日本書紀を読んで古事記神話を笑う

日本書紀を読んで古事記神話を笑う 改訂新版

2009年10月5日up
(物語読者として日本神話を解明する)


第82 「居場所」のない古事記


古事記の「居場所」を考える意味

 さて,最後に,古事記の「居場所」について考えておこう。

 日本書紀は,律令国家成立期における官撰の歴史書であり,国家の公文書である。だから,官僚はもちろん,当時の中国などをも,読者として想定していた。それが,日本書紀の「居場所」だ。

 古事記の「居場所」を考えるとは,そういうことだ。

 私は,この論文で古事記をこき下ろしてきたが,こうした古事記を受け入れ,面白がる人が,いつの時代の,どこにいたのか。

 古事記偽書説を巡る議論も,日本書紀と古事記とを歴史的に根拠づけようとする議論も,意味がないとは言わないが,そんなことよりも,古事記が,いつの時代のいかなる読者を想定していたのかを追究する方が,もっと実りが大きいように思われる。

 それは,日本書紀と古事記との関係に関する,腑に落ちた回答となるであろう。
 また,古事記偽書説に形式的に迫るのではなく,実質的に迫ることができるであろう。

 私は,それを考えたいと思うのだ。


「くせ者古事記」の居場所が問題だ

 私は,あらゆる実例をあげて,古事記神話は,異伝をつないだリライト版であり,決して,古来の神話伝承をそのまま伝えてはおらず,また,日本神話の王道でもないと述べてきた。

 古事記を,日本書紀本文と異伝である一書と対等に扱い,これらの神話伝承群の中で,その指し示すベクトルや位置づけを考えていくと,古事記は,日本神話の王道をはるかにはずれた,特異な伝承であると論じた。

 異伝のみならず,異伝中の異伝をも切りつないで,しかも,さらにそれらをリファインしたり,総合したりするなど,古来の神話伝承をそのままするりと書き下したとは到底思えない「叙述と文言」なのであった。

 簡単に言えば,「特殊な方向にとんがった伝承」なのであった。

 その「叙述と文言」を子細に検討すると,世界観の欠落や,論理矛盾などは屁のカッパであり,神の領域に人間が土足で踏み込んで,神の領域と人間の領域とを混同することさえ,「恬として恥じない」のであった。

 それどころか,「叙述」の意味が通らないとか,用語の統一ができていないとか,ライターとしての基本的資質さえ疑われるのであった。

 こうした古事記は,「くせ者古事記」であり,想定される読者の知的レベルは極めて低く,いい加減な記述が,ありとあらゆるところにあることを実証してきた。

 だからこそ,こうした出来損ないの伝承は,「おじいちゃん,これおかしいよ。」という子供のひとことで鍛えられていない,「古来の神話伝承の二番煎じ」であり,「リライト版」であり,「神話の崩壊過程」,「神話が腐っていく状況」,「神話の末期的症状」ではなかろうかと述べた。

 「天照大御神」という,その時代精神はかなり新しいはずであり,古事記にある,動かしがたくも明白な「叙述と文言」からしても,少なくとも,伊勢神宮の内宮のみならず外宮も完成したあとであり,712年の成立自体も,簡単には信用できなくなると述べてきた。

 そして今,私は,この改訂新版を書き終えるにあたって,「くせ者古事記」は,いったい,いかなる読者を想定していたのだろうかと考える。


西郷信綱説から考える

 西郷信綱氏は,ヤマトタケルによせて,こう言っている。

 「古事記が書紀のような国家の正史ではなく,壬申の乱に勝った天武の個人的な発意ともいえるものにもとづき,一つの世界にたいする回想として作られたこと,そして王権的秩序の制度化,その急速な発展とともに『建く荒き情』または英雄的なものは,いうなれば悲劇的に圧殺されてゆかざるをえぬという過程がしばしば経験されたであろうこと,この二点だけは忘れたくない」(西郷信綱・古事記注釈・第6巻・筑摩書房,170頁)。

 後半部分は,「日本神話の英雄時代」という,石母田正が指摘した問題に絡んでくるだろう。

 問題は前半だ。

 「壬申の乱に勝った天武の個人的な発意ともいえるものにもとづき,一つの世界にたいする回想として作られたこと」。

 けっこう,世の中に流布している見解だ。
 「一つの世界にたいする回想」。これが,古き良き「いにしえ」,と受けとられている。

 そしてこの学者さんは,こうも言っている。

 「律令制の開始とともにまさに終焉に向かいつつある神話時代をあらたに想起すべく古事記は作られたのだといっていい」(西郷信綱・古事記注釈・第8巻・筑摩書房,213頁)。


過去の世界に対する回想が古事記なのではない

 しかし私は,即座に,こう反論できる。

 日本神話として残された神話伝承群の中で,古事記の指し示すベクトルや位置づけ,そのリファインやソフィスティケイトされた内容,あくまでも「天照大御神」と言い張る意固地さを考えていくと,古事記はかなり新しいのであり,決して,「終焉に向かいつつある神話時代をあらたに想起すべく古事記は作られた」のではなく,むしろ,新しい神アマテラス礼賛のもとに,現在と若干の未来に向かって,新たに作られた伝承である。

 決して,過去を回顧し,振り返る伝承ではない。

 それは,古事記に対する,大いなる誤解だ。

 また,過去を振り返るにしては,出来が悪すぎる。ちょっと恥ずかしいくらいだ。

 この,西郷信綱説に賛成できるところがあるとしたら,古事記が,極めて狭い社会を対象にしていたという点だけである。

 古事記が,過去の世界に対する回想であったとは,到底思えない。
 その理由は,すでに述べたとおりである。「くせ者古事記」が,すべてを語っている。
 私は,それを,この論文で論証した。


アマテラス神話はいつ成立したのか(持統天皇6年を検討する)

 アマテラス神話が,いつ成立したのか。それが,今後の課題の1つである。

 学者さんは,かなり新しいと考えているようである。天武天皇や持統天皇のころと考えているようである。

 詳細は,またもや日本書紀と古事記の「叙述と文言」を検討するしかないし,この問題は,単なる神話伝承だけではなく,伊勢神宮とアマテラス神話の成立という,社会的・歴史的問題をもはらんでいる。

 だから,簡単には言えないが,ここでは,日本書紀持統天皇6年の「叙述と文言」を中心に考えておこう。

 西暦692年のことである。


持統天皇6年・伊勢行幸と賢臣の諫言

 6年2月,持統天皇は,3月3日から伊勢に行幸すると宣言する。

 これが,当時成立していた伊勢神宮とアマテラスへ参拝する目的だったのかどうか。
 それが問題となっている。

 三輪の高市麻呂は,これから農作業が大変になるときだからやめるよう,身命を賭して諫める。

 「表(ふみ)を上(たてまつ)りて敢直(ただに)言して,天皇の,伊勢に幸さむとして,農時(なりはひのとき)を妨げたまふことを諌め爭(いさ)めまつる」(持統天皇6年2月)。

 上表文を出して,直言。

 そして,「高市麻呂,其の冠位(かうぶり)を脱きて,朝(みかど)に上(ささ)げて,重ねて諌めて曰さく,『農作の節(とき),車駕(きみ),未(いま)だ以て動(ゆ)きたまふべからず』とまうす」(持統天皇6年3月)。

 しかし,持統天皇は,きかずに出立。

 そして結局,この三輪の武市麻呂は,辞職したようだ。


持統天皇6年・お遊びの伊勢行幸

 この経緯からして,伊勢神宮参拝とか,アマテラスを拝むことが目的でなかったことがわかる。

 宗教的目的であったら,こんな諫め方はしない。

 それはそれで必要な行事だからだ。それはそれで,きちんと経費をかけて,伊勢に直行すればいいだけのことであり,農作業の邪魔になるというのは,理由にならない。

 武市麻呂が,地位も名誉も,場合によっては命もかけて,「重ねて諌め」る問題ではない。

 武市麻呂の三輪山信仰とバッティングしたのだという説もあるが,この諫め方は,そうした問題ではなさそうだ。
 そもそも持統天皇は,伊勢神宮もアマテラスも,参拝していないではないか。

 単なる物見遊山で,あっちこっち行こうとするから,農民に迷惑をかける,それでは国家が成り立たないなどと,三輪の高市麻呂が,身命を賭してまで,諫めたのだ。

 だからこそ,持統天皇は,伊勢遊行決行後,行く先々で「調役を免す」など,大盤振る舞いの連続。
 この女帝は,金を遣うときは,大々的に浪費する女帝だったようだ。

 そして目的は,伊勢というより,吉野にあったようである(持統天皇6年5月)。


持統天皇6年・「伊勢の大神」は単なる地方神だ

 この間,「伊勢大神」に詣ったという「叙述と文言」は,まったくない。

 「皇祖,皇宗のアマテラス・・・」なんて観念は,まったくなかったわけだ。近所まで行ったのに,行かなかったのだから,皇祖皇宗の墓参りなんて観念は,まったくなかったわけだ。

 そして,宮に帰った持統天皇は,新造なる藤原宮の地鎮祭を行い,「使者を遣して,幣(みてぐら)を四所の,伊勢・大倭・住吉・紀伊の大神に奉らしむ。告(まう)すに新宮のことを以てす」(持統天皇6年5月)。

 自分の新居の地鎮祭をするのに,「伊勢大神」は特別扱いされていない。
 地元=大倭,北西=住吉,南=紀伊,東=伊勢という,四方を固めただけのことである。

 「伊勢大神」は,他の地方の大神と対等であり,同レベルだ。
 やはり,「皇祖,皇宗のアマテラス・・・」なんて観念は,どこにもない。

 そして,「伊勢大神,天皇に奏して曰したまはく,『伊勢國の今年の調役免したまへり。然(しか)れども其の二つの神郡(かみのこほり)より輸(いた)すべき,赤引絲(あからひきのいと)參拾伍斤(みそあまりいつはかり)は,來年(こむとし)に,當(まさ)に其の代(しろ)を折(へ)ぐべし』とまうしたまふ」(持統天皇6年5月)。

 持統天皇の物見遊山の途中で,今年の「調役免したまへり」はうれしいが,来年の「赤引絲」35斤は,差し引いて欲しいと,「伊勢大神」が頼んでいるのだ。

 はっきり言って,卑屈である。
 これは,天皇の権威に屈した地方神,「伊勢大神」の姿である。
 決して,「皇祖,皇宗のアマテラス・・・」ではない。

 そして,新羅が奉った「調」は,「五社,伊勢・住吉・紀伊・大倭・菟名足」に奉納された(持統天皇6年12月)。

 伊勢は,一貫して,特別視されていませんね。


持統天皇6年・692年にアマテラス神話も伊勢神宮も成立していない

 持統天皇6年は,692年。
 古事記成立の20年前でしかない。

 その時点で,「伊勢大神」は単なる一地方神でしかなく,持統天皇の行幸の対象でもなく,近くまで行ったのに無視され,逆に,「伊勢大神」の方から課役の減免をお願いする体たらくであった。

 「伊勢大神」は,決して,アマテラスではない。いわゆる,「皇祖,皇宗のアマテラス・・・」など,成立していない。
 ましてや「天照大神」,いや違った。「天照大御神」など,どこにもない。

 それを,日本書紀という公文書を編纂した者たちが,正直に認めているのである。

 この程度の持統天皇6年(692年)から,「天照大神」を突き抜けて,さらに「天照大御神」にこだわる712年の古事記成立まで,いったい,いかなる歴史があったのだろうか。

 これを,こと細かく実証できない限り,古事記は信用できないし,古事記偽書説をめぐる議論も,議論のための議論でしかなく,意味がない。

 もはや,歴史時代に突入している。歴史家も,日本書紀の「叙述と文言」が信頼できると公言している。そうした文献世界での話である。


こんなにもずっこけた過去の世界があるはずがない

 伊勢神宮の成立とアマテラス神話の確立については,この論文とは別に検討されるべき問題である。

 とにかく,「くせ者古事記」を読んでいくと,むしろ,神やアマテラスに対する古事記ライターの,「ずっこけた執念」さえ感じられる。

 神やアマテラスを強調しようとしているのはいいが,世界観の破綻や論理矛盾やいい加減な「叙述と文言」が頻出するから,読んでいて,アレレ,てな感じでずっこけてしまうのだ。

 たとえば,天つ神であるはずのアメワカヒコの葬儀が,その父親や妻を交えて,こともあろうに葦原中国で,「日八日夜八夜を遊びき」という出鱈目さ。

 いったい誰と遊んだのか。天つ神が国つ神と一緒に遊んだのか。
 国つ神のドン,オオクニヌシは,どうなったのか。一緒に浮かれていたのか。

 学者さんは,ここで,古代における歌舞音曲の意義を,いかにも文学部的に解説する(その素晴らしさは,西郷信綱・古事記注釈・第3巻・筑摩書房,246頁を,ぜひ読んでもらいたい。その美しい感性には,誰しも脱帽するはずである)が,そんな問題ではないはずだ。

 ここにはもはや,1つの世界としての神話を語ろうという意思はなく,物語として再編成された神話の残骸,なれの果てが,無惨な姿をさらけ出している。

 文学部的感性でとらえているようじゃ,駄目なのである。

 文学部の大先生に従って,「記紀神話は政治的神話」と言うならば,法学部的観点から,その論理構造その他を分析しなければならない。
 でないと,「政治」に太刀打ちできませんよ。

 少なくとも,「政治的神話」にころっと騙されて,古代における歌舞音曲を語っているようじゃ,どうしようもない。


「くせ者古事記」のくせのある編纂目的

 こんなことは,古事記のありとあらゆるところにある。私は,この論文で,嫌というほど論証した。

 語っていて,うんざりするくらいだった。

 このずっこけぶり(神話伝承をそのまま語ろうとする意思の放棄)からすれば,古事記には,過去の世界に対する回想など,どこにもない。

 むしろ,新しい目的にしたがった,新しい編纂意思があるのだ。

 もともとあった神話伝承のうち,なぜか,異伝中心につないでつないで,「日神」でも「天照大神」でもない,「天照大御神」と神の世界を語ろうとした,「くせ者古事記」のくせのある編纂目的。

 いったいこれは,何だったのだろうか。


「くせ者古事記」がいついかなる社会に流布していたのか

 こんな「くせ者古事記」が,いったい,いついかなる社会に流布していたのか。

@ 広く社会に流布していた → 「くせ者古事記」に,そんな普遍性はない。

A ある小社会に流布していた → ありえないではない。

B 個人が秘蔵していた → 偽書であることを認めるようなものである。

C 個人の頭の中に流布していた → 「脳内流布」。古事記は偽書である。

 上記Bについては,ひとこと言いたい。個人が秘蔵していた文書など,現代でも,なかなか認めてもらえない。それが現実だ。
 「武功夜話」も,偽書だと言われている。

 個人が秘蔵していたが,平安時代初期に世に出したから即OK,とはならないだろう。


対象としている世界が狭い古事記

 古事記を検討すると,「書紀のような国家の正史」とは異なり,予想される読者が,かなり狭いことがわかる。

 しかも,なぜこれだけ片寄っているのか,首をかしげるほど特殊である。

@ 異伝をつないだ「叙述と文言」。

A 異伝ではなさそうなところ,日本書紀が取り上げていないところは,じつは,オオクニヌシの試練物語などの,たんなる童話的世界。

B 古来の神話伝承を知っていることが,当然の前提という書き振り。

C 伝承をリファインし,総合化した叙述。

D そして,歌物語としての古事記。

 「天武の個人的な発意ともいえるものにもとづき,一つの世界にたいする回想として作られた」という指摘は,理解できない。

 「くせ者古事記」は,決して,「一つの世界にたいする回想」とは受けとられなかったであろう。

 むしろ,古来の神話伝承を知っている者の,反発を買ったであろう。
 特定の趣味や嗜好,指向,思考を満足させるものであったろう。
 少なくとも,「歌」を理解できる者だけに向けられた書物だったことは疑いない。


神祇官斎部広成は日本神話をどうとらえていたのか

 私は,「日本書紀を読んで古事記神話を笑う」で,日本書紀編纂者は古事記を読んでいないか,あるいは無視していると述べた。

 その日本書紀編纂者は,太政官と神祇官という,律令体制下の大きな「官」の区別からすれば,太政官に属する。その太政官が,古事記を読んでいないか,あるいは無視しているのである。

 では,神祇官はどうか。

 古事記は,太政官側が作成した日本書紀に対抗して,神祇官を中心に作られた書物だという学説もある(三谷栄一説など)。

 ここに,斎部広成が著した,「古語拾遺」という書物がある。

 「古語拾遺」は,「平城天皇の朝儀についての召問に対し,祭祀関係氏族の斎部広成が忌部氏の歴史と職掌から,その変遷の現状を憤懣として捉え,その根源を闡明しその由縁を探索し,それを『古語の遺りたるを拾ふ』と題し,大同2年(807)2月13日に撰上した書である」(岩波文庫・古語拾遺・西宮一民,159頁)。

 神祇を職掌とする氏に属する斎部広成が,古事記成立後100年足らずの807年当時,日本神話をどうとらえていたのか。いかなる神話伝承を身につけていたのか。


斎部広成は日本書紀の神話を身につけていた(古事記神話は無視)

 しかし,斎部広成が身につけていた日本神話は,古事記ではない。日本書紀である。

 「本文の・・・は,ほとんど日本書紀を下敷きとし,まれに養老令の条文を用い,・・・」(岩波文庫・古語拾遺・西宮一民,177頁)。

 「古語拾遺の文章はすべて日本書紀が下敷きであるが,内容的に古事記と等しい場合が例外的にあって,・・・」(岩波文庫・古語拾遺・西宮一民,181頁)。

 例外的な場合も,古事記の引用ではない。
 たんに,内容が古事記と同じというだけであり,古事記の権威である西宮一民氏は,古事記が出典であるとは,決して言わないのである。

 そして,こう結論づけている。

 「以上,素戔鳴尊と天照大神との因果による一連の神話は,根底では神代紀上の流れと共通し,しかも文章までそれの節略的調整によって作文をしていることを見てきたが,忌部氏の家牒的視点では,これらの神話が宮廷祭祀の精神的根源であり,それに基づいて祭祀氏族の現在の職掌があるのだということを主張しようとしているのであり,・・・」(岩波文庫・古語拾遺・西宮一民,181頁)。


太政官も神祇官も古事記を相手にしていない(アマテラス神話は未確立)

 斎部広成は,古事記を読んでいなかったのである。
 だから,古事記は,神祇官が中心となって作られた書物でもないのだ。

 斎部広成は,撰上の807年当時,80歳以上。
 逆算すれば,古事記と日本書紀が成立した後,720年代に生まれて,その時代の文化を吸収した世代だ。

 その,神祇官の長老が,日本書紀を持っていても,古事記は持っていなかったのである。頭の中には,古事記がなかったのである。
 所持する日本書紀に従って,古語拾遺を著したのである。

 ここのところ,専門の学者さんはわかっているのだろうが,それが,古事記や日本神話をめぐる議論の,共通認識になっていない。
 議論するまでもないという意味での,コンセンサスになっていない。

 だから,古事記偽書説をめぐる論争は,いつまでたっても幼い。こんな基本的なことさえ,押さえられていない。
 こんなことも知らずに,古事記を議論している人が,いっぱいいる。

 そして,神祇官の長老の主張によれば,「宮廷祭祀の精神的根源」は日本書紀であり,古事記ではなかった。

 私は,日本書紀の神話はアマテラス神話を確立していないと結論づけたが,アマテラス礼賛の古事記でさえ,この有様である。

 やはり,日本書紀成立の720年の時点で,アマテラス神話は確立されていなかったのだ。アマテラス礼賛の古事記さえ,神祇官に無視されていたのだから。


「ぽっと出」で「異形」の書物「古事記」

 いや,それは,まだとらえ方が甘いのではなかろうか。

 太政官,神祇官の双方に無視されていたのであるから,古事記は,「国家的社会的観点」では,「存在しなかった」と言っていい。
 神話学者は抵抗するであろうが,歴史学者の立場からすれば,そうなるはずだ。

 誰それが読んでいた,こんな一部の社会で読まれていた,という事実が立証されない限り,「古事記は存在しなかった」と言うしかないであろう。

 ある日ある時,「ぽっと出」の古事記。

 それまで,社会に認知されていなかった古事記。

 ところが古事記序文は,712年の時点で,「国家的社会的観点」から,堂々と,その存在を主張している。「削偽定実」などと,日本書紀など押しのけるような,堂々たる主張を展開している。

 この力の込めようは,尋常ではない。

 しかし,律令国家で無視された,「ぽっと出」の出自を知る人間は,首をかしげる。

 そして,なぜか知らないが異伝を偏愛し,なぜか知らないが歌物語に片寄った古事記本文を知っている者にとっては,到底,正統派の神話伝承とは思えないのだ。

 天武天皇との関係を力説し,力を込めたにしては,単なる「歌物語」でしたか。
 力を込めたにしては,単なる「語りの文学」でしたか。

 序文で,「削偽定実」などと,国家社会における正統性を主張したにしては,とっても「趣味的」じゃござんせんか。

 趣味に走った「古事記本文」を書いた古事記ライター。
 そのくせ,「序文」で,天皇との関係や正統性を主張してやまない古事記ライター。

 あんた,いったい何者?

 その古事記が,「天照大御神」礼賛である。

 アマテラス礼賛にどっぷりと浸かってしまった現代人は,一向に疑問を感じない。しかし,一度だけでいい,アマテラス礼賛をはずして古事記の「叙述と文言」を,よく読んでみるがいい。

 古事記は,その序文ともども,中世的な「異形」の書物であり,「くせ者古事記」である。

 これを知ることが,日本神話理解への第一歩である。


古事記の「居場所」はどこにあるのか

 さて,日本書紀が成立した720年当時,太政官である日本書紀編纂者たちは,古事記を無視した。古事記とはまったく異なる日本神話を編纂した。

 そして,それからほぼ90年後の807年,神祇を家職としていた斎部広成は,古事記の「教養」を身につけていなかった。宮廷祭祀は,古事記を無視していた。

 こうなると,古事記の「居場所」はどこにあるのか。

 太政官からも神祇官からも無視されている古事記は,いかなる時代のいかなる人のために編纂された書物なのか。
 古事記の成立基盤は,どこにあるのか。
 単なる一個人の「脳内」だけか。

 自らの成立基盤を語れない古事記は,いったい,いかなる文献なのであろうか。


古事記研究の展望

 これが,今後の課題である。

 古事記偽書説論争は,これを語らなければ話にならない。
 種々の文献を操作しているだけでは,今ひとつ腑に落ちない。だから,論争は永遠に続くであろう。

 私は,最後に残るのは,アマテラスを,「日神」でも「天照大神」でもなく,「天照大御神」と主張する精神と,歌物語精神であると考えている。

 これをどう考えるか。
 神話とは違う,大学で教えられている「歴史学」の中で,どう位置づけるか。

 いずれにせよ,古い神話伝承を,そのまま伝えようとした書物ではない。
 リライトされた文献である。

 


トップページ( まえがき)

第1 私の立場と問題意識

第2 問題提起

第3 方法論の問題

第4 世界観と世界の生成

第5 神は死なない(神というもののあり方)

第6 原初神と生成神の誕生

第7 日本書紀における原初神と生成神の誕生

第8 修理固成の命令

第9 言葉に対して無神経な古事記(本当に古い文献か)

第10 古事記は伊勢神宮成立後の文献

第10の2 応神記の気比の大神について

第11 国生み叙述の根本的問題

第12 日本神話の読み方を考える(第1子は生み損ないか)

第13 生まれてきた国々を分析する

第14 国生みのあとの神生み

第15 火の神カグツチ「殺し」

第16 黄泉国巡り

第17 コトドワタシと黄泉国再説

第18 禊ぎによる神生みの問題点

第19 日本神話の故郷を探る

第20 大道芸人の紙芝居としての古事記

第21 アマテラスら3神の生成

第22 分治の命令

第23 日本神話の体系的理解(日本書紀を中心に)

第24 日本神話の構造と形成過程

第25 生まれたのは日の神であってアマテラスではない

第26 日の神の接ぎ木構造

第27 最高神?アマテラスの伝承が変容する

第28 泣くスサノヲとイザナキの肩書き

第29 日本神話学の見通しと方法論

第30 日本神話のコスモロジー

第31 誓約による神々の生成(日本書紀)

第32 誓約による神々の生成(古事記)

第33 天の岩屋戸神話と出雲神話が挿入された理由

第34 日本神話のバックグラウンド・縄文から弥生への物語
(日本書紀第5段第11の一書を中心に)


第35 海洋神アマテラスと産霊の神タカミムスヒ
(日本書紀を中心に)


第36 支配命令神は誰なのか(ねじれた接ぎ木構造)

第37 アマテラスとタカミムスヒの極めて危うい関係

第38 五穀と養蚕の文化に対する反逆とオオゲツヒメ

第39 スサノヲの乱暴

第40 「祭る神が祭られる神になった」という幻想

第41 天の石屋戸と祝詞

第42 スサノヲの追放とその論理(日本書紀を中心に)

第43 アマテラス神話は確立していない(日本書紀を中心に)

第44 出雲のスサノヲ

第45 異伝に残された縄文の神スサノヲ(日本書紀を中心に)

第46 スサノヲにおける縄文と弥生の交錯(大年神の系譜)

第47 別の顔をもつスサノヲ(日本書紀を中心に)

第48 オオクニヌシの試練物語のへんてこりん

第49 オオクニヌシの王朝物語

第50 日本書紀第8段第6の一書の構成意図と古事記の悪意

第51 スクナヒコナと神功皇后と応神天皇と朝鮮

第52 偉大なるオオナムチ神話(大八洲国を支配したオオナムチ)

第53 三輪山のオオナムチ(日本書紀第8段第6の一書から)

第54 古事記はどうなっているか

第55 偉大なるオオクニヌシ(オオナムチ)の正体(問題提起)

第56 偉大なるオオクニヌシの正体(崇神天皇5年以降)

第57 崇神天皇5年以降を読み解く

第58 国譲りという名の侵略を考える前提問題

第59 「皇祖」「皇孫」を奪い取る「皇祖神」タカミムスヒ
(国譲りという名の侵略の命令者)


第60 皇祖神タカミムスヒの根拠
(国譲りという名の侵略の命令者)


第61 古事記における命令神
(国譲りという名の侵略の命令者)


第62 第9段第1の一書という異伝中の異伝と古事記

第63 武神の派遣と失敗と「高木神」

第64 タケミカヅチの派遣(タケミカヅチはカグツチの子)

第65 フツヌシとタケミカヅチの異同

第66 コトシロヌシは託宣の神ではないしタケミナカタは漫画

第67 「オオクニヌシの国譲り」の叙述がない

第68 天孫降臨の叙述の構造

第69 サルタヒコの登場

第70 古事記独特の三種の神宝

第71 天孫はどこに降臨したのか

第72 「国まぎ」を切り捨てた古事記のへんてこりん
(天孫降臨のその他の問題点)


第73 国譲り伝承と天孫降臨伝承との間にある断層

第74 じつは侘しい天孫降臨と田舎の土豪神武天皇

第75 天孫土着の物語

第76 火明命とニギハヤヒ(第9段の異伝を検討する)

第77 日向神話の体系的理解

第78 騎馬民族はやって来たか

第79 三種の宝物再論

第80 日本神話の大きな構成(三輪山のオオナムチとの出会い)

第81 海幸彦・山幸彦の物語を検討する

第82 「居場所」のない古事記

第83 本居宣長について

第84 日本神話を論ずる際のルール

第85 神々の黄昏

あとがき

著作権の問題など

付録・初版の「結論とあとがき」


新論文
神功紀を読み解く
神功皇后のごり押しクーデター

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