日本書紀を読んで古事記神話を笑う 改訂新版 |
2009年10月5日up | (物語読者として日本神話を解明する) |
日本書紀第5段第11の一書からどんどん遠ざかって,ほんとかなあ,というところまで行ってしまったかもしれない。 第5段第11の一書に戻ろう。 第5段第11の一書によれば,五穀こそ人民(ひとくさ)が食べるものだと言って喜び,しかも養蚕の創始者となったのは,アマテラスだった。 そしてアマテラスは,本来タカミムスヒの世界であるはずの,「高天原」にいることになっている(第5段第11の一書では「高天之原」)。 しかし本当にそうだろうか。これをそのまま信じてもよいのだろうか。 第5段第11の一書は,同じく第2の一書,第3の一書と対照すると,ひどく具合が悪いのだ。
第5段第2の一書,同第3の一書,すなわち「叙述と文言」から問題を提起してみよう。 そもそも,産霊(ムスヒ)とは何か。 第5段第2の一書では,火の神カグツチが土の神ハニヤマヒメ(埴山姫=はにやまひめ)と結婚してワクムスヒ(稚産霊=わくむすひ)を生む。 この稚産霊の「頭の上に,蚕と桑と生れり。臍の中に五穀生れり」。 植物を焼いた後に残る灰は,上等な肥料だ。「花咲じいさん」の灰だ。
これを一歩推し進めたのが,第5段第3の一書だ。 火と土が出会うと産霊が生まれる(第5段第2の一書)。 それは,火と土とのどちらかに,もともとあった性質なのではなかろうか。 どちらかといえば,火であるに違いない。 してみれば,「産霊」は,土ではなく火がもっている性質なのだ。 だからこそ,第2の一書のあとに第3の一書を付け加えて,カグツチが,「火産霊(ほむすひ)」という名で登場する。 「火産霊」という言葉は,「火」自体に,生成の霊力=産霊(むすひ)があるというとらえ方だ。 日本書紀編纂者は,確かに,優れた編集者だった。だからこそ,第5段第2の一書の後に,第3の一書を並べた。 逆では困る。
そこで,タカミムスヒ(高皇産霊尊)。 世界が生まれるかどうかという話とは無関係に,古事記冒頭で,無前提の前提として,強引に登場した神。 何となく,日本神話の根源神だと思われている神。 古事記は,意外にも,権威的権力的な支配命令体系に彩られていた。その中心にタカミムスヒが居座っていた。 でも,日本書紀編纂者は,日本書紀第1段第4の一書のなかで,「又曰はく(またいわく)」と続けて紹介したにすぎない。第4の一書という異伝の中のさらなる異伝,異伝中の異伝として紹介したにすぎない。 このタカミムスヒは,明らかに,「産霊」の思想に属する神だ。その親分と言ってもよい。 そして,稚産霊の「頭の上に,蚕と桑と生れり。臍の中に五穀生れり」(第5段第2の一書)。 だから,日本書紀第5段の一書にある「産霊」の原理からすれば,タカミムスヒこそが五穀と養蚕の創始者であり,縄文を否定して弥生をもたらした神になるはずだ。
そしてその世界は,「高天原」である。 その政治思想は,前述したとおり,タカミムスヒと「高天原」がセットになった,権威的,権力的,支配的思想のはずだ。 タカミムスヒこそ,縄文文化の象徴であるウケモチノカミを撃ち殺し,五穀と養蚕の起源となるに,ふさわしい神のはずだ。
ところが,何度も述べたとおり,第5段第11の一書によれば,アマテラスが「高天原」(第11の一書では「高天之原」)にいて,その下でウケモチノカミを打ち殺し,五穀と養蚕の創始者となったとしている。 ここでは,「高天原」がアマテラスに結びつき,権威的,権力的,支配的思想も,アマテラスに結びついている。 そして,アマテラスこそが,産霊の思想の体現者,すなわち五穀と養蚕の体現者として登場してくるのである(第7段本文)。 この神が,日本書紀の神話の根底をなすもの,すなわち五穀と養蚕を体現した神話の主人公のような顔をして登場してくるのだ。 いったいこれは,どういうことだろうか。
単純に,伝承の新旧だけを言えば,第2,第3の一書の方が古いであろう。 ここには,産霊の思想がある。そして,火と土の関係,焼き畑農業との関係など,素朴な伝承の面影を残している。 これに対し第11の一書は,前述したとおり, @ アマテラスは,「日に配べて天の事を知す」はずのツクヨミに対して,「爾,ツクヨミ,就きて候よ」と,あたかも斥候を派遣するかのように命令している。 A 論理矛盾,屁のカッパの,出来の悪い異伝である。 B ツクヨミは,「勅(みことのり)を受けて」,葦原中国に降る。 C そして,アマテラスに「復命」して,事情をつぶさに報告する。 D このようにアマテラスは,堂々たる独裁者である。 E そもそも,3神を生んだイザナキ自身が,「三の子に勅任して曰はく」だった。「勅任」なんて,律令用語である。 F ここにいるイザナキは,おおらかで人間的なイザナキではない。原始の性格を,完全に失っている。 こうした権威的・権力的・支配的伝承は,かなり新しい。
伝承の新旧ではなく,アマテラスの本質からしてもおかしいのではないか。 しばらく,日本書紀の「叙述と文言」から,アマテラスの本質を検討してみよう。 アマテラスは,五穀と養蚕の創始者にふさわしいのだろうか。 まず,アマテラスが日の神の1つであることは間違いないだろう。 じつは,日本書紀が語るアマテラスは,海人(あま)がいつき祭っていたであろう「海洋神」である。 日本書紀の「叙述と文言」は,以下のとおりだ。 アマテラスは,ヤマトを離れて諸国をさまよい始める(崇神天皇6年)。 海の彼方の常世国から打ち寄せる波を愛したのだ。 そしてその「斎宮(いわいのみや)」は,五十鈴川の川上に建てられたにもかかわらず,「磯宮(いそのみや)」と呼ばれた(垂仁天皇25年3月)。 いわゆる伊勢神宮の縁起譚だ。その宮は,磯の宮と呼ばれたのだ。 そういえば,天の岩窟にこもったアマテラスをおびき出そうとして鳴いた鳥は,「常世の」長鳴鳥だった(第7段本文)。 常世郷は,海の彼方にある常住不変の国だ。要するに,アマテラスの故郷にいる鳥を鳴かせたのだ。
さらに,アマテラスを誘い出すために使った榊には,いくつかの象徴物が取り付けられた。 榊の木の上端は八坂瓊の五百箇の御統(やさかにのいおつのみすまる)。 八坂瓊の五百箇の御統(やさかにのいおつのみすまる)と八咫鏡。 仲哀天皇8年正月には,筑紫に行く仲哀天皇の一行を,岡県主(おかのあがたぬし)の祖(おや),熊鰐(わに)が,船の舳先に立てた賢木(さかき)に,上から白銅鏡(ますのかがみ),十握剣(とつかのつるぎ),八坂瓊(やさかに,玉のこと)をとりかかげて出迎える話が出てくる。 筑紫の伊都の県主の祖,イトデも,同様にして出迎える。
問題は,幣(ぬさ)だ。 青和幣と白和幣は,青い幣と白い幣だ。 通常は白和幣で足りる。なぜ青和幣も必要なのか。 これらは,青い海水と白い波を象徴しているのだろう。海洋神アマテラスを誘い出すには,他の神とは異なり,やはり青と白が必要だったのだ。
このように,アマテラスは海洋神だ。しかも,常世国を故郷にもつ海洋神だ。 海洋といっても,瀬戸内海のような,ちっぽけな海ではない。 大海原の向こうには,船で行けない異界がある。そう信じていた海人がいつき祭った神だ。異界をおそれていた海人がいつき祭った神だ。 しかも,太陽神。日の神でもあった。 大海原の水平線に昇る太陽。これがアマテラスだ。 瀬戸内海あたりの神ではない。外洋で成立した神である。
この,アマテラスのイメージ。 その神が,ウケモチノカミ殺しにかかわったという。 第5段第11の一書によれば,アマテラスが派遣したツクヨミが,魚と獣肉を出してもてなそうとしたウケモチノカミを,撃ち殺してしまったという。 そして,海の魚はもちろん山の獣肉も否定して,田畑と蚕を得たことを喜び,稲は人民(ひとくさ)が食べるべきものだと言ったという。 これは,明らかにおかしい。 海洋神のくせに魚を嫌い,漁労採集生活を放棄するのはおかしい。アマテラスは,その本質からして,五穀と養蚕にふさわしい神とはいえない。
そもそもアマテラスは,あまたあった日の神の1つであり,日本土着の信仰の1つだった。 一方,五穀と養蚕は弥生文化であり,前述したとおり,朝鮮からやって来た文化だ。その根拠が日本書紀に残されている。 日本にいた日の神アマテラスが,五穀と養蚕の創始者になれるはずがない。
むしろアマテラスは,日本にいて,朝鮮から九州に渡ってくる新たなる神を出迎えている。 日本書紀第6段第1の一書には,日の神(アマテラス)が,宗像三神を,「筑紫洲」に天下らせて,「道の中に降り居して(くだりまして),天孫を助け奉りて,天孫のために祭られよ。」と命令したとある。 日の神,すなわちアマテラスは,すでに日本のどこかにいて,朝鮮からやって来る天孫を迎える。そのために,宗像三神を鎮座させたというのだ。 驚くべき異伝だ。 第6段第3の一書は,天降らせた場所を,はっきりと述べている。この短い異伝は,そのために残された。 「葦原中国の宇佐嶋(うさのしま)」に天下らせ,それは「今(日本書紀編纂当時をいう),海の北の道」の中にあるという。 宗像三神は,もとは,宇佐にあって,朝鮮からやって来る天孫を迎えたというのだ。 この宗像三女神は,言ってみれば,朝鮮から海路でやってくる天孫の露払い役だ。
この,朝鮮からやって来る「天孫」(第6段第1の一書)こそ,五穀と養蚕の創始者というにふさわしい。 そして,日本書紀第5段第2,第3の一書によれば,五穀と養蚕の起源が,「産霊」の思想に結びつけられている。 火の神カグツチは土の神ハニヤマヒメ(埴山姫=はにやまひめ)と結婚してワクムスヒ(稚産霊=わくむすひ)を生む。 タカミムスヒの「産霊」だ。 すなわち,「産霊」こそが,カイコと桑と五穀を生んだ原動力なのだ。 だから,高皇「産霊」尊(タカミムスヒ)が,五穀と養蚕を生んだとする方がふさわしい。
五穀と養蚕=産霊=タカミムスヒが,朝鮮からやってきた。 というのも,朝鮮と九州の通路,「壱岐嶋」と「対馬嶋」に,タカミムスヒがいたという伝承があるからだ。 すでに検討した,日本書紀顕宗天皇3年である。 「月神」(ツクヨミではない)は,人に神懸かりしてこう述べる。 その2か月後,さらに「日神」(アマテラスではない)は,人に神懸かりして,磐余(いわれ)の田を,「我が祖高皇産霊尊に献れ。」と述べる。そこで土地を奉ったが,その祭りに仕えたのは,「対馬下県直(つしまのしもつあがたのあたい)」だった(顕宗天皇3年4月)。
壱岐にいたタカミムスヒを祖とする月の神と,対馬にいたタカミムスヒを祖とする日の神が,航海の安全を保障する代わりに土地を要求したことがわかる。 ここでの月の神や日の神は,ツクヨミやアマテラスとは違うだろう。 問題は,壱岐や対馬では,タカミムスヒが,地方神としての月の神や日の神の先祖として,いつき祭られていたということだ。 タカミムスヒは,すでに壱岐や対馬まで進出していた。 そして,すでに,土着の月の神や日の神との混交が始まっていたのだ。
私は,古代日本の神話とは異質で,権威的,権力的,支配的,侵略的,征服的な気質をもった人たち,魚や獣肉を否定して稲作と養蚕をもたらした人たち,こうした朝鮮系の人たちがいたと考える。 彼らは,タカミムスヒをいつき祭り,壱岐や対馬では,月の神や日の神と共存し,すでに混交していた。 このように,日本書紀第5段第11の一書は,アマテラスが五穀と養蚕の創始者だとしているが,本来は,タカミムスヒである。 この異伝は,日の神とタカミムスヒとの混交が始まって以後の異伝,ヤマトにおける「日本神話の再構成」が始まってから考えても,より新しい伝承だと考えられる。
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