日本書紀を読んで古事記神話を笑う

日本書紀を読んで古事記神話を笑う 改訂新版

2009年10月5日up
(物語読者として日本神話を解明する)


第25 生まれたのは日の神であってアマテラスではない


天照大神が生まれたというのは間違っている

 さて,私は,日本書紀第6段から第8段までを検討して,アマテラスは脇役にすぎないと言った。

 日本書紀におけるアマテラスの位置付けはどうなるのだろうか。

 しかし,じつはそんな問題提起ができないのだ。

 そもそも,登場人物がアマテラスだと決めつけることができない。「日神」とも,「大日霎貴」とも,「大日霎尊」とも,「天照大日霎尊」ともある。

 だから,アマテラスの位置づけを考える前に,そもそも,アマテラスと日神等との関係を論じなければならないのだ。やっかいな問題だ。

 しかし,このやっかいな問題を適当にあしらって,いきなりアマテラスを論じているのが,現状ではなかろうか。

 現在の学者さんも研究者も,せいぜい,アマテラス信仰は日神信仰の1つ,という程度ではなかろうか。

 また,アマテラスが生まれたが,その別名は「大日霎貴」だという程度ではなかろうか。

 しかしそれは,すべて間違っている。


第5段本文は日の神を生んだとしておりアマテラスではない

 そもそも,アマテラスの存在自体が疑わしい。日本書紀におけるアマテラスは,じつに曖昧な存在である。

 イザナキとイザナミは,「共に日の神を生みまつります。大日霎貴(おおひるめのむち)と号す(もうす)」(第5段本文)。

 この「叙述」が大切だ。

 「日の神」を生んだのであって,アマテラスではない。
 そして,その生まれた「日の神」を,オオヒルメと呼んだのである。

 日本書紀第5段本文では,「大日霎貴(おおひるめのむち)」という名の「日の神」を生んだというだけであって,アマテラスを生んだとは言っていない。名前からして違う。

 これは,とても重大なことである。


アマテラスは異伝でつながっているにすぎない存在である

 そして,上記一文に続く注。これがくせ者だ。

 「一書に云はく,天照大神といふ。一書に云はく,天照大日霎尊といふ」。

 「一書に云はく」とは,言うまでもなく異伝だ。日本書紀における決まり文句だ。
 しかも,テキストを見ればわかるが,本文とは違う,小さい字での書き込みだ。

 要するに,生んだのは「日の神」。そして,その名前として日本書紀編纂者が第一にあげたのは,「大日霎貴」である。ここまでが,日本書紀本文である。場合によっては国家の名誉をかけた,公権的公定解釈である。

 「一書に云はく,天照大神といふ。一書に云はく,天照大日霎尊といふ」は,単なる異伝。

 場合によっては,こんなものもありますよ,という程度。

 私が口を酸っぱくして指摘した,「高天原」とタカミムスヒら3神の伝承が,第1段第4の一書という異伝の中の,さらなる異伝だったことを思い出してほしい(「世界観と世界の生成」)。

 「天照大神」は,この補注,すなわち異伝により,かろうじて「日の神」につながっているにすぎないのである。

 こうした「叙述と文言」をきちんと読まなければ,日本神話は解明できない。


日本書紀編纂者の目の前にあった伝承

 上記した「叙述と文言」からすれば,日の神が一般的な名称であり,地方によって,「大日霎貴」とか,「天照大神」とか,「天照大日霎尊」とかいう,固有名詞に昇華した神がいたらしい。

 生んだ「日の神」を,そのうち,どれに当てはめるかが問題になっていたのだ。

 そして,日本書紀編纂者の目の前には,3つの伝承があった。

@ 生まれた「日の神」の別名は「大日霎貴」だという伝承。

A その「日の神」は「天照大神」であるという伝承。

B その「日の神」は「天照大日霎尊」であるという伝承。


日本書紀編纂者が考えたこと

 日本書紀編纂者としては,生まれたのは,あくまでも「日の神」であり,それは大日霎貴であると考えた。しかし,他の諸伝に「天照大神」とある。
 だけれど,「天照大日霎尊」という,ミックスしたような名前もあるから,どうも同一らしい,というにすぎないのだ。

 こうして,以後,「天照大神」という表記に統一されていく「だけ」なのだ。

 日本書紀編纂者は精緻な頭をもった学者さんだったから,こうした異伝を十把一絡げにして,イザナキとイザナミが「天照大神」を生んだなどとは,決して書かなかったわけだ。

 現在の学者さんも研究者も,アマテラスが生まれたが,その別名は「大日霎貴」だと言う。しかしそれは,主客転倒。逆である。


日本書紀編纂者の思考過程

 日本書紀編纂者は,「大日霎貴」という日の神が生まれたと考えたが,一方で,その日の神が,「天照大神」だとする伝承がある。

 これだけでは,まったく異なる別の伝承になってしまうところだけれど,もうひとつ,生まれた日の神が「天照大日霎尊」という伝承もあるから,ここで生まれた「日の神」=「大日霎貴」,じつは「天照大神」である,と考えたのであろう。

 そうした思考過程が,この,テキストにして2行足らずの「叙述と文言」に残されているわけだ。

 こうして,以後日本書紀では,「天照大神」という表記に統一されていく「だけ」なのだ。

 決して,アマテラスが生まれたが,その別名は「大日霎貴」ではない。そんな解釈は,「叙述と文言」をきちんと読み取っていない。

 日本書紀編纂者は,精緻な頭をもった学者さんである。今で言えば,文学部ではなく,法律学のプロとも言える官僚だったから,以上述べた判断過程を,きちんと残したのである。

 「大日霎貴」と呼ばれる「日の神」が,「天照大神」であると判断した理由を,ここで書いているのである。

 それを,現代の文学部の学者さんたちが読んで,アマテラスの別名がオオヒルメだと主張しているのは,とても残念なことであるし,皮肉と言うしかない。


アマテラス信仰に毒されていない日本書紀編纂者とアマテラス信仰確立期

 これに対し古事記は,本当になんの躊躇もなく,「天照大神」でもない,「天照大御神」が生まれたとしている(「言葉に対して無神経な古事記(本当に古い文献か)」「古事記は伊勢神宮成立後の文献」参照)。

 しかし,日本書紀編纂者は,「天照大御神」信仰にまったく毒されていない。だからこそ,以上述べた思考ができたわけだ。

 ここから考えると,日本書紀編纂者は,アマテラス信仰が確立されていない時代の人だったのか。

 それとも,日本書紀や古事記が成立した710年代前後の時代の思潮とは独立して,古来の伝承を客観的に叙述できる,高貴な精神の持ち主だったのか。

 そもそも,アマテラス信仰は,いつの時代に確立されたのか。
 その起点と,712年と720年の先後関係はどうなるのか。

 これは,日本神話を解明するうえで,極めて興味深い,根本的な問題を提起するわけだが,いずれにせよ,単純に「天照大御神」と叙述する古事記ライターよりも立派であり,文献の価値としても上であることは疑いない。

 ここにも,優秀な律令官僚として,知識を独占した文化人として,文書を客観的に処理し,編纂することができた日本書紀編纂者の能力が顔を出している。

 これに対し古事記は,ある1人のライターの,個人的能力と個性に寄りかかった書物にすぎない。

 日本書紀と古事記を読む場合は,常に,こうした視点をもつ必要があるのだ。


第5段本文の「日の神」と第6段以降の「天照大神」には断絶がある

 次に問題となるのは,日本書紀編纂者自身が,第5段本文では「日の神」を生んだと書いていたのに,第6段本文以降では,「天照大神」と書いている点である。

 これは,断絶である。

 しかしその理由は,もはや明らかであろう。

 日本書紀編纂者は,これから「天照大神」を登場させるにあたって,第5段本文で,生まれた「日の神」=「大日霎貴」が「天照大神」であることを「実証」したのだ。

 こうして,読者に対して,編纂者としての責任を果たした。

 だから,第6段以降の本文では,堂々と,「天照大神」として登場する。


本当は第6段以降も日の神伝承でありアマテラス伝承ではない

 しかし,裏を返して言えば,これらは,本来は,「日の神」=「大日霎貴」,すなわち,オオヒルメと呼ばれる「日の神」が主人公であったことを知るべきである。

 だからこそ,日本書紀編纂者は,生まれた「日の神」=「大日霎貴」が「天照大神」であることを検証しなければならなかったのだ。


日本書紀における「日の神」と「天照大神」の混在の理由

 日本書紀に見える,「日の神」と「天照大神」の混在。

 その理由は,神武天皇が南九州の吾田から背負って持ってきた「日の神」が,ヤマトにおいて,「壮大なる血の交替劇」に取り入れられて,「天照大神」に変容したことにある(「日本神話の故郷を探る」,「日本神話の体系的理解」,「日本神話の構造と形成過程」を参照)。

 そして,第6段以降の「壮大なる血の交替劇」において,

@ 変容しきれないうちに,名称「日の神」のまま取り入れられた伝承と,

A 変容後の「天照大神」伝承と,

B 日本書紀編纂者によって,「天照大神」と表記された伝承(第6段本文,第7段本文)

とが混在しているのだ。


日の神伝承とアマテラス伝承を整理する

 以下,「日の神」や「天照大神」が登場する伝承を整理してみよう。

 第5段本文     日神(大日霎貴または天照大神または天照大日霎尊)
    第1の一書  大日霎尊 (これが古事記で利用される)
    第6の一書  天照大神 (これが古事記で利用される)
    第11の一書 天照大神

 第6段本文     天照大神
    第1の一書  日神
    第2の一書  天照大神
    第3の一書  日神

 第7段本文     天照大神
    第1の一書  天照大神
    第2の一書  日神
    第3の一書  日神


「日神」と「天照大神」の使われ方

 ごらんのとおり,第5段本文では,「日の神」として登場させ,その後の本文では「天照大神」に統一する。それは,日本書紀編纂者の意図どおりだ。

 しかし,もとは「日の神」だから,異伝である一書には,「日神」伝承をきちんと残している。第5段第1の一書では,「大日霎尊」である。決して「天照大神」ではない。

 そして,「大日霎貴」ではない「大日霎尊」は,神武天皇即位前紀で,「昔我が天神,高皇産霊尊・大日霎尊」として登場する。

 第6段,第7段では,むしろ,「日神」伝承の方が数が多い。
 ただ,異伝の中で,「天照大神」とする伝承も無視できない。

 だから,第5段本文での「検証」が必要だったのだ。

 ただ,やはり,「日の神」,「日神」が登場する伝承の方が古いのである。

 神武天皇が南九州の吾田から背負ってきた伝承は,アマテラス伝承ではなく,「日の神」伝承だったからだ。


アマテラスに置き換えられた伝承と置き換えられる前の伝承との入り乱れ

 この「結果」からわかるとおり,ヤマトにおいて,日の神信仰を背景に,スサノヲの脇役としてのアマテラス神話が形成されていった。具体的には,第6段本文,第7段本文である。

 「出雲の神々を退場させる新たな神話の創成」と,手の込んだ「壮大なる血の交替劇」。

 神武天皇が背負ってきた「日の神」は,ここで初めて,「天照大神」に置き換えられる。

 ここでは,アマテラスに置き換えられた伝承と,置き換えられる前の伝承とが,入り乱れているのである。


第5段本文の「叙述と文言」の意味

 そこで,第5段本文の,「共に日の神を生みまつります。大日霎貴と号す」,「一書に云はく,天照大神といふ。一書に云はく,天照大日霎尊といふ」に,戻る。

 この「叙述と文言」が,何のために挿入されたのか。
 本当にくどいようだが,繰り返しておく。

 本来は,単なる「日の神」であった。それは,「大日霎貴」という名の「日の神」の伝承であった。

 しかし,日本書紀編纂時点において,すでに,「天照大神」という神の伝承がある。「日の神」伝承と「天照大神」伝承とが,入り乱れている。

 これをどう整理したらよいのか。

 だから,「一書に云はく,天照大神といふ。一書に云はく,天照大日霎尊といふ」なのだ。
 これで,「日の神」が,「大日霎貴」や「大日霎尊」につながるし,「天照大神」にもつながる。

 日本書紀編纂者は,アマテラス伝承を展開しようとする,その最初の最初に,アマテラスを「日の神」につなげようとしたのだ。
 いや,つなげられるのかどうかを,検証しなければならなかった。

 そして,検証の結果,第6段以降の本文では,「日神」=「天照大神」で表記できるようになった。

 ただ,アマテラスに変換できないままの異伝もある。それは,日本神話の混乱期だったからだ。
 それが「日の神」伝承である。日本書紀編纂者は,正直に,それらを残した。


顕宗天皇3年は壱岐にツクヨミでない月神がいたことを物語る

 私の主張は,突飛だろうか。しかし,日本書紀を読むと,以下の驚くべき叙述がある。

 顕宗天皇3年2月,阿閉臣事代(あへのおみことしろ)が天皇の命令を受けて任那に使いをする。その目的は,はっきりしない。

 しかしこの年の4月に天皇が死ぬと直ちに,紀生磐宿禰(きのおひはのすくね)が,任那を根拠に高句麗と通じ,朝鮮半島の王になろうとして,自らを「神聖(かみ)」と名乗るという事件が起きる。

 不穏な動きのある任那を調査する任務だったようだ。
 紀生磐宿禰が任那を押さえていたとすると,そこに至る海路などの交通の安全が問題だ。

 そこで,「月神」(ツクヨミではない)が,人に神懸かりしてこう述べる。

 「我が祖(みおや)高皇産霊尊,預(そ)ひて天地を鎔ひ造せる功有する(あいいたせるいさおしまします)」。だから,月の神に土地を奉れ。そうすれば幸いがあろう。

 そこで土地を奉ったが,その祭りには,壱岐の県主の先祖「押見宿禰(おしみのすくね)」が仕えた(顕宗天皇3年2月)。

 この叙述から,壱岐嶋にいた,タカミムスヒ(高皇産霊尊)を祖とする月の神が,航海の安全を保障する代わりに土地を要求したことがわかる。

 これは,地元の人にいつき祭られた月の神信仰が,土地を要求するほどの1つの世俗的勢力になっていたということだ。


顕宗天皇3年は対馬にアマテラスでない日神がいたことを物語る

 その2か月後,さらに「日神」(アマテラスではない)が人に神懸かりして,磐余(いわれ)の田を,「我が祖高皇産霊尊に献れ。」と述べる。そこで土地を奉ったが,その祭りに仕えたのは,「対馬下県直(つしまのしもつあがたのあたい)」だった(顕宗天皇3年4月)。

 この叙述から,対馬にいた,高皇産霊尊を祖とする日の神が,航海の安全を保障する代わりに,土地を要求したことがわかる。

 これもまた,土地の人々の「日神」信仰が,世俗的な1つの勢力になっていたことを語っている。

 日本書紀,顕宗天皇3年の叙述は,日本神話上のアマテラスやツクヨミが,各地にあった日の神信仰や月の神信仰の1つにすぎないことを,はっきりと述べている。


アマテラスやツクヨミだけが日の神や月の神ではない

 いずれにせよ顕宗天皇3年は,とんでもないことを言っている。

 ここでの月の神や日の神は,ツクヨミやアマテラスとは違う。
 一般に信仰されていた,地方神としての月の神と日の神だ。

 その地方神が,高皇産霊尊を「我が祖(みおや)」と呼んでいるのだ。

 月の神信仰と日の神信仰は,大八洲国全体に広がっていた。
 そのうち,ツクヨミやアマテラスは,天皇につながる人々がいつき祭った,あるひとつの月の神であり,あるひとつの日の神にすぎない。

 そして壱岐や対馬では,タカミムスヒこそが,地方神としての月の神や日の神の先祖として,統括していたということになる。

 いずれにせよ,壱岐や対馬と南九州は,九州島という島を核にして,海に囲まれたひとつの世界である。

 南九州の吾田に,日の神や月の神がいたとしても,おかしくはない。


月の神もまったく同じ

 なお,言い忘れたが,日本書紀第5段本文は,日の神と同様に,月の神についても,「次に月の~を生みまつります。一書に云はく,月弓尊(つくゆみのみこと),月夜見尊(つきよみのみこと),月讀尊(つきよみのみこと)といふ。」としている。

 古事記が,何の躊躇もせず当然とする,「月讀命」ではない。

 「月の神」を生んだだけであり,その名前がどうだったか,公権的公定解釈である本文では,確定しようとしていない。確定できていないのだ。

 異伝を3つあげるにとどまっている。

 そしてその3つの神は,月弓尊(つくゆみのみこと),月夜見尊(つきよみのみこと),月讀尊(つきよみのみこと)。

 単なる名称の違いではなく,別の神だった可能性が高い。同じ「月の神」ではあるが。


日の神と大日霎尊(大日霎貴)と天照大神と天照大御神の関係

 さて,大日霎尊(大日霎貴)は,第5段第1の一書にも登場する。

 「左の手を以て白銅鏡(ますみのかがみ)を持りたまふときに,則ち化(な)り出づる~有す。是を大日霎尊と謂す。右の手に白銅鏡を持りたまふときに,則ち化り出づる~有す。是を月弓尊(つくゆみのみこと)と謂す」。

 天空にある太陽と月。それを左右の手に持った,輝く「白銅鏡」にたとえた伝承である。
 しかも,イザナキ単独で生んでいるから,どうも,禊ぎの最中の話のようでもある。

 ここで,「鏡」ではなく,鏡を見つめる「眼」に焦点を合わせ,禊ぎの最中であることを強調すると,どうなるか。

 それが第5段第6の一書である。古事記の物語と同様,イザナキの黄泉国巡りなどがある伝承だ。

 「左の眼を洗ひたまふ。因りて生める~を,号(なづ)けて天照大~と曰す。復右の眼を洗ひたまふ。因りて生める~を,号けて月読尊と曰す」。

 瞳の輝きが,天空にある日月という趣向だ。

 そして,これを「天照大御神」や「月読命」に替えてしまうと,古事記の,

 「ここに左の御目を洗ひたまふ時に,成れる~の名は,天照大御~。次に右の御目を洗ひたまふ時に,成れる~の名は,月讀命」。

 「大日霎尊(大日霎貴)」 → 「天照大神」 → 「天照大御神」という発展過程がよくわかる。


ではヤマトのアマテラスはいかなる神か

 では,ヤマトで創成されたアマテラスは,いかなる神なのであろうか。

 これについては,「崇神天皇5年以降を読み解く」,「海洋神アマテラスと産霊の神タカミムスヒ」などで,詳しく述べる。

 


トップページ( まえがき)

第1 私の立場と問題意識

第2 問題提起

第3 方法論の問題

第4 世界観と世界の生成

第5 神は死なない(神というもののあり方)

第6 原初神と生成神の誕生

第7 日本書紀における原初神と生成神の誕生

第8 修理固成の命令

第9 言葉に対して無神経な古事記(本当に古い文献か)

第10 古事記は伊勢神宮成立後の文献

第10の2 応神記の気比の大神について

第11 国生み叙述の根本的問題

第12 日本神話の読み方を考える(第1子は生み損ないか)

第13 生まれてきた国々を分析する

第14 国生みのあとの神生み

第15 火の神カグツチ「殺し」

第16 黄泉国巡り

第17 コトドワタシと黄泉国再説

第18 禊ぎによる神生みの問題点

第19 日本神話の故郷を探る

第20 大道芸人の紙芝居としての古事記

第21 アマテラスら3神の生成

第22 分治の命令

第23 日本神話の体系的理解(日本書紀を中心に)

第24 日本神話の構造と形成過程

第25 生まれたのは日の神であってアマテラスではない

第26 日の神の接ぎ木構造

第27 最高神?アマテラスの伝承が変容する

第28 泣くスサノヲとイザナキの肩書き

第29 日本神話学の見通しと方法論

第30 日本神話のコスモロジー

第31 誓約による神々の生成(日本書紀)

第32 誓約による神々の生成(古事記)

第33 天の岩屋戸神話と出雲神話が挿入された理由

第34 日本神話のバックグラウンド・縄文から弥生への物語
(日本書紀第5段第11の一書を中心に)


第35 海洋神アマテラスと産霊の神タカミムスヒ
(日本書紀を中心に)


第36 支配命令神は誰なのか(ねじれた接ぎ木構造)

第37 アマテラスとタカミムスヒの極めて危うい関係

第38 五穀と養蚕の文化に対する反逆とオオゲツヒメ

第39 スサノヲの乱暴

第40 「祭る神が祭られる神になった」という幻想

第41 天の石屋戸と祝詞

第42 スサノヲの追放とその論理(日本書紀を中心に)

第43 アマテラス神話は確立していない(日本書紀を中心に)

第44 出雲のスサノヲ

第45 異伝に残された縄文の神スサノヲ(日本書紀を中心に)

第46 スサノヲにおける縄文と弥生の交錯(大年神の系譜)

第47 別の顔をもつスサノヲ(日本書紀を中心に)

第48 オオクニヌシの試練物語のへんてこりん

第49 オオクニヌシの王朝物語

第50 日本書紀第8段第6の一書の構成意図と古事記の悪意

第51 スクナヒコナと神功皇后と応神天皇と朝鮮

第52 偉大なるオオナムチ神話(大八洲国を支配したオオナムチ)

第53 三輪山のオオナムチ(日本書紀第8段第6の一書から)

第54 古事記はどうなっているか

第55 偉大なるオオクニヌシ(オオナムチ)の正体(問題提起)

第56 偉大なるオオクニヌシの正体(崇神天皇5年以降)

第57 崇神天皇5年以降を読み解く

第58 国譲りという名の侵略を考える前提問題

第59 「皇祖」「皇孫」を奪い取る「皇祖神」タカミムスヒ
(国譲りという名の侵略の命令者)


第60 皇祖神タカミムスヒの根拠
(国譲りという名の侵略の命令者)


第61 古事記における命令神
(国譲りという名の侵略の命令者)


第62 第9段第1の一書という異伝中の異伝と古事記

第63 武神の派遣と失敗と「高木神」

第64 タケミカヅチの派遣(タケミカヅチはカグツチの子)

第65 フツヌシとタケミカヅチの異同

第66 コトシロヌシは託宣の神ではないしタケミナカタは漫画

第67 「オオクニヌシの国譲り」の叙述がない

第68 天孫降臨の叙述の構造

第69 サルタヒコの登場

第70 古事記独特の三種の神宝

第71 天孫はどこに降臨したのか

第72 「国まぎ」を切り捨てた古事記のへんてこりん
(天孫降臨のその他の問題点)


第73 国譲り伝承と天孫降臨伝承との間にある断層

第74 じつは侘しい天孫降臨と田舎の土豪神武天皇

第75 天孫土着の物語

第76 火明命とニギハヤヒ(第9段の異伝を検討する)

第77 日向神話の体系的理解

第78 騎馬民族はやって来たか

第79 三種の宝物再論

第80 日本神話の大きな構成(三輪山のオオナムチとの出会い)

第81 海幸彦・山幸彦の物語を検討する

第82 「居場所」のない古事記

第83 本居宣長について

第84 日本神話を論ずる際のルール

第85 神々の黄昏

あとがき

著作権の問題など

付録・初版の「結論とあとがき」


新論文
神功紀を読み解く
神功皇后のごり押しクーデター

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