日本書紀を読んで古事記神話を笑う

日本書紀を読んで古事記神話を笑う 改訂新版

2009年10月5日up
(物語読者として日本神話を解明する)


第29 日本神話学の見通しと方法論


日本神話論の現状

 さて,黄泉国と根の堅州国との関係がはっきりしたついでに,日本書紀を中心に検討して,「日本神話のコスモロジー」全体を探ってみたい。

 それを考えるうえで,まず,蘊蓄を垂れておこう。
 日本神話ファンの中には,わかってない人がいっぱいいるからだ。

 まず何よりも大切なのは,「叙述と文言」をしっかりと把握するということだ。
 これができていないから,黄泉国と根の堅州国との関係が,ぐずぐずのざくざくの,ずぶずぶな議論になっている。

 議論とは言えない議論になっている。

 「叙述と文言」を押さえない議論は,単なる言いたいことの言い合いである。何を言っても,話がかみ合わない。

 言いたいことを言うために,いろいろお勉強に走るが,はっきり言って時間の無駄である。


学問をするには第一に「叙述と文言」だ

 「叙述と文言」をほったらかしにして神話一般を論じてみたり,伝承や民俗を研究してみたり,ヨーロッパやポリネシアの神話と比較してみても,何もわからない。

 日本神話の統一的な解釈は出てこない。
 古事記をどう読むかについてさえ,何もわからない。

 たとえば,祭祀的機能,軍事的機能,生産的機能という,有名な手法(吉田敦彦氏の手法)で分析しても,日本神話は読めない。

 読めないどころか,日本神話をゆがめるだけだろう。

 学問がしたいのなら,何よりもまず,「叙述と文言」である。

 私は,すでに述べたとおり,「叙述と文言」だけから,「日本神話の故郷」を探り,「日本神話の体系的理解」や,「日本神話の構造と形成過程」を導いた。

 日本書紀や古事記の神話という文献を研究するならば,まず何よりも,「叙述と文言」から出発しなければならない。


学問の順序と「日本神話学」と歴史学

 その次が古代史だ。歴史学の中に,神話が位置づけられるのかという問題だ。

 文学部の大学者さんが言うとおり,日本神話が「政治的神話」なのであれば,日本神話が,いったいいかなる時代の政治を語っているのかという意味で,歴史学という学問の中に,きちんと位置づけられていくであろうし,そうしなければならない。

 神話といっても,「日本神話の形成過程」で論じたように,歴史にかかわってくる。
 また,古事記1つ考えるにしても,祝詞の成立時期や,伊勢神宮の内宮,外宮の成立時期との関係がある。

 これから論ずることになるだろうが,日本神話といっても,@ 素朴な神話,A 権威的権力的支配的な神話,B 神話自体の世界観が腐って崩壊過程にある神話など,大まかにいって3分類できる。
 これらが,日本書紀本文,一書,古事記という3つの世界に散らばっている。

 さらに,日本書紀と古事記,日本書紀の中でも本文と異伝である一書とに分けて,分析していくことができるだろう。

 とりあえずここらへんが,今,私が考えている「とっかかり」である。
 それ以前の「叙述と文言」の解明が,意外に大変になってしまったが。

 これが,私の,「日本神話学」の将来の見通しだ。


「日本神話学」の行くべき方向

 比較神話学は,日本神話を研究する付随的学問にすぎない。それで日本神話が読めると錯覚してはならない。

 確かに日本神話は「政治的神話」である。
 だから,古代史という歴史学の,ある一定の時代に,位置づけられるべきものなのだ。

 以上が,私の「日本神話学」の方法論である。

 ところが,日本神話を「文献として」読み切った学者さんがいるのかどうか,心もとない状況である。
 日本神話を「文献として」扱ってはならないという風潮があるので,皆さん,真面目に研究してこなかったのではないか。

 これが,私の感想である。


日本神話論を学問にするにはまず日本書紀だ

 また,予め言っておくと,古事記をいくら読んでも,日本神話論は学問にならない。日本神話のコスモロジーや体系もわからない。

 日本書紀を読まなければ駄目だ。

 たとえば日本書紀は,「文言」上,違う言葉を使っているだけでなく,「叙述」,すなわち物語上の位置付けとしても,違う役割と内容を与えている。

 だから,この2つの世界は,違う世界である。同じ世界であれば,はじめから「黄泉国」で統一すればよいのだ。

 それが,ものを書く人間の大原則のはずだ。ましてや,文章作成に長けていた優秀な官僚である日本書紀編纂者が,こうした区別をしたのだ。


天才秀才の古事記ライターを自分の眼できちんと評価すべきだ

 古事記ライターは,こんなことには無頓着。

 しかし,その序文によれば,古事記ライターは天才や秀才だったというのだから,私は驚く。

 そこが,古事記の「食えない」ところだ。

 古事記には,変なところがある。
 私はすでにそれを指摘したし,これ以後も,この論文で指摘していくことだろう。

 しかし,決して,古来の伝承が集積したから仕方がない,古来の伝承そのものを伝えているんだからそうなのだ,などと思ってはいけない。

 だって,古事記は,その序文によれば,ある個性的な天才と秀才が書き記した書物なのだから。

 天才,秀才が書いたのに,何でこうなっちゃったの?という発想が必要なのだ。


神話の世界に生きた古代人を見くだしてはいけない

 もう1つ指摘しておきたい。

 現代の人々は,神話は結構いいかげんなものだと考えている。古代人を見くだしている。だから,矛盾があっても当然だと思っている。

 その結果,「叙述と文言」を軽視している。

 こうして,現代人にすぎないくせに,自分独自の視点から神話を捉え直そうとする。
 本人は捉え直そうと思っているだけだろうが,じつは改変しているのだ。

 こうして,新しい神話が形成されていく。
 それが学問的態度だと思いこんでいる風さえある。

 私に言わせれば,方法論自体が間違っている。ひどい話だ。読むに耐えない書物さえある。

 古代人に寄り添うようにして読むには,「叙述と文言」しかない。それ以外は,補助的な材料だ。
 「叙述と文言」を軽視して,「叙述と文言」を改変してはいけない。


日本神話は政治的神話なのだから合理的思考を駆使して読むべきである

 少なくとも,日本書紀と古事記に残された日本神話は,未開の人たちの神話や,素朴な神話などとは,まったく違う。

 極めて政治的な立場で形成され,編纂された神話伝承だ。これは,文学部の学者さんの一致した意見だ。

 だから,それを読む読者も,もっと「合理的」な頭を使い,ぎちぎちと「詰めて」考えるべきである。

 しかしこの点,文学部出身の日本神話の学者さんたちがやっていることは,ちぐはぐである。

 政治的神話であることに異議を差し挟む人はいない。
 ところが,政治的神話の本質に迫ろうと,「合理的思考」のもとに日本神話を読み切ろうという人がいない。

 総論では「政治的神話」と言っているくせに,古事記の「叙述と文言」に疑問を差し挟もうともしない。
 疑問は封印して,「産霊の思想」で統一的説明をしようとしたり。その他いろいろだ。
 いや,ばっさり,辻斬りのように切り捨てて,平然としている人もいるが。

 だから,各論としては,観念的な「古事記の世界」みたいなことになる。

 それは,「政治的神話」であることを受け入れた立場じゃない。


政治的神話と素朴な神話

 また,南洋の,ある島の,釣りに関する神話とか,そうしたたぐいとの比較検討をしてみても,しょせん,「政治的神話」を解明することはできない。

 のほほんと,南洋の釣りの神話などを研究していても,「政治的な人」には太刀打ちできませんって。

 政治的神話であれば,その時代の支配者の,主観的な意図のもとに記述されているはずだから,それを解明しなければならない。

 それができれば,日本神話論は,歴史学と並ぶ,立派な「日本神話学」となる。
 広い意味での歴史学の中に位置づけられる。

 そのためには,政治的神話の内実,すなわち,それを作成した人の「頭の中」と周囲の環境に迫る必要がある。

 こうした追究を放棄している限り,日本神話論は,いつまでも拡散していくだけであろう。
 いや,それだけでなく,「新たなる神話」を,無限に作り出していくであろう。

 日本神話論がいつまでたっても学問にならない原因は,ここにある。


トップページ( まえがき)

第1 私の立場と問題意識

第2 問題提起

第3 方法論の問題

第4 世界観と世界の生成

第5 神は死なない(神というもののあり方)

第6 原初神と生成神の誕生

第7 日本書紀における原初神と生成神の誕生

第8 修理固成の命令

第9 言葉に対して無神経な古事記(本当に古い文献か)

第10 古事記は伊勢神宮成立後の文献

第10の2 応神記の気比の大神について

第11 国生み叙述の根本的問題

第12 日本神話の読み方を考える(第1子は生み損ないか)

第13 生まれてきた国々を分析する

第14 国生みのあとの神生み

第15 火の神カグツチ「殺し」

第16 黄泉国巡り

第17 コトドワタシと黄泉国再説

第18 禊ぎによる神生みの問題点

第19 日本神話の故郷を探る

第20 大道芸人の紙芝居としての古事記

第21 アマテラスら3神の生成

第22 分治の命令

第23 日本神話の体系的理解(日本書紀を中心に)

第24 日本神話の構造と形成過程

第25 生まれたのは日の神であってアマテラスではない

第26 日の神の接ぎ木構造

第27 最高神?アマテラスの伝承が変容する

第28 泣くスサノヲとイザナキの肩書き

第29 日本神話学の見通しと方法論

第30 日本神話のコスモロジー

第31 誓約による神々の生成(日本書紀)

第32 誓約による神々の生成(古事記)

第33 天の岩屋戸神話と出雲神話が挿入された理由

第34 日本神話のバックグラウンド・縄文から弥生への物語
(日本書紀第5段第11の一書を中心に)


第35 海洋神アマテラスと産霊の神タカミムスヒ
(日本書紀を中心に)


第36 支配命令神は誰なのか(ねじれた接ぎ木構造)

第37 アマテラスとタカミムスヒの極めて危うい関係

第38 五穀と養蚕の文化に対する反逆とオオゲツヒメ

第39 スサノヲの乱暴

第40 「祭る神が祭られる神になった」という幻想

第41 天の石屋戸と祝詞

第42 スサノヲの追放とその論理(日本書紀を中心に)

第43 アマテラス神話は確立していない(日本書紀を中心に)

第44 出雲のスサノヲ

第45 異伝に残された縄文の神スサノヲ(日本書紀を中心に)

第46 スサノヲにおける縄文と弥生の交錯(大年神の系譜)

第47 別の顔をもつスサノヲ(日本書紀を中心に)

第48 オオクニヌシの試練物語のへんてこりん

第49 オオクニヌシの王朝物語

第50 日本書紀第8段第6の一書の構成意図と古事記の悪意

第51 スクナヒコナと神功皇后と応神天皇と朝鮮

第52 偉大なるオオナムチ神話(大八洲国を支配したオオナムチ)

第53 三輪山のオオナムチ(日本書紀第8段第6の一書から)

第54 古事記はどうなっているか

第55 偉大なるオオクニヌシ(オオナムチ)の正体(問題提起)

第56 偉大なるオオクニヌシの正体(崇神天皇5年以降)

第57 崇神天皇5年以降を読み解く

第58 国譲りという名の侵略を考える前提問題

第59 「皇祖」「皇孫」を奪い取る「皇祖神」タカミムスヒ
(国譲りという名の侵略の命令者)


第60 皇祖神タカミムスヒの根拠
(国譲りという名の侵略の命令者)


第61 古事記における命令神
(国譲りという名の侵略の命令者)


第62 第9段第1の一書という異伝中の異伝と古事記

第63 武神の派遣と失敗と「高木神」

第64 タケミカヅチの派遣(タケミカヅチはカグツチの子)

第65 フツヌシとタケミカヅチの異同

第66 コトシロヌシは託宣の神ではないしタケミナカタは漫画

第67 「オオクニヌシの国譲り」の叙述がない

第68 天孫降臨の叙述の構造

第69 サルタヒコの登場

第70 古事記独特の三種の神宝

第71 天孫はどこに降臨したのか

第72 「国まぎ」を切り捨てた古事記のへんてこりん
(天孫降臨のその他の問題点)


第73 国譲り伝承と天孫降臨伝承との間にある断層

第74 じつは侘しい天孫降臨と田舎の土豪神武天皇

第75 天孫土着の物語

第76 火明命とニギハヤヒ(第9段の異伝を検討する)

第77 日向神話の体系的理解

第78 騎馬民族はやって来たか

第79 三種の宝物再論

第80 日本神話の大きな構成(三輪山のオオナムチとの出会い)

第81 海幸彦・山幸彦の物語を検討する

第82 「居場所」のない古事記

第83 本居宣長について

第84 日本神話を論ずる際のルール

第85 神々の黄昏

あとがき

著作権の問題など

付録・初版の「結論とあとがき」


新論文
神功紀を読み解く
神功皇后のごり押しクーデター

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