日本書紀を読んで古事記神話を笑う

日本書紀を読んで古事記神話を笑う 改訂新版

2009年10月5日up
(物語読者として日本神話を解明する)


第58 国譲りという名の侵略を考える前提問題


鈍感な人たちがいまだに「国譲り」と呼ぶ

 さてさて,やっと,国譲りという名の侵略だ。

 実際には,アメノホヒ(天菩比神=あめのほひのかみ),アメワカヒコ(天若日子=あめわかひこ)が役立たずだったので,タケミカヅチ(建御雷神)らを派遣して侵略となるのだが,私は,その全体を,「国譲りという名の侵略」という。

 ところで,一般には「国譲り」という文言が使われている。

 しかし誤りだ。
 私は,「国譲りという名の侵略」という言葉を用いる。

 その,「叙述と文言」にあまりにも鈍感な精神が許せないからだ。
 さらに,時代精神にも鈍感だからだ。
 さらに,そうした鈍感さは,世の中に害毒をまき散らすからだ。

 古事記にも日本書紀にも,「国譲り」という文言はないし,そんなお話など,どこにも書いてない。


日本書紀の「叙述と文言」はまさに侵略

 日本書紀を見てみよう。

 そのころ葦原中国には,「多に(さわに)蛍火(ほたるび)の光く(かがやく)神,及び蠅声なす(さばえなす)邪しき神(あしきかみ)あり。復(また)草木咸に(ことごとくに)能く(よく)言語有り(ものいうことあり)」。

 葦原中国には,蛍火が輝くような多くの神がおり,蠅のように小うるさい邪神がたくさんおり,草木さえも,ものを言って人を脅かすような国だったのだ。

 ヘンゼルとグレーテルのお伽噺じゃないが,深い森にさまよい込むと,こんんなことになる。フクロウの光る目とか,発光する虫,ひとつひとつに驚くんだよね。

 うねうねとそびえ立つ巨木は,恐怖の巨人だ。
 まさに,「草木咸に(ことごとくに)能く(よく)言語有り(ものいうことあり)」。

 そこでタカミムスヒは,「八十諸神(やそもろかみたち)を召し集へて」,「吾(われ),葦原中国の邪しき(あしき)鬼を撥ひ(はらい)平け(むけ)しめむと欲ふ(おもう)」と述べ,誰を派遣したらよかろうかと問うた。

 まるで,鬼ヶ島の鬼退治だね。

 未開の地に対する軍事的侵略。キリスト教の看板を掲げたヨーロッパの植民地主義みたい。人類共通のお約束の構図。

 人間ふぜいがやることは,1000年たっても同じなんだね。


古事記の「叙述と文言」も同様

 古事記を見ましょう。

 アメノホヒの次に派遣されるアメワカヒコは,天之麻迦古弓(あめのまかこゆみ)と天之波波矢(あめのははや)という武器を携行する。

 次のタケミカヅチ(建御雷神=たけみかづちのかみ)は,武神であり雷神だ。

 この神は,オオクニヌシに対して,十拳劔(とつかのつるぎ)を逆さまに立て,胡座をかいて,「汝がうしはける葦原中国は,我が御子の知らす国と言依(ことよ)さしたまひき。故,汝が心は奈何(いか)に。」と問いかける。

 お前が治めている葦原中国はわが皇子が治める国だとの命令があったが,お前はどうするんだ,なんていう意味だ。

 内容は,日本書紀も同じようなもんだ。

 恫喝そのものだね。

 現代なら強盗か恐喝か。もっと大きなことを言えば,問答無用の宣戦布告だ。イラク戦争前夜のアメリカの態度と同じだ。

 逆らったタケミナカタ(建御名方神=たけみなかたのかみ)は,腕をへし折られ,諏訪湖まで逃げていき,生涯そこから出ないと誓わねばならなかった。

 「恐し(かしこし)。我をな殺したまひそ。」というのが,彼の命乞いだ。

 タケミカヅチは,「高天原」に帰り,葦原中国を「言向け和平(やわ)しつる状」を「復奏」したのだった。
 「復奏」は,いってみれば,天皇に対する将軍の報告である。

 将軍の凱旋と申せましょう。


学者さんたちはイケナイ

 ところが学者さんたちは,「大国主神の国譲り」という見出しを勝手に作って,改めようとしない(倉野憲司校注・古事記・岩波書店。その他多数。最近では,山口佳紀及び神野志隆光校注・古事記・小学館・新編日本古典文学全集)。

 そして,武力に訴えずに話し合いでことを解決しようとしたのだ,という注釈さえつけ加える(倉野憲司・古事記・岩波書店)。

 この人たちは,いったい何を読んでいるのだろうか。

 自発的な「国譲り」など,どこにもない。「侵略」の叙述はある。

 わけがわからないどころか,この人たちの頭の中にある,暗黙の前提さえ疑ってしまう。

 と言うのも,こうした見出しが,読者の便宜になるどころか,日本神話を混乱させ,間違った神話を作り出しているからだ。


太っ腹の国譲りなんてのは幻想

 「国譲り」という言葉は,太っ腹だがお人好しで従順なオオクニヌシが,あえて戦うことなく国土を禅譲したというお伽噺を想起させる。

 それは,稲羽の素兎の話などとあいまって,時の権力者に都合のよい人物を「大人(たいじん)」として描く儒教的精神,あるいは戦前の貧困な精神を想起させる。

 儒教的精神や戦前の貧困な精神が悪いと言っているのではない。

 そんなの,どこにも書かれていないのに,さも書かれているように思わせることが,「イケナイ」と言っているのだ。

 「大国主神の国譲り」という表題を掲げることで,テキストを読む眼を曇らせ,頭を鈍くしてしまうのが「イケナイ」と言っているのだ。

 私は,パスだ。
 なぜ,こんな基本的なことから始めなければならないのか。学者さんの怠慢だとしか言いようがない。

 しかし,かといって,突然,「国譲り」という言葉を完全放棄することもできない。読者一般との話が通じなくなるから。

 妥協案として,「国譲りという名の侵略」というのが一番いいだろう。


日本神話を体系的に考える(復習1)

 用語の問題の次は,体系的思考の問題だ。

 日本書紀や古事記の神話のハイライトは,国譲りという名の侵略と天孫降臨だ。これ以前の叙述は,準備にすぎないと言ってもいいくらいだ。

 そしてここから,現代の天皇に至る正統性の系譜が始まる。その意味で,日本神話の焦点になっている。

 私は,その叙述の体系を,何度か説明してきた。ただ,私の体系的理解は一般の理解と異なっており,一般の人々の頭に入っていないと思われるので,くどいようだが,もう一度復習しておく。

 日本神話が,国譲りという名の侵略に向かって,いかに緊密な構成を取っているか。それを再提示しておこう。


日本神話を体系的に考える(復習2)

 国生みと神生みにより,地理的存在としての国土が生まれ,舞台装置が提示された。
 日本書紀と違い,古事記の場合は,「神の国」の国生みなのだった。

 地理的存在としての国土が生まれたあと,次々に神が生まれてくる。人間はまったく無視される。
 古事記ライターが考える国土とは,何よりもまず,神々が住む国なのだった。「神国日本」を描きたかったのだ。

 だからこそ,君たちの周りには,これこのとおり,こうした由縁で神々がいるんだよ,という説明を始めるのだ。

 そして,その最後の最後に,アマテラスやスサノヲらの,一番貴い神が生まれてくる。それは,禊ぎという極めて人間くさい行為,人間が神の前で行う行為から生まれてくるのだった。

 これで,神生みを含む国生み=神国日本が完成するのである。

 ここまでが,日本書紀でいえば第5段まで。


日本神話を体系的に考える(復習3)

 次に,誓約により生まれた神がスサノヲの子であり,天孫ニニギの父になるというからくりを用意し,国譲りという名の侵略と天孫降臨を行う「正当性の契機」を用意した。

 スサノヲの子孫が支配している葦原中国は,結局のところ,スサノヲが天上界に残してきた子,誓約によってアマテラスと作った子孫が成り代わって支配するという仕掛けである。

 これが,「壮大なる血の交代劇」の根幹である。

 日本書紀でいえば第6段だ。

 ただ,古事記ライターは,日本書紀が残したこの場面の意味を理解できず,ライターとしては恥ずかしい,はちゃめちゃな叙述しかできなかった。

 さらに,五穀と養蚕の文化に反逆するスサノヲを描くことにより,国譲りという名の侵略と天孫降臨を行う「理由と口実」を用意した。

 天の石屋戸の話は,その過程に出てくるエピソードにすぎない。主役はスサノヲだ。
 主人公はアマテラスではなく,スサノヲである(スサノヲ神話の本質)。日本書紀ではそのことが鮮明だが,天照大「御」神とする古事記ライターの筆にかかると,ちょっとぼんやりしてしまう。

 ここまでが,日本書紀でいえば第7段。


日本神話を体系的に考える(復習4)

 スサノヲは,高天原から降って,宮の首を定めて,出雲国の基礎を作った。
 これは,いわゆる国生みではない。

 自然的存在としての国土,神がいる国としての国土は,イザナキとイザナミによって,すでに用意されている。

 スサノヲが,初めて,「人間社会としての国作り」をする。人間社会を初めて作ったのは,一般の人が信じているようなヤマトの人々ではなく,出雲の人々だったからだ。

 スサノヲの子孫のオオクニヌシは,大八洲国を平定し,「始めて国を作りたまひき」と称揚された。
 大国主神が作ったのは,出雲だけではない。文字どおり天の下だった。ヤマトまで含めた天の下,すなわち葦原中国である。

 こうして,人間社会としての国ができた。

 だからこそ,オオクニヌシの王朝物語が展開される。

 ここまでが,日本書紀でいえば第8段。


日本神話を体系的に考える(復習5)

 そのあとに,国譲りという名の侵略が始まる。
 日本書紀の第9段だ。

 こうして,

@ 支配の正当性,

A 支配の理由と口実,

B 支配される現実の国,

が用意され,国譲りという名の侵略になだれ込んでいく。


日本神話を体系的に考える(復習6)

 日本書紀とは異なり,古事記は,ぼんやりしている。

 矛盾がいっぱいあり,しかも誓約の意味がわかっていないなど,叙述自体がちゃらんぽらんなため,日本書紀をしっかり理解しなければ,上記した単純な構造が把握できない。

 それは,伝承が古いという問題ではなく,ライターの能力の違いにすぎない。

 矛盾があってよくわからないから古事記の方が古いなどと,わけのわからないことを言ってはいけない。

 


トップページ( まえがき)

第1 私の立場と問題意識

第2 問題提起

第3 方法論の問題

第4 世界観と世界の生成

第5 神は死なない(神というもののあり方)

第6 原初神と生成神の誕生

第7 日本書紀における原初神と生成神の誕生

第8 修理固成の命令

第9 言葉に対して無神経な古事記(本当に古い文献か)

第10 古事記は伊勢神宮成立後の文献

第10の2 応神記の気比の大神について

第11 国生み叙述の根本的問題

第12 日本神話の読み方を考える(第1子は生み損ないか)

第13 生まれてきた国々を分析する

第14 国生みのあとの神生み

第15 火の神カグツチ「殺し」

第16 黄泉国巡り

第17 コトドワタシと黄泉国再説

第18 禊ぎによる神生みの問題点

第19 日本神話の故郷を探る

第20 大道芸人の紙芝居としての古事記

第21 アマテラスら3神の生成

第22 分治の命令

第23 日本神話の体系的理解(日本書紀を中心に)

第24 日本神話の構造と形成過程

第25 生まれたのは日の神であってアマテラスではない

第26 日の神の接ぎ木構造

第27 最高神?アマテラスの伝承が変容する

第28 泣くスサノヲとイザナキの肩書き

第29 日本神話学の見通しと方法論

第30 日本神話のコスモロジー

第31 誓約による神々の生成(日本書紀)

第32 誓約による神々の生成(古事記)

第33 天の岩屋戸神話と出雲神話が挿入された理由

第34 日本神話のバックグラウンド・縄文から弥生への物語
(日本書紀第5段第11の一書を中心に)


第35 海洋神アマテラスと産霊の神タカミムスヒ
(日本書紀を中心に)


第36 支配命令神は誰なのか(ねじれた接ぎ木構造)

第37 アマテラスとタカミムスヒの極めて危うい関係

第38 五穀と養蚕の文化に対する反逆とオオゲツヒメ

第39 スサノヲの乱暴

第40 「祭る神が祭られる神になった」という幻想

第41 天の石屋戸と祝詞

第42 スサノヲの追放とその論理(日本書紀を中心に)

第43 アマテラス神話は確立していない(日本書紀を中心に)

第44 出雲のスサノヲ

第45 異伝に残された縄文の神スサノヲ(日本書紀を中心に)

第46 スサノヲにおける縄文と弥生の交錯(大年神の系譜)

第47 別の顔をもつスサノヲ(日本書紀を中心に)

第48 オオクニヌシの試練物語のへんてこりん

第49 オオクニヌシの王朝物語

第50 日本書紀第8段第6の一書の構成意図と古事記の悪意

第51 スクナヒコナと神功皇后と応神天皇と朝鮮

第52 偉大なるオオナムチ神話(大八洲国を支配したオオナムチ)

第53 三輪山のオオナムチ(日本書紀第8段第6の一書から)

第54 古事記はどうなっているか

第55 偉大なるオオクニヌシ(オオナムチ)の正体(問題提起)

第56 偉大なるオオクニヌシの正体(崇神天皇5年以降)

第57 崇神天皇5年以降を読み解く

第58 国譲りという名の侵略を考える前提問題

第59 「皇祖」「皇孫」を奪い取る「皇祖神」タカミムスヒ
(国譲りという名の侵略の命令者)


第60 皇祖神タカミムスヒの根拠
(国譲りという名の侵略の命令者)


第61 古事記における命令神
(国譲りという名の侵略の命令者)


第62 第9段第1の一書という異伝中の異伝と古事記

第63 武神の派遣と失敗と「高木神」

第64 タケミカヅチの派遣(タケミカヅチはカグツチの子)

第65 フツヌシとタケミカヅチの異同

第66 コトシロヌシは託宣の神ではないしタケミナカタは漫画

第67 「オオクニヌシの国譲り」の叙述がない

第68 天孫降臨の叙述の構造

第69 サルタヒコの登場

第70 古事記独特の三種の神宝

第71 天孫はどこに降臨したのか

第72 「国まぎ」を切り捨てた古事記のへんてこりん
(天孫降臨のその他の問題点)


第73 国譲り伝承と天孫降臨伝承との間にある断層

第74 じつは侘しい天孫降臨と田舎の土豪神武天皇

第75 天孫土着の物語

第76 火明命とニギハヤヒ(第9段の異伝を検討する)

第77 日向神話の体系的理解

第78 騎馬民族はやって来たか

第79 三種の宝物再論

第80 日本神話の大きな構成(三輪山のオオナムチとの出会い)

第81 海幸彦・山幸彦の物語を検討する

第82 「居場所」のない古事記

第83 本居宣長について

第84 日本神話を論ずる際のルール

第85 神々の黄昏

あとがき

著作権の問題など

付録・初版の「結論とあとがき」


新論文
神功紀を読み解く
神功皇后のごり押しクーデター

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