っている。


神武天皇以下の血筋は出雲との血縁を述べている

 それが証拠に,神武天皇以下の天皇は,事代主神の血をひいた姫を娶っている。

 神武天皇は,ヤマトを支配してから,早速,正妃を迎える。それが,事代主神の娘姫蹈鞴五十鈴姫命だった。

 その姫蹈鞴五十鈴姫命は,神八井耳命と神渟名川耳尊を生む。神渟名川耳尊は綏靖天皇になる。これは事代主神の孫ということになる。

 その綏靖天皇は,姫蹈鞴五十鈴姫命の妹五十鈴依媛を皇后とする。事代主神の孫が事代主神の子(母姫蹈鞴五十鈴姫命の妹,すなわち叔母)を妻としたのだ。こうして,事代主神の血が濃くなる。

 五十鈴依媛は,安寧天皇を生む。その安寧天皇は,事代主神の孫,鴨王の娘渟名底仲媛命を皇后とする。

 その渟名底仲媛命は懿徳天皇を生む。懿徳天皇は,天豊津媛命を皇后とする。これは,安寧天皇と渟名底仲媛命との子息石耳命の娘だ。やはり事代主神の血をひいていることになる。


出雲国を武力で服属させたというのは幻想

 このように,神武天皇以下懿徳天皇までは,すべて事代主神の血をひいた女を皇后にしているのだ。

 出雲国を現実に武力侵略し,支配したのであれば,こんなことをする必要性はない。

 オオナムチは,すでにヤマトの三輪山にいた。その周辺には,オオナムチをいつき祭る人々がいた。神武天皇は,「東征」によってやって来た,新参者にすぎない。
 だからこそ,その地元の人々と血縁関係を深めることによって,支配者たり得たのだ。

 日本神話の問題としては,出雲の神々を,神話の表舞台から退場させた。それが,日本神話のからくりだったことは,すでに述べた。


事代主神は神功皇后を助ける神であり決して敵ではない

 この事代主神は,神功皇后を助けた神であり,決して敵ではない。

 神功皇后は,仲哀天皇が神の意思に逆らって死んだ後,その神の名を知ろうとする。そこに現れたのが事代主神だった(神功皇后摂政前紀)。

 神功皇后は,反逆の女帝だ。
 夫仲哀天皇が死んだとき,応神天皇は胎児にすぎなかった。だから,本来ならば,そこで皇位継承問題が生ずるはずだ。

 ところが神功皇后は,仲哀天皇が死んだことを隠し,殯(もがり)を秘密に行い,皇位継承問題を無視し,新羅征討を行って勢いをつけ,ヤマトに凱旋しようとした(もちろん神話という叙述上のことであり,歴史的事実とは別問題だ)。

 新羅を討った神功皇后は,筑紫の地で応神天皇を生む。そしてヤマトに凱旋しようとする。

 そこに現れたのが,事代主神だった。事代主神は,自らを,長田国(ながたのくに)に祭れと言う。

 事代主神は,皇祖神とされるアマテラス,稚日女尊,住吉3神と共に現れ,神功皇后を助けたのだ。

 事代主神は,決して天皇の敵ではない。ここでは,アマテラスと共に皇統を庇護する神として叙述されているのだ。


神を尊ぶ古事記ライターがオオクニヌシの王朝物語を書いた

 日本書紀編纂者は,偉大なる出雲神話を必要最小限だけ使った。しかし,第8段第6の一書をきちんと残すという知性があった。

 その内容は,偉大なる出雲の神が三輪山にやってきて大八洲国を支配する政治を行ったというものだった。

 これに対し古事記は,偉大なるオオクニヌシ(オオナムチ)の王朝物語を展開した。
 日本書紀編纂者が隠したかったものを,古事記ライターは,堂々と展開している。

 私は,古事記ライターは,国生みに続く神生みに熱心であること,単なる国生みではなく神の国を語ろうとしていること,君たちの周りにはこんな神がいるんだよと説明しようとしていること,などを指摘した。

 この性癖からすれば,オオクニヌシの王朝物語は,当時生きている人々にとって,決してはずせない神話だったのだろう。

 出雲の神々の偉大な歴史。それが常識だったはずだ。

 


トップページ( まえがき)

第1 私の立場と問題意識

第2 問題提起

第3 方法論の問題

第4 世界観と世界の生成

第5 神は死なない(神というもののあり方)

第6 原初神と生成神の誕生

第7 日本書紀における原初神と生成神の誕生

第8 修理固成の命令

第9 言葉に対して無神経な古事記(本当に古い文献か)

第10 古事記は伊勢神宮成立後の文献

第10の2 応神記の気比の大神について

第11 国生み叙述の根本的問題

第12 日本神話の読み方を考える(第1子は生み損ないか)

第13 生まれてきた国々を分析する

第14 国生みのあとの神生み

第15 火の神カグツチ「殺し」

第16 黄泉国巡り

第17 コトドワタシと黄泉国再説

第18 禊ぎによる神生みの問題点

第19 日本神話の故郷を探る

第20 大道芸人の紙芝居としての古事記

第21 アマテラスら3神の生成

第22 分治の命令

第23 日本神話の体系的理解(日本書紀を中心に)

第24 日本神話の構造と形成過程

第25 生まれたのは日の神であってアマテラスではない

第26 日の神の接ぎ木構造

第27 最高神?アマテラスの伝承が変容する

第28 泣くスサノヲとイザナキの肩書き

第29 日本神話学の見通しと方法論

第30 日本神話のコスモロジー

第31 誓約による神々の生成(日本書紀)

第32 誓約による神々の生成(古事記)

第33 天の岩屋戸神話と出雲神話が挿入された理由

第34 日本神話のバックグラウンド・縄文から弥生への物語
(日本書紀第5段第11の一書を中心に)


第35 海洋神アマテラスと産霊の神タカミムスヒ
(日本書紀を中心に)


第36 支配命令神は誰なのか(ねじれた接ぎ木構造)

第37 アマテラスとタカミムスヒの極めて危うい関係

第38 五穀と養蚕の文化に対する反逆とオオゲツヒメ

第39 スサノヲの乱暴

第40 「祭る神が祭られる神になった」という幻想

第41 天の石屋戸と祝詞

第42 スサノヲの追放とその論理(日本書紀を中心に)

第43 アマテラス神話は確立していない(日本書紀を中心に)

第44 出雲のスサノヲ

第45 異伝に残された縄文の神スサノヲ(日本書紀を中心に)

第46 スサノヲにおける縄文と弥生の交錯(大年神の系譜)

第47 別の顔をもつスサノヲ(日本書紀を中心に)

第48 オオクニヌシの試練物語のへんてこりん

第49 オオクニヌシの王朝物語

第50 日本書紀第8段第6の一書の構成意図と古事記の悪意

第51 スクナヒコナと神功皇后と応神天皇と朝鮮

第52 偉大なるオオナムチ神話(大八洲国を支配したオオナムチ)

第53 三輪山のオオナムチ(日本書紀第8段第6の一書から)

第54 古事記はどうなっているか

第55 偉大なるオオクニヌシ(オオナムチ)の正体(問題提起)

第56 偉大なるオオクニヌシの正体(崇神天皇5年以降)

第57 崇神天皇5年以降を読み解く

第58 国譲りという名の侵略を考える前提問題

第59 「皇祖」「皇孫」を奪い取る「皇祖神」タカミムスヒ
(国譲りという名の侵略の命令者)


第60 皇祖神タカミムスヒの根拠
(国譲りという名の侵略の命令者)


第61 古事記における命令神
(国譲りという名の侵略の命令者)


第62 第9段第1の一書という異伝中の異伝と古事記

第63 武神の派遣と失敗と「高木神」

第64 タケミカヅチの派遣(タケミカヅチはカグツチの子)

第65 フツヌシとタケミカヅチの異同

第66 コトシロヌシは託宣の神ではないしタケミナカタは漫画

第67 「オオクニヌシの国譲り」の叙述がない

第68 天孫降臨の叙述の構造

第69 サルタヒコの登場

第70 古事記独特の三種の神宝

第71 天孫はどこに降臨したのか

第72 「国まぎ」を切り捨てた古事記のへんてこりん
(天孫降臨のその他の問題点)


第73 国譲り伝承と天孫降臨伝承との間にある断層

第74 じつは侘しい天孫降臨と田舎の土豪神武天皇

第75 天孫土着の物語

第76 火明命とニギハヤヒ(第9段の異伝を検討する)

第77 日向神話の体系的理解

第78 騎馬民族はやって来たか

第79 三種の宝物再論

第80 日本神話の大きな構成(三輪山のオオナムチとの出会い)

第81 海幸彦・山幸彦の物語を検討する

第82 「居場所」のない古事記

第83 本居宣長について

第84 日本神話を論ずる際のルール

第85 神々の黄昏

あとがき

著作権の問題など

付録・初版の「結論とあとがき」


新論文
神功紀を読み解く
神功皇后のごり押しクーデター

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