日本書紀を読んで古事記神話を笑う

日本書紀を読んで古事記神話を笑う 改訂新版

2009年10月5日up
(物語読者として日本神話を解明する)


第34 日本神話のバックグラウンド・縄文から弥生への物語
(日本書紀第5段第11の一書を中心に)


日本書紀第5段の一書を読む意味

 さて,日本書紀第5段の一書は膨大だが,特に第11の一書を中心に,日本神話のバックグラウンドとでもいうべき,貴重な「神話的事実」が残されている。

 これはこれで,日本神話解釈の背景として重要である。

 特に,スサノヲが祓われる理由,五穀と養蚕の創始者としてのアマテラスと,それを理解しない縄文神スサノヲとの対立を理解するためには,必須である。

 以下,日本書紀第5段の一書を概観してみよう。

 第5段の一書のうち,第1から第5までは,本文の補足だ。

 この中には,カグツチにイザナミが焼かれる異伝もある。しかしこれらは,黄泉国巡りや禊ぎによる神生みを採用しなかった,第5段本文に関する異伝である。


重要な異伝の1つ第5段第6の一書

 その次に,第5段第6の一書が,突如,神話の内容を一変して登場する。そして,以後の第5段の一書を支配することになる。

 この一書は,すでに検討したとおり,国生みに続く神生みを語る過程でカグツチ「殺し」を語り,それだけでは足りず,殺したときに滴った血からも神が生まれたという,第5段の一書の中で,突出して血なまぐさい伝承だ。

 その後の第5段第7の一書以下の異伝は,すべて,この第5段第6の一書を基本とした異伝である。

 第5段第7から第10の一書は,第5段第6の一書を考え直す材料を与えてくれる。


重要な異伝の1つ第5段第11の一書

 そして,最後に置かれるのが,前述した第5段第11の一書だ。
 これをどう理解するかが,キーポイントだ。

 これは,一見特異な異伝だが,日本書紀の神話の根幹を提示する,重要な異伝である。

 これは,血なまぐさい第5段第6の一書の系譜に属する異伝である。
 しかも,権威的,権力的,支配的だ。

 しかし,死んだウケモチノカミから「五穀と養蚕」が生ずるという,弥生文化を象徴する異伝となっている。

 弥生文化は,剣を奉ずる,権威的,権力的,支配的文化であったらしいのだ。


第5段第11の一書は新しい伝承だ

 この異伝は,イザナキが禊ぎによって3神を生んだ後,続けて「三の子に勅任して曰はく(ことよさしてのたまわく)」,として始まる。

 「勅任」という,天皇の命令かのような「文言」が使われている。

 イザナキは,「天照大神は高天之原を御(しら)すべし。月夜見尊は,日に配(なら)べて天の事を知(しら)すべし。素戔鳴尊は,滄海之原(あおうなはら)を御すべし」と命令する。

@ 「日神」ではなく,「天照大神」に変換が終わっている。

A だからと言うべきか,そしてと言うべきか,「天」でも「天原」でもなく,「高天之原」である。

B そして後述するとおり,この伝承は,権威的,権力的,支配的な伝承であり,

C 論理破綻を恥じない,出来の悪い伝承である。

 しばしば述べてきたとおり,ヤマトにおける「日本神話の再構成」の中でも,後期の伝承であろう。

 第5段本文では,アマテラスら3神が生まれたが,天の下を支配する者は決まらなかった。
 日の神と月の神(第5段本文の表記)は天上に送られ,スサノヲは根国に追放されたから,結局,天の下を支配する者は決まらなかったのだ。

 そして,その「天の下の支配者不在の時代の物語」が,第6段から第8段までの物語なのだった。

 第6段で天の下支配の正当性の契機が語られ,第7段で天の下支配の理由が語られ,第8段で支配される天の下の現実社会が用意され,そして第9段で,いよいよ天の下侵略が始まるのだった。


やはり天の下の支配者は決まっていない

 この第11の一書によれば,アマテラスとツクヨミは,並列して高天原を支配する。
 スサノヲだけが「滄海之原」という天の下を支配するようだが,これは,第5段第6の一書でツクヨミが支配することになった「滄海原の潮の八百重」と同一の意味だろう。

 すなわち,古代人が容易に行き来できる沿海ではなく,遠洋だから,やはり異界だ。常世国がある異界だ。

 スサノヲは,天の下のうちの海を託されたのではなく,異界を託されたにすぎない。

 すなわち,ここでもやはり,天の下の支配者は決まっていない。


スサノヲの追放がない

 この第5段第11の一書では,スサノヲは初めから異界を支配するものとされているから,スサノヲの追放という問題が出てこない。

 すなわち,スサノヲが暴虐無道であったとか,泣いてばかりいて母のいる国へ行きたいと望んだとかいうエピソードに,つながらないのだ。

 もちろん,根国追放というお話も出てこない。

 とにかく,第11の一書では,支配者として失格との烙印を押されたという話がまったく出てこないし,それでいいのだ。筋は通っている。

 スサノヲは,素直に「滄海之原」を支配したようだ。

 根国追放というお話(第5段のモチーフ)がない。天上界に上ってアマテラスと誓約(うけい)をするというお話(第6段のモチーフ,正当性の契機)もなかったのだろう。

 その後天石窟の騒動を起こし(第7段のモチーフ,天の下侵略の理由),さらに出雲に降るという話(第8段のモチーフ,侵略される天の下の準備)もなかったのだろう。

 この異伝だけを読めば,そう考えるしかない。


第5段第11の一書の特異な内容

 さて,第5段第11の一書の問題点は,ここからだ。

 「高天之原」に納まったアマテラスは,ツクヨミに,「葦原中国に保食神(うけもちのかみ)有りと聞く。爾(いまし),月夜見尊,就きて候よ(ゆきてみよ)」と命令する。

 ツクヨミは,「勅(みことのり)を受けて」,葦原中国に降る。

 ウケモチノカミは,ツクヨミをもてなそうとして,ごちそうを「饗(みあえ)たてまつる」。
 その出し方が変わっていて,すべて口から出すのだ。

 首を巡らして国に向かうと飯,
 海に向かうと魚,
 山に向かうと獣肉等を,口から出す。それを机の上に並べる。

 ツクヨミは,それらがすべてウケモチノカミの口から出てきたので,汚らわしいと言って,「剣を抜きて撃ち殺し」てしまう。

 そして,アマテラスに「復命」して,事情をつぶさに報告する。

 アマテラスはこれを聞いて怒る。
 「汝(いまし)は是悪しき神なり。相(あい)見じ」と述べたので,太陽と月が一緒に出ることがなくなった。


権威的・権力的・支配的でありアマテラスは独裁者である

 アマテラスは,「日に配べて天の事を知す」はずのツクヨミに対して,「爾,ツクヨミ,就きて候よ」と,あたかも斥候を派遣するかのように命令している。

 対等な立場であるはずのツクヨミも,「爾(いまし)」,すなわち「おまえ」呼ばわりだ。「叙述」自体が矛盾している。

 そのアマテラスの言葉は,すでに「勅(みことのり)」だ。
 天皇扱いだ。

 ウケモチノカミを殺してきたツクヨミは,アマテラスに「復命」する。

 「復命」とは,軍隊でいえば軍務遂行の報告のようなものだ。これを怠ると軍法会議ものなのだろう。
 「復命」したかしないかは,第9段の国譲りという名の侵略の場面でも問題となる。

 とにかく,この異伝におけるアマテラスは,堂々たる独裁者である。
 第7段の天の石屋隠れの,なよなよした,女っぽいアマテラスではない。


イザナキさえも独裁者である

 そもそも,3神を生んだイザナキ自身が,「三の子に勅任して曰はく」だった。「勅任」なんて,律令用語ではなかろうか。

 イザナキも偉くなったものだ。

 もはや,国中の柱をイザナミと回ったり(第4段本文),火の神カグツチにより死んだイザナミを嘆いて,一人の子供と引換えに愛する妻を失ったと嘆いたり(第6の一書),黄泉国で会ったイザナミに「汝(いまし)を悲しとおもふが故に来つ」(第10の一書)というイザナキではない。

 おおらかで人間的なイザナキではない。
 原始の性格を,完全に失っている。


ドライで酷薄な政治的思想は新しい伝承だ

 ここには,極めてドライで酷薄な,政治的思想がある。

 神は死なないはずだった。しかし,権力と「剣」の前では,やすやすと死んでしまう。「人間と同様に」,撃ち殺される。

 こうした伝承を伝えた人々は,すでに,神を神とも思っていなかったのではないだろうか。

 しかも,「勅任」だなんて,律令用語顔負けの文言を使う伝承だ。
 しかも「復命」。

 かなり新しいといわなければならない。

 要するに,この異伝には,絶対的権力を握った天皇の存在をにおわせるような,支配命令の体系で貫かれているのだ。古事記に似てはいるが,それよりも迫力がある。

 決して,素朴な神話伝承ではない。
 そしてそれが,古事記の叙述につながっている。

 日本書紀本文は,これを採用しなかった。


権威的・権力的・支配的な異伝の系譜は高天原と葦原中国を語る(第1段第4の一書のさらなる異伝と第4段第1の一書と第5段第6の一書と第5段第11の一書)

 こうした,新しい伝承としてのドライで酷薄な政治的思想は,1つの系譜を作っている。

 第1段第4の一書のさらなる異伝,第4段第1の一書,第5段第6の一書,第5段第11の一書。

 こうした異伝においてこそ,何の前提も脈絡もなく,「高天之原」と「葦原中国」が登場してくる。こうした異伝において,こうした文言が使われる。

 まず私は,国生みに関する,第4段第1の一書を思い出す。

 その異伝では,国生みがまだ行われてもいないのに,「天神」がイザナキとイザナミに対して,「豊葦原の千五百秋の瑞穂の地有り。汝(いまし)往きて脩すべし(しらすべし)」と命令したのであった。

 国生みがこれから行われるのに,「豊葦原の千五百秋の瑞穂の地有り」とは何事だ。

 国生みさえまだなされていないのに,いったい何なんじゃあ,という異伝だった。あきれかえる異伝だった。いきなりここで,国譲りという名の侵略かよ,という異伝だった。

 これが古事記の手本となり,「修理固成の命令」に変換されたのであった。


権威的権力的支配的な伝承群

 これは,第11の一書の「爾(いまし),ツクヨミ,就きて候よ(ゆきてみよ)」と,まったく同じ感覚だ。

 命令される者は,イザナキであろうとイザナミであろうとツクヨミであろうと,すべて「汝」ないし「爾」だ。お前呼ばわりだ。

 しかも,「葦原中国」が,何の脈絡もなく登場する。
 これも共通している。

 こうした権威的・権力的・支配的で,「葦原中国」に結びついていて,しかも論理脈絡一切なしで,出来の悪い異伝は,その対立概念としての「高天原」にも結びついているのだ。

 「高天原」が何の前提もなく登場するのが第5段第6の一書だった。

 第5段までの日本書紀本文は,高天原など,まったく無視している。ところが「高天原」は,第6の一書で,「天照大神は,以て高天原を治すべし」として登場する。

 もっとさかのぼれば,第1段第4の一書のさらなる異伝の,「高天原に所生(あ)れます神の名を,天御中主尊と白す。次にタカミムスヒ。次に神皇産霊尊」に行き着くのだ。

 それは,無前提に支配者がいる世界だった。


古事記は日本書紀が残した異伝の系譜に属する

 そして古事記は,これらの,第1段第4の一書のさらなる異伝,第4段第1の一書,第5段第6の一書,第5段第11の一書の系譜に連なる書物なのである。

 権威的,権力的,支配的であり,しかも無前提にものごとを押しつけてはばからない思想。

 それだけでなく,第5段第11の一書を除いて,内容が同じ。

 そしてたとえば,古事記は,その冒頭で,何の説明もなく,「高天原」とタカミムスヒら3神の世界観を押しつけようとする。

 そして「葦原中国」は,「高天原」に支配される対象になっている。


日本書紀における「高天原」

 「高天原」,「葦原中国」という文言が,日本神話において,どのように使われているのか。注意して見ていかねばならない。

 日本書紀では,この支配者の思想のうち「高天原」は,第6段本文でいきなり本文に採用され,「高皇産霊尊」は,第9段本文でいきなり大手を振って登場する。
 その,日本書紀本文への登場の仕方は,唐突という言葉以外に表現のしようがない。

 日本書紀編纂者は,日本神話の中に,きちんと位置づけていないのだ。

 日本書紀本文は,「高天原」という用語を使っていないという学者さんがいる。本文では「天」ないし「天上」となっている。第6段本文で「高天原」が出てくるが,これすらも,テキスト自体に問題があり,本来は「高天」だったのではないかと言う(神野志隆光・古事記・174頁・日本放送出版協会)。

 そのとおりだと思う。

 そして,第6段本文以降に「高天原」が出現するのは,前述した,日本神話の形成過程にその原因がある。


ウケモチノカミは再生のために死ぬ

 さて,ツクヨミは「剣を抜きて」ウケモチノカミを「撃ち殺し」てしまう。第5段第11の一書は,「実に(まことに)已に死れり(すでにまかれり)」と述べ,ウケモチノカミの死を叙述する。

 先に私は,神は死なないと言った。

 しかし,冬になれば草木は枯れる。春になれば,いったん死んだ草木は芽を出して再生する。

 死は再生の必要条件だ。

 だから,死は終末ではない。死は,再びよみがえるためのワンステップにすぎない。
 世界中の古代人は,毎年繰り返される死と再生に驚嘆し,ある人は詩を読み,ある人は哲学を作りだし,ある人はそれを科学という理屈で答えようとした。

 ウケモチノカミが死ななければならないのは,死と再生がここで語られるからだ。

 その限りで,神の死が語られるのだ。

 ただ,こうした伝承がかなり新しい伝承であり,私が言うヤマトにおける「日本神話の再構成」の中でも,新しい伝承であることに注意する必要がある。


縄文から弥生へ・五穀と養蚕の起源を述べている重要な異伝

 さて,第5段第11の一書の内容に戻ろう。

 死んだウケモチノカミの身体の各部から,新たな食物などが生ずる。

 頭からは牛馬,
 額からは粟,
 眉からは蚕,
 目からは稗,
 腹からは稲,
 女陰(ウケモチノカミは女なのだろう)からは麦と小豆。

 整理すると,粟,稗,麦,小豆,稲の五穀と,それを耕す牛馬と,蚕だ。
 要するに,「五穀と養蚕」だ。


縄文から弥生へ・アマテラスは五穀と養蚕を手に入れて喜ぶ

 アマテラスはこれを手に入れて喜び,以下のようにのたまう。

 これは「顕見しき蒼生(うつしきあおひとくさ)の,食ひて(くらいて)活く(いく)べきものなり」。
 すなわち,これこそ人民(ひとくさ)が食べて生きていくものだと言って,種を播いた。
 こうして,粟,稗,麦,豆は畑の作物となり,稲は水田の作物となった。

 さらに高天原の農民の長である「天邑君(あまのむらきみ)」を定め,稲については「天狭田(あまのさなだ)」「長田(ながた)」を作った。

 こうして稲は,頭がたれるほどよく実った。
 また,「此より始めて養蚕の道有り」。すなわち,養蚕の風習もできたのだ。

 ここには,畑作と稲作と養蚕の起源が,きちんと整理されている。飯,魚,獣肉を口から出してご馳走にしたウケモチノカミは死に,田畑を耕してつくる五穀と養蚕が生まれたのだ。

 なお,人民を,「顕見しき蒼生(うつしきあおひとくさ)」という感性も見逃してはならない。

 古事記は,人民を,「青人草」と呼んでいた。人間など,そこらへんに生えている雑草,ぺんぺん草みたいなものだという発想であった(「黄泉国巡り」参照)。

 こうした感性も,権威的,権力的,支配的な伝承の本質であり,新しいのであり,古事記という伝承群に近いのである。


縄文から弥生へ・狩猟採集社会から農耕社会への変化

 ウケモチノカミは,陸の飯,海の魚,山の獣肉を食料としていた。

 これは,縄文時代晩期の文化を象徴しているのではないだろうか。

 それは,基本的には狩猟採集社会だった。現在の考古学は,縄文時代晩期には,すでに稲作があったとしている。だから,魚と獣肉だけでなく,飯も出てくるのは問題ではない。

 日本書紀第5段第11の一書の叙述によれば,その時代の食物を司った神が死んで,「五穀と養蚕」が始まるのだ。

 その創始者,主宰者は,アマテラスその人だ。

 これは,縄文晩期の人々がいつき祭っていた神が死んで,弥生の人々がいつき祭る神に交代したことを示している。

 アマテラスは,五穀と養蚕の創始者であり,農耕社会を象徴する弥生の神なのだ。


縄文から弥生へ・変化は武力により行われた

 そうした変化が,「剣を抜きて撃ち殺」すことにより行われたと叙述されている点も,重要だ。

 イザナキによって「高天原」の支配者となったアマテラスは,ツクヨミに対して,葦原中国にいるウケモチノカミとやらを偵察してこいと命令する。

 ウケモチノカミは,「葦原中国」,すなわち縄文晩期の時代の,食物の神なのだ。その神が,国(すなわち陸地)に向かう飯,海に向かう魚,山に向かう獣肉,すなわち,ありとあらゆる山海のご馳走を差し出して,「饗(みあえ)たてまつ」った。

 神武紀以降を読むとよくわかるように,天皇が地方を巡幸すると,土地の首長が,やはり「饗(みあえ)たてまつ」った。
 ご馳走を出してもてなすのだ。

 縄文晩期の神,ウケモチノカミは,ツクヨミを最大限歓待したのだろう。ところがそれを撃ち殺して,五穀と養蚕に変えてしまう。

 ここに,血なまぐさい歴史を感じ取らなければならない。権威的・権力的・支配的な第5段第11の一書の,異常とも思える雰囲気と共に,殺戮を把握しなければならない。


縄文から弥生へ・文化の対立

 ツクヨミは,口から食物を出したウケモチノカミを,「穢(けがらわ)しきかな,鄙(いや)しきかな」と言って,撃ち殺してしまう。

 ここに,相互理解不能な,文化の溝があったに違いない。ウケモチノカミは,金属器である剣を,知らなかったかもしれない。

 この報告を受けたアマテラスは,ツクヨミの暴虐をよく思わず,怒った。しかし,結局,このウケモチノカミ殺しによって,アマテラスは五穀と養蚕を手に入れ,その創始者,主宰者となるのだ。

 文化ないし文明が極端に違うと,往々にして,こうしたことが起こる。征服される人々は,征服に来た人々を歓待してしまうのだ。中米原住民とスペイン人とがそうだった。

 縄文から弥生への変化も,縄文人の歓待にもかかわらず,剣による殺戮により行われたのだろう。

 神の死と,神の交代は,現実に生きている人々の交代を意味する。
 それが,「剣」によりなされた。この第5段第11の一書には,そうした事情が,はっきりと叙述されている。


縄文から弥生へ・第5段第11の一書が第7段本文につながっていく

 この,五穀と養蚕の主題は,第7段本文につながっていく。

 第5段第11の一書は,五穀の起源を述べ,縄文時代の狩猟採集経済から,弥生時代の農耕経済への転換を叙述していた。

 そこでのアマテラスは,五穀と養蚕の創始者であり,農耕社会を象徴する弥生の神だった。

 これこそまさしく,第7段本文の大前提なのだ。

 確かに第7段本文は,第5段第11の一書とは異なり,権威的,権力的,支配的ではない。しかし,ここでもアマテラスは,五穀と養蚕を営んでいる。だから,第5段第11の一書に続けて第7段本文を読むと,その叙述の流れがよくわかるのだ。

 たとえば,第5段第11の一書,第7段第3の一書,第8段第4及び第5の一書とつなげて読んだ方が,一貫する。その面白さは,後に述べる。


縄文から弥生へ・スサノヲの暴虐は弥生文化すなわち五穀と養蚕に対する文化的反逆だ

 延々と,縄文から弥生へというテーマを述べてきた。

 その理由は,アマテラスを「五穀と養蚕」の神,すなわち弥生の神として確定することにより,スサノヲを論じたかったからだ。

 くどいようだが,第5段第11の一書で,五穀と養蚕が生ずる。アマテラスはこれを「喜びて」,人民(ひとくさ)が食べるものであると命令して,粟,稗,麦,豆を畑作物とし,稲を水田の作物とする。

 そしてこれらを作る責任者として,「天邑君(あめのむらのきみ)」すなわち天上界における村の長を定め,自ら初めて稲を植えて,「天狭田(あまのさなだ)及び長田(ながた)」を作った。

 これはよく実って稲穂が垂れ,たいへん気持ちがよかった。また,蚕も飼い始めて,養蚕が開始された。

 だからこそ,農耕や養蚕に対する破壊行為は,天津罪(あまつつみ)になるのだ。それは,弥生文化に対する反逆なのだ。


縄文から弥生へ・スサノヲの暴虐行為の内容を分析する

 第7段本文は,誓約に勝ったスサノヲの,暴虐無道の行為を叙述している

 誓約に勝ったスサノヲは,調子に乗って,
 アマテラスが大切にしていた「天狭田(あまのさなだ)・長田(ながた)」に重播種子(しきまき)し(播いた種の上からさらに種をまいて栽培を妨害すること),
 畦を壊し,
 天斑駒(あめのぶちこま)を放って田をめちゃくちゃにし,
 新嘗(にいなめ)のための神聖な場所である新宮に糞をする。

 こうして稲の栽培を妨害し,その神聖を冒涜した。

 それだけでなく,アマテラスが神衣(かんみそ)を織っているところ(養蚕の成果の場面だ)へ,皮をはいだ天斑駒を放り投げ,機織りを妨害した。

 ここには,稲があり,田があり,馬があり,蚕がある。まさに,第5段第11の一書が述べた,五穀と牛馬と養蚕がある。

 スサノヲの行為は,アマテラスが創始し,大切にしていた,稲と蚕に対する妨害ないし冒涜行為だったのだ。

 スサノヲは,弥生文化を理解しない,異質の文化に属する神だ。それは,縄文文化しかない。

 現に,後に検討するように,大八洲国に木の種をまいた,縄文の神だったのだ。


縄文から弥生へ・弥生文化を理解できないと一方的に思われた者たち

 日本列島には,古来から縄文人が先住民として生活していた。そして,縄文文化が花開いていた。

 それは,決して木の実を拾い,獲物を捕るだけの,かつかつの生活ではなかった。
 青森の三内丸山遺跡を想起するまでもなく,大木を利用し,場合によっては樹木を栽培して食料を蓄え,集住していた。交易も盛んだった。魚もたくさん捕っていた。

 しかしこのような人々は,五穀と養蚕をもつ弥生人の侵入により,混血しながらも追いやられていった。そして,征伐の対象になったのだ。

 それが,東国の毛人であり,東北の蝦夷だ。

 現在の群馬,栃木地方を指す両毛地方の語源は,毛の国にある。これは東国の大豪族であったらしく,武蔵国造が跡目争いしたとき,一方は大和朝廷を頼り,一方は毛の国を頼ったほどだ。それくらい勢力が強かったのだ。その毛の国が上毛野国(かみつけのくに)と下毛野国(しもつけのくに)となり,上野国,下野国となった。

 アイヌは,最後まで弥生の血と混血しなかったと言われている。北海道に追いやられて,結果として縄文の血を守ったという,学者さんの見解がある。

 縄文人は,今の日本人の骨格を作っている。

 日本人は,誰でも皆,縄文の血と弥生の血の混血なのだ。だから,蝦夷を蔑む者は,日本人の骨格を蔑む者である。東北を蔑む者は,日本古来の文化を理解しない,およそ文化とは無縁の人間と言わねばならない。


縄文から弥生へ・蝦夷の生活と扱われ方(景行天皇27年2月)

 縄文人は,どのような仕打ちを受けたのだろうか。

 まず,景行天皇27年2月を見ると,征伐の対象になっている。

 有名な武内宿禰(たけしうちのすくね)は,北陸や東国を巡察して報告する。東国の田舎に,「日高見国(ひたかみのくに)」がある。その男女は髪を結い,入れ墨をして,勇猛果敢である。これらを「蝦夷」という。土地は肥えて広い。

 「撃ちて取りつべし」。

 当然,剣で討ち取るのだろう。そしてそこに,五穀と養蚕を広めるのだろう。

 怖い人たちがいたもんだ。


縄文から弥生へ・蝦夷の生活と扱われ方(景行天皇40年7月)

 景行天皇40年7月も面白い。有名な日本武尊が,景行天皇の要請に応じて蝦夷征伐を決意する場面だ。

 景行天皇は,東国が動乱しており,「暴(あら)ぶる神多(さわ)に起る」と述べる。
 この「暴ぶる神多に起る」という表現は,葦原中国に「道速振る(ちはやぶる)荒振る国つ神等の多なり」(古事記,国譲りという名の侵略の場面)とよく似た表現だ。
 日本書紀にも,葦原中国を描写する際によく出てくる。

 葦原中国は,縄文文化の世界だというとらえ方だ。

 さらに景行天皇は,蝦夷征伐を決意した日本武尊に,斧とまさかりを授けて言う。
 東国の田舎に蝦夷がいる。
 これは非常に手強い敵だ。
 男女混じって生活しているから,父子関係を定めがたい。
 冬は穴に寝て,夏は巣に住む。
 毛皮を着て獣の血を飲む。
 山には飛ぶ鳥のように登り,草原は獣のように走る。
 「党類(ともがら)を聚(あつ)めて,辺堺(ほとり)を犯す」。
 あるいは,「農桑(なりわいのとき)を伺ひて人民を略む(かすむ)」。
 撃とうとすると草に隠れるし,追うと山に逃げる。
 昔から今に至るまで,天皇のもとに帰順してこない。


縄文から弥生へ・活写された縄文人(景行天皇40年7月)

 ここには,定住することなく,大自然を縦横無尽に駆け回っていた縄文人が活写されている。

 さらにここが大切なのだが,蝦夷は,土地の境界など考えていない。

 スサノヲが,土地の境界をわからなくして祓われる神になったことを思い出してほしい。

 土地はむしろ,略奪の対象だ。

 農民にとっては,土地の境界は大切だ。しかし,狩猟採集民である縄文人には,そんなことはわからない。農耕の成果はよくわかるので,収穫の時を狙って取りに来ただけだ。

 縄文人と弥生人との間の,深くて暗い溝を考えるべきだ。


縄文から弥生へ・弥生と縄文の併存

 ちょっと待ってくれ。日本神話に縄文時代が登場するなんて,時代設定が合わないんじゃないの,と言う人がいるかもしれない。

 そんなことはない。

 日本列島全体が,一気に弥生文化に変貌したのではない。蝦夷征伐は,たしか,平安時代になってもやっていた。蝦夷が縄文そのものとは言わないが,縄文的世界は,まだまだしっかりと,日本列島に残っていた。

 理屈を言えば,日本書紀や古事記の編纂当時,面積だけでいえば,現在の日本という国の主流が本当に弥生だったのか。

 むしろ,まだまだ縄文世界だったのではないかと思う。

 蝦夷は,弥生の時代に生きた縄文人だった。

 一般には,紀元前5〜4世紀頃から紀元後3世紀頃までを弥生時代という。その後を古墳時代という。
 しかし,現代の日本列島全体が,突如,弥生文化の波に洗われたのではない。古墳時代になっても,縄文世界に生きている人々は,たくさんいた。古墳時代をすぎても,たくさんいた。

 その後彼らは帰順し,混血していくが,一部は山人になってアウトローとして生き残り,一部は北海道に追いつめられて,アイヌとなったのだろう。

 山人となった者たちは,中世まで生き残る。


縄文から弥生へ・弥生文化を東国に及ぼしたのが神武天皇以降の系譜である

 このように,平気で神を殺し,権威的,権力的,支配的な思想をもった人々こそが,五穀と養蚕をもたらして,農耕社会を作った。

 しかもその人々の伝承には,無前提に,「高天原」と「葦原中国」が登場するのだ。

 話は跳ぶが,日本書紀第11段本文には,神武天皇,すなわち神日本磐余彦尊(かんやまといわれひこのみこと)ら4人の兄弟の名前が列挙されている。

 通説によれば,これらすべては,稲に関する名を負っているばかりか,アマテラスから生まれたアメノオシホミミ以下の皇統を受ける者は,皆,稲に関する名をもっている。

 五穀と養蚕をもたらして農耕社会を作った者たち。弥生時代をもたらした者たちは,神武天皇につながる人々だったのだ。
 日本書紀仁賢天皇8年には,「五穀」が豊かに実り,「蚕」と「麦」がよく収穫できたので,天下太平だったとの叙述がある。


縄文から弥生へ・弥生と縄文の混交が日本書紀第10段の日向神話

 この点は,日本書紀第10段以降に登場する,海幸彦・山幸彦の物語にもかかわってくる。

 海幸彦,すなわち吾田土着の海人,すなわち縄文以来の日本の海人,海神の伝承をもった人々は,山幸彦,すなわち矢,すなわち天羽羽矢(あめのははや)を持つ人々に征服され,混交していく。

 それは,五穀と養蚕と矢を持つ人々だったのだろう。

 天降った天孫は,地元の海洋系の人々と交わりつつ,支配を確立する。その血の系譜が,日本書紀に書かれている。

 詳細は,後述する。


縄文から弥生へ・朝鮮との関係に関する学者さんの変な学説

 さて,五穀と養蚕をもたらした者たちは,どこから来たのか。

 それは朝鮮である。

 朝鮮から天孫がやってきたことは,第6段第1の一書,第3の一書を論ずる際に述べた(誓約による神々の生成(日本書紀))。

 前述したとおり,死んだウケモチノカミの,頭からは牛馬,額からは粟,眉からは蚕,目からは稗,腹からは稲,女陰からは麦と小豆が生じた。

 学者さんは,以下のように言う。

@ ウケモチノカミの身体の各部と,そこから生じた五穀との間には,朝鮮語で初めて解ける音韻対応がある。それぞれの朝鮮語の発音が似ている。

A そしてその理由として,日本書紀編纂者に,朝鮮語がわかる人がいて,人体の各部分と,そこから成った作物とを整理して結びつけたのだ。


縄文から弥生へ・学者さんの変な学説を批判する(その1)

 この学者さんは,日本書紀第5段第11の一書と朝鮮とを結びつけたくないようだ。

 だからこそ,朝鮮語がわかる日本人,日本書紀編纂者が,あえてこうした編纂をしたと言いたいのだ。

 私は朝鮮語がわからない。わかる人は確認してみてほしい。
 しかし,Aの後半部分。これはおかしい。

 そもそも,朝鮮語との関係は,第5段第11の一書という異伝に書かれている。日本書紀本文ではない。
 日本書紀編纂者が叙述したのは,もっぱら本文だ。一書は,その参考資料として並べただけだ。

 整理して作為を加えるのは本文だ。本文を叙述する基になった異伝は,そのまま異伝として紹介しているのであり,それをさらに整理改編する理由も必要もない。


縄文から弥生へ・学者さんの変な学説を批判する(その2)

 その証拠に,特に第10段の異伝では,「云々云々」として,不必要なところは,はしょっている。

 異伝全体が,きちんとあった。本文を確定して,必要な限りで異伝を紹介した。
 だから,断片的になっている。場合によっては,本文に匹敵する異伝を,必要な部分だけはっしょって引用した。云々云々だ。

 それが,日本書紀編纂者の編纂態度だ。

 異伝である一書には,日本書紀編纂者の作為,すなわち朝鮮語がわかる人の朝鮮語の遊びが入りこむ余地は,極めて少ない。


縄文から弥生へ・学者さんの説はおかしい(その1)

 この点学者さんは,異伝と本文とを区別せずに,異伝である一書まで適当に改変していると考える人が多い。

 しかし,そうなると,当時第1級の栄えある官僚,日本書紀編纂者をどうとらえるか。公権的公定解釈である本文と,異伝である一書との関係をどう考えるか。我が国最初の官撰の歴史書である日本書紀をどう考えるか。

 そんな問題になる。
 異伝をいじる必要性がどこにあるのか。

 しかし,そんなことは,まあ,どうでもいい。私はこだわりません。

 問題は,なぜここで,そんな遊びをするのか,合理的理由がないということだ。
 日本書紀編纂の段階で,朝鮮語で語呂あわせの遊びをする理由が,まったくわからないのだ。


縄文から弥生へ・学者さんの説はおかしい(その2)

 ウケモチノカミの身体の各部と,そこから生じた五穀との間には,朝鮮語で初めて解ける音韻対応がある。それはいい。

 それを,日本書紀編纂者が結びつけて作ったなんて,いったい何の必要があって作ったのか。

 さらに,身体の5箇所について,五穀等の音韻を当てはめていったら,きちんと当てはまったというのも変だ。
 五穀等の音韻が,音韻の変化としては極めて限られた身体の各所にきちんと当てはまったというのは,とっても変だ。

 むしろ,初めから対応していたと言うべきだろう。

 言語自身が,朝鮮の言語だったのだ。伝承自身が,朝鮮語の伝承だった。だから,初めから対応していた。
 そう考える方が,素直である。


縄文から弥生へ・弥生文化はやはり朝鮮からもたらされた

 第5段第11の一書には,もともと音韻対応があったのだ。
 五穀と身体の各部とは,朝鮮語で対応していたのだ。これを素直に受け入れるべきだろう。

 それをひっくり返す解釈を示そうというならば,学者さん自身の側で,日本書紀編纂者がそんな遊びをした理由を立証しなければなるまい。

 たぶん,そんな立証はできないだろう。

 要するに,第5段第11の一書という異伝を残した人々は,朝鮮半島出身である。
 当たり前の結論かもしれないが,弥生文化は,やはり朝鮮からもたらされたのだ。


縄文から弥生へ・さらに中国につながっている

 古代社会では,農業を営むことが文化をもっているか否かと同等に論じられた時代があった。

 斉明天皇の時,遣唐使は,苦難の末に洛陽で時の皇帝高祖に接見する。国の情勢を説明するなかで遣唐使は,蝦夷が毎年ヤマトの朝廷に朝貢していると答える。
 大八洲国を平定したという証を,誇るように。

 高祖は問う。「其の国に五穀有りや」と。
 遣唐使は答える。「無し。肉を食いて(くらいて)」生活していると。

 さらに高祖は,その国に家屋はあるのかと問う。遣唐使は答える。家屋はない,深山の中で樹の下に住んでいると(斉明天皇5年7月,伊吉連博徳の書)。

 ここでの蝦夷は,未開の縄文人だ。家屋という上等な居住施設は,農耕という定住生活をしているからこそ作られるのだ。

 だから,五穀があるかという質問と並んで,家屋があるかと問うたのだ。こうした質問が,未開か否かを図る1つの尺度だったのだね。

 そして,ここからわかるように,斉明天皇の時代でもなお,蝦夷は,五穀と養蚕を知らない縄文世界の人々だったのだ。

 古代社会は,農業を営むこと,すなわち農業の基本である五穀を耕作して定住生活をしているか否かが,文化があるか否かと同等に受け取られる時代だった。

 中国,朝鮮,五穀,牛馬農耕,養蚕。
 このつながりが,第5段第11の一書に,しっかりと叙述されている。

 


トップページ( まえがき)

第1 私の立場と問題意識

第2 問題提起

第3 方法論の問題

第4 世界観と世界の生成

第5 神は死なない(神というもののあり方)

第6 原初神と生成神の誕生

第7 日本書紀における原初神と生成神の誕生

第8 修理固成の命令

第9 言葉に対して無神経な古事記(本当に古い文献か)

第10 古事記は伊勢神宮成立後の文献

第10の2 応神記の気比の大神について

第11 国生み叙述の根本的問題

第12 日本神話の読み方を考える(第1子は生み損ないか)

第13 生まれてきた国々を分析する

第14 国生みのあとの神生み

第15 火の神カグツチ「殺し」

第16 黄泉国巡り

第17 コトドワタシと黄泉国再説

第18 禊ぎによる神生みの問題点

第19 日本神話の故郷を探る

第20 大道芸人の紙芝居としての古事記

第21 アマテラスら3神の生成

第22 分治の命令

第23 日本神話の体系的理解(日本書紀を中心に)

第24 日本神話の構造と形成過程

第25 生まれたのは日の神であってアマテラスではない

第26 日の神の接ぎ木構造

第27 最高神?アマテラスの伝承が変容する

第28 泣くスサノヲとイザナキの肩書き

第29 日本神話学の見通しと方法論

第30 日本神話のコスモロジー

第31 誓約による神々の生成(日本書紀)

第32 誓約による神々の生成(古事記)

第33 天の岩屋戸神話と出雲神話が挿入された理由

第34 日本神話のバックグラウンド・縄文から弥生への物語
(日本書紀第5段第11の一書を中心に)


第35 海洋神アマテラスと産霊の神タカミムスヒ
(日本書紀を中心に)


第36 支配命令神は誰なのか(ねじれた接ぎ木構造)

第37 アマテラスとタカミムスヒの極めて危うい関係

第38 五穀と養蚕の文化に対する反逆とオオゲツヒメ

第39 スサノヲの乱暴

第40 「祭る神が祭られる神になった」という幻想

第41 天の石屋戸と祝詞

第42 スサノヲの追放とその論理(日本書紀を中心に)

第43 アマテラス神話は確立していない(日本書紀を中心に)

第44 出雲のスサノヲ

第45 異伝に残された縄文の神スサノヲ(日本書紀を中心に)

第46 スサノヲにおける縄文と弥生の交錯(大年神の系譜)

第47 別の顔をもつスサノヲ(日本書紀を中心に)

第48 オオクニヌシの試練物語のへんてこりん

第49 オオクニヌシの王朝物語

第50 日本書紀第8段第6の一書の構成意図と古事記の悪意

第51 スクナヒコナと神功皇后と応神天皇と朝鮮

第52 偉大なるオオナムチ神話(大八洲国を支配したオオナムチ)

第53 三輪山のオオナムチ(日本書紀第8段第6の一書から)

第54 古事記はどうなっているか

第55 偉大なるオオクニヌシ(オオナムチ)の正体(問題提起)

第56 偉大なるオオクニヌシの正体(崇神天皇5年以降)

第57 崇神天皇5年以降を読み解く

第58 国譲りという名の侵略を考える前提問題

第59 「皇祖」「皇孫」を奪い取る「皇祖神」タカミムスヒ
(国譲りという名の侵略の命令者)


第60 皇祖神タカミムスヒの根拠
(国譲りという名の侵略の命令者)


第61 古事記における命令神
(国譲りという名の侵略の命令者)


第62 第9段第1の一書という異伝中の異伝と古事記

第63 武神の派遣と失敗と「高木神」

第64 タケミカヅチの派遣(タケミカヅチはカグツチの子)

第65 フツヌシとタケミカヅチの異同

第66 コトシロヌシは託宣の神ではないしタケミナカタは漫画

第67 「オオクニヌシの国譲り」の叙述がない

第68 天孫降臨の叙述の構造

第69 サルタヒコの登場

第70 古事記独特の三種の神宝

第71 天孫はどこに降臨したのか

第72 「国まぎ」を切り捨てた古事記のへんてこりん
(天孫降臨のその他の問題点)


第73 国譲り伝承と天孫降臨伝承との間にある断層

第74 じつは侘しい天孫降臨と田舎の土豪神武天皇

第75 天孫土着の物語

第76 火明命とニギハヤヒ(第9段の異伝を検討する)

第77 日向神話の体系的理解

第78 騎馬民族はやって来たか

第79 三種の宝物再論

第80 日本神話の大きな構成(三輪山のオオナムチとの出会い)

第81 海幸彦・山幸彦の物語を検討する

第82 「居場所」のない古事記

第83 本居宣長について

第84 日本神話を論ずる際のルール

第85 神々の黄昏

あとがき

著作権の問題など

付録・初版の「結論とあとがき」


新論文
神功紀を読み解く
神功皇后のごり押しクーデター

日本書紀を読んで古事記神話を笑う 「初版」 はこちら



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