日本書紀を読んで古事記神話を笑う

日本書紀を読んで古事記神話を笑う 改訂新版

2009年10月5日up
(物語読者として日本神話を解明する)


第81 海幸彦・山幸彦の物語を検討する


古事記を読んでこそ日本書紀第10段が見えてくる

 さて,ここまで来たら,ほぼ,日本神話の解明は終わったも同然だ。

 あとは,海幸彦・山幸彦に関する,古事記の物語を検討しておこう。

 例によって,日本書紀との比較になるのだが,ここでは,今までとは様相が異なる。
 愚かな古事記ライターを笑うのではなく,むしろ,その洗練を取り上げることになる。

 日本書紀第10段の本文と,その異伝である一書は,それだけを読んでいる限り,じつはあまり面白くない。
 だいたい大筋で一致しているし,一書の存在意義が,それほど明確ではないからだ。普通に読むと,何の問題意識も湧いてこない。

 しかし,第10段は,何よりもまず古事記を読むことによって見えてくる。なぜならば,古事記がその集成版であり,洗練されたリライト版だからだ。

 この集成版と対比することによってこそ,日本書紀本文や一書の違いや,価値や,古ぼけた雰囲気が,しっかりと見えてくる。

 それにしても古事記ライターは,海幸彦・山幸彦の,いわゆる日向神話の場面では,絶好調だ。全体的構成や体系的問題にとらわれることなく,筆をふるっているように見える。

 材料は目の前にある。それを駆使して,小説的才能を,存分に発揮している。


何を交換したのかがわからない

 とは言っても,やはり,きちんとリライトできなかったことを示す,恥ずかしい文章はある。

 海幸彦と山幸彦の話は,海幸彦の釣り針と,山幸彦の弓矢を交換するという場面から始まる。

 日本書紀で,このいわゆる「幸替え(さちがえ)」の部分を叙述するのは,第10段本文,第1の一書,第3の一書だが,すべて弓矢(または弓)が出てくる。

 当然だ。何と何を交換したかがわからなければ,話が進まないからだ。

 ところが古事記では,山幸彦が持っていたはずの弓矢が出てこない。

 山幸彦が釣り針を受け取ったことは叙述されているが,海幸彦が山幸彦から何を受け取ったのかは,まったく述べられない。

 山幸彦が海幸彦に,「各(おのおの)さちを相易へて(あいかえて)用いむ。」と述べるだけだ。
 そしてその後は,釣り針を失った山幸彦と,それを責める海幸彦を描写するだけだ。


古事記ライターのリライトの痕跡

 あたかも,何と何を交換したかは読者が知っている,という書き振りだ。

 小さなことのようだが,いい加減な古事記ライターを知っている私には,見逃せない。
 それぞれの持ち物を交換したが,一方が返せなくなったというのが,このお話の本筋だ。何を交換したかが,物語の出発点なのだ。

 だから,本当に原初的なお話であれば,それをきちんと書くはずだ。

 しかし,「皆さんご承知のお話を一席」,ということであれば,山幸彦が持っていたもの,すなわち海幸彦が受け取ったものが何であったか,はっきり書かなくても,「読んでもらえる」。

 また,古事記は,「さち」を返せなくなった山幸彦の方に叙述の焦点が向いているが,であるからこそ,返せなくなった物が何かだけに目がいく。

 海幸彦が交換で受け取って,山幸彦に返した弓矢は,もはや問題ではなくなるのだ。

 こんなところにも,古事記ライターのリライトの跡が,はっきりと残っている。
 日本書紀の叙述を,頭の中で補って読んではいけない。そんなことをしているから,いつまでたっても,古事記の本質が見えてこないのだ。

 学者さんは,チラッと,こんなことを言っている。
 「サチを易えた後,兄の方も不猟であったと一言あって然るべきところと思われる」(西郷信綱・古事記注釈・第4巻・筑摩書房,130頁)。


幸替えを3度も要求した山幸彦

 リライトしたからこそ,古事記ライターは,余計なことを書かない。

 古事記の叙述は,釣り針を失った山幸彦の責任と,それに対する海幸彦の怒りに,焦点をびしっと合わせている。

 「ここに火遠理命(ほおりのみこと,山幸彦のこと),その兄火照命(ほでりのみこと,海幸彦のこと)に,『各(おのおの)さちを相易へて(あいかえて)用いむ。』と謂ひて,三度乞ひたまへども,許さざりき。然れども遂に纔(わづ)かに相易ふることを得たまひき」。

 「幸替え」を要求したのは山幸彦だ。しかも,しつこく3度も要求したのだ。しかし海幸彦は,これを許さなかった。そして,最後の最後に,しぶしぶ承諾した。


山幸彦が責められる理由がはっきりしている

 だから,交換してやった釣り針を失うなど,もってのほかだ。ここで出てくる釣り針は,ただの釣り針ではない。食料を得る不思議な霊力がある釣り針だ。職人の魂が宿っていると言ってもよい。

 しかし山幸彦は,その釣り針を失ってしまった。

 当然,海幸彦は怒る。何度もしつこく頼むからしぶしぶ交換に応じたが,返せないとは何事だ。

 山幸彦は,一匹も魚が捕れないまま,失ってしまったと告白する。しかし,海幸彦は,「強ち(あながち)に乞ひ徴(はた)りき」。すなわち,返せと強硬に主張した。

 その気持ちはわかる。

 だからこそ山幸彦は,これまた大事な「十拳劔」を鋳直して,500の釣り針を作ったり,1000個もの釣り針を作った。
 「十拳劔」は,武士でいえば命そのものだ。それを鋳つぶしても,海幸彦は,「なほその正本(もと)の鉤を得む」と主張した。

 一般には,釣り針を返せと強引にねじ込んだ海幸彦が,悪く描かれる。

 古事記は,強引に幸替えを要求した山幸彦を描いて,山幸彦が「泣き患(うれ)へて海辺に」さすらう理由を強調した。そして,鹽椎神(しおつちのかみ)に出会う場面に,ストレートにつながっていくのだ。

 叙述としては,洗練されていると思う。


第10段本文と第1の一書は叙述の流れが悪い

 このように古事記は,物語として非常に流れがよいのだ。
 それは,日本書紀と比較すると,よくわかる。

 第10段本文は,「始め兄弟二人,相謂ひて(かたらひて)曰(のたま)はく,『試みに易幸(さちがえ)せむ』とのたまひて,遂に相易(あいか)ふ」となっている。
 第10段第1の一書も,同様だ。

 「相謂ひて(かたらひて)」交換したのだから,「幸替え」自体については,兄弟の責任は同等だ。

 海幸彦は,「益(ますます)復急め責る(せめはたる)」。山幸彦は,「憂へ苦びますこと甚深し」。

 こうなっているが,お互いの責任でもあるのだから,海幸彦がそこまで山幸彦を責める理由はないし,山幸彦も,そこまで悩む必要もないだろう,と言いたくなってしまうような書き振りだ(第10段本文)。


第10段第3の一書はさらに叙述の流れが悪い

 第10段第3の一書では,叙述上の流れの悪さが,さらに極端に出ている。

 「幸替え」を要求するのは,海幸彦なのだ。古事記のように,山幸彦ではない。山幸彦は,逆に「幸替え」を許す立場だ。

 ところが海幸彦は,自分が悪いくせに,山幸彦が申し出た数千の代償の釣り針を拒否して,怒りまくる。
 確かに,釣り針をなくしたのは,山幸彦の落ち度だ。しかし,幸替えを要求したのは海幸彦自身である。自分が結果を招いたのだ。

 少しは許してやれよ,とも言いたくなる。


古事記の洗練度

 要するに,日本書紀の本文も一書も,叙述の流れが悪い。
 しかも,古事記のように,山幸彦が3度も幸替えを要求したという伝承は,どこにもない。

 これに対して古事記は,

@ 山幸彦が3度も幸替えを要求したと叙述することにより,山幸彦の落ち度を強調し,

A なくなった釣り針に対する海幸彦の対応だけを叙述することにより,物語を簡明にしているのだ。

 明らかに,古事記の方が新しい伝承だ。古事記ライターは,日本書紀を下敷きにして,洗練した物語を書いている。


五七調の台詞はいつの時代か

 そうした意味で気になるのが,釣り針を返せと言う海幸彦の台詞だ。

 「山さちも,己(おの)がさちさち,海さちも,己がさちさち。今は各さち返さむ」。

 山の獲物も海の獲物も自分の道具で捕まえるのだから,お互いに返そうという意味だ。
 問題は内容ではない。「山さちも,己がさちさち,海さちも,己がさちさち」という部分は,明らかに五七調だ。

 五七調の文章は,いつどの時代に成立したのだろうか。それが一般的になるのはいつの時代だろうか。


日本書紀の山幸彦が潜水艦に乗って浜辺に到着するのは変だ

 さて,次は,シオツツノオヂ(鹽椎神=しおつちのかみ)との出会いの場面だ。

 海岸を憂えさまよった山幸彦は,シオツツノオヂに出会い,そのはからいで「綿津見(わたつみ)の宮」へ行く。

 問題は,乗り物だ。
 日本書紀第10段本文は,「無目籠(まなしかたま)」を作って,山幸彦を「籠(かたま)の中に内(い)れて,海に沈む」。そしてそれが,海神の宮に到着するという設定だ。

 「無目籠」は,竹を隙間なく交互に編んで作った,編み目の詰んだ籠のような物だ。その中に入れて海に沈めたというのだから,潜水艦のような物だろう。

 これはこれで,ひとつの筋の通った叙述だ。綿津見の宮は海中にあるのだから。

 しかし,そのまま読んでいくと,「自然に可怜小汀(うましおはま)」,すなわち,美しい小さな浜辺に着いたとくるから,読者はやはり混乱する。

 海中に浜辺なんてあるのか。浜辺ならば,なぜ潜水艦に乗って海中に潜るのか。

 第10段第1の一書も,同様に,潜水艦と「可怜小汀」のストーリーだ。


第10段第3の一書の工夫

 これに対し,第10段第3の一書はちょっと違う。

 「無目堅間(まなしかたま)の小船を作りて」,海の中に推し放ったところ,「自然に沈み去る」のだ。

 でもそれで,ちゃんと海中にある「可怜御路(うましみち,すなわち美しい道)」をたどり,海神の宮に至るのだから,予期に反して沈んだのではない。
 船に乗って船出したが,ぶくぶくと沈没してしまったのではない。

 「小船」とはいうが,初めから,海中を航行するために作られた「小船」であり,やはり潜水艦のような物だ。

 ただ,海神の宮に着いたというだけで,「可怜小汀」,すなわち浜辺は出てこないから,読者が混乱することはない。
 「可怜」は,浜辺ではなく,海中にある道を褒める言葉として使われている。


古事記は不自然でないように叙述している

 じつは,これと同様の経過をたどるのが古事記だ。

 古事記における山幸彦もまた,「无間勝間(まなしかつま)の小船」で船出する。
 しかし,「自然に沈み去る」(第10段第3の一書)点は省略する。船が沈むのはやはり不自然だからだ。

 そのかわり,「味し(うまし)御路」があって,それをたどる点は第10段第3の一書を採用している。「可怜小汀」は出てこない。

 こうして,全体として,日本書紀本文と一書の不自然なところをカットし,読んでいて抵抗のない文章になった。

 古事記ライターは,第3の一書をさらにリライトし,自然に読めるようにしているのだ。


「自然主義的解釈」と「神話的解釈」

 ところで学者さんは,こう言っている。

 「マナシカツマの船は,・・・それは潜水艇のごときものとなろうか。だがその解釈はあまりにも自然主義的である」(西郷信綱・古事記注釈・第4巻・筑摩書房,135頁)。

 この学者さんは,以下,なんとか「神話的解釈」を施そうとしている。

 私に言わせれば,日本神話に残された「叙述と文言」,すなわち「神話的事実」を,そのままそっくり「自然主義的」に解釈することこそが,今,要求されていることだと思われる。

 「神話的解釈」は,皆がやりたい放題やって来て,結局,何も生み出せなかったと思うのである。


日本書紀のシオツツノオヂの神秘性

 自然に読めるという意味では,シオツツノオヂの台詞自体がそうだ。

 日本書紀に登場するシオツツノオヂは,「吾(われ)当(まさ)に汝の為に計(たばか)らむ」と述べるだけで(本文),どんな企みなのかは,一向にわからない。

 シオツツノオヂは,山幸彦に何の説明もせず,「無目籠」を作ってその中に山幸彦を入れて海に沈める。

 潜水艦など,どこにもない時代のこと。
 山幸彦にしてみれば,殺されるのじゃなかろうかと,不安になるに違いない。読者としても,いったいどうなるのかと,不安になってしまう。

 第10段第1の一書も,第10段第3の一書も,同様だ。

 だが私は,だからこそ,シオツツノオヂの神秘性が高まると思う。
 古来の神話らしい。

 確かに,物語としては不自然だ。しかし山幸彦は,神秘的なシオツツノオヂを信じて,わけがわからないまま海に沈んでいった,と受け取っておくのが,神話の正しい読み方なのだろう。


シオツツノオヂの企みをまとめて台詞にしたのは古事記ライターの暴挙である

 そうした,古来の神話の奥深さと言うのか,それは大げさかもしれないが,とにかくこれが理解できず,我慢ならなかったのが古事記ライターだった。

 神の整理と羅列が好きなくせに,神話の本質や神秘的な話が理解できなかったのが,古事記ライターだった。

 我らが古事記ライターは,シオツツノオヂの企みを,すべてシオツツノオヂ自身に語らせてしまった。

 小船を造って山幸彦を乗せたシオツツノオヂは,出発前に説明する。

 これで船出すれば美しい道があるから,それをたどっていけば綿津見の宮に着く。門の傍らに井戸があり,その横に桂の木があるから,その上に登りなさい。海神の娘が見つけて相談に乗ってくれるだろう。

 その説明の中には,「魚鱗(いろこ)の如(ごと)造れる宮室(みや),それ綿津見神の宮ぞ」という説明まである。

 魚の鱗で造ったような壮麗できれいな宮殿,という意味だ。

 非常にわかりやすい。
 まるで,浦島太郎のお伽噺を聞いているような気分になる。

 とにかく,シオツツノオヂの神秘のヴェールをはぎ取り,シオツツノオヂ自身に,あられもない説明をさせてしまったのが古事記,ということになる。


第10段第4の一書は例外的に新しい

 ところで,シオツツノオヂの企みをまとめて台詞にしたという点では,第10段第4の一書がある。

 これは,後に述べるとおり,従者と山幸彦との出会いが立体的,映像的で,古事記の叙述に最も近い異伝だ。
 だから,この異伝は,例外的に新しい。
 古事記ライターは,ここらあたりを参考にしたに違いない。


山幸彦とトヨタマヒメの出会いの場面

 次に来るのが,山幸彦とトヨタマヒメ(豊玉毘賣)の出会いの場面だ。

 山幸彦は,シオツツノオヂが言ったとおり,井戸の脇の桂の木に登る。すると,海神の娘トヨタマヒメの従者が,水を汲みにやってくる。

 井戸にかがみ込んで,水を汲もうとしたその瞬間,水面に影がよぎる。はっ,と思って仰ぎ見ると,そこには,「麗しき壮夫(おとこ)ありき」。

 その山幸彦は,木の上から水をくれと言う。
 しかし,水自体は飲まずに,首にかけていた玉を吹き入れて,器にくっつけてしまう。玉は,高貴なお方であることの象徴だ。

 こうして,自分が高貴な出自であることを,さりげなく訴える。

 従者は,玉がくっついたままの器で水を汲んで,トヨタマヒメに献上する。山幸彦のことは言わない。

 しかし,玉に気づいたトヨタマヒメは,「もし人,門の外にありや。」と問う。そこで従者は,今までのことを説明する。トヨタマヒメが玉に気づかなければ,山幸彦と出会うこともなく,そのまま話は終わっているという設定だ。

 「奇し(あやし)」と思ったトヨタマヒメは,ここで初めて外に出る。山幸彦と出会ったトヨタマヒメは,「すなはち見惑(め)でて,目合(まぐわい)して」,父たる海神に,「吾が門に麗しき人あり」と報告するのだった。


古事記は映画的で巧みな表現

 どうですか。素晴らしく映画的で,巧みな表現じゃないだろうか。

 トヨタマヒメといきなり出会うのではない。宮殿の奥にいる雅なお姫様は,水汲みなどしない。水汲みの従者を介して出会うのだ。

 水を汲もうと,かがんだときに映る不安な影。はっとして上を仰ぐと,麗しい男が木の上にいる。

 不安な影は,麗しい男の影だった。

 その男が,女を見下ろしている。たぶん,美しく笑いかけていたんだろうな。これは。

 不安が,一瞬のうちに感動に転化する。

 高低差を使った,立体的で巧みな描写。映画的な場面転換だ。


すばらしく現代的な表現でもある

 山幸彦は,玉で象徴される。
 従者は,玉がくっついた器を持って宮殿にはいっていく。それは,山幸彦が放った赤い糸だ。

 従者の動線それ自体が赤い糸になり,トヨタマヒメに向かって伸びていくのだ。

 そして雅なお姫様は,めざとく,高貴な者だけが身につけている玉に気づくのだ。もしや人がいるのでは。
 ここでめでたく,山幸彦が放った赤い糸はトヨタマヒメに結びついた。あとは出会うだけだ。

 玉に気づかなければ,山幸彦との出会いはなかっただろう。そうした男女の出会いの,はかなささえある。

 従者の報告を聞いて確かめに行くのは,もちろんトヨタマヒメ自身だ。
 そして,たちまちのうちに「見惑でて,目合して」,男女の出会いが成就する。そこに,父たる海神は介在しない。

 私は,古事記のこの場面こそ,日本書紀と古事記を通じて,最高に現代的な場面だと思う。

 近代的という表現を突き抜けて,極めて現代的な表現だ。そのまま映画にしてもいい。

 かつて,この場面のこのすごさを指摘した人がいただろうか。


しかし残念ながら日本書紀第10段第1の一書の異伝などのリライト版だ

 しかし残念ながら,日本書紀第10段第1の一書に紹介されている,さらなる異伝のリライト版でしかないのだ。

 その異伝はこうだ。

 トヨタメヒメの従者が水を汲もうとしたが,器に一杯にならなかった。かがんで井戸の中を見ると,笑っている人の顔が逆さまに映っていた。振り仰いで見ると,麗しき神が桂の木に寄りかかって立っていた。

 従者の報告を聞いた海神は,人を使わして誰か問いただす。

 桂の木に寄りかかっているだけでは,なぜ従者が気づかなかったという疑問がわく。
 また,木に寄りかかっているだけでは,井戸の水に映らないだろう。しかもさかさまには。

 木の上にいたというところが,古事記ライターの工夫だ。

 第10段本文にも,振り返るという動作は出てくる。しかし,水を汲む動作に続く,振り返るという動作が,いかにも平面的で,劇的な印象を作れずに終わっている。

 やはりここは,井戸の底の水面に映った影に驚き,上を見上げて山幸彦を発見するのでなければ,面白くない。


古事記は第10段本文と一書の総合版

 その他,第10段第1の一書から第10段第4の一書までには,

@ 従者が水を汲む,
A 水面に影が映る,
B 振り返って仰ぎ見る,
C 山幸彦が木の上にいる,

 という要素が,原初的な形で,あるいは洗練された形で散らばっている。

 そして,これらの要素すべてをそろえ,しかも玉を付け加えて赤い糸を連想させたのは,古事記だけだ。


古事記の叙述には無駄がない

 古事記の叙述には,無駄がない。たんたんたんと,必要最小限の文章を連ねていく。

 たとえば,映像的なことではもっとも古事記に近い第4の一書は,「人影の水底に在るを見て,酌み取ること得ず。因りて仰ぎて天孫を見つ」としている。

 しかし,「酌み取ること得ず」は無用というばかりか,劇的効果を,著しく減殺している。

 古事記は,「水を酌まむとする時に,井に光ありき。仰ぎ見れば,麗しき壯夫有りき」となっている。
 美しい貴公子山幸彦は,光り輝いていたんでしょうね。

 じっくりと読み比べてみてほしい。

 物語のプロット,構成要素,無駄を省いた文体。そのどれをとっても,完成されているのが古事記だ。
 逆に,日本書紀第10段の本文や異伝には,ごつごつした読み応えの,原初的な伝承が残されている。


第10段第4の一書は間違いだらけ

 話はそれますが,映像的なことではもっとも古事記に近い第4の一書は,いい加減だ。

 その書き出しは,兄である火酢芹命が山の幸を得て,弟である火折尊が海の幸を得たという始まりだ。

 これは逆だ。

 弟の火折尊が本来は山幸を得ていたが,海に出て釣り針をなくしたというのが話の発端だったはずだ。
 そんな間違いを平気でやる,出来の悪い伝承なのだ。


待ったのは8日じゃなくて9日だろ

 また,たとえば,以下の叙述がある。

 シオツツノオヂは,釣り針をなくして憂いさまよっていたヒコホホデミ(火折尊)に,八尋鰐を紹介する。
 八尋鰐は,海神の乗る駿馬である。
 八尋鰐は,8日で海神の宮に連れて行ってくれる。
 しかし八尋鰐は,「我が王の駿馬は一尋鰐魚(ひとひろわに)」であり,1日で海神の宮に行けると言う。

 そこで,「今我帰りて」海神の宮にいる一尋鰐を呼んでくることになり,ヒコホホデミは海浜で待つ。8日待っていると,一尋鰐がやってきた。こうしてヒコホホデミは一尋鰐に乗って海神の宮へ行った。

 これを一読して,お話の破綻がわかっただろうか。

 八尋鰐は一尋鰐を呼ぶために片道8日で海神の宮に行く。その話を受けて,一尋鰐が直ちに出発すれば,1日でヒコホホデミが待つ海浜に到着する。
 合計9日だ。

 8日待ったというのは誤りだ。


片道8日の八尋鰐に乗っていった方が早いよ

 そんなことよりも,八尋鰐がわざわざ片道8日かけて一尋鰐を呼んでくるのを待っているより,そのまま乗っていった方が早いはずだ。

 8日で海神の宮へ行けます。

 こうした矛盾は,一見微笑ましい。
 しかし,昔から本当に人口に膾炙した伝承であれば,こうした誤りは必ずどこかで訂正されはずだ。

 子供に語っている老人が,「9日じゃないの」,「そのまま八尋鰐に乗っていった方が早いんじゃないの」,と反論されて笑われるようなものは,伝承ではない。

 そうした嘲笑をかいくぐって鍛えられたものが,立派な伝承というものだろう。


トヨタマヒメが自分で山幸彦を見に行き男女の出会いを成就させる

 さて,古事記だ。

 従者の報告を受けて「奇し(あやし)」と思ったトヨタマヒメは,ここで初めて外に出る。

 山幸彦と出会ったトヨタマヒメは,「すなはち見惑(め)でて,目合(まぐわい)して」,父たる海神に,「吾が門に麗しき人あり」と報告する。

 前述したとおり,従者の報告を聞いて確かめに行くのは,トヨタマヒメ自身だ。そして「見惑でて,目合して」,男女の出会いが成就する。

 あくまでも男と女の出会いを描いているのだから,自分で見に行く。父たる海神は関与しない。

 古事記ライターは,絶好調だ。


古事記ライターはヒロインが誰であるかわかっていた

 前述した第10段第1の一書の異伝は,従者から報告を受けた海神が,人を使わして誰なのか聞かせたとしている。王者は自分で見に行かない。雅な姫も自分で見に行かない。

 それはそれで伝統的な王者の態度なのだが,これでは,男女の出会いが台無しだ。

 第10段第4の一書は,山幸彦が木の上におり,立体的な描写という意味で一番古事記に近い異伝だった。

 しかしここでは,従者が山幸彦の登場を報告する相手は,海神になっている。そして,直ちに山幸彦の歓待の場面に移ってしまうのだ。

 トヨタメヒメは,ヒロインになりきっていない。

 やはりこの点でも,古事記の方がはるかに洗練されている。
 古事記ライターは,トヨタマヒメを,一貫してヒロインとして扱っているのだ。


ソラツヒコは海神にも有名な高貴な方

 麗しい人がいるというトヨタマヒメの報告を聞いた海神は,自分で山幸彦を確認し,「この人は,天津日高の御子,虚空津日高ぞ」と叫ぶ。

 海神が天つ神の子をソラツヒコ(虚空津日高)だと断定している点に注意したい。

 一方,神武天皇自身が「天神の子亦多(さわ)にあり」と言うのだから(神武天皇即位前紀戊午12月),山幸彦に限らず,天つ神の子は「虚空津日高」と呼ばれていたのだ。

 確かに,海辺で山幸彦に出会ったシオツツノオヂは,「何(いか)にぞ虚空津日高の泣き患ひたまふ所由(ゆえ)は」と述べていた。

 してみると,うら若いトヨタマヒメはまだ知らなかったが,シオツツノオヂや海神のような大人の神は,天つ神の子をソラツヒコと呼んで,尊敬していたようだ。


ソラツヒコの身元を問わないで娘と結婚させてしまうのが正しい

 門にソラツヒコがいることに驚いた海神は,早速,山幸彦を「御饗(みあえ)」して,トヨタマヒメと結婚させてしまう。天つ神の御子,ソラツヒコがなぜここにいるのか,それは確認しようとしない。

 「玉の輿」の「玉」であることだけは確かだ。

 海神は,平伏すべき高貴なお方と知っているからこそ,何も考えずに娘を結婚させるのだ。

 あなたがなぜここにいのか,なんて質問は,失礼なのだ。

 だからこそ古事記ライターは,山幸彦と海神が挨拶したとか,ご機嫌いかがとか,「客は是誰そ。何の以(ゆえ)にか此に至(い)でませる」(第10段第1の一書の異伝)とかいった,余計な描写は一切しない。

 直前に「すなはち見惑(め)でて,目合(まぐわい)して」,父たる海神に「吾が門に麗しき人あり」と報告しているのだから,あとは遘合(まぐわい)に至る儀式をするだけである。

 一直線にそこに行くだけである。

 古事記の描写には,まったく無駄がない。古事記ライターは絶好調だ。

 ま,賢明な読者はすでに理解していると思いますが,天つ神は文句なくエラいという,後代の新しい伝承だから,こうなっているのです。


ソラツヒコの接待は豪華絢爛きらびやか

 さて,ソラツヒコをもてなす「御饗(みあえ)」とは,天皇やその御子をもてなす饗宴のことをいう。

 いわゆる接待です。お金がかかります。

 古事記が叙述する接待は,「海驢(みち,アシカのこと)の皮の疊を八重に敷き,亦キヌ疊八重をその上に敷き,その上に坐せて,百取(ももとり)の机代の物(つくえしろのもの)を具(そな)え」でした。

 豪華絢爛。

 海驢の皮の畳は,アシカの皮の敷物だ。
 キヌ畳は,絹の絨毯だ。
 百取の机代の物は,100もあるくらいたくさんの食台に乗せられたご馳走だ。

 言ってみれば,虎や熊の敷物を八重に重ね,その上にペルシャ絨毯あたりの高級絨毯を八重に重ね,その上に山幸彦を座らせて,次々に出てくる満貫全席の大御馳走をさしあげた,みたいな。

 「玉の輿」の「玉」,山幸彦をなんとかつなぎ止めて娘と結婚させようという,海神の強ーーい意思が伝わってくる。

 しつこいようですが,ま,賢明な読者はすでに理解していると思いますが,天つ神は文句なくエラいという,後代の新しい伝承だから,こうなっているのです。


接待品を比較する

 ここで,日本書紀第10段本文と一書等の異伝をまとめてみよう。

          アシカの皮の敷物 絹の絨毯 百取の机代の物

古事記      ○      ○      ○

本 文      ?(八重の畳)?      ×

第1の一書    ×      ×      ×

第2の一書    ?(八重の畳)?      ?

第3の一書    ○      ×      ○

第4の一書    ?(真床追衾)?      ×

 要するに古事記は,全部さしあげている。八重の畳を発展させて,アシカの皮の敷物や絹の絨毯にして,百取の机代の物をも付け加えた,

 本文や異伝の集成版なのだ。


百取の机代の物

 さてここで,「百取の机代の物」を考えてみよう。

 これは,天孫降臨後,アタツヒメ,すなわちコノハナノサクヤヒメとの結婚話にも出てくる。

 オオヤマツミは,コノハナノサクヤヒメとの結婚に喜び,その姉イワナガヒメをそえて,「百取の机代の物」とともに奉った。

 要するに,姫を献上するときの常套語なのだ。

 古事記は,幾人かのライターが分担して叙述しているのではない。ただ1人のライターが書いている。それは,この「百取の机代の物」という言葉の使い方以外にも散見される。


山幸彦は3年間海神の宮に住む

 トヨタマヒメと結婚した山幸彦は,海神の宮に3年住む。

 山幸彦は,海神の宮にわざわざやって来た理由を話さない。

 海神も,山幸彦は無条件の「玉」だから,ここに来た理由を問わない。
 ただただ,天つ神の御子が娘のトヨタマヒメと結婚して,幸せに暮らしてくれればよいのだろう。

 「百取の机代の物」といい,敷物といい,下にも置かない丁重な扱いだ。
 そして2人は,3年間幸せに暮らした。

 3年後に山幸彦は,「大きなる一歎(なげき)」をする。

 そこで初めて,「その父の大神,その聟(むこ)に」問う。
 どうしたのか。「此間(ここ)に到(き)ませる由は奈何に(いかに)」。

 山幸彦は,初めて,海神の宮に来た理由を述べる。

 海神は,魚を集めて問う。すると魚たちは,「赤海・魚(たい)」が,喉にとげが刺さってものが食べられないと嘆いていると言う。
 そこでその喉を探ると,釣り針が出てきた。


なぜ海神の宮に来た理由を3年間話さなかったのか

 ここらへんから,海神が「大神」になってしまう。

 こうした古事記ライターの適当さを笑うのは,もう止めましょう。
 天つ神の御子を「聟」と呼んでいる無礼さも,見ないことにしよう。

 叙述に夢中になっている,絶好調の古事記ライターの,「礼(いや)」なき振る舞いには,目をつむりましょう。

 さて,山幸彦は,釣り針を探しに海神の宮に来たことを,なぜ3年間話さなかったのだろうか。

 山幸彦自身が強引に頼み込んで,やっと手にした釣り針。それをなくしてしまったからこそ,海幸彦から強硬に責め立てられた。落ち込んで海辺をさすらった。

 釣り針は何としてでも探さなければならないはずだ。

 「その海~の女,見て相議(あいはか)らむぞ」というシオツツノオヂの言葉を信じて海神の宮に来た。その予言どおりトヨタマヒメと出会えた。

 であれば,釣り針の話をして,さっさと帰ればいい。
 それが,海神の宮まで来た目的だったはずだ。


古事記はドラマティック

 しかし,それが言えなくなってしまった。

 トヨタマヒメと出会った瞬間,今までのことはすべて忘れて,「すなはち見惑(め)でて,目合(まぐわい)して」という関係に陥ったのだ。

 釣り針の話をすれば帰らなければならない。いや,その瞬間,釣り針のことなど頭からとんでしまったのだろう。

 古事記ライターは巧みだ。2人の関係を,「すなはち見惑でて,目合して」に凝縮している。結構よくできたお話だと思う。


日本書紀第10段本文は鈍くさい

 こうした古事記を読むと,日本書紀第10段本文が,鈍くさくなる。

 第10段本文によれば,歓待された山幸彦は,問われるままに,海神の宮に来た理由を述べる。

 海神は,釣り針を探そうと,魚を集めて問う。すると魚たちは,「唯赤女(あかめ)…赤女は鯛魚(たい)の名なり…比(このごろ)口の疾(やまい)有りて来ず」と言うので,召して口を探ると,果たせるかな,失った釣り針が刺さっていた。

 山幸彦は,こうして釣り針を手に入れた。

 と,こうなっている。
 釣り針を手にしたのであれば,すぐに帰ればいい。誰でもそう思う。

 ところが第10段本文は,段落を変えていきなり,「已にしてヒコホホデミ,因りて海神の女トヨタメヒメを娶きたまふ」と語り始めてしまう。
 そしてそれから,古事記が述べる3年後の嘆息を語るのだ。

 帰ればいいのにと思った時に,帰らなかったわけだ。トヨタマヒメが好きだったんだ。

 だから,3年目の嘆息は,倦怠期なんですかね。


第10段本文の鈍くささ

 古事記との決定的な違いは,海神の宮に来た理由を述べて鯛の口に刺さっていた釣り針を探し出す場面が,トヨタメヒメとの結婚の前に語られるという点だ。

 古事記は,前述したとおり,結婚3年後の嘆息に続いて描かれる。

 第10段本文は,読者に,目的の釣り針を手に入れたのに,なぜ帰らないのかと,考えさせてしまう。
 確かに,恋愛ゆえに帰らなかったことはわかるが,恋愛の激しさ,劇的効果という点で極めて平板なので,帰らなくなった理由自体が,もはやぼやけている。

 めでたく釣り針を手に入れたけれども,「一の美人」トヨタメヒメに目がくらんだのかな,という感想を惹起させるだけで終わる。

 そして,3年目の嘆息の意味が,宙に浮いてしまう。

 これに対し古事記ライターは,日本書紀第10段本文のプロットを入れ替えることにより,劇的な効果を獲得している。

 古事記がいかに巧みか。実際に読み比べてみるとよくわかる。


第10段第1の一書も山幸彦がなぜ3年間海神の宮に留まったのか不明

 日本書紀の一書はどうなっているだろうか。

 第10段第1の一書は,ヒコホホデミが海神の宮に着いたとき,海神の従者が「何の以(ゆえ)にか此に至(い)でませる」と問うたとしている。
 しかし,それに応じて山幸彦が説明したとは書いていない。

 要するに,海神の宮に来た目的は,曖昧なまま終わる。

 3年後の歎きの場面になって海神が釣り針を探し始めるが,してみると,それまでは,ヒコホホデミが来た目的を知らなかったようだ。

 知っていたら,3年経って初めて探し始めるというのもおかしい。

 私が言いたいのは,要するに,プロット自体が曖昧で,物語として完成されていないということだ。


第10段第2から第4の一書

 第10段第2の一書は,3年留まるどころか,すぐに帰ったようだ。

 山幸彦は,海神の宮に来た理由を述べる。すぐに釣り針探しが始まり,めでたく探し当てる。

 トヨタメヒメと結婚したかは,定かでない。
 トヨタメヒメとの恋愛よりも,潮涸瓊の叙述に焦点を当てたかったようだ。

 第3の一書もまた,海神の宮到着と共に,やって来た理由を述べる。しかし釣り針探しは始まらず,3年経って帰ろうとする時に,ようやく始まる。

 第4の一書は,「云云(しかしかいう)」という省略がはげしいので,筋がわからない。

 日本書紀の一書は,いずれも,釣り針を探しに来た山幸彦がなぜ3年間海神の宮に留まったのかという点が,曖昧なままだ。

 トヨタメヒメに惹かれたようだが,それは読者の想像。

 そこがしっかりと描かれていないから,3年後に初めて釣り針探しが始まる理由がわからないのだ。


共食の思想があるのではないか

 ヒコホホデミは,なぜ3年間も海神の宮にとどまったのか。とにかく日本書紀では,これがわからないのだ。

 だからこそ私は,ここにもヨモツヘグイがあると考えた。共食の思想があると考えた。

 古事記を読まず,日本書紀の本文や一書だけを読んでいると,そう論じたくなるのだ。
 釣り針がどうなったかにかかわらず,帰れなくなった理由があるのではないか。

 海神の宮に来て,「共食」してしまったから,帰れなくなっていたのではないか。
 釣り針を探しに来たことを海神に伝えたが,海神の出したご馳走を食べてしまったからこそ,異界である海神の宮の住人になってしまい,帰れなくなったのではないか。

 しかし,トヨタメヒメとの生活は幸福だった。帰れないし帰りたくなかったのが真相だ,と考えたのだ。


「すなはち見惑でて,目合し」で一気に解決したのが古事記だ

 それはそれとして,とにかく,日本書紀は,本文も一書も,釣り針を探しに来た山幸彦がなぜ3年間海神の宮に留まったのかという点が曖昧で,物語として鈍くさい。

 また,プロットがはっきりせず,物語としてわかりにくい。
 ま,それだけ,古来の伝承のまま保存されているという触感はあるのだが。

 これらと古事記を読み比べてみてほしい。

 古事記ライターは,こう解決した。

 地上に帰ることも忘れて3年間同棲した理由は,「すなはち見惑(め)でて,目合(まぐわい)し」たからこそだ。

 それを,無駄を極限まで削ぎ落とした,簡潔な文章で語っている。

 「故(かれ),三年(みとせ)に至るまでその國に住みたまひき」。

 その,「故」という接続は,強烈だ。有無を言わせません。

 逆に,ごつごつした日本書紀の方が,伝承としての古さを感じさせる。古事記の洗練を見ていると,これを下敷きにしてリライトしたと考えざるを得ない。


「赤女」はいったいどんな魚なのか

 さてここで,鯛に注目しよう。

 日本書紀第10段本文も古事記も,鯛の口,ないし喉に,捜していた釣り針が刺さっていたのだった。

 その当事者は,鯛だったのか。

 前述したとおり第10段本文は,「唯赤女(あかめ)…赤女は鯛魚(たい)の名なり…」としている。

 地の文は,「赤女」というだけだ。この赤い魚が鯛なのか伊勢海老なのかは,わからない。

 第1の一書には,「赤女……或いは云はく,赤鯛といふ」,という異伝がある。これは,赤女ではなく,あるいは赤鯛だという異伝だから,赤女か赤鯛なのか,異論があったのだ。

 第3の一書は,はっきりと「鯛女(たい)」だとしている。

 第4の一書では「赤女」と「口女」が登場し,「赤女は即ち赤鯛なり。口女は即ち鯔魚(なよし,ボラのこと)なり」としている。


悩んだ日本書紀編纂者と悩まなかった古事記ライター

 いずれにせよ,古来あった文献では,「赤女」が何であるか,混乱があったのだ。

 そこで日本書紀編纂者は,異伝である一書を総合して,「赤女は鯛魚(たい)の名なり」という結論に至った。ただ,この部分は小さい字で挿入されているから,後代の注釈かもしれない。

 これに対し古事記は,何の疑問ももたずに,「赤海○魚(たい)」だとしている。
 古事記ライターは,躊躇することなく,釣り針が刺さっていたのは鯛だったとしているのだ。

 何も悩まずに書けたのだ。


口に刺さっていたのか喉に刺さっていたのか

 また,口に刺さっていたのか,喉に刺さっていたのかという問題もある。

 古事記は,釣り針が鯛の「喉に」刺さっていたとする。

 しかし日本書紀に,このような伝承はない。本文も一書もすべて,「口」だ。口に刺さって「口の疾(やまい)」にかかっていたとしている。

 確かに,釣り針が引っかかるのは魚の口だ。喉までかかることはあまりない。しかし古事記は,「頃者(このごろ),赤海・魚(たい),喉にノギありて,物得食はずと愁(うれ)ひ言へり。故,必ずこれ取りつらむ」としている。

 喉にとげが刺さってものが食べられないと嘆いている鯛がいる。釣り針が引っかかっているのではないか。
 早速,鯛を召して「喉を探れば,鉤ありき。すなわち取り出でて,洗ひ清(す)まして,火遠理命に奉りし」となる。

 このお伽噺的展開。創作的な展開。

 口に刺さっているのでは,痛々しいだけで,面白くもなんともない。
 喉に刺さっているからこそ,魚の骨を喉にひっかける読者の共感を呼び,ああ,そうだったのかということになる。

 古事記の方が,よっぽど気が利いていると思う。


海神の呪いの内容

 さて,海神は,釣り針に呪いをかけて,山幸彦に渡す。

@ 「この鉤は,おぼ鉤(ち),すす鉤,貧鉤(まぢち),うる鉤」と言って,後ろ手に与えよ。

A 海幸彦が「高田(あげた)」を作れば,あなたは下田(くぼた)を作り,海幸彦が下田を作れば,あなたは高田を作れ。
 私は水を掌っているから,海幸彦は3年で貧しくなるだろう。

B もし海幸彦が恨んで攻めて来たら,「鹽盈珠(しおみつたま)」を出して溺れさせなさい。もし助けを求めてきたら,「鹽乾珠(しおふるたま)」を出して生かしなさい。

 顕し世界(うつしせかい。現世のこと。)に戻った山幸彦は,そのとおりにする。
 果たせるかな海幸彦は,「稍愈(やや)に貧しくなりて」,攻めてきた。そこで鹽盈珠で溺れさせ,助けを求めたときは鹽乾珠で生かした。

 こうして海幸彦は,山幸彦に従った。


いきなり綿津見大神に昇格する

 私の論文の流れを切りたくないのだが,一応,指摘しておこう。

 日向神話におけるワタツミは,その立派な宮殿が出てくるところでは「綿津見神」。
 あとは「海神」で通すが,ヒコホホデミの大きな歎きを聞いたところでは,「大神」。
 そして,上記した呪いをかける場面では,「綿津見大神」。
 その後は,「海神」に戻る。

 あらゆるところで指摘したが,これが,古事記ライターの癖である。

 こうなると,よく考えてみなければならない。

 古事記は口承伝承であるという学者さんがいる。

 単なる口承伝承であれば,「ワタツミ」の表記を,こうまで書き替える必要はあるまい。
 発音としては,「ワタツミ」で足りるからである。

 だから古事記には,口承伝承を文字化した際の形跡が残っているのだ。
 しかもそれは,天才古事記ライターではなく,場面によって表記をせこいほど変えるライターであった。


貧しくなることだけが問題なのだから「貧鉤(まぢち)」だけで足りるのではないか

 さて,@の呪いの言葉は,

 この釣り針はぼんやりする針,
 猛り狂う針,
 貧しくなる針,
 愚かで役立たずの針,という意味だ。

 4つの呪いがある。それぞれ意味が違う。

 しかし結局のところ,海幸彦が「稍愈(やや)に貧しくなりて」という事実だけが問題だ。

 であれば,「貧鉤(まぢち)」という呪文だけが必要であり,他は不要ではないだろうか。私はそう考える。


日本書紀の方が筋が通っている

 で,日本書紀第10段を点検してみる。すると,やはりそのとおりなのだ。

 本文は,「貧鉤」と言えというだけだ。

 第1の一書は,「貧窮の本,飢饉の始,困苦の根」。要するに,貧しくなって飢えて苦しめ,という呪いだ。

 第2の一書は,「貧鉤,滅鉤(ほろびち),落薄鉤(おとろえち)」。これも,貧しくなって滅び衰えよ,という呪いだ。

 これに対し第3の一書は違う。「大鉤(おおぢ),ススノミヂ(すすのみぢ)、貧鉤(まぢち)、ウルケヂ(うるけぢ)」。これは,用語は違うが,古事記と同じ呪文だ。

 しかし第4の一書は,「汝が生子(うみのこ)の八十連属(やそつづき)の裔(のち)に,貧鉤,狭狭貧鉤」。お前の子々孫々,未来永劫までも,貧しく貧しくなれという呪いだ。

 日本書紀の伝承のほとんどは,貧しくなれという1点だけを問題にしている。

 ぼんやり,猛り狂う,愚かで役立たず,という要素を加え,しかも古事記と一致しているのは,第3の一書だけだ。

 古事記は,なぜ不要な呪文を載せる第3の一書を採ったのだろうか。考えられるのは,日本書紀の一書の中では,一番詳しかったからという理由だ。


古事記は日本書紀第10段第3の一書と同じだ

 じつは第10段第3の一書は,鯛から釣り針が出てきてからの話の筋が,古事記とまったく同一である。

 古事記は,以下のプロットをたどる。

@ 3年後の歎きの場面と海神の宮に来た理由の開陳。
A 鯛から釣り針が出る。
B 海神が呪文を授ける。
C 高田と下田の話。
D 鹽盈珠と鹽乾珠を授ける。
E 一尋鰐(ひとひろわに)が山幸彦を送る。
F 海幸彦の服従の話。

 これに対し,第10段第3の一書は,以下のとおりだ。

@ 3年後の歎きの場面はなく,いきなり「帰りたまはむとするに及至(いた)りて」と始まる。
A 鯛から釣り針が出る。
B 海神が呪文を授ける。
C 「一尋鰐(ひとひろわに)」が山幸彦を送る。
D 鹽盈珠と鹽乾珠を授ける。
E 「高田」と「下田(日本書紀ではクボ田)」の話。
F 海幸彦の服従の話。

 話の順序が若干前後しているだけだ。

 鰐を集めて,その中から1日で山幸彦を送り届ける「一尋鰐」が出てくるのは,第10段第3の一書だけだ。「高田」と「下田(日本書紀ではクボ田)」の話が出てくるのも,第10段第3の一書だけだ。

 このように,第10段第3の一書には,古事記に出てくる特徴的なお話が揃っている。


話の展開としては古事記の方が整っている

 どちらが先かという,拙速な発想は止めましょう。お話の展開としてはどちらが整っているかという点を考えてみよう。

 もちろん,古事記の方が整っている。

 第3の一書は,3年経ってなぜいきなり山幸彦が帰ることになったのかが,さっぱりわからない。

 これに対し古事記は,3年後の歎きがあって,そこで初めて海神の宮に来た理由がわかって,鯛から釣り針が出てと,話がスムーズに流れていく。

 古事記では,海神が山幸彦に授ける事柄が,B 海神が呪文を授ける,C 高田と下田の話,D 鹽盈珠と鹽乾珠を授ける,と1か所にまとめられており,その後,E 一尋鰐(ひとひろわに)が山幸彦を送る,F 海幸彦の服従の話,という具合に,スムーズに流れている。

 しかし,第10段第3の一書では,C 「一尋鰐(ひとひろわに)」が山幸彦を送る話が,B 海神が呪文を授ける,の後に割り込んでおり,話が停滞している。

 時間的順序が逆なのだ。

 このように,まったく同じ材料を使いながら,古事記の方が,はるかにまとまっており,お話としての流れがよい。

 私には,古事記ライターが第10段第3の一書をリファインしたとしか思えない。


叙述も古事記の方が物語的だ

 それは,叙述上,古事記の方が物語的であることからもわかる。
 たとえば一尋鰐の場面は,まったく同じようでいて,そうでもない。

 古事記は,1日で送り奉るという一尋鰐に対して,「然らば、汝送り奉れ。もし海中(わたなか)を渡る時,な惶畏(かしこ)ませまつりそ」と告げて,「すなわちその鮫の頸に載せて,送り出しき」となっている。

 すなわち,海の中を行くときに恐ろしい思いをさせないようにしなさいとの忠告が入っているのだ。しかも,鰐の首に乗せて,ともある。

 これは,リライトしているうちに,興が乗って付け加わったお話だろう。

 さらに古事記は,「佐比持神(さひもちのかみ)」の由縁話を付け加えている。

 山幸彦は,海神の宮に帰る一尋鰐の頸に「佩かせる紐小刀(ひもかたな)」を付けて帰した。だからその一尋鰐は,現在,「佐比持神」だというのだ。

 この「佐比(さひ)」は,日本書紀第8段第3の一書スサノヲが八岐大蛇を切った「韓鋤(からさひ)の剣」の「さひ」だ。
 また,神武天皇の兄稲飯命(いないのみこと)は,暴風雨に会い,人柱となって入水して,「鋤持神(さひもちのかみ)」となった(神武天皇即位前紀戊午6月)。

 鮫の歯は,ナイフのように鋭い。それ自体をナイフとして使えるくらいだ。鮫が佐比持神と呼ばれたことは,よくわかる。


山幸彦が潮満瓊と潮涸瓊を使って海幸彦を従える

 さて,鹽盈珠と鹽乾珠(潮満瓊と潮涸瓊)について,ひとこと言っておこう。

 要するに,海幸彦から借りた釣り針を返せばすむはずだ。それが手に入ったのだから,ことさらこうした物をもらって,海幸彦を責めさいなむ必要はない。

 古事記によれば,しつこく3度も幸替えを要求したのは山幸彦だ。今さら海幸彦を責め苛むなんて,逆恨みじゃないか。逆切れと言ってもよい。

 こんなところで,古事記はほころびを見せる。

 とにかく,なぜ,鹽盈珠と鹽乾珠のお話がくっついているのだろうか。

 海幸彦(火照命)は,「隼人吾多君の祖」だ。日本書紀第10段本文によれば,「吾田君小橋等が本祖」だ。

 この由来を語るために,鹽盈珠と鹽乾珠があるのだろう。


朝鮮からの渡来人山幸彦が海を支配し海人をも支配する

 山幸彦は,朝鮮からやってきたタカミムスヒの象徴である。
 海辺に山幸彦はいない。しかし,海と山の混交が,天皇の血を作り上げる。神武天皇につながっていく。

 潮の満ち引きは永遠不変のものであって,人力でどうなるものでもない。海人は,その自然の法則に従って生活している。

 それを支配できるということは,海人の生活や社会を支配したことを意味するのだ。

 一方で山幸彦は,海神の娘トヨタマヒメと結婚し,海神の「婿」として,海の世界を支配する。

 こうして山幸彦は,海の世界も海人をも,支配することになる。


鵜葺草葺不合命の出生譚もスムーズにつながっていく

 さて,次にくるのは,ウガヤフキアエズ(鵜葺草葺不合命=うがやふきあえずのみこと)の出生譚だ。

 トヨタマヒメは,天つ神の御子は海原で生むべきではないといって,わざわざ山幸彦の世界に「自ら參出」る。

 そこで,鵜の羽を茅葺きにして産室を造る。葺き終えないうちに誕生したのが,ウガヤフキアエズだ。

 ここも,古事記の方が,物語がスムーズだ。

 山幸彦は顕し国に帰り,海幸彦を従えて,「晝夜(ひるよる)の守護人(まもりびと)」としている。
 こうして山幸彦は,海をも支配し,天つ神の御子として,晴れて正当な継承者となった。

 こうなったら次は,お世継ぎの誕生だ。トヨタマヒメは,早速,海神の宮から参上して,じつは妊娠しているのよ,と伝える。

 絵に描いたようなドラマだ。


第10段本文は流れが悪い

 これに対し日本書紀第10段本文でのトヨタメヒメは,山幸彦が海神の宮を発つ時に,妊娠を告げる。じつは妊娠しており,程なく生まれてくるから,産室を造って待っていてくれと述べる。

 しかしこの時点では,山幸彦は海幸彦を従えていないし,果たして山幸彦が天つ神の後継者になるのかさえ決まっていない。

 男として,その状況で妊娠したわよ,と伝えられるのは,結構厳しいものがある。第10段本文は,そうした現実を考えさせてしまう。

 お話としては,古事記のように,海幸彦を従えて晴れて後継者となった後に,妊婦トヨタマヒメが出現するのが正しい。

 第10段第3の一書は,海幸彦を平らげた後に,「是より先に,トヨタメヒメ,天孫に謂して臼さく」として,じつは海神の宮を離れるときに妊娠を告げていたのだとしている。

 しかしこれでは,時間的順序が逆になって,話が流れない。

 であれば,海幸彦を平らげた後,トヨタマヒメがやって来て妊娠を告げるという方が,はるかにスムーズなわけだ。

 古事記ライターは,そつなく仕事をやり遂げている。


ヨモツヘグイとトヨタマヒメの出産シーンはヘタ

 トヨタマヒメの出産もまた,ヨモツヘグイないし共食の思想をはらんでいることは,前述した。

 古事記の場合は,叙述に意を用いるあまり,その劇的な効果を減殺してしまっている。
 古事記ライターは,出産を見てはいけない理由を,呆気ないほど素直に説明してしまう。

 「凡て(すべて)他国(あだしくに)の人は,産む時に臨(な)れば,本つ国(もとつくに)の形をもちて産むなり。故,妾(あれ)今,本の身をもちて産まむとす。願はくは,妾(あ)をな見たまひそ」。


劇的効果を殺してしまった古事記

 そんなこと言われれば,見たくなるのが人情だ。

 何の理由も示されず,「絶対に見ないで。」と言われるからこそ,「その言を奇し(あやし)と思ほして」となるのではないだろうか。
 ここまで説明されてしまったら,むしろ,「わかった。見ないよ。」と答えるのではないだろうか。

 それはともかく,山幸彦が「その言を奇し(あやし)と思ほして」という一句が,この,過剰な説明で死んでしまうことは確かだ。

 こうしたところが,古事記ライターの未熟さだ。


稚拙な古事記とリライト

 シオツツノオヂのセリフもそうだったが,物語の展開や説明を,登場人物のセリフに入れ込んでしまうのは,物語として,最も稚拙な手法である。

 こうした手法は,リライトを感じさせる。
 語り人の稚拙さを感じさせてしまう。

 日本書紀では,ウガヤフキアエズの出産に言及しない第10段第2の一書以外,すべて単純に,見るなというだけだ。第10段第4の一書は「云云(しかしかいう)」となっているが,これも同様だろう。

 要するに,日本書紀以上に饒舌で説明的なのが,古事記なのだ。

 ただ,その後の叙述はしっかりしている。

 トヨタマヒメは,「八尋鰐(やひろわに)に化(な)りて,匍匐ひ(はい)委蛇ひき(もこよひき)」となっている。

 すさまじい光景だ。

 山幸彦は,驚いて逃走する。トヨタマヒメは,それを恥と受けとる。そして,生んだ御子を置いて,海と顕し国との境を閉じて,海神の宮へ帰ってしまった。


タマヨリヒメの役割がはっきりしない

 古事記のいわゆる日向神話の最後にくるのが,トヨタマヒメの妹,タマヨリヒメ(玉依毘賣)に託した歌だ。

 トヨタマヒメは,山幸彦を恨んではみたものの,その恋しさに耐えられず,「その御子を治養(ひだ)しまつる縁(よし)によりて,その弟,玉依毘賣に附けて,歌を献りたまひき」。
 そうして,2人がやりとりした歌が紹介される。

 問題は,歌そのものではない。タマヨリヒメの役割がはっきりしない点だ。

 タマヨリヒメは,「その御子を治養(ひだ)しまつる縁(よし)によりて」という叙述によって,わずかに登場するだけである。

 本当にこれだけ。

 古事記だけ読んでいると,何のこっちゃ,となる。


古事記は古来の伝承を知っていることを前提に書かれた本

 古事記ライターは,タマヨリヒメを叙述する意思が全くない。

 とにかく,2人がやりとりした歌の紹介に主眼があり,タマヨリヒメについては,その叙述のために必要最小限度で触れざるを得なかった,という書き振りだ。

 そして,タマヨリヒメがウガヤフキアエズを養育していることが前提になっている。

 そんなこと,古事記だけ読んでる読者には,わからないよ。

 養育していたので,そのついでに歌を託したという感覚だ。
 いかなる経緯でタマヨリヒメが御子を養育し始めたのかは,まったくわからない。

 と言うよりも,タマヨリヒメが御子を養育していたのは,古事記ライターと読者との共通の認識だったということだ。

 古事記の,この書き振りをにらんでいると,タマヨリヒメに関する物語が,とことん省略されていることがわかる。
 そうでなければ「その御子を治養しまつる縁によりて」とは書けません。

 タマヨリヒメが御子を養育していたという伝承を知っていることが,古事記ライターと読者との間の,暗黙の前提なのだ。


古事記はやはりリライト版だ

 日本書紀第10段本文でのタマヨリヒメは,トヨタメヒメが出産するのに,一緒について来る。

 第10段第1の一書は,一緒に来たのかどうかわからないが,「タマヨリヒメを留めて,児を持養(ひだ)さしむ」というのだから,一緒に来たのだろう。
 トヨタメヒメは帰ってしまったが,タマヨリヒメが残って養育したのだ。

 第10段第2の一書は,そもそも,トヨタメヒメの出産について触れていない。

 第10段第3の一書は,「タマヨリヒメを将(ひき)いて,海を光して来到(きた)る」。そして,御子がたいそう端麗であると聞いて自ら養育したかったが,道理が通らず,タマヨリヒメを派遣して養育したといいる。
 その時に,トヨタメヒメがタマヨリヒメに歌を託したとしている。

 第10段第4の一書は,海神の宮に連れ帰った御子を,海中に置くべからずといって,タマヨリヒメに託して顕し国に送り返したとしている。

 このようにみてくると,古事記ライターは,第10段第1の一書や第10段第3の一書を知っていたというべきだ。

 そして,その知識を当然の前提として,「その御子を治養しまつる縁によりて」,と書いたのだ。


歌物語が整理されている

 トヨタメヒメは,恋しさに耐えきれずに,「その御子を治養しまつる縁によりて」,タマヨリヒメに歌を託し,山幸彦に奉った。これに対し山幸彦は歌を返す。
 それが,以下の2首だ。

@ 赤玉は 緒さへ光れど 白玉の 君が装し 貴くありけり

A 沖つ鳥 鴨著(ど)く島に 我が率寝(いね)し 妹は忘れじ 世のことごとに

 @は,赤玉はその緒まで光るが,白玉のようなあなたの姿はさらに貴い,という意味だ。Aは,鴨が寄りつくあの島で一緒に添い寝した妻のことは,永遠に忘れない,という意味だ。きちんと呼応している。

 じつはこの歌は,第10段第3の一書に登場している。

 順序は逆で,トヨタメヒメが帰ったときに山幸彦が詠んだ歌としてAが紹介され,その後養育のために派遣されたタマヨリヒメに託した歌として@が紹介されている。


歌の順序はどちらが正しいか

 どっちが古来の伝承か。

 第10段第3の一書は,この2首について言う。「凡(すべ)て此の贈答二首(ふたうた)を,號(なづ)けて擧歌(あげうた)と曰う」。

 この2首は,A → @の順序で,「擧歌」とされていたのだ。
 「擧歌」の意味は,学者さんもわかっていない。たんに,高い調子で歌う歌であろうという程度だ。

 とにかく日本書紀編纂者は,そのころ「擧歌」といういわれもわかっていなかった,この2首セットを,そのまま後世に残した。

 これが,古来の伝承である。

 古事記ライターの頭の中には,そのおぼろげな記憶があった。そしてこの2首は,順序が逆になっても,問題は起こらなかった。

 古事記ライターは,@ → Aの順で叙述してしまった。
 そのとき,それを「擧歌」という,知的レベルにおける知識は,そっくり抜け落ちた。

 「叙述」の現場としては,これが真実であろう。

 


トップページ( まえがき)

第1 私の立場と問題意識

第2 問題提起

第3 方法論の問題

第4 世界観と世界の生成

第5 神は死なない(神というもののあり方)

第6 原初神と生成神の誕生

第7 日本書紀における原初神と生成神の誕生

第8 修理固成の命令

第9 言葉に対して無神経な古事記(本当に古い文献か)

第10 古事記は伊勢神宮成立後の文献

第10の2 応神記の気比の大神について

第11 国生み叙述の根本的問題

第12 日本神話の読み方を考える(第1子は生み損ないか)

第13 生まれてきた国々を分析する

第14 国生みのあとの神生み

第15 火の神カグツチ「殺し」

第16 黄泉国巡り

第17 コトドワタシと黄泉国再説

第18 禊ぎによる神生みの問題点

第19 日本神話の故郷を探る

第20 大道芸人の紙芝居としての古事記

第21 アマテラスら3神の生成

第22 分治の命令

第23 日本神話の体系的理解(日本書紀を中心に)

第24 日本神話の構造と形成過程

第25 生まれたのは日の神であってアマテラスではない

第26 日の神の接ぎ木構造

第27 最高神?アマテラスの伝承が変容する

第28 泣くスサノヲとイザナキの肩書き

第29 日本神話学の見通しと方法論

第30 日本神話のコスモロジー

第31 誓約による神々の生成(日本書紀)

第32 誓約による神々の生成(古事記)

第33 天の岩屋戸神話と出雲神話が挿入された理由

第34 日本神話のバックグラウンド・縄文から弥生への物語
(日本書紀第5段第11の一書を中心に)


第35 海洋神アマテラスと産霊の神タカミムスヒ
(日本書紀を中心に)


第36 支配命令神は誰なのか(ねじれた接ぎ木構造)

第37 アマテラスとタカミムスヒの極めて危うい関係

第38 五穀と養蚕の文化に対する反逆とオオゲツヒメ

第39 スサノヲの乱暴

第40 「祭る神が祭られる神になった」という幻想

第41 天の石屋戸と祝詞

第42 スサノヲの追放とその論理(日本書紀を中心に)

第43 アマテラス神話は確立していない(日本書紀を中心に)

第44 出雲のスサノヲ

第45 異伝に残された縄文の神スサノヲ(日本書紀を中心に)

第46 スサノヲにおける縄文と弥生の交錯(大年神の系譜)

第47 別の顔をもつスサノヲ(日本書紀を中心に)

第48 オオクニヌシの試練物語のへんてこりん

第49 オオクニヌシの王朝物語

第50 日本書紀第8段第6の一書の構成意図と古事記の悪意

第51 スクナヒコナと神功皇后と応神天皇と朝鮮

第52 偉大なるオオナムチ神話(大八洲国を支配したオオナムチ)

第53 三輪山のオオナムチ(日本書紀第8段第6の一書から)

第54 古事記はどうなっているか

第55 偉大なるオオクニヌシ(オオナムチ)の正体(問題提起)

第56 偉大なるオオクニヌシの正体(崇神天皇5年以降)

第57 崇神天皇5年以降を読み解く

第58 国譲りという名の侵略を考える前提問題

第59 「皇祖」「皇孫」を奪い取る「皇祖神」タカミムスヒ
(国譲りという名の侵略の命令者)


第60 皇祖神タカミムスヒの根拠
(国譲りという名の侵略の命令者)


第61 古事記における命令神
(国譲りという名の侵略の命令者)


第62 第9段第1の一書という異伝中の異伝と古事記

第63 武神の派遣と失敗と「高木神」

第64 タケミカヅチの派遣(タケミカヅチはカグツチの子)

第65 フツヌシとタケミカヅチの異同

第66 コトシロヌシは託宣の神ではないしタケミナカタは漫画

第67 「オオクニヌシの国譲り」の叙述がない

第68 天孫降臨の叙述の構造

第69 サルタヒコの登場

第70 古事記独特の三種の神宝

第71 天孫はどこに降臨したのか

第72 「国まぎ」を切り捨てた古事記のへんてこりん
(天孫降臨のその他の問題点)


第73 国譲り伝承と天孫降臨伝承との間にある断層

第74 じつは侘しい天孫降臨と田舎の土豪神武天皇

第75 天孫土着の物語

第76 火明命とニギハヤヒ(第9段の異伝を検討する)

第77 日向神話の体系的理解

第78 騎馬民族はやって来たか

第79 三種の宝物再論

第80 日本神話の大きな構成(三輪山のオオナムチとの出会い)

第81 海幸彦・山幸彦の物語を検討する

第82 「居場所」のない古事記

第83 本居宣長について

第84 日本神話を論ずる際のルール

第85 神々の黄昏

あとがき

著作権の問題など

付録・初版の「結論とあとがき」


新論文
神功紀を読み解く
神功皇后のごり押しクーデター

日本書紀を読んで古事記神話を笑う 「初版」 はこちら



本サイトの著作権は天語人が保持します。無断転載は禁止します。
引用する場合は,表題と著者名と出典を明記してください。
日本神話の読 み方,すなわちひとつのアイデアとして論ずる場合も,表題と著者名と 出典を明記してください。
Copyright (C) 2005-2009 Amagataribito, All Rights Reserved.


by 天語人(あまがたりびと)


Contact Me

Visitor Since July 2005