日本書紀を読んで古事記神話を笑う

日本書紀を読んで古事記神話を笑う 改訂新版

2009年10月5日up
(物語読者として日本神話を解明する)


第51 スクナヒコナと神功皇后と応神天皇と朝鮮


第1のミステリー

 さて,日本書紀第8段第6の一書から,スクナヒコナ(少彦名命)という神を探ってみよう。

 第8段第6の一書には,国作りの立役者として,スクナヒコナが登場する。いきなり登場する,極めてミステリアスな神だ。

 第1。

 上記@の部分では,オオナムチと一緒に天の下を造った神として登場する。その名前は,「大」己貴神に対して「少」彦名命。

 上記Bの部分では,「一箇(ひとり)の小男(おぐな)」であり,鳥としては小さい「鷦鷯(さざき,ミソサザイの古名)」の羽をまとって現れる。

 オオナムチは,スクナヒコナを手にとって,掌でもてあそぶほどだ。

 「大」に対して「少」。


第2のミステリー

 第2。

 登場の仕方は,「海上(わたつみのうえ)」から「舟」に乗って,「潮水(うしお)の随(まにまに)浮き到る(いたる)」という塩梅だ。

 また,常世国に行ってしまった。

 海洋神のようだ。


第3のミステリー

 第3。

 さらに上記@の部分では,スクナヒコナが未完成の国を残して出雲の「熊野の御碕(みさき)」から常世郷(とこよのくに)に行ってしまったとか,「淡嶋(あわのしま,出雲国風土記の意宇郡の条に出てくる。)」で「粟茎(あわがら)」に登ったら弾かれて常世郷へ行ってしまったとか述べている。

 粟にこだわったうえで,焼き畑農耕と関係があるという学者もいる。

 要するにそうした植物に弾かれて飛んでいってしまうほど小さくて軽かったという点に焦点があるのではないか。

 後述するとおり,神功皇后摂政13年2月の歌謡では,スクナヒコナが「神酒(くし)の司(かみ)」すなわち醸造の神として登場している。


第4のミステリー

 第4。

 一緒に国を作ったのに,オオナムチよりも格下とされている点も不審だ。

 第8段第6の一書は,まず,「大己貴神」と「少彦名命」とが力を合わせ,「経営天の下(あめのしたをつくる)」と述べている。

 なぜ大己貴「神」に対して少彦名「命」なのか。なぜ「尊」でも「神」でもないのか。

 仮に出雲の神であるならば,なぜ少彦名「神」ではないのか。偉大なる出雲国の建国者は,「神」として崇められないのか。


第5のミステリー

 第5。

 日本書紀第8段第6の一書の,上記Bの部分によれば,タカミムスヒが「産みし児」は,1500もあった。

 ところがその中に,「一の児最(いと)悪(つら)くして,教養(おしえごと)に順はず(したがはず)」。「指間(たま)より漏(く)き堕ちにし」。

 これがスクナヒコナだというのだ。

 神々しい神をたくさん生んだのに,1つだけ変で,従順でない神がいた。それが「高天原」から天の下に堕ちていった。

 スクナヒコナは,明らかに貶められている。なぜか。

 そして,元来は「高天原」の神のようだが,なぜ出雲の国作りに貢献するのだろうか。


スクナヒコナは国つ神である

 第5のミステリーから始めよう。

 スクナヒコナは,「高天原」の神なのか。オオナムチと同様,天の下の神,すなわち国つ神なのか。

 これについては,ほぼ答えが出ている。

 第8段第6の一書における,上記Bの悪意。
 本来の出雲神話は,上記@とAだけだった。そこに上記Bの悪意が付け加わったのであった。

 悪意の付け足しだったからこそ,タカミムスヒの子供が作った国をタカミムスヒが侵略するという矛盾をはらんでいたのであった。

 悪意の付け足しだったからこそ,タカミムスヒは,産んだ神が天の下に1500もあると誇っていたのであった。
 だったら,国譲りという名の侵略など必要ないはずなのであった。

 だから,タカミムスヒ(またはカミムスヒ)が「産みし児」という「叙述と文言」は,信用できない。
 「高天原」神話が作られた頃の,後代の作り事である。

 スクナヒコナは,国つ神である。天の下をオオナムチとともに作った国つ神である。


スクナヒコナもまた朝鮮の神である

 本来,国つ神であるのに,「高天原」の神として扱われ,しかも「悪」であり出来損ないであるとして貶められている神は,ほかにもいた。

 スサノヲだ。

 スサノヲもまた朝鮮からやって来た神だった。
 本文では決して明かされないけれども,日本書紀第8段第4の一書,第5の一書によれば,新羅から来た神だった。

 スサノヲは,国譲りという名の侵略の正当性を主張するために必要な神だった(正当性の契機)。いわゆる「高天原」神話の中に組み込まれ,利用された(スサノヲ神話の本質)。

 スクナヒコナもまた,朝鮮からやって来た神だったので,「悪」として貶められたのではないだろうか(日本神話成立の歴史的背景,スサノヲの素性が隠されたわけ)。

 ただ,征服される国土を用意した神だったので,いわゆる「高天原」神話信奉者の「悪意」によって,タカミムスヒの「児」とされたのではないだろうか。

 そして,肩書きは,たんなる「命」だ。

 スサノヲほどビッグネームにはならなかったが,スクナヒコナもまた,朝鮮から来た神ではなかろうか。


海から出雲に来る神は朝鮮から来る神である

 日本書紀第8段第6の一書によれば,スクナヒコナは,海から出雲にやって来た神だった。

 出雲は,朝鮮半島との交易の要衝の地だった。出雲の海の彼方は,朝鮮半島である。

 海の彼方から出雲にやってくる神は,朝鮮半島出身の神である。
 スサノヲがそうであった。
 新羅に降臨後,「埴土(赤土)を以て舟に作りて」,海を渡って,出雲に来た神だった(第8段第4の一書)。

 スクナヒコナもまた,朝鮮半島からやって来た神である。

 スクナヒコナが,本当に「高天原」系の神であるならば(第8段第6の一書の上記Bは,タカミムスヒの子であるとしている。),海から出雲にやって来るはずがない。

 天稚彦や天孫ニニギがそうだったように,天から降臨するはずだ。
 タカミムスヒ(古事記はカミムスヒ)の指の間から漏れ落ちたというが,それは,悪意のリライトの部分だから,信用できない。

 出雲は,朝鮮由来のスサノヲが基礎を築いた。
 それをさらに発展させ,大八洲国全体を築いたのも,朝鮮由来のスクナヒコナだったのだ。

 日本と朝鮮は,切り離しては考えられない。


神功皇后摂政13年2月の歌謡に登場するスクナヒコナ

 さて,だとすると,神功皇后と誉田別皇子との出自は,どうなるのだろうか。

 スクナヒコナは,日本書紀の神功皇后摂政13年2月に再登場する。この叙述をどう読むかが問題だ。

 神功皇后は,政敵,忍熊皇子(おしくまのみこ)を破り,摂政となって,自分の子,誉田別皇子(ほむたわけのみこ,後の応神天皇)を皇太子(ひつぎのみこ)にする。
 そして,ヤマトの磐余(いわれ)に都を作る(神功皇后摂政3年正月)。

 これで神功皇后の政権は安泰となった。それが証拠に,その次に来る叙述は新羅との外交だ。国が治まると神功皇后は,直ちに,新羅との外交に精を出したのだ。

 これが,以下の叙述の背景であり,ポイントである。


神功皇后摂政13年2月の歌謡

 新羅との外交記事の直後に来る叙述が,神功皇后摂政13年2月である。

 神功皇后は,武内宿禰(たけしうちのすくね)に命じて,誉田別皇子と共に「角鹿(つぬが,現在の敦賀)の笥飯大神(けひのおおかみ)」を拝み祭らせる。

 日本書紀の叙述からすれば当時13歳くらいの誉田別皇子を,わざわざヤマトの磐余から敦賀まで行かせて,笥飯大神を拝ませたのだ。

 あたかも,祖先の墓参りでもするかのように。
 あたかも,祖先に報告でもするかのように。

 問題は,これに続く歌だ。神功皇后は,磐余に帰ってきた誉田別皇子を迎えて酒宴を張り,以下の歌を詠む。

 「此の御酒(みき)は 吾が御酒ならず 神酒(くし)の司(かみ) 常世に坐す いはたたす 少御神(すくなみかみ)の豊寿き(とよほき) 寿き廻(もと)ほし 神寿き 寿き狂ほし 奉り来し御酒そ あさず飲(ほ)せ ささ」


神功皇后と朝鮮外交記事とスクナヒコナ

 この酒は,「常世に坐す いはたたす 少御神」,すなわち常世国のスクナヒコナが,慶事を狂おしいほどに讃え,醸し奉った酒だというのだ。

 その酒を,政権安泰を報告した「笥飯大神」と共に飲む。

 そしてこの後,神功紀の叙述は延々と朝鮮外交を叙述し,最後までそれに終始する。
 すなわちこの歌謡は,神功皇后の内戦勝利から朝鮮外交記事に転換していく,結節点にあるといってよい。

 そこにスクナヒコナが登場しているのだ。


崇神天皇8年12月の歌謡と同様に共食の思想である

 この歌謡は,第5段第6の一書で共食の思想を検討したときに引用した,崇神天皇8年12月の歌謡と同じだ。

 此の神酒(みき)は 我が神酒ならず 倭成す 大物主の 醸(か)みし神酒 幾久(いくひさ) 幾久 (崇神天皇8年12月)

 崇神天皇は,土地の者「活日」が造った酒を,地主神である大物主神を祭った神社で飲むことで大物主神と共食し,一体化し,その世界の人になったのだった。

 ここには,崇神天皇は,その土地の者ではなかったという前提がある。

 誉田別皇子もまた,出雲の神スクナヒコナが奉った酒を飲む。

 「倭成す 大物主の 醸(か)みし神酒」(崇神天皇8年12月)というならば,こっちは,「出雲成す 少彦名命の 醸(か)みし神酒」を飲むのだ

 だから,誉田別皇子は出雲の人ではなかったが,出雲の神スクナヒコナが作った酒を飲むことにより,スクナヒコナと共食し,一体化し,出雲世界の人になったのであろう。

 これは,そうした儀式だったのだ。

 なお,この酒を,「ホムタワケ(応神)の成人したことを祝うためのものであったと思われる」とする学者さんがいる(西郷信綱・古事記注釈・第6巻・筑摩書房,253頁)。

 しかし,古事記によれば,ホムタワケは,建内宿禰に連れられて禊ぎの旅に出て,有名な「酒楽の歌」も,建内宿禰に返歌してもらっている。
 自分では何もできない,子供扱いである。


角鹿の笥飯大神も朝鮮出身

 角鹿の笥飯大神になぜ報告したのか。それは,祖先神だったからであろう。

 では,角鹿の笥飯大神の出自はどこか。

 角鹿の笥飯大神は,日本書紀では,垂仁天皇2年の一書に引用されている都怒我阿羅斯等(つぬがあらしと)に端を発する。

 崇神天皇の時代に,意富加羅国(おおからのくに),すなわち朝鮮半島南端の国の王の子,都怒我阿羅斯等が,崇神天皇を慕って「越国の笥飯浦(けひのうら)」にやって来た。そして,崇神天皇が死んだので垂仁天皇に仕えたという。

 「笥飯」は現在の「気比」であり,敦賀市内の気比神宮のあるところだ。福井県の敦賀は,古代における大陸との交渉の要地だった。

 だから,笥飯大神は,朝鮮に起源をもつ人たちがいつき祭っていた神である。朝鮮からやって来た神だといえる。


笥飯大神と名前を交換した応神天皇

 一方,応神天皇即位前紀の一書は,応神天皇が太子のころに角鹿の笥飯大神を拝んだとき,「大神と太子と,名を相易(あひか)へたまふ」としている。

 これは,前述した神功皇后時代の話のことなのだろう。

 だとすると誉田別皇子は,わざわざヤマトの磐余から敦賀の気比に出向いて,朝鮮起源の神,笥飯大神に政権安泰を報告し,さらに名前を交換してきたことになる。

 これもまた,笥飯大神との一体化を示している。

 そして磐余に戻って,直ちに,出雲建国の神スクナヒコナが造った酒を飲んで共食したことになる。

 このように,神功皇后と誉田別皇子とは,朝鮮,出雲と,深い関係をもっている。

 なお,神功皇后については,初版発表後,別稿「神功記を読み解く」で検討した。


なぜ「命」なのか

 しかしそれにしても,スクナヒコナは,なぜ「命」なのだろうか。

 その最大の理由は,朝鮮由来の神だからだ。前述したとおり,日本書紀編纂当時は,白村江の敗戦後であり,朝鮮をあきらめて日本列島に引きこもる時代だった。
 律令国家形成の時代だった。

 日本列島を中心に見て,朝鮮を下に見る時代だった。

 性格が「悪」で,「高天原」の神であるようでいて,じつはそうではなく,その支配者に従わない神。スサノヲと同様,貶められた神。

 スサノヲは,国譲りという名の侵略の正当性を主張するために必要な神だった。だからこそ「命」ではなく「尊」として,いわゆる「高天原」神話の中に組み込まれ,利用されたのだった(スサノヲ神話の本質)。


「高天原」神話に取り込まれなかったスクナヒコナ

 一方スクナヒコナは,単に,征服される国土を用意した神にすぎない。「尊」としていわゆる「高天原」神話に登場させる必要はない。

 出雲は,朝鮮系の神が支配した国だ。だからこそ,本来は「命」扱いでよかった。
 出雲には朝鮮系の政治権力があった。それを否定したのが,のちの大和朝廷につながる人々だったのだ。

 ま,タカミムスヒと天孫自体が,朝鮮系だったわけですがね(第6段第1,第3の一書)。

 そして,オオナムチ(大己貴神)のように,「神」としていつき祭られるほどでもなかったのであろう。

 だからこそ「命」扱いでよかったのだ。

 


トップページ( まえがき)

第1 私の立場と問題意識

第2 問題提起

第3 方法論の問題

第4 世界観と世界の生成

第5 神は死なない(神というもののあり方)

第6 原初神と生成神の誕生

第7 日本書紀における原初神と生成神の誕生

第8 修理固成の命令

第9 言葉に対して無神経な古事記(本当に古い文献か)

第10 古事記は伊勢神宮成立後の文献

第10の2 応神記の気比の大神について

第11 国生み叙述の根本的問題

第12 日本神話の読み方を考える(第1子は生み損ないか)

第13 生まれてきた国々を分析する

第14 国生みのあとの神生み

第15 火の神カグツチ「殺し」

第16 黄泉国巡り

第17 コトドワタシと黄泉国再説

第18 禊ぎによる神生みの問題点

第19 日本神話の故郷を探る

第20 大道芸人の紙芝居としての古事記

第21 アマテラスら3神の生成

第22 分治の命令

第23 日本神話の体系的理解(日本書紀を中心に)

第24 日本神話の構造と形成過程

第25 生まれたのは日の神であってアマテラスではない

第26 日の神の接ぎ木構造

第27 最高神?アマテラスの伝承が変容する

第28 泣くスサノヲとイザナキの肩書き

第29 日本神話学の見通しと方法論

第30 日本神話のコスモロジー

第31 誓約による神々の生成(日本書紀)

第32 誓約による神々の生成(古事記)

第33 天の岩屋戸神話と出雲神話が挿入された理由

第34 日本神話のバックグラウンド・縄文から弥生への物語
(日本書紀第5段第11の一書を中心に)


第35 海洋神アマテラスと産霊の神タカミムスヒ
(日本書紀を中心に)


第36 支配命令神は誰なのか(ねじれた接ぎ木構造)

第37 アマテラスとタカミムスヒの極めて危うい関係

第38 五穀と養蚕の文化に対する反逆とオオゲツヒメ

第39 スサノヲの乱暴

第40 「祭る神が祭られる神になった」という幻想

第41 天の石屋戸と祝詞

第42 スサノヲの追放とその論理(日本書紀を中心に)

第43 アマテラス神話は確立していない(日本書紀を中心に)

第44 出雲のスサノヲ

第45 異伝に残された縄文の神スサノヲ(日本書紀を中心に)

第46 スサノヲにおける縄文と弥生の交錯(大年神の系譜)

第47 別の顔をもつスサノヲ(日本書紀を中心に)

第48 オオクニヌシの試練物語のへんてこりん

第49 オオクニヌシの王朝物語

第50 日本書紀第8段第6の一書の構成意図と古事記の悪意

第51 スクナヒコナと神功皇后と応神天皇と朝鮮

第52 偉大なるオオナムチ神話(大八洲国を支配したオオナムチ)

第53 三輪山のオオナムチ(日本書紀第8段第6の一書から)

第54 古事記はどうなっているか

第55 偉大なるオオクニヌシ(オオナムチ)の正体(問題提起)

第56 偉大なるオオクニヌシの正体(崇神天皇5年以降)

第57 崇神天皇5年以降を読み解く

第58 国譲りという名の侵略を考える前提問題

第59 「皇祖」「皇孫」を奪い取る「皇祖神」タカミムスヒ
(国譲りという名の侵略の命令者)


第60 皇祖神タカミムスヒの根拠
(国譲りという名の侵略の命令者)


第61 古事記における命令神
(国譲りという名の侵略の命令者)


第62 第9段第1の一書という異伝中の異伝と古事記

第63 武神の派遣と失敗と「高木神」

第64 タケミカヅチの派遣(タケミカヅチはカグツチの子)

第65 フツヌシとタケミカヅチの異同

第66 コトシロヌシは託宣の神ではないしタケミナカタは漫画

第67 「オオクニヌシの国譲り」の叙述がない

第68 天孫降臨の叙述の構造

第69 サルタヒコの登場

第70 古事記独特の三種の神宝

第71 天孫はどこに降臨したのか

第72 「国まぎ」を切り捨てた古事記のへんてこりん
(天孫降臨のその他の問題点)


第73 国譲り伝承と天孫降臨伝承との間にある断層

第74 じつは侘しい天孫降臨と田舎の土豪神武天皇

第75 天孫土着の物語

第76 火明命とニギハヤヒ(第9段の異伝を検討する)

第77 日向神話の体系的理解

第78 騎馬民族はやって来たか

第79 三種の宝物再論

第80 日本神話の大きな構成(三輪山のオオナムチとの出会い)

第81 海幸彦・山幸彦の物語を検討する

第82 「居場所」のない古事記

第83 本居宣長について

第84 日本神話を論ずる際のルール

第85 神々の黄昏

あとがき

著作権の問題など

付録・初版の「結論とあとがき」


新論文
神功紀を読み解く
神功皇后のごり押しクーデター

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