日本書紀を読んで古事記神話を笑う

日本書紀を読んで古事記神話を笑う 改訂新版

2009年10月5日up
(物語読者として日本神話を解明する)


第37 アマテラスとタカミムスヒの極めて危うい関係


日の神(アマテラス)とタカミムスヒの出会い

 では,日の神(のちのアマテラス)とタカミムスヒは,どのような関係にあるのだろうか。

 その出会いについて,私は,何度も述べた。また,日本書紀顕宗天皇3年も,その出会いを語っていた。

 壱岐や対馬では,タカミムスヒが,地方神としての月の神や日の神の先祖として,いつき祭られていた。
 タカミムスヒは,すでに壱岐や対馬まで進出し,その地の月の神や日の神と混交していたのだ。

 タカミムスヒが日の神(のちのアマテラス)と出会った場所は,南九州の吾田である。

 日本書紀は,その混交を,山の神=山幸彦と,海の神=海幸彦との物語として語っている。山の神=山幸彦は,海に行き,海神の娘と交わる。すなわち,定住して混淆し,血の交わりを深める。

 その子孫が,神武天皇につながっていくのだ。

 詳しくは,第10段を検討する際に述べる。


アマテラスとタカミムスヒの極めて危うい関係

 この2神がいかように結びついているかは,日本書紀第9段の問題である。

 以下に示すとおり,タカミムスヒは,天孫ニニギの単なる外戚にすぎない。たとえば,皇太子に娘を嫁がせて,見事,男の子を産ませた父親の立場にすぎない。

アマテラス(女神?)―― アメノオシホミミ(男神)
            ↑
            |―――――――――― ニニギ(男神)
            ↓
タカミムスヒ(男神)―― タクハタチヂヒメ(栲幡千千姫・女神)

 これがすべてとも言えるし,ここから日本書紀第9段の検討が始まるとも言える,重要な系図だ。

 この程度の,「極めて危うい関係」しかないのに,国譲りという名の侵略と天孫降臨を,突然命令する点が,極めて異常である。唐突である。

 私はこれを,「アマテラスとタカミムスヒの極めて危うい関係」と呼んでおこう。

 この程度の立場なのに,なぜ,突如,支配命令神となれるのか。

 それはやはり,前述したとおり,朝鮮からタカミムスヒが天孫とともに渡ってきた際,すでに天孫降臨伝説(初めは海から,のちに空から)をもっていたからであろう。


ヤマトにおける神話形成過程での「切り貼り」の傷口

 アマテラスとタカミムスヒは,日本書紀第9段において初めて結びつく。

 アマテラスは,降臨する天孫の父方の祖母。タカミムスヒは,降臨する天孫の母方の祖父という関係を,切り結ぶのだ。

 そこに至るまでは,「日の神」 → アマテラスの叙述がなされていた。
 タカミムスヒは,ほぼ,無視されていた。
 2神は,まったく関係を結ばなかった。

 日本書紀の神話における2神は,たったこれだけの関係なのだ。「極めて危うい関係」である。
 そしてこの2神の間には,五穀と養蚕をめぐって,「ねじれた接ぎ木構造」があった。

 なぜか。

 ヤマトにおける「日本神話の再構成」。その神話形成過程での「切り貼り」が,そのまま残っているのだ。
 「編纂の大きな傷跡」が,そのまま残っているのだ。

 タカミムスヒは,南九州の吾田にいたときから,天孫降臨の命令神であった。
 神武天皇が,「東征」により,こうした神話の原型をヤマトに持ち込んだ。

 そしてここで,出雲の神々を「神話の表舞台」から退場させる,「壮大なる血の交代劇」が形成される。

 誓約による「正当性の契機」の作出(第6段),侵略の理由(第7段),新たに取り込んだ出雲神話(8段)。それを基にした,「国譲りという名の侵略」神話(第9段)。

 天孫降臨の命令神だったタカミムスヒは,この新しい神話,「国譲りという名の侵略」においても,命令神とされる。

 しかし,日本書紀で言えば第4段までの国生み神話は,本来,南九州の吾田にあった伝承であり,タカミムスヒとは無関係である。

 そして第5段は,日の神神話である。
 第6段は,第9段に備えて,「正当性の契機」作出のために,新たに作られた神話だ。

 だから,以上の神話に,タカミムスヒは命令神となりえない。

 「極めて危うい関係」と「ねじれた接ぎ木構造」は,こうした「切り貼り」の結果だったわけである。


天武天皇の時代にアマテラス神話が形成されたという説

 天武天皇の時代に,アマテラスを皇祖神とする日本神話が形成されたという説がある(溝口睦子・アマテラスの誕生・岩波新書,180頁)。

 しかし,日本神話の公権的公定解釈である日本書紀は,アマテラス神話の形成を語っていない。

 ここでは,アマテラス神話はおろか,タカミムスヒ神話さえ,きちんと位置づけられていない。

 命令神については混乱したまま,その「切り貼り」の傷口を,ぽっかりと開けたまま,さらけ出している。

 五穀と養蚕の起源に関する「ねじれた接ぎ木構造」を残し,2神の「極めて危うい関係」を,赤裸々に残している。

 編纂の大きな傷跡を,そのまま残している。

 神武天皇がいつき祭っていたのは,「昔我が天神,高皇産霊尊,大日霎尊」である(神武天皇即位前紀)。


日の神の称揚からアマテラスへの変換

 ただ,アマテラス神話が形成され始めていたとは言えるだろう。

 何度も述べたとおり,日本書紀編纂者は,第5段本文において,日の神=「大日霎貴」が生まれたとしながらも,「天照大日霎尊」伝承があること媒介にして,「天照大神」神話を語ろうとしているからだ。

 しかし,日本書紀編纂者の頭にあったのは,あくまでも「日の神」である。

 一方,スサノヲの誓約(第6段)の相手は,「天照大神」であった。
 しかし,第6段には,日の神の異伝も残されている。

 このことからすれば,ヤマトにおける「日本神話の再構成」において,まず日の神が称揚され,さらにそれが,天照大神に変換されていったと言えるだろう。

 ただ,少なくとも,日本神話の公権的公定解釈である日本書紀では,新たなるアマテラス神話は完成していない。
 720年当時の政府要人が,アマテラス神話を語っていないのだ。

 これに対し,「天照大神」どころか,「天照大御神」とする古事記。アマテラス神話が完成し,良きにつけ悪しきにつけ,「熟している」古事記。
 しかもその古事記は,アマテラスだけでなく,タカミムスヒさえも取り込んでいる。

 それが712年。

 私は,古事記はなかなかのくせ者であると考えている。


古事記におけるタカミムスヒ

 さて,古事記に目を向けてみよう。

 くどいようだが,日本書紀におけるアマテラスとタカミムスヒは,第9段本文冒頭の系図でやっと関係を結んでいるだけの,「極めて危うい関係」にすぎなかった。
 タカミムスヒが,突如命令神になって,しゃしゃり出てくるのだった。

 さて,古事記はどうなっているか。
 もはやご承知のとおりだ。

 「天地(あめつち)初めて發けし時(ひらけしとき)」,「高天原(たかまのはら)」に成れる神の名は,「天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)」,「高御座巣日神(たかみむすひのかみ)」,「神産巣日神(かみむすひのかみ)」。

 タカミムスヒを含めた3神が,すでに「高天原」にいるという前提だ。無前提の大前提である。

 ところが,国生みの命令,いわゆる「修理固成の命令」をする神は,はっきりしないのだった。

 古事記ライターは,「天つ神諸(もろもろ)の命(みこと)もちて」としか書いていない。
 伝承をきちんと頭の中で咀嚼していたら,こんなことが起きるだろうか。
 それとも,混乱したまま暗記していただけなのだろうか。

 とにかく,タカミムスヒを取り込んではみたものの,結局,消化不良の内容になっている。


古事記におけるアマテラスとタカミムスヒ

 そして,国生み,神生みの果てに,アマテラスら3神が,禊ぎによって登場してくる。日本書紀第5段本文とは違い,「日の神」ではない。

 ここらへんが,古来の「日の神」を残さなかった,古事記の新しいところだ。

 それはともかく,タカミムスヒは,「獨神(ひとりがみ)と成りまして,身を隠したまひき。」なのだから,以後アマテラスだけが支配神となるはずである。

 隠れた神は他にもいる。隠れてからは活躍しないから(アメノミナカヌシ,カミムスヒ,ウマシアシカビ,アメノトコタチなど),そうなるはずである。

 ところが,日本書紀の第9段に相当する,国譲りという名の侵略と天孫降臨を命令するのは,タカミムスヒとアマテラスだ。

 この2神は,並立的立場になっている。何をするにも,この2神の「命(みこと)もちて」,すなわち2神の命令をもって,となる。


2神並立とする古事記神話の特異性

 歴史的事実として,国譲りという名の侵略と天孫降臨において2神が並立する伝承が,本当にあったのだろうか。

 そんな神話は,日本書紀の異伝を探しても,どこにもない。
 ただひとり,古事記にあるのみである。

 そして,日の神(のちのアマテラス)は,もともと筑紫洲にいて,朝鮮からやってくる「天孫」を迎えただけだから(第6段第1の一書,第3の一書),日の神(アマテラス)の子や孫が天孫降臨する伝承はあり得ないだろう。

 この,古事記の2神並立は,いかにも特異である。

 古事記を,日本書紀本文,日本書紀の一書に残された異伝と対等に考え,単なる1つの伝承としてとらえ,全体を俯瞰してみるならば,そのスタンス,伝承内容は,極めて特異である。

 あまりにも都合よくできている。しかし,よく見ると古事記は,矛盾だらけである。

 伝承として,こうした伝承がありえるのか疑問であるし,ヤマトにおける「日本神話の再構成」の過程でできたにしては,お粗末である。


古事記の2神並立は神話のソフィスティケイト

 要するに古事記は,2神の伝承を洗練「させよう」としている。

 古来の伝承は,文化と知性を独占した律令官僚,日本書紀編纂者をもってしても,「切り貼り」の傷口をあからさまに広げざるを得なかった。
 2神の「極めて危うい関係」と,五穀と養蚕をめぐる「ねじれた接ぎ木構造」を露呈してやまなかった。

 ところが古事記は,そうした傷口など馬耳東風。
 冒頭にタカミムスヒを登場させ,国譲りという名の侵略以降2神を並立させて,これで仕事は終わったという風情だ。

 洗練「させよう」とした神話体系と,ほころびをそのまま見せる神話体系と,どちらが,古いのか。
 私は,ほころびのある神話体系を元に,それをソフィスティケイト「しよう」としたのが古事記だと考える。

 そしてじつは,2神並立といっても,その内容は,お粗末きわまりない。それは,「古事記における命令神(国譲りという名の侵略の命令者)」で詳しく述べる。


学者さんの説を批判する

 さて,最後に,学者さんの説を批判しておこう。

 日本書紀や古事記に,アマテラスを皇祖神とする神話があることを前提に,以下のように説く学者さんがいる(西郷信綱・古事記注釈・第3巻・筑摩書房,212頁)。

@ 古事記で2神並立となるのは,タカミムスヒの地位が向上したことを物語る。

A 日本書紀ではもっと著しく,タカミムスヒがアマテラスを「出し抜き」,「高天原」単独の司令者になっている。

B これは,律令国家体制が整うにしたがって,皇祖神が女神であることが不都合になり,2神並立 → タカミムスヒがアマテラスを出し抜くという過程が進行したのであろう。


皇祖神アマテラスとかタカミムスヒとの2神並立というのは誤り

 私に言わせれば,日本神話がアマテラスを皇祖神として出発したという前提自体が,文献をよく読み込んでいないことからくる誤りである。

 これについては,「生まれたのは日の神であってアマテラスではない」,「日の神の接ぎ木構造」,「最高神?アマテラスの伝承が変容する」などで論証した。

 次に,古事記が「2神並立」であるということ自体も,文献をよく読み込んでいないことからくる誤認である。

 古事記は,2神の「極めて危うい関係」と,五穀と養蚕をめぐる「ねじれた接ぎ木構造」をソフィスティケイト「しよう」として,しきれていない。

 むしろ,タカミムスヒをとってつけたような稚拙さが,あらわである。

 「古事記における命令神(国譲りという名の侵略の命令者)」で詳しく述べるとおり,古事記の本質である「言依さし」。
 よりによって,その「言依さし」を述べる2箇所で,主語がタカミムスヒなのかアマテラスなのか,日本語として読めなくなっている。

 「『我が御子の知らす国と言依さしたまへりし』は誰の言葉か」以下を読んでいただきたい。

 だから,律令国家の親展とともに,アマテラス中心 → 2神並立 → タカミムスヒ中心に進展していったとする仮説も,無理である。

 この学者さんは,上記仮説を論証しようとしているが,前提としての文献の把握の仕方がそもそも間違っているのだから,論証しても意味がない。

 ところが世の中には,こうした説が流布しているようである。

 


トップページ( まえがき)

第1 私の立場と問題意識

第2 問題提起

第3 方法論の問題

第4 世界観と世界の生成

第5 神は死なない(神というもののあり方)

第6 原初神と生成神の誕生

第7 日本書紀における原初神と生成神の誕生

第8 修理固成の命令

第9 言葉に対して無神経な古事記(本当に古い文献か)

第10 古事記は伊勢神宮成立後の文献

第10の2 応神記の気比の大神について

第11 国生み叙述の根本的問題

第12 日本神話の読み方を考える(第1子は生み損ないか)

第13 生まれてきた国々を分析する

第14 国生みのあとの神生み

第15 火の神カグツチ「殺し」

第16 黄泉国巡り

第17 コトドワタシと黄泉国再説

第18 禊ぎによる神生みの問題点

第19 日本神話の故郷を探る

第20 大道芸人の紙芝居としての古事記

第21 アマテラスら3神の生成

第22 分治の命令

第23 日本神話の体系的理解(日本書紀を中心に)

第24 日本神話の構造と形成過程

第25 生まれたのは日の神であってアマテラスではない

第26 日の神の接ぎ木構造

第27 最高神?アマテラスの伝承が変容する

第28 泣くスサノヲとイザナキの肩書き

第29 日本神話学の見通しと方法論

第30 日本神話のコスモロジー

第31 誓約による神々の生成(日本書紀)

第32 誓約による神々の生成(古事記)

第33 天の岩屋戸神話と出雲神話が挿入された理由

第34 日本神話のバックグラウンド・縄文から弥生への物語
(日本書紀第5段第11の一書を中心に)


第35 海洋神アマテラスと産霊の神タカミムスヒ
(日本書紀を中心に)


第36 支配命令神は誰なのか(ねじれた接ぎ木構造)

第37 アマテラスとタカミムスヒの極めて危うい関係

第38 五穀と養蚕の文化に対する反逆とオオゲツヒメ

第39 スサノヲの乱暴

第40 「祭る神が祭られる神になった」という幻想

第41 天の石屋戸と祝詞

第42 スサノヲの追放とその論理(日本書紀を中心に)

第43 アマテラス神話は確立していない(日本書紀を中心に)

第44 出雲のスサノヲ

第45 異伝に残された縄文の神スサノヲ(日本書紀を中心に)

第46 スサノヲにおける縄文と弥生の交錯(大年神の系譜)

第47 別の顔をもつスサノヲ(日本書紀を中心に)

第48 オオクニヌシの試練物語のへんてこりん

第49 オオクニヌシの王朝物語

第50 日本書紀第8段第6の一書の構成意図と古事記の悪意

第51 スクナヒコナと神功皇后と応神天皇と朝鮮

第52 偉大なるオオナムチ神話(大八洲国を支配したオオナムチ)

第53 三輪山のオオナムチ(日本書紀第8段第6の一書から)

第54 古事記はどうなっているか

第55 偉大なるオオクニヌシ(オオナムチ)の正体(問題提起)

第56 偉大なるオオクニヌシの正体(崇神天皇5年以降)

第57 崇神天皇5年以降を読み解く

第58 国譲りという名の侵略を考える前提問題

第59 「皇祖」「皇孫」を奪い取る「皇祖神」タカミムスヒ
(国譲りという名の侵略の命令者)


第60 皇祖神タカミムスヒの根拠
(国譲りという名の侵略の命令者)


第61 古事記における命令神
(国譲りという名の侵略の命令者)


第62 第9段第1の一書という異伝中の異伝と古事記

第63 武神の派遣と失敗と「高木神」

第64 タケミカヅチの派遣(タケミカヅチはカグツチの子)

第65 フツヌシとタケミカヅチの異同

第66 コトシロヌシは託宣の神ではないしタケミナカタは漫画

第67 「オオクニヌシの国譲り」の叙述がない

第68 天孫降臨の叙述の構造

第69 サルタヒコの登場

第70 古事記独特の三種の神宝

第71 天孫はどこに降臨したのか

第72 「国まぎ」を切り捨てた古事記のへんてこりん
(天孫降臨のその他の問題点)


第73 国譲り伝承と天孫降臨伝承との間にある断層

第74 じつは侘しい天孫降臨と田舎の土豪神武天皇

第75 天孫土着の物語

第76 火明命とニギハヤヒ(第9段の異伝を検討する)

第77 日向神話の体系的理解

第78 騎馬民族はやって来たか

第79 三種の宝物再論

第80 日本神話の大きな構成(三輪山のオオナムチとの出会い)

第81 海幸彦・山幸彦の物語を検討する

第82 「居場所」のない古事記

第83 本居宣長について

第84 日本神話を論ずる際のルール

第85 神々の黄昏

あとがき

著作権の問題など

付録・初版の「結論とあとがき」


新論文
神功紀を読み解く
神功皇后のごり押しクーデター

日本書紀を読んで古事記神話を笑う 「初版」 はこちら



本サイトの著作権は天語人が保持します。無断転載は禁止します。
引用する場合は,表題と著者名と出典を明記してください。
日本神話の読 み方,すなわちひとつのアイデアとして論ずる場合も,表題と著者名と 出典を明記してください。
Copyright (C) 2005-2009 Amagataribito, All Rights Reserved.


by 天語人(あまがたりびと)


Contact Me

Visitor Since July 2005