日本書紀を読んで古事記神話を笑う 改訂新版 |
2009年10月5日up | (物語読者として日本神話を解明する) |
第61 古事記における命令神 (国譲りという名の侵略の命令者) 古事記では冒頭に天子降臨の話がくっついている 以上を理解したうえで,古事記を読んでみよう。 命令者が誰かは,日本神話の構造の根幹にかかわる問題である。日本神話の根源に迫ることができると言ってもよい。 古事記は,ごくごくストレートに,以下のように語り始める。 「天照大御神の命(みこと)もちて,『豐葦原の千秋長五百秋の水穗国は,我が御子,正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命の知らす国ぞ。』と言(こと)よさしたまひて,天降したまひき」。 アメノオシホミミ(正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命)は,アマテラスの子だ。 うん。ストレートである。アマテラス神話を展開しようとしているのだな。
一般に,天孫降臨と思われている場面は,古事記では,上記したとおり,「我が御子の知らす国ぞ」という,アマテラス1神の「言依さし」で始まっている。 タカミムスヒは,まったく関与しない。 言うまでもなく日本神話は,神武天皇以下の系譜の正当性を,神代までさかのぼらせることによって,主張しようとしたものである。 その正当性の原理の宣言が,アマテラス1神による「言依さし」,すなわち正当性の宣言なのだ。 自分の子供が跡を継いでいくという,「血の原理」。これである。 「言依さし」こそが支配の根源であり,天皇が天皇たるゆえんなのだ。 「天命の原理」は,正当性を裏付ける原理といっても,じつは,ちょっと違う。 「言依さし」という「血の原理」は,それを乗り越えたところにある。 そしてここでは,タカミムスヒが,念入りにも排除されている。
天孫降臨や国譲りという名の侵略の前に「天子降臨」があったなんて話は,日本書紀第9段本文にはない。 古事記ライターは,アマテラスこそが皇祖神だから,その子が降臨するのが原則だ,と考えている。 しかもその命令は,アマテラス自身によってなされる。 そしてアメノオシホミミは,スサノヲの子だった。 アマテラスとタカミムスヒが,共に命令するのが古事記だという人がいる。しかしそれは,ちょっと違う。 以下,命令神を調べてみよう。
「天子降臨」しようとしたアメノオシホミミは,騒がしい葦原中国を見ただけで,何もできずに戻ってきてしまう。 降臨失敗だ。情けない。 ならばと,ここから,国譲りという名の侵略の場面となる。 「ここに高御産巣日神,天照大御神の命もちて」,神々を集め,騒がしい葦原中国をどうするか,協議を始める。 アメノホヒ(天菩比神=あまのほひのかみ),アメワカヒコ(天若日子=あめわかひこ),タケミカヅチが派遣される。 こうして,国譲りという名の侵略が成功してから,2回目の「天子降臨」が命令される。 「ここに天照大御神,高木神(高御産巣日神の別名)の命もちて」だから,ここだけ見ると,2神が共同して命令しているように見える。 2神並立というのが,通説的見解だ。 ただ,この途中で天孫が生まれ,「天孫降臨」に転ずる。
古事記における「天子降臨」の叙述構造をまとめると,以下のとおりだ。 (命令者) @ 天子降臨(これは失敗) アマテラス A アメノホヒ タカミムスヒとアマテラス B アメワカヒコ タカミムスヒとアマテラス C タケミカヅチ 「高木神(タカミムスヒ)と」アマテラス D 天子降臨,転じて天孫降臨 タカミムスヒとアマテラス
要するに,アメノホヒら武神の派遣は,一度失敗した「天子降臨」を完遂するために行われるのだ。 最後にタカミムスヒとアマテラスが並立神のように「天子降臨」を命令する(D)のは,それまで,タカミムスヒが武神の派遣に協力してきた行きがかり上,そうなったというだけのことである。 そして肝心の「天孫降臨」は,最後にぽろっと,あたかも偶然かのごとく,くっついているにすぎない。 「僕は降らむ裝束(よそひ)しつる間に,子生(あ)れ出でつ」。 この点が,日本書紀第9段本文とは,決定的に違う。 一方,日本書紀第9段本文は,テキストの冒頭2行で,早くも天孫ニニギが生まれ,3行目で,「遂に皇孫天津彦彦火瓊瓊杵尊を立てて,葦原中國の主とせむと欲す」と,あいなる。 だから,日本書紀におけるアメノホヒら武神の派遣は,初めから,「天孫降臨」を目的にして行われる。 このように,叙述の構造がまったく違うのだ。
一般に「天孫降臨」,「天孫降臨」といわれており,「天孫降臨」という銘柄の芋焼酎さえある。 しかし,まったく違うのだ。 古事記では,アマテラスが1人で「天子降臨」を試みる(上記@)。 ところが,天子アメノオシホミミは,騒がしい葦原中国を見ただけで,何もできずに戻ってきてしまうので,タカミムスヒが加わって,まず葦原中国の平定を試みる(上記A〜C)。 こうして,「高天原」のドンの息子が,安全に降臨できるようになって,再び「天子降臨」が試みられるのだ(上記D)。 古事記は,あくまでも「天子降臨」を描こうとしている。 一般に天孫降臨と思われている部分は,すべて,天子降臨に向けての「叙述」なのだ。
くどいようだが,決して,「天孫降臨」ではない。 ただ,最終場面になって天孫ニニギが生まれ,これが降臨することになるにすぎない。 いわゆる「天孫降臨」は,古事記においては,付け足りである。ちょっとした偶然なのだ。 古事記を読めばわかるが,上記@の,最初の「天子降臨」からテキストにして9頁。 そして,9ページを費やしたうえで,やはり,再度の「天子降臨」が命令される(上記D)。 当然だ。最初に「天子降臨」を試みたのだから。
そのまま話が進めば,これはこれで,筋の通った話である。 そして,「皇祖神アマテラス」というのであれば,「天子降臨」で話を貫き通すべきであった。 ところが,最後の最後のどんでん返し。 これは,かなり特殊な「天孫降臨」である。 私はこれを,「天子降臨に接ぎ木した天孫降臨」と呼んでおこう。 やはり古事記ライターは,アマテラスこそが皇祖神だから,その子が降臨するのが原則だ,と考えている。そしてアメノオシホミミは,スサノヲの子だった。 その意味で,古事記では,「正当性の契機」が貫徹されているといってもいい。 しかし,何らかの理由で,「天孫降臨」を接ぎ木しなければならなかった。
なぜ接ぎ木構造なのか。「天子降臨」に「天孫降臨」が接ぎ木のようにくっついている理由は,どこにあるのか。 古来の伝承は,タカミムスヒ中心の神話だった。それが日本書紀に残っている。 古事記の,アマテラス一本主義のような叙述は,後述するとおり,日本書紀の本文や異伝と比較しても,かなり特殊な異伝だ。 アマテラス一本主義の神話,すなわち古事記の神話は,アマテラス中心に再構成された,かなり新しい神話だと言わなければならない。
その神話の再構成の時,はずせなかったのが,タカミムスヒだ。 タカミムスヒが,朝鮮から渡ってきて,南九州の吾田で日の神(アマテラス)と混交したことは,すでに述べたとおりだ。 神武天皇は,日の神神話や,イザナキ・イザナミ神話や,日向神話などとともに,タカミムスヒを背負って,「東征」して,ヤマトに入った。 そこで,日の神は,その地方にいたアマテラスに変貌した。 それと共に,このアマテラスとの関係を作らなければならない。 しかも,本来の命令神,権威的,権力的,支配的な命令神は,タカミムスヒだった。 タカミムスヒがアマテラスに結びつくことができるのは,単なる系図しかない。何度も言うとおり,タカミムスヒは,天孫の父親という関係で,アマテラスとつながっているにすぎない。 私はそれを,「アマテラスとタカミムスヒの極めて危うい関係」と呼んでおいた。 タカミムスヒは,系図だけで結びつく。そのためには,天孫ニニギに生まれてもらわなければならない。 一方,天子降臨は,貫きたい。 だったら,最後のどんでん返しで,天孫ニニギが生まれてくるとするしかない。 以上が,古事記ライターの叙述意図だ。
古事記ライターは,アマテラスを,「天照大神」でなく「天照大御神」と表記する人だった。 皇祖神アマテラスが確立したあとの人だった。アマテラス信仰が確立したあとの人だった。 だから,単なる外戚にすぎないタカミムスヒが,国譲りという名の侵略を単独で命令したり(本文,その他の一書),生まれてもいない皇孫に期待して,「吾孫」「吾孫」と呼んでいる(第9段第2の一書)のを,許せなかったのではなかろうか。 アマテラスによる,本来の「天子降臨」一本槍で叙述してきたが,最後の最後に,タカミムスヒは,はずせなかった。 そうした,ギリギリの叙述が,古事記における「天子降臨に接ぎ木した天孫降臨」なのだ。 アマテラスによる天子降臨を貫きながら,ちょろっと最後に,天孫ニニギが生まれたことにして,タカミムスヒを外戚に位置づけるとともに,ニニギによる降臨につなげることができたのである。
命令神の整理を再掲しよう。 @ 天子降臨(これは失敗) アマテラス A アメノホヒ タカミムスヒとアマテラス B アメワカヒコ タカミムスヒとアマテラス C タケミカヅチ 「高木神(タカミムスヒ)と」アマテラス D 天子降臨,転じて天孫降臨 タカミムスヒとアマテラス 一見して,@以外は2神が並立している。古事記における命令神は,アマテラスとタカミムスヒが対等であるかのように見える。 しかし,叙述の流れをしっかりと把握すると,本質的な命令神は,やはりアマテラス1神だけであることがわかる。
ここでタカミムスヒの立場を図示しておこう。以下のとおりだ。 スサノヲ(男神) 天孫ニニギは,Dの時点まで生まれていない。だから,タカミムスヒは,天孫ニニギの外祖父でさえない。 そして,アメノオシホミミの父は,スサノヲである。タカミムスヒではない。タカミムスヒは,アマテラスが再婚した(?)継父にすぎない。 スサノヲとの誓約の時,すでにタカミムスヒがいたとしても,やはり継父でしかない。 古代では,女性を中心にたくさんの男がいたから,むしろ,ただの他人だと言ったほうがよいだろう。
だから,タカミムスヒが,アメノオシホミミを「我が御子」と呼ぶのは,まったくおかしい。 「我が御子」と呼ぶのは,アマテラスしかいない。 だとすると,タカミムスヒは,いかなる立場で国譲りという名の侵略に関与しているのか。 タカミムスヒは,最後の最後に,「僥倖にも」,天孫ニニギが生まれて,その「外祖父」という立場を確保できたにすぎない。そこで初めて,アマテラスから始まる皇統につながることができたにすぎない。 これは,まったくの偶然だ。この偶然がなければ,タカミムスヒは,皇統につながれなかったはずだ。 私は,「神話的事実」の問題として「偶然」と言っているのではない。 古事記ライターの叙述方法の問題として,このような偶然を挿入して,「天孫降臨」を接ぎ木した理由を問うているのだ。 古事記ライターは,外戚藤原氏を苦々しく思っていた人だったかもしれない。
こうして,タカミムスヒの存在は,限りなく薄くなる。 ところで「真床追衾」は,生まれたての嬰児,天孫を包んで天降らせるアイテムであった(第9段第4,第6の一書)。 だから,「真床追衾」は,必ず,「天孫降臨」とともにある。「天子降臨」伝承では,その天子はもはや嬰児ではないから,「真床追衾」が不必要になるのだ。 このように,アマテラス信仰が強まってくると,「真床追衾」は忘れ去られることになる。 日本書紀と古事記に散らばっている各種の伝承は,このベクトル上に位置づけられる。
だから,通説がいうような,2神並立で命令しているのではない。それで終わらせるのは,「言依さし」という本質をはずして,誤解を招く。 また,「叙述と文言」からしても,タカミムスヒが命令できるわけがないのである。 古事記におけるアマテラスとタカミムスヒは,決して,対等,並立の関係ではない。 仮に,2神並立と考えると,以下のような矛盾が出てくる。 上記Aの部分。タカミムスヒとアマテラスは,葦原中国を平らげる神の選定に入る。 「ここに高御産巣日~,天照大御~の命もちて,天の安の河の河原に,八百萬の~を~集(かむつどへ)に集(つど)へて,思金~に思はしめて詔りたまひしく,『この葦原中国は,我が御子の知らす国と言依(ことよ)さしたまへりし国なり』」。
これをどう読むか。 『この葦原中国は,我が御子の知らす国と言依(ことよ)さしたまへりし国なり』というセリフは,誰のセリフか。 要するに,タカミムスヒとアマテラスの「命もちて」(ご命令で),オモイカネに思わせて「詔りたまひしく」(おっしゃるには),「この葦原中国は,我が御子の知らす国と言依(ことよ)さしたまへりし国なり」。 タカミムスヒとアマテラスが一緒に述べた言葉だとすると,「言依(ことよ)さしたまへりし」という敬語の主語が誰なのか,意味が取れない。 自分が自分に敬語を使っているという,転倒した叙述になってしまう。
アマテラスではないとすると,タカミムスヒの言葉か。 タカミムスヒの子はヨロズハタヒメであり,天子ではない。そのヨロズハタヒメに孫が生まれるのは,上記した,Dの時点である。 アメノホヒを派遣するAの時点では,孫さえも生まれていないのだ。 タカミムスヒは,アメノオシホミミを「我が御子の知らす国」と言える立場にない。 誰かほかの神が「言依(ことよ)さしたまへりし」と考えるしかないが,それでは,この部分の意味が,まったくわからなくなる。
しかし,言うまでもなく「言依さし」は,アマテラス自身が述べるものだ。 古事記の本質は,「言依さし」にあるといわれている。 それは各豪族による共和制ではなく,中国的な意味での天命の観念に裏打ちされた天子でもない。 そして,古事記本文冒頭に天命の天とも思われる「高天原」をもってくることにより,民意が離反すれば天命が変わるという革命の観念は,念入りに排除されている。 古事記では,「言依さし」こそが,神と天皇の正当性の根源なのだ。 だからこそ,上記@の冒頭は, 「天照大御~の命(みことのり)以(も)ちて,『豐葦原之千秋長五百秋之水穗國は,我が御子,正勝吾勝勝速日天忍穗耳の命の知らす國ぞ』と言よさしたまひて,天降したまひき。」である。
私は,古事記ライターの文章作成能力がこの程度だったのだと考えている。 それを問題にせず,何となく,2神並立で終わらせているのが,日本神話論者や学者さんたちの現状だ。 この矛盾を解決できていない。 そして,注釈書を見ても,この矛盾に触れていない。
しかし,ただ1つ,解決の道がある。タカミムスヒ1神のセリフだと解釈するのだ。 上記Aの部分で出てくるオモイカネ(思金神)。これは,タカミムスヒの息子である(日本書紀第7段第1の一書)。 だから,タカミムスヒが,アマテラスの命令で神々を集め,さらに自分の息子オモイカネに思わしめ,そうして,「この葦原中国は,(アマテラスが)我が御子の知らす国と言依(ことよ)さしたまへりし国なり」と述べた,と読んでみる。 主語は一貫してタカミムスヒであり,アマテラスに対して尊敬語を使い,「この葦原中国は,(アマテラスが)我が御子の知らす国と言依(ことよ)さしたまへりし国なり」と述べているのである。
さて,ところがところが,これだけでは終わらないのが,「くせ者古事記」だ。 ここはこうして解決できるが,天孫ニニギに降臨を命ずる以下の場面はどう読むのか。 いずれも,「言依さし」にかかわる重大な箇所だ。 「ここに天照大御神,高木神の命もちて」,アメノオシホミミに「詔りたまひしく」,・・・(降臨を命ずるが,天孫ニニギが生まれる)・・・そして天孫ニニギに「詔科(みことおほ)せて」,「この豐葦原水穗國は,汝(いまし)知らさむ國ぞと言依さし賜ふ。故,命の隨に天降るべし。」と,「のりたまひき」。 さてさて,いったい誰が「のりたまひき」なのでしょうね。 「命の隨に天降るべし。」と「のりたまひき」したのは,誰なんでしょうか。 当然,アマテラスのはずだ。それが「言依さし」の本質だ。 ところがここでは,「ここに高木神,天照大御神の命もちて」ではなく,「ここに天照大御神,高木神の命もちて」になっちゃってる。 だから,ここでは,タカミムスヒがアマテラスに尊敬語を使い,「この葦原中国は,(アマテラスが)我が御子の知らす国と言依(ことよ)さしたまへりし国なり」と述べているのである。・・・なんて解釈ができないのだ。 ではアマテラスか。
ことは重大だ。 ちなみに,たとえばアメワカヒコ派遣の場面では, 「ここをもちて高御産巣日神,天照大御神,また諸の神等に問ひたまひしく」,とか,「故ここに天照大御神,高御産巣日神,また諸の神等に問ひたまひしく」とか,2神並立で命令したことで,すんなり通る。 こんなのを読んで,皆さん,「2神並立」を信じているのであろう。 問題は,最初にアメノホヒに降臨を命ずる天孫降臨の最初の場面と,天孫ニニギに降臨を命ずる場面,この2つの,古事記の本質にかかわるハイライトシーンが,「読めない」ということだ。 古事記神話の本質,「言依さし」そのものである2つの場面が,「文章としてなっていない」,「日本語として読めない」ということだ。
私は,前者について,善解に善解を重ねて,「タカミムスヒ1神のセリフと解釈すべき」としたが,後者の場面では,アマテラスとタカミムスヒの順序が入れ替わっているため,私の努力が水の泡になる。 こうなると,古事記ライター自身を疑ってかからねばならぬ。 「ここに高木神,天照大御神の命もちて」が,「ここに天照大御神,高木神の命もちて」になったのは,古事記ライターの,単なる気まぐれにすぎぬ。 いずれにせよ,両場面とも,日本語さえも通じない文章なのだ。 古事記ライターは,いかにも「2神並立」という格好を作りたかっただけであり,タカミムスヒを,物語の中に,「適当にぶち込んだだけ」なのだ。 こう考えた方が,私はすっきりする。
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