日本書紀を読んで古事記神話を笑う 改訂新版 |
2009年10月5日up | (物語読者として日本神話を解明する) |
さて,オオクニヌシ(オオナムチ)とオオモノヌシの異同という点については,以上でほぼ解明した。 この崇神天皇5年の時点で,突然,アマテラスが祭られているという事実が判明する。 これもまた,唐突な展開だ。ここまではっきり書かれると,それまではいったい何だったのかというくらい,位置づけがいい加減だからだ。
今までのことをまとめておこう。 アマテラスは,日本書紀第5段本文では,オオヒルメ(大日霎尊)という名の日の神が生まれたのであって,それが「天照大神」であるとは断定していなかった。 日本書紀神代の巻のハイライトである国譲りや天孫降臨を命令するのは,タカミムスヒだ。アマテラスではない。 その後アマテラスは神武天皇のヤマト侵入を助けるが,日本書紀は,神武がアマテラスを祭ったとは述べていない。 むしろ,自ら憑代(よりしろ)となって降臨を願ったのは,タカミムスヒだった(神武即位前紀戊午9月)。 そして,神武天皇が祭ったのは「皇祖天神」であり(神武天皇4年2月),アマテラスを祭ったとは,はっきりと述べていない。
先に検討した神功皇后摂政元年2月でも,他の神と対等だ。 新羅を討った神功皇后は,筑紫の地で応神天皇を生む。そしてヤマトに帰ろうとする。務古水門(むこのみなと)で神の意思を占った。 そこに登場するのは,@ アマテラス,A 稚日女尊,B 事代主神,C 表筒男,中筒男,底筒男の3神 これら諸神の言うがままに祭ったところ,神功皇后は平安に海を渡ることができた(神功皇后摂政元年2月)。 これらの神は,まったく対等である。アマテラスだけが突出しているのではない。
日本書紀を神代から崇神紀まで読んでくると,アマテラスが,意外にも軽く扱われていることがわかる。 皇祖神として,一貫した叙述がなされていない。 アマテラスを皇祖神と断定するには,根拠がなさ過ぎる。 少なくとも日本書紀編纂者は,神代のはじめから皇祖神だったという叙述意図をもっていない。
後述するとおり,アマテラスはヤマトを出てさまよい始める。 私は,崇神天皇の時点においてもなお,あらゆる民がいつき祭っていた,単なる「日の神」にすぎなかったと考えている。 それを日本書紀編纂時点で,アマテラスと呼んだにすぎない。 原初的な日の神信仰は,確かにあった。しかし,当初それは,アマテラスとは呼ばれていなかった。 後代の壬申の乱で,大海人の皇子(のちの天武天皇)が,伊勢に流れ着いた日の神を拝んだことから,アマテラスが皇祖神として大きな地位を占めるようになったのではなかろうか。 だとすると,日神信仰と異なり,アマテラス信仰は,かなり新しい。
さて,崇神天皇5年に疫病が流行り,民の過半数が死亡し,6年になると農民が土地を離れて流浪するようになり,反逆する者も出てきた。 「其の勢」は,「徳(うつくしび)」をもって治めることもできないほどだった。 これは,政治権力の崩壊を意味する。 「徳」があるかないかは,天皇の統治が行き渡っているか否かをはかる目安だった。 とにかく「徳」をもってしても治められないというのは,人心が離反し,反乱さえ起きている状態を意味する。
だから,ここは,注意深く読まなければならない。 単に,天皇の徳政が行き届かなくなったなどという,平板な解釈をしてはならない。 民の過半数が死亡し,当時の国家財政の基本である農民が土地を離れて流浪し,反逆者を制圧できないほどの状態に立ち至ったという,切羽詰まった状況が,ここに叙述されているのだ。 これは,政治権力崩壊の危機だろう。 だからこそ,崇神天皇は,早朝に起きて夕方に至るまで,この暴動を恐れて「神祇」にその罪の意味,すなわち,なぜこうした罪を負わなければならないのか,その理由を問うた。 その1つの回答は,「朝に善政無くして」(崇神天皇7年2月)ということだった。
ところが学者さんの説は,早朝から深夜まで政務に務め励んで,天神地祇に謝罪を請い願ったとしている(小学館・新編日本古典文学全集・日本書紀1,270頁)。 しかし私には,理解できない。 問題は,「徳」や「善政」に結びついた天命思想なのだ。 天は,その時々の支配者に「徳」や「善政」がないと判断すれば,新たなる支配者に天命を移す。その時,それまでの王は,新しい王により殺される。家族や一族郎党と共に,皆殺しにされる。 それを,天命が移ったというのだ。
そうした厳しい天に対して謝罪を乞うなんて,おかしいんじゃないの。 謝罪なんて,「徳」や「善政」がなかったことを認める者がすることだ。 素直に謝罪して誠意を示せば許してくれるかも,なんていう,島国根性丸出しの甘い解釈じゃ,神様に通用しないよ。 原文は,「請罪神祇」としている。 叙述の流れとしても,なぜこうした暴動が起きるのか,もしかして自分が悪いのか,その罪の意味を神祇に請うたというのが自然だ。 国が内乱状態になってしまったので,朝から晩までそれを恐れ,なぜそうなったのか,理由を天神地祇に聞いたとするのが自然だ。 いきなり謝罪するなんて,叙述上おかしい。
さて,こうして崇神天皇は,神祇,すなわち大殿に並び祭っていた「天照大神」と「倭大国魂神」(じつはオオナムチ)に祈ったが, 「然して(しこうして),其の神の勢を畏りて(おそりて),共に住みたまふに安からず」。 原文は,「然畏其神勢,共住不安」となっている。 「其の神の勢い」とは,2神のうちどちらだろうか。 農民が土地を離れて流浪するようになり,反逆する者も出てきた。「其の勢」は,「徳(うつくしび)」をもって治めることもできないほどだった。 そうした叙述の流れの中での,「其の神の勢い」だ。 天命が移るかどうかの勢いだ。
土着の民の勢いが盛んだったから,国つ神の勢いも盛んだったのだろう。 土地の民が崇神天皇に叛乱を起こすのだから,土地の神もアマテラスに叛乱を起こすのだ。 だからこそ,この2つの神は神威を発揮して対立し,共に安んじて住むことができなかった。 単に,崇神天皇が安んじて眠れなかったのではない。2神の対立があったのだ。 「共住不安」の主語は,崇神天皇ではない。崇神天皇が,「共住不安」になったのではない。
そこで崇神天皇は,「天照大神」を,トヨスキイリヒメ(豊鍬入姫命=とよすきいりひめのみこと)につけて,倭の笠縫邑(かさぬいのむら)に祭り,「磯堅城(しかたき)の神籬(ひもろぎ)」を立てた。 一方,「日本(倭)大国魂神」には,ヌナキイリヒメ(渟名城入姫命=ぬなきいりひめのみこと)をつけて祭らせたが,髪が落ち身体が痩せ細って,いつき祭ることができなかった。 「磯堅城の」という部分が難解だ。 そして,神の憑代(よりしろ)を移すということは,祭る場所を移すということである。 すなわちアマテラスは,「倭大国魂神」=オオナムチの叛乱によって崇神天皇の大殿から追い出され,さすらうことになったのだ。 その第1の場所が,倭の笠縫邑なのだった。
一方,倭大国魂神(オオナムチ)については,移されたという叙述がない。 崇神天皇が任命したヌナキイリヒメが,朝から晩まで祭り続けても,ヌナキイリヒメは体力を消耗して,痩せ細るばかりだった。 すなわち,民の反乱は治まらず,ますます盛んだったということだ。 前述したとおり,アマテラス以前にヤマトを支配していた神は,オオナムチ=「倭大国魂神」だった。 仕方なく,皇祖神らしい「天照大神」を放棄したのだ。 以上が,崇神天皇が直面した政治情勢だ。
ここのところ,学者さんの解釈は,わけがわからない。 「然畏其神勢,共住不安」とは,天皇が2神の神威を畏れて2神と共に住むことに不安があったという意味であるとしている(小学館・新編日本古典文学全集・日本書紀1)。 しかしこれでは,民の叛乱があったという,原因との関係が,まったく不明になってしまう。 民の叛乱が,なぜ天皇に,2神の神威を畏れさせることになるのか。 神威が発揮されるのはなぜかという,天命思想にかかわる発想もない。
そして,少なくともアマテラスは皇祖神であり,天皇の味方ではないでしょうか。 なぜアマテラスまで怖がるんでしょうか。 アマテラスは,神武天皇がヤマト侵入を図ったとき,助けてくれた神だ。 さっぱりわけがわからない。 また,2神と共に住むのが不安であるのなら,2神とも,そろって遠ざければいいだけだ。 アマテラスだけを大殿から追い出すのは,筋が通らない。
私は,神功皇后の例を引いて,祭政一致の政治の現場を説明した。 それに照らして考えるならば,アマテラスを祭る神籬を大殿の外に立て,その後諸国を流浪させたということは,「政治的意思決定過程」からアマテラスが離脱したということに他ならない。 大殿に2つの神を並べていつき祭っていたということは,それら2神の託宣をうかがっていたということだ。 どちらの託宣を聞くかは重大な問題だ。 どちらが先かは知らないが,当時の支配者は,「天照大神」と,国つ神である「倭大国魂神」の託宣をうかがい,どちらも同じことを言っているとして,民を納得させていたに違いない。 しかし,社会情勢は,風雲急を告げていた。「天照大神」など,とても祭ることができなかった。 ヌナキイリヒメの髪が落ち,身体が痩せ細ったというのは,そうした意味だ。 要するにヤマトの民は,天命の移動,すなわち革命を欲していたのだ。
崇神天皇は,とりあえず「天照大神」を大殿から追い出して,「倭の笠縫邑」に神籬を立てた。 こうして,「倭大国魂神」を中心に祭ろうという姿勢を示した。 そうすれば,皇祖神「天照大神」の託宣も,ちょっと足を運んで聞きに行くことができる。 崇神天皇の処置は,そうした妥協案だったのだろう。
しかし,その後諸国を放浪したということは,時代が,アマテラスの託宣などまったく必要としなかったということを示している。 結局アマテラスは,政治的意思決定過程から排除されたのだ。 現代人は,たとえ伊勢から離れていても,伊勢に向かって拝めばいい。 憑代と共に諸国を遍歴するようでは,託宣を求めて神懸かりすることさえできない。 諸国を遍歴するということは,託宣という神の役割がなくなったこと,すなわち神の放棄を意味する。
話は跳ぶが,崇神天皇の日本書紀巻第5は, @ 今問題にしている民の叛乱, A それが治まった後の四道将軍派遣による外征, B これが成功して天下が治まり御肇国天皇(はつくにしらすすめらみこと)と呼ばれたこと, C その後の出雲平定と任那の朝貢, という展開になっている。
御肇国天皇(はつくにしらすすめらみこと)と呼ばれた理由を,日本書紀は,誇らしげにこう叙述している。 「是を以て,天神地祇共に和亨(にこ)みて」,風雨は時にしたがい農作物はよく実り,家々は充足して天下太平となった。 天神地祇が共に平和になったからこそ天下太平がもたらされたというのであり,これが崇神紀の1つの締めくくりとなっている。 まさに,天神と並べて地祇を祭るということは,祭政一致の政治の要諦だった。我々は,崇神紀の叙述から,神を祭るということの意味をかみしめるべきだ。 さらに,天神と地祇の対立から始まって,「天神地祇共に和亨(にこ)みて」で終わる展開。 だからこそ崇神紀は,民の反乱から始まるのだ。
天皇の大殿から追放されたアマテラスについては,有名な後日談がある。垂仁天皇25年3月だ。 垂仁天皇は,それまでアマテラスを祭っていたトヨスキイリヒメを離して,ヤマトヒメ(倭姫命=やまとひめのみこと)をつける。 ヤマトヒメは,アマテラスを鎮め祭る場所を求めて,倭の笠縫邑を出発して奈良の宇陀,近江,美濃をさまよう。 伊勢に来てやっと,アマテラス自身がここに居たいと言う。 「是の神風の伊勢国は,常世の浪(とこよのなみ)の重浪帰する(しきなみよする)国なり。傍国(かたくに)の可怜し国(うましくに)なり。是の国に居らむと欲ふ」。 こうして,伊勢の五十鈴川の川上に鎮座した。
一般には,アマテラスが皇祖神だと思われている。それがなぜ,大殿を追放されて諸国をさまようのだろうか。 一見不可解だ。 しかし,ある1つの神にこうした遍歴があったことを,真摯に受け取るしかない。日本書紀編纂者でさえ,こうした叙述しかできなかったのだろう。 私は,この段階では,単なる「日の神」であり,「天照大神」ではなかったと考えている。 人によっては,自宅に神棚を設置して,毎朝水や供え物をして拝む。 そしてそれは,祭政一致の政治体制の下では,政治的意思決定過程からの追放であり,神として祭ることの放棄であった。 権力側は,神を見限ったのだ。
さて,アマテラスを「倭の笠縫邑」に追い出したが,「倭大国魂神」の神威はいよいよ盛んで,これを祭るヌナキイリヒメは,髪が抜け落ちて痩せ細るばかりだった。 崇神天皇は,崇神天皇7年,災害や叛乱の理由を,占いで探ろうとする。 崇神天皇は言う。 「昔我が皇祖」は大いに鴻基(あまつひつぎ)を広めたが,自分の代になってから災害がたくさんあった。これは善政をしなかったからだろう。ここで神亀の占いをして,災害の起こる原因を究めよう。 そうして崇神天皇は,「神浅茅原(かむあさぢはら)」に行き,「八十万の神を会へて(つどへて)」占いを行った。 アマテラスを見捨て,倭大国魂神をいつき祭ったが,事態は収拾しようとしないから,2神以外の「八十万の神」の託宣をうかがったのだ。 ここが大切だ。 「八十万の神」には,それぞれをいつき祭る人々がいる。
ここで,オオモノヌシが登場する。 2神以外の「八十万の神」の託宣をうかがった時に,オオモノヌシが登場するのだ。 神は,モモソヒメに憑依し,自分を祭れば必ず世の中が平らぐと述べる。 「倭国の域(さかい)の内に所居(お)る神」だから,地域神である。 そこで,教えられたとおりに祭るが,効果がない。 するとオオモノヌシは,崇神天皇の夢に現れ,国が治まらないのは我が意思であると述べ,吾が児大田田根子(おおたたねこ)をもって自分を祭らせればたちどころに治まると述べる。 それどころか,「海外(わたのほか)の国」も,自然に帰順するだろうと言うのだ。
この叙述の流れを素直に読めば,オオモノヌシは,オオナムチとは別の神というほかない。 アマテラスを大殿から倭の笠縫邑に追放したものの,それでも不満だったのか,倭大国魂神は納得しない。 そこで崇神天皇は,2神とは別に,広く「八十万の神」の神意を聞いたのだ。 オオモノヌシは,アマテラスと「倭大国魂神」=オオナムチとの争いの過程で,「八十万の神」の1つとして,横から首を突っ込んできた神なのだ。 しかもその出自は,「倭国の域(さかい)の内に所居る神」,すなわち倭国の境界の内側にいる神だとされている。 倭国の中の「八十万の神」のうちのひとつ。一地域神という表現である。
これは,天の下を平定した後,倭の大三輪の山に行って鎮まったオオナムチとは,明らかに違う。 倭国に昔からいた,古い地主神なのだろう。 そして,大田田根子という子孫を捜し出して自分を祭らせることが,世の中を治める条件だというのだ。 すなわち,それまでは忘れ去られており,子孫が祭ってくれていないので祭ってくれと要求しているのだ。 やはり,違う神だ。
オオナムチの子は事代主神であり(第9段本文),それを祭ったのはアメノホヒだ(第9段第2の一書)。 これに対し大田田根子は,後述するとおり,茅渟県の陶邑(ちぬのあがたのすえのむら)の民,すなわち地元の民だ。その母親も,「陶津耳(すえつみみ)」の娘であり,代々,茅渟県の陶邑に住んでいたことになっている。 地元の民の祖先神だが,忘れ去られていたのが,オオモノヌシなのだ。 なお,出雲国造神賀詞は,オオナムチとオオモノヌシを同一視している。 しかし,この神賀詞自体,出雲国がヤマトの政権にへりくだり,お仕え白すという時代の産物だから,信用することはできない。 私は,それ以前のはるか昔はどうだったかを考えている。
崇神天皇の家臣たち3人は,大田田根子をしてオオモノヌシを祭らせ,市磯長尾市(いちしのながをち)をして「倭大国魂神」を祭らせれば必ず治まるという夢を見る。 そこで崇神天皇は,大田田根子を探させ,茅渟県(ちぬのあがた)の陶邑(すえのむら)に発見した。そして他の神を祭ってよいかどうか占ったところ,よからずという結果が出た。 そこで実際に,夢のとおりに大田田根子をしてオオモノヌシを祭らせ,市磯長尾市をして倭大国魂神を祭らせたのち,他の神を祭ってよいかどうか占ったところ,よしという結果が出た。 そこで崇神天皇は,「八十万の群神(もろかみ)」を祭った。 こうして「天社(あまつやしろ)」,「国社(くにつやしろ)」,「神地(かんどころ)」,「神戸(かんべ)」を定めたのだ。すると疫病はやみ,叛乱も収まり,国は治まった。 結局,「倭大国魂神」を頂点とした,国つ神すべてを祭ったという展開だ。 くどいようだが,皇祖神?「天照大神」は,完全に忘れ去られている。
学説には,オオモノヌシは祟る(たたる)神だというのもある。 しかし,そこまで言えるとは思われない。 「叙述と文言」を素直に読み取るならば,以上検討してきた崇神紀の対立軸は,崇神天皇vs庶民,アマテラスvs倭大国魂神(じつはオオナムチ)だ。 その争いの中に,古くからの地主神たるオオモノヌシが,首を突っ込んできたにすぎない。 オオモノヌシは,ヤマトの三輪山に鎮座したオオナムチよりも,古い神だったのであろう。 「倭大国魂神」=オオナムチに対抗し,忘れ去られていた自分を祭ってほしかったのであろう。 とにかく,出雲とはまったく関係なく,「倭国の域の内に所居る神」だった。 崇神天皇は,土地の古い地主神を祭ることの大切さに気づいて,オオモノヌシを祭ったのだ。
崇神天皇が国を治めることができた原因は,なによりもまず地元の神であるオオモノヌシと,倭大国魂神すなわちオオナムチを祭ったからだ。 その他の「八十万の群神」を祭ることは,その後,ようやく許しが出たわけだ。 この優先順位は大切だ。 皇祖タカミムスヒ(第9段本文)は,初めから問題になっていない。 また,大殿に祭られていた「天照大神」は,倭の笠縫邑に追放された後,ここでとどめを刺されたようだ。
崇神紀は,アマテラスの権威に,大いなる疑問を投げかける。 単なる日の神か,当時から称揚されていたアマテラスかという問題はおくとしても,とにかくその内容は,「倭大国魂神」すなわちオオナムチと古来の地主神オオモノヌシが一緒になって,「天照大神」を追放したということになる。 いつき祭られる神として残ったのは,@ 倭大国魂神,A 「八十万の群神」の代表と思われるオオモノヌシ,そして,B 「八十万の群神」になる。 これは,国つ神のクーデターといってよいだろう。 国つ神が支配することにより,世の中が治まったのだ。 じつは,崇神紀の叙述の前半部分は,こうして国が治まるまでの過程だ。後半が,治まった後の発展の事情だ。 崇神天皇の祭政一致の政治の根拠は,アマテラスではなく,倭大国魂神すなわちオオナムチと地主神オオモノヌシにあったのだ。
さて,まだまだ面白い問題がある。すでに述べたが,崇神天皇8年12月の歌謡だ。 国は治まった。そこで崇神天皇は,倭国の高橋邑(たかはしのむら)の人「活日(いくひ)」に酒を造らせる。 そして大田田根子に「大神(おおみわのかみ)」すなわちオオモノヌシを祭らせ,この酒を献上させる。 こうして崇神天皇は,オオモノヌシを祭った神社で酒宴をはった。酒に酔った崇神天皇は,以下の歌謡を詠む。 此の神酒(みき)は 我が神酒ならず 倭成す 大物主の 醸(か)みし神酒 幾久(いくひさ) 幾久
一般には,この酒は私のものではない,倭国を造ったオオモノヌシが醸した酒である,幾代も栄えよ,という意味にとる。 それでよいのだが,それだけではこの歌謡の意味を捉えきっていないのだ。 ここで,共食の思想,ヨモツヘグイを思い出してほしい。 黄泉国まで追ってきたイザナキに対し,イザナミは,すでに黄泉国の食事をしてしまったので帰れないと述べる。
すなわち崇神天皇は,土地の者「活日」が造った酒を,古来の地主神であるオオモノヌシを祭った神社で飲むことで,オオモノヌシと共食し,一体化し,初めて,この世界の人になったのだ。 アマテラス(もしかしたら単なる日の神)を棄てて,国つ神だけをいつき祭ることにより,晴れて倭国の構成員になったのだ。 それを,酒の共食によって表現している。 これこそ,崇神天皇による倭国支配の完成といえるだろう。 だからこそ,崇神天皇10年7月では,「今,既に神祇を礼ひて(いやまいて),災害皆耗きぬ(つきぬ)」と宣言しているのだ。 日本書紀の叙述は,これ以降,倭国内の叙述から倭国外の叙述,すなわち他国への遠征物語に転換する。 とすると,崇神天皇は,神武天皇から続いた天皇ではないのかもしれない。崇神以前に王朝が途切れており,共食をしなければならない立場にあったのかもしれない。 これは,今後の課題としておこう。 ただ,崇神王朝が新王朝であるという根拠が残されていることは,心に留めておきたい。
最後に,いくつかの問題を処理しておこう。 第8段第6の一書は,オオクニヌシの異名として「大物主神」,「国作大己貴命」とし,同一神であるとしていた。 しかし崇神天皇5年以下の叙述を検討すれば,オオモノヌシとオオナムチは,明らかに別の神だった。 オオナムチは,単なる出雲の神ではなく,天の下を造った大神として三輪山に祭られた。本来はグローバルな神だった。 倭には,忘れ去られた古来の地主神オオモノヌシがいた。 しかしそれは,「倭国の域(さかい)の内に所居る神」であり,茅渟県の陶邑(ちぬのあがたのすえのむら)の民大田田根子の祖先神に過ぎなかった。すなわち,倭の中の,一地域神だった。 これが,崇神天皇の時に復活した。
日本書紀編纂者は,オオモノヌシを「大神」と呼んでいる。 オオモノヌシは,「大三輪の神」,すなわちオオナムチなのだろうか。 これは,現在のテキスト編纂者が,「大三輪の神」すなわちオオモノヌシという固定観念にとらわれているだけのことだ。 元来は「大神」とあるだけだから,これを「おおかみ」と読めばよいだけのことだ。 日本書紀では,「大物主神」として登場したあと,表記が「大物主大神」となる。単なる「神」ではなく,その1段上の神,「大神(おおかみ)」という認識だ。 日本書紀編纂者は,「大物主神」を「大神(おおかみ)」と呼んだのだから,そのとおりに考えればよいだけのことだ。 わざわざ「おおみわのかみ」と読むのは,いらぬ誤認混同を招くだけである。ましてや,「大三輪の神」と考える必然性はない。
「所謂大田田根子は,今の三輪君等が始祖なり」とは,どういうことだろうか。 「大三輪の神」となったオオナムチの子孫の1つが,大三輪君ではなかったのだろうか(第8段第6の一書)。 三輪山の周囲に栄えたであろう三輪君が,一緒に祭られているオオナムチだけでなく,地主神であるオオモノヌシをも始祖と仰いでいたと考えてもおかしくはない。
さて,崇神天皇10年9月の,有名な箸墓伝説がある。 オオモノヌシの憑依に功のあったモモソヒメは,オオモノヌシの妻となる。 オオモノヌシは,明朝におまえの櫛の箱に入っているから驚かないでくれと言う。 オオモノヌシは,驚くなと言ったのに驚いた,我に恥をかかせたと述べて,三諸山に帰っていった。 それを見てしりもちをついたモモソヒメは,陰部に箸が刺さって死ぬ。そこで作られたのが箸墓だ。
この部分は,前後の脈絡がなく不自然だと言われている。しかしこれも,叙述を無視した学説にすぎない。 モモソヒメは,崇神天皇と国つ神との融和(じつは地元民との融和)を物語る話の,中心人物だ。 国が混乱した時,オオモノヌシが憑依したのはモモソヒメだった。 混乱が収まり,四道将軍を派遣しようとした時,武埴安彦(たけはにやすひこ)の反乱が起きる。 こうして武埴安彦の反乱と,その平定の叙述が展開される。 崇神紀を通した中心人物モモソヒメの,神秘的な結婚と死を,その業績の最後に述べるのは,極めて自然である。 日本書紀の叙述の展開からすれば,理解できる。
オオモノヌシの妻になったことが不自然なのだろうか。 オオモノヌシは,忘れ去られた地主神だった。その怒りが国の混乱を招いた。大田田根子を探し出していつき祭らせることにより天下太平を得た。 そうなると,地主神は,天皇の血を引いた女性を要求するのではないだろうか。 いや,天皇の方が女性を差し出すのかもしれない。こうして,神やそれをいつき祭る地元民と融和していくのだろう。 いずれにせよ,モモソヒメがオオモノヌシの妻になったという伝説は,天王の血を引いた女性がオオモノヌシをいつき祭る巫女になったという話か,天皇家と地元の豪族とが血縁関係を結んだことを示しているのだろう。
余談だが,このお話は,異界との接点の話になっている。 第5段第6の一書では,黄泉国に行ったイザナミがイザナキに,決して私を見るなと言う。 イザナミは,我に恥をみせたと言う。 イザナキは黄泉国から逃げ,離婚して永遠に他界の存在となる。ヨモツヒラサカで,黄泉国(死の国)と顕し国(現実の世界)とは永遠に閉ざされる。 第10段本文では,トヨタメヒメは,子を産むところを決して見るなと言う。 トヨタメヒメは,我に恥をみせたと言って離婚し,生んだ子を捨てて海神の宮に帰ってしまう。 オオモノヌシは,モモソヒメにとっては,異界の神だったのだ。
しかし,ここでの異界の神オオモノヌシは,貶められている。 オオモノヌシの実体は,長さも太さも,衣につける紐くらいの「美麗しき(うるわしき)小蛇」だった。かわいいと言ってもよいくらいだ。 膿わき蛆たかる凄惨な姿でも,王者である竜の姿でもない。 オオモノヌシという呼び名にしては情けない姿だ。はっきり言って,小馬鹿にされている。 雄略天皇7年7月には,三諸山の神の形を見たいと雄略天皇が述べ,大蛇を捕らえさせる話が載っている。 神話は,神々の黄昏と共に没落していく。 そうした時代を予感させるのが,箸墓伝説だ。
さて,延々と日本書紀を検討してきたが,ここで古事記に戻ろう。 まず,復習から。 古事記ライターは,オオクニヌシの国作りと王朝物語を完結させたにもかかわらず,オオクニヌシの三輪山鎮座物語をオオトシの神裔と共にくっつけた。 これが異常な構成であることは,すでに述べた。 しかし古事記ライターは,「海を光して依り来る神」がいかなる神か,正体不明にしてしまった。必然的に,オオクニヌシとはまったく違う神になってしまった。 その,いわばX神が,自分をヤマトの三輪山にいつき祭れ,そうすれば国作りができると言って,オオクニヌシに要求したことになっている。 だから,古事記によると,倭の三輪山にオオクニヌシがいないのだ。
古事記では,オオクニヌシの三輪山鎮座物語になっていない。オオクニヌシが正体不明の神を三輪山に祭ったからこそ,国作りがやっと完成したというお話になっている。 こうして,出雲とは関係のない偉い神様が,ヤマトの三輪山にいると言いたいのだ。これが古事記だ。 私はここに,オオクニヌシを出雲という一地方に押し込めようとする,古事記ライターの悪意を読みとる。 古事記のこの叙述が,それ自体信用できるものであれば,まだわかる。 しかし,前述したとおりこの部分には,国が完成したというのに誰と一緒に作ろうかとオオクニヌシが嘆いているという,じつに変な叙述があった。 その他,天つ神と国つ神が兄弟になれとか,称号がちゃらんぽらんだとか,検討に値しない叙述があった。 だから悪意があるというのだ。
X神がいかなる神か,古事記ライターは明らかにしようとしない。 日本書紀第8段第6の一書では,オオナムチ(オオクニヌシ)の和魂幸魂だった。それはカットしている。 古事記の,崇神天皇の部分を読んでみよう。 この崇神記は,要するに,崇神紀の簡略版であるが,重大な1点において違う。 「すなはち意富多多泥古命をもちて~主として,御諸山に意富美和(おおみわ)の大~の前を拜き祭りたまひき」。 オオモノヌシを,「三諸山」,すなわち三輪山に祭ったというのだ。 だったらなぜ,大国主神の国作りの場面で,X神が大物主大神であると,初めから堂々と言わなかったのだろうか。 古事記は,ある1人のライターが作った書物だ。日本書紀のような共同執筆ではない。 古事記ライターは,三輪山にいるのは古来の地主神=オオモノヌシであり,オオクニヌシではないと言いたかったのだと思う。 学者さんは,何の留保もなく,「この神は神代にあって大国主神の国造りに力をあわせた」と言う(西郷信綱・古事記注釈・第5巻・筑摩書房,247頁)。 しかし古事記の「叙述と文言」は,正体不明のX神である。
だからこそ,日本書紀の崇神天皇の部分を読む際,「大神」というのを「おおみわ」と訓読するのは,間違っている。 これは,前述したとおり,日本書紀編纂者が,「大物主大神」を以後「大神」と略称しただけのことである。 日本書紀編纂者自身が,大物主大神すなわち三輪山の神と考えていたのではない。それは,日本書紀の文言をきちんと点検すれば明らかなことだ。 後代の訓読者自身が,すでに混乱している。その混乱の歴史は,相当古い。
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