日本書紀を読んで古事記神話を笑う

日本書紀を読んで古事記神話を笑う 改訂新版

2009年10月5日up
(物語読者として日本神話を解明する)


第70 古事記独特の三種の神宝


にぎにぎしくも華やかな天孫降臨

 さて,天孫降臨だ。日本神話のハイライトと言ってもいいだろう。しかしここには,問題がいっぱい詰まっている。

 前述したように,古事記の天孫降臨は,サルタヒコが絡むなど,異伝に属する。

 実際の降臨前に,あらかじめ天孫が生まれ,その素性が説明され,サルタヒコが案内役として登場し,五伴緒が用意され,三種の神宝が授与されて,こうして準備万端整ったところで,天孫が降臨する。

 その降臨は,にぎにぎしくも華やかな降臨である。

 「三種の神宝」が登場し,武神が先頭を切る,素晴らしくも畏れ多い降臨なのだ。


天孫降臨の叙述

 降臨の場面は一見煩雑なようだが,整理すると簡単だ。

@ 五伴緒(いつとものを)の紹介(降臨につき従う5神)

A 降臨のアイテム(いわゆる三種の神宝)

B 副神3神の紹介

C 神々の説明(古事記ライターによる説明)

D 降臨の様子と降臨先の叙述

E 武神2神の紹介

F 降臨地の評価


登場する神々は日本書紀の総合版だ

 登場する神々は,以下のとおりだ。

@ 五伴緒として,アメノコヤネ(天兒屋命),フトダマ(布刀玉命),アメノウズメ(天宇受賣神),イシコリドメ(伊斯許理度賣命),タマノヤ(玉祖命)。

B 副神3神として,オモイカネ(常世思金神),タヂカラノヲ(手力男神),アメノイワトワケ(天石門別神)。

E 武神2神として,アメノオシヒ(天忍日命),アマツクメ(天津久米命)。

 @とBの神は,アメノイワトワケ(天石門別神)を除いて,すべて天の石屋戸の場面に出てきた神だ。
 アメノイワトワケも天の石屋戸に関係があるようだから,いわば,アマテラスにゆかりのあるオールスターキャストである。

 そこに,Eの武神が加わっている。

 ところで@の五伴緒は,日本書紀第7段の本文や異伝に出てくる神々をまとめたものだ。

 アメノコヤネ,フトダマ,アメノウズメは第7段本文に,イシコリドメは第7段第1の一書に,タマノヤは第7段第2の一書で,「豊玉」として登場する。

 古事記の神々は,日本書紀の各種の異伝を総合したリライト版なのだ。


古事記の三種の神宝

 降臨のアイテムは,一見して,いわゆる「三種の神宝」のようである。

 しかし,古事記だけをよくよく読み返してみると,いわゆる三種の神宝を述べているのかどうか,疑問になってくる。

 古事記はこうなっている。

 「ここにその招(お)きし八尺の勾玉(やさかのまがたま),鏡,また草薙劍,……を副へ賜ひて,詔りたまひしく,『これの鏡は,專(もは)ら我が御魂として,吾が前を拜(いつ)くが如拜き奉(まつ)れ。』」


古事記はアマテラスの「鏡」以外は無視している

 玉,鏡,剣が,一応,揃ってはいる。
 しかし,それは形式上並べたにすぎないようだ。
 結局のところ,アマテラスの象徴である「鏡」だけが大切なようだ。

 「その招きし八尺の勾玉,鏡」とある。

 すなわち,アマテラスを天の石屋戸からおびき出した時に使った玉と鏡という意味だ。それに,「また草薙劍」として,剣が付け加えられているにすぎない。

 そして,テキストの次のフレーズでは,玉さえも忘れ去られ,アマテラスは,「鏡」を自分の魂としていつき祭れと命令する。

 一方,天孫降臨という舞台に出演する神々は,アマテラスにゆかりのあるオールスターキャストの競演だった。

 古事記ライターは,三種の神宝を,対等に扱っていない。


古事記は対等な三種の神宝を採用していない

 古事記ライターは,本当に三種の神宝を信じていたのだろうか。

 この書き方からすれば,「鏡」以外は,添え物だと言ってもいいだろう。

 玉と鏡は,アマテラスゆかりの品なので登場したが,叙述の次の瞬間,玉さえも忘れ去られているのだ。

 剣は,初めから,ついでに登場したにすぎないかのようだ。

 要するに古事記では,結局のところ,アマテラスの象徴である「鏡」だけが問題になっている。

 アマテラス礼賛の精神によって,改変されているのだ。

 私はこれを,「古事記独特の三種の神宝」と呼んでおこう。


三種の神宝なんてそもそも異伝中の異伝だ

 なぜこうなっているのか。なぜ対等でないのか。

 例によって,日本書紀を調べてみるしかない。古事記だけを何度読んでも,何もわからない。

 日本書紀第9段の本文と,異伝である一書を整理すると,以下のとおり。

       (命令者)        (アイテム)

本   文   タカミムスヒ       真床追衾
第1の一書   アマテラス        三種の宝物
第2の一書   タカミムスヒ       鏡
第4の一書   タカミムスヒ       真床追衾
第6の一書   タカミムスヒ       真床追衾

 じつは,いわゆる三種の神宝など,日本書紀本文は採用していない。

 むしろ,タカミムスヒ中心の真床追衾である。異伝を調べても,タカミムスヒと真床追衾のセットが基本だ。

 とにかく,三種の神宝が出てくるのは,第9段第1の一書という異伝だけである。
 この一覧表を見ればわかるとおり,三種の神宝なんて,異伝である一書の中の異伝,「異伝中の異伝」と言うしかない。


三種対等の宝物が異伝中の異伝の基本だ

 しかも,その「異伝中の異伝」の第9段第1の一書は,「八坂瓊の曲玉及び八咫鏡・草薙剣,三種の宝物を賜ふ」とあり,3つのアイテムに軽重をつけていない。

 対等なアイテムなのだ。

 第9段第1の一書には,いわゆる「天壌無窮の神勅」があった。そこに,対等なアイテムがある。

 これこそが,世上いわゆる,「三種の神器」であろう。普通の人が素朴に信じている,「三種の神器」であろう。


古事記は異伝中の異伝のさらなる異伝

 この,第9段第1の一書は,いわゆる「天壌無窮の神勅」と結びついた,アマテラス一本主義の,典型的な天孫降臨伝承だった。

 しかしこれは,当初からの「天孫降臨」ではなく,「天子降臨」として企てられた天孫降臨であった。古事記と同じ伝承であった。

 ところが,古事記の三種の神宝は,対等な三種の神宝から,さらにアマテラス一本主義に一歩踏み込み,前述した,鏡中心の「古事記独特の三種の神宝」になっているのだ。


常識は崩壊した

 ここらへんが,日本書紀も古事記も一緒くたにして,全体的観察を行ってきた人たちの,悪しき遺産である。

 典型的な「三種の神器」という伝承が,じつは,「天孫降臨」ではなく,「天子降臨」を目指していたということ。

 それだけではなく,「天孫降臨」+「天壌無窮の神勅」+「三種の神器」という,現代人にすり込まれた常識は,じつは,何の根拠もなかったのである。


鏡中心の日本書紀第9段第2の一書

 さて,「鏡」中心の,「古事記独特の三種の神宝」である。

 鏡といえば,我が御魂としていつき祭れ,というアマテラスの命令が,どこかにあった。

 そう。日本書紀第9段第2の一書だ。

 この異伝は,世話焼きの母親アマテラスが降臨する御子を思いやり,食事はもちろん女のことまで,こと細かに面倒をみるのだった。

 その,いの一番に,御子に命令した言葉が,これだ。

 「吾が児,此の宝鏡を視まさむこと,当(まさ)に吾を視るがごとくすべし。与(とも)に床を同じくし殿を共(ひとつ)にして,斎鏡(いわいのかがみ)とすべし」。

 この異伝でのアマテラスは,「鏡」だけを与え,玉や剣は与えない。
 アイテムは「鏡」だけであり,それをアマテラス自身として,いつき祭れというのだ。


日本書紀第9段第1の一書,第2の一書をもとにリライトしたのが古事記

 もうおわかりだろう。

 古事記ライターは,アマテラス一本主義=天壌無窮の神勅=対等な三種の神宝という観念(第9段第1の一書)を前提に,特に「鏡」をいつき祭れというアマテラス礼賛の異伝(第9段第2の一書)をも取り入れて,「鏡」中心の,「古事記独特の三種の神宝」観念を作り上げたのだ。

 そもそも第9段第1の一書は,アマテラスだけが命令者となる伝承だった。

 第9段第2の一書は,タカミムスヒとアマテラスが登場するが,命令者はタカミムスヒだけだ。アマテラスは,世話焼きの母として登場するだけだ。

 しかし,ともに,日本書紀にあって,タカミムスヒ中心の伝承に反する,アマテラス系の異伝ではあった。

 古事記ライターは,日本書紀中の,アマテラス系の異伝を使って,さらに,アマテラス中心の異伝を作り上げたのだ。


日本書紀第9段第1の一書,第2の一書と,古事記の位置関係

 作り上げたと言うと,語弊があるかもしれない。

 古事記の伝承は,第9段第1の一書を基礎に,第9段第2の一書をも加味したところで成り立っている伝承である。

 これをどう評価するか,という問題である。

 少なくとも,第9段第1の一書と第9段第2の一書を基礎にして,その上に突出した異伝を築いた古事記,という模式図が頭に思い浮かぶ。

 そして,古事記に登場する神々は,アマテラス由縁のオールスターキャスト。
 三種の神宝を形式上維持するが,実質的には,アマテラスの象徴の「鏡」が中心。

 古事記は,異伝中の異伝を下敷きにした,さらなる異伝なのである。その目的は,アマテラス礼賛にある。

 古事記のどこが古いというのだろうか。古事記は,返す返すも不思議な書物である。


タカミムスヒが登場するのに降臨のアイテムとして真床追衾がない

 さらなる問題がある。

 古事記の天孫降臨には,タカミムスヒが登場するくせに,「真床追衾(まとこおふふすま)」というアイテムがない。

 上記整理表から明らかなとおり,日本書紀におけるタカミムスヒは,真床追衾と結びついている。

 日本書紀第9段本文,第4の一書,第6の一書を見れば明らかである。

 第9段第1の一書は,アマテラスが命令者だから,真床追衾がなくて当然。

 問題は第9段第2の一書だが,これは,タカミムスヒが命令するくせに,世話焼きのアマテラスが,「鏡」だけでなく食事としての稲「穂」,さらに身の回りの世話をする女(妻)まで与えてしまうという,特殊な異伝だ。

 すでに,タカミムスヒが脇に追いやられて,実際の天孫降臨場面では,アマテラスがすべてを仕切っている。

 だから,命令神はタカミムスヒだが,真床追衾が登場しなくても納得できる。

 本来の伝承では,タカミムスヒと真床追衾が結びついているはずだ。


なぜ真床追衾が出てこないのか

 古事記では,タカミムスヒが堂々と登場しているのに,なぜここで真床追衾が出てこないのか。

 私は,日本書紀第9段第1の一書,第2の一書と,古事記の位置関係について,古事記の伝承は,第9段第1の一書を基礎に,第9段第2の一書をも加味したところで成り立っている伝承であると述べた。

 ここでも,まったく同じことが言える。

 タカミムスヒが登場するのに,真床追衾が無視されている点でも,古事記の神話は,すでに,日本書紀第9段第1の一書から第2の一書的である。

 いやむしろ,第9段第2の一書に近いと言えよう。

 第9段第1の一書は,アマテラス1神が命令するが,内容が整理されておらず,読みにくい伝承だった。

 古事記は,サルタヒコやアメノウズメが登場する特殊な異伝,第9段第1の一書をきれいに整理し,さらに第9段第2の一書の,「吾が児,此の宝鏡を視まさむこと,当(まさ)に吾を視るがごとくすべし。」をも剽窃して,「鏡」中心のアイテムを採用している。


影の薄いタカミムスヒ

 だから,じつはタカミムスヒなど,どうでもよいのだ。はっきり言って,影が薄い。

 古事記ライターは,タカミムスヒなんて,それほど考えちゃいないのだ。

 古来あった,タカミムスヒと真床追衾との関係なんて,知ったこっちゃない。ただ,天命思想を排除するために,無前提の前提として「高天原」にいてくれればよいのだ。

 一方,アマテラスこそが皇祖神だ。「言依さし」により支配の正統性を代々与える根源神だ。

 タカミムスヒは,たいした活躍をするわけじゃない。しかし,国譲りという名の侵略と天孫降臨の場面では,必要不可欠になる。
 何しろ,それが天命であると言わなければならないから。

 タカミムスヒの命令は,天命である。
 その天命によって国譲りという名の侵略が行われ,天孫が降臨する。革命はありえない。

 タカミムスヒは,こうしたイデオロギーに奉仕するために配置されているだけだから,真床追衾など,もはや必要ない。

 古事記の中には,古来伝承されたタカミムスヒは,もはやいない。
 古事記は,そうした書物なのだ。


古事記は伊勢神宮成立以後の成立という古事記ライターによる告白

 さて,古事記ライターが神々の説明に熱心だったことを思い出してほしい。

 古事記の国生みは,日本書紀の国生みとは異なり,「神の国」の国生みなのだった。そして,君たちの周りにはこんな神々がいるんだよと,辟易するくらい熱心に説明してくれるのだった。

 古事記の天孫降臨には,古事記ライターによると思われる,神々の説明が加えられている。

 鏡(アマテラス)とオモイカネは「五十鈴の宮に拝き祭る」(後の伊勢神宮の内宮)。「次に登由宇氣神(とゆうけのかみ),こは外宮の度相(わたらい)に坐す神ぞ」。

 ここで一気に,伊勢神宮の内宮と外宮に祭られている,神の説明がなされる。

 内宮は,鏡で象徴されるアマテラスとオモイカネ。これはまだわかる。

 問題は,「次に登由宇氣神」とある点だ。
 この神は,天孫降臨にはまったく関係ない。「次に」というが,文脈がつながっていない。

 この神の出自を探ると,イザナミがカグツチに焼かれたときに,その尿からなった神,「彌都波能賣神。次,和久産巣日神。この神の子は,豐宇氣毘賣神(とようけひめのかみ)」という部分まで戻らなければならない。

 テキストで,42ページ分もあるのだ。

 古事記ライターは,伊勢神宮の祭神をまとめて語りたかったのだ。
 ということは,伊勢神宮に外宮と内宮が成立した後に書かれたものに違いない。

 すると問題は,伊勢神宮がいつ成立したかという問題に移っていく。

 


トップページ( まえがき)

第1 私の立場と問題意識

第2 問題提起

第3 方法論の問題

第4 世界観と世界の生成

第5 神は死なない(神というもののあり方)

第6 原初神と生成神の誕生

第7 日本書紀における原初神と生成神の誕生

第8 修理固成の命令

第9 言葉に対して無神経な古事記(本当に古い文献か)

第10 古事記は伊勢神宮成立後の文献

第10の2 応神記の気比の大神について

第11 国生み叙述の根本的問題

第12 日本神話の読み方を考える(第1子は生み損ないか)

第13 生まれてきた国々を分析する

第14 国生みのあとの神生み

第15 火の神カグツチ「殺し」

第16 黄泉国巡り

第17 コトドワタシと黄泉国再説

第18 禊ぎによる神生みの問題点

第19 日本神話の故郷を探る

第20 大道芸人の紙芝居としての古事記

第21 アマテラスら3神の生成

第22 分治の命令

第23 日本神話の体系的理解(日本書紀を中心に)

第24 日本神話の構造と形成過程

第25 生まれたのは日の神であってアマテラスではない

第26 日の神の接ぎ木構造

第27 最高神?アマテラスの伝承が変容する

第28 泣くスサノヲとイザナキの肩書き

第29 日本神話学の見通しと方法論

第30 日本神話のコスモロジー

第31 誓約による神々の生成(日本書紀)

第32 誓約による神々の生成(古事記)

第33 天の岩屋戸神話と出雲神話が挿入された理由

第34 日本神話のバックグラウンド・縄文から弥生への物語
(日本書紀第5段第11の一書を中心に)


第35 海洋神アマテラスと産霊の神タカミムスヒ
(日本書紀を中心に)


第36 支配命令神は誰なのか(ねじれた接ぎ木構造)

第37 アマテラスとタカミムスヒの極めて危うい関係

第38 五穀と養蚕の文化に対する反逆とオオゲツヒメ

第39 スサノヲの乱暴

第40 「祭る神が祭られる神になった」という幻想

第41 天の石屋戸と祝詞

第42 スサノヲの追放とその論理(日本書紀を中心に)

第43 アマテラス神話は確立していない(日本書紀を中心に)

第44 出雲のスサノヲ

第45 異伝に残された縄文の神スサノヲ(日本書紀を中心に)

第46 スサノヲにおける縄文と弥生の交錯(大年神の系譜)

第47 別の顔をもつスサノヲ(日本書紀を中心に)

第48 オオクニヌシの試練物語のへんてこりん

第49 オオクニヌシの王朝物語

第50 日本書紀第8段第6の一書の構成意図と古事記の悪意

第51 スクナヒコナと神功皇后と応神天皇と朝鮮

第52 偉大なるオオナムチ神話(大八洲国を支配したオオナムチ)

第53 三輪山のオオナムチ(日本書紀第8段第6の一書から)

第54 古事記はどうなっているか

第55 偉大なるオオクニヌシ(オオナムチ)の正体(問題提起)

第56 偉大なるオオクニヌシの正体(崇神天皇5年以降)

第57 崇神天皇5年以降を読み解く

第58 国譲りという名の侵略を考える前提問題

第59 「皇祖」「皇孫」を奪い取る「皇祖神」タカミムスヒ
(国譲りという名の侵略の命令者)


第60 皇祖神タカミムスヒの根拠
(国譲りという名の侵略の命令者)


第61 古事記における命令神
(国譲りという名の侵略の命令者)


第62 第9段第1の一書という異伝中の異伝と古事記

第63 武神の派遣と失敗と「高木神」

第64 タケミカヅチの派遣(タケミカヅチはカグツチの子)

第65 フツヌシとタケミカヅチの異同

第66 コトシロヌシは託宣の神ではないしタケミナカタは漫画

第67 「オオクニヌシの国譲り」の叙述がない

第68 天孫降臨の叙述の構造

第69 サルタヒコの登場

第70 古事記独特の三種の神宝

第71 天孫はどこに降臨したのか

第72 「国まぎ」を切り捨てた古事記のへんてこりん
(天孫降臨のその他の問題点)


第73 国譲り伝承と天孫降臨伝承との間にある断層

第74 じつは侘しい天孫降臨と田舎の土豪神武天皇

第75 天孫土着の物語

第76 火明命とニギハヤヒ(第9段の異伝を検討する)

第77 日向神話の体系的理解

第78 騎馬民族はやって来たか

第79 三種の宝物再論

第80 日本神話の大きな構成(三輪山のオオナムチとの出会い)

第81 海幸彦・山幸彦の物語を検討する

第82 「居場所」のない古事記

第83 本居宣長について

第84 日本神話を論ずる際のルール

第85 神々の黄昏

あとがき

著作権の問題など

付録・初版の「結論とあとがき」


新論文
神功紀を読み解く
神功皇后のごり押しクーデター

日本書紀を読んで古事記神話を笑う 「初版」 はこちら



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