日本書紀を読んで古事記神話を笑う

日本書紀を読んで古事記神話を笑う 改訂新版

2009年10月5日up
(物語読者として日本神話を解明する)


第32 誓約による神々の生成(古事記)


「各誓(うけ)ひて子生まむ」の問題点

 延々と日本書紀を検討してきた。
 さてさて,やっと古事記を語ることができるようだ。

 その大筋は,日本書紀第6段本文と似ている。古事記でも,スサノヲは,「各誓(うけ)ひて子生まむ」と述べている。

 まず,無前提に,「各」誓約と言っている点から,引っかかってしまう。

 前述したとおり,スサノヲに「異心(ことごころ)」があるか否かが問題なのだから,スサノヲだけが,1人で子を生めばよいはずである。
 しかし,「正当性の契機」を導くには,やはり「各」神が,子を生まなければならなかったのだ。

 古事記ライターは,そこまで理解して「各」と言っているのかどうか。
 私は,わけもわからず,何も考えずに,「各」と書いたと思う。

 今まで何度も問題にしてきた,古事記ライターの癖。

 「ほら,あの誓約の話だよ。」「あそこで,アマテラスとスサノヲが子を生んだよね。」「あの話さ。」と言われているような,軽い書き方。

 私は,日本書紀第6段に残された古い伝承を頭の中に描きながら,思わず「各」と書いたと思う。
 私は,こうしたところに,敏感に,リライトの痕跡を感じ取ってしまうのだ。


誓約の条件がまったく示されていない

 それよりも,誓約の条件がまったく示されていない点がおかしい。
 古来,これが,不思議がられてきた。

 生まれてきた子が男の子ならばスサノヲに異心がない,女の子ならば異心あり,という条件を示さなければ,誓約にならない。

 アマテラスは問う。「然らば汝の心の清く明きは何して知らむ。」スサノヲは答える。「各誓ひて子生まむ。」

 これだけだ。これでは,誓約ではない。

 と言うより,誓約のなんたるかは,読者ご存じのとおりという書き方だ。
 ここでは,誓約の条件など,日本書紀第6段に残された古い伝承を知っていることが,前提とされているのだ。

 古事記は「語りの文学」だという人がいる。
 語られる側が,古い原伝承を知っていることが,当然の前提とされている。

 だからこそ,平気で,誓約の条件がとんでしまうのだ。叙述上意図的に省略されたというよりも,「とんでしまった」という方が,的を得ている。

 要するに,これも,リライトの痕跡である。
 しかも,後述するとおり,きちんと理解していない,とんでもないリライトなのだ。


古事記においてもスサノヲが勝ったのは明らか

 誓約の条件が明示されていないが,古事記においても,スサノヲが勝ったことは動かない。

 だから古事記でも,まさに私が勝ったという名前を,その子供に付けている。
 それが,「正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命」だ。

 私は,古事記でスサノヲが勝ったのかどうかわからないという学者さんは,あまり信用しないことにしている。
 名前を見れば明らかだからだ。

 条件が明示されていないから,どうだというのだろう。
 そんなことは,古事記ライターと,語って聞かせる人の間の常識だったから,すっとばしただけのことだ。

 古事記とは,その程度の書物なのである。

 結果として,男の子に誇らしげに,「正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命」,すなわち「正勝吾勝」と名付けているのだから,男を生んで勝ったことに間違いはない。
 少なくとも,「正勝吾勝」の意味を知っている者にとっては,そう結論づけるしかない。

 「叙述と文言」から出発すれば,議論の余地はない。まず,結果を押さえるべきである。それから,なぜ条件が示されなかったのかを,考えるべきである。

 それが,思考の筋だ。


古事記の「詔り別け」

 日本書紀第6段本文は,アマテラスが,「其の物根(ものざね)を原(たづ)ぬれば,・・・是吾が物なり。」と言い出して,スサノヲが生んだ男の子を取り上げて,「子養したまふ(ひだしたまう)」という展開だった。

 これに対し古事記は,物實=物根を問題にすることは同様だが,「男子は,物實我が物に因りて成れり。故,自ら吾が子ぞ。」と宣言してしまう。

 これが,古事記の「詔り別け」だ。

 しかし,何度も述べたとおり,スサノヲが男子を生んだかどうかという問題と,「その後」アマテラスがそれをひっくり返すこととは,まったく別問題である。

 誓約の結果は,子が生まれた時点で決まっている。

 それをひっくり返そうとするアマテラスの行為は,まったく別の目的,「正当性の契機」作出のために,挟み込まれているのである。

 「子養したまふ(ひだしたまう)」(第6段本文)のか,「故,自ら吾が子ぞ。」(古事記)と「詔り別け」てしまうのかは,「叙述」の本質には関係ない。


手弱女を生んだかどうかは誓約とはまったく関係がない

 ところが,古事記におけるスサノヲは,誓約の最後の締めくくりとして,とんでもないことを言う。

 「我が心清く明し。故,我が生める子は手弱女(たおやめ)を得つ。これによりて言(もう)さば,自ら我勝ちぬ」。

 ちょっと待ってくれ。

 スサノヲの身の証は,男の子を生めばそれでたったはずだ。

 結果的に3女神の父とされるのは,例によってアマテラスが,「物實」が自分のものだからという屁理屈で,男女を交換してしまったからにすぎない。

 その交換は,誓約とはまったく別の,「正当性の契機」を導き出すための創作だった。

 であるのに,古事記におけるスサノヲは,「手弱女」,すなわち,か弱い女神を生んだから勝ったというのだ。

 「これによりて言(もう)さば,自ら我勝ちぬ」。もう逃げられないぞ,古事記ライター。
 「手弱女」を生んだから勝ったという因果関係を,しっかり自白しているな。古事記ライターよ。


古事記ライターは「手弱女」を生んだから勝ったのだと誤解している

 要するに,古事記ライターによれば,国を奪うような猛々しい心がなかったからこそ,「手弱女を得つ」。だから勝った,という論理なのだ。

 これは,男か女かという誓約ではない。古事記ライターか古事記の伝承者が,結果から,勝手に推論しただけのことである。

 いったいこれは,どうしたことだろう。

 誓約,すなわち条件の明示とはまったく関係ないところで,勝敗が決まっている。
 結果として「手弱女」だったから,いいでしょ,というだけの結論になっている。

 誓約の条件をきちんと叙述せず,いい加減にすっとばしてしまった結果が,これだ。
 古事記ライターは,本当に,のちのちの研究者に大被害を与えてくれました。


「手弱女」に飛びついたどうしようもない古事記ライター

 日本書紀の誓約を理解した私には,電光石火のごとく,一気に理解できる。

 古事記ライターは,条件を示さなければ誓約にならないことを知らなかった。
 もしくは,知っていたはずの条件が,頭の中でもうろうとしていた。
 だから,条件の明示をすっ飛ばした。
 男神を生めば勝つということは,古来の伝承を読んで知っていた。
 しかし,正当性の契機のための男女交換という点は,理解できなかった。
 だから,男神を生んだのに,結局女神を得たことに,とまどってしまった。
 勝ったはずなのに,どうしよう,どうしよう,どうしよう・・・。
 さあどうしよう。オロオロオロ・・・・・・。

 ここで,はたと気付いた。

 (膝を打って)そうだ,「手弱女」だあ。
 危険性のない「手弱女」だから勝ったんだよな。やっぱり(と,手を打つ)。


古事記ライターをおちょくる

 ここには,明らかにリライトの痕跡がある。それも,出来損ないのリライトだ。

 私は,以下のように抗弁したい。

 しっかし,女神だからって,「手弱女」だって断定していいのかい。
 女はすべて「手弱女」なのかい。君イ。
 あんたの奥さん,「手弱女」かい。

 たとえばネ,あんたが「手弱女」っていう宗像3神はネ,スサノヲの剣から生じた神さんなんだよ。

 これが,天孫がやってくる道を守るんだよ。
 剣は,ツクヨミがウケモチノカミを撃ち殺した武器だし(第5段第11の一書),そこから生まれた「手弱女」が,降臨しようとする天孫を守るんだよ。

 これが「手弱女」かい? 怖いよー。

 女だからって「手弱女」って断定するのは,もしかしてあんた,平安時代の人?中世封建社会の人?

 結構新しい感覚だよねえ。女神を「手弱女」って言うのは。


女の軍(いくさ)を馬鹿にするな

 時代は降るけど,神武天皇がヤマトを平定しようとしたとき,「女軍」「男軍」ってのが出てくるよ(神武天皇即位前紀戊午年9月)。

 当時は,女も「アマゾネス」みたいに軍隊つくって,戦ったみたいだね。
 これ,知らなかったかなあ。

 こんなことも知らないあんたって,いったい,いつの時代の,何者?

 あ,そうそう。ついでに,日本書紀の崇神天皇10年9月も読んでごらん。有名な,「武埴安彦(たけはにやすひこ)の反乱」の場面だよ。

 「武埴安彦と妻吾田媛(あたひめ)と,謀反逆(みかどかたぶ)けむとして,師(いくさ)を興して忽(たちまち)に至る。各(おのおの)道を分(くば)りて,夫は山背(やましろ)より,婦(め)は大坂(おほさか)より,共に入りて,帝京(みやこ)を襲はむとす」。

 女も,いっぱしの武将だったんだ。

 これを知らないなんて,もぐりだよ。
 だって,日本書紀編纂の8年前のことだろ。古事記が成ったのは。

 あんた,本当に,神話,わかってんの?

 源平合戦の時の木曾義仲の妻,巴御前に言及するまでもないよな。こちらは,武勇に秀でた美女というわけで,結構,有名だがね。

 ついでに言っとくと,「誓約」の場面のアマテラス。男装して,男勝りに雄叫びを上げたのが変だという,変な学者さんが大勢いる。

 あんた,まさか,そうした変な学者さんと同類じゃないだろうね。


日本書紀第6段本文を整理する

 念のため,整理して再度説明しておこう。

 日本書紀第6段本文の内容はこうだった。

@ 誓約による潔白証明の場面。

A 物根による「正当性の契機」作出の場面。

 ここで「物根」は,誓約にはまったく関係ない。

 「物根」に基づいた子供の交換によって,結局のところスサノヲが3女神の父親になったことは,誓約の結果とは,何ら関係がないのだ。

 Aの話の展開をみて,@をひっくり返すのは,書物の読み方として邪道だ。

 とにかくスサノヲは,男の子を産んで潔白を証明したのだ。スサノヲの潔白を証明するだけならば,それで終わってもいい話だった。

 しかしアマテラスは,物根を理由に,生んだ子供を交換してしまう。
 その交換により,スサノヲの子孫が「高天原」に残される。それが将来,天の下の新たな支配者になる。

 これが,「正当性の契機」なのだ。


古事記ライターは物實の意味がわかっていない

 つまり,「物根」云々の叙述は,侵略の「正当性の契機」にかかわっているだけだ。誓約は,あくまでもスサノヲが男神を生んだ点で決まっている。

 それが,日本書紀第6段本文の叙述だ。極めて明快だ。

 古事記ライターは,これがまったくわかっていない。

 わからないまま,@とAとを,オロオロと混同している。私には,その当惑した気持ちが,手に取るようにわかる。


古事記ライターの当惑(心のひだに入り込む)

 「物實」による男女の子供の交換の意味を理解していないので,

@ スサノヲが5男神を生んだのに,

A 交換により結局3女神の親になってしまった,

B いったいこれはどうしたことだ,スサノヲは勝ったのか負けたのか(と,現代の学者さんが陥っている疑問をもってしまった),

C スサノヲは,結局3女神の親になったのだから,誓約の前提は,女の子を生めばスサノヲが勝つという条件だったのだろう(と,物語をひっくり返してしまい),

D 「手弱女」を生んだから,「異心」がないということなのだろう,そう記しておこう,

と考えたに違いない。


当惑の「叙述と文言」上の根拠

 その,古事記ライター(あるいは登場人物たるスサノヲ)の当惑は,以下の「叙述と文言」から明らかだ。

 「我が心清く明し。故,我が生める子は手弱女(たおやめ)を得つ。これによりて言(もう)さば,自ら我勝ちぬ」。

 「これによりて言(もう)さば」という叙述に表れた,スサノヲ(じつは古事記ライター,じつはこの伝承自体の本質。)の逡巡。

 男なら勝つのか,女かという議論は,横っちょに置いておこう。

 仮に「女を生んだら勝ち」という前提があったのなら,「これによりて言(もう)さば」などという,持って回った言い回しはしない。「だから」で接続して,勝利のゲームオーバーだ。

 「男を生んだら勝ち」という前提で論じているからこそ,スサノヲが男を生んだのに,アマテラスにそれを取られて,結局,私の子だと宣言されちゃった,アレレ,となって,「いったいどういうこと?」と悩んで,さらに「結局,手弱女を得たには違いない。」となって,「これによりて言(もう)さば」という「叙述」が出てくるのだ。


「これによりて言さば」という意味深な言い回し

 この,「これによりて言(もう)さば」という,持って回った言い回しの背後には,単なる女ではなく,「手弱女(たおやめ)を得つ」という価値判断が絡んでいると,私は見ている。

 単なる女ではなく,「手弱女(たおやめ)」だったからこそ,「これによりて言(もう)さば」という,価値判断をふんだんに含む「叙述」になるのだ。

 何度も言うとおり,本来の誓約は,男か女かという,単純なものである。この,持って回った言い回しからしても,古事記ライターが,誓約を理解していなかったことがわかるのである。

 か弱い女の子を生むくらいだから,高天原を奪おうとする心なんかないよ,という極めて常識的で人間臭い判断が,つい,顔を出してしまったのだ。

 なお,結局スサノヲは勝ったのだから,女を生めば勝ちという前提があったのだと,割り切ってしまう学者さんが多数いる。

 しかし,その学者さんたちは,「だから」ではなく,「これによりて言(もう)さば」という,価値判断をふんだんに含む「叙述」をどう考えるのだろうか。

 私は,読み込みが甘いと思う。


古事記ライターの叙述の矛盾

 「か弱い」女の子を生む生まないということになると,もはや誓約にならない。「か弱い」という評価を入れるなんて,質実剛健で単純なはずの誓約ではない。

 単に,男の子か女の子か,というだけのはずだ。

 そもそも,なぜ男の子に,「正哉吾勝勝速日天忍穂耳命」,まさに私が勝ったという名前を付けたの?
 ほら,説明してみなさい。ほれ,ほれ。

 私は,古事記ライターは,「正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命」の,「正勝吾勝」の意味さえわかっていなかったと思う。


余計なことをやった古事記ライター

 わけがわからなくなった古事記ライターが,誓約の意味さえ改悪して,凡庸な常識で決着を付けようとしたのが,上記一文だ。

 それが証拠に,日本書紀第6段は,本文も第1ないし第3の一書もすべて,スサノヲが男神を生む。

 女神を生んだから勝ちなどという伝承はない。

 すべて,アマテラスが女神を生む。
 瓊(たま)から生んだか剣から生んだかの違いはあるが,スサノヲが男神を生んでいる点では,ぶれがない。

 「我が生める子は手弱女を得つ。これによりて言さば,自ら我勝ちぬ」。

 すなわち,女の子を生むくらいだから,猛々しい心はないのさという,神話を知らない凡人の解釈は,どの伝承を探しても存在しない。

 わかってない奴が,余計なことをやったものだ。
 大迷惑だ。


誓約自体も改悪してしまった

 くどいようだが,古事記ライターは,誓約の意味自体も曖昧にしてしまった。

 くどいようだが,誓約は単純である。

 子が生まれた後のアマテラスの主張によって,左右されるものではない。
 子が生まれたあとの,「物根」の交換によって左右されるものでもない。

 誓約の場面と「物根」の交換場面とを,きちんと区別できなかった人々が,いまだに,スサノヲは勝ったのか負けたのかと,ケンケンガクガクの議論をしている。

 後になって,アマテラスの横やりで左右されるのであれば,そんなものは誓約ではない。
 こんな簡単なことが,わからないのだろうか。

 スサノヲが勝つか負けるかは,男の子を生むかどうか。これだけで決まるし,決まっているのだ。
 「正哉吾勝」という名前をつけた時点で,決まっているのだ。

 ところが,武力に秀でた猛々しい男神ではなく,「手弱女」だったから,という主観的判断。
 誓約は,単純に男か女か,土器や瓢が浮くか沈むか,という客観的条件だけで占うものだったはずだ。

 古事記ライターは,古来の伝承を食い散らかして,わけがわからなくしてしまった。
 後世の私たちからすれば,たまったものじゃない。

 こんな人は,日本神話の意味がわからなくなった,はるか後代の人ではないだろうか。
 とても,日本書紀成立と同時代の人だとは思えない。


学者さんの説を批判する

 ちなみに,ここでは誓約の経過が問題なのではなく,その結果スサノヲが勝ったと宣言する点に意味があるだけである,という学者さんがいる。

 さっぱり,わけがわからない。
 これでは,白旗フリフリですね。

 議論はすべて無視。これじゃあ,とりつくしまがない。それを狙った,わけわかったような「解釈」。

 神話というマジカルな印象に寄りかかって,「スサノヲが勝ったと宣言する点に意味がある」と断言してしまった。

 これこそ,新たなる神話の創造(もしくは想像)であろう。
 ここにも,古事記を文献批判の対象としないことから来る,読み込みの弱さがある。

 


トップページ( まえがき)

第1 私の立場と問題意識

第2 問題提起

第3 方法論の問題

第4 世界観と世界の生成

第5 神は死なない(神というもののあり方)

第6 原初神と生成神の誕生

第7 日本書紀における原初神と生成神の誕生

第8 修理固成の命令

第9 言葉に対して無神経な古事記(本当に古い文献か)

第10 古事記は伊勢神宮成立後の文献

第10の2 応神記の気比の大神について

第11 国生み叙述の根本的問題

第12 日本神話の読み方を考える(第1子は生み損ないか)

第13 生まれてきた国々を分析する

第14 国生みのあとの神生み

第15 火の神カグツチ「殺し」

第16 黄泉国巡り

第17 コトドワタシと黄泉国再説

第18 禊ぎによる神生みの問題点

第19 日本神話の故郷を探る

第20 大道芸人の紙芝居としての古事記

第21 アマテラスら3神の生成

第22 分治の命令

第23 日本神話の体系的理解(日本書紀を中心に)

第24 日本神話の構造と形成過程

第25 生まれたのは日の神であってアマテラスではない

第26 日の神の接ぎ木構造

第27 最高神?アマテラスの伝承が変容する

第28 泣くスサノヲとイザナキの肩書き

第29 日本神話学の見通しと方法論

第30 日本神話のコスモロジー

第31 誓約による神々の生成(日本書紀)

第32 誓約による神々の生成(古事記)

第33 天の岩屋戸神話と出雲神話が挿入された理由

第34 日本神話のバックグラウンド・縄文から弥生への物語
(日本書紀第5段第11の一書を中心に)


第35 海洋神アマテラスと産霊の神タカミムスヒ
(日本書紀を中心に)


第36 支配命令神は誰なのか(ねじれた接ぎ木構造)

第37 アマテラスとタカミムスヒの極めて危うい関係

第38 五穀と養蚕の文化に対する反逆とオオゲツヒメ

第39 スサノヲの乱暴

第40 「祭る神が祭られる神になった」という幻想

第41 天の石屋戸と祝詞

第42 スサノヲの追放とその論理(日本書紀を中心に)

第43 アマテラス神話は確立していない(日本書紀を中心に)

第44 出雲のスサノヲ

第45 異伝に残された縄文の神スサノヲ(日本書紀を中心に)

第46 スサノヲにおける縄文と弥生の交錯(大年神の系譜)

第47 別の顔をもつスサノヲ(日本書紀を中心に)

第48 オオクニヌシの試練物語のへんてこりん

第49 オオクニヌシの王朝物語

第50 日本書紀第8段第6の一書の構成意図と古事記の悪意

第51 スクナヒコナと神功皇后と応神天皇と朝鮮

第52 偉大なるオオナムチ神話(大八洲国を支配したオオナムチ)

第53 三輪山のオオナムチ(日本書紀第8段第6の一書から)

第54 古事記はどうなっているか

第55 偉大なるオオクニヌシ(オオナムチ)の正体(問題提起)

第56 偉大なるオオクニヌシの正体(崇神天皇5年以降)

第57 崇神天皇5年以降を読み解く

第58 国譲りという名の侵略を考える前提問題

第59 「皇祖」「皇孫」を奪い取る「皇祖神」タカミムスヒ
(国譲りという名の侵略の命令者)


第60 皇祖神タカミムスヒの根拠
(国譲りという名の侵略の命令者)


第61 古事記における命令神
(国譲りという名の侵略の命令者)


第62 第9段第1の一書という異伝中の異伝と古事記

第63 武神の派遣と失敗と「高木神」

第64 タケミカヅチの派遣(タケミカヅチはカグツチの子)

第65 フツヌシとタケミカヅチの異同

第66 コトシロヌシは託宣の神ではないしタケミナカタは漫画

第67 「オオクニヌシの国譲り」の叙述がない

第68 天孫降臨の叙述の構造

第69 サルタヒコの登場

第70 古事記独特の三種の神宝

第71 天孫はどこに降臨したのか

第72 「国まぎ」を切り捨てた古事記のへんてこりん
(天孫降臨のその他の問題点)


第73 国譲り伝承と天孫降臨伝承との間にある断層

第74 じつは侘しい天孫降臨と田舎の土豪神武天皇

第75 天孫土着の物語

第76 火明命とニギハヤヒ(第9段の異伝を検討する)

第77 日向神話の体系的理解

第78 騎馬民族はやって来たか

第79 三種の宝物再論

第80 日本神話の大きな構成(三輪山のオオナムチとの出会い)

第81 海幸彦・山幸彦の物語を検討する

第82 「居場所」のない古事記

第83 本居宣長について

第84 日本神話を論ずる際のルール

第85 神々の黄昏

あとがき

著作権の問題など

付録・初版の「結論とあとがき」


新論文
神功紀を読み解く
神功皇后のごり押しクーデター

日本書紀を読んで古事記神話を笑う 「初版」 はこちら



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