日本書紀を読んで古事記神話を笑う

日本書紀を読んで古事記神話を笑う 改訂新版

2009年10月5日up
(物語読者として日本神話を解明する)


第66 コトシロヌシは託宣の神ではないしタケミナカタは漫画


葦原中国=出雲国なのか

 さて,いよいよ,出雲侵略が始まる。しかしここには,誤解や矛盾が山積みされている。

 まず,「1 侵略の対象は出雲国だけでなく広く葦原中国である」

 そもそも,葦原中国=出雲国なのか。葦原中国とは何なのか。

 日本神話に関する文献を読んでいると,ここのところが,極めて曖昧である。学者さんは,このあたり,どのように考えているのだろうか。

 日本神話を普通に読んでいて,こうした疑問を抱いた人が,たくさんいると思う。


葦原中国=出雲国という学説は間違い(復習を兼ねて)

 「叙述と文言」を検討してみよう。出雲侵略の部分だけを読んでも,よくわかる。

 タケミカヅチとアメノトリフネは「出雲国の伊那佐の小濱(いなさのおはま)」に降って,オオクニヌシに対して「汝(いまし)がうしはける葦原中国」を譲るよう迫った。

 ここで,「出雲国」と,「うしはける葦原中国」は,違う概念だ。

 広く大八洲国,すなわち「葦原中国」を「うしはける」ドン,オオクニヌシが,「出雲国の伊那佐の小濱」にいる,という叙述である。

 この,形式的な「叙述と文言」だけからしても,「出雲の国譲り」という「お話」や「見出し」は,日本神話の誤解だということがわかる。

 葦原中国=出雲国という理解は,間違いなのである。


念のため「叙述と文言」をよく読んでみる

 念のため,もうちょっと,「叙述と文言」をよく読んでみようか。

 第1陣のアメノホヒは,こうだった。
 「この葦原中國は,我が御子の知らす國と言依さしたまへりし國なり。」「天菩比神,これ遣はすべし。」

 第2陣のアメワカヒコも,こうだ。
「葦原中國に遣はせる天菩比神,久しく復奏さず。また何れの神を使はさば吉けむ。」「天若日子を遣はすべし。」

 ごらんのとおり,ここまでは,出雲の「い」の字も出てこない。
 葦原中国は,大八洲国だったのである。「出雲国」ではない。

 でも,第3陣のタケミカヅチになると,「叙述と文言」が揺らいでくる。

 「出雲国の伊那佐の小濱(いなさのおはま)」に降って,オオクニヌシに対して「汝(いまし)がうしはける葦原中国」を譲るよう迫ったのである。

 いよいよ,敵の本拠地に乗り込んだのである。それが「出雲国」だった。

 わかるでしょ?

 アメノホヒ伝説やアメワカヒコ伝説は,出雲のオオクニヌシとは無縁なのである。だから,「葦原中国」なのだ。

 しかし,オオクニヌシが出雲にいた。オオクニヌシが,葦原中国のドンとして,そこに「いる」のだ。

 だから,「出雲国の伊那佐の小濱(いなさのおはま)」に降って,オオクニヌシに対して「汝(いまし)がうしはける葦原中国」を譲るよう迫ることになった。


ヤマトが出雲国を征服した記憶が残されているという学説も間違い

 単なる,形式的な「叙述と文言」だけからしても,これくらいのことは言えるわけである。

 しかし,すでに述べたが,葦原中国=出雲国かどうかという問題は,じつは,日本神話の体系的理解や日本神話の形成過程の理解に,骨がらみのように深くかかわっている。

 日本神話の体系的理解,及び日本神話の形成過程から言えば,出雲侵略の場面は,出雲国とヤマトとの対立が描かれているのではない。

 ヤマトが出雲国を征服した記憶が残されているというのも,間違いである。

 葦原中国=出雲国かどうかという問題は,日本神話の根幹に関する重要な事柄なので,再説しておく。


出雲侵略伝承を日本神話の体系的理解と形成過程から考える(復習)

 神武天皇は,「イザナキ・イザナミ神話」,「日向神話」,「日の神神話(アマテラス神話ではない)」「タカミムスヒ神話」などを背負って,南九州の吾田からヤマトに「東征」した(日本神話の形成過程)。

 しかしそこには,すでに,大八洲国全体を支配した,出雲の神々がいた。

 そこで,この出雲の神々を,「日本神話の表舞台」から退場させなければならない。その物語が,日本書紀で言えば,第6段から第9段までの物語だった。

 すなわち,

@ アマテラスとスサノヲの「誓約」によって,スサノヲの「高天原」系統の子供,すなわちアメノホヒやアメノオシホミミが葦原中国を支配するというフィクションを用意し,葦原中国支配の「正当性の契機」を作り出し(第6段),

A 五穀と養蚕(弥生文化)を体現するアマテラスに,スサノヲ(縄文文化)が反逆することにより,「国譲りという名の侵略の理由」を描き(第7段),

B 祓われて出雲に降ったスサノヲは,国作りの基礎を作り,さらにその子孫のオオナムチが,「人間社会としての国作り」をして(第8段),

C こうして,晴れて,アメノホヒやアメノオシホミミが,出雲に降臨しようとする(第9段)。

 以上が,出雲侵略の本質的理解だ(日本神話の体系的理解)。


「国譲り」ではなく「国譲りという名の侵略」である(復習)

 次の問題。

 「2 『国譲り』ではなく『国譲りという名の侵略』である」

 これはすでに述べた。文章をきちんと読めば,剣の神が,雷を轟かせながら降っていく様子が目に浮かぶ。

 そして,「十拳劔を抜きて,逆(さかしま)に浪の穂に刺し立て,その劔の前に趺み坐して(あぐみまして)」,国を譲るかどうか迫ったのだ。

 これを恫喝と言わずして,何と言うのだろうか。


タカミムスヒはいったい何なんだ(復習)

 「3 タカミムスヒはいったい何なんだ」

 タケミカヅチら2神の言葉はこうだ。
 「天照大御神,高木神の命もちて,問ひに使はせり。汝がうしはける葦原中国は,我が御子の知らす國ぞと言依さしたまひき」。

 何度も述べたとおり,古事記の天孫降臨はまったく異質だ。

 あくまでも皇祖神アマテラス中心であり,自分の子アメノオシホミミの「天子降臨」が貫かれている。

 ところが,「天子降臨」が始まった途中で天孫が生まれ,天孫が代わって降臨してしまう。
 「天子降臨に接ぎ木した天孫降臨」なのである。

 だから,国譲りという名の侵略の段階では,まだまだ「天子降臨」が目標とされている。だからこそ,「我が御子の知らす國ぞと言依さしたまひき」となる。

 であるならば,なぜ,タカミムスヒが関与してくるのだろうか。タカミムスヒは,関係ないではないか。

 血の系譜としては,タカミムスヒには,孫さえも生まれていない。将来,孫が生まれて外戚になるかもしれないという程度の立場にすぎない。

 また高木神は,私が主張した「正当性の契機」に絡むわけでもない。

 前述したとおり,タカミムスヒは,第三者として,アマテラスが企てた「天子降臨」に協力しているだけだと考えるほかない。


言依さしはやはりアマテラスなのか(復習)

 「4 言依さしはやはりアマテラスなのか」

 ところが古事記ライターは,「天照大御神,高木神の命もちて」,「葦原中国は,我が御子の知らす國ぞと言依さしたまひき」としてしまう。

 何度も言うが,タカミムスヒは「我が御子」の親でも祖父でもないのだ。
 あたかも,言依さしの根源が,アマテラスとタカミムスヒにあるような書き方だ。

 しかし,「天子降臨」にこだわる,異例の「天孫降臨」を叙述した古事記ライターとしては,アマテラスだけが根源となるはずだ。

 ここらへんが,古事記ライターのいい加減なところである。
 論理的展開など,まったく考えていない。
 本当に古来の伝承であれば,こんないい加減な展開にはならない。

 私には,あやふやな知識で,適当に,しかも乱暴に書きなぐったとしか思えない。


コトシロヌシ(事代主神)は神託を伝える神ではない(学者さんの戯言)

 さて,出雲侵略は,タケミカヅチがオオクニヌシに対し,「汝が心は奈何(いか)に。」と,国譲りを問うところから始まる。

 ところがオオクニヌシは,「僕(あ)は得(え)白(まを)さじ。我が子,八重言代主神,是れ白すべし。」と答える。

 話を,コトシロヌシに振ってしまうのだ。
 なぜ自分で答えないのだろうか。

 学者さんは,コトシロヌシが神託を伝える役割の神であり,その口から出る言葉が決定的に重要だからである,と説明する(小学館・新編日本古典文学全集・古事記,108頁)。

 皆さんこれで,思考は「ジ・エンド」。
 これが通説になっており,ここからいろいろ思考をめぐらす人さえいる。

 しかし,「叙述と文言」をきちんと把握していない戯言(たわごと)だ。
 古事記をよく読んでいないだけだ。


コトシロヌシは自分の意見を述べただけ

 コトシロヌシは,父オオクニヌシに対してこう答える。

 「恐し(かしこし)。この國は,天つ神の御子に立奉らむ」。

 見てのとおり,「自分の意見」を述べているだけであり,誰かほかの神の神託など伝えていない。
 コトシロヌシに神が降ったとか,神のお告げがあったなどという叙述は,まったくどこにもない。

 神の託宣を聞く方法は,神功皇后摂政前紀を検討した際,すでに詳細に述べた(三輪山のオオナムチなど)。そうした神託のかけらもないではないか。


いったいどの神の託宣を聞こうというのか

 神託を伝える神って,あなた。そもそも,いったい誰の神託を聞こうというのですか。

 コトシロヌシは神だ。神が神の神託を伝えるのは,おかしくはないか。

 祭る神(巫女神)が祭られる神になったとか,神が太占(ふとまに)で占って神の意思を聞くとか,古事記に繰り返し出てくる,人間と神の混同。
 人間が土足で神の領域に踏み込んだ,神話伝承の崩壊過程を示す,末期的症状。

 それはまあいい。

 だとしたら,コトシロヌシの上にいて神託を下すのは,葦原中国のドン,オオクニヌシ以外にないじゃないか。

 でなければ出雲の祖,スサノヲだろうか。
 でも,スサノヲは根国にいるからなあ。

 まさか,タカミムスヒやアマテラスなんて言うんじゃないでしょうね。

 いや,まさか,オオクニヌシって言うんじゃないでしょうね。オオクニヌシは,直前に,「僕(あ)は得(え)白(まを)さじ。我が子,八重言代主神,是れ白すべし。」と言ってますからね。

 やっぱりあれですか。宇宙神盧舎那大御神(うちゅうしんるしゃなおおみかみ)。私が開発した神ですが。

 とにかく,まったく不可解だ。


タケミナカタにも意見を聞く理由が説明できないではないか

 しかも,その後の「叙述」の展開をたどると,国をどうするのか答えるのは,コトシロヌシだけではないことがわかる。

 タケミカヅチは,コトシロヌシが答えた後,「今汝(いまし)が子,事代主神,かく白しぬ。また白すべき子ありや」と問う。

 すなわち,「託宣の神」,コトシロヌシが問題なのではなく,要するに,「オオクニヌシの子の意見を聞こうとしているだけ」である。

 コトシロヌシが神の託宣を伝える神だったら,その言葉こそが重要であり,「それで決まりです」,「それしかないのです」,のはずだ。

 ところがそうなっていない。


オオクニヌシの子を各個撃破しただけである

 オオクニヌシは,タケミナカタ(建御名方神=たけみなかたのかみ)という子があると答える。

 タケミナカタは反抗し,「科野国(しなののくに)の州羽(すわ)の海」,すなわち諏訪湖まで逃げる。

 こうして,オオクニヌシの2人の子を制圧したタケミカヅチは,オオクニヌシに,再び問う。

 ここが重要です。オオクニヌシが自分で答えず,「託宣の神コトシロヌシ」に言わせたのだと,漠然と考えていたあなた。

 「二はしらの神は,天つ神の御子の命の随に(まにまに)違はじと白しぬ。故,汝が心は奈何に(いかに)」。

 すなわちタケミカヅチは,まず2人の子を各個撃破し,共同して反抗する者をなくしておいてから,改めてオオクニヌシに問うたのだ。


神話的解釈のかけらも必要のない展開

 「叙述と文言」自体からよくわかるとおり,神話的解釈のかけらも必要のない展開になっている。

 頭のよいタケミカヅチは,オオクニヌシの子供から攻めて,各個撃破しておいて,ドンのオオクニヌシに戻ってきたのだ。

 コトシロヌシが神託を伝える役割の神であり,その口から出る言葉が決定的に重要だとかなんとかは,まるっきり関係ない。

 そんな「叙述」が,どこにあったのか。

 余計な「お勉強」,余計な神話的解釈は,テキストを読み取る眼を濁らせるだけだ。
 というより,コトシロヌシ=託宣の神という,新たなる「定理」,「お題」を作り出してしまったという意味で,日本神話の許し難い改変であろう。


コトシロヌシは国譲りの帰趨を決めてさえいない

 だから,神託を伝えるとは言わぬまでも,「恐し。この國は,天つ神の御子に立奉らむ。」というコトシロヌシの発言が,「国譲りの帰趨を決める重大なことばであった。」という学者さんの説も,いただけない(西郷信綱・古事記注釈・第3巻・筑摩書房,270頁)。

 この学者さんは,託宣の神とまでは言わない。その点で良心的だ。

 しかしこの学者さんは,オオクニヌシ → コトシロヌシ → タケミナカタ → オオクニヌシと,点々とした「叙述と文言」を,よく読んでいないのである。

 タケミナカタの反抗が功を奏していれば,それでよかったというだけの展開だ。
 考えようによっては,オオクニヌシは,無責任にも,答弁の責任を他人に転嫁したと言うこともできる。

 「国譲りの求めにたいし,『諾』という言(コト)を口にするのが,この神に割りふられた役であり,コトシロという名もこれに関係がある」と主張するに至っては(西郷信綱・古事記注釈・第3巻・筑摩書房,268頁),ちょっと,返す言葉を失う。

 それは,結果論じゃありませんか。
 そんなこと言って,恥ずかしくないかなあ。


言いすぎかもしれないが

 そんなことを言ってしまうと,こんなことになる。

 タケミカヅチは,コトシロヌシが答えた後,「今汝(いまし)が子,事代主神,かく白しぬ。また白すべき子ありや」と問う。
 タケミナカタが頑張るが,結局,そのタケミカヅチも,「この葦原中國は,天つ神の御子の命の隨(まにま)に獻らむ。」と答える。

 タケミナカタもまた,「『諾』という言(コト)を口にするのが,この神に割りふられた役」だったのだ。

 こうして,オオクニヌシの2人の子を制圧したタケミカヅチは,オオクニヌシに,再び問う。オオクニヌシは答える。「この葦原中國は,命の隨に既に獻らむ」。

 オオクニヌシもまた,子供2人が答えた後,最終的にそれを確認するという意味で,「『諾』という言(コト)を口にするのが,この神に割りふられた役」だったのだ。

 ちょっと,勘弁してくれと言いたくなる。


西郷信綱説を検討する

 この学者さんを,少々貶めすぎたようだ。

 この学者さんは,「さて,大国主がかく子の意見を重んじ,それのまにまに動いているのはなぜか。」と自分で問題提起し,「私はそれは,大国主が国々の国主たちの総合神格であったことと不可分だと考える」と,自分の回答を見つけている(西郷信綱・古事記注釈・第3巻・筑摩書房,286頁)。

 「叙述と文言」をきちんと読んでいないというのは,言いすぎのようだ。
 自分で問題提起して,それに対する回答を見つける能力もあるようだ。やはり,この学者さんも,私が指摘してきたことが気になってはいたのだ。

 しかし,その「叙述と文言」を正面に出そうとはしなかった。

 「大国主が国々の国主たちの総合神格であった」とする点が,いかにも文学部的である。
 こうした,曖昧模糊としたまとめ方をするから,わからなくなる。
 誰も検証しようのないところに,逃げ込んでしまうのだ。


「神話的事実」がすべてである

 なによりもまず,事実が大切だ。神話の話なら,「神話的事実」である。

 「神話的事実」は,日本神話の「叙述と文言」である。
 そこから,神話に入っていく。

 何があっても,「叙述と文言」という「神話的事実」に戻れば,誰も文句を言えない。
 「叙述と文言」こそが,日本神話を読む者の,最低限のコンセンサスである(異本の校合の問題はひとまずおく)。

 言葉を通じてしか,人間は理解し合えない。
 言葉は大切だ。

 だから,言葉の使い方に厳密になる。だから,「叙述と文言」をきちんと把握すべきだ。

 いくら心がよくても,誤解されてはおしまいだ。
 いくら偉い人が作った本でも,はちゃめちゃであれば,偉い人ではなくなる。
 だから,「叙述と文言」がすべてである。「叙述と文言」は怖い。

 「叙述と文言」を軽視する人は,自分勝手にぼんやりと日本神話を解釈して,新たなる神話を作っていく。
 人のうわさ話を,適当に解釈して納得して,別の噂を広めていくのと同じである。
 子供の頃,「伝言ゲーム」というのがあった。何人か並んで,内緒話で伝えていく。最初のお題が「お祭り」なのに,最後の人は,「屎まる」と答える。

 「大国主が国々の国主たちの総合神格であった」というのは,そんなこともあろうかという程度の,いわば推測である。
 これは,検証しようのないところであり,どうとでも言えるところだ。

 私は,こんなところに頓着しようとは思わない。

 それよりも,西郷氏が正当にも指摘する,「さて,大国主がかく子の意見を重んじ,それのまにまに動いている」という「叙述と文言」に頓着する。

 この学者さんは,「さて,大国主がかく子の意見を重んじ,それのまにまに動いている」という「神話的事実」を把握しているのに,真正面からそれを受け止められなかったわけだ。

 その背景には,古事記に対する「尊敬」があったのだろう。


八重言代主神という古事記の文言のいい加減さ

 ただ,学者さんたちの名誉のために言っておくと(名誉にならないかもしれないが),こうした「よたり」は,古事記ライター自身に原因があるようなのだ。

 「文言」の使い方が,ちゃらんぽらんなのだ。

 コトシロヌシの呼び名は,この国譲りという名の侵略の場面だけでも,以下のとおり転々とする。

  八重言代主神 → 八重事代主神 → 事代主神 → 八重事代主神。

 オオクニヌシが,国をどうするか我が子に話させようという場面では,「八重言代主神」として登場する。

 この名称の変遷をどう考えようか。

 「八重」という修辞で,いかにも神の言葉は何でも伝えるぞ,という雰囲気を作り,「事」を「言」にして神の言葉を告げるようなそぶりも見せる。

 だからこそ学者さんは,「言」の文字が使われたのは,言葉の働きが重視されたためだと,もっともらしく主張するのだ。


古事記ライターの気まぐれに真剣に付き合ってはダメ

 しかし叙述のどこを探しても,神託のかけらさえない。神託ということ自体,神の上の神を想定しており,論理矛盾である。そして,「叙述」自体は,かえって,神託など何も考えていない展開だ。

 コトシロヌシの名前の変遷は,それらしく書こうとした,古事記ライターの気まぐれにすぎないのだ。

 その証拠に,用字がちゃらんぽらんだ。
 こうした重要な場面で託宣をするのであれば,一貫して「八重言代主神」とすべきではないだろうか。


古事記はやはり古来の伝承のリライト版

 文言に対する古事記ライターのいい加減さは,すでに見てきた。

 場面場面によって呼び名を変えることなど朝飯前だった。
 まったく,古事記ライターの気まぐれにつきあっていたら,1000年あっても足りない。

 適当な書き方をした適当な書物なのだから,まじめに考えちゃ駄目だ。
 単に,聞き手に合わせて,適当に,乱暴に書き殴っただけの文献である。

 原初的な,古来の伝承は,「事代主神」だけだったはずだ。それを,もっともらしく書き替えようとして,余計なことをやったのが,古事記だ。

 古事記は,古来の伝承のリライト版である。


葦原中国は平和なところだ

 侵略が始まったときコトシロヌシは,「御大(みほ)の前(さき)」で,「鳥遊(とりのあそび)をし,魚取りて」過ごしていた。

 すなわち,鳥を捕まえたり魚を捕ったりして,平和に暮らしていたのだ。

 葦原中国は,「いたく騒ぎてありなり」,「道速振る荒振る(ちはやぶるあらぶる)国つ神等の多なり(さわなり)」と描写されていた。

 しかし,これは嘘だ。

 考えてみれば,これ以前に派遣されたアメノホヒもアメワカヒコも,「高天原」に帰ってこなかった。
 アメワカヒコなどは,オオクニヌシの娘シタテルヒメを娶って,葦原中国の主になろうとしていた。

 それほど葦原中国は,居心地のよいところだったのだ。


コトシロヌシはなぜ八尋熊鰐になるのか

 ここで,コトシロヌシの性格を考えておこう。「魚取りて」という叙述からすると,海洋神のようだ。

 日本書紀第8段第6の一書は,オオナムチがヤマトの三輪山に行って宮を構え,「大三輪の神」となり,その子「姫蹈鞴五十鈴姫命(ひめたたらいすずひめのみこと)」が神武天皇の后になったという。

 これには異伝があり,「コトシロヌシ」が「八尋熊鰐(やひろわに)」になって「三嶋のミゾクイヒメ」またの名「玉櫛姫」に通って産んだ子が「姫蹈鞴五十鈴姫命」だとしている。

 神武天皇即位前紀庚申8月は,この異伝を採用している。

 だから,むしろこちらが日本書紀の公定解釈ということになる。


トヨタメヒメは出産の時に「八尋の大熊鰐」になった

 海神の娘のトヨタメヒメは,出産の時に「八尋の大熊鰐」になった(第10段第1の一書)。

 コトシロヌシは,女の所に通った時,すなわち性交の時に「八尋熊鰐」になったのだ。

 生殖にかかわるとき,忘我の時に,本来の姿に戻るのだ。

 これが,日本神話の基底にある,異界との接点における伝承だ。詳細は,ヨモツヘグイを検討した際に述べた。


コトシロヌシは海にかかわる神

 コトシロヌシもまた,海にかかわる神だったのではないだろうか。そして神武天皇は,その娘を皇后にしている。

 日本書紀第9段本文では,国譲りという名の侵略を受けた時,「出雲国の三穂の碕」にいて,「釣魚(つり)するを以て楽(わざ)とす」とある。

 その本文中の異伝では,「遊鳥」,すなわち鳥の狩猟をしていたという。

 海幸彦と山幸彦との関係については,のちに日本書紀第10段の日向神話を検討する際詳しく述べるが,すでに,日本神話の形成過程等でも述べている。

 本文によれば海幸彦,異伝によれば山幸彦となるのだ。

 しかし,「八尋熊鰐」というからには,やはり海幸彦だろう。

 さて,そうすると,コトシロヌシはトヨタメヒメと同等の海神だったとしなければならない。

 「八尋熊鰐」は,「八尋」もあるほど大きく,「熊」という尊称がつくほどに獰猛な鮫だ。これこそ海の王者だ。

 コトシロヌシは,トヨタメヒメの一族がいた南九州の吾田近海(日向神話の故郷)とは異なり,朝鮮から出雲を通って,越の国あたりまでの海域を支配した神だったのではないだろうか。


コトシロヌシの隠れ方「天の逆手を青柴垣に打ち成して隱りき」

 こう考えてくると,コトシロヌシが隠れる場面も理解できる。

 「その船を蹈み傾けて,天の逆手(さかて)を青柴垣(あをふしがき)に打ち成して,隱りき。」

 天とは反対方向,「逆手」は海である。そこに「青柴垣」を作る。そこに,「船を蹈み傾けて」隠れるのである。

 普通の拍手とは違い,手の甲どうしを打つ,呪術的な拍手だという学者さんがいるが,そこまで言うのは無理ではなかろうか。

 要するにコトシロヌシは,もといた場所,海に帰っていったのだ。
 それは,水平方向の彼方,はるか遠洋にある「常世国」とは違うようである。


オオクニヌシの神裔に登場しなかったタケミナカタはいったいどこの馬の骨だ

 コトシロヌシは,国を奉ると言い残して隠れる。

 そしてタケミカヅチは,「また白すべき子ありや」とオオクニヌシに問う。オ
 オクニヌシは,「また我が子,建御名方神あり。これを除(お)きては無し」と述べる。

 これも,まったく不可解な展開だ。

 古事記ライターは,オオクニヌシの神裔を,たくさん並べ立てていたはずだ。

 例の童話的部分,すなわち稲羽の素兎,八十神の迫害,根国訪問,高志國の沼河比賣への求婚,須勢理比売の嫉妬に続いて,古事記ライターは,オオクニヌシの神裔を,ほぼ網羅的に列挙していた。
 かなりのスペースを割いていた。

 こうして,オオクニヌシの王朝物語を締めくくっていた。

 そこにタケミナカタが出てこない。

 ま,「このへんの系譜に出てくる神名には,さして深い意味はあるまい」,「この名も思いつきの感を免れない」,「ごく軽い意であろう」,「ただ何となくこう名づけたまでと思う」,「その多くは語呂あわせによるか,オートマチックな連想になるものであり,名義も不詳である」という学者さん(西郷信綱・古事記注釈・第3巻・筑摩書房,161頁以下)を相手にしていては,ぐうの音も出ないのだが。


逆にオオクニヌシの神裔に登場していた子供がなぜ登場しないのか

 学者さんの意見は捨てよう。

 オオクニヌシの神裔の場面で,オオクニヌシの子供として列挙されているのは,アジスキタカヒコネ(アジスキタカヒコネ),シタテルヒメ(下光比賣命),コトシロヌシ(事代主神),トリナルミ(鳥鳴海神)だ。

 このうちアジスキタカヒコネについては,特に「迦毛大御神(かものおおみかみ)と謂うぞ」と,押しつけがましく大書されている。

 なのに,コトシロヌシ以外のこれらの神が,出雲侵略の場面でなぜ登場しないのだろうか。

 決して,「このへんの系譜に出てくる神名には,さして深い意味はあるまい」で済まされる問題ではない。

 オオクニヌシが「また我が子,タケミナカタあり。これを除(お)きては無し」というのは,真っ赤な嘘じゃないか。

 そして,ここに記載されていないタケミナカタが登場するのは,なぜだろうか。

 シタテルヒメは,女だから無視されているのだろう。

 しかし,迦毛大御神であるアジスキタカヒコネは,なぜ無視されたのだろうか。

 トリナルミはなぜ無視されたのだろうか。
 この神は,日名照額田毘道男伊許知邇神を娶って国忍富神をもうけているから,男神だ。
 無視してよいはずがない。

 そして,肝心の男神,タケミナカタは,どこにもいない。

 結構いい加減だね。古事記は。


古事記はいい加減

 オオクニヌシの神裔に関する叙述が正しいのであれば,タケミナカタに関する伝承は嘘だ。

 タケミナカタに関する伝承が正しいのであれば,オオクニヌシの神裔に関する叙述全体の信憑性が問われます。

 古事記の叙述上,これほど重要な役割を担うタケミナカタが,オオクニヌシの神裔という系譜に登場しないのだから。

 ごく普通のライターであれば,こうした出鱈目な叙述はしない。

 タケミナカタは,904年頃までに書物として成ったとされる,先代旧事本紀に登場するほか,延喜式神名帳にも出てくるようだ。

 一方,日本書紀は,まったく無視している。

 タケミナカタは,先代旧事本紀や延喜式神名帳が成立した時代の神ではないだろうか。
 それを載せている古事記は,いったい,いかなる書物なのだろうか。


古事記はいい加減でないという意見

 日本神話には矛盾があり,曖昧模糊としているものだと居直る人,すなわち今までの日本神話を語ってきた人は,こう言うだろう。

 タケミナカタの伝承は確かにあった。
 一方で,タケミナカタが登場しないオオクニヌシの神裔に関する伝承も確かにあった。

 矛盾はあるが,そのまま後世に残した。

 それが日本神話というものだ。古来の伝承をそのまま残しているからこそ,矛盾があるのだ。それが神話である。


反論

 こんなことを言っているから,日本神話はいつまでたっても進歩しない。
 結局,曖昧模糊としたところに逃げ込んでしまうのだ。

 それは,科学でも学問でもない。

 じつは,日本神話は,日本書紀,古事記を始めとした文献が豊富だ。

 ただ,その中に矛盾がある。
 それに疑問をもたず,いろいろあったのサ,で終わらせてしまうのは,学問の放棄だろう。

 矛盾を矛盾として受け止めて,なぜそうした矛盾が生じたのかを突き詰めていくのが学問だと考える。

 古事記に関してこの手法を試みようとしない風潮は,本当におかしい。


日本書紀は漫画チックなタケミナカタ神話を取り上げなかった

 愚痴はよそう。タケミナカタ伝承に戻ろう。

 とにかくタケミナカタは,オオクニヌシの神裔の系譜に出てこないし,日本書紀には,タケミナカタ伝承そのものがない。異伝である一書にもない。

 なぜか。
 読むとわかるとおり,これも,八十神の迫害物語のように,漫画チックで歴史の対象にならないからだ。

 日本書紀編纂者は歴史を編纂しようとした。神話も歴史であった。でも,これじゃとても,神話にもならない,と考えたはずだ。


タケミナカタ伝承を検討する

 タケミナカタは,「我が子,建御名方神有り。これを除(お)きては無し。」というオオクニヌシの言葉が終わらぬうちに,颯爽と登場する。

 「如此(かく)白す間に」というのは,そういうことだ。
 いわゆる「KY」かもしれない。

 その,話の途中で傍若無人に登場したタケミナカタは,なぜかすでに,「千引(ちびき)の石(いは)を手末(たなすゑ)に(ささ)げて來て」いた。

 ボディビルの練習中だったのだろうか。
 千引の石を持って来ちゃったら,黄泉国のイザナミが,顕し国にやって来ちゃうんじゃなかろうか。
 その後,手を取り合って力比べするのだから,千引の石は,単なるこけおどしか。

 そんな心配をよそに,タケミナカタは,場の雰囲気を無視し,制圧さえして,高らかに言う。

 「誰ぞ我が國に來て,忍び忍びにかく物言ふ。然らば力競(ちからくら)べ爲(せ)む。故,我(われ)先(さき)にその御手を取らむ。」

 タケミナカタは,豪快だが,細かい交渉ごとが不得手のようだ。必要もない千引の石を持って来ちゃう茶目なところもあるが,根は単純なようだ。悪いヤツじゃない。

 で,相手のタケミカヅチに対して,「我(われ)先(さき)にその御手を取らむ。」の「御手」という敬語を使っているところからすれば,それでいて結構繊細で,気配りもあるようである。

 よくいますよね,こういう登場人物。


タケミナカタは漫画

 要するに,タケミナカタは漫画なのである。
 その漫画が,力比べに負けて諏訪まで逃れて,命乞いをする。

 こんな話,今(日本書紀編纂当時の今)いる諏訪の神や,それをいつき祭る人々に申し訳なくて,日本書紀という,国家の公文書には掲載できない。

 日本書紀編纂者がタケミナカタ伝承を掲載しなかった理由は,意外に,こんなところにあるのではなかろうか。

 もうちょっと言うと,「千引の石」の,神話上の意味の重さをまるで考えない,古事記ライターの軽さ。

 天才物書きが,これはないでしょう。


タケミナカタは日本神話の勇者か

 「タケミナカタはその葦原中国の勇者であった」と主張する学者さんがいる(西郷信綱・古事記注釈・第3巻・筑摩書房,278頁)。

 それが通説のようである。

 しかし,日本神話の「舞台」に,「勇者」という役割で登場するのは認めるが,場の雰囲気を無視したり,千引の石とともに登場する所作や,セリフや,古事記ライターによる全体の演出からすれば,しょせん漫画チックな役どころである。

 こういうのを,「引き立て役」という。

 たぶん,筋肉モリモリのいでたちで,虎皮のパンツでもはいて,場の雰囲気も考えず「オウ」などと言って,「舞台」に登場するのではなかろうか。

 きわめて演劇的な役どころではあるが,私には,「葦原中国の勇者」と断じる勇気はない。


タケミナカタはなぜオオクニヌシの神裔の系譜に出てこないのか

 さて,日本書紀にタケミナカタ伝承そのものがない理由はわかる。

 あまりにも面白おかしく語りすぎて,タケミナカタを漫画チックにしてしまったからだ。

 しかしタケミナカタは,なぜ古事記のオオクニヌシの神裔の系譜に出てこないのか。
 これは,「叙述と文言」から考える私の守備範囲を超えている。

 で,学者さんの意見を聞いておこう。

 学者さんも,「国譲りで活躍するタケミナカタの名が落ちるというのは,ちょっとありそうもない。」としながら,「やはり洩れたのだと素直に受けとっていいのだろうか。」などと,逡巡している(西郷信綱・古事記注釈・第3巻・筑摩書房,284頁)。

 私は,タケミナカタという神を使って,面白おかしいお話を語っただけのことだと思う。
 オオクニヌシの系譜を語ったときは,タケミナカタを登場させようなんて,考えていなかったのです。

 語り部としての古事記ライターは。


古事記を理解するのは大変

 古事記は語りの文学だという人がいる。私に言わせれば,「大道芸人の紙芝居」だ。
 聴衆は子供か,そのたぐいの人。

 ただ,これを理解するには,古事記全体の「調子」や,「文言」のいい加減さや,「世界観の欠除」など,この論文で言及するあらゆることを考え抜かなければならないだろう。

 特に,「世界観の欠除」は,「大道芸人の紙芝居」の本質をなす。私は,この論文のあらゆるところで,それを指摘している。

 そして,世界観そっちのけで,語りたいことだけを物語る伝承は,神話が腐り,崩壊していく過程を示していると考えている。

 一度,古事記の「ありがたさ」を抜きにして,普通の読者として古事記を読めるのかという観点から,古事記を再検証しなければならない。

 それを個人個人が行わなければ,古事記はいつまでたっても,「聖典」のままである。

 ただ,このタケミナカタ伝承は,結構わかりやすい。

 


トップページ( まえがき)

第1 私の立場と問題意識

第2 問題提起

第3 方法論の問題

第4 世界観と世界の生成

第5 神は死なない(神というもののあり方)

第6 原初神と生成神の誕生

第7 日本書紀における原初神と生成神の誕生

第8 修理固成の命令

第9 言葉に対して無神経な古事記(本当に古い文献か)

第10 古事記は伊勢神宮成立後の文献

第10の2 応神記の気比の大神について

第11 国生み叙述の根本的問題

第12 日本神話の読み方を考える(第1子は生み損ないか)

第13 生まれてきた国々を分析する

第14 国生みのあとの神生み

第15 火の神カグツチ「殺し」

第16 黄泉国巡り

第17 コトドワタシと黄泉国再説

第18 禊ぎによる神生みの問題点

第19 日本神話の故郷を探る

第20 大道芸人の紙芝居としての古事記

第21 アマテラスら3神の生成

第22 分治の命令

第23 日本神話の体系的理解(日本書紀を中心に)

第24 日本神話の構造と形成過程

第25 生まれたのは日の神であってアマテラスではない

第26 日の神の接ぎ木構造

第27 最高神?アマテラスの伝承が変容する

第28 泣くスサノヲとイザナキの肩書き

第29 日本神話学の見通しと方法論

第30 日本神話のコスモロジー

第31 誓約による神々の生成(日本書紀)

第32 誓約による神々の生成(古事記)

第33 天の岩屋戸神話と出雲神話が挿入された理由

第34 日本神話のバックグラウンド・縄文から弥生への物語
(日本書紀第5段第11の一書を中心に)


第35 海洋神アマテラスと産霊の神タカミムスヒ
(日本書紀を中心に)


第36 支配命令神は誰なのか(ねじれた接ぎ木構造)

第37 アマテラスとタカミムスヒの極めて危うい関係

第38 五穀と養蚕の文化に対する反逆とオオゲツヒメ

第39 スサノヲの乱暴

第40 「祭る神が祭られる神になった」という幻想

第41 天の石屋戸と祝詞

第42 スサノヲの追放とその論理(日本書紀を中心に)

第43 アマテラス神話は確立していない(日本書紀を中心に)

第44 出雲のスサノヲ

第45 異伝に残された縄文の神スサノヲ(日本書紀を中心に)

第46 スサノヲにおける縄文と弥生の交錯(大年神の系譜)

第47 別の顔をもつスサノヲ(日本書紀を中心に)

第48 オオクニヌシの試練物語のへんてこりん

第49 オオクニヌシの王朝物語

第50 日本書紀第8段第6の一書の構成意図と古事記の悪意

第51 スクナヒコナと神功皇后と応神天皇と朝鮮

第52 偉大なるオオナムチ神話(大八洲国を支配したオオナムチ)

第53 三輪山のオオナムチ(日本書紀第8段第6の一書から)

第54 古事記はどうなっているか

第55 偉大なるオオクニヌシ(オオナムチ)の正体(問題提起)

第56 偉大なるオオクニヌシの正体(崇神天皇5年以降)

第57 崇神天皇5年以降を読み解く

第58 国譲りという名の侵略を考える前提問題

第59 「皇祖」「皇孫」を奪い取る「皇祖神」タカミムスヒ
(国譲りという名の侵略の命令者)


第60 皇祖神タカミムスヒの根拠
(国譲りという名の侵略の命令者)


第61 古事記における命令神
(国譲りという名の侵略の命令者)


第62 第9段第1の一書という異伝中の異伝と古事記

第63 武神の派遣と失敗と「高木神」

第64 タケミカヅチの派遣(タケミカヅチはカグツチの子)

第65 フツヌシとタケミカヅチの異同

第66 コトシロヌシは託宣の神ではないしタケミナカタは漫画

第67 「オオクニヌシの国譲り」の叙述がない

第68 天孫降臨の叙述の構造

第69 サルタヒコの登場

第70 古事記独特の三種の神宝

第71 天孫はどこに降臨したのか

第72 「国まぎ」を切り捨てた古事記のへんてこりん
(天孫降臨のその他の問題点)


第73 国譲り伝承と天孫降臨伝承との間にある断層

第74 じつは侘しい天孫降臨と田舎の土豪神武天皇

第75 天孫土着の物語

第76 火明命とニギハヤヒ(第9段の異伝を検討する)

第77 日向神話の体系的理解

第78 騎馬民族はやって来たか

第79 三種の宝物再論

第80 日本神話の大きな構成(三輪山のオオナムチとの出会い)

第81 海幸彦・山幸彦の物語を検討する

第82 「居場所」のない古事記

第83 本居宣長について

第84 日本神話を論ずる際のルール

第85 神々の黄昏

あとがき

著作権の問題など

付録・初版の「結論とあとがき」


新論文
神功紀を読み解く
神功皇后のごり押しクーデター

日本書紀を読んで古事記神話を笑う 「初版」 はこちら



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