日本書紀を読んで古事記神話を笑う

日本書紀を読んで古事記神話を笑う 改訂新版

2009年10月5日up
(物語読者として日本神話を解明する)


第35 海洋神アマテラスと産霊の神タカミムスヒ
(日本書紀を中心に)


五穀と養蚕を喜んだのはアマテラスではなくタカミムスヒだったのではないか

 日本書紀第5段第11の一書からどんどん遠ざかって,ほんとかなあ,というところまで行ってしまったかもしれない。

 第5段第11の一書に戻ろう。

 第5段第11の一書によれば,五穀こそ人民(ひとくさ)が食べるものだと言って喜び,しかも養蚕の創始者となったのは,アマテラスだった。
 これは,第7段本文に受け継がれている。

 そしてアマテラスは,本来タカミムスヒの世界であるはずの,「高天原」にいることになっている(第5段第11の一書では「高天之原」)。

 しかし本当にそうだろうか。これをそのまま信じてもよいのだろうか。
 というのも,ムスヒ=産霊の思想からすれば,タカミムスヒこそ五穀と養蚕の創始者にふさわしいと思えるからだ。

 第5段第11の一書は,同じく第2の一書,第3の一書と対照すると,ひどく具合が悪いのだ。


五穀と養蚕の根源を火と土から生まれた産霊(ムスヒ)に求める第5段第2の一書

 第5段第2の一書,同第3の一書,すなわち「叙述と文言」から問題を提起してみよう。

 そもそも,産霊(ムスヒ)とは何か。
 第5段の一書には,すでに産霊の原理が登場していた。

 第5段第2の一書では,火の神カグツチが土の神ハニヤマヒメ(埴山姫=はにやまひめ)と結婚してワクムスヒ(稚産霊=わくむすひ)を生む。

 この稚産霊の「頭の上に,蚕と桑と生れり。臍の中に五穀生れり」。
 すなわち,火と土の出会いから,五穀と養蚕が生まれるのだ。
 この異伝は,「蚕と桑」,「五穀」の原因を,火と土に求める,適確な異伝である。

 植物を焼いた後に残る灰は,上等な肥料だ。「花咲じいさん」の灰だ。
 焼き畑という農法には,合理的な根拠がある。古代人は,火と土が出会うところに「産霊」,すなわち植物が生長する不思議な霊力が宿ると考えた。


産霊(ムスヒ)はむしろ火にあるとする第5段第3の一書

 これを一歩推し進めたのが,第5段第3の一書だ。

 火と土が出会うと産霊が生まれる(第5段第2の一書)。
 しかし,もっと物事を追究し,考る人たちは,もともと産霊はどこにあったのか,火か土か,という疑問に立ち至る。

 それは,火と土とのどちらかに,もともとあった性質なのではなかろうか。

 どちらかといえば,火であるに違いない。
 なぜならば,土はいつでもどこにでもあるから。いつでもどこにでもある土が火と出会ったときに,植物が繁茂する。

 してみれば,「産霊」は,土ではなく火がもっている性質なのだ。

 だからこそ,第2の一書のあとに第3の一書を付け加えて,カグツチが,「火産霊(ほむすひ)」という名で登場する。

 「火産霊」という言葉は,「火」自体に,生成の霊力=産霊(むすひ)があるというとらえ方だ。

 日本書紀編纂者は,確かに,優れた編集者だった。だからこそ,第5段第2の一書の後に,第3の一書を並べた。
 こうした,一見,ばらばらに見える異伝を,きちんと順序よく並べた。

 逆では困る。
 古事記ライターには,理解できないだろう。


産霊の思想の長であるタカミムスヒが五穀と養蚕の創始者になるはずだ

 そこで,タカミムスヒ(高皇産霊尊)。

 世界が生まれるかどうかという話とは無関係に,古事記冒頭で,無前提の前提として,強引に登場した神。

 何となく,日本神話の根源神だと思われている神。

 古事記は,意外にも,権威的権力的な支配命令体系に彩られていた。その中心にタカミムスヒが居座っていた。

 でも,日本書紀編纂者は,日本書紀第1段第4の一書のなかで,「又曰はく(またいわく)」と続けて紹介したにすぎない。第4の一書という異伝の中のさらなる異伝,異伝中の異伝として紹介したにすぎない。

 このタカミムスヒは,明らかに,「産霊」の思想に属する神だ。その親分と言ってもよい。

 そして,稚産霊の「頭の上に,蚕と桑と生れり。臍の中に五穀生れり」(第5段第2の一書)。

 だから,日本書紀第5段の一書にある「産霊」の原理からすれば,タカミムスヒこそが五穀と養蚕の創始者であり,縄文を否定して弥生をもたらした神になるはずだ。


「産霊」と「高天原」の結合

 そしてその世界は,「高天原」である。

 その政治思想は,前述したとおり,タカミムスヒと「高天原」がセットになった,権威的,権力的,支配的思想のはずだ。
 現に,国譲りという名の侵略が始まる日本書紀第9段本文では,いきなり命令神として登場する。

 タカミムスヒこそ,縄文文化の象徴であるウケモチノカミを撃ち殺し,五穀と養蚕の起源となるに,ふさわしい神のはずだ。


アマテラスが「高天原」に結びついた異伝

 ところが,何度も述べたとおり,第5段第11の一書によれば,アマテラスが「高天原」(第11の一書では「高天之原」)にいて,その下でウケモチノカミを打ち殺し,五穀と養蚕の創始者となったとしている。

 ここでは,「高天原」がアマテラスに結びつき,権威的,権力的,支配的思想も,アマテラスに結びついている。
 そして,なぜか,アマテラスが五穀と養蚕の創始者になっているのだ。

 そして,アマテラスこそが,産霊の思想の体現者,すなわち五穀と養蚕の体現者として登場してくるのである(第7段本文)。

 この神が,日本書紀の神話の根底をなすもの,すなわち五穀と養蚕を体現した神話の主人公のような顔をして登場してくるのだ。

 いったいこれは,どういうことだろうか。


第5段第11の一書と第2,第3の一書の新旧

 単純に,伝承の新旧だけを言えば,第2,第3の一書の方が古いであろう。

 ここには,産霊の思想がある。そして,火と土の関係,焼き畑農業との関係など,素朴な伝承の面影を残している。

 これに対し第11の一書は,前述したとおり,

@ アマテラスは,「日に配べて天の事を知す」はずのツクヨミに対して,「爾,ツクヨミ,就きて候よ」と,あたかも斥候を派遣するかのように命令している。
 対等な立場であるはずのツクヨミも,「爾(いまし)」すなわち「おまえ」呼ばわりである。

A 論理矛盾,屁のカッパの,出来の悪い異伝である。

B ツクヨミは,「勅(みことのり)を受けて」,葦原中国に降る。

C そして,アマテラスに「復命」して,事情をつぶさに報告する。

D このようにアマテラスは,堂々たる独裁者である。

E そもそも,3神を生んだイザナキ自身が,「三の子に勅任して曰はく」だった。「勅任」なんて,律令用語である。

F ここにいるイザナキは,おおらかで人間的なイザナキではない。原始の性格を,完全に失っている。

 こうした権威的・権力的・支配的伝承は,かなり新しい。
 本来タカミムスヒが座っていたところに,アマテラス(決して日の神ではない)が座ったということもできる。


常世国に故郷をもつアマテラス

 伝承の新旧ではなく,アマテラスの本質からしてもおかしいのではないか。

 しばらく,日本書紀の「叙述と文言」から,アマテラスの本質を検討してみよう。

 アマテラスは,五穀と養蚕の創始者にふさわしいのだろうか。
 結論から言えば,まったくふさわしくない。むしろ矛盾している。

 まず,アマテラスが日の神の1つであることは間違いないだろう。
 問題は,その他の側面だ。

 じつは,日本書紀が語るアマテラスは,海人(あま)がいつき祭っていたであろう「海洋神」である。

 日本書紀の「叙述と文言」は,以下のとおりだ。

 アマテラスは,ヤマトを離れて諸国をさまよい始める(崇神天皇6年)。
 そして,「是の神風の伊勢国は,常世の浪(とこよのなみ)の重浪帰する(しきなみよする)国なり。傍国(かたくに)の可怜し国(うましくに)なり。是の国に居らむと欲ふ。」と述べて,伊勢にある五十鈴川の川上に鎮座した。

 海の彼方の常世国から打ち寄せる波を愛したのだ。

 そしてその「斎宮(いわいのみや)」は,五十鈴川の川上に建てられたにもかかわらず,「磯宮(いそのみや)」と呼ばれた(垂仁天皇25年3月)。

 いわゆる伊勢神宮の縁起譚だ。その宮は,磯の宮と呼ばれたのだ。

 そういえば,天の岩窟にこもったアマテラスをおびき出そうとして鳴いた鳥は,「常世の」長鳴鳥だった(第7段本文)。

 常世郷は,海の彼方にある常住不変の国だ。要するに,アマテラスの故郷にいる鳥を鳴かせたのだ。


海洋民がいつき祭る神アマテラス

 さらに,アマテラスを誘い出すために使った榊には,いくつかの象徴物が取り付けられた。

 榊の木の上端は八坂瓊の五百箇の御統(やさかにのいおつのみすまる)。
 中程に八咫鏡(やたのかがみ)。
 下端に青和幣(あおにきて)と白和幣(にろにきて)。

 八坂瓊の五百箇の御統(やさかにのいおつのみすまる)と八咫鏡。
 ともにアマテラス信仰の象徴だが,これは,海人とのかかわりが深い。

 仲哀天皇8年正月には,筑紫に行く仲哀天皇の一行を,岡県主(おかのあがたぬし)の祖(おや),熊鰐(わに)が,船の舳先に立てた賢木(さかき)に,上から白銅鏡(ますのかがみ),十握剣(とつかのつるぎ),八坂瓊(やさかに,玉のこと)をとりかかげて出迎える話が出てくる。

 筑紫の伊都の県主の祖,イトデも,同様にして出迎える。
 榊に鏡等を取り掲げる慣習は,海洋民と繋がりがあるのだ。


青和幣と白和幣は海である

 問題は,幣(ぬさ)だ。

 青和幣と白和幣は,青い幣と白い幣だ。

 通常は白和幣で足りる。なぜ青和幣も必要なのか。

 これらは,青い海水と白い波を象徴しているのだろう。海洋神アマテラスを誘い出すには,他の神とは異なり,やはり青と白が必要だったのだ。


常世国の海洋神アマテラス

 このように,アマテラスは海洋神だ。しかも,常世国を故郷にもつ海洋神だ。

 海洋といっても,瀬戸内海のような,ちっぽけな海ではない。
 海の向こうに,常世国という異界を見ることのできる,外洋に面した沿岸地方でいつき祭られた神である。

 大海原の向こうには,船で行けない異界がある。そう信じていた海人がいつき祭った神だ。異界をおそれていた海人がいつき祭った神だ。

 しかも,太陽神。日の神でもあった。

 大海原の水平線に昇る太陽。これがアマテラスだ。

 瀬戸内海あたりの神ではない。外洋で成立した神である。


海洋神アマテラスが魚を嫌い漁労生活を放棄するのはおかしい

 この,アマテラスのイメージ。

 その神が,ウケモチノカミ殺しにかかわったという。

 第5段第11の一書によれば,アマテラスが派遣したツクヨミが,魚と獣肉を出してもてなそうとしたウケモチノカミを,撃ち殺してしまったという。

 そして,海の魚はもちろん山の獣肉も否定して,田畑と蚕を得たことを喜び,稲は人民(ひとくさ)が食べるべきものだと言ったという。
 さらに,養蚕の創始者になったという。

 これは,明らかにおかしい。

 海洋神のくせに魚を嫌い,漁労採集生活を放棄するのはおかしい。アマテラスは,その本質からして,五穀と養蚕にふさわしい神とはいえない。


日本土着の日の神アマテラスは五穀と養蚕の創始者になれない

 そもそもアマテラスは,あまたあった日の神の1つであり,日本土着の信仰の1つだった。

 一方,五穀と養蚕は弥生文化であり,前述したとおり,朝鮮からやって来た文化だ。その根拠が日本書紀に残されている。

 日本にいた日の神アマテラスが,五穀と養蚕の創始者になれるはずがない。


アマテラスの娘宗像三神は天孫の露払い役を務める

 むしろアマテラスは,日本にいて,朝鮮から九州に渡ってくる新たなる神を出迎えている。

 日本書紀第6段第1の一書には,日の神(アマテラス)が,宗像三神を,「筑紫洲」に天下らせて,「道の中に降り居して(くだりまして),天孫を助け奉りて,天孫のために祭られよ。」と命令したとある。

 日の神,すなわちアマテラスは,すでに日本のどこかにいて,朝鮮からやって来る天孫を迎える。そのために,宗像三神を鎮座させたというのだ。

 驚くべき異伝だ。

 第6段第3の一書は,天降らせた場所を,はっきりと述べている。この短い異伝は,そのために残された。

 「葦原中国の宇佐嶋(うさのしま)」に天下らせ,それは「今(日本書紀編纂当時をいう),海の北の道」の中にあるという。
 これを名付けて「道主貴(ちぬしのむち)」という。道中の神という意味だ。

 宗像三神は,もとは,宇佐にあって,朝鮮からやって来る天孫を迎えたというのだ。

 この宗像三女神は,言ってみれば,朝鮮から海路でやってくる天孫の露払い役だ。


タカミムスヒこそが五穀と養蚕の創始者である

 この,朝鮮からやって来る「天孫」(第6段第1の一書)こそ,五穀と養蚕の創始者というにふさわしい。

 そして,日本書紀第5段第2,第3の一書によれば,五穀と養蚕の起源が,「産霊」の思想に結びつけられている。

 火の神カグツチは土の神ハニヤマヒメ(埴山姫=はにやまひめ)と結婚してワクムスヒ(稚産霊=わくむすひ)を生む。
 稚産霊の「頭の上に,蚕と桑と生れり。臍の中に五穀生れり」(第5段第2の一書)。

 タカミムスヒの「産霊」だ。

 すなわち,「産霊」こそが,カイコと桑と五穀を生んだ原動力なのだ。
 それが,はっきりと叙述されている。

 だから,高皇「産霊」尊(タカミムスヒ)が,五穀と養蚕を生んだとする方がふさわしい。


壱岐と対馬にタカミムスヒがいた

 五穀と養蚕=産霊=タカミムスヒが,朝鮮からやってきた。

 というのも,朝鮮と九州の通路,「壱岐嶋」と「対馬嶋」に,タカミムスヒがいたという伝承があるからだ。

 すでに検討した,日本書紀顕宗天皇3年である。

 「月神」(ツクヨミではない)は,人に神懸かりしてこう述べる。
 「我が祖(みおや)高皇産霊尊,預(そ)ひて天地を鎔ひ造せる功有する(あいいたせるいさおしまします)」。だから,月の神に土地を奉れ。そうすれば幸いがあろう。

 その2か月後,さらに「日神」(アマテラスではない)は,人に神懸かりして,磐余(いわれ)の田を,「我が祖高皇産霊尊に献れ。」と述べる。そこで土地を奉ったが,その祭りに仕えたのは,「対馬下県直(つしまのしもつあがたのあたい)」だった(顕宗天皇3年4月)。


タカミムスヒは月の神や日の神の「我が祖」

 壱岐にいたタカミムスヒを祖とする月の神と,対馬にいたタカミムスヒを祖とする日の神が,航海の安全を保障する代わりに土地を要求したことがわかる。

 ここでの月の神や日の神は,ツクヨミやアマテラスとは違うだろう。

 問題は,壱岐や対馬では,タカミムスヒが,地方神としての月の神や日の神の先祖として,いつき祭られていたということだ。

 タカミムスヒは,すでに壱岐や対馬まで進出していた。

 そして,すでに,土着の月の神や日の神との混交が始まっていたのだ。


弥生文化をもたらした人々とタカミムスヒ

 私は,古代日本の神話とは異質で,権威的,権力的,支配的,侵略的,征服的な気質をもった人たち,魚や獣肉を否定して稲作と養蚕をもたらした人たち,こうした朝鮮系の人たちがいたと考える。

 彼らは,タカミムスヒをいつき祭り,壱岐や対馬では,月の神や日の神と共存し,すでに混交していた。

 このように,日本書紀第5段第11の一書は,アマテラスが五穀と養蚕の創始者だとしているが,本来は,タカミムスヒである。

 この異伝は,日の神とタカミムスヒとの混交が始まって以後の異伝,ヤマトにおける「日本神話の再構成」が始まってから考えても,より新しい伝承だと考えられる。

 


トップページ( まえがき)

第1 私の立場と問題意識

第2 問題提起

第3 方法論の問題

第4 世界観と世界の生成

第5 神は死なない(神というもののあり方)

第6 原初神と生成神の誕生

第7 日本書紀における原初神と生成神の誕生

第8 修理固成の命令

第9 言葉に対して無神経な古事記(本当に古い文献か)

第10 古事記は伊勢神宮成立後の文献

第10の2 応神記の気比の大神について

第11 国生み叙述の根本的問題

第12 日本神話の読み方を考える(第1子は生み損ないか)

第13 生まれてきた国々を分析する

第14 国生みのあとの神生み

第15 火の神カグツチ「殺し」

第16 黄泉国巡り

第17 コトドワタシと黄泉国再説

第18 禊ぎによる神生みの問題点

第19 日本神話の故郷を探る

第20 大道芸人の紙芝居としての古事記

第21 アマテラスら3神の生成

第22 分治の命令

第23 日本神話の体系的理解(日本書紀を中心に)

第24 日本神話の構造と形成過程

第25 生まれたのは日の神であってアマテラスではない

第26 日の神の接ぎ木構造

第27 最高神?アマテラスの伝承が変容する

第28 泣くスサノヲとイザナキの肩書き

第29 日本神話学の見通しと方法論

第30 日本神話のコスモロジー

第31 誓約による神々の生成(日本書紀)

第32 誓約による神々の生成(古事記)

第33 天の岩屋戸神話と出雲神話が挿入された理由

第34 日本神話のバックグラウンド・縄文から弥生への物語
(日本書紀第5段第11の一書を中心に)


第35 海洋神アマテラスと産霊の神タカミムスヒ
(日本書紀を中心に)


第36 支配命令神は誰なのか(ねじれた接ぎ木構造)

第37 アマテラスとタカミムスヒの極めて危うい関係

第38 五穀と養蚕の文化に対する反逆とオオゲツヒメ

第39 スサノヲの乱暴

第40 「祭る神が祭られる神になった」という幻想

第41 天の石屋戸と祝詞

第42 スサノヲの追放とその論理(日本書紀を中心に)

第43 アマテラス神話は確立していない(日本書紀を中心に)

第44 出雲のスサノヲ

第45 異伝に残された縄文の神スサノヲ(日本書紀を中心に)

第46 スサノヲにおける縄文と弥生の交錯(大年神の系譜)

第47 別の顔をもつスサノヲ(日本書紀を中心に)

第48 オオクニヌシの試練物語のへんてこりん

第49 オオクニヌシの王朝物語

第50 日本書紀第8段第6の一書の構成意図と古事記の悪意

第51 スクナヒコナと神功皇后と応神天皇と朝鮮

第52 偉大なるオオナムチ神話(大八洲国を支配したオオナムチ)

第53 三輪山のオオナムチ(日本書紀第8段第6の一書から)

第54 古事記はどうなっているか

第55 偉大なるオオクニヌシ(オオナムチ)の正体(問題提起)

第56 偉大なるオオクニヌシの正体(崇神天皇5年以降)

第57 崇神天皇5年以降を読み解く

第58 国譲りという名の侵略を考える前提問題

第59 「皇祖」「皇孫」を奪い取る「皇祖神」タカミムスヒ
(国譲りという名の侵略の命令者)


第60 皇祖神タカミムスヒの根拠
(国譲りという名の侵略の命令者)


第61 古事記における命令神
(国譲りという名の侵略の命令者)


第62 第9段第1の一書という異伝中の異伝と古事記

第63 武神の派遣と失敗と「高木神」

第64 タケミカヅチの派遣(タケミカヅチはカグツチの子)

第65 フツヌシとタケミカヅチの異同

第66 コトシロヌシは託宣の神ではないしタケミナカタは漫画

第67 「オオクニヌシの国譲り」の叙述がない

第68 天孫降臨の叙述の構造

第69 サルタヒコの登場

第70 古事記独特の三種の神宝

第71 天孫はどこに降臨したのか

第72 「国まぎ」を切り捨てた古事記のへんてこりん
(天孫降臨のその他の問題点)


第73 国譲り伝承と天孫降臨伝承との間にある断層

第74 じつは侘しい天孫降臨と田舎の土豪神武天皇

第75 天孫土着の物語

第76 火明命とニギハヤヒ(第9段の異伝を検討する)

第77 日向神話の体系的理解

第78 騎馬民族はやって来たか

第79 三種の宝物再論

第80 日本神話の大きな構成(三輪山のオオナムチとの出会い)

第81 海幸彦・山幸彦の物語を検討する

第82 「居場所」のない古事記

第83 本居宣長について

第84 日本神話を論ずる際のルール

第85 神々の黄昏

あとがき

著作権の問題など

付録・初版の「結論とあとがき」


新論文
神功紀を読み解く
神功皇后のごり押しクーデター

日本書紀を読んで古事記神話を笑う 「初版」 はこちら



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