日本書紀を読んで古事記神話を笑う

日本書紀を読んで古事記神話を笑う 改訂新版

2009年10月5日up
(物語読者として日本神話を解明する)


第75 天孫土着の物語


天孫ニニギは「吾田の長屋の笠狭碕」に土着する

 さて,日本書紀第9段本文によれば,天孫ニニギは,「国まぎ」の果てに,「吾田の長屋の笠狭碕」まで来て,そこにいた「人」,事勝国勝長狭から,国を献上される。

 そして,その土地の姫,カシツヒメ(鹿葦津姫,別名コノハナノサクヤヒメ)と結婚し,ヒコホホデミ(彦火火出見尊)ら3人の子をもうける。

 国を献上されて,その国の美女を娶って,子供を作ったのだから,その国に土着したと考えるほかない。

 その国とは,「吾田の長屋の笠狭碕」あたりの国だ。

 「吾田の長屋の笠狭の御碕」は,古代の薩摩国,現在の鹿児島県の薩摩半島西南部にある加世田市付近だ。

 長屋という地名は,加世田市と川辺郡との境にある長屋山に,その名を留めている。この近くの岬といえば,川辺郡西端にある野間岬ということになる(小学館・新編日本古典文学全集・日本書紀1,121頁)。

 だから,天孫ニニギは,「吾田」に土着したと考えるしかない。
 そこは,海の国,「海人」の国だった。


ヒコホホデミの兄ホノスソリも吾田に土着している

 そして,次の世代。

 ヒコホホデミは,いよいよ海神の宮を訪問し,トヨタマヒメ(豊玉姫)と結婚し,ウガヤフキアエズをもうける。

 有名な,「海幸彦・山幸彦」の物語だ。海幸彦はホノスソリ(火闌降命),そして,山幸彦がヒコホホデミ(彦火火出見尊)だ。

 ヒコホホデミに屈服したホノスソリは,「吾田君小橋等(あたのきみをばしら)が本祖(とほつおや)」となる。

 吾田は,現在の,鹿児島県薩摩半島西南部にある加世田市付近だった。

 ホノスソリは,「吾多隼人」の祖ということになる。
 ヒコホホデミの兄,ホノスソリも,吾田に土着しているのだ。

 いずれにせよ,ヒコホホデミとホノスソリの物語,すなわち日向神話は,「吾田の長屋の笠狭碕」近辺の海のお話,ということになる。

 だから,ウガヤフキアエズが生まれた海浜も,ヒコホホデミが葬られた「日向の高屋山上陵(たかやのやまのうへのみさざき)」も,「吾田の長屋の笠狭碕」近辺の海だということになる。

 これが,日本書紀の「叙述と文言」からの帰結だ。


海人との血を濃くしていった天孫ニニギの子孫

 そのウガヤフキアエズは,トヨタマヒメの妹,すなわち叔母のタマヨリヒメ(玉依姫)と結婚し,神武天皇をもうける。

 天孫ニニギの子孫は,海人がいつき祭る海神の娘と2度交わり,「海人」の血を濃くしていったのだ。

 日向神話は,朝鮮からやって来た山人,山幸彦が,吾田に土着して海人と交わり,その血を濃くしていったという物語である。

 そしてその海とは,「吾田の長屋の笠狭碕」近辺,すなわち野間岬。南九州の西海岸である。

 それが,神武天皇の家系だと述べているのだ。


神武天皇の本拠地は「吾田」である

 だから,本来神武天皇がいたところは,日本書紀の「叙述と文言」から考える限り,野間岬のある「吾田」(西海岸)である。日向の高千穂(東海岸)ではない。

 「日向国の吾田邑の吾平津媛(あひらつひめ)」と結婚した神武天皇は,「此の西の偏(ほとり)」を支配している(神武天皇即位前紀)。

 そして,この叙述に至るまで,天孫ニニギ以降の血統が,本拠地を変更したという叙述はない。

 すなわち,神武天皇は,「吾田」にいて,「吾田」から「東征」に出発したのである。


「神武天皇東征図」の誤り

 よく,「神武天皇東征図」として,南九州の東海岸から出発したかのような図がある(小学館・新編日本古典文学全集・日本書紀1,195頁など)。

 これは誤りであろう。

 たぶん,こういった人たちの頭の中は,南九州の「高千穂」がここにあるから,神武天皇もここにいた,というだけ。

 降臨後の「国まぎ」,すなわち降臨後に移動したという「叙述と文言」は,考えていない

 私が指摘した「叙述と文言」を,きちんと検討した結果ではない。


天孫ニニギから神武天皇まで日向国の吾田邑を一歩も出ていない

 このように,天孫ニニギは,「日向国の吾田邑(あたのむら)」(神武即位前紀)という,ごくごく小さな漁村程度の地域を支配したにすぎないのだ。

 それが証拠に,天孫ニニギは,「筑紫日向可愛之山陵(つくしのひむかのえのみささぎ)」に葬られる。

 その子,ヒコホホデミは,「日向の高屋山上陵」に葬られた(第10段本文)。
 その子,ウガヤフキアエズは,「西州(にしのくに)の宮」で死亡し,「日向の吾平山上陵(あひらのやまのうえのみささぎ)」に葬られた(第11段本文)。

 この「吾平」は,神武天皇の妻となる,「日向国の吾田邑(あたのむら)の吾平津媛」の「吾平」だ。

 「吾平」は,「日向国の吾田邑」近辺にある山の名前なのであろう。その名前をとった土豪の娘がいたのだ。


「西州の宮」に対する「東洲の宮」などない

 ただここで,ウガヤフキアエズがいた,「西州の宮」が出てくる。

 念のために言っておくと,「西州の宮」に対する「東洲の宮」など,どこにもない。日本書紀の「叙述と文言」上,そんなものは無である。

 日本書紀第9段は,天孫降臨の地,高千穂に宮を作ったという伝承を,伝えていない。

 むしろ神武天皇は,吾田にいる自分を,「此の西の偏(ほとり)を治(しら)す」と述べているくらいだ(神武天皇即位前紀)。

 西にある,辺鄙な田舎という意味である。

 伝承を伝えた人は,「西州の宮」の言外に,「東洲の宮」を想起させたかったのかもしれないが,日本書紀自身に,そんな痕跡のかけらすらないのだから,これを根拠にして「東洲の宮」があったという議論はできないだろう。

 「東洲の宮」などなかったからこそ,神武天皇が「東征」せざるを得なかったのである。


ところが吾田は歴史から抹消される

 このように,天皇の源流は,南九州西海岸近辺の「吾田邑」にいた,土豪である。

 「吾田の長屋の笠狭の御碕」は,古代の薩摩国,現在の鹿児島県の薩摩半島西南部にある加世田市付近である。この近くの岬といえば,川辺郡西端にある野間岬である。

 ところが日本書紀は,その出自を抹消しようとしている。

 神武天皇の兄弟,すなわち吾田出身の五瀬命,稲飯命,三毛入野命らは,すべて,「東征」の戦闘中に死亡してしまう。

 神武天皇は,ヤマトを支配するが,そこは,オオナムチをはじめとした出雲の神々が支配する国だった。神武天皇は,その神々の1人,事代主神の娘,姫蹈鞴五十鈴姫命と結婚し,のちの綏靖天皇をもうける。

 じつは神武天皇は,吾田にいたときに,「日向国の吾田邑の吾平津媛」と結婚し,手研耳命をもうけていた。ところがこの子は,のちの綏靖天皇に反逆して殺されてしまう。

 こうして,吾田の血は,完全に途絶えてしまうのだ。

 日本書紀は,「吾田」という故郷を,抹消しようとしている。
 なぜか。
 これは,天皇の系譜を語る際の,根本的な問題になるであろう。


みょうちくりんな古事記

 古事記はどうなっているか。

 まず,降臨した地,「竺紫の日向の高千穗のくじふる嶺」を国ぼめして,即座に,「底つ石根に宮柱ふとしり,高天の原に氷椽(ひぎ)たかしりて坐(ま)しき」。
 すなわち,そこに宮を作ってしまった。

 どうも,山頂が気に入って,そこに宮を作ってしまったようだ。

 ところで,前述したとおり古事記ライターは,栄えある天孫ニニギが何もない国をさまようなんていう,不名誉な「国まぎ」を切り捨てた。

 「吾田」(吾多)まで移動したことが,まったくカットされてしまったのだ。

 しかし,一方で,天孫ニニギが吾田(吾多)まで行ったことは,隠せない。美人の吾田の姫様,コノハナノサクヤヒメと出会って,交わったことも,古来の伝承だから隠せない。

 だから,猿女君の「この口や答へぬ口」のエピソードを挟んで,突然,「笠沙の御前に,麗しき美人に遇ひたまひき」と,書かざるを得なかった。

 その結果,天孫ニニギが,なぜか突然「吾多」(吾田)に出現し,高千穂の山のてっぺんに宮があり,そこが家であるにもかかわらず,なぜか「吾多」(吾田)に定住して?子供をもうけるという,みょうちくりんな叙述になっているのだ。


本当に高千穂宮があったのか

 ただ,古事記ライターは,変なところで筋を通そうとする。

 ヒコホホデミは,「高千穂の宮」で580歳まで暮らして,その山の西に葬られたとしているし,神武天皇も,「高千穂宮」にいたことになっている。

 すなわち古事記は,いわゆる日向3代が,降臨の地「高千穂宮」で暮らし,神武天皇が東海岸から出発したとしているのである。

 本拠地は,一貫して高千穂宮である。

 しかしそれは,山のてっぺんであり,海人とは,縁もゆかりもない地である。

 私の常識に従って,もう1つ付け加えると,山頂という場所は,農地もない,人もいない,ネオンも女もなんにもねえ,交通に不便な,僻地中の僻地である。

 そんなところを,本当に本拠地にしたのかネエ。宮を作ったのかネエ。

 で,何で突然,「吾多」の「笠沙の御前」に出現するんでしょうか。
 毎夜毎夜,山から降って,吾田の女のところに通ったのでしょうか。


古事記は南九州の東海岸と言いたいようだ

 善意に解すれば,本拠地は高千穂宮だが,ちょっと「吾多」の「笠沙の御前」まで出かけていって,土地の美人を引っかけてきました,となるのだろう。

 だから,その美人との子,ヒコホホデミも,580歳まで「高千穂宮」で暮らしたことになるのだろう。
 となると,母親のコノハナノサクヤヒメも,方向違いの西海岸,「吾多」の「笠沙の御前」から,東海岸の高千穂宮まで,引っ張ってきたのかな?

 もちろんそうでしょう。コノハナノサクヤヒメは,火に焼かれなければ,生まれてくる子供は天孫の子だと誓約をして,決死の出産をしたのだから。

 と,ここまで考えると,古事記の「叙述」には,「かなりの無理」があることがわかる。

 でも,古事記ライターは意外に正直で,コノハナノサクヤヒメが生んだ長子,ホデリ(火照命)は,「こは隼人吾多君の祖」と書いている。挿入文だが。

 「吾多」(吾田)です。

 やっぱり,南九州の西海岸,「吾多」の物語だったのです。

 だから,古事記ライターが,「東海岸の高千穂宮」を信じていたとは思えないのである。


ことは神武「東征」の出発地にかかわる

 ま,とにかく,古事記ライターは,日向神話は,南九州の東海岸の伝承だと主張したいようだ。とにかく,「高千穂宮」にこだわるからねえ。

 しかし,日本書紀の「叙述と文言」は,明らかに西海岸を指し示している。
 古事記の「叙述」には,無理がある。
 そして,日本神話の故郷は,西海岸にあるのであった(日本神話の故郷をさぐる)。

 ところが,日本書紀を研究している学者さんまでもが,神武天皇は東海岸から「東征」に旅立ったとするから,たまらない(小学館・新編日本古典文学全集・日本書紀1,195頁)。

 世の中というものは,難しいものである。


コノハナノサクヤヒメの自己紹介のへんてこりん

 さて,古事記の話を進めよう。

 天孫ニニギは,「笠沙の御前」で,美人と出会う。ラッキーなヤツだ。

 どこの誰の娘かと問うと,その美人は答える。
 「『大山津見神の女,名は神阿多都比賣(かむあたつひめ),亦の名は木花之佐久夜毘賣(このはなのさくやびめ)と謂ふ。』とまをしき」。

 これを読んで,変だと思いませんか?

 「亦の名は木花之佐久夜毘賣と謂ふ。」は,地の文じゃありませんかネエ。
 日本書紀第9段本文は,もちろん,地の文にしている。

 ま,第9段本文が本来の姿でしょうよ。

 セリフとして,「亦の名は木花之佐久夜毘賣と謂ふ。」なんて,もうちょっと,こなれたセリフにしてほしかったなあ。

 古事記ライターは,古来の伝承を基にしたリライト版だから,ついつい,地の文をセリフに取り込んじゃった。テキトーに。

 重箱の隅をつつくな,と言う人がいるだろう。

 でも,古事記は,こんなことの連続だもの。その積み重ねを理解しないと,古事記は見えてこない。古事記ライターが見えれば,古事記は見える。

 私はそう思う。


イワナガヒメの物語

 さて,オオヤマツミは,美人の妹コノハナノサクヤヒメに,醜い姉,イワナガヒメ(石長比賣)を添えて,献上する。
 天孫ニニギは,醜いイワナガヒメを退け,コノハナノサクヤヒメと一夜を共にする。

 古事記ライターは,その結果,「天皇命等の御命長くまさざるなり。」とまとめている。
 花を選んだがために,自らの命も,花のようにはかなくなったというのだ。

 日本書紀第9段第2の一書にも,似たようなお話が残っている。
 しかし,ちょっとよく読めば,まったく違うことがわかる。


日本書紀第9段第2の一書との対比が重要だ

 おおかたの人は,同じ話だとか,同一の伝承が基になっているとか言う。私はこれを,全体的思考と呼ぶ。全体的思考をしている限り,決して進歩しない。

 古事記も日本書紀本文も,その異伝である一書も,みんな独立対等な伝承として検討しなければならない。これを,分析的思考と呼ぶ。

 私は,古事記の天孫降臨の物語(降臨した天孫ニニギが吾田で結婚するまでの部分)は,日本書紀第9段第1の一書と第2の一書をもとに,古事記ライターがリライトした,さらなる独特の異伝であると言った。

 古事記ライターは,三種の神宝という観念(第9段第1の一書)を前提に,鏡をいつき祭れというアマテラス礼賛の異伝(第9段第2の一書)をも取り入れて,「古事記独特の三種の神宝」観念を作り上げたのだった。

 イワナガヒメのお話は,第9段第2の一書にある。古事記ライターも,これを見ていたと考えられる。


イワナガヒメのお話に関する第9段第2の一書と古事記

 そこで,どこがどう違うのかを,まとめてみよう。以下のとおりだ。

@ オオヤマツミは,「百机飲食(ももとりのつくえもの)」(第9段第2の一書),「百取の机代の物」(古事記)を,2人の娘と共に差し出す。
天孫ニニギは,醜い姉を退け,美しい妹と共に一夜を過ごす。

 ここまでは,第9段第2の一書も古事記もまったく同じ展開。

A 第9段第2の一書では,大いに恥じたイワナガヒメが,「詛(とご)ひて曰はく」,自分を召せば,生まれてくる子は岩のごとく命が長かったろうに。妹を召したからには,生まれてくる子は,木の花のごとく散ってしまうだろう。
 だからこそ,「世人の短折き(いのちもろき)縁(ことのもと)なりといふ」。

 すなわち,退けられたイワナガヒメが呪って,自分が召されれば岩のように長い命であったろうに,妹を召したがために,はかない命になった,という話になっている。

 とにかく,「恥じて呪ったのはイワナガヒメ」,ということになっている。

B  ところが古事記では,「恥じたのはオオヤマツミ」。
 そしてオオヤマツミは,じつはイワナガヒメを召せば岩のように長い命,コノハナノサクヤヒメを召せばはかない命,と「誓ひて貢進りき(たてまつりき)」と言う。

 天孫ニニギがコノハナノサクヤヒメを選んだあとで,「じつは」という打ち明け話を,あとから展開する形になっている。

C  第9段第2の一書は,一般に人の命が短い由縁として締めくくる。
 古事記は,「天皇命等の御命長くまさざるなり」。すなわち,天皇の命が短い由縁話にまとめている。


やはり古事記は日本書紀第9段第2の一書のリライト版だ

 これをどう考えたらよいのだろうか。

 まず,Cからいこう。

 天皇の命が短い理由を語るお話があって,それを基に,人の命が短いのはこうした理由だったのサ,と結論づけるお話を作るのは,ありえない。

 やはり,一般に人の命が短い理由を語るお話があって,それを,天皇中心の物語の中で,天皇の命が短い理由にした,と考えるべきだ。

 古事記ライターは,一般の伝承を,天皇に引きつけて,解釈し直したのだ。

 だから,古事記は,第9段第2の一書のリライト版である。
 天皇の系譜を語ることしか頭にない人が,人の命が短い理由を語る伝承を基に,改作したのだ。


イワナガヒメの呪いかオオヤマツミの誓約か

 では,古事記ライターは,なぜイワナガヒメの呪い(A)をオオヤマツミの誓約(B)にしたのだろうか。

 相手は天皇の先祖だ。天孫だ。
 しかも古事記ライターは,アマテラス万歳の人だった。
 本来,アマテラスの子が降臨すべき(天子降臨が原則),と考えている人だった。

 アマテラスを中心に,ゆかりのオールスターキャストを配し,「179万2470年」を無視して,天皇の系譜を語りたがる人だった。

 だから,南九州の田舎の一土豪の娘が,天皇の先祖を呪ったなんて,受け入れることができない。
 だが,こうしたお話があったことは無視できない。
 だから,改作した。


古事記ライターの改作の過程

 呪いではなく,じつは,オオヤマツミが誓約をしていたんだよ,ということにした。

 それが証拠に,上記@までは第9段第2の一書と同じ展開だ。「百机飲食」(第9段第2の一書)と,「百取の机代の物」(古事記)である。

 すなわち,天孫ニニギがコノハナノサクヤヒメを選んで一夜を共にしたという結果を叙述したあと,じつはオオヤマツミの誓約だったんだよ,という打ち明け話をする展開になっているのだ。


誓約の復習をする

 オオヤマツミの誓約が出てきたついでに,「古事記ライターの誓約理解」を,とくと拝見しよう。

 本来の誓約がどういうものかは,すでに検討した。アマテラスとスサノヲの誓約の場面だ。

 誓約とは,「あーした天気になーあれ。」と言って,下駄を放り投げるようなものだった。
 下駄が表であれば晴れ,裏であれば雨,横になれば曇りという条件を事前に定めておいて,結果を見る。

 これが誓約だった。

 誓約はシンプルなものであり,日本書紀にたくさん出てくる。自分が投げた土器が水に浮かぶかどうかで,戦いに勝つかどうかを占う。

 しかし,誓約の意味がわかっていない古事記ライターのために,後世の学者さんたちは,スサノヲが勝ったのか負けたのかなどという,詰まらぬ議論をする羽目になった。

 古事記ライター自身がわかっていなかったのだから,議論するだけ人生を浪費する,意味のない議論だった(以上は復習です)。


やはり古事記ライターは誓約の意味がわかっていない

 古事記ライターは,2人の娘を「誓ひて貢進りき」と書いているが,やはり,「誓約」の意味なんて,わかっちゃいない。

 本当にこれが誓約だったのであれば,まずオオヤマツミが,醜いイワナガヒメを取れば盤石の命,美しいコノハナノサクヤヒメを取ればはかない命と,その条件を宣言し,天孫ニニギに選ばせるはずだ。

 それが,誓約というものだ。

 ところがここでは,天孫ニニギがコノハナノサクヤヒメを選んだあと,天皇の命が短い理由として,じつはオオヤマツミがそうした誓約をやっていたという打ち明け話を語っているにすぎない。

 これは,もはや誓約でもなんでもなく,誓約を利用した改作にすぎない。

 誓約であれば,天孫に条件を示してやらなければならない。それがない。

 だから,これは誓約ではなく,「オオヤマツミの呪い」と言うべきである。

 古事記ライターは,誓約を利用してリライトしただけである。原初的な誓約の話ではない。


コノハナノサクヤヒメの懐妊と無責任な天孫ニニギ

 さて,コノハナノサクヤヒメは,一夜にして懐妊する。

 そして,「この天つ~の御子は,私に産むべからず」。すなわち,天つ神の御子は密かに生むわけにはいかないと述べ,天孫ニニギに申し出る。

 天孫ニニギは,「一宿(ひとよ)にや妊める。これ我が子には非じ。必ず國つ~の子ならむ」。すなわち,一晩で妊むなんて,自分の子ではなく,国つ神の子に違いないと,冷たく言い放つ。

 国つ神と,すでに「できていた」から妊娠したのだろう,というわけだ。


生真面目な学者さんの対応

 でも学者さんは,こう言う。

 コノハナノサクヤヒメが「僕(あ)は得(え)白(まを)さじ。僕が父大山津見神ぞ白さむ。」と答えたのは,「それが公的な結婚であったからである。たんに性的関係を結ぶのとは違い,結婚は社会的契約であり,それには家長の承認が必要とされた。」からである(西郷信綱・古事記注釈・第4巻・筑摩書房,104頁)。

 わかった。

 では,「公的な結婚」で,「社会的契約」で,周囲の者が認める結婚だったのに,「一宿(ひとよ)にや妊める。これ我が子には非じ。必ず國つ~の子ならむ」という,天孫ニニギのエキセントリックな反応は,いったい何だろうか?

 あっという間に妊娠するのも,それはそれで,めでたくはないか?

 結婚は,いつでもどこでも,公的なものです。
 (特に男が)逃げられないようにするため,「結婚披露宴」なんてものをやらかすのです。
 みんなで証人になって,逃げられないようにするのが,「結婚式の本質」なのです。

 それをここで確認して,あなたは,いったい何を言いたいのですか?


第9段第2の一書に余計なことを付け加えた古事記ライター

 これは,明らかに,第9段第2の一書を下敷きにしている。

 第9段第2の一書では,

「妾(やっこ),天孫の子を孕めり。私に生みまつるべからず」と申し出たところ,天孫ニニギが,「復た天~の子と雖(いうと)も如何(なに)ぞ一夜にして人をして娠(はらま)せむや。抑(はた)吾が児に非(あら)ざるか」と言ったことになっている。

 第9段第2の一書では,「吾が児に非ざるか」。すなわち,自分の児ではない,というだけだ。

 ところが古事記ライターは,そのあとに,「必ず國つ~の子ならむ」という1節を付け加えた。


蛇足にこそ古事記ライターの信念が出ている

 結局,コノハナノサクヤヒメが,天孫ニニギの子であることを証明しようとするだけだから,天孫ニニギが,自分の子ではないと言って拒否しただけで,お話としては十分なはずだ。

 現に,日本書紀では,こんな蛇足を叙述していない。

 ところが古事記ライターは,「必ず國つ~の子ならむ」という,余計な1節を付け加えてしまった。

 なぜだろうか,

 私はこう考える。
 アマテラス礼賛,「高天原」礼賛の反面,国つ神を卑下している古事記ライターの癖が,はからずも顔を出してしまったのだ。

 お話の流れとしては,何の関係もないのに,つい,自分の平素の素顔が顔を出してしまった。
 それが,「必ず國つ~の子ならむ」なのである。

 そんな,細かいこと言わないでも,というのが,おおかたの受け取り方であろう。

 しかし,あらかじめ反論しておこう。
 小説家は,決してこんな不必要な「叙述」をしない。いや,こうした不必要な「叙述」をして,人を描こうとする場合もある。


物語読者として普通の受け取り方をしてみる

 ま,そんなことは,とりあえずいい。それよりも,普通の感覚で日本神話を読んでみたい。

 そりゃまあ,天孫ニニギは偉い人かもしれないけど,自分で美人を選んでおいて,それはないじゃないですか。

 私は,このくだりを初めて読んだとき,「凄いことを言うな。」と思った。
 「こんなことが日本神話に書いてあるのか・・・。」とさえ思った。

 普通は,「えっ,なんで?」「嘘,ほんと?」「だって,きちんと避妊したよ。」くらいのうろたえ方をする。

 それが,真っ正面から,「他の男とやってたから,できた子だろう。」ですか。そりゃないでしょうよ。

 国つ神と「野合」(草木生い茂る野っ原で,適当に遊んでたという事実を,漢字2字で簡潔に表現した素晴らしい熟語です。昔は,便利な宿泊施設がなかったので,こうした言葉ができました。でも,今となっては死語です。)でもしてたんだろうという発言。

 こんな発言,女性は,決して許さないでしょうねえ。
 未婚の男女がもめるときは,こういった,感情逆なで発言があるものです。
 常識ないヤツ・・・・・・・・。


雄略天皇の1発(7発)

 常識がないといえば,雄略天皇である。

 雄略天皇は,先の安康天皇が眉輪王(まよわのおう)によって刺殺されたことを知るや,皇位継承権のある兄弟を殺し尽くして皇位についた,生命力旺盛な天皇である。

 要人を殺し尽くすという点では,歴代の天皇の中で傑出している。それは,一つの才能だろう。

 また,童女君(をみなぎみ)という采女(うねめ)を召して,一晩で孕ませたが,自分の子であると信じなかった。

 見かねた物部目大連(もののべのめのおおむらじ)が,一晩のうちに何度召したかと問うと,「七廻喚しき(ななたびめしき)」と,いけしゃあしゃあと答える。

 これを聞いた物部目大連は,(原文には書いていないが,たぶん笑って),清き身体で一晩仕えたのだから疑うべきではない,と諫める(雄略天皇元年3月)。
 将軍様ではないが,いわゆる「お夜伽ぎ」に仕えたのだから,疑うなというのだ。

 これ,本当に,日本書紀に書いてあるのです。

 これを聞いて初めて,雄略天皇は反省し,生まれた女の子を自分の皇女(ひめみこ)として養育し始めた。


雄略天皇の1発(7発)は庶民的エピソード

 「童女君」という名前自体が「意味深(いみしん)」だ。子供だったことは明白だ。

 周囲が諫めるのを無視して,「可愛い童女」を,強引に召したのだろう。だからこそ,子供が妊娠するはずがないと,踏んだのだろう。
 一晩で「七廻喚し」ても,妊娠するはずがないと,確信したのだろう。

 確かに,生命力旺盛な天皇ではある。

 一晩で妊んだというお話は,コノハナノサクヤヒメだけでなく,雄略天皇にもあるのだ。

 でもこれは,そんな,たいそうなお話ではない。男性の間で,泥酔して,「ぎゃはははは・・・。」と笑って終わる,下ネタである。
 いつの世にもある,馬鹿話である。

 そして,世間を何も知らない幼稚な若者,雄略天皇を,世知ある大人の賢臣が諫めたというエピソードである。


それを「聖婚」という学者さん

 だから私は,「他の男とやってたから,できた子だろう。」なんて,そりゃないよ,おかしいよ,と思った。
 私は,ごくごく普通の日本神話読者として,下賤かもしれないが,上記した感想をもった。

 ところが,エライ学者さんは,さすがに違う。教養がある。

 たとえば,「かりそめの一夜の契りを結んだとの意にこれを解してはならぬ」,「聖婚と不可分な関係にある」(筑摩書房・古事記注釈第4巻・西郷信綱,108頁,116頁以下。上記した雄略紀をも,きちんと引いている)。

 「聖婚」,ときましたか・・・。

 聖マリア,聖母子,聖ヤコブ,処女懐胎,聖フランチェスコ,・・・。
 古事記や日本神話を,なにか,素晴らしく神聖なものと思っているのかしらん。

 そうした観念は,いわゆる「素朴な古事記」観念と,対立するのではないか(かといって私は,「素朴な古事記」観念を信じないが)。


「聖婚」という学者さんの感性はわけがわからぬ

 「聖婚」というとらえ方自体が,突拍子もない。・・・と思う。

 だって,「遘合」,ミトノマグワイ,男女の性交が,神々を生む根源だったでしょ。それを堂々と認めたのが,日本神話だったでしょ。

 あられもない現実が,「神々の生成」の根拠だった。
 日本神話には,「神聖なる結婚」という意味での「聖婚」はない。・・・と,言い切れると思う。

 もっと根本的なことを言うと,日本神話には,「聖」という観念はない。誰にも侵(犯)されない,神聖で清浄な領域。そこに生きている人々や神々。「聖」という観念はない。

 「聖」は,キリスト教的な絶対世界を前提とした言葉である。それを,不用意に,日本神話に使ってはならない。

 この学者さんの,言葉に対する感性は,ちょっとついて行けない。


「穢れ」と「禊ぎ祓い」と「清い」と「聖」の違い

 日本神話には,「清い」という観念はある。

 「穢れ」と,これに対する「禊ぎ祓い」による「清い」という観念はある。しかしそれは,穢れから画別された世界としての,「聖」なる世界とは違う。

 「穢れ」も,これに対する「禊ぎ祓い」も,その結果としての「清い」も,同じ世界の出来事だ。「穢れ」たから,「禊ぎ祓い」をして,「清い」状態になる。同じ世界の事象が,「穢れ」たり,「禊ぎ祓い」により「清く」なったりするのだ。

 「聖」は,違う。「穢れ」が,決して入り込めない世界だ。決して,同じ世界で,穢れたり清くなったりするのではない。

 これは,断然,画別された世界の観念である。

 その背景には,キリスト教の絶対神の思想がある。何百年とかけて,宗教的ドグマを洗練させ,異端と戦ってきた,キリスト教の歴史がある。

 (だから,「聖」といっても,しょせん,人間が選び取って作り上げてきた観念の所産なのだが)。

 日本神話は,本来,宗教ではない。絶対神として洗練された歴史がない(それをやろうとして失敗し,振り出しに戻ったのが明治以降の歴史だ)。

 だから,そもそも「聖」とは無縁である。それとは正反対の,「遘合」すなわち性交を,堂々と押し出している。

 「聖」をことさらに言う(一部の西洋の)人たちは,肉欲を否定しているではないか。それと,日本神話との区別を,きちんとつけるべきである。


神の領域と人間の領域を混同した古事記に「聖」という領域はない

 こうした日本神話に,「聖婚」って言ってもネエ。なじまないよ。

 だいいち,古事記の神々は,平気で「太占」で占うじゃないか。
 人間のやることを平気でやるのが,古事記の神様たちだ。
 そもそも,侵すべからざる神の領域と,人間の領域とが曖昧なんだよ。古事記は。

 (じつは私は,こうした古事記を,日本神話の崩壊過程,末期的症状,ととらえているが)。

 西洋のキリスト教神学じゃ,決して許さなかったろうな,こんなこと。

 そんな神様に,「聖」なんて,似合わない。

 日本神話を語るのに,「聖」とか,「聖婚」という,誤解を招く漢語を使ってはならぬ。


学者さんは罪作りだ

 それは,庶民の物語読者から,日本神話を奪う結果となるだけだ。

 「聖」という言葉をもちだして,普通の人々に,またまた別の世界の議論を提供してしまう。あるいは,「日本神話は違うんだ」という印象を植え付ける。

 西洋には,聖フランチェスコとか,聖バルバラとかいう伝承がある。
 こんなものと,比較対照する人が出てきはしないか。
 聖マリアの処女懐胎と比較して,「日本神話の聖婚について」なんていうお題で助手論文を書く人が出てきはしないか。

 不用意な一言が,そんなふうに発展してしまうことも,考えておいてもらいたい。

 学者さんは,余計な誤解をまき散らしている。

 私もそうだったが,日本神話を初めて読むと,決まって,「神話の森」をさまよってしまう。
 この学者さんは,「神話の森」に,新たなる「さまよいロング&ワインディングロード」を,せっせと作っているような気がしてならぬ。

 日本神話とは別世界の,「聖」という概念を,日本神話に取り込もうとするのは,間違いだ。


「叙述と文言」も「聖婚」を否定している(その1)

 日本神話に「聖婚」があるかどうかという議論は,もうよそう。あくまでも,観念としての「聖」にこだわる人もいるだろうから。

 観念としての「聖」を論するのは自由だ。文学部的観点から夢を膨らませるのであれば,それは自由だ。
 しかし,文献となると別である。

 それよりも,「どうしようもない現実」,すなわち「叙述と文言」は,どうなっているか。

 「聖」を言う人は,「かりそめの一夜の契りを結んだとの意にこれを解してはならぬ」(筑摩書房・古事記注釈第4巻・西郷信綱,108頁,116頁以下)と言う。

 「叙述と文言」が,「かりそめの一夜の契り」になっているかいないかが,問題である。

 天孫ニニギは言う。「吾,汝に目合(まぐわひ)せむと欲(おも)ふは奈何(いか)に」。
 うーーーん。とってもストレートな「お言葉」。
 でも,もともとが「遘合(みとのまぐわい)」だから,僕はわかるけどね。

 普通はこんなこと言えないが,「天孫」という,高貴な肩書きがあるからこそ言えるお言葉だ。将軍様が,「余は,そちを所望する。」なんてのと同じで,あっという間に女がひれ伏すと思っているのだろう。

 高貴なお方だからこそ,スレートな表現も,何とか理解できる。


「叙述と文言」も「聖婚」を否定している(その2)

 で,予想どおり,「ただその弟(おと)木花の佐久夜毘賣を留めて,一宿(ひとよ),婚(まぐはひ)したまひき。」となる。

 「一宿(ひとよ)」というのは,「一宿一飯の恩義」という場合の,「一宿」でっか?

 かりそめの「一宿」だったが,「一飯」もあることだし,「恩義」が生まれるという場合の,「一宿」でっか?

 「一宿」の,「宿」という漢字が,いい味出してるなあ。これが,漢字の凄みだよ。中国はエライ。漢字はエライ。
 英語は駄目だ。「inn」とか,「hotel」なんて,「一宿」っていう感じ(漢字)が出ないよなあ(ダジャレでした)。

 ここらへんが,漢字文化圏に属する者の誇りです。アルファベット使う人種は,感性に乏しい。「言葉の揺らぎ」を理解していない。だから,奥ゆかしさがない。人間関係が平板だ。

 ま,それだけ理念や対立が明確だったから,科学が生まれたとは言えようが。

 で,さらに,時間がたってから,「故,後に木花の佐久夜毘賣,參出て白ししく,『妾は妊身(はら)めるを,今産む時に臨(な)りぬ。』」という方向に発展するのです。

 当然の報いです。

 日本書紀も古事記も,はじめから「遘合(みとのまぐわい)」って言ってるんだし,「余は,そちを所望する。」なんて言って,「一宿(ひとよ),婚(まぐはひ)したまひき。」なんだから,結果にケチをつける方がおかしい。

 その結果は,「聖婚」の結果ではない。

 日本神話の「叙述と文言」を厳密に読んでいれば,「聖婚」なんて言葉は,出てこないはずだ。
 しょせん,「かりそめの一夜の契り」だと思うんだけど,違う?


なぜ子供を密かには生めないのか

 「冗談はよしこさん」,という落語家のギャグがあった。話を戻そう。

 なぜ,密かに生むわけにはいかない,と申し出るのだろうか。
 密かに生んでいたならば,「父(てて)なし子」になったのだろうか。

 たぶんそうなのだろう。

 天孫ニニギの子だったからこそ,父を明らかにしておきたいと申し出たのだ。すなわちコノハナノサクヤヒメは,天孫ニニギの正妻ではなかったようである。

 天孫ニニギも,懐妊したと聞いて驚いている。コノハナノサクヤヒメが申し出なかったら,そのまま「一夜妻」で終わっていたような「叙述と文言」だ。

 だから,私は言いたい。

 これは,聖婚ではありませんよ。
 天孫ニニギの,栄えある「子孫誕生」にしては,少々,うら寂しい限りですね。
 場合によっては,「生み捨て」になりかねない状況だったわけだね。

 どうも,「田舎娘相手に何やってたんだ。」「おい,もっとしっかりしろよ。」なんて,言われかねない状況だったようなのだ。

 でもこれが,神話伝承上,嫡系になっていく(この,田舎娘との関係以外に,天孫ニニギの業績がないことも驚きだ)。

 それはともかく,コノハナノサクヤヒメは,とかく無責任になりがちな男の本性を見抜いた,しっかりした女性だったようである。


コノハナノサクヤヒメの誓約と古事記ライターの無理解

 恥じたコノハナノサクヤヒメは,生んだ子が国つ神の子であれば無事に生まれてこないだろうが,天つ神の子であれば無事に生まれてくるだろうと言って,戸のない大きな家を造って籠もり,そこに火を放って出産する。

 これは,正真正銘,立派な「誓約」だ。

 第9段本文にも,第9段第2の一書にも,きちんと,コノハナノサクヤヒメが「誓ひて曰はく」とある。
 誓約の意味がわかっていたのだ。

 しかし,誓約の意味がわかっていない古事記ライターは,これを平然と削除し,「答へ白ししく」としている。
 ただ,第9段第2の一書を忠実になぞっているから,誓約の叙述に破綻はないが。

 「わかっていない」と言ったら,言いすぎだろうか。
 少なくとも,このライターは,「これが誓約だ」という意識でものを書いていない。日本神話に繰り返し出てくるテーマ。古来の伝承「誓約」。

 それに対する意識がない。

 伝承というものは,少しずつ,その本質に対する意識が薄れ,そのうちに理解ができなくなっていく。こうして,消滅に向かうものだ。

 古事記ライターは,理解できなくなったとまでは言えなくても,少なくとも,古来の神話伝承に対する意識を欠いている。または意識が薄れている。

 私には,どうしても,時代が下った,かなり新しい人だと思えてならない。


なぜ火を放って出産するのか

 なぜ火を放って出産するのか。

 要するに,命がけで出産して,天孫ニニギの子であると証明したかったからだ。母子ともに,滅ぶかどうかという瀬戸際の出産だったわけである。

 また,国つ神の子だと言われて,そのまま引き下がっていては,いずれにせよ,母子ともに生きていけなかったのであろう。

 だから,胎児と共に命をかける。

 この点,学者さんは明快に書いていない。盟神探湯(くがたち)と同様,神判を仰いだという説もあるが,神判というだけなら,下駄を放り投げて,表なら国つ神の子,裏なら天孫ニニギの子でもいいわけである。

 命がけで火を放ったという点の説明がほしい。


神武天皇につながる系譜

 こうして生まれてきた3人の子については,別に検討しよう。
 火明命とニギハヤヒとの関係をめぐって,第9段第6の一書と第9段第8の一書をどう読むかという,重要な問題があるからだ。

 ここでは,天孫ニニギの子孫が,どのように吾田という僻地に土着していったかを,日本書紀の神話を中心に追ってみよう。

 日本書紀第11段は,系譜だけを述べている。
 生まれたウガヤフキアエズから神武天皇に至る系譜を語るのだ。

 第1子は彦五瀬命,第2子は稲飯命,第3子は三毛入野命,第4子が狭野尊,すなわち神日本磐余彦尊だ。

 通説によれば,これらはすべて,稲に関する名を負っているばかりか,アマテラスから生まれたアメノオシホミミ以下,皇統を受ける尊は,皆,稲に関する名をもっている。


カシツヒメ(コノハナノサクヤヒメ)は「狭名田」をつくる

 第9段第3の一書は,極めて短い異伝だ。

 カシツヒメ(神吾田鹿葦津姫,コノハナノサクヤヒメのこと)は,神に供える田を占いで定めて,「狭名田(さなだ)」とし,その田の稲で酒を造り,「渟浪田(ぬなた)」の稲とともに,神に捧げて食べた。

 一見,何でもないような叙述だが,なぜこうしたエピソードが,ことさらに第9段第3の一書として残されたのだろうか。

 第9段第3の一書は,テキストにして,わずか6行の異伝だ。ここだけを特に抽出して残した,日本書紀編纂者の意図があったはずだ。


アマテラスも「天狭田」を作っていた

 その理由は,日本書紀第5段,第7段,第9段にある。

 すでに検討したとおり,第5段第11の一書は,アマテラスが養蚕と五穀を始めたとしている。

 五穀は,「顕見しき蒼生(うつしきあおひとくさ)」,すなわち人間が食べるものだと定め,「高天原」の農民の長である「天邑君(あまのむらきみ)」をおいて,稲については,「天狭田(あまのさなだ)」,「長田(ながた)」を作った。

 それが第7段本文に受け継がれ,「天狭田」,「長田」を耕作し,斎服殿(いみはたどの)で神衣(かんみそ)を織る(養蚕),アマテラスの実像につながっていた。

 第7段第3の一書には,日神が登場する。その田の名前は,「天安田(あまのやすだ)」,「天平田(あまのひらた)」,「天邑併田(あまのむらあわせだ)」だった。

 第9段第1の一書は,アマテラスが降臨の命令者となる異伝である。

 そこに登場するサルタヒコは,天孫の降臨場所を案内し,自らは「伊勢の狭長田(さなだ)の五十鈴の川上」に行く。

 伊勢にある「五十鈴の川上」は,垂仁天皇の世に,諸国をさまよっていたアマテラスが鎮座した場所だった。


アマテラスは確かに吾田にいた

 カシツヒメは,アマテラスゆかりの田と,同じ名前の田を耕作していたのだ。

 カシツヒメの名前は,「神吾田鹿葦津姫」である。その,「吾田」(阿多)の姫様が,アマテラスゆかりの田を耕作する。

 当然,カシツヒメは,日の神(後年のアマテラス)を祭っていたことになる。

 やはり吾田には,日の神(後年のアマテラス)がいた。ここに,天孫ニニギがやってきた。天孫ニニギの子孫は,吾田に土着して,吾田にいた日の神と混交していったのだ。

 日向国の吾田邑。この片田舎が,天皇の故郷だった。

 


トップページ( まえがき)

第1 私の立場と問題意識

第2 問題提起

第3 方法論の問題

第4 世界観と世界の生成

第5 神は死なない(神というもののあり方)

第6 原初神と生成神の誕生

第7 日本書紀における原初神と生成神の誕生

第8 修理固成の命令

第9 言葉に対して無神経な古事記(本当に古い文献か)

第10 古事記は伊勢神宮成立後の文献

第10の2 応神記の気比の大神について

第11 国生み叙述の根本的問題

第12 日本神話の読み方を考える(第1子は生み損ないか)

第13 生まれてきた国々を分析する

第14 国生みのあとの神生み

第15 火の神カグツチ「殺し」

第16 黄泉国巡り

第17 コトドワタシと黄泉国再説

第18 禊ぎによる神生みの問題点

第19 日本神話の故郷を探る

第20 大道芸人の紙芝居としての古事記

第21 アマテラスら3神の生成

第22 分治の命令

第23 日本神話の体系的理解(日本書紀を中心に)

第24 日本神話の構造と形成過程

第25 生まれたのは日の神であってアマテラスではない

第26 日の神の接ぎ木構造

第27 最高神?アマテラスの伝承が変容する

第28 泣くスサノヲとイザナキの肩書き

第29 日本神話学の見通しと方法論

第30 日本神話のコスモロジー

第31 誓約による神々の生成(日本書紀)

第32 誓約による神々の生成(古事記)

第33 天の岩屋戸神話と出雲神話が挿入された理由

第34 日本神話のバックグラウンド・縄文から弥生への物語
(日本書紀第5段第11の一書を中心に)


第35 海洋神アマテラスと産霊の神タカミムスヒ
(日本書紀を中心に)


第36 支配命令神は誰なのか(ねじれた接ぎ木構造)

第37 アマテラスとタカミムスヒの極めて危うい関係

第38 五穀と養蚕の文化に対する反逆とオオゲツヒメ

第39 スサノヲの乱暴

第40 「祭る神が祭られる神になった」という幻想

第41 天の石屋戸と祝詞

第42 スサノヲの追放とその論理(日本書紀を中心に)

第43 アマテラス神話は確立していない(日本書紀を中心に)

第44 出雲のスサノヲ

第45 異伝に残された縄文の神スサノヲ(日本書紀を中心に)

第46 スサノヲにおける縄文と弥生の交錯(大年神の系譜)

第47 別の顔をもつスサノヲ(日本書紀を中心に)

第48 オオクニヌシの試練物語のへんてこりん

第49 オオクニヌシの王朝物語

第50 日本書紀第8段第6の一書の構成意図と古事記の悪意

第51 スクナヒコナと神功皇后と応神天皇と朝鮮

第52 偉大なるオオナムチ神話(大八洲国を支配したオオナムチ)

第53 三輪山のオオナムチ(日本書紀第8段第6の一書から)

第54 古事記はどうなっているか

第55 偉大なるオオクニヌシ(オオナムチ)の正体(問題提起)

第56 偉大なるオオクニヌシの正体(崇神天皇5年以降)

第57 崇神天皇5年以降を読み解く

第58 国譲りという名の侵略を考える前提問題

第59 「皇祖」「皇孫」を奪い取る「皇祖神」タカミムスヒ
(国譲りという名の侵略の命令者)


第60 皇祖神タカミムスヒの根拠
(国譲りという名の侵略の命令者)


第61 古事記における命令神
(国譲りという名の侵略の命令者)


第62 第9段第1の一書という異伝中の異伝と古事記

第63 武神の派遣と失敗と「高木神」

第64 タケミカヅチの派遣(タケミカヅチはカグツチの子)

第65 フツヌシとタケミカヅチの異同

第66 コトシロヌシは託宣の神ではないしタケミナカタは漫画

第67 「オオクニヌシの国譲り」の叙述がない

第68 天孫降臨の叙述の構造

第69 サルタヒコの登場

第70 古事記独特の三種の神宝

第71 天孫はどこに降臨したのか

第72 「国まぎ」を切り捨てた古事記のへんてこりん
(天孫降臨のその他の問題点)


第73 国譲り伝承と天孫降臨伝承との間にある断層

第74 じつは侘しい天孫降臨と田舎の土豪神武天皇

第75 天孫土着の物語

第76 火明命とニギハヤヒ(第9段の異伝を検討する)

第77 日向神話の体系的理解

第78 騎馬民族はやって来たか

第79 三種の宝物再論

第80 日本神話の大きな構成(三輪山のオオナムチとの出会い)

第81 海幸彦・山幸彦の物語を検討する

第82 「居場所」のない古事記

第83 本居宣長について

第84 日本神話を論ずる際のルール

第85 神々の黄昏

あとがき

著作権の問題など

付録・初版の「結論とあとがき」


新論文
神功紀を読み解く
神功皇后のごり押しクーデター

日本書紀を読んで古事記神話を笑う 「初版」 はこちら



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