日本書紀を読んで古事記神話を笑う

日本書紀を読んで古事記神話を笑う 改訂新版

2009年10月5日up
(物語読者として日本神話を解明する)


第67 「オオクニヌシの国譲り」の叙述がない


これが「オオクニヌシの国譲り」?

 さて,いよいよ,いわゆるオオクニヌシの国譲りの場面になる。
 この場面は,以下の3段落から成っている。

@ コトシロヌシもタケミナカタも去り,オオクニヌシもまた「この葦原中国は,命の随に既に献らむ」と述べる。

A ただ,私の住みかとして,天つ神の御子の宮殿のような立派な宮殿を造ってくれるならば,私は永久に隠れましょうと述べる。

B そうして,「かく白して,出雲国の多藝志(たぎし)の小濱(おはま)に,天の御舎(みあらか)を造りて」,

C 「天の御饗(みあえ)を献りし時に」,

D 食事の準備のために火をたいたオオクニヌシが言うには,私がおこした火は「神産巣日神の御祖命(みおやのみこと)の」,天にある住居の煤が長く垂れ下がるほどに炊きあげ(それくらいの火力をもって),……,

E 立派な魚料理を「献る」。


古事記には「オオクニヌシの国譲り」なんてどこにも書いてない

 従来,これこそがオオクニヌシの国譲りだとされてきた。誰も疑わない。

 オオクニヌシは,自発的に葦原中国を譲る代わりに,自分が住む宮殿を作ってもらったというのだ。

 それが「天の御舎」であり,現在の杵築大社だというのだ。

 それが,日本書紀第9段第2の一書に出てくる,「天日隅宮(あまのひすみのみや)」だというのだ。

 めちゃくちゃだ。本当にめちゃくちゃ。
 古事記に,そんなことは書かれていない。
 日本書紀の異伝と,ごっちゃにしてはいけない。

 「高天原」の神々が,オオクニヌシのために宮殿を作ったなんて,書かれていないじゃありませんか。

 むしろ,逆だ。


オオクニヌシは宮殿を作ってもらっていない

 謙虚に読めばわかるとおり,「天の御舎」を造ったのは,明らかにオオクニヌシだ。
 しかもそれは,「高天原」の神々をいつき祭る神殿ですよ。

 オオクニヌシは,私は永久に隠れるし,我が子孫たちも背くことはあるまいと述べる。
 そして,「かく白して,出雲国の多藝志の小濱に,天の御舎を造りて」と続く。

 「天の御舎」を造ったのは,オオクニヌシ自身だ。

 そしてここが重要なのだが,これは,オオクニヌシの住みかではない。「天の御舎」であり「国の御舎」ではない。

 明らかに,天つ神のための「御舎」だ。出雲大社などではない。


自分で作った「天の御舎」で天つ神への服属儀礼をしただけだ

 そこで行ったことは,「天の御饗を献」ることだった。

 「御饗献る(みあえたてまつる)」というのは,神武紀以降にたくさん出てくる。
 天皇が行幸したり,巡狩したときに,土地の土豪が出てきて服属を誓うのが,「御饗献る」だ。一番おいしい,とびきりのご馳走を供することで,服属の意思を示すのだ。

 「御饗」は神事だ。天つ神のために食事を供するのだ。
 そのための準備が詳述されているが,ここでは省略する。
 とにかく,原文や読み下し文を読めばすぐわかることだ。

 オオクニヌシは,「御饗」の準備をしたうえで火をたき,天つ神に向かって,立派な魚料理を献上すると誓約する。


太っ腹のオオクニヌシなんてどこにもない

 ここには,神が神をいつき祭るお話がある。

 それが,どれほど屈辱的なことであるか,学者さんは考えたことがあるのだろうか。

 神話的解釈を旨とする学者さんは,知ったこっちゃないのであろうか。

 オオクニヌシは,葦原中国を天つ神に献上するだけでなく,わざわざ天つ神をいつき祭る殿舎を建てて,「御饗」を行い,服属を誓ったにすぎない。

 これが,古事記が描く「大国主命の国譲り」だ。

 「太っ腹のオオクニヌシ」なんて,どこにも書かれていない!

 神が神をいつき祭るなんて,もはや,神としての自殺行為である。他者に犯されないという意味での「神性」は,もはや失ってしまっている。
 いつき祭る人々というレベルで考えてみても,もはや,人々に見放された神である。

 こんなお話,もはや,オオクニヌシにとっては,神話ではない。本人も,そんな「駄メンズ神話」,語ってもらいたくないと思っているだろう。

 それを,大の学者さんたちが,大昔から「オオクニヌシの国譲り」なんて言いふらしている。

 「太っ腹のオオクニヌシ」なんて,漫画としてはいいだろうが,もはや,いかなる意味でも,まともな神話ではない。


はじめから服従を運命づけられたオオクニヌシ

 それどころか,古事記におけるオオクニヌシは,はじめから服従を運命づけられている。

 私は,「オオクニヌシの王朝物語」,「偉大なるオオナムチ神話」などで,大八洲国を支配したオオクニヌシがいかに偉大だったかを,「叙述と文言」に基づいて論証してきた。

 ところがここでは,偉大さのかけらもない。

 それどころか,「天つ神の御子」万歳,「高天原」万歳の思想のなかで,それをあがめ奉るだけの,情けない神に成り下がっている。

 物語としては,それなりに流れている。

 しかし,一番イケナイのは,こんな古事記にオオクニヌシの国譲り物語があると信じて,古事記解釈をゆがめる人たちだ。

 それはともかく,最低限指摘しておかなければならないのは,オオクニヌシを天つ御子の奴婢か婢(はしため)のように描いた,古事記ライターの精神だ。

 これは,オオクニヌシと,いわゆる「国譲り」に関する,古来の伝承ではない。そうであるはずがない。
 古来の伝承は,他にあるはずだ。
 神を神としてあがめ奉った時代の,「本当の神話」があるはずだ。

 オオクニヌシが,天つ神に唯々諾々と従う伝承など,2次的,3次的伝承にすぎない。神であることを捨てた,単なる漫画である。


権威的権力的支配的な思想で一貫しているのが古事記

 オオクニヌシの,この服属儀式を見届けたタケミカヅチは,「返り參上りて,葦原中國を言向(ことむ)け和平(やは)しつる状(さま)を,復奏したまひき。」となるのだ。

 「復奏」である。将軍が,総司令官に対して行う軍事的行為である。

 こうして,アメノオシホミミに,「今,葦原中國を平(ことむ)け訖(を)へぬと白せり。故,言依さし賜ひし隨(まにま)に,降りまして知らしめせ。」との命令が下り,「天子降臨」が始まっていく。

 要するに,オオクニヌシの子を各個撃破し,オオクニヌシに服属儀礼まで行わせて,オオクニヌシとその一族を,完膚なきまでに叩きのめしたからこそ,晴れて「天子降臨」が行われる。

 そうした,「言向(ことむ)け和平(やは)」す,権威的,権力的,支配的な思想で一貫しているのが,古事記なのだ。

 ここに,古事記の本質がある。

 「太っ腹のオオクニヌシ」なんて幻想を抱いているとしたら,それはお笑いだ。


古事記の「叙述と文言」はこうなっている

 さて,こんなことを言っても,例によって,誰も信じないだろう。
 だから私は,「叙述と文言」に戻る。

 この場面での登場人物は,タケミカヅチとオオクニヌシ。オオクニヌシは,タケミカヅチに敬語を使っている。
 主語が誰か,敬語は誰に対するものか。それに注意しながら,テキストを読んでほしい。

 面倒だが,以下に引用しておく。

 「僕が子等(こども),二はしらの神の白す隨(まにま)に,僕は違はじ。この葦原中國は,命の隨に既に獻(たてまつ)らむ。唯(ただ)僕が住所(すみか)をば,天つ神の御子の天津日繼(あまつひつぎ)知らしめす登陀流(とだる)天の御巣(みす)如して,底津石根(そこついはね)に宮柱布斗斯理(みやばしらふとしり),高天の原に氷木多迦斯理(ひぎたかしり)て治め賜はば,僕は百足(ももた)らずやそくまでに隱りて侍(さもら)ひなむ。亦僕が子等(こども),百八十神は,即ち八重事代主神,神の御尾前(みをさき)と爲(な)りて仕へ奉らば,違ふ神は非じ。」とまをしき。

 「かく白して,出雲國の多藝志(たぎし)の小濱(をばま)に,天の御舍(みあらか)を造りて,水戸神の孫(ひこ),櫛八玉(くしやたまの)神,膳夫(かしはで)と爲(な)りて,天の御饗(みあへ)を獻りし時に,祷(ほ)き白
して・・・」。


要約するとこうなる

 要点をまとめておこう。

@ 私は2人の子に従います。葦原中国はご命令のとおりに「獻(たてまつ)らむ」。

A ただ,私の「住所」(すみか)を,天つ御子の満ち足りた「天の御巣」(住居)のようにして,それを(天つ御子が)「治め賜はば」,私は,永遠に隠れて「侍(さもら)ひなむ」。すなわち,隠れてはべっております。

B オオクニヌシは,「かく白して」,「天の御舍(みあらか)を造りて」,櫛八玉神を料理人にして,「天の御饗(みあへ)を獻りし時に」・・・。

 どうです。「天の御舍(みあらか)を造りて」。

 作ったのは,天つ御子じゃありません。明らかに,オオクニヌシです。

 彼は,自分の住みかを作ってください,という要望だけを出して,それに対する回答を待たずに,直ちに,「天の御舍(みあらか)を造りて」,料理人を選定して,「天の御饗(みあへ)を獻」る準備にかかるのだ。

 それは,いわば,天つ神を接待する料亭の「離れ」である。料亭といっても,離れがある料亭は,格式が高い。
 そんな,天つ神をいつき祭り,食事を出して接待する殿舎を造ったというだけのことだ。


古事記の垂仁記の意味と意義

 さて,世の中の常識に反して,古事記を以上のごとく読むと,どうなるか。

 「天の御饗(みあへ)を獻」ったのに,「僕が住所(すみか)」を作ってもらえなかったオオクニヌシは,怒るでしょうね。自分を騙した天皇を,呪うでしょうね。

 そもそも,いったいいつ,宮を作ってもらったのか。

 じつは,これらの疑問に答えているのが,古事記の垂仁記なのである。

 垂仁記には,皇子ホムチワケ(本牟智和気王)伝承がある。
 ホムチワケは,成人しても口がきけなかった。占ったところ,それは出雲の大神の呪いが原因だとわかった。

 そこで,出雲の大神のために「修理」したところ,呪いは解けて,口がきけるようになった。

 古事記は,垂仁記で初めて,オオクニヌシのための殿舎が建築されたと述べているのだ。

 ちなみに日本書紀本文は,殿舎を建ててもらう,いわゆる「オオクニヌシの国譲り」を述べていない。それを述べているのは,第9段第2の一書だが,これは異伝にすぎない。

 だから,日本書紀の垂仁紀には,殿舎の建築は出てこない(垂仁天皇23年9月)。これはこれで,一貫しているのだ。

 以下,古事記の「叙述と文言」を吟味してみよう。余計な知識はいらない。


オオクニヌシが「御舍」の「修理」を要求する

 「出雲の大神」,すなわちオオクニヌシは,御子を心配する垂仁天皇の夢に出て言う。「我が宮を天皇の御舍(みあらか)の如(ごと)修理(をさめつく)りたまはば,御子必ず眞事(まこと)とはむ」。

 そして,「その祟(たたり)は出雲の大神の御心なりき」。

 さて,この「修理」は,今で言う,補修という意味での「修理」ではない。何もないところに新たに作るという意味である。

 イザナキとイザナミは,「このただよへる國を修(をさ)め理(つく)り固め成せ。」との命令,すなわち「修理固成の命令」により,国生みを始めたのだった。

 「修理」は,すでにあるものの補修という意味ではない。

 だから,オオクニヌシの立派な「御舍」は,なかったのだ。


オオクニヌシは「出雲のいわくまの曾(その)宮」に鎮座していた

 では,それまでオオクニヌシは,どこに住んでいたのか。

 ホムチワケがオオクニヌシを拝み終えて帰ろうとするとき,出雲国造が,「青葉の山を餝(かざ)りて,其の河下(かはしも)に立てて,大御食(おほみけ)獻」ろうとする。

 舞台セットのような「青葉の山」の飾り物をしつらえて,ご馳走で接待しようとするのだ。

 その時ホムチワケは,初めて言葉を発する。

 「この河下に,青葉の山の如きは,山と見えて山に非ず。もし出雲のいわくまの曾(その)宮に坐す葦原色許男大神をもちいつく祝はふりの大廷(おほには)か」。

 葦原色許男大神=オオクニヌシは,「出雲のいわくまの曾(その)宮」に鎮座していたのだ。

 そしてこれは,斐伊川の「河下」というのだから,今の出雲大社がある位置ではない(小学館・新編日本古典文学全集・古事記,208頁)。

 オオクニヌシは,出雲大社ではない,小さな「いわくま」,すなわち岩陰か岩窟のような所に鎮座していたのだ。


「青葉の山」の飾り物はオオクニヌシの住みかを示す

 さて,この場面。私は,長いこと,「青葉の山」の飾り物の意味がわからなかった。

 注釈書を調べても,きちんとした説明がない。単なる飾り物なら何でもいいのに,なぜ「青葉の山」なのか。

 しかし,「叙述」の流れを読み取れば納得がいく。

 オオクニヌシは,出雲の「いわくま」にある,「曾(その)宮」に住んでいた。たぶん,山の中の岩陰の,小さく粗末な祠しかなかったのだろう。

 いや,現在の三輪山のように,山自体が神社であり,大きな岩が磐座とされていただけなのかもしれない。
 だからこそ,「青葉の山」の飾り物こそが「神体」だと言いたかったのかもしれない。

 出雲国造は,我らがオオクニヌシを拝みに来た皇子を前にして,さりげなく,オオクニヌシが今住んでいる場所を示して,もっと立派な宮殿を造ってほしいとお願いしたのだ。

 だからこそ,ホムチワケは,「この河下に,青葉の山の如きは,山と見えて山に非ず。」と述べて,その意図に気付き,その「山と見えて山に非ず」の飾り物で象徴された場所が,「もし出雲のいわくまの曾(その)宮に坐す葦原色許男大神をもちいつく祝はふりの大廷(おほには)か。」と言うのだ。

 「青葉の山」が「葦原色許男大神をもちいつく祝はふりの大廷(おほには)」。

 だとすると,やはり立派な宮殿など,どこにもない。


垂仁天皇は「神の宮」を新造する

 こうして,皇子ホムチワケは,口がきけるようになった。
 垂仁天皇は,「歡喜(よろこ)ばして,即ち菟上王を返して,神の宮を造らしめたまひき」。

 オオクニヌシの「神の宮」を,ここで初めて作ったのだ。

 ここで初めてオオクニヌシは,住んでいた「いわくま」から,「神の宮」に移る。


学者さんの強弁

 学者さんの意見を聞いておこう。

 まず,前述した「修理」を,「つくろう」という,文字どおり「補修」の意味にとっても(小学館・新編日本古典文学全集・古事記,206頁),「神の宮を造らしめたまひき」は,もう逃げられない。

 ここは「造」るという意味にとるしかないから,「神宮が荒廃していたため,新たに作り直したものとみるべきである。」という人がいる(小学館・新編日本古典文学全集・古事記,209頁)。

 しかし,オオクニヌシのために造られた宮が荒廃していたという「叙述と文言」は,どこにもない。

 この学説は,「叙述と文言」に反している。

 と言うより,「一度造られた宮が荒廃していたという日本神話」を,新たに付け加えてしまったという意味で,許し難い,神話の改変である。

 この学者さんは,この垂仁記の「修理」と「神の宮を造らしめたまひき」と,イザナキ,イザナミの「修理固成」との矛盾を解決するため,「修理」を「つくろう」と読み,さらに「神の宮を造らしめたまひき」にぶち当たって,(荒廃していた神宮の)修繕の意味だと強弁したのである。

 こうした無理を重ねている割には,「山と見えて山に非ず」の飾り物の意味をどのようにとるのか,不明なままである。

 全体の「叙述」の中で,「文言」を考えようとしていないのだ。


「共時性」で言い繕う学者さん

 「つくろう」と読んで,文字どおり修繕の意味とするのは間違いだとして,社殿を新造したのだと,適確な意見を言う学者さんもいる(西郷信綱・古事記注釈・第5巻・筑摩書房,325頁)。

 しかしこの学者さんは,「オオクニヌシの国譲り」場面で社殿を新造してもらっていたことを疑わないから,矛盾に行き当たる。

 そこで,「共時性」という理屈を考え出し,「神代の話と同じことをこの段では違った観点からかたっているわけだ。」と言って,逃げる(西郷信綱・古事記注釈・第5巻・筑摩書房,326頁)。

 つまり,同じオオクニヌシのための社殿作りの話を,神代とこの場面と,違った観点から2度語っているにすぎないというのだ。

 読みを変えるという,姑息な手段に訴えなかったのは,まだましだ。

 しかし,「オオクニヌシの国譲り」場面で社殿を新造してもらったことにしがみつくと,結局,破綻するわけである。

 古事記に一番近く,国民をリードするはずの学者さん自身がこんなことを言い出すから,古事記がますますわからなくなる。

 読者は,迷妄の彼方へ追いやられる。

 そして,こうした「新たなる神話」を軸に,「共時性」で神話を語る人が再生産されるのであろう。

 いずれにせよ,学者さんたちの説は,苦しい。一致するわけがない。


オオクニヌシを貶めた古事記ライターの叙述意図

 いわゆる「オオクニヌシの国譲り」場面では,オオクニヌシが立派な宮殿を作ってもらったなんて,どこにも書かれていない。

 単に,オオクニヌシが,そう望んだというだけだ。そう望んで,天つ神への服属儀礼をしたというだけだ。
 このあとに,オオクニヌシのために立派な宮殿が造られましたとサ,というお話さえない。

 それが実現したかどうかは,知ったこっちゃない。
 オオクニヌシとその一族を,完膚なきまでに叩きのめしたからこそ,晴れて「天子降臨」が行われる。

 これが,古事記ライターの叙述意図である。

 古事記におけるオオクニヌシは,ここまで貶められている。
 また,極めて平板で,底が浅い。


古事記は出雲神話の悪意によるリライト版

 オオクニヌシの権威や,出雲国の権威など,何も語られていない。
 出雲は偉大だったなんて,何も書かれていない。「奴隷のようなオオクニヌシ」が叙述されているだけである。

 出雲神話は,ここまで堕ちた。

 こんな屈辱的な伝承が,本来の出雲神話にあったわけがない。日本書紀は,本文も,異伝である一書も,このような伝承を伝えていない。

 これくらい,底意地の悪い悪意がはっきりしていると,私も堂々と言える。

 古事記は新しい。
 出雲神話の,悪意によるリライト版だ。


学者さんの戯言

 「天の御舎」は,日本書紀第9段第2の一書に出てくる「天日隅宮」であり,現在の杵築大社であるという学者さんがいる。

 日本書紀と古事記を一緒くたにして,全体をまとめてボーッと観察していると,そうなるのだろうか。

 すべてを忘れて,古事記だけをにらんでいれば,こんな意見が出てくるはずがない。

 日本書紀第9段第2の一書に出てくる「天日隅宮」は,まさしく,オオクニヌシ(オオナムチ)のために作られた「天日隅宮」である。

 古事記の「天の御舎」は,オオクニヌシ自身が,天つ神を祭るために作った建物だ(小学館・新編日本古典文学全集・古事記,111頁)。

 まったく別の建物だ。

 いわゆる「オオクニヌシの国譲り」という,近現代の伝説の根は深い。


古事記ライターの底意地悪さと悪意のリライト

 古事記ライターも,同時代の書物である日本書紀に掲載された,第9段第2の一書くらいは読んでいたであろう。

 その,もったいぶった序文によれば,天才が伝承して,能力ある官僚が筆記したのである。
 だから,第9段第2の一書くらい,知らないわけがない。

 しかし古事記ライターは,第9段第2の一書に出てくる,オオクニヌシのために作られた「天日隅宮」を無視した。

 これこそ,「オオクニヌシの国譲り」らしい伝承であるのに。
 それを,後世に伝えようともしなかった。

 古事記ライターは,オオクニヌシ(オオナムチ)のために作られた「天日隅宮」を無視して,逆に,オオクニヌシが天つ神を祭るための「天の御舎」を作って,そこで服属儀礼をしたと,書き換えたのだ。

 これは,極めて特異な異伝だ。とともに,古事記ライターの底意地の悪さが伝わってくる。
 「叙述と文言」から,そこまで読み取るべきである。そこまで読み取れる。

 本来の「オオクニヌシの国譲り」。
 これは,第9段第2の一書に出てくる。だから,日本書紀では異伝扱いだ。

 古事記は,この異伝を前提にして,さらなる異伝を作り上げてしまった。


日本書紀第9段第2の一書は偉大なるオオクニヌシを伝えている

 順序が逆になったかもしれないが,以下,第9段第2の一書を検討してみよう。

 日本書紀第9段第2の一書をまとめると,以下のとおりだ。「偉大なるオオクニヌシ」だからこそ,こうした交渉ができたのだ。

@ 国譲りという名の侵略ではなく,文字どおりの国譲り。交渉と妥協による国譲りだ。

A 剣を突き立てるという恫喝はない。国を奉れと,口で要求するだけだ。

B 要求されたオオナムチはこれを拒否し,交渉に持ち込む。その理由は,遣わされたフツヌシやタケミカヅチなど,格下だという点にある。

C タカミムスヒは,オオナムチの抗弁に深い理由があるとして納得し,国譲りの条件を提示する。オオナムチは,これを受け入れて,「隠れる」。

D タカミムスヒが提案した国譲りの条件は,破格だった。

E 現実の政治は皇孫が支配し,オオナムチは神事を支配する。その代わりに,オオナムチのために「天日隅宮」を造り,そのほかに「田」,「高橋」,「浮橋」,「天鳥船」,「打橋」,「白楯(しろたて)」を造ると約束する。

F すなわち,天上界に天日隅宮をつくって,オオナムチを「高天原」に迎え入れるというわけだ。

G それだけではない。オオナムチの祭祠を司る者として,アメノホヒを任命する。

H アメノホヒは,タカミムスヒを裏切ってオオクニヌシ側についてしまった裏切り者だ。その神が復権して,オオナムチの祭祀を司る。それは,裏切り者を罰せず,オオナムチの意向を,最大限,汲んだものといえる。

I こうした約束を確認したうえで,オオナムチ(オオクニヌシ)は隠れる。
オオナムチという神は,破格の待遇をしたうえで,天つ神の仲間に入れざるを得ないほどの,偉大なる神だった。


異伝としての第9段第2の一書とさらなる異伝古事記

 いわゆる「オオクニヌシの国譲り」という伝承は,日本書紀第9段第2の一書にある異伝であり,古事記は,それさえも,もはや伝えていないのであった。
 それを元に,換骨奪胎した,さらに特殊な異伝であった。

 ところで,すでに述べたとおり,第9段第2の一書は,かなり新しい伝承であった。
 降臨するアメノオシホミミを心配する,「世話焼きの母アマテラス」を描いているのであった。

@ 「宝鏡(たからのかがみ)」をアメノオシホミミに授けて,アマテラスを見るがごとくこの鏡を見て,あなたがいる同じ床,同じ大殿に置きなさいと指示する。

A 一緒に降ることになった天児屋命と太玉命に対し,大殿に侍り仕えて,アメノオシホミミをきちんと護りなさいと命令する。

B さらに,食事の心配をして,高天原で育てていた「斎庭の穂(ゆにわのいなのほ)」をアメノオシホミミに与える。

C そして,それでも心配だったのか,タカミムスヒの娘ヨロズハタヒメ(よろずはたひめ)を「妃(みめ)」にして,結婚させてしまった。

 こうした,小説的装飾が加えられているかなり新しい異伝に,いわゆる「オオクニヌシの国譲り」伝承があることを,注意してほしい。


学者さんの説を批判する

 また,この異伝には,「汝が治す顯露(あらは)の事は,是吾が孫治すべし。汝は以ちて~事治すべし。」という,タカミムスヒの命令が出てくる。

 黄泉国などに対して,現実の世界を「顕し国」といった。

 ここにいう「顯露の事」とは,「現実の世界のあれやこれや」という意味だ。

 だから,現実の世界のことである限り,神の祭りも神事もすべて,タカミムスヒの孫が行うという意味だ。

 だから,オオクニヌシに対する,「汝は以ちて~事治すべし」という命令は,
「~事」とはあるけれど,要するに,神話の表舞台から「隠れて」おれ,ということなのだ。

 「顕し国」の政治のことは皇孫に委ね,オオクニヌシは「神事」を司るということであって,「必ずしも国土をまるごと差し出すというのではない。」という学者さんがいる(西郷信綱・古事記注釈・第3巻・筑摩書房,292頁)。

 しかし,それはおかしい。
 それでは,「国譲り」にならない。

 古代の「祭政一致の政治体制」のもとでは,神の託宣が,政治的意思決定の重要な要素だ。
 神事をとらなければ,政治はできない。神事と政治は一体だ。

 この学者さんは,「現代の感覚」で,政治と神事を語っている。


古事記ライターの悪意とリファイン

 古事記ライターは,立派な宮殿を造ってくれれば永久に隠れましょうという,オオクニヌシの願望ないし要求を残しただけで,それでどうなったのかは,一切叙述しない。

 希望どおりに宮殿が造られたのかどうかは,一切わからない。古事記ライターにとって,そんなことは関係ないのだ。

 それどころか逆に,オオクニヌシが天つ神のために殿舎を造り,天つ神をいつき祭ったことを叙述してしまった。

 それが古事記だ。

 いわゆる「オオクニヌシの国譲り」の原型となった,第9段第2の一書の方が古いに決まっている。
 本来の出雲神話が,ここまでオオクニヌシを貶めるとは思えない。

 ここに,悪意のリファインがある。
 古事記は,返す返すも不思議な書物だ。


古事記は日本書紀第9段第1の一書を下敷きにしている

 ただ,古事記の叙述は,むしろ第9段第1の一書に基づいている。

 アマテラス1人が命令者となり,天孫ではなく天子の降臨にこだわるのが第9段第1の一書だった。

 天子を降臨させようとしたまさにその時,天孫が生まれ,降臨者が天孫に交代してしまうのだった。
 またそこには,他のいずれの異伝にも登場しない,猿田彦大神が登場している。これも,古事記と同じだ。

 古事記は,この第9段第1の一書を下敷きにしている。


古事記は第9段第1の一書と第2の一書の総合改変版

 その第9段第1の一書の国譲りの描写は,あっさりしたものだ。

 剣を突き立てた恫喝はない。
 ただ,雷神タケミカヅチと剣神フツヌシが降臨するのだから,やはり,平和的な「国譲り」とは言えないだろう。
 オオナムチは,コトシロヌシの意見を聞いて,あっさりと国を譲る。

 そして一方,立派な宮殿が欲しいというオオナムチ(オオクニヌシ)の要求もない。

 だから,第9段第1の一書を見ている限り,立派な宮殿を造ってほしいというオオクニヌシの要求は出てこない。

 第9段第2の一書を見なければ,そうした具体的な要求が出てこないのだ。

 古事記は,第9段第1の一書を基本に,第9段第2の一書をも参照している。こうしてできたのが,古事記なのだ。

 だから,日本神話の神髄は,日本書紀を読めばわかるのだ。古事記を読んでいてはいけない。

 


トップページ( まえがき)

第1 私の立場と問題意識

第2 問題提起

第3 方法論の問題

第4 世界観と世界の生成

第5 神は死なない(神というもののあり方)

第6 原初神と生成神の誕生

第7 日本書紀における原初神と生成神の誕生

第8 修理固成の命令

第9 言葉に対して無神経な古事記(本当に古い文献か)

第10 古事記は伊勢神宮成立後の文献

第10の2 応神記の気比の大神について

第11 国生み叙述の根本的問題

第12 日本神話の読み方を考える(第1子は生み損ないか)

第13 生まれてきた国々を分析する

第14 国生みのあとの神生み

第15 火の神カグツチ「殺し」

第16 黄泉国巡り

第17 コトドワタシと黄泉国再説

第18 禊ぎによる神生みの問題点

第19 日本神話の故郷を探る

第20 大道芸人の紙芝居としての古事記

第21 アマテラスら3神の生成

第22 分治の命令

第23 日本神話の体系的理解(日本書紀を中心に)

第24 日本神話の構造と形成過程

第25 生まれたのは日の神であってアマテラスではない

第26 日の神の接ぎ木構造

第27 最高神?アマテラスの伝承が変容する

第28 泣くスサノヲとイザナキの肩書き

第29 日本神話学の見通しと方法論

第30 日本神話のコスモロジー

第31 誓約による神々の生成(日本書紀)

第32 誓約による神々の生成(古事記)

第33 天の岩屋戸神話と出雲神話が挿入された理由

第34 日本神話のバックグラウンド・縄文から弥生への物語
(日本書紀第5段第11の一書を中心に)


第35 海洋神アマテラスと産霊の神タカミムスヒ
(日本書紀を中心に)


第36 支配命令神は誰なのか(ねじれた接ぎ木構造)

第37 アマテラスとタカミムスヒの極めて危うい関係

第38 五穀と養蚕の文化に対する反逆とオオゲツヒメ

第39 スサノヲの乱暴

第40 「祭る神が祭られる神になった」という幻想

第41 天の石屋戸と祝詞

第42 スサノヲの追放とその論理(日本書紀を中心に)

第43 アマテラス神話は確立していない(日本書紀を中心に)

第44 出雲のスサノヲ

第45 異伝に残された縄文の神スサノヲ(日本書紀を中心に)

第46 スサノヲにおける縄文と弥生の交錯(大年神の系譜)

第47 別の顔をもつスサノヲ(日本書紀を中心に)

第48 オオクニヌシの試練物語のへんてこりん

第49 オオクニヌシの王朝物語

第50 日本書紀第8段第6の一書の構成意図と古事記の悪意

第51 スクナヒコナと神功皇后と応神天皇と朝鮮

第52 偉大なるオオナムチ神話(大八洲国を支配したオオナムチ)

第53 三輪山のオオナムチ(日本書紀第8段第6の一書から)

第54 古事記はどうなっているか

第55 偉大なるオオクニヌシ(オオナムチ)の正体(問題提起)

第56 偉大なるオオクニヌシの正体(崇神天皇5年以降)

第57 崇神天皇5年以降を読み解く

第58 国譲りという名の侵略を考える前提問題

第59 「皇祖」「皇孫」を奪い取る「皇祖神」タカミムスヒ
(国譲りという名の侵略の命令者)


第60 皇祖神タカミムスヒの根拠
(国譲りという名の侵略の命令者)


第61 古事記における命令神
(国譲りという名の侵略の命令者)


第62 第9段第1の一書という異伝中の異伝と古事記

第63 武神の派遣と失敗と「高木神」

第64 タケミカヅチの派遣(タケミカヅチはカグツチの子)

第65 フツヌシとタケミカヅチの異同

第66 コトシロヌシは託宣の神ではないしタケミナカタは漫画

第67 「オオクニヌシの国譲り」の叙述がない

第68 天孫降臨の叙述の構造

第69 サルタヒコの登場

第70 古事記独特の三種の神宝

第71 天孫はどこに降臨したのか

第72 「国まぎ」を切り捨てた古事記のへんてこりん
(天孫降臨のその他の問題点)


第73 国譲り伝承と天孫降臨伝承との間にある断層

第74 じつは侘しい天孫降臨と田舎の土豪神武天皇

第75 天孫土着の物語

第76 火明命とニギハヤヒ(第9段の異伝を検討する)

第77 日向神話の体系的理解

第78 騎馬民族はやって来たか

第79 三種の宝物再論

第80 日本神話の大きな構成(三輪山のオオナムチとの出会い)

第81 海幸彦・山幸彦の物語を検討する

第82 「居場所」のない古事記

第83 本居宣長について

第84 日本神話を論ずる際のルール

第85 神々の黄昏

あとがき

著作権の問題など

付録・初版の「結論とあとがき」


新論文
神功紀を読み解く
神功皇后のごり押しクーデター

日本書紀を読んで古事記神話を笑う 「初版」 はこちら



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