日本書紀を読んで古事記神話を笑う

日本書紀を読んで古事記神話を笑う 改訂新版

2009年10月5日up
(物語読者として日本神話を解明する)


第55 偉大なるオオクニヌシ(オオナムチ)の正体(問題提起)


オオクニヌシ(オオナムチ)の異名の整理

 私は,出雲の偉大なる神,オオクニヌシ(オオナムチ)が大八洲国を支配し,ヤマトの三輪山に来て鎮座した由縁を述べた。

 しかし,わざと1つだけ大きな問題を無視していた。
 それは,オオクニヌシ(オオナムチ)とオオモノヌシ(大物主神)の異同という問題だ。

 古事記は,オオクニヌシ(オオナムチ)の異名として「大物主神」をあげていない。
 その代わりに,「八千矛神」を入れている。

 そして,この問題の中心となる,肝心の崇神紀の叙述では,「大物主大神」という別神が登場する。
 オオクニヌシ(オオナムチ)とは別の神のようだ。

 ところが日本書紀第8段第6の一書は,「大国主神」の異名として,「大物主神」をあげている。
 しかし第9段第2の一書を読むと,明らかに別の神だ。

 日本書紀の異伝自体が,すでに混乱しているのだ。


分析的思考と全体的思考

 この「叙述と文言」から,いかなる問題提起をするのか。すでにそこから,日本神話解釈の方法論上の大問題があり,一筋縄にはいかない。

 ここからすでに,ぼんやりと全体的に考える人(全体的思考)と,筋をつけてぎりぎり考える人(分析的思考)とが別れていくのだ。

 「記紀神話」という用語を平気で使う人たちは,日本書紀本文,一書,古事記を総合して,「大国主神」は「大物主神」とも「八千矛神」とも呼ばれたとする。

 これが,日本書紀と古事記の総合的解釈だ。

 そこから,「大国主神」と「大物主神」とが混同されるようになったという学者さんが出てくる。

 その前提には,「大国主神」は出雲という一地方神にすぎないという強固な思い込みがある。


思考の方法論と日本神話の根幹

 このように,分析的思考と全体的思考という方法論の対立だけでなく,

 出雲という国を日本神話の中のどこに位置づけるか,
 オオクニヌシとはいかなる神だったか,その支配領域はどうか,
 三輪山をどう考えるか,いかなる神が鎮座しているのか,
 オオクニヌシの王朝物語をきちんと読み取れているのか,

という問題までからんでくる。

 だから,オオクニヌシ(オオナムチ)とオオモノヌシ(大物主神)の異同という問題だけでは済まない。

 日本神話全体をどう考えるかという,根幹にかかわる問題なのだ。

 だから私は,出雲国の位置づけ,偉大なるオオクニヌシ,出雲国と葦原中国との関係,オオクニヌシの王朝物語,オオナムチ(オオクニヌシ)の三輪山鎮座,などを論じてきて,今初めて,オオクニヌシ(オオナムチ)とオオモノヌシ(大物主神)の異同を語ることができる。

 ここまでこの論文を読んできた人にはわかるだろうが,全体的思考になれてしまった人には,問題意識をもつこと自体が困難だろう。


「叙述と文言」上の問題提起

 本題に戻ろう。

 私は,全体的思考自体がおかしいと思う。日本書紀と古事記は別の書物であり,昔から誰もが指摘しているとおり,矛盾がある独立した書物だ。

 私は,こう問題提起する。

 古事記ライターは,「大国主神」の異名として「大物主神」をはずした。
 すなわち,2神は別の神だと考えた。
 ところがその8年後に,日本書紀編纂者は,2神は同一だという異伝を残した。

 その頃,古事記ライターは,まだ生きていたことだろう。

 いったいどちらが正しいのだろうか。古事記ライターは,日本書紀に残されたこの異伝を見たはずだ。それを,なぜ無視したのだろうか。


現状はどうか

 何よりもまず,事実だ。

 三輪山にある,問題の大神神社(おおみわじんじゃ)は,

 三輪山の奥津磐座にオオモノヌシ(大物主神),
 中津磐座にオオナムチ(大己貴神),
 辺津磐座にスクナヒコナ(少彦名命),を祭っている(中山和敬・大神神社87頁・学生社・昭和46年)。

 明らかに,別の神として祭っているのだ。


日本書紀自体が曖昧になっている

 しかし,そう簡単にはいきません。

 雄略天皇は,三諸山(三輪山)の神を見たいと言いだし,その神を捕らえてこいと命令する。雄略天皇らしい逸話だ。

 ここに分注があり,
 「或いは云はく,此の山の神をば大物主神と為(い)ふといふ。或いは云はく,菟田(うだ)の墨坂神(すみさかのかみ)なりといふ」(雄略天皇7年7月)。

 菟田の墨坂とは,神武天皇が河内,ヤマトに侵入したとき,八十梟帥(やそたける)がおこし墨を置いた坂だ(神武天皇即位前紀戊午9月)。
 戦いに用いて刃こぼれした剣を打ち直すために炭をおこしたのだ(鉄から読む日本の歴史・窪田蔵郎・講談社参照)。

 その後崇神天皇は,この坂にいる,墨坂神を祭った(崇神天皇9年3月,4月)。

 要するに,雄略天皇の時代にはすでに,三諸山,すなわち三輪山の神が何であるか,わからなくなっていたことになる。

 三輪山の神がオオモノヌシなのか,墨坂神であるのか,わからなくなっていたのだ。

 ましてや,オオナムチなど忘れ去られていたということだ。

 上記した分注が挿入された時代が問題だが,日本書紀編纂者が編纂時に挿入したのだとしても,日本書紀や古事記が編纂された頃には,わからなくなっていたことだけは確かだ。

 だから,現代の大神神社が,オオモノヌシとオオナムチとを別々に祭っているといっても,全然信用できない。


日本書紀第9段第2の一書は別の神だとしている

 大神神社を訪れて,事情聴取している暇はない。そんなこと,やっても無駄だろう。そもそもこの原稿の守備範囲を超えている。

 やはり,通勤電車の中で読める範囲で考えましょう。

 前述したとおり,日本書紀第9段第2の一書は,別の神だとしている。

 オオナムチは,タカミムスヒの和解条件を受け入れて国を譲り,「長に(とこしえに)隠れましき」,すなわち永久に去る。

 これを受けてフツヌシは,国を平らげる。その時帰順してきたのが,「首渠(ひとごのかみ)」,すなわち出雲にいたドン,オオモノヌシとコトシロヌシ(事代主神)だった。

 この2神は,八十万神を従えて天高市(あまのたけち)に昇り,その至誠の情を陳述した。完全降伏だ。

 それを聞いたタカミムスヒは,子のミホツヒメ(三穂津姫)をオオモノヌシの妻として与え,天つ神サイドに取り込んだうえで,八十万神たちと共に永遠に皇孫を守れと命令する。

 だから,異伝とはいえ第9段第2の一書は,オオナムチとオオモノヌシとが別の神だとしている。

 しかも,オオナムチ(オオクニヌシ)と同じく出雲の神ではあるが,その一段下のような存在だ。

 このように,オオクニヌシとオオモノヌシは同一かどうかという問題と,オオモノヌシは出雲の神なのか,という問題とがある。


トップページ( まえがき)

第1 私の立場と問題意識

第2 問題提起

第3 方法論の問題

第4 世界観と世界の生成

第5 神は死なない(神というもののあり方)

第6 原初神と生成神の誕生

第7 日本書紀における原初神と生成神の誕生

第8 修理固成の命令

第9 言葉に対して無神経な古事記(本当に古い文献か)

第10 古事記は伊勢神宮成立後の文献

第10の2 応神記の気比の大神について

第11 国生み叙述の根本的問題

第12 日本神話の読み方を考える(第1子は生み損ないか)

第13 生まれてきた国々を分析する

第14 国生みのあとの神生み

第15 火の神カグツチ「殺し」

第16 黄泉国巡り

第17 コトドワタシと黄泉国再説

第18 禊ぎによる神生みの問題点

第19 日本神話の故郷を探る

第20 大道芸人の紙芝居としての古事記

第21 アマテラスら3神の生成

第22 分治の命令

第23 日本神話の体系的理解(日本書紀を中心に)

第24 日本神話の構造と形成過程

第25 生まれたのは日の神であってアマテラスではない

第26 日の神の接ぎ木構造

第27 最高神?アマテラスの伝承が変容する

第28 泣くスサノヲとイザナキの肩書き

第29 日本神話学の見通しと方法論

第30 日本神話のコスモロジー

第31 誓約による神々の生成(日本書紀)

第32 誓約による神々の生成(古事記)

第33 天の岩屋戸神話と出雲神話が挿入された理由

第34 日本神話のバックグラウンド・縄文から弥生への物語
(日本書紀第5段第11の一書を中心に)


第35 海洋神アマテラスと産霊の神タカミムスヒ
(日本書紀を中心に)


第36 支配命令神は誰なのか(ねじれた接ぎ木構造)

第37 アマテラスとタカミムスヒの極めて危うい関係

第38 五穀と養蚕の文化に対する反逆とオオゲツヒメ

第39 スサノヲの乱暴

第40 「祭る神が祭られる神になった」という幻想

第41 天の石屋戸と祝詞

第42 スサノヲの追放とその論理(日本書紀を中心に)

第43 アマテラス神話は確立していない(日本書紀を中心に)

第44 出雲のスサノヲ

第45 異伝に残された縄文の神スサノヲ(日本書紀を中心に)

第46 スサノヲにおける縄文と弥生の交錯(大年神の系譜)

第47 別の顔をもつスサノヲ(日本書紀を中心に)

第48 オオクニヌシの試練物語のへんてこりん

第49 オオクニヌシの王朝物語

第50 日本書紀第8段第6の一書の構成意図と古事記の悪意

第51 スクナヒコナと神功皇后と応神天皇と朝鮮

第52 偉大なるオオナムチ神話(大八洲国を支配したオオナムチ)

第53 三輪山のオオナムチ(日本書紀第8段第6の一書から)

第54 古事記はどうなっているか

第55 偉大なるオオクニヌシ(オオナムチ)の正体(問題提起)

第56 偉大なるオオクニヌシの正体(崇神天皇5年以降)

第57 崇神天皇5年以降を読み解く

第58 国譲りという名の侵略を考える前提問題

第59 「皇祖」「皇孫」を奪い取る「皇祖神」タカミムスヒ
(国譲りという名の侵略の命令者)


第60 皇祖神タカミムスヒの根拠
(国譲りという名の侵略の命令者)


第61 古事記における命令神
(国譲りという名の侵略の命令者)


第62 第9段第1の一書という異伝中の異伝と古事記

第63 武神の派遣と失敗と「高木神」

第64 タケミカヅチの派遣(タケミカヅチはカグツチの子)

第65 フツヌシとタケミカヅチの異同

第66 コトシロヌシは託宣の神ではないしタケミナカタは漫画

第67 「オオクニヌシの国譲り」の叙述がない

第68 天孫降臨の叙述の構造

第69 サルタヒコの登場

第70 古事記独特の三種の神宝

第71 天孫はどこに降臨したのか

第72 「国まぎ」を切り捨てた古事記のへんてこりん
(天孫降臨のその他の問題点)


第73 国譲り伝承と天孫降臨伝承との間にある断層

第74 じつは侘しい天孫降臨と田舎の土豪神武天皇

第75 天孫土着の物語

第76 火明命とニギハヤヒ(第9段の異伝を検討する)

第77 日向神話の体系的理解

第78 騎馬民族はやって来たか

第79 三種の宝物再論

第80 日本神話の大きな構成(三輪山のオオナムチとの出会い)

第81 海幸彦・山幸彦の物語を検討する

第82 「居場所」のない古事記

第83 本居宣長について

第84 日本神話を論ずる際のルール

第85 神々の黄昏

あとがき

著作権の問題など

付録・初版の「結論とあとがき」


新論文
神功紀を読み解く
神功皇后のごり押しクーデター

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