日本書紀を読んで古事記神話を笑う

日本書紀を読んで古事記神話を笑う 改訂新版

2009年10月5日up
(物語読者として日本神話を解明する)


第38 五穀と養蚕の文化に対する反逆とオオゲツヒメ


アマテラスの天の石屋戸ごもり

 長らく,日本書紀を中心に,日本神話の背景や体系的理解に努めてきた。内容を先取りして論じたところもある。

 少々読みにくいが,日本神話のあらゆる部分が解明されておらず,特に構造論や本質が不明確なままなので,後で論ずべきところが,じつは前にも関係していたりするのだ。

 それはともかく,日本神話の体系や構造にかかわる問題はすでに論じたので,以下,「叙述」自体を検討していこう。

 そしてここで,古事記の話に戻ろう。

 アマテラスは,高天原で田を作っていた。
 誓約に勝ったスサノヲは,田んぼの畦を壊し,溝を埋め,大嘗の殿にうんちをまき散らした。
 しかしアマテラスは,さすがに心が広い。いったんこれを許す。
 ところが,スサノヲの乱暴は止まらない。

 アマテラスが「忌服屋(いみはたや)」で「~御衣(かむみそ)織らしめたまひし時」,
 「天の斑馬(ぶちこま)を逆剥ぎに剥ぎて」放り込み,
 「天の服織女(はたおりめ)見驚きて,梭(ひ)に陰上(ほと)を衝きて死にき。」となってしまう。

 これに驚いたアマテラスは,天の石屋戸(いわやと)にこもってしまった。


労働する最高神などあるのか

 このようにアマテラスは,田んぼを作り,機を織るのだ。

 全能の神ゼウスが,こんなみじめったらしい労働をしただろうか。
 イエスを人間社会に送った全能の神は,食うために労働をしなければならなかっただろうか。

 労働という罰を与える立場にあるのが,神ではなかったか。
 アマテラスが最高神だなんて,変じゃないだろうか。

 ただしこれは日本書紀も同じだから,古事記ライターの責任ではない。

 日本神話は,あくまでも神話であって,宗教ではない。
 宗教上の神は,人間の上に君臨し,人間を支配する。人間が発明したにもかかわらず,何があっても自分が正しいと,根拠なく主張する。

 日本神話の神は,本来,人間を支配しようとしないのだ。と言うよりも,人間には無関心なのである。


五穀と養蚕の文化に対する反逆が描かれている

 それはともかく,ここに描かれているのは,朝鮮から伝来した(日本書紀でいえば,第5段第11の一書,第6段第1及び第3の一書),五穀と養蚕を基本とする古代農耕社会だ。

 前述したとおり,日本書紀第5段第11の一書に,はっきりと書いてある。それが第7段本文につながっているのだ。

 アマテラスは,「五穀と養蚕の創始者」である。本来はタカミムスヒであるが,「ねじれた接ぎ木構造」のために,そうなっている。これは,古事記だけを読んでいてはわからない。

 とにかくスサノヲの乱暴は,「五穀と養蚕の文化の破壊」であり,「反逆行為」なのだ。
 古代の農耕は,神と直接つながっていた。だからこそそれは,農耕社会の破壊というだけでなく,神に対する冒涜となるのだ。

 だからこそスサノヲは,「高天原」から祓われて,追放される。


学者さんの説を批判する

 これをしっかりと把握しないと,いわゆる「スサノヲの勝さび」の場面は理解できない。日本神話の体系も,わからない。

 学者さんは,スサノヲの行為は,アマテラスの「神聖冒涜」であったとし,「天つ罪・国つ罪は刑法的なものではなく,神を穢す罪」だと説明する(西郷信綱・古事記注釈・第2巻・筑摩書房,124頁)。

 しかし,その説明自体が抽象的で,じつは説明になっていない。

 「神聖」って,いったい何だ? それを説明しないと,説明にならないよなあ。

 神さんの話だから,しかも,「天照大御神は神聖だから」という,戦前以来の,無内容で抽象的な「アマテラス信仰」から脱し切れていないから,アマテラスの「神聖」を「冒涜」したという説明で,終わってしまうのであろう。

 問題は,アマテラスの,具体的にどんな「神聖」を冒涜したのかだ。

 それは,アマテラスが創始した「五穀と養蚕」を冒涜したと言うしかない。「叙述と文言」からして,明白である。

 こうした,言われてみれば「灯台もと暗し」という点に眼がいかなかったのは,学者さんたちの責任である。


農耕すなわち文化という古代社会

 古代社会では,農業を営むことが文化があるか否かと同等に論じられた時代があった。

 斉明天皇の時,中国の皇帝高祖は遣唐使に問う。
 蝦夷(えみし,東北地方の住人。)の「国に五穀有りや」。

 遣唐使は答える。「無し。肉を食いて」生活していると。

 さらに高祖は,その国に家屋はあるのかと問う。
 遣唐使は,家屋はない,深山の中で樹の下に住んでいると答える(斉明天皇5年7月,伊吉連博徳の書)。

 五穀があるかという事実が,未開か否かを測る1つの尺度だったのだ。

 そうすると,弥生文化に反逆するスサノヲは,いかなる神なのか。縄文の神なのか。まさにそうである。

 それは,のちほど検討する(「異伝に残された縄文の神スサノヲ」,「スサノヲにおける縄文と弥生の交錯」)。


オオゲツヒメのエピソードが置かれた場所

 さて,「五穀と養蚕」とくれば,オオゲツヒメ(大気都比売神)である。ウケモチノカミ(保食神)である。

 「五穀と養蚕の起源」が,どこで語られているのかが問題である。

 日本書紀では,第5段第11の一書に,ウケモチノカミ殺しによる「五穀と養蚕の起源」が描かれていた。
 これが第5段の異伝として語られて,第7段本文につながっていくのであった。

 だから,第7段本文で,アマテラスが五穀と養蚕を生業としていても,唐突ではなかった。

 古事記における五穀と養蚕は,どこに描かれているだろうか。

 日本書紀のウケモチノカミの話(第5段第11の一書)に相当する話は,古事記では,オオゲツヒメ(大気都比売神=おおげつひめのかみ)の話になる。

 ところがこのエピソードは,スサノヲが「高天原」を追放されて,出雲に降る直前に置かれているのだ。
 学者さんが,「五穀の起原」という表題をつける場面だ(岩波ワイド文庫版古事記)。


古事記におけるオオゲツヒメのエピソード

 古事記ライターは,

@ ここで初めて,蚕,稲,粟,小豆,麦,大豆(五穀と養蚕)ができたとしている。

A オオゲツヒメ(日本書紀ではウケモチノカミ)を殺したのは,スサノヲだとしている。

B オオゲツヒメの「死体」にできた上記植物の種を取り上げたのは,「神産巣日の御祖命(みおやのみこと)」だとしている。

C すなわち,五穀と養蚕に貢献したのは,ツクヨミ(日本書紀第5段第11の一書)ではなく,スサノヲでもなく,カミムスヒだというのだ。


いかにも唐突で脈絡がない

 これは,多くの学者さんが指摘しているとおり,いかにも唐突だ。

 なぜ,スサノヲの出雲降りの途中で,五穀が生まれなければならないのだろうか。
 物語としての必然性がない。

 「叙述と文言」の話をしよう。

 このオオゲツヒメの挿話は,スサノヲが祓われて追放された,「神逐らひ逐らひき」という「文言」の直後に,段落を改めて,「又」として始まっている。

 なにが「又」なんだろうか。さっぱり,わけがわからない。私は,こんなところに引っかかってしまうタイプの人間だ。
 だから,古事記が読めなかった。

 そして,このオオゲツヒメの叙述のあとは,「故(かれ)」で,スサノヲが出雲に降った話が続く。

 この「故」は,明らかに,オオゲツヒメのエピソードの前にある「神逐らひ逐らひき」を受けたものだ。

 オオゲツヒメのエピソードは,適当にぶち込まれたとしか言いようがない。


学者さんの適当さ加減

 で,これは何かの間違いなのであると,のたもう学者さんもいる。日本書紀のウケモチノカミ(保食神)のように,五穀の起源としてどこかに入れなければならなかったので,ここに入れたというのだ(西郷信綱・古事記注釈・第2巻・筑摩書房,184頁)。

 そうですか・・・。

 だったら,古事記序文にいう天才,稗田阿禮は,いったい何だったのですか。
 太安万侶は,こんな程度の文章しか作れない,しがない下級官僚だったのですか。
 太安万侶がしょせん五位(古事記序文で明白)に終わった理由は,ここに表れていると受け取っていいのですか。

 古事記序文の信憑性にかかわることを,こうもあっさりと認めちゃっていいのだろうか。

 人ごとながら心配になる。

 ま,祓われて追放されるスサノヲが食物を出すオオゲツヒメを殺してしまうくらい,「本性は遺憾なく発揮される」という学者さん(小学館・新編日本古典文学全集・古事記,67頁)よりはましですが。


オオゲツヒメ殺しの場面は構成上おかしい

 じつは,そんなことは,どうでもいい。

 「ここに入れた」と言うならば,その位置は適正だったのかという問題が残っている。

 なによりも,田んぼを作り,機を織るアマテラスの描写の前にもってこなければ,話が通じないではないか。

 古事記においてもアマテラスは,五穀と養蚕の神だった。だから,スサノヲの高天原での乱暴の前に,五穀と養蚕が生まれていないと,話の筋が通らないはずだ。

 五穀と養蚕の話を,どこにぶち込むか。

 古来の伝承をそのまま載せているならば,そんな疑問も苦労もなかったはずだ。当然,スサノヲの乱暴の前に,五穀と養蚕が生まれていたはずだ。ところが古事記は,そうなっていない。順序が逆である。

 こんな古事記は,古来の伝承の改変であり,伝承が腐って,わけがわからなくなっていく過程を示している。

 そもそも,ここに入れたのは,古事記ライターなのであろうか。それとも,古事記ライターが範とした伝承自体が,すでにこのとおりだったのだろうか。

 これ1つ取ってみても,古事記は,2次的3次的伝承,リライト版なのだ。

 ちょっと,ため息が出るくらいである。

 古事記ライターさんよ,人生,もうちょっと,うまく振る舞ってくれよ。でないと,こっちが大変なんだよ。


学者さんも何も考えていない

 学者さん(岩波ワイド文庫版古事記の学者さん)は,「五穀の起原」という表題をつけている。

 だったら,アマテラスが作っていた田んぼの「畦」や「溝」は,いつ発生したのだろうか。

 そうした,論理的関係は考えないのだろうか。
 天才秀才の古事記ライターが,こんな編纂作業をやると,本気で信じているのだろうか。
 それとも,神話というものは,「本来テキトー」なものであり,めちゃめちゃでもいいと考えているのだろうか。

 それとも,「混乱した伝承こそ古い」,と考えているのだろうか。

 まったく,わけがわからない。
 これが,文献学としての日本神話学の現状だというしかない。


葦原中国建国の基礎を作るスサノヲがなぜ種を取らないのか

 論理という理屈だけでなく,「叙述」の流れの中で考えてみよう。

 スサノヲが,出雲に降るまえにオオゲツヒメ殺しを行い,その種を取って,出雲に播いたというのであれば,なんとかかんとか筋が通る。

 後述するとおり,日本書紀のスサノヲには,木材等を伝播させた功労者という伝承がある。

 それだけでなく,古事記においてもスサノヲは,国譲りという名の侵略の対象たる,葦原中国の基礎を作らねばならない。
 そのために,出雲に降ろうとしているのだ。

 これが,「スサノヲ神話の本質」だった。

 出雲降りの途中でオオゲツヒメを殺し,五穀の種を取り,豊かなる葦原中国の基礎にしたというなら,わかる。
 葦原中国建国の基礎を作ったスサノヲが,稲の種を播いたというなら,話の筋が,一応通る。

 ところが,カミムスヒ(ここでは,古事記冒頭に登場したときの「神」ではなく,なぜか「命」となっているが,もう,そんなことはどうでもいい。例によって話が錯綜するので,ここでは無視しよう。)が種を取り上げてしまったのだから,五穀と養蚕は,出雲や葦原中国とは関係がないのだ。


なぜカミムスヒがしゃしゃり出てくるのか

 で,カミムスヒが種を取り上げたのはいいが,葦原中国に播いたのは,いったい誰なのか。

 そこんとこ,まったくわからないんですが・・・。

 カミムスヒは,五穀の種を取って,自分の倉にしまい込んで,「出挙」みたいに,種として貸し出して,農民から利息を取ったんでしょうかねえ。収穫の秋になったら。

 古事記ライターは,何はなくとも,とにかくカミムスヒがエライ,と言いたいんでしょうね。きっと。
 そんな「思い込み」が強かったんでしょうねえ。

 話が中途半端で,みんなに通じていないけれどね。

 思い込みが強い人は,いつでもどこでも,そんなもんなんですねえ。

 こうしたところにカミムスヒを忍び込ませて,神の権威化を図る。それが古事記ライターだ。


五穀の創始者が誰なのかわからなくなった伝承

 少なくとも,五穀と養蚕の創始者が誰だったかが,まったくわからない。
 そんな伝承になり下がっている。

 日本書紀第5段第11の一書のように(そこには,アマテラスとタカミムスヒの関係という,日本神話の本質を抉るような,大変な問題があったが),アマテラスが創始者だと断言しているわけでもない。

 古事記ライターは,日本書紀編纂者がきちんと整理してくれた伝承さえも,わかっちゃいない。
 日本書紀も古事記も,同時代の書物だ。古事記ライターも,日本書紀が引用する第5段第11の一書等の異伝を,把握していたはずだ。

 日本書紀編纂者は,第5段第11の一書で五穀と養蚕の起源を用意し,第7段本文につなげた。

 ところが古事記ライターは,とんでもなくトンチンカンな配置をしている。
 しかも,整理の過程で,五穀と養蚕の創始者が不明になってしまった。

 私には,わけがわからない。
 配置の理由を考えても,時間の無駄だという気がする。古事記ライターの,この論理性のかけらもない叙述を見ていると。


オオゲツヒメの表記

 本当は,いの一番に言いたかったことを,ここでは最後に言おう。

 こんなことを,いの一番に言うようでは,この論文の名がすたる。ここまで作ってきて,だんだんそんな気がしてきた。

 オオゲツヒメは,テキストにしてわずか6行の間に,「大気都比賣神」 → 「大宜都比賣神」に変わる。

 これはいったい,何なんでしょうか。

 この,オオゲツヒメの伝承は,一連の不可分な,1つの伝承である。しかも,イザナキやイザナミのように,場面に応じて立場や役割が変わる伝承でもない。

 単なる固有名詞を,これほどいい加減にしている伝承。神の名を,きちんと伝えられなかった伝承。

 古事記は,そうした伝承なのである。

 


トップページ( まえがき)

第1 私の立場と問題意識

第2 問題提起

第3 方法論の問題

第4 世界観と世界の生成

第5 神は死なない(神というもののあり方)

第6 原初神と生成神の誕生

第7 日本書紀における原初神と生成神の誕生

第8 修理固成の命令

第9 言葉に対して無神経な古事記(本当に古い文献か)

第10 古事記は伊勢神宮成立後の文献

第10の2 応神記の気比の大神について

第11 国生み叙述の根本的問題

第12 日本神話の読み方を考える(第1子は生み損ないか)

第13 生まれてきた国々を分析する

第14 国生みのあとの神生み

第15 火の神カグツチ「殺し」

第16 黄泉国巡り

第17 コトドワタシと黄泉国再説

第18 禊ぎによる神生みの問題点

第19 日本神話の故郷を探る

第20 大道芸人の紙芝居としての古事記

第21 アマテラスら3神の生成

第22 分治の命令

第23 日本神話の体系的理解(日本書紀を中心に)

第24 日本神話の構造と形成過程

第25 生まれたのは日の神であってアマテラスではない

第26 日の神の接ぎ木構造

第27 最高神?アマテラスの伝承が変容する

第28 泣くスサノヲとイザナキの肩書き

第29 日本神話学の見通しと方法論

第30 日本神話のコスモロジー

第31 誓約による神々の生成(日本書紀)

第32 誓約による神々の生成(古事記)

第33 天の岩屋戸神話と出雲神話が挿入された理由

第34 日本神話のバックグラウンド・縄文から弥生への物語
(日本書紀第5段第11の一書を中心に)


第35 海洋神アマテラスと産霊の神タカミムスヒ
(日本書紀を中心に)


第36 支配命令神は誰なのか(ねじれた接ぎ木構造)

第37 アマテラスとタカミムスヒの極めて危うい関係

第38 五穀と養蚕の文化に対する反逆とオオゲツヒメ

第39 スサノヲの乱暴

第40 「祭る神が祭られる神になった」という幻想

第41 天の石屋戸と祝詞

第42 スサノヲの追放とその論理(日本書紀を中心に)

第43 アマテラス神話は確立していない(日本書紀を中心に)

第44 出雲のスサノヲ

第45 異伝に残された縄文の神スサノヲ(日本書紀を中心に)

第46 スサノヲにおける縄文と弥生の交錯(大年神の系譜)

第47 別の顔をもつスサノヲ(日本書紀を中心に)

第48 オオクニヌシの試練物語のへんてこりん

第49 オオクニヌシの王朝物語

第50 日本書紀第8段第6の一書の構成意図と古事記の悪意

第51 スクナヒコナと神功皇后と応神天皇と朝鮮

第52 偉大なるオオナムチ神話(大八洲国を支配したオオナムチ)

第53 三輪山のオオナムチ(日本書紀第8段第6の一書から)

第54 古事記はどうなっているか

第55 偉大なるオオクニヌシ(オオナムチ)の正体(問題提起)

第56 偉大なるオオクニヌシの正体(崇神天皇5年以降)

第57 崇神天皇5年以降を読み解く

第58 国譲りという名の侵略を考える前提問題

第59 「皇祖」「皇孫」を奪い取る「皇祖神」タカミムスヒ
(国譲りという名の侵略の命令者)


第60 皇祖神タカミムスヒの根拠
(国譲りという名の侵略の命令者)


第61 古事記における命令神
(国譲りという名の侵略の命令者)


第62 第9段第1の一書という異伝中の異伝と古事記

第63 武神の派遣と失敗と「高木神」

第64 タケミカヅチの派遣(タケミカヅチはカグツチの子)

第65 フツヌシとタケミカヅチの異同

第66 コトシロヌシは託宣の神ではないしタケミナカタは漫画

第67 「オオクニヌシの国譲り」の叙述がない

第68 天孫降臨の叙述の構造

第69 サルタヒコの登場

第70 古事記独特の三種の神宝

第71 天孫はどこに降臨したのか

第72 「国まぎ」を切り捨てた古事記のへんてこりん
(天孫降臨のその他の問題点)


第73 国譲り伝承と天孫降臨伝承との間にある断層

第74 じつは侘しい天孫降臨と田舎の土豪神武天皇

第75 天孫土着の物語

第76 火明命とニギハヤヒ(第9段の異伝を検討する)

第77 日向神話の体系的理解

第78 騎馬民族はやって来たか

第79 三種の宝物再論

第80 日本神話の大きな構成(三輪山のオオナムチとの出会い)

第81 海幸彦・山幸彦の物語を検討する

第82 「居場所」のない古事記

第83 本居宣長について

第84 日本神話を論ずる際のルール

第85 神々の黄昏

あとがき

著作権の問題など

付録・初版の「結論とあとがき」


新論文
神功紀を読み解く
神功皇后のごり押しクーデター

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