日本書紀を読んで古事記神話を笑う

日本書紀を読んで古事記神話を笑う 改訂新版

2009年10月5日up
(物語読者として日本神話を解明する)


第10の2 応神記の気比の大神について


まえがき

 今回,改訂新版を作る過程で,西郷信綱の「古事記注釈全8巻」を,一通り読んだ。

 「気比の大神」の名前交換の話は,必要な限りで検討したつもりだったが,「古事記注釈全8巻」を読んで,全面的に検討しておく必要があると感じた。

 「第10の2」として,差し込んでおく。


古事記のお話の内容

 古事記のお話の内容は,こうである。

@ 「故,建内宿禰命,其の太子を率て,禊(みそぎ)せむと爲て,淡海及若狹國を經歴(へ)し時,高志の前(みちのくち)の角鹿に假宮(かりみや)を造りて坐さしめき」。

A すると,「其地に坐す伊奢沙和氣大神命」が夢に出て,「吾が名を御子の御名に易(か)へまく欲(ほ)し。」と言う。

B それを承諾すると,その神は,「明日の旦(あした),濱に幸でますべし。名を易(か)へし幣(まひ)獻らむ。」と言う。

C そこで行ってみると,イルカがあがっていた。つまり,その神が,「我に
御食(みけ)の魚(な)給へり。」だったのだ。

D そこで,「故,亦其の御名を稱(たた)へて,御食津大神と號(なづ)けき。故,今に氣比大神と謂ふ。亦其の入鹿魚(いるか)の鼻の血臭かりき。故,其の浦を號けて血浦(ちうら)と謂ひき。今は都奴賀(つぬが)と謂ふ」。


何のために禊ぎをしようとしたのかわからない

 まず,「其の太子を率て,禊(みそぎ)せむと爲て」の解釈が問題となる。

 神功皇后による新羅征討が終わって,忍熊王らを制圧して,晴れて政権を握ったのに,なぜ,何のために,ここで禊ぎが出てくるのか。

 忍熊王との戦いで,「穢れ」たという説がある。
 しかし,そんなことを言ったら,戦いのあとに,すべて禊ぎをしなければならないが,日本神話にそんな「叙述と文言」はない。

 「喪船」というトリックを使った穢れを祓うという学説もあるが,トリックなど,ヤマトタケルの女装をはじめ,いくらでもある。穢れでもなんでもない。

 「喪船」に乗ったことにしたという「穢れ」,という人もいるが,そもそも「喪船」はトリックで,「喪船」ではなかったのだから,穢れるはずがない。

 こうして,この「禊(みそぎ)せむと爲て」は,解釈不能に陥る。

 だから学者さんは,成人式とか,即位儀礼とかいう,わけのわからぬことを言い出す。

 生まれたばかりのホムタワケ(後の応神天皇)が,成人式でもあるまい。
 また,即位儀礼のために禊ぎをするのも,理解しかねる。


気比大神に会うために遍歴したのではない

 で,西郷信綱氏は,こう語っている。

 「気比大神に詣るためのものと見るのがいちばん自然と思われる」(西郷信綱・古事記注釈・第6巻・筑摩書房,239頁)。

 しかし,「叙述と文言」は,そうなっていない。

 「其の太子を率て,禊(みそぎ)せむと爲て,淡海及若狹國を經歴(へ)し時,高志の前(みちのくち)の角鹿に假宮(かりみや)を造りて坐さしめき。」という時に,気比大神との名前交換の話が出てくるのだ。

 禊ぎを目的とした「道行き」の途中で,角鹿に「假宮」を作っただけである。禊ぎの目的地はほかにあるから,あくまでも「假宮」である。

 禊ぎという目的のために,「淡海及若狹國を經歴(へ)し時」である。途中である。

 やはり,禊ぎのための「道行き」の途中で,気比大神に出会ったにすぎない。

 だいいち,この場面は,気比大神がホムタワケに「御饗」して,ホムタワケに服従したというお話だ。
 偉大なる「気比大神に詣るため」,禊ぎをしようという話じゃない。話が逆である。偉いのは気比大神ではなく,あくまでも,ホムタワケである。

 西郷氏の説は,細かい点だけでなく,そうした,「叙述と文言」の大きな流れにも反している。

 とにかくこの部分は,学者さんたちでさえ解決できていない,難所のようである。


「神功記を読み解く」で解決済み

 私は,「神功記を読み解く」で,すでに解決した。

 神功皇后は,反逆の女帝だ。「ごり押しクーデター」で,壬申の乱以上の劇的な勝利を収めた女帝である。

 古事記は「大后」なんて言ってるが,古事記自体の「叙述と文言」からしても,そんな血筋じゃない。
 実家である「息長氏」の系譜を丹念に拾ってみても,しょせん,皇統からはずれた,「ときがときであれば」,という家系にすぎない。
 それが,ヤマトを本拠にできていない。

 で,仲哀天皇の死を隠して,「殯(もがり)」をやったなんて書いてるが,そこでやったことは,じつは「国の大祓(おおはらえ)」であった。

 その内容は,獣姦をも含む国中の汚れを祓う,大祓であった。
 皇位継承手続きを無視して行った大祓であった。


道理が通らぬ殺人のあとの禊ぎである

 殺人のあとに祓禊(みそぎ)をした実例がある。墨江中王(すみのえのなかつみこ)の反乱だ。

 曾婆加理(そばかり)を利用して墨江中王を暗殺させた水齒別命は,「今日は此間(ここ)に留りて祓禊(みそぎ)爲て,明日參い出でて~の宮を拜(おろが)まん」と言う。

 ホムタワケ(後の応神天皇)は,なぜ,禊ぎをしようとしたのか。

 忍熊王らの征圧,母である神功皇后の勝利が,本来は,道理から外れた殺人だったからである。

 私はこれを,「神功皇后のごり押しクーデター」と呼んでおいた。


名前替えをまったく無視した古事記ライター

 ま,そんなことはどうでもいい。

 とにかく,「伊奢沙和気大神」という神が,ホムタワケと名前を替えてもらって,そのお礼に,「名を易(か)へし幣(まひ)獻らむ。」となって,イルカを献上して,大いなる天皇,ホムタワケは,それを良しとして,「御食津大神と號(なづ)けき」なのだ。

 オレに,おいしい食べ物を貢上してくれた神を,これからもオレに食事を用意してくれる神「御食津大神と號(なづ)けき」なのである。

 古事記が言いたいことは,本当に,たったこれだけのことである。単純すぎて,笑えるほどだ。

 だからこそ古事記ライターは,名前を交換してどうなったのかという問題は,まったく考えていない。

 「伊奢沙和気大神」が,「吾が名を御子の御名に易(か)へまく欲(ほ)し。」と要望し,実際に名前を替えてもらったので,「名を易(か)へし幣(まひ)獻らむ。」というのに,ホムタワケがイザサワケになっていないということには,何の関心もない。

 何も考えていない。
 古事記ライターは,そんな男なのである(女性説もあるが)。

 古事記においては,禊ぎの話も,名前替えの話も,換骨奪胎され,気比大神の,単なる服従話になっている。
 古来の神話伝承を,真面目に伝えようとしていないのだ。ホムタワケ礼賛の物語が書ければ,それでいい。

 それが古事記ライターの態度である。


名前替えに関する学説とその限界

 名前替えについては,いろいろな学説があった。

 大神が,一方的に,名前を望んだのだという学説もあった。交換ではなく,気比大神が一方的に名前をもらったのだ(だからホムタワケの名前が変わっていないのだ),という学説もあった。

 しかし,西郷信綱氏も指摘するとおり,「試に易幸せむ」という海幸彦山幸彦の場面からすれば,お互いの名前を交換したと解釈する以外ない。

 その西郷信綱氏は,「この神が名を易えたしと告げたのは実は御食(みけ)の魚(な)をくれるとの意に他ならなかった点である。」とし,名前替えではなく,魚(な)の献上話にすぎないとするようである(西郷信綱・古事記注釈・第6巻・筑摩書房,242頁)。

 要するに,ダジャレである。

 古事記にダジャレがあることはわかる。
 しかし,ここまでくると,「叙述と文言」を無視した,神話伝承の改変または創作と言うしかない。


「実証主義や自然主義」を捨てた西郷信綱

 かくて,デッドロックに乗り上げた学者さんは,どう言うか。

 「わたしたちのなかに棲む単調で,閉された,『灰色のまじめさ』(バフチン)こそが問題なのである。ずばりいってこの『まじめさ』は,実証主義や自然主義の刻印をもつ」(西郷信綱・古事記注釈・第6巻・筑摩書房,243頁)。

 これは,自らの学説に対する釈明であり,弁明である。はっきり言って,哀れでさえある。

 自らの「実証主義や自然主義」を捨てるという宣言である。
 文献を検討してきた学者さんが,突如,こんなことを言うのには,驚くほかない。

 「古事記の蔵する旋律のおかし味や諧謔性」に注目するのも,過度の自然主義を排する(この学者さんは,自然主義的に古事記を読んではいけないと言っている。)のもいいけれど,名前替えの問題を,単なる言葉遊びにしてしまうことはできない。

 そして,こうした言葉遊びをしているのが古事記だと言ってしまうのなら,やはり古事記は,古来の神話伝承を利用した「二番煎じ」,「リライト」の文献ということになってしまうのである。

 少なくともこの場面は,そうなってしまうのである。

 その点,この学者さんは,どう答えるのだろうか。学問上,興味深いところである。


古事記のいい加減さを真正面から見つめるべきである

 私は,この学者さんを非難したいのではない。

 学者さんをして,ここまで言わしめた古事記。

 西郷信綱という有名な学者さんでさえ,こうした形で弁明せざるを得ないのが,古事記なのである。

 私は,古事記のいい加減さを,真正面から見つめ,その意味と理由を考えることが必要だと考えている。

 もし,西郷氏の説が正しいのであれば,古事記は,日本書紀本文や一書など,あまたある神話伝承のうちの,シャレのきいた面白おかしい一伝承という地位まで,後退せざるを得なくなるだろう。

 日本神話を真面目に考えるならば,まず日本書紀,ということになるだろう。
 古事記研究に一生をかける理由も必要もなくなるだろう。

 論文のお題は,「気比大神研究」ではなく,そうした古典を題材にした,「シャレの研究」になるのだから。

 「灰色のまじめさ」(バフチン)が何を言っているのか,確かめようとも思わないが,私は,たとえ辛気くさくなっても,灰色になっても,「実証主義や自然主義」から,「まじめ」に古事記を読むのが基本だと考えている。

 もちろん,歌がある以上,文学的な素養は必要だ。

 なお,この学者さんが,古事記を歌物語的にとらえている点については,後述する。


トップページ( まえがき)

第1 私の立場と問題意識

第2 問題提起

第3 方法論の問題

第4 世界観と世界の生成

第5 神は死なない(神というもののあり方)

第6 原初神と生成神の誕生

第7 日本書紀における原初神と生成神の誕生

第8 修理固成の命令

第9 言葉に対して無神経な古事記(本当に古い文献か)

第10 古事記は伊勢神宮成立後の文献

第10の2 応神記の気比の大神について

第11 国生み叙述の根本的問題

第12 日本神話の読み方を考える(第1子は生み損ないか)

第13 生まれてきた国々を分析する

第14 国生みのあとの神生み

第15 火の神カグツチ「殺し」

第16 黄泉国巡り

第17 コトドワタシと黄泉国再説

第18 禊ぎによる神生みの問題点

第19 日本神話の故郷を探る

第20 大道芸人の紙芝居としての古事記

第21 アマテラスら3神の生成

第22 分治の命令

第23 日本神話の体系的理解(日本書紀を中心に)

第24 日本神話の構造と形成過程

第25 生まれたのは日の神であってアマテラスではない

第26 日の神の接ぎ木構造

第27 最高神?アマテラスの伝承が変容する

第28 泣くスサノヲとイザナキの肩書き

第29 日本神話学の見通しと方法論

第30 日本神話のコスモロジー

第31 誓約による神々の生成(日本書紀)

第32 誓約による神々の生成(古事記)

第33 天の岩屋戸神話と出雲神話が挿入された理由

第34 日本神話のバックグラウンド・縄文から弥生への物語
(日本書紀第5段第11の一書を中心に)


第35 海洋神アマテラスと産霊の神タカミムスヒ
(日本書紀を中心に)


第36 支配命令神は誰なのか(ねじれた接ぎ木構造)

第37 アマテラスとタカミムスヒの極めて危うい関係

第38 五穀と養蚕の文化に対する反逆とオオゲツヒメ

第39 スサノヲの乱暴

第40 「祭る神が祭られる神になった」という幻想

第41 天の石屋戸と祝詞

第42 スサノヲの追放とその論理(日本書紀を中心に)

第43 アマテラス神話は確立していない(日本書紀を中心に)

第44 出雲のスサノヲ

第45 異伝に残された縄文の神スサノヲ(日本書紀を中心に)

第46 スサノヲにおける縄文と弥生の交錯(大年神の系譜)

第47 別の顔をもつスサノヲ(日本書紀を中心に)

第48 オオクニヌシの試練物語のへんてこりん

第49 オオクニヌシの王朝物語

第50 日本書紀第8段第6の一書の構成意図と古事記の悪意

第51 スクナヒコナと神功皇后と応神天皇と朝鮮

第52 偉大なるオオナムチ神話(大八洲国を支配したオオナムチ)

第53 三輪山のオオナムチ(日本書紀第8段第6の一書から)

第54 古事記はどうなっているか

第55 偉大なるオオクニヌシ(オオナムチ)の正体(問題提起)

第56 偉大なるオオクニヌシの正体(崇神天皇5年以降)

第57 崇神天皇5年以降を読み解く

第58 国譲りという名の侵略を考える前提問題

第59 「皇祖」「皇孫」を奪い取る「皇祖神」タカミムスヒ
(国譲りという名の侵略の命令者)


第60 皇祖神タカミムスヒの根拠
(国譲りという名の侵略の命令者)


第61 古事記における命令神
(国譲りという名の侵略の命令者)


第62 第9段第1の一書という異伝中の異伝と古事記

第63 武神の派遣と失敗と「高木神」

第64 タケミカヅチの派遣(タケミカヅチはカグツチの子)

第65 フツヌシとタケミカヅチの異同

第66 コトシロヌシは託宣の神ではないしタケミナカタは漫画

第67 「オオクニヌシの国譲り」の叙述がない

第68 天孫降臨の叙述の構造

第69 サルタヒコの登場

第70 古事記独特の三種の神宝

第71 天孫はどこに降臨したのか

第72 「国まぎ」を切り捨てた古事記のへんてこりん
(天孫降臨のその他の問題点)


第73 国譲り伝承と天孫降臨伝承との間にある断層

第74 じつは侘しい天孫降臨と田舎の土豪神武天皇

第75 天孫土着の物語

第76 火明命とニギハヤヒ(第9段の異伝を検討する)

第77 日向神話の体系的理解

第78 騎馬民族はやって来たか

第79 三種の宝物再論

第80 日本神話の大きな構成(三輪山のオオナムチとの出会い)

第81 海幸彦・山幸彦の物語を検討する

第82 「居場所」のない古事記

第83 本居宣長について

第84 日本神話を論ずる際のルール

第85 神々の黄昏

あとがき

著作権の問題など

付録・初版の「結論とあとがき」


新論文
神功紀を読み解く
神功皇后のごり押しクーデター

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