日本書紀を読んで古事記神話を笑う 改訂新版 |
2009年10月5日up | (物語読者として日本神話を解明する) |
さてさて,やっと,国譲りという名の侵略だ。 実際には,アメノホヒ(天菩比神=あめのほひのかみ),アメワカヒコ(天若日子=あめわかひこ)が役立たずだったので,タケミカヅチ(建御雷神)らを派遣して侵略となるのだが,私は,その全体を,「国譲りという名の侵略」という。 ところで,一般には「国譲り」という文言が使われている。 しかし誤りだ。 その,「叙述と文言」にあまりにも鈍感な精神が許せないからだ。 古事記にも日本書紀にも,「国譲り」という文言はないし,そんなお話など,どこにも書いてない。
日本書紀を見てみよう。 そのころ葦原中国には,「多に(さわに)蛍火(ほたるび)の光く(かがやく)神,及び蠅声なす(さばえなす)邪しき神(あしきかみ)あり。復(また)草木咸に(ことごとくに)能く(よく)言語有り(ものいうことあり)」。 葦原中国には,蛍火が輝くような多くの神がおり,蠅のように小うるさい邪神がたくさんおり,草木さえも,ものを言って人を脅かすような国だったのだ。 ヘンゼルとグレーテルのお伽噺じゃないが,深い森にさまよい込むと,こんんなことになる。フクロウの光る目とか,発光する虫,ひとつひとつに驚くんだよね。 うねうねとそびえ立つ巨木は,恐怖の巨人だ。 そこでタカミムスヒは,「八十諸神(やそもろかみたち)を召し集へて」,「吾(われ),葦原中国の邪しき(あしき)鬼を撥ひ(はらい)平け(むけ)しめむと欲ふ(おもう)」と述べ,誰を派遣したらよかろうかと問うた。 まるで,鬼ヶ島の鬼退治だね。 未開の地に対する軍事的侵略。キリスト教の看板を掲げたヨーロッパの植民地主義みたい。人類共通のお約束の構図。 人間ふぜいがやることは,1000年たっても同じなんだね。
古事記を見ましょう。 アメノホヒの次に派遣されるアメワカヒコは,天之麻迦古弓(あめのまかこゆみ)と天之波波矢(あめのははや)という武器を携行する。 次のタケミカヅチ(建御雷神=たけみかづちのかみ)は,武神であり雷神だ。 この神は,オオクニヌシに対して,十拳劔(とつかのつるぎ)を逆さまに立て,胡座をかいて,「汝がうしはける葦原中国は,我が御子の知らす国と言依(ことよ)さしたまひき。故,汝が心は奈何(いか)に。」と問いかける。 お前が治めている葦原中国はわが皇子が治める国だとの命令があったが,お前はどうするんだ,なんていう意味だ。 内容は,日本書紀も同じようなもんだ。 恫喝そのものだね。 現代なら強盗か恐喝か。もっと大きなことを言えば,問答無用の宣戦布告だ。イラク戦争前夜のアメリカの態度と同じだ。 逆らったタケミナカタ(建御名方神=たけみなかたのかみ)は,腕をへし折られ,諏訪湖まで逃げていき,生涯そこから出ないと誓わねばならなかった。 「恐し(かしこし)。我をな殺したまひそ。」というのが,彼の命乞いだ。 タケミカヅチは,「高天原」に帰り,葦原中国を「言向け和平(やわ)しつる状」を「復奏」したのだった。 将軍の凱旋と申せましょう。
ところが学者さんたちは,「大国主神の国譲り」という見出しを勝手に作って,改めようとしない(倉野憲司校注・古事記・岩波書店。その他多数。最近では,山口佳紀及び神野志隆光校注・古事記・小学館・新編日本古典文学全集)。 そして,武力に訴えずに話し合いでことを解決しようとしたのだ,という注釈さえつけ加える(倉野憲司・古事記・岩波書店)。 この人たちは,いったい何を読んでいるのだろうか。 自発的な「国譲り」など,どこにもない。「侵略」の叙述はある。 わけがわからないどころか,この人たちの頭の中にある,暗黙の前提さえ疑ってしまう。 と言うのも,こうした見出しが,読者の便宜になるどころか,日本神話を混乱させ,間違った神話を作り出しているからだ。
「国譲り」という言葉は,太っ腹だがお人好しで従順なオオクニヌシが,あえて戦うことなく国土を禅譲したというお伽噺を想起させる。 それは,稲羽の素兎の話などとあいまって,時の権力者に都合のよい人物を「大人(たいじん)」として描く儒教的精神,あるいは戦前の貧困な精神を想起させる。 儒教的精神や戦前の貧困な精神が悪いと言っているのではない。 そんなの,どこにも書かれていないのに,さも書かれているように思わせることが,「イケナイ」と言っているのだ。 「大国主神の国譲り」という表題を掲げることで,テキストを読む眼を曇らせ,頭を鈍くしてしまうのが「イケナイ」と言っているのだ。 私は,パスだ。 しかし,かといって,突然,「国譲り」という言葉を完全放棄することもできない。読者一般との話が通じなくなるから。 妥協案として,「国譲りという名の侵略」というのが一番いいだろう。
用語の問題の次は,体系的思考の問題だ。 日本書紀や古事記の神話のハイライトは,国譲りという名の侵略と天孫降臨だ。これ以前の叙述は,準備にすぎないと言ってもいいくらいだ。 そしてここから,現代の天皇に至る正統性の系譜が始まる。その意味で,日本神話の焦点になっている。 私は,その叙述の体系を,何度か説明してきた。ただ,私の体系的理解は一般の理解と異なっており,一般の人々の頭に入っていないと思われるので,くどいようだが,もう一度復習しておく。 日本神話が,国譲りという名の侵略に向かって,いかに緊密な構成を取っているか。それを再提示しておこう。
国生みと神生みにより,地理的存在としての国土が生まれ,舞台装置が提示された。 地理的存在としての国土が生まれたあと,次々に神が生まれてくる。人間はまったく無視される。 だからこそ,君たちの周りには,これこのとおり,こうした由縁で神々がいるんだよ,という説明を始めるのだ。 そして,その最後の最後に,アマテラスやスサノヲらの,一番貴い神が生まれてくる。それは,禊ぎという極めて人間くさい行為,人間が神の前で行う行為から生まれてくるのだった。 これで,神生みを含む国生み=神国日本が完成するのである。 ここまでが,日本書紀でいえば第5段まで。
次に,誓約により生まれた神がスサノヲの子であり,天孫ニニギの父になるというからくりを用意し,国譲りという名の侵略と天孫降臨を行う「正当性の契機」を用意した。 スサノヲの子孫が支配している葦原中国は,結局のところ,スサノヲが天上界に残してきた子,誓約によってアマテラスと作った子孫が成り代わって支配するという仕掛けである。 これが,「壮大なる血の交代劇」の根幹である。 日本書紀でいえば第6段だ。 ただ,古事記ライターは,日本書紀が残したこの場面の意味を理解できず,ライターとしては恥ずかしい,はちゃめちゃな叙述しかできなかった。 さらに,五穀と養蚕の文化に反逆するスサノヲを描くことにより,国譲りという名の侵略と天孫降臨を行う「理由と口実」を用意した。 天の石屋戸の話は,その過程に出てくるエピソードにすぎない。主役はスサノヲだ。 ここまでが,日本書紀でいえば第7段。
スサノヲは,高天原から降って,宮の首を定めて,出雲国の基礎を作った。 自然的存在としての国土,神がいる国としての国土は,イザナキとイザナミによって,すでに用意されている。 スサノヲが,初めて,「人間社会としての国作り」をする。人間社会を初めて作ったのは,一般の人が信じているようなヤマトの人々ではなく,出雲の人々だったからだ。 スサノヲの子孫のオオクニヌシは,大八洲国を平定し,「始めて国を作りたまひき」と称揚された。 こうして,人間社会としての国ができた。 だからこそ,オオクニヌシの王朝物語が展開される。 ここまでが,日本書紀でいえば第8段。
そのあとに,国譲りという名の侵略が始まる。 こうして, @ 支配の正当性, A 支配の理由と口実, B 支配される現実の国, が用意され,国譲りという名の侵略になだれ込んでいく。
日本書紀とは異なり,古事記は,ぼんやりしている。 矛盾がいっぱいあり,しかも誓約の意味がわかっていないなど,叙述自体がちゃらんぽらんなため,日本書紀をしっかり理解しなければ,上記した単純な構造が把握できない。 それは,伝承が古いという問題ではなく,ライターの能力の違いにすぎない。 矛盾があってよくわからないから古事記の方が古いなどと,わけのわからないことを言ってはいけない。
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