日本書紀を読んで古事記神話を笑う 改訂新版 |
2009年10月5日up | (物語読者として日本神話を解明する) |
日本神話の体系やアマテラスを追究するあまり,禊ぎによる神生みを離れて,日本書紀に深入りしてしまった。 さてここで,いわゆる「三貴神」のうち,古事記のスサノヲに焦点を当てよう。古事記は伝えている。 海を支配するよう命ぜられたスサノヲは,「命(よ)させし国を治らさずて」泣き続け,「青山は枯山(からやま)の如く泣き枯らし,河海は悉に(ことごとに)泣き乾(ほ)しき」。 その結果,「惡しき~の音(こえ)は,さ蝿(ばえ)如(な)す皆滿ち,萬(よろず)の物の妖(わざわひ)悉(ことごと)に發(おこ)りき」。 「伊邪那岐大御神」は,「何由(なにし)かも汝(いまし)は事依させし國を治らさずて,哭きいさちる」,すなわち,命令した国を支配しないで泣いてばかりいるのはなぜかと聞いた。 スサノヲは,「僕(あ)は妣の国(ははのくに)根の堅州国(かたすくに)に罷らむ(まからむ)と欲ふ。故(かれ),哭くなり」と答えた。 そこで「伊邪那岐大御神」は怒って,スサノヲを追放した。そして「伊邪那岐大神」は,「淡海の多賀」に鎮座した。
スサノヲは,「海原」の支配を命令されたのだった。その,支配領域のいい加減さや,近海も遠洋もある「海原」の意味は,すでに検討した。 しかし,海を支配したなんて,そんなこと,みんな本当に信じているのだろうか。 ここのところの「叙述と文言」を読むと,海は忘れられて,陸地の支配を命令されたかのようだ。 「命させし国を」とか, 国,青山,枯山,河,蠅。すべて,陸地を前提とした「叙述と文言」ではないか。 海とはまったく関係ないではないか。
青山も河も,海にはない。蠅は海にはいない。「さ蠅如す」云々は,葦原中国を悪く言うときの常套文句だ。海に国は作れない。 特に,悪しき神が満ちたというところ。 「惡しき~の音は,さ蝿如す皆滿ち,萬の物の妖悉に發りき」というところは,アマテラスの石窟隠れで有名な場面にも出てくる表現と,まったく同じだ。 そこでは,アマテラスが石窟に隠れ,葦原中国が真っ暗闇になったので,「萬の~の聲は,さ蝿なす滿ち,萬の妖悉に發りき。」とある。 明らかに,国土を対象とした形容だ。決して,海原ではない。 いや,そもそも,「汝命(いましみこと)は,海原を知らせ。」と言っていたくせに,「命させし国を」とか,「何由かも汝は事依させし國を治らさずて,哭きいさちる」なんて,矛盾しているじゃありませんか。
この間,テキストにして2行,または6行。 古事記ライターは,一体何を考えているのだろうか。 こんなことからも,海原の支配を命じられたというのは,よたった古事記ライターの,何かの間違いではないか,と考えてしまうのだ。 そうとでも受け取っておかない限り,わけがわからない。 私は,叙述者の立場に入り込んでものを考える。古事記の内側に入ってものを考える。だから,「叙述と文言」を重視し,そこから叙述者の頭の中や,できれば,叙述者の心情にまで,入り込んでいきたいと願っている。 「叙述と文言」を読むというのは,具体的に言えば,そういうことだ。 しかし,この古事記ライターの頭の中身,思考過程は,まったくわからない。
その,よたり具合は,イザナキの呼び方にも表れている。 もうこうなると,揚げ足取りではないかと言われるようで恐縮してしまうのだが,仕方がない。 イザナキが「伊邪那岐命」から「伊邪那岐大御神」になって「伊邪那伎大神」になるのだ。 私は,早くスサノヲを論じたいのだが,テキストにこんなことが出てくるのを無視するわけにもいかぬ。 ああ,こんなしょうもない問題,早く片づけて次にいきたいヨ。
仕方がないので,ここでまとめておこう。 @ 神世七代の一員として生まれてきた場面では,神々しくも「伊邪那岐神」。 A 「国生み+神生み=神国日本」の国作りの場面では,「天つ神諸」の「修理固成の命令」を受けて働く,将棋の駒にすぎないから,「伊邪那岐命」。 B 黄泉国の場面も,「神国日本」の国作りの最中だから,「伊邪那岐命」。 C 黄泉国から帰ってきて,禊ぎで神を生む場面では,これから神々しくも貴いアマテラスらが生まれてくるから,「伊邪那伎大神」。 D でも,生まれたアマテラスらに支配を命令する場面では,「伊邪那岐命」。 E しかし,スサノヲを問いつめ,怒って追放する場面では,思いっきり居丈高になって,「伊邪那岐大御神」。 F そして,最後に「淡海の多賀」に祭られるところでは,「伊邪那伎大神」。
なぜこんなにも,節操がないのか。信じられないほどの,節操のなさだ。 当時の世間における,神のランク付けがあったはずだ。ここの神は「大神」,あそこの神は「神」などという。だから,政治的にランク付けるといっても,勝手にはできない限度がある。 たとえば,「大神」としていつき祭られている神を,「命」で通すわけにもいくまい。そんなことをすると,いつき祭っている人々に信用されない。 だからこそ日本書紀は,しっかりと,神々をランク付けしている。 神々をランク付けするなんて,素朴な神話じゃないよね,なんて意見はあるだろうが,現実にいつき祭られている神々がいるという事実は,きちんと踏まえている。 だから,日本書紀第1段本文(しかもテキスト1ページめ)には,至貴を「尊(そん)」といい,自余(その余)を「命(めい)」という,以下皆これに倣え(ならえ),という分注が,突然出てくる。 その後の,「神」と「大神」の使い分けも厳密だ。 何度も言ったが,古事記ライターは,ご都合主義の権化。無節操。 現実にいつき祭られている神が,「命」なのか,「神」なのか,「大神」なのか,「大御神」なのかなんて,知ったこっちゃない。
「古事記における『大御神』の研究」という「お題」で,誰か研究してみてほしい。いや,古事記を真面目に読むならば,やらなければならないお題だ。 アマテラス神話が確立したから「天照大御神」と呼ぶのはわかる。 これは,「口承伝承としての古事記」という観点から切り込んでも面白いだろう。 私は,大学での助手論文のテーマになると思う。これは,嫌味でも冗談でもない。 材料はたくさんある。
ひとつヒントを与えよう。 東征を果たした神武天皇は,山に登り,国見をして四囲が青垣に囲まれた大和盆地を称え,狭いけれど交尾をしている蜻蛉(あきづ)のようだと称える(神武紀31年4月)。 日本書紀編纂者は,これにより「秋津洲」の名が起こったとする。そしてそれに並べて,次の事実を紹介している。 イザナキは「浦安の国(うらやすのくに)」,「細戈の千足る国(くわしほこのちだるくに)」,「磯輪上の秀真国(しわかみのほつまくに)」と呼び, イザナキは,偉大な神だったようです。
例によって,学者さんの意見を聞いておこう。 上記Eの,スサノヲを問いつめ,怒って追放する場面で「伊邪那岐大御神」となる理由について,「天照大御神をもたらした後だから特に尊ぶのだと解される」としている(小学館・新編日本古典文学全集・古事記,55頁)。 ならばと,他の,「命」,「神」,「大神」とされている場面を読んでみても,何のコメントもない。 単に,突然「大御神」ときたから,それに驚いて,上記注釈をしただけのようだ。 やはり,助手論文が必要なようだ。
古代の人々は,神に囲まれて生きていた。 「尊」と「命」の使い分けは,日本書紀編纂者による使い分けだから(日本書紀第1段本文の分注),古代の人々が見ていたのは,@「大神」,A「神」,Bその他肩書きさえない木の祖ククノチ(句句廼馳)のような自然神,だったことだろう。 そうした事実があったはずだ。 その事実を前提にしたのが日本書紀の神話だ。肩書きの使い分けは厳密だ。 ところが古事記は,叙述の都合により,神の肩書きを平気で使い分ける。
最低限言えることは,古事記に残された伝承は,古来の伝承そのものではないということだ。 古事記は語りの文学である,と言う人がいる。 まったくそのとおりで,古事記は,古来の伝承を基に,子供,あるいはそれほど教養のない人を相手に,古来の伝承を語って聞かせたという文学だ。 私はそれを,「大道芸人の紙芝居としての古事記」と述べた。 そうした,語りの文学であるから,場面場面によって,「神」が「命」になっても,「大神」になっても,「大御神」になっても,全然かまわないわけだ。 そもそも,「古事記は語りの文学」というとらえ方自体が,「古来の伝承そのもの」ではないと告白しているようなものだ。 上記した@からFまでを,読み返して欲しい。 こう考えると,ちゃらんぽらんな古事記ライターの叙述精神が,手に取るようにわかってくる。
もはや言うまでもないことだが,こんなことをするなんて,古来の伝承のリライト版なのである。 けっして,古い伝承そのままを残しているわけではない。 古来の伝承を知っている古事記ライターが,その一貫した叙述精神によって,きちんと肩書きを書き分けたのだ。 しかしそのリライトたるや,私には,あさましさや卑しささえ感じられてしまう。 私は,学問の対象として古事記を分析している。 こんな古事記ライターを信用しろという方がおかしい。いやしくも文章を作ることを生業にしている者ならば,誰でもみな,そう思う。 こんなことを指摘するのが,もう,いいかげん嫌になってしまう。 私はそう考える。
さて,もともとは,「分治の命令」で,スサノヲの支配領域に関する古事記ライターのよたり具合を指摘していたのだった。 そこから,「天の下の主者を生むと言っているのにじつは生まれていない」という疑問が生まれ,「日本神話の体系的理解」に発展し,さらに「日本神話の構造と形成過程」まで話が進み,「生まれたのは日の神であってアマテラスではない」という,日本神話の根本問題にまで突き進んでしまった。 で,やっとスサノヲに戻ってきたのに,まず,イザナキの肩書きの無節操さに引っかかってしまった。 古事記を論ずるのは,大変だ。誰も整理分析して読んだことがない世界だから。 今までの学者さんが解決してくれているのなら助かるのだが,そんなことがまるでない。 注釈書でさえ,私にとっては頼りない。 だからといって,そっちを論ずると,論文の方向性がわからなくなる。 まあ,愚痴ですが。
さっさと,「泣くスサノヲ」という本題に入りたい。 今までの,イザナキの肩書きの問題は,じつは,些末的なことだ。 古事記におけるスサノヲは,ただひたすら泣くだけの,ダメ男として描かれている。 「青山は枯山の如く泣き枯らし」とか,「河海は悉(ことごと)に泣き乾しき」とか,すべて,泣いてばかりいる男,という叙述だ。 しかも,あろうことか,「妣(はは)の国根の堅州国」に行きたいという。
ここが肝心だが,古事記では,決して,暴虐無道の男神ではない。 古事記は,日本書紀と異なり,暴虐のために人々が死んだとかいう表現は出てこない。 単に泣くだけの男とされているところが,問題なのだ。 じつは,古事記ライターが手本にしたと思われる日本書紀第5段本文のスサノヲは,単なるメソメソ系ではない。 泣くには泣くが,「勇悍(いさみたけ)くして安忍(いぶり)なる」というのだ。勇猛で残忍だということだ。だから,国民をたくさん殺してしまった。 その表現を残してくれたなら,スサノヲも本望だったろう。 でも,勇猛な側面をカットしてしまったのが,古事記ライターのリライトなのだ。
自分の子供に「悪魔」と命名してよいものか。昔,新聞の話題になった。 「鬼」,「悪魔」という命名は,尊称という面もある。それだけ生命力が強いという意味だ。 だから,日本書紀におけるスサノヲには,生命力の強い神という側面から,幼児のように泣く性格まで,幅広い性格があったということなのだろう。 それは確かに,わかるような気がする。世の中で傑物と言われる人は,そうしたものだ。感情の振幅が大きい。 冷徹な面があるかと思えば,情にもろく涙もろい。 その結果,人が飢えても死んでも仕方がない。でも全体としてはこれでよい。あとは俺の責任だ。そこまで腹がくくれる人こそ,傑物というのだ。 それはともかく,日本書紀第5段本文のスサノヲには,凶暴な面と泣き虫の面とがあった。
だから,日本書紀編纂者たちは,スサノヲを尊敬している。少なくとも,そのありようを,きちんと伝えている。 古事記はどうだろうか。 暴虐無道という側面は大胆にカットして,単に泣くだけの,ダメ男にしてしまった。 弱々しく女々しい神。支配という任務を放棄してしまう神。乳離れできていない神。 そのすぐあとに,スサノヲがアマテラスに会うために,天に上る場面がくる。ここでは,「天に参上る時,山川悉に(ことごとに)動み(とよみ),国土皆震(ゆ)りき」とある。 だから,暴虐無道という側面を必ずしも無視しているわけでもないようだ。 しかし,イザナキによって追放される場面では,思いっきり居丈高に叙述した「伊邪那岐大御神」との落差を強調するために,単に泣くだけの男にしてしまった。 私はここに,古事記ライターの悪意,リライトの痕跡を感じてしまう。
スサノヲは,命令された国を支配しないで,「八拳須(やつかひげ)心(むね)の前に至るまで,啼(な)きいさちき」,とされている。 これを読むと,30歳になるまで言葉が話せなかった垂仁天皇の子,誉津別王(ほむつわけのみこ)を思い出す(垂仁天皇23年9月)。 そこでは,「八掬髯鬚(やつかひげ)むすまでに,猶泣(いさ)つること児(わかご)の如し」とされている。 泣いてばかりいるのは幼児だ,一人前の大人ではないという認識だ。幼児同様どうしようもない。立派な大人ではないという感覚だ。
古代の人々が,子供をどのような視点で見ていたのかという問題がある。 生産力が著しく低い時代の話だ。現代とは異なり,子供だからといって甘やかされることはなかった。 大人になる前の未完成な人間。それが子供だ。 時代も場所も違うが,ブリューゲルの絵には,大人のだぶだぶの服を着た子供が出てくる。 大人こそが人間であり,子供は,人間になる前の中途半端な存在。 これは,西洋美術を専攻する,ある学者さんの見解だ。そうだろうなと思う。 古事記における「泣くスサノヲ」には,立派な大人の年齢になっても,子供のように泣くだけの,箸にも棒にもかからない奴,という意味合いが込められている。 はっきり言って,侮蔑されている。 これが,スサノヲを貶める第2の点だ。
スサノヲを貶める第3の要素は,ほかでもない。「妣(はは)の国根の堅州国」に行きたいという点だ。 支配を放棄して,母のいる所に行きたいという,情けない神になっているのだ。乳離れしない子。男の子じゃないというわけだ。 古事記ライターの意図がそうだったことは認めます。 しかし,こんなこと,本当にみんな,信じているのか? あらゆる人に聞いてみたい。質問してみたい。 それが私の見解です。
イザナキは,イザナミがいる黄泉国から逃げてきて,ヨモツヒラサカ(黄泉比良坂)でコトドワタシ(事戸渡し)して,すなわち絶縁(離婚)して,それから禊ぎを行って,スサノヲを生んだのでした。 スサノヲは,単性生殖で生まれてきたにすぎない。 スサノヲは,イザナミの顔さえ知らないではないか。
こんなのが,「おかーさーんっ。」て呼ぶなんて,私は,決して信じない。 恋しがって泣くなんて,嘘の涙だ。 よーく考えてご覧なさい。現実にこうした関係があったとして,父親がかつて結婚していた女を,母,母なんて呼びますか? 恋しがりますか? 古事記を,語りの文学だという人がいる。 だったら,この語りはめちゃくちゃである。一般人に通用しない。古代の一般人も,語りを聞いていて,「なんかおかしぞ。」と思ったに違いない。 古事記の「叙述」は,めちゃめちゃで,無理無理なのである。 「妣(はは)の国根の堅州国」に行きたいとは,これいかに。 スサノヲの涙が嘘なのではなく,古事記ライターが嘘(または誤解)をついているのだ。
もともと母のない子が,「母を求めて3000里」なんて,ありえません。 それとも,イザナキから写真を見せられて,「これがお前の母親だよ。不憫な子だねえ。」と言われて,育てられたとでも言うのだろうか。 私は,スサノヲが母のいる国へ行きたいと言って泣いたなんて,とんでもない誤解であり,駄話だと考える。 小学生でも,自分の母親が誰か,自分に母親がいるかいないかくらいは,わかる。 これを論理整合性のあるように解釈しようとするもんだから,古事記解釈があらぬ方向に行ってしまうのだ。ドツボにはまり,「新たなる神話」を作ってしまうのだ。
私がこんなことを言っても,信じようとしない人が一杯いることは,容易に想像できる。 しかし,「叙述と文言」をきちんと読む限り,駄話と言うほかないのである。日本最古の古典に,駄話が掲載されていると考えるしかないのだ。 そして,「妣(はは)の国根の堅州国」に行きたいという古事記の「叙述と文言」は,古事記ライターの誤解であることを,しっかりと把握しておく必要がある。 これがぶれると,根国と黄泉国の区別もつかないことになる。 その誤解の内容は,@ イザナミがスサノヲの母であるという誤解,A イザナミが「根の堅州国」にいるという誤解,の2つだ。
@が明白な誤解であることは,今さら述べるまでもない。 問題はAである。 古事記ライターは,イザナミが黄泉国へ行って,「黄泉津大神」になったと「叙述」したはずだ。 古事記ライターは,「叙述と文言」上,明白な矛盾を犯している。
「叙述と文言」だけだと,あげあし取りだなんて言って,駄々をこねる人がいるから,もうちょっと,実質的な話をしよう。 後の展開をみてみよう。 「高天原」を追い払われたスサノヲは,出雲に降り,八俣の大蛇(やまたのおろち)を退治して,宮を作って栄えた。 というのも,スサノヲの子孫であるオオクニヌシが,スサノヲがいる「根の堅州国」を訪問した,と「叙述」されているからだ。 その時スサノヲは,「根の堅州国」の「大神」になっていた。
ところが,ここのところの叙述自体からは,「根の堅州国」にイザナミがいる気配はない。もちろん,イザナミは登場しない。イザナミの「い」の字の気配さえない。 というより,「叙述と文言」自体が,イザナミの存在を拒否している。 それどころか,スサノヲの娘,スセリヒメが平気で生活している。 子が生まれたら,「それはゾンビだ。」って,抗弁するのかね? そりゃ無理だって。 死という後ろ向きの話じゃないって。スセリヒメは,修行中の愛しいオオクニヌシを助けるため,前向きに,ヴィヴィッドに生きてるよ。 スサノヲだって生きてるぞ。「生太刀」,「生弓矢」,「天の詔琴」を持ってるんだから,あながち死んでいるわけでもなさそうだ。
そんなことよりも,スセリヒメは,根の堅州国で毎日食事をしたはずである。ヨモツヘグイを,何度したことだろう。毎日毎日していることであろう。 ところが,スセリヒメを奪ったオオクニヌシは,平気で「顕し国」に帰ってくる。 イザナキは,イザナミを背負って,「顕し国」に帰ってこれなかった。「黄泉比良坂」で別れなければならなかった。 いやいや,そういえばオオクニヌシは,スセリヒメと結婚して,スサノヲの試練に耐える間,根の堅州国に何日も滞在していたはずだ。 オオクニヌシだって,よくも平気で,顕し国(現世)に帰ってこられたものである。
まだまだ反論できるぞ。 千引の石(千人所引の磐石=ちびきのいわ)はどうなった? イザナキは千引の石で,黄泉国と顕し国とを塞ぎ,イザナミが出てこられなくしたのではなかったか。 古事記ライター自身がそう書いているではないか。 なのになぜ,オオクニヌシとスセリヒメは,顕し国へ出られたのか。 答えは1つ。根の堅州国は,黄泉国ではないからだ。千引の石もなかったわけだ。
そして,根の堅州国での支配者,大神は,スサノヲ。「黄泉神」や「黄泉津大神」ではない。 ま,これは,「顕し国」での「思い出の品」かもしれないが。 でも,これはどうだ。 オオクニヌシは,「須佐能男命の坐(ま)します根の堅州國に參向(まゐむか)ふべし。必ず其の大神,議(はか)りたまひなむ。」という忠告に従って,根の堅州国へ行ったのである。 古事記ライター自身がそう言っている。 すなわち,根国はスサノヲが「大神」として支配する国であり,そこに行けばいいよ,何とかしてくれるよ,というのだ。 追いかけてきたイザナキに対して,イザナミは,「黄泉神」と相談してくると言った。黄泉国の支配者は「黄泉神」だが,根の堅州国の支配者は,スサノヲなのである。
で,スセリヒメを背負って逃げるオオクニヌシは,黄泉比良坂を越えて,顕し国に逃げおおせる。 ところがスサノヲは,イザナミと同様,この黄泉比良坂を越えられない。それを超えて,「顕し国」に出られない。 イザナミと同じ立場に立ったスサノヲだが,だからといって,いまさら,スサノヲが黄泉国にいたことにはならない。 それは,前述した,各世界に関する古事記ライター自身の「叙述と文言」が語っている。 スサノヲは,根の堅州国の大神だったから,顕し国に来なかったにすぎない。職務放棄できなかったんだね。
では,黄泉比良坂とはいったい何であろうか。 やはり,黄泉国との境界なのであろうか。 私は,現世=顕し国と「他界」との境界であって,その「他界」の中に,黄泉国も根の堅州国もあるのだろうと考えている。 | 古代の人々にとって,黄泉国との境はこっち,根の堅州国との境はあっち,などという観念はなかっただろう。 要するに,自分が住んでいる「顕し国」と「他界」,その境界だけが問題なのであって,他界への入り口から入っていくと,黄泉国や根の堅州国に別れていくのであろう。 「常世国」は,後述するとおり海の彼方にある国だから,また別である。
ま,混乱した古事記の「叙述と文言」を合理的に解釈せざるをえない私はそう考えるのだが,それにしても古事記ライターは,古事記読者を裏切っている。 「妣(はは)の国根の堅州国」に行きたいという古事記の「叙述と文言」は,イザナミが「根の堅州国」にいることを保証していた。 ところが,肝心の根の堅州国の「叙述」の場面に至ると,そんな保証は,馬耳東風。自分が書いたことなど,知らぬふり。 だから,この,オオクニヌシの根の堅州国訪問の場面を読んでいくと,最後まで,根国は黄泉国とは違うんだなと思ってしまう。 ところが,最後の最後でどんでん返し。 しかし私は,古事記ライターには,「妣(はは)の国根の堅州国」という,思い込みがあったと思う。 じつは,そんなところが,古事記叙述史上の,古事記ライターの「真実」かもしれない。
妣の国根の堅州国について,学者さんはどう言っているか。 原文は,「吾欲従母於根国」である。 ここにいう母は,イザナミを指すのではなく,一般的な言い方の母であり,むしろ母なる大地を意味しているとする説がある(小学館・新編日本古典文学全集・日本書紀1,51頁)。 母なる大地に帰りたい,という意味だと,主張しているようだ。 この学者さんは,禊ぎから生まれたスサノヲに,母がいないことがわかっているのだ。 しかし, ではないでしょうか。 意味不明です。
この,「吾欲従母於根国」は,確かに難解だ。 スサノヲは,「この國に住むべからず」とされて,追放されたのだ。 「母なる大地」に帰りたいという意味だとすると,「母なる大地」は天の下の世界だから,これではスサノヲが,「この國」すなわち天の下から追放されたことにならないではないか。
古事記は,古事記独自の伝承を伝えているのだろうか。 古事記は,「僕(あ)は妣の国(ははのくに)根の堅州国(かたすくに)に罷らむ(まからむ)と欲ふ。故(かれ),哭くなり」としている。 ここでは,「妣の国」という字をあてている。 「漢字源」によれば,「【妣】 《訓読み》 はは 《意味》{名}はは。死んだ父(=考)に対して、死んだはは。▽生前には母といい、死後には妣という」とある。 また,神代記最後には,イナヒ(稲飯命=いなひのみこと)が入水して死んだことを,「妣の国」,すなわちタマヨリヒメ(玉依毘賣命)の国へ行ったと「叙述」している。 「妣」は,亡母なのだ。だから「妣の国」は,亡母のいる国ということになる。 どうだろう。古事記ライターの勘違いが,第5段第6の一書よりも明白ではないか。 「母」であれば,母なる大地と逃げることができる。しかし「妣の国」では,もはや逃げようがない。
古事記ライターは恥の上塗りをやっている。 古事記ライターは,なぜ,小学生でもやらかさない過ちを犯したのだろうか。 頭の中に,イザナキとイザナミの結婚からスサノヲが生まれる,日本書紀本文や何やらの伝承があったに違いない。 そして,アマテラスお大事の古事記ライターは,スサノヲを貶めたくて貶めたくて,しょうがなかったのだ。 母のいる根国へ行きたいと言って泣いている,メソメソ系のダメ男として描こうとしたがために,つい筆が滑って,第5段第6の一書がやらかしたヘマをそのまま持ち込んで,そのヘマを,むしろはっきりさせてしまった。 こういうのを,恥の上塗りと言うのだろう。 私は,ここに,古事記ライターの,ライターとしての本質が顔を見せていると思う。 このように古事記は,古い伝承のリライト版であり,かなり新しい成立だ。それは,第5段第6の一書にも言えることだ。
古事記ライターは,暴虐無道な性格をカットして,めそめそ泣くだけの,幼児のようなスサノヲを描いている。 ところが一方で古事記ライターは,前述したとおり,オオクニヌシの根国訪問の場面で,男性的で豪快な「大神」を描いている。 スサノヲは,根の堅州国で大神になっていた。「生太刀(いくたち)」と「生弓矢(いくゆみや)」と娘スセリヒメ(須世理毘賣)を奪って逃げるオオクニヌシに対し,立派な宮殿を造って栄えよ,こいつめ,と言葉を投げかける。 どちらが本当のスサノヲなのだろうか。 私の考えでは,「妣の国根の堅州国」というのは何かの間違いだから,単に,「根の堅州国」へ行きたがったというだけのことだ。
「根の堅州国」は「妣の国」ではないから,「黄泉国」と同じではない。まったく違う世界だ。 古事記ライターは,イザナミがスサノヲの母であると誤解して,「妣の国根の堅州国」とやってしまったがために,イザナミがいる「黄泉国」とスサノヲが行く「根の堅州国」とが同じ世界であるという誤解を,後世の人々に与えてしまった。 古事記ライター自身が,この結論をどこまで意識していたか,まったく疑問であるが・・・。 そして,同じ国だとなると,イザナミが顕し国に帰ろうとして相談した「黄泉神」と,その後「黄泉津大神」になったイザナミと,根の堅州国の「大神」になったスサノヲと,いったい誰が一番偉いのだろうか。 「大神」同士の権力闘争はなかったのだろうか。
現在の神道の世界で,そんな世界を説明できますか? 私にはさっぱりわからない。 特に「大神」が2神も並び立つなんて。女優が2人並び立つことがあり得ないように,お互いに牽制し合って,それこそ,「天照大神」と「倭大国魂神」が争ったように,「其の神の勢を畏りて(おそりて)」,安んじて共に住むことができなくなるのではないか(崇神天皇5年)。 古事記ライターの世界観には,ついて行けない。 これは,いくら勉強しても,いくら理屈をこねても,致し方のないことである。はっきりと,古事記の内容がこの程度だと,割り切るほかないのだ。 時間をかけて研究しても,無駄である。 まあ,誰にもわからないから,すぐあきらめるだろうし,実害はないかもしれないが。 古事記と同様の伝承を伝える日本書紀第5段第6の一書も,いわば駄伝承だったわけだ。日本書紀編纂者は,こうしたいい加減さを知っていたからこそ,公権的公定解釈として採用しなかった。 ところが古事記ライターは,こうした駄伝承にとびついた。
ところで,禊ぎによる神生みを終えたイザナキは,その後どうなったのだろうか。 古事記は,「淡海の多賀」に鎮座したと伝えている。 しかし日本書紀第6段本文は,「神功」すでに達成したので「霊運当遷(あつし)れたまふ」とし,「幽宮(かくれみや)」を「淡路の洲」に作って,「寂然(しずか)に長く隠れましき」と述べている。 近江と淡路島と,どちらが正しいのだろうか。 学者さんは,どちらに伊佐奈伎神社があるとか,ないとか,論じているようだ。そんなことよりも,文献自体はどうなっているのだろうか。
日本書紀を読んでみよう。 履中天皇の時代,履中天皇が淡路島で狩りをしていると,イザナキが現れて,河内飼部(かわちのうまかいべ)がしていた刺青の「血の臭きに堪へず」と言う(履中天皇5年3月)。 やはり淡路島で狩りをしていた允恭天皇の前に現れて,我に赤石(あかし,現在の明石)の海の底にある真珠を奉れと述べた島の神も,イザナキなのだろう(允恭天皇14年9月)。 だから,淡路が正しそうだが,古事記にも,「淡海の多賀」という真福寺本と,「淡路の多賀」という道果本とがあるようだ。 余談だが,前述したとおり,神は死なない。別の世界に行くだけだ。 「霊運当遷」というのは,「霊運」が「当(まさ)」に「遷」るということなのだろう。神話の表舞台から退くだけなのだから,「寂然(しずか)に長く隠れましき」となるのだ。 なお,イザナキもイザナミも,南九州の吾田で生まれ,神武「東征」とともに,ヤマトにやってきた。 こうしてこの2神の伝承は,ヤマトに定着し,こうした伝承が生まれたのであろう。
イザナミはどうだろうか。 古事記では,「三貴神」誕生の前に,すでに「黄泉津大神」になっていた。 しかしそこには,もともといた「黄泉神」との関係がわからないという,論理矛盾があった。 黄泉国と根の堅州国とを同一視する学者さんや一般の研究者の立場からすれば,根の堅州国で「大神」になっていたスサノヲとの関係が,さらにわからなくなるはずだ。 私は,イザナミが「黄泉津大神」になったという,古事記の伝承を信じていない。と言うのも,日本書紀では,前述したとおり,イザナミが消えてしまうからだ。 日本書紀第5段本文と第6段本文を,続けて読んでみてほしい。 私は,イザナミは,日本書紀の基本原理たる陰陽2元論に基づき,国生みをするために作り出された神ではないのかと考えている。 こうしたことから,イザナミが「黄泉津大神」になったという古事記の伝承は,古事記ライターの創作だと考えるわけだ。
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